『違うよ母さん。いや、そうじゃないから。やってない、喧嘩とかはやってないから。そりゃ口論は今でもするけど、別にチクチクなんて──俺は平和的、争いが嫌いな平和主義者、でもいつも夾竹桃が揚げ足を取るから已む無しにトークバトルになるわけ。あいつは生粋のバトルマニア、分かった?』
ジーサード一派によるバスカビールの襲撃から一夜経った翌日。ワトソンに話によると、ジーフォースの奇襲で負った怪我の影響でバスカビールの女性陣は武偵病院に一週間の入院が決まった。今日は神崎も星枷の声も部屋にはなく、それだけでやけに部屋が閑散とした空気になる。だから、電話から届く母親の声もやたらとクリアだ。
『ああ、そう。喧嘩はしてないし、レバノンまで一人で来てくれたことには感謝してるよ。俺とあいつはお互いノーガードで殴りあってるだけで思ったことを濁さず言ってるだけ。二人三脚やるくらいには仲良いから、裏切られたけど』
腐れ縁くらいにはなってたと思ってたけど、深夜アニメとアニソンには敵わなかったってわけ。どこまでも自分の欲望に忠実な女だよ。まあ、代わりにココパフ奢ってくれたから、別に恨んでもないんだけどさ。あれは犯罪的だったな、バターにクリーム、チョコ、さらにバター、あんなの不味いわけない。
『分かった。じゃあ、保安官によろしく。クレアとアレックスにも』
ひとしきり母さんと別れの挨拶をして、携帯の通話を切る。ったく、夾竹桃め……兄貴やキャスだけでなく母さんにまで高評価を貰ってやがる。いつのまにポイント稼いだんだ、俺よりも評価高いんじゃないかってレベルだ。いつ母さんと一緒に料理作ったんだよ、俺はお前が料理してるところなんて一度も見たことないんだけど──!
まずい……夾竹桃が気に入られて、相対的に我が家での俺の扱いがすごく軽くなってる気がする。家出の前科があるしな、俺。しかも国を跨いでの家出、それも数年単位で帰宅しなかったし。確かに夾竹桃は夾竹桃で自分に無害な相手には敵意も向けないし、悪党にしては優しすぎるくらいの女だが……な、なんか複雑だな。
「悪い、待たせたな。電話か?」
「ああ、スーフォールズから。母さんが休暇を取ったんだとさ」
「スーフォールズってサウスダゴタ州の?」
即答したキンジに閉じた携帯をポケットに突っ込みながら、
「……正解。なに、前はコロラドって言ってたのに。勉強の成果出てるじゃん。ちょっと驚いた」
「よせよ、あそこはあそこで有名な都市だろ。LAやNYの知名度が飛び抜けてるだけで」
「それは人によってそれぞれだ。サウスダゴタの中では随一に大きな都市だがそれでも知らない人は知らない」
以前、コロラド州と的外れの解答をしていただけにルームメイトの成長には、我ながら大袈裟な反応を返してしまった。仕方ない、日本の8地方に対し、アメリカはハワイを除いても40以上の州がある。ざっと日本の2倍以上、意図して学ぼうとしなければ覚えられる数じゃない。
「まあ、あれだ。地理の問題に出るかはともかく、本土に旅行に行くときは役に立つから。で、そのフードは? 外、晴れてるけど?」
部屋の中なのに、黒いオバケみたいなローブ姿のキンジに俺は首を傾げる。
「『ハーミットの衣装』だと」
「そうか、ハーミットね。似合ってるよ、それ買ったの?」
「装備科からレンタルしたに決まってるだろ。今はとてもこんな気分じゃないが、無視したら教務科の裁きが下るからしゃーなしだ。顔がオバケになるまでボコられるよりはマシ」
「それは言えてる。好き好んでサンドバッグになってるやる必要はないな」
