哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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光の中へ完結する物語

「なんで車が使えないんだ?」

 

「どうせ電信柱にでもぶつけたんだろ。夾竹桃の運転に数ヶ月耐えられる車なんて戦車くらいだ」

 

 鬱陶しい晴天の下。インパラを背に、ジャンヌからメールを貰った俺とキンジは諸事情で車が使えなくなった彼女のお友達を待っている。お目当ての場所は俺たちと同じく、バスカビールの入院している武偵病院だが自慢のオープンカーは不調のようだ。

 

「運転下手なのか?」

 

「特殊な状況ではいいよ。地雷原を抜けるとか、追ってくるガンシップを振り切るとかやばいときは。でもここなら、舗装された日本の道を走るとすれば改善の余地あり」

 

 そうやって目を丸めるなよ。前は俺も上手いって誉めてたさ。首都高をあいつの運転で追跡戦やるときまでは……

 

「血も涙もない解説だな。車で攻撃ヘリとでもやりあうつもりか?」

 

「氷上で原子力潜水艦とバトルするよりはまだ勝ち目がある」

 

「潜水艦……?」

 

「ワイルド・スピードだよ。ICE BREAK」

 

「……あの映画、まだ見てない」

 

 やや棘を含んだ解答に俺は視線を明後日の方向に逸らす。ネタバレか曖昧なところだが、ポスターにも潜水艦が出てるしセーフだろう。

 

「分かったからそんな目で見るな。この件が無事に片付いたらレンタルしてきてやるから」

 

「よし、俺は何も聞いてない」

 

 いい性格してるよ、現金なやつ。そこが好きだ。

 

「ああ、そうだ。車と言ったら話は逸れるんだが向こうで兄貴が昔ぶっ壊したダッジ・チャージャーを見つけたんだ。懐かしくなって駄目元で修理してみたら、さすがはトレット家に愛された車だな。これがまた良い走りするんだよ」

 

「ダッジ・チャージャーまで持ってたのか。インパラ一筋と思ってたぞ?」

 

 巷やハンターの間では、ウィンチェスターの車=67年のシボレー・インパラになってるが実はサムの愛車遍歴に限ってはちょっと違う。

 

「本には書いてないこともある。一時のことだけど、インパラがなかったときに新しいもの好きの次男が移動に使ってたんだよ。でも空から天使が降ってきて──俺の目の前で下敷きになって廃車扱い」

 

 ダッジ・チャージャーって車は最終戦争の件が終わったあとに、地獄から戻ったサムがインパラの代わりに使っていたマッスルカー。偶然か必然か、インパラと同じ黒で塗装されたモデルだったがクールなボディは芸術品の一言、案の定一目惚れしたが兄に「運転させてくれ」と頼む前にキャスが見ず知らずの天使と落下。よりによって目の前で廃車になる瞬間を目撃しちまった。

 

「天使も空から降ってくる時代か。何も降ってくるのはアリアだけじゃないんだな」

 

 と、以前とは違って半ば諦めたように空を見上げるルームメイト。本人の意思とは裏腹に、順調に非日常の深淵への階段を登ってる。人生はままならん。

 

「でも車は手を焼いてやる必要がある。整備した車との間に信頼関係ができなきゃ駄目だ」

 

「結婚と同じか」

 

「ああ、でも車は別のに変えても慰謝料とらない」

 

 女嫌いのキンジにしては、珍しいたとえに俺やや驚きつつも自慢の彼女を一瞥する。

 

「まあ、俺ならインパラが廃車寸前になろうと離婚する気なんて真っ平ないが」

 

「知ってるよ。お前は意地でも修理する、賭けてもいい」

 

「答えが分かってるなら賭けにはならねえよ。ディーンが何度も壊れたインパラを直してる。俺が見捨てるわけにはいかないだろ、この車は家族みたいなもんだし」

 

 かぶりを振り、俺は修理したチャージャーのことを遡って思い出す。あれはウィンチェスター風に言えば、魂が抜け落ちて、冷たい機械人形みたいになってた兄が使い倒していた車。ルシファーを檻にぶちこんだところまでしか書かれていない書籍では、触れられていないことの一つ。結局、ミカエルとルシファーの兄弟喧嘩を阻止したところで一段落にすらならなかったことをあの車は切実に語ってくれた。

