哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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佳境に入るので視点変更を一度だけ入れています。


光と闇

「……じゃあ、なに。島麒麟だけはアバドン2世の選挙活動に気付いてお前の手を借りようとしたけど、逆にハメられて火野はお祝いで作った手作りのケーキを自分でちゃぶ台返ししたと?」

 

「と、遠山かなめ……! あたしはハメられてたのかッ……! あのケーキ苦労して作ったのに……!」

 

 ……怒りで聞いちゃいねえな。夜の繁華街──マンガ喫茶や飲食店、電化製品専門店が立ち並んでいる路地で黒のパーカーとハーフパンツの私服姿でいる火野ライカ……もとい間宮のお友達が怒りで体を震わせていた。

 

 その手にあるのは、『これまでの道のり』と書かれた鈴木先生作の漫画。表紙には火野、島、そして遠山かなめが達者な絵で書かれている。本人いわく、それを使って誤解とやらを解きに来たらしい。火野がストレス発散にゲーセンを巡る話をどこかから聞き付けたのだろう。さっきのメールを踏まえて、おおよその検討はつくが。

 

 訳あって本の中身は読ませてはくれなかったが口頭で聞いたところによれば、理子の元戦姉妹で火野の現戦姉妹であるCVRの島麒麟。彼女のランク昇格のお祝いをしようとした矢先に遠山の策略にハメられて……

 

 ようするに自分の妹が別の女と浮気したって勘違いしたわけだ。苦労して作った手作りケーキも衝動的にちゃぶ台返し……怒りはもっともだな。

 

「んで、火野。俺は読んでないんだけど、誤解は解けた感じ?」

 

「……先輩、読んでないんですか。ほんっとうに読んでないですよね……?」

 

 なんで睨むんだよ……見てないって。本気で敵意飛ばすなよ、一年離れしてるぞ。

 

「見てねえよ。さっきも言ったが、俺はこいつのタクシーでやってきたんだ。ずっとハンドルを握りっぱなしで見る余裕もない、歩きながら読んでもいない」

 

 やけに噛みついてくるので、改めてかぶりを振って否定しておく。

 

「って言うか、先輩って遠山先輩のルームメイトですよね?」

 

「今は家出中だけどな」

 

「……それも気になりますけど。ルームメイトの妹と問題を起こすのって……」

 

「ああ、面倒だな。だが、ルームメイトの身内だからって見過ごせるものと見過ごせないものがある。荒地の女王になるのは勝手だが方法を間違えたんだよ、あの転校生はな」

 

 それにこれは極東戦役、ワトソンくんちゃんから経過を聞いたがスパサービスの作戦はやっぱり失敗。彼女を抱え込む作戦も半分は破綻してるらしい。それなら好都合、倫理観に従ってアバドン2世を叩いて催眠術を解く。どうだ、腕を切り落とそうとした仕返しもできて俺の思う壺だ。

 

「火野、今回は俺も1000%味方する。一、十、百、千パーセント味方だ、約束する」

 

「安心なさい。推しのブロマイドと遊戯王カードで買収しておいたわ」

 

「……雪平先輩」

 

「資本主義なんで。笑って受け止めりゃいい、皮肉じゃなくて」

 

 ただでさえ高くはなかった評価が、さらに落ちた音がするが良しとしよう。

 

「けど、火野ライカ。貴方って代理性かと思ったけど真性ね。さすがの私もちょっと引くわ」

 

「代理性に、真性……?」

 

「火野、悪いこと言わないから今の言葉は忘れろ。ろくな答えじゃない。それよりあっち、来客が来てるぞ」

 

 視線で教えてやると、そこにいるのは仲違いした島麒麟。派手に驚いた火野は戦姉妹に見事なビンタを食らうのだが……まあ、そこから先は頬にキスを貰っての仲直り。彼女を拾えと言ってきた鈴木先生の望みどおりになった、いや、それ以上だな……

 

「返り咲きッ!」

 

 今までに見たことのない満面の笑顔で鈴木先生は跳び跳ねた。まるでWカップの予選通過を決めたときの監督がごとき喜びようだ。第1打。

 

「友情返り咲きッ!」

 

 第2打、感極まって声が外に出てる。

 

「友情返り咲きッ!」

 