今日は放課後にハロウィン──正確には10月末が休日だったので、振り替えで今日になった教務科が主催の催しがあり……何かしら仮装して外を歩くことが義務づけられている。
例によって違反すれば教務科の体罰フルコースに飛ばされかねず、俺もキンジも今日ばかりは素直にそのルールに従ってる。もっとも理子辺りは喜んでるだろうし、皆が皆嫌いなイベントじゃなさそうだが。
「けど、普段は退治してる側の存在に化けるってなんか色々と複雑だ。狩りをやる前はそんなこと考えもしなかったけど」
「話したい思い出があるなら聞いてやろうか?」
「ハロウィンに大御所の悪魔を退治したんだ。サウィンってハロウィンに復活する顔色の悪い悪魔」
「聞かなきゃ良かった」
「聞いたのが悪い」
ハロウィンの思い出なんてあいつに全部持ってかれたよ。元々、あの日にたいした思い出はなかった。ジャンヌのメールによると、昨夜の襲撃のことでロキシーにて師団の面々で会合を開くらしい。当然、師団入りしている俺とキンジも参加者リストにいるので、手持ち無沙汰に話は続けながら部屋を出る。
「サウィンってハロウィンの始まりになった悪魔だっけ?」
「知らなくても恥じゃないが正解だ。ケルト人は10月31日の晩、この世と霊界の門が開くと信じてた。サウィン祭りさ、奴に見つからないように仮面をつけ、キャンディーを置いて宥めた。パンプキンに顔を彫るのは崇拝の証。大昔に悪魔払いされたのが復活して、俺たちが後始末。今となっては懐かしいよ」
ちょっとしたハロウィンの蘊蓄だな。こういう儀式や風習のことには家庭の事情で結構知識がある。いまいち盛り上りには欠けるが。
「悪魔が消えて風習だけが残ったんだな」
「そのとおり。今でこそ子供が仮装してお菓子を貰う祭りだけど、当時は血糊じゃなくて本当に血が飛び交ってた。まさにデスゲーム」
盛り上がりに欠ける思い出話に浸りながら、シボレー・インパラで会議場となっている学園島唯一のファミレスーーロキシーに向かう。
俺とキンジが着いたときには、楓並木に開かれたオープンテラスに既に『師団』の面々が集まっていた。それでも約束の三時の二分前、ギリギリセーフだな。
「すまん、ギリギリになったな。分からんかもしれんが俺だ」
黒いフードをかぶったままの姿がキンジが丸テーブルにつく。その丸テーブルというのが、また魑魅魍魎としてる。
「遠山。お前は……普段から暗いのに、さらに暗い仮装をしてきたな」
と、辛口を飛ばすのは自分が魔女なのに魔女の仮装をしているジャンヌ。ヒルダが吸血鬼の仮装をするレベルで違和感がない。仮装というかありのままだろ。デュランダルがステッキに変わってはいるけどさ。
「それで、お前はお前で一段と顔色が悪くなったものだな」
「自分が退治してきた連中の仮装なんてできないだろ」
「だからキョンシーだったのか」
「中国版ゾンビとはまだ戦ったことがないからな」
納得した表情でキンジが視線を向けてくる。今の俺はというと額に札(悪魔避けを書き殴った)を張り付け、ココと似たような海外の民族っぽい衣装で上下を固めている。キョンシーって言ったら暖帽に札が張り付けられてるイメージが強いが、用意できなかったのでやむを得なく額に直張りしてる。ついでに悪魔も遠ざけられる便利な札だ、手作りだけど。
「ユキヒラ、大丈夫かい?」
不意に心配そうに声をかけてくれたのは、カボチャの被り物で誰か分からなくなったジャック・オー・ランタンのワトソンくんちゃん。くり貫いてマスクにしたんだな、声を聞くまでは本当に誰か分からなかった。
「大丈夫って何が?」
「顔面蒼白だから」
「俺が? 日焼け止めだ。まあ、ちょい日光浴びすぎたかな」