 

 元凶と思われた堕天使を排除して、その後も問題は山積み、休みなくトラブルが次から次に投げられてくる。聖書のメインイベントが過ぎ去ってからもう何年も経つのに、俺たちはまだ『非日常』って暗いトンネルの中を手探りのライトを照らして走ってる。

 

 他の道はない、逸れようとしても寄り道にしかならない、時間が経てば元の道に戻され、最後にはいつもどおり出口の見えないトンネルの中を走ってるーーだからやめた、普通の日常、生活を望むことを。いっそ敷かれたレールをそのまま走ってやるって気持ちで今ここにいる。

 

 これが『誰か』によってシナリオの定められたテレビ番組だと言うなら、決められた脚本を、最後の最後で台無しにしてやる。俺たちは糸のついた人形でもなければ、本の中の登場人物でも、アニメやドラマの中のキャラクターでもないんだからな。

 

「ところで、彼女とのカウンセリングは? 順調か?」

 

 一転、キンジが待ち人の女の話題に触れてくる。

 

「あいつが言うには俺と顔を合わせるとなんでかトラブルに巻き込まれるんだとさ。あいつの認識だと俺はトラブルを引き寄せる磁石らしい」

 

「冷ややかな視線を交わしあった?」

 

「久しぶりに殺し合いになってないだけ」

 

 苦笑しながら俺は肩をすくめた。誰かさんは思ったことをそのまま口にするし、本能のままに毒を吐く。我慢したら死ぬんじゃないかってくらい好きなことを言いたい放題なのがーー魔宮の蠍って毒使い。ある日、突如としてコルトを奪いにやってきたイ・ウー随一の毒使い。深夜アニメとマンガ、あと人が居眠りしている隣でアニソンを大音量で流すのが大好きな女。

 

「知らないお前に教えてやると、あいつは情け容赦ない血と猛毒と神の怒り、そんな女だ。間宮とそのお友だちに倒されたなんて、俺は今でも疑ってるよ。お礼参りでいつか車のボンネットに縛り付けられて崖から落とされるんじゃないかって心配してる」

 

「……情け容赦ないのはどっちだよ」

 

「お前はあの女が分かってないんだよ。俺もいつかサメがうようよいる海にケージごと落とされるんじゃないかって本気で思ってる。ツーリスト用のケージなんかに入れられてドボンってさ」

 

「尋問科では口の固い犯人はそうやって落とすのか?」

 

「そこはノーコメント。自由履修ならいつでも待ってるよ」

 

 綴先生と一緒にな。お前なら先生も歓迎するだろうよ。

 

「大体だな、俺がトラブルを招く避雷針や磁石だとしてもだ。武偵なんてトラブルに巻き込まれてなんぼの仕事だ。そうだろ?」

 

「それは言えてるな。あちこちに敵を作るし、トラブルありきの日常だ」

 

「ゲームオブスローンズはもっとすごい」

 

「あのドラマはどぎつい」

 

 腕を組み、鏡合わせみたいな姿勢で俺たちはインパラのドア部分を背もたれに空を扇ぐ。

 

「俺よりもお前はどうなんだよ。俺がいない間に神崎とはどうだったんだ?」

 

「どうって?」

 

「喧嘩してたのが仲直りしたわけだから、結果的に進展したのかなって。日本では雨降ってなんとやらって言うだろ。ほら、映画とかでよくあるパターンさ」

 

 喧嘩して、仲直りして、ハッピーエンド。神崎もキンジもルームメイトなんだから気になるのは当然だ。電車で恋愛相談聞いた仲だし。

 

「何を期待してるか知らんがアリアとは何もない。お前が不在になったときと何も変わってねえよ。日夜問わず、あいつは俺にガバメントを向けてくるツインテールの怪獣だ」

 

 そう言って、キンジは肩をすくめる。何も変わってないと、そう言って。キンジは苦笑する。なので、俺もうっすらとした笑みで、

 