 第3打、今度はさっきより高く飛んだ。残念ながらここで打ち止め。第4打、第5打はないらしい。普段はクールを貫いてるだけに感情が爆発したときのギャップがすさまじい……今までに見たことのない喜び具合だ。

 

 夜の路地裏でいいことが起きたことは一度もないって聞いたけど、今回に限っては別だな。レアな夾竹桃を見ることができて、ちょっとラッキーとか思ってる。夾竹桃って女は、決して無表情でもなければ軽薄な女でもない。案外、根はお人好しなのだろう。

 

「C77まで……大丈夫、いけるわ」

 

「満足したか?」

 

「ええ、上出来。いえ、それ以上よ。よくやったわね、キリ」

 

 ……ファーストネームで呼んでくれるはしゃぎようかよ。どんだけ嬉しかったんだ。

 

「「……」」

 

「悪い、今はそっとしいてやってくれ。あの様子じゃ今年で一番喜んでる。少しだけ余韻に浸らせてやりたい」

 

 島と火野のなんとも言えない眼差しすら、見えていないはしゃぎようだ。俺にはまるで分からないが胸にこみ上げるものがあったんだろうな。あんな姿、何度も言うけど初めて見たぞ。俺より長い付き合いのジャンヌや理子だって目を丸めるに違いない。

 

「雪平先輩」

 

「なんだ?」

 

「保護者みたいな目してます」

 

「気のせいだよ。そんなこと言ってないで、やることあるだろ。仲直りしたんだから、やれなかったお祝いまたやればいいんじゃない?」

 

「「……!」」

 

 ……なんでケルビムの真似事みたいなこと。いや、それもたまにはいいか。天界は人材不足だしな。駆け出す二人の背中を見据え、俺はかぶりを振る。さて。

 

「おい、夾竹桃。パーキングまで遠いんだ、流石にそろそろ行くぞ。ホテルまで送ってくよ」

 

 去り際の火野と島の顔を思いだし、ふと口角が持ち上がる。本当に正義の味方みたいなことするんだな、元イ・ウーの毒使いは。

 

 

 

 

 

 音がない。まるでない。誰もいないホテルの一室。家を出てからこの部屋に泊まるのも今夜で数日目。決して悪い部屋ではないが、神崎やキンジの声が途絶えなかった部屋をふと思いだし、小さな虚無感に襲われる。ここに来てモーテル暮らしに後戻り、それは予想してなかったな。

 

 レバノンにある賢人のアジトを見つけて以降、日夜モーテルに世話になる暮らしとは決別。狩りでの限られた時間に限って、宿暮らしになる程度だったのだがここに来てのホテル暮らし。妙な気分だった。違いがあるとすれば、武偵という仕事上……昔みたいにクレジットカードの裏技は使えないってことか。叩けば埃が出てくる過去は理子やジャンヌと変わらない。

 

 無事に夾竹桃をいつものホテルの駐車場まで送り届けたときには、夜の帳も濃くなっていた。それはヒルダが活発的になる時間、彼女に言わせれば『世界は夜を中心に回る』のがあるべき姿らしい。すっかり身近になった吸血鬼の口癖を、かぶりを振るようにして払う。

 

 なぜ、ヒルダのことが頭に浮かんだか。それはきっと、夜どころか『闇』そのものが俺の眼前にいるからだろう。眼前の光景を認められず、俺は最後の抵抗で洗面所で水を浴びるが、戻っても何ら変化はなかった。

 

 黒いドレスの女が──床にヨガマットを敷いてプランクをやっている。ここまで冷静に声を張り上げていない自分を誉めてやりたい。

 

「戻ったのね、目は冷めた?」

 

「いや、まだ夢じゃないかと疑ってるよ。部屋に戻ったら神の姉さんが筋トレしてるとか悪夢もいいところだ。日頃のストレスで遂に幻覚を見るようになったかな」

 

「それ、ガブリエルがいたら同じことを言いそう。幻覚じゃない」

 

 プランクの姿勢で頭を持ち上げ、宝石のような瞳で視線を重ねてくる。聞き覚えのある声で別人の可能性は完全に絶たれた。こんな突拍子のないことやられて、今さら別人だって思うのもそれはそれで難しいがな。突拍子のないことをやるのは彼女たちのお家芸。

 