一応、衛生武偵として心配してくれたワトソンくんちゃんには心で礼を言いつつ、俺もテーブルに着く。そしてジャンヌ以上にそのまんまな化けキツネの格好をした玉藻が俺の正面の椅子に座ってる。格好が格好だけに師団会議と言っても気が抜けそうだ。そんな最中、凛とした声でジャンヌが話を切り出した。
「では少々性急ではあるが、師団会議を始める。先日『師団』のバスカービルーー1名はウルスの兵も兼ねているが──その4人が『無所属』のジーサードと、手下のジーフォースに討たれた」
律儀に机に置かれたノートパソコン、画面越しに繋がっているバチカンのシスターにも碧眼で目線をやると、続けてワトソンが、
「昨日、ボクはジーフォースと車内で一緒になる時間があった。そのときに聞き出き出した話によれば──ジオ品川を拠点にしていたのは、単にレキをそこで発見したからだそうだ。ユキヒラがロカって呼ばれるヤツらの超能力者と会ったのも本当に偶然らしい」
昨夜、ジーフォースと武偵病院に連れ添ったときに抜け目なく聞き出していたらしい。別にジオ品川が根城ってわけじゃなかったのか。
「何かしら騒ぎを起こす可能性はあったがこんなに早く仕掛けてくるとはな。紛れもなく、こいつは立派な奇襲だ。あのレベルの手練れに奇襲を受ければ、誰が狙われても結果はたぶん変わらなかったぞ。勿論、俺を含めて」
俺の声も自然と低いものになった。ロカ──ジーサードの一派と接触したことは伝えたが、あの段階ではどちらに勢力に味方するかなんて誰も分かりはしない。あのレベルの相手に背中から狙われるのは分が悪いにも程がある。ハンデを抱えられる相手じゃないのは実際に切り結んだことで明らかだ。
「厄介だね、彼らは勝てばそれでいいという思想の持ち主らしい。敵にすると面倒なことはこの上ない」
同じく手段を選ばないことで知られているワトソンが補足する。
「どうする? ジーサードとジーフォースは今、別々に動いてる。個々で撃破するなら──」
「遠山の。仲間をやられて熱くなる気持ちは分かるがの。その言葉はしまえ。あまり儂を失望させるでない」
キンジが最後まで言う前に、目を閉じていた玉藻がそれを遮る。メロンソーダーを飲み、それまで閉じていた眼孔が鋭くキンジを貫く。
「先刻、お主は直にヤツらの実力を目にしたはずじゃろ。バスカービルの娘たちは、ジーフォースに手も足も出なかったと聞く。ウィンチェスターは引き分けたそうじゃが、あの娘は全力ではなかったと言ったな?」
「映像で見せて貰った攻防一体の布をあの女は俺との戦いで使ってなかった。たぶん、あいつが磁気推進繊盾って呼んでたのがその武装だ。俺も弾切れだったが、それを差し引いてもあいつのほうが手加減してただろうな」
玉藻から振られた視線に、俺は自虐的な声色でかぶりを振った。あの飛来する布はどう考えても驚異だ。仮にあれが健在だったら、昨夜みたいに互角に切り結ぶことも儘ならない。純粋な白兵戦で言えば、俺より秀でてる神崎と星枷が負けた相手だ。キンジは兎も角、何かしらの搦め手を混ぜないと俺の手には余る。腹に目眩ましのまじないを仕込む以上のカードが必要だ。
「遠山の。急く気持ちは分かるがはないが掟を忘れるでない。『戦役』ではいつ何時、誰が誰に挑戦する事も許される。ヤツらの手口は汚いが、間違ってはおらんのじゃ」
「じゃあ戦うなってのかよ。仲間が闇討ちされたんだぞッ」
「闇討ち? それが何じゃ。これは戦ぞ。フェアプレーを誉められるスポーツとは違う。血で血を洗う戦ぞ、お主は首を取られてから相手を恨むつもりか?」