「怪獣ねぇ。けど、恋におちる相手は最初は癪に障ることがあるって」

 

 そう言ってやった。

 

「そんなの誰から聞いた?」

 

「前にテレビでどっかの先生が言ってた」

 

「今はネットになんでも載ってる。いい世の中になったもんだよな、言ったもん勝ちだ」

 

「それは同感。真実なんてのは曖昧な記憶の集合体で、それが真実の顔して堂々とのさばってるだけ」

 

 だから、その記憶の持ち主を消せば、真実なんて消えてしまう。都合よく書き変えられ、その気になれば簡単にねじ曲げられる。真実なんて、そんな曖昧なものだ。今の世の中、ゴシップ心にくすぐられて、流された嘘がいつのまにか真実の顔をしてのさばってる。至るところに。

 

「兎に角、最後にこれだけ。俺はお前が理子や星枷、誰を選んでも『おめでとう』を言ってやるつもりだが──数えるほどだから」

 

「なんだよそれ?」

 

「大事な人はそう現れるもんじゃないぞ。若い頃は星の数ほど出会いがあるが俺くらいになりゃ大事な人は片手で数えられる」

 

 なんか、婚期を逃して半分諦めてる独り身みたいだよな。このセリフ。

 

「まあ、今をできる範囲で楽しんどきな」

 

 するとその、自嘲的な顔の俺にキンジがうっすら笑い、

 

「そうするよ──なあ、本当に俺と同い年だよな?」

 

「見ろ、やっとお客さんが来たぞ。おい、こっちだこっち」

 

「聞けよ!」

 

 ようやく姿が見えた夾竹桃らしき相手に遠出から手を振ってやる。らしき、と言ったのは当たり前だがここの生徒である以上は彼女も仮装しているわけでーー普段の黒セーラーや防弾制服とは違っている。事実、手袋をしている左手で気付くまでは誰か検討もつかなかった。小さかったシルエットが近づくに連れ、徐々に鮮明に見えてくる。

 

「ごめんなさい、待たせたかしら?」

 

 まず目についたのは白い着物だった。黒とはどこまでも対照的な真っ白な生地、雪原を思わせるその白色は気品すら感じさせる見事なもの。十中八九、素材は高級な着物にはよく使われる絹と見て間違いないだろう。

 

 着物の白に合わせ、帯の色も同色の白色。鮮やかとは違った飾り気の薄い物だが、逆にそれも白色が本来持っている『純粋』『清潔』と言った印象を後押し、変に飾るよりもずっと視線を惹き付けるものになってる。小細工を抜きにして、単純な攻撃力だけを底上げしてきたというべきか。その攻撃力が凶悪無比であることは今更言うまでもない。

 

「雪平?」

 

 そして帯から視線を持ち上げれば、もう1つ特徴的なのは首に巻かれたこれも同じく白いマフラー。着物とは白の濃淡が違うが細い首回りに巻かれたそれは一際強く視線を惹くことだろう。どちらかと言うと小柄な彼女には、気品めいたショールなんかよりもその純粋(とうめい)なマフラーがずっと似合ってる。それは凶悪無比なレベルで。

 

 そして、なによりも彼女の髪だ。上から下まで白色に統一すれば、必然的に目に毒なレベルで目立っていた黒髪がいつも以上に主張してくる。いつもどおりのストレートの長髪が装いひとつでまるで違って見える。凶悪無比な白い竜が一体から三体に増えたくらい、いつもの三倍は危険度が違って見えてくる。いや、三体が一体に纏まってより洗練された姿になったって言うべきか。なんにしても危険度が跳ね上がってる。

 

 はっきり言っていつも以上に目に毒だ。いつもは黒で固めてるせいで白い着物も妙に新鮮に見えて、ただでも凶悪な毒を猛毒に変えている。着物が似合わないわけないとは思ってたが本当に予想を越えてる。とりあえず、目に毒過ぎる。つか、これじゃまるで探偵科でやってる『服装分析』と変わら──

 

「もしもし~誰かいますかー!」

 

「聞こえてる! 聞こえてるよキンジ!バックトゥザフューチャーの見すぎじゃねえのか!?」

 