「現実か。まあ、悪夢であることに代わりないけど。まだ死神が迎えに来たとかの方が良かった」

 

 備え付けられた冷蔵庫から瓶入りコーラを丸テーブルの上に置く。

 

「やけに落ち着いてる」

 

「そう見せてるだけ。内心は心臓ばくばく」

 

 瓶のキャップを開け、俺は貯まるに貯まった疑問をぶちまけることにした。常闇を思わせる黒いドレス、そして目が覚めるような茶髪はかつての記憶と合致する。

 

「──アマラ。リノで現世を謳歌中じゃなかったか? なんで俺が留守してる間に部屋に上がり込んで、呑気に筋トレしてるんだ?」

 

 リノ──ネバタ州北西部のラスベカスに次ぐカジノで現世を満喫してるって話を、つい最近聞いたばかりだ。なのになんで日本のホテルで筋トレやってるんだ、ありえん、ありえんだろ。困惑する俺に、茶髪の彼女はようやく姿勢を戻し、マットの上に立ち上がった。

 

 ここに玉藻や星枷がいれば、いったいどんな反応をしただろう。アマラと呼んだ彼女は、例によってドレスが似合うだけの女性じゃない。スケールのデカさでいれば緋々神と同レベル、その存在自体がお伽噺として疑われていたdarkness──俺たち人間の常識の枠を、遥かに逸脱した場所にいる存在。

 

「チャックに聞いたの?」

 

 クレアチオ・エクス・ニヒロ──虚無からの創造、神は何もないところから大地を作った。日曜学校ではそう教え込ませようとしてるが、神と大天使が来て光を作る前の世界にも何もなかったわけじゃない。

 

 創世記ってのは実は嘘っぱち、金一さんやバチカンのシスターはショックを受けるかもしれないがそこには暗黒があったのだ、果てしない真っ黒な暗闇がずっと最初から存在していた。

 

「安っぽいバーでつまらない話を永遠と聞かされたよ。あんたがカジノとエステにハマってることも。ヨガと筋トレは話に出てこなかったが……」

 

 神が光を象徴するなら、彼女は闇。フォースの暗黒面、ダークサイド側の象徴。博識な玉藻や星枷にその名前を出せば、苦笑いでそう語ってくれるはずだ。暗闇に溶けそうなドレスで着飾った彼女の名はアマラ──神の姉。これ以上なく説明に骨が折れる存在だが、一つ言えるのはこんなホテルで易々と会える相手じゃない。

 

「リノは最高、最近はとっても調子がいい」

 

「そりゃ良かったな。あんたたちが旅行に行ってる間もこっちは休みなしだ。ルシファーはまた自分が父親に捨てられたと思ってグレやがった、お陰であんたもよく知ってるセールスマンは死んだよ」

 

 テーブルに備えられた椅子の上で乱暴に足を組む。

 

「異世界のミカエルがあわやこっちに戦争を仕掛けようとして、あんたの甥も殺された。あんたの弟は、自分の息子がアスモデウスなんて小物に監禁されてるのを知ってて無視を決め込んだ。ラファエルとガブリエルは原始の創造物だから復活できないってな。呈のいい理由だ、すっかり騙されたよ。お陰で大天使は今度こそ全滅。人材不足の天界は指導者を失った」

 

 足を組み替え、瓶を呷る。キャスがナオミから聞いた話だと、天国に残ってる天使の数は……今では両手の指で数えられる。そして地上にいるのはカスティエル、アナエルを含めてもせいぜい片手で数えられる程度。地上なら、絶滅危惧種もいいところだ。仮に彼等が全滅したらどうなるか、考えたくもない。

 

「異世界の、ミカエル……?」

 

 一方的に吐きたいことを吐き捨てると、彼女は僅かに眉をしかめる。

 

「あんたの知ってるミカエルよりも遥かに邪悪で遥かに強い。あっちでバルサザールや天使の軍隊を率いてた。奴がこっちの世界に来ることは止めたられたが、今度こそトリックスターは虚無の世界に行っちまったよ」

 

「私は関わってはいない。今はこの世界を楽しんでる、エステとスパサービス。ネバダはいいところよ?」

 

「すっかり現世に毒されちまったな。世の中、健康ブームになるわけだ」

 