「おい玉藻、待て。無理ないだろ、こいつはあの四人と友達だった。みんながみんな、SEALsみたいに感情を操作できるわけじゃない。私怨だって入るだろ、俺だってそうだ」
頭では俺もキンジも分かってる。賢いやり方は、師団として見れば正しいのは玉藻だ。だが、それを踏まえて人間の感情ってのは融通が効かない。身近な相手が絡んでいた場合は特に。
「落ち着け二人とも。襲撃された中には白雪もいるのだ。玉藻も何も感じていないわけではない」
ジャンヌの一言に、俺もキンジも声を潜めるしかなかった。玉藻と会長はまだ彼女が自転車にも乗れない小さい頃からの付き合いだ。それにジャンヌは理子、ワトソンも神崎とそれぞれが浅くない繋がりを持ってる。みんな同じだ、済まし顔でいられるわけない。感情を黙らせるように、俺とキンジは深く息を吐いた。
「分かった。じゃあ、続けてくれ。キンジ、いいか?」
「ああ、頼む」
玉藻に視線で促すと、半眼で言葉が返ってくる。
「では遠山の。状況を見聞してみよ。なぜお主だったのかは分からぬが──バスカービルは1人だけ無傷で残された」
「俺も一応生き残ってるけど?」
「キミは手負いだっただろ。それにアリアたちが敗北する映像を受け取ったのはトオヤマだ。たぶん、彼らのなかではキミはバスカビールのなかにはカウントされてなかった」
「それは一理あるな。別枠として見られてたのかも」
実際、俺もバスカビールに含まれていたのを知ったのはついこないだのことだ。もしくは、キンジだけが別扱いされていたのか。
「とにかく、これは彼らなりのメッセージ。自分たちの強さを見せつけた上で、ボクたちに交渉の余地を与えたんだ。ジーフォースという使者を置いていくことでね」
「あるいは死神かも」
いや、あんな子供みたいな死神はいないか。得体の知れない相手ってことは一緒だが。
「ヤツらは今、師団に真に敵対してはおらぬ。交渉の余地を残しておるのじゃ」
「それをこっちからは捨てるな、と?」
「うむ。刃を交えたお主なら分かっておろう。ヤツらは科学を御する。得体の知れない存在じゃ。お主を含めて、科学の使徒と儂等は相性が悪い」
玉藻の言葉に、俺とジャンヌは静かに目を合わせる。俺みたいなハンターが得意とするのはジャンヌや玉藻みたいな非日常の存在の相手。ジャンヌも同様だ。魔術とは何の所縁もない科学については俺たちは完全な専門外。大げさではなく、科学を操るジーサードの一派と魔女怪物連合の師団は相性が悪い。
「それに近頃は璃璃色金の粒子が濃い。私たちにとっては良くない日々が続いているのだ」
超能力関係にはあまり強くないキンジに、補足するようにジャンヌが視線を傾ける。
「璃璃色金……?」
「ココが言ってただろ。璃璃色金が怒って、見えない粒子をばら蒔いたって。そのせいで超能力が不安定になってるんだよ。星枷も奇襲を受けた夜は全力を出せてなかったはずだ」
星枷とジーフォースとの戦いの一部始終を動画で見せられたキンジには思い当たる節があったらしい。璃璃色金の粒子自体は、一般人には無害だが超能力者にとっては鬱陶しいことこの上ない代物。ジャンヌと玉藻のつまらなさそうな表情を見れば嫌悪してるのがよく分かる。
「そして、困ったことに璃璃色金が散布する粒子は極めて広範囲に行われる。お前や当の私たちにも見えてはいないがな」
「広範囲?」
「ああ、日本全土が包まれているとだけ言っておこう。ちょうどチャフを撒かれレーダーを使用不能にされていると思え」