 耳元でうるさく訪ねてくるキンジを睨み、俺は手で軽く追い払う動作を見せる。いらねえんだよ、こんなホームドラマみたいなネタ。手で頭を抑え、一気にクリアになった頭で俺は夾竹桃と視線を合わせる。

 

「──雪女か?」

 

 すると、やや驚いた様子で。

 

「よく分かったわね」

 

「和装でなんとなくだよ。設定的にマフラーは保冷目的ってところ?」

 

「ええ、違和感とか……」

 

「いや、全然。これぽっちもねえよ。心配しなくても全然違和感ない。保証する。似合ってるよ」

 

「なら良かった。本当に?」

 

「ああ、こればかりは嘘は言わない。本気で似合ってる」

 

「そう」

 

 と、マフラーを持ち上げて口元を隠す彼女に俺は視線を明後日の方向にやる。元々が日本人形みたいな顔立ちだし、和装が似合うとは思ってたが認識が甘かったな。俺の予想を超えてーー今の姿が似合ってる。着物にマフラーってそんなに相性良かったかって問いたくなるレベルだ。確かに認めるよ、素晴らしく雪女やってる。

 

「死なないくせに死体の仮装をやるなんて、貴方も皮肉が効いてるわね」

 

「自分が刑務所にぶちこんだ連中の格好をするのは気が退ける」

 

「それもそうね。貴方は貴方自身で仮装してるようなものだし」

 

「どういうことだよ?」

 

「貴方自身がホラー小説のキャラクターみたいなものでしょ。キョンシーよりもずっとそっちの方が似てるわよ」

 

 いや、似てるも何も自分自身だろ。でも言われてみるとそれもそうか。

 

「まあ、確かにスパナチュは本になってるし」

 

「オンライン書籍も出てる」

 

「オカルト要素も満載」

 

「ホラー小説だから、誰か犠牲にならないと読んでる人は怒るわね」

 

「俺以上に俺の仮装が上手い奴はいない」

 

「当たり前でしょ、本人なんだから」

 

 はー、その発想はなかったな。ジャンヌは魔女で玉藻はそのままキツネだし、俺も俺をやれば良かった。盲点だったよ。

 

「その抜け道は上手いな、ストンと落ちたよ。来年はそれ使おう、死体役をやらなくて済む」

 

「いや、反則だろ。通るかそんな理屈」

 

「またそうやって盛り上がってるのに水ぶっかけるようなこと言って……お前って人の夢を食うよな、カーゴパンツの歩くパックマン」

 

 右手で噛みつくジェスチャーをしてやると、キンジは冷めた目で首を振る。

 

「パックマンでもないし、カーゴパンツも履いてない。バカな話もここまでにして、そろそろ行かないか?」

 

 まあ、それもそうか。バカな話はともかく、ここでずっと話してるわけにもいかない。それは賛成だ。と、その前に……

 

「見ろよ、夾竹桃。つい最近洗車したばっかりのピッカピカ。美しいねえ?」

 

「ふーん。いいじゃない」

 

「な? そうだろ?」

 

 なんだよキンジ、その『自慢かよ』みたいな目は。ああ、自慢だよ。自慢の彼女(インパラ)が綺麗になったんだから少しは自慢してやらないと……って、

 

「おいおいどこ行くんだよ。助手席こっちだよ?」

 

 俺とキンジを通りすぎ、夾竹桃はなぜかインパラの左側へと回る。なぜか急に胃が痛くなってきた。堪らずキンジに視線を投げる。

 

「なにする気……?」

 

「まあ、とんでもないことだろうな」

 

 キンジは投げやりに肩をすくめる。そして俺の質問にも答えぬまま……夾竹桃は運転席に座り込みやがった。

 

「おい、なにしてる?」

 

「早く乗りなさい。行くわよ」

 

 何食わぬ顔でシートベルトを締め、何食わぬ顔で眼前の女はハンドルを握っていた。首を右に向けるとキンジがいつのまにやら後部座席で携帯を弄っていた。なにそれ、我関せずってか?