 だが、毒気の抜かれる返答に俺は肺から息を吐く。感情的になったが彼女に愚痴を吐いたところでどうにもならない。それくらい分かってる。それに甥が死んだとは言っても自分を薄暗い牢屋にぶちこんだ一人、幽閉されていた期間はルシファーの比じゃない。怨んでないはずもないか。

 

「地上を楽しんでるのはよく分かったよ。あんたに何を言っても確かに筋違いだ。悪かったな。諸事情で酒はないけど構わないか?」

 

 冷蔵庫からもう一本の瓶コーラを開ける。

 

「いい国ね、静かで」

 

「賑やかなときは賑やかさ。本土に比べて静かなのは当たってるかもな」

 

「あなたが気に入るのも分かる。私も以前とは見方が変わったの」

 

 こちらに背を向け、アマラはカーテンを払った窓から外の景色に視線を流していた。やや高層に位置するこの部屋からは夜の街並みもそれなりに一望でき、悪くない眺めを味わえる。値段は多少張ったが、ひび割れた壁と床が軋んでるボロいモーテルよりは間違いなく居心地は良い。

 

「本当のところ何しにやってきたんだよ。遠方から遥々遊びに来てくれるほど、俺たちは仲が良かったとは思えない」

 

「それは、ルシファーと一緒に私に牙を剥いたから?」

 

「それもある。ぼろ雑巾にしてくれたよな、苦い記憶だよ。ああもワンサイドゲームになるとは思ってもみなかった、完敗だ」

 

 眼前の彼女とまだ一悶着あったとき、檻から出てきたルシファーと雁首揃えて挑んだが結果は惨敗。ワンサイドゲーム、一方的な敗北だった。強力な武器を手に入れたルシファーは実に威勢が良かったが、始まってみれば憐れなもんだ。体を貸してやった俺もとばっちり、大火傷だよ。

 

 聖書に登場するソドムとゴモラの都市を消した天使の雷ですら、彼女のドレスに埃を浴びせるのがやっとだった。半径1kmに死の灰を降らせる天界の最終兵器ですら彼女は殺せない。

 

 試したことはないが、十中八九コルトで殺せない存在のひとつは彼女だろう。今まで色んな規格外の化物を見てきたが、彼女はその中でも頭一つ抜けてる。苦渋を呑まされた異世界のミカエルすら彼女の前では簡単に捩じ伏せられる、ミカエルの剣があろうとなかろうとな。

 

 まだ武偵校に入学もしていない頃の苦い記憶を掘り返されると、今度は外の景色に背を向けるようにアマラは体を反転させた。敵意はない、だが視界にいれているだけで異常な存在感が重たくのし掛かってくる。ただそこにいるだけで感じさせる絶対的な支配力、浮かぶ言葉は一つだけ──規格外。そうとしか言い様がない。

 

「さっきの質問の答え、嫌な気配を辿ってここに来た」

 

 徐に近づいてきたアマラは俺の頬に手を当ててくる。まるで氷を当てられたようにその手は冷たい。突然のことに目を見開くが、やがて彼女は困惑した顔で背後に一歩下がった。

 

「……ルシファーの気配が残ってる。それにまだ新しい、またあいつの器になったの?」

 

「色々と事情があったんだよ。込み入った深い事情さ。手を組むしかなかった」

 

「深い事情、便利な言葉ね」

 

 別に興味を惹かれるわけではないらしく、それ以上の追求はない。決して言葉に詰まったわけではなく、興味のないことにはとことん淡白なだけらしい。器の話は語って楽しい話でもないので俺も話題を変える。

 

「それで、嫌な気配って?」

 

「お前の腕からひどく匂ってる。私を閉じ込めていた刻印の不愉快な匂い……」

 

 半眼で狙い済ましたように刻印を刻んでいる右腕が注視される。お見通しというわけか……

 

「鋭いことで」

 

 いや、こればかりは誤魔化せない。刻印は彼女を果てしない時間、閉じ込めていた檻の鍵だ。その縁は簡単に忘れられるものじゃない。

 

「でもちょっと違う。その刻印は……完全じゃない。ルシファーを堕落させた刻印とはまるで……パワーが感じられない。何をしたの?」

 

「刻印のまじないは通販じゃ買えないからな。形だけを真似た贋作ってところか、あんたがやってくるとは思ってもみなかったが」

 