質問したキンジも目を丸くするような、ゾッとする答えが返される。冗談抜きで日本を主戦場にしてる師団の面々には大打撃だ。相手がヒルダやパトラみたいな超能力者なら条件は平等だが、今回の相手は超能力とは真逆の科学を味方につけてる連中。俺たちだけが一方的にハンデを背負ってるのが現実だ。つまり、タイミングも悪い。
「じゃあ、八方塞がりなのか?」
「急くな、戦えば儂等は全滅しかねん。が、そこは知略ぞ。遠山、ジーフォースを取り込め」
「……は?」
ちうー、とメロンソーダーを飲んで間を挟んだ玉藻は、
「まずはジーフォース、いずれはジーサードを取り込むのじゃ。戦うのではなく、師団の味方として率いれる。交渉の余地があるならみすみすと破棄することもなかろう」
玉藻が挙げたのは成功すれば最もメリットのある一手。だが、それは成功すればの話。案の定、キンジが食らいついた。『どうやって率いれるんだ』と、キンジの一言で一番厄介な難題がテーブルに投げられる。俺も追いかけるように玉藻へ視線を向けた。
「主催者さんよ。ご計画は?」
「うむ。無礼千万な諺ではあるが『狐獲るなら油揚げで』とも言う。ジーフォースの好むものが分かれば、それをエサに師団の兵にできるやもしれん。取り込む方法は何も対話だけとは限らん」
「干し草どころか山から針を探すようなもんだろ、そんなの。あいつの好きなものなんて知るかよ。切の首か?」
「あー、そういうこと言うんだ。ウケたよ、キョンシーじゃなくて首なしやれって言うんだな。覚悟しろよ、俺が生首になったら、俺の胴体が地獄の果てまでお前の首を追いかける。なんたって他にやることがないからな」
「遠山、健闘を祈る」
「……トオヤマ。謝っときなよ。彼の場合は本当に胴体一つで追いかけてくるかもしれないよ?」
……いや、冗談だからな。ジャンヌもワトソンくんちゃんもそんなマジっぽい声で言うなって。俺をなんだと思ってるんだよ、首がなくなったら人は死ぬだろ。体から血がどくどく出たら人間は死ぬの。俺も玉藻に習い、買っておいたコーラを飲んで強引に間を作る。
「で、話を戻すが」
「ああ、待ってくれユキヒラ。ボクから説明するよ」
と、カボチャ頭に制され、俺は言葉を切る。へえ、何か策があるって感じだな。コーラを飲みながら、俺はおとなしく会話の主導権を譲る。さぁて、お手並み拝見。
「その、えっとだね……トオヤマ。ジーフォースという女は……昨日の車でも、聞いているこっちが恥ずかしくなるほどに……キミと会えた事が嬉しくて仕方ないと語っていたんだ」
「だが、俺は本当にあの女とは面識がないんだ。間違いなく初対面のはずだぞ」
「でも彼女はキミに気を許している雰囲気がある。キミは敵意を剥き出しにしてるけど」
「……だから何だ、寝首を掻くなら切のほうが上手いだろ」
だからお前は俺を何だと思ってるんだ。当然、ジーフォースには厳しい言葉を投げるキンジ。だが皮肉なことに次にワトソンが投げた言葉で目を見開くことになる。
「つまりだな、キミは得意なことを存分にやれ」
「だから何だ」
「ボクが言いたいのは──その、つまり、ロメオだ。ロメオだよ」
「──ロメオッ!?」
わざわざ二回言ってくれたワトソンに、俺も反射的にジャンヌに視線を振っていた。あ、目を逸らしたぞこの聖女様。さては俺たちが来る前に四人で結論を固めてやがったな。俺はカボチャ頭を揺らすワトソンに頬杖を突きながら、
「ロメオって、男版のハニトラか? ベルリンとかで有名な?」
「うん。学科があるのはバンコクとベルリンだけだよ」
「ふざけんなカボチャ頭っ! バスカービルは、ジーフォースに襲われた直接の被害者だぞ! それでなくても、あんなモーションセンサー付きの爆弾みたいな女──」
「じゃあ他に手はあるのかい?」