 

「あのな、車ってのは鍵がないと動かないの。分かる?」

 

 刹那、インパラが唸りを立てる。ゾッとして助手席の扉を開けて覗き込むと、確かに鍵が差し込まれていた。俺の見覚えのない、黒い兎やら白い猫やらのやたらストラップが重なった鍵が……

 

 よし、落ち着け。落ち着こう。一旦ドアを締めてから、俺は背中を向けて深呼吸する。肺の空気を入れ替え、改めて俺は窓から顔を覗かせた。

 

「あのさ、なにがあった。一体何があったの。おまえこれ全部悪い夢ってことないのか? これ全部ジョークってバージョンは?」

 

「彼女、最近までは私の車だったし。合鍵くらいは持ってるわよ。だって私に預けたのは──」

 

「切だな」

 

「ありがとう。そのとおり」

 

 ありえない、なにこれ。これがナイトメアってやつ? 本土でダッジ・チャージャーに浮気した罰かこれ?

 

「なるほどな、本当に頭痛くなってきたぞ。ズキズキする、ズキズキする、まるで悪夢の無限ループだ。もうストレスばりばりで病気になりそうだ、今そういう状況」

 

「そんなに右往左往してると、地面がすり減って穴が空くわよ?」

 

「ああ、ウケたよ。いま必死に悪夢から抜け出そうとしてるからちょっと待て」

 

「早く乗って。助手席、わざわざ空けてくれたんだから彼にも悪いでしょ?」

 

「俺は別に」

 

「いいのよ、これはマナーの問題」

 

 と、急かすようにエンジンを唸らせ、催促してくる。これほどまでにブーメランって言葉が似合う光景を俺は見たことがない。俺は苦笑いで助手席のドアを開けた。

 

「……いい音だね。V8のいい音だね。俺の車だよ?」

 

 返答がない。5秒……10秒……フロントガラスを見たまま動きも言葉もなかった。

 

「着物で運転って検挙されないかな? パトカーと追いかけっこにならない?」

 

 さらに10秒……帰ってきたのは鳥の鳴き声。

 

「あ、そう」

 

 そこでようやく俺は助手席に座った。ああ、良いシートだね助手席も。ほんっとに良いシート。

 

「お前ほんと最低だね」

 

「出すわよ」

 

「待った」

 

「なによ?」

 

 何って命綱だよ、命綱。これから日本の道路を走るんだから。地雷元じゃなくて。

 

「シートベルトしてから暴走してくれ」

 

 そして、バスカビールが入院する武偵病院へ俺たちは向かった。学園島の道を走るのはシボレー・インパラ。黒くてかっこいい俺の車。67年型のV8エンジンを詰んだかっこいい俺の車。ジャガーにもクレスタにも負けない俺の車。

 

「むかしむかし、あるところに群れを嫌い、権威を嫌い、束縛を嫌い、要領の良さと親父からの叩き上げのスキルだけでのしあがった狩人がいました」

 

「いつもの奇行が始まったわよ? 貴方のルームメイトでしょ、なんとかしたら?」

 

「無理だ。俺の手には余る」

 

「狩人は素敵な黒い馬を持っていました。狩人の村の誰もがこの馬を──誉めました。走れば早いし、見た目もかっこいい、275馬力のナイスな馬です」

 

 とても長寿で、ちゃんと世話してやれば40年経ってもガンガン走る元気な馬。ここから盛り上がるので周りから聞こえてくる罵詈雑言は無視。

 

「ある日、この絶対に失敗しない狩人がいなくなりました。それは怪物と旅に出たからです。毒を持った蠍の、嫌な怪物」

 

「……」

 

「おいッ!気持ちは分かるが前に誰もいないのにクラクション連打はまずいだろッ!」

 

「二人はドラゴンを退治したり、喧嘩したりしながら旅を……勿論、絶対に失敗しない狩人がいつも怪物に勝っていました。敵はさくさくと退治したものの二人の間には暗雲が──なんでって、怪物が狩人の馬を狙っていたからです。そう、蠍の怪物は欲張りで利己主義」

 

「……」

 

「ブレーキ! ブレーキ踏め切!」

 