「でっち上げた……?」

 

 今度こそ、意外な答えを返せたらしい。眼前で彼女の目が驚きの色に染まる。

 

「そう、でっち上げた。この刻印は牢屋の鍵というより身体能力を上げる……神の石板ってところか。誰かを閉じ込めてるわけでもないし、今のところ効果もないけどな」

 

「おもしろいことをするわね。でも立派なのは袈裟だけ、不愉快な匂いはしてもそんな刻印じゃ私は閉ざせない。言ってることは本当みたいね」

 

「俺があんたを幽閉して何の得になるんだよ。それに天使の力を結集してもかすり傷ひとつ負わなかったのに、生身の人間に剣一本で立ち向かえって?」

 

 微笑して、彼女は両手を広げる。

 

「やってみたら?」

 

「自殺するにしてももっとマシな方法がある。それに今のあんたと戦う理由がないんだよ。無断で部屋に上がり込まれたことには驚いたけどな」

 

 皮肉めいた言葉と一緒にホールドアップ。両手を挙げて白旗を振ってやる。

 

「サプライズはいきなり来ないと意味がないでしょう?」

 

「それは同感だ。つまり、俺がでっち上げた呪いは意味がないんだな」

 

「リスクも薄ければ、効果も薄い。本来の鍵としての役割を果たしていないから。よくできたハリボテね」

 

 大して考えもせずアマラは告げた。リスクが薄ければ、効果も薄い。ローリスクにはローリターン、見事にバランスが取られている。見返りが欲しければ相応のリスクを抱えろってことか、例によって俺の嫌いな『等価交換』だ。間を作るようにコーラを喉へ流し込む。

 

「この国でも、面倒な連中が思いの外やってくるんだよ。んで、刻印の力を借りれば楽に一蹴できるかと思ってな。堕落したくないが刻印の力は欲しい、ちょっと欲を掻きすぎたかな」

 

「袈裟だけでも刻印をでっち上げた。大したものよ? 役に立つ立たないは別だけど」

 

 抑揚のない声、そこに皮肉はない。アマラはただ思ったことを述べてるだけだ。カインの刻印をでっち上げた、そのことだけは素直に称賛されているらしい。まあ……役に立つ立たないは別にしてだが。

 

 予期しない来客だが思ってもみない形で情報を得られたのは幸運かもしれない。つまらない嘘を重ねて優越感に浸るような心配もない相手だ。良くも悪くも、等身大の人間の価値観からは程遠い場所にいるんだからな。

 

 が、会話の雲行きは不意に怪しくなる。あまりにも突然なタイミングで。

 

「キリ、何かを焦ってる。いいえ、恐れてる。刻印の力を求める理由はなに?」

 

 すっとテーブルから瓶をさらい、その場でくるりと一回転してからアマラは首を傾げてくる。

 

「別に」

 

「見抜けないと思った? バカにしないで」

 

 彼女の低くなった声色と共に、視線が重なったまま呪縛される。

 

「そんなハリボテ、何も恐れることはない。でも興味はある、お前だって忌まわしい刻印を好きで求めたわけじゃないでしょう?」

 

 一転、脳内で警笛が鳴り響いた。警戒はしていない、言葉ではそう言っていても不愉快な錠前であることには変わりない。嫌悪感を抱いていなければ、そもそもこんな場所にまでやってこない。

 

 俺の腕にある刻印は、彼女を闇に幽閉していた錠前であり忌むべき筆頭。悩む暇はない。本能が命ずるままに、俺は問題の種を口にした。

 

「──色金だ。もしかしたら、そいつが絡んでくるかもしれない」

 

 せめて投げ遣りに告げた言葉に、アマラは微かに目を瞠る。

 

「どの子がバトルの相手?」

 

「さあな、今のところは緋色」

 

「──緋緋神」

 

 納得したような声でその名前が呼ばれる。緋緋神──緋緋色金に宿る意思の名前が。

 

「ルシファーは心底嫌ってたよ」

 

「あの子はひねているから。お前と同じ、斜に構えているところがある。ガブリエルにも言えるけど」

 

「甥の悪口はそこまでにしてくれ。ガブには二度も命を救われてる、俺の家族も友人も救ってくれた。彼には感謝しかない」

 

「ひょうきんな子。お前のことを知っていながら最後まで器にはしなかったようね?」

 