いつもの二割増しで口の悪いキンジにワトソンは冷静な声で言葉を続ける。
「ボクらには今、それぐらいしか打ち手がないんだ。明日の完璧なプランより今あるそこそこのプランが上」
「いや、あるぞ。俺がハニトラやる以外にも打つ手が」
おいバカ、俺を見るな。お前はさっき自分が何を言ったのかもう忘れたのか。
「……トオヤマ。残念だけどユキヒラじゃロメオは無理だよ。車でジーフォースとユキヒラのことも話したけど、キミとは逆の意味でユキヒラに執着してる。つまり、悪い意味で」
「腕を切り落とされかけた」
「しくじったって言ってたよ。舌打ちしながら」
「教えてくれてどうも。あいつにホッケマスクやナイフはいらない、正真正銘の怪物だ」
「表現がうまいね」
諦めろ、と言わんばかりの視線でジャンヌと玉藻の視線もキンジに集まる。こればかりは仕方ない、俺もおいうちをかけるようだが思ったまま言ってやる。先に裏切ったのはキンジだしな。
「だそうだ。お前も一部始終を見てたから分かるだろ。ジーフォースと俺はハニトラが成立する関係じゃない。あれは単純な好き嫌いの目じゃなくて、もっと根底から憎むべき相手に向けてる目だよ。好感度はマイナスに振りきってる、つまり無理ゲーだ」
「それに外見上とてもそうとは思えないが、実績上、キミは得意だろう。女子をたらしこむのが。アリアを始め、白雪とか、理子とか、レキとか、中空知とか、その他とか」
ワトソンの言葉が契機となり、パソコン越しのシスターすら賛同するムードでキンジにエールを贈っている。最後の退路が焼かれたな。
「む、無理だ!できるかそんなモン!切、お前からもなんとか言ってくれ!」
「いいや、あの女のキンジに対する執着は確かに本物だった。突拍子もないことかと思ったが筋なきことでもないか、なかなかお利口だねぇ」
「ありがとう。キミは顔に札を貼ってるほうが楽しい男になるんだね」
「この裏切り者ッ!」
「諦めろ。いいか、今度のことは隕石が当たったようなもんなんだよ。お前が落下場所にいた。たまたまそれだけ」
ルームメイトの戯れ言を一蹴し、俺はコーラを飲んで口論から離脱する。しかし、さっきの刺々しい声色を聞いてるとワトソンも案の定ってことか。本当に俺のルームメイトは末恐ろしい。それだけ、良い男ってことなんだろうけどさ。それと女子をたらしこむのが上手いのは否定しない、クラスのみんなが否定しない。
「では遠山の。任せたぞ」
そうこう言ってると、ちうー、と残りのジュースを平らげて玉藻が席を立った。
「頑張れ遠山。見えるけど見えないものだ」
「それ言いたかっただけだろ!?」
続いて、レモンティーを空にしたジャンヌも席を立っていく。
「トオヤマ、ボクもアリアたちを看護する。キミはキミの役目を存分に果たしてくれ」
最後に、援護射撃しているようで問題を丸投げするようなワトソンが席を立った。残っているのはノートパソコン越しのシスターと俺たちのみ。つか、これ情報科で貸し出してるパソコンだろ。連中、パソコンの返却も丸投げしやがったな。
『お初目になりますね。えっと……キリさんとお呼びしてもよろしいですか?』
「あ、そうでした。ええ、ファーストネームで構いませんよ。えっと……バチカンの方ですよね」
不意に、パソコンから言葉を投げられて俺は視線を泳がせる。やばい、バチカンのこと忘れてた。
「シスター、どこまで俺のことはご存知でしょうか。その、深い意味はないんですが下手をするとウチの家系はヒルダ以上に魔性というか……」