「あの顔が気に入ってたんだろ、俺のより」

 

 自虐しながら、俺は答える。俺への配慮、それとも単純にロキの姿を気に入っていただけか。今となっては答えは闇のなかだ。飲み切った瓶をテーブルに置くと、アマラはゆったりとした足取りで部屋の端へ、視界はまた外の景色に投げられていた。

 

「刻印は生き物のように形を変え、意思を持っているように徐々に変化する。ルシファーはそうやって堕落した」

 

 俺に背を向けたままで、言葉だけが一方的に飛んでくる。刻印は生き物──かつての死の騎士の言葉が同時に頭をよぎった。

 

「ハリボテの刻印でお前が狂うことはないわ。でも本当に刻印の力を引き出そうとすれば……でっち上げであろうと、どうなるかは分からない。私が忌まわしいと感じるくらいにはよく出来ているから、お前が本気で刻印の力を求めれば──堕落しないとは言えない」

 

 警告……いや、事実をそのまま口に出しただけか。どうなろうが自己責任、そう言わんばかりだが相手はアマラだ。これ以上ない説得力に満ちている。

 

「アドバイスありがとう。カインですら刻印を抑えることはできなかった。リスク管理は上手くやるさ、このままタトゥーシールにしておくのも満更──」

 

 悪くない──そう続けようとしたときだった。丸テーブルの隅に置いていた携帯電話の着信音が鳴ったのは。

 

「悪い」

 

 背を向けたままのアマラに一言置き、二つ折りの携帯を開く。なんだ、夾竹桃じゃないか。ったく、さっきのことでまたお礼でも言ってくれるのかな。

 

「どうした、夾竹桃。さっき別れたばかりだろ?」

 

 部屋を歩きながら、電話を耳に当てる。

 

「……夾竹桃? おい、聞こえてるか?」

 

 通話状態になっているのに彼女の声が聞こえてこない。俺は眉をひそめ、画面を睨んだ。電波は三本ともしっかりと立っている。

 

「夾竹桃、なんか返事しろ。忙しいならまた──」

 

『雪平、どうしたの?』

 

 時間が止まったような気がした。

 

『夾竹桃を探してるの? 彼女は今体調を崩してる、体よく言えばだけど』

 

 ……ジーフォース。

 

『実際はもう終わってるよ。ううん、終わりの瀬戸際かな。あたしの剣を避けて、遠距離で戦ったのはミスだったね。毒を使わない蠍はただの虫けら……』

 

 冷たい声で言葉が並べられる。なんだ、何が終わってる? 虫けら? 終わりの瀬戸際?

 

 頭が追い付かない。ジーフォースの言葉が理解できない。お前はなにを言ってるんだ……?

 

「キリ、なんて顔をしてるの?」

 

 怪訝な顔でアマラがこっちを見ている。そんなことどうでも良かった。

 

『ねえ、雪平。私はお兄ちゃんに捨てられちゃった、いらない子。お兄ちゃんと組んで最強の兄弟になる計画だった。でも……それが、うまくいなかった……』

 

 抑揚のない声が耳許で続く。

 

『もうヤケ。暴力も解禁した。なんでもいい、誰でもいいから八つ当たりさせてよ……ウィンチェスター。あの夜の続き、やろうよ。お前もこれでやる気になるだろ?』

 

 刹那、ズズッと何かを引きずる音がした。革靴がコンクリートの床を、無理矢理引きずられるような音。言い様のない寒気が背中に走った気がした。携帯を握っている手が言葉にならない震えに襲われる。

 

『ほら、言ってやれば?』

 

『……ぁ、ぃ……』

 

 喉を押し潰すような声がする。やめろ、頼む、やめてくれ……

 

『……ご、めん……な、さぃ……』

 

『はい、おしまい』

 

 ジーフォースの声がして、何かが落下する音がした。棚に置かれた花瓶が、床に叩きつけられて割れるような音だった。

 

『今夜0時、間宮あかりに決闘を取り付けてある。友情なんて幻想のためにこの女は挑んできたけど……まだ足りない。こんなザコでもいいよ、ねえ……八つ当たりさせてよ?』

 

 ……夜中の3時でも電話しろって言ったのに。またなのか、また大切だと思った矢先に奪われるのか。二人でやっても勝てるかどうか分からない相手──だから一人で先行した?

 

『これでお前も私と同類、捨てられた。ううん、失った。やる理由はできたよね……?』

 

 俺に力があれば回避できた、あの時と同じだ。今朝見た夢と同じ、ジョーを失ったときと何が違う。何がごめんなさいだ……謝る必要がどこにある。謝るのはこっちだ、いつも大切な人に限って奪われる、そんなの分かりきってたのに……

 

『羽田空港F滑走路。ツクモと一緒にいる。お前も何人でも連れてきてもいいよ、銀氷の魔女でもエル・ワトソンでもお友達は好きなだけ呼んできな』

 

「殺してやる」

 

『好きにしなよ、今夜はこないだまでみたいに機嫌がいいわけじゃない。間宮を狩ったところでこの気持ちは埋められない、でも今のお前を狩ったら……ちょっとは気が晴れるかな。私と同じ、大切なものを奪われたお前なら』

 

「知ったようなこと言うんじゃねえ。俺が言えることは、もう極東戦役も師団の方針も知ったこっちゃねえってことさ、どうでもいい」

 

 もうどうでもいい。いつもどおりだ、大切な人が欠けてクランクアップに向かう。それが今回はあいつだったってだけ。ただそれだけ、本当にそれだけ。間宮を巻き込まないために先行して、友情なんて綺麗な理由を掲げて負けた、本当にそれだけ……

 

「似た者同士って言いたいなら構わない。そう思ってろ。夾竹桃がまだ生きてるなら、お前をボロ雑巾にしてキンジの前に突き出してやる。二度とおいたができないようにな。けど、もしお前があいつの首を落としたって言うなら……俺が地獄で数十年何をやってたか教えてやるよ。本当は誰の愛弟子だったかってこともな」

 

 そして通話は途切れる。携帯の画面に記されている時刻は23時8分。間宮とジーフォースとの決闘の時刻までは約50分。あいつが言っていたツクモとは例の妖狐のお仲間、ジーサード一派の一人だろう。

 

 今頃、あいつは俺がインパラを飛ばして駆けつけるのを待ち構えている。ジャンヌやワトソン、知り合いと雁首を揃えて八つ当たりに来るのを。

 

「どこにいてもトラブルを背負って歩いてるのは変わらないのね?」

 

 上等だ、それならこっちにも考えがある。携帯をテーブルに置き、俺は待ちぼうけを食らわせた彼女を直視する。

 

「アマラ、リオは朝の8時にもなってない。カジノを楽しむにはまだ少し早いよな」

 

 古傷を抉られた、猟犬に腸を食いちぎられた気分だ。

 

「それまで、俺とドライブしないか?」

 

 体裁なんて気にしない。本気でやってやる。

 

 

 

 

 『HSS』で兄弟が双方に強化できれば『双極兄妹』──一騎当千の兵士が二人も誕生する。ロカは非倫理的な作戦と称したけど、強くなるためならなんでもするなんでもさせるのがアメリカ。

 

 学校はすぐ上下関係を作れる場所だった。女子を簡単に兵隊にできるし、どんどん増やせる。集団があればそこでは強いものが君臨するのが当たり前。上からのミッションは双極兄妹となったお兄ちゃんとの再合流、そして日本に軍事拠点を作ること、その2つ。

 

 双極兄妹を成し遂げて──自分の軍人としての価値を証明する。けれど、それもおしまい。双極兄妹は机上の空論……性的興奮で強くなるのはお兄ちゃんだけ……あたしは……弱くなる……サードの元にはいられなくなる。一人でアメリカの追跡者たちに戦いきれない。ロスアラモスの研究所に戻るしかなくなって、そこで終わり。

 

 私も磁気推進盾と一緒、計画通り運用できなかった兵器……不良品。結末は決まってる、不良品の末路は処分以外にないから。それならいまだけでも八つ当たりしてやる、グレてやる。

 

「来るかな、あいつ」

 

「来るよ、私と同類だもん」

 

 FNーP90で武装したツクモは浮かない顔だった。八つ当たりに付き合わせるつもりない、武器を振るうのは私だけ。助力を頼むつもりも本当はない。このやり場のない気持ちは払えないだろうね。でもあの男を狩れば……少しはスッキリするかもしれない。