バチカンと言えばカトリック教会の総本山ってことで有名だ。そして俺と兄貴は揃ってルシファーの器になってる。悪魔の親玉の車、忌むべき対象の筆頭の片棒を担いだことになる。他にも地獄の門を開けて悪魔は外に出したし、魔王は復活させたし、天国の門を閉じて天使は地上に落としたし……
「大丈夫か?」
「ああ、いや。懺悔することを整理してたら頭がパンクしそうになった」
「恐いから中身は聞かないでおく」
「賢いね、何の面白みもない話だよ」
と、キンジに乾いた笑いを飛ばすと、
『そうですね。一概には……何しろ、ウィンチェスターの方々は良くも悪くも豪快な方々と知られていますので』
「とても的確な答え。何も言い返せない」
『あ、悪くは取らないでくださいね!一概には言えないというだけの話です。貴方とお兄様が多くの方々を魔の者から救ったという話は事実。多くを犠牲にして、戦い続けてきたことは私も存じてます。殲魔科でウィンチェスターの名を知らない生徒は一人もいませんよ?』
「……いつもは皮肉を飛ばすんですが。素直に礼を言いますシスター。ありがとう」
『あら、ジャンヌさんからは皮肉屋と聞いてましたが本当は素直な方なんですね』
まさか、ジャンヌが言ってる以上に皮肉屋かもしれませんよ?
「キンジ。折角だし、一緒に懺悔聞いてもらうか?」
「いや、やめとくよ。俺も頭がパンクする。全部終わってから聞いてもらうさ」
──ああ、じゃあ『ゆるしの秘蹟』を予約しておきますシスター。二人分。
「やっちまったな。最悪の考えコンテストやったら最優秀賞もんだぞ?」
「そう言うな。危険な女の相手は慣れてるだろ? 今回もうまいこと乗り切れ、お前はオスカー俳優だ」
「中学の演劇で主役になるのとはわけが違う。ワトソンのあの手際の良さ、嵌められたな。俺たちが来る前にだいたいの打ち合わせが終わってたんだ」
最初から仕掛けられた罠に見事突っ込んだキンジは怒り覚めきらぬと言った声色で、
「上等だ、俺はキレたぜ。あいつらは人としてやってはならないことをした」
「いや、そこまでのことしたかな……」
「やられたらやり返す。倍……いや、三人まとめて──1000倍返しだ!」
……ああ、合点がいった。それ言いたくてずっとウズウズしてたのか。分かる分かる、そのドラマ昨日最終回だったもんな。それ言うと、鬱憤を晴らした気持ちになるのもよーく分かる。あのドラマでも丁度三人いたし。
「ほら、済んだらみんなのお見舞い行くぞ」
「これからの人生、二度と待ち合わせに滑り込みはするまい。なあ、やっぱりお前の方がロメオは適任じゃ──」
「いたしません。行くぞ、ケーキ屋のキンちゃん」
「け、ケーキ屋って……なんだよそれ」
「70年代のドラマだ、児童向けドラマ。だからって馬鹿にできないぞ?」
おもちゃ屋とか、すし屋とか、まあそれは色々なシリーズがあって好みは別れるんだが、俺はどれかと言うとケーキ屋キンちゃん党ってやつで──
「切」
後ろを歩いていたキンジが小走りで隣にやってくる。両手をポケットに突っ込んで。
「ジーフォース、連中のことをお前はどう見る?」
「強い、恐ろしくな」
一転、落ち着いた冷やかなルームメイトの声で冷水を頭から被ったように、思考がクリアになる。落差の激しいやつだ。
「勝てるか?」
「分からない。でもまあ、戦うことになったら先人の教えに習うさ。第442連隊戦闘部隊」
「パープルハート大隊か。いつも通りだな」
「ああ、いつも通り」
視線は交わさず、歩いたままで端的に返す。それはアメリカ陸軍史上最も多くの勲章を貰った戦闘部隊で彼らのモットーは、
「go for broke──腐れ縁」
「Hoo-yah──キンジ」
──当たって砕けろ、だ。