 

 牽引車に積まれたコンテナの上から、眼下に転がっている女を一瞥する。ミニガンは驚いたけど、距離を取って戦ったのはミスったね。友情なんて幻想、人と人との間には支配と被支配の関係しか成り立たない。自分より強い者に刃向かうのは──非合理的。

 

「ウィンチェスターには悪い噂しか聞かない。泥を振り撒いて歩いてる一族。なにをしてくるか分かんないよ?」

 

「雪平はトラブルを引き寄せる磁石。なんでもいいよ、吸血鬼でも魔女でも狼でも好きなだけ連れてくればいい。なんでもいい、八つ当たりできるなら」

 

 自分とツクモの認識の違い、それは獣人であるか否かに依るところなんだろうけど。大した問題じゃない。先端科学兵装の刃を携え、私は夜の暗闇を仰ぐ。凛とした冬の夜、苛立つくらいに綺麗な月を──

 

「?」

 

 おかしい、さっきまで浮かんでいた月が見えない。今日は新月じゃない、雲に隠れたわけでもない。なのに、見上げた空は真っ黒でどこにも月はなかった。月だけじゃない、空一面が真っ黒な絨毯でもかけられたように漆黒の色に塗り潰されていた。夜だから──違う、何かが違う。

 

 睨んだ空には微かな星の明かりすらない。これじゃあまるで──闇。何の光もない暗闇。冷たい風に撫でられながら、不気味な空から私は視線を外すことにした。何か……気味が悪い。凛とした夜が台無しにされた気分、そう思った矢先の出来事だった。

 

「凛とした冬の夜、死ぬにしても悪くない夜。いい言葉ね、とても気に入った」

 

 一瞬の躊躇なく、敵意の矛先を声の方向に向ける。そこにいたのは黒いドレスで飾られた女だった。モデルのような長身、暗闇に溶けるような茶髪の女がコンテナの端に立っている。周囲の警戒に不備はない、なのに気配も足音すら感じなかった。

 

「あら、おっかない」

 

 向けられる刃に構えをとる様子はない。立ち尽くしてこちらを見ているだけ。サードみたいな規格外の威圧感を放ってくるわけでもないし、立ち姿も身に纏っている気配も一般人のそれと変わらない。なんで背後を取られたんだろ、分かんないなぁ。

 

「誰だ、お前?」

 

「パーティーに呼ばれたの。だから来た」

 

 的外れの答えに苛立ちが募る。空港の職員はまだしばらく眠りから覚めない、人払いは済んでいるはず。

 

「ここは会場じゃない。見れば分かるだろ」

 

 なんでもいいや。とりあえず意識は落としとくか。

 

「やる気なの?」

 

「その質問は非合理的──」

 

 目を丸めた女に疾駆、コンテナの床を蹴ろうとしたときだった。

 

「そんな……まさか」

 

 何かに気付いたようなツクモの声で踏み出した足が止まる。肩越しに見た仲間の目は、まるでありえないものを見たような目だった。

 

「ツクモ……?」

 

「……無理だよ。殺せない……あれは、殺せないよ……」

 

 恐怖の蔓草に総身を絡め取られているようだった。ツクモは眼前の女の正体を知っている。一方で微笑したままドレスの女は、こちらを見据えるだけで動かない。次の言葉は決まっていた。

 

「ツクモ、あれなに?」

 

「……ダークネス。聖書……創世記のなかに出てくる、すべてを飲み込む闇……かつて神に、封じられた……神の姉だよッ……!」

 

 スケールの狂った話にどう反応していいか分からなかった。ツクモの上役にも玉藻という妖狐の上位神、人間の言葉で言うところの神がいる。でもツクモは創世記って言った。あの創世記……苦笑いも出ない。

 

「創世記ってのは嘘っぱち、神が都合よく書き換えた。とっくに和解済みだが」

 

「一悶着はあったけど」

 

「世界規模のな」

 

 皮肉めいた相槌、新たな声はコンテナの下から聞こえてくる。転がっていた夾竹桃を抱き抱えた雪平、その隣にはいつの間にかドレスの女も佇んでいる。誰がこの化物を連れてきたのかは明白だった。

 

「言われた通り、お友達を連れてきてやったぜ──遠山かなめ」

 

 

 

 

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