「欲しいものと自分の知らない物は手に入れたくて我慢できない怪物は馬を横取りして、狩人を絶対に乗せないのです」

 

「クラクション止めろぉぉ!」

 

 普段とはいささか異なった面子のドライブは思ったより賑やかだった。異なるというか、この三人でドライブするなんて初めてかもしれない。

 

 イ・ウーのメンバーでありながら、間宮+お友だちに負けたことで夾竹桃とキンジの接点は薄い。学年も理子やジャンヌと違って一年のクラスにいるから尚更だ。故に、これはなかなか貴重なショットかもしれない。

 

「夾竹桃、さっきから同じ表情してるけど気分が悪いなら変わろうか?」

 

「いいえ、おぞましい罵詈雑言にショックを受けてただけ。遠山キンジ」

 

「呼んだか?」

 

 後ろから力の抜けた声が飛んでくる。クラクションが止んだ途端に冷静になりやがって、切り替えの早いことで。

 

「良い人って辛いわね」

 

「良い人は自分を良い人って言わないだろ」

 

「雪平、お金払うから黙ってて」

 

 分かった、黙ってるよ。たぶん、数分間くらいが限界だけど。これが不思議なんだが黙ってろって言われて黙るのって案外難しい。

 

「一応聞くんだがいつもこうなのか? 車のなかで倦怠期の夫婦みたいな喧嘩が平常運転?」

 

「かなり語弊があるが仕切り屋なのはいつもと同じだ。運転したがるところとかな」

 

「気にしないで。私の方が運転上手いだけ。分かるでしょ?」

 

 さっきはクラクション連打だったのに、ここぞとばかりに即答してくる。嘘つけ、地雷原以外なら俺のほうが絶対に上手い。迷わず、俺もキンジに向けて即答する。

 

「仕切り屋なんだ。いつも人のことを仕切り屋って言ってるけど、自分が一番の仕切り屋。そりゃもうジャンヌ以上だ、ジャンヌ以上」

 

「気にしないで。私のほうが上手いって認めたくないだけ」

 

「あ、そう。じゃあリモコンの仕切りはどうなんだよ」

 

「リモコンの仕切り?」

 

 ああ、リモコンの仕切り。またの名をチャンネル戦争。

 

「本土にいたときずっとそうだった。俺の部屋に来ると即チャンネル変えて、見たい番組一緒に見ようって」

 

「仕方ないでしょ。私の部屋、テレビなかったんだから。私は道徳の授業でそう教えられたの、テレビのエチケット」

 

 もはや売り言葉に買い言葉。互いに煙の立った場所にガソリンを撒いて山火事にしてる状態。つまり──いつも通り。

 

「へえ、エチケット?」

 

「ええ、エチケット。ゲストにチャンネル権を渡すのが礼儀だったのよ」

 

「じゃあどこでも真っ先に入っていこうとするのは? 会話の最後の一言を言うのは? どこで外食するか決めるのは? いつもお前だ、なんで? エチケットとかデリカシーとか無縁だから」

 

「貴方が優柔不断なの、私にはどうしようもない」

 

「違う、お前が仕切り屋なんだ。それだけ」

 

「だっていつも決められないでしょ、何も決められない。イタリアンにするか、中華にするかって聞いてもいつも『どっちでもいい』か『好きなところで』しか言わないじゃない」

 

 ちゃんと決めてるだろ。どのハンバーガーを食べるとか。ダブルチーズバーガーとてり焼きのどっちにするかとか。サイドメニューは何にするかとか。俺は肩をすくめて横目を使ってやる。

 

「よく言うよ」

 

「そう。明日のランチ何食べる?」

 

「好きなところで」

 

「ほらね、やっぱり。聞いた?」

 

「どこでも──ああ、もういい。やめた。お前って小さいときはサンタのプレゼントは絶対貰えないタイプの子供だったな」

 

「なにそれ。貴方は貰える子供だったわけ?」

 

「ああ、当然だ。俺はいいやつが売りだし」

 

「笑えるゴシップね」

 

「なあ、病院までそうやってずっと夫婦喧嘩するつもりか?」

 

「じゃあ私はなにが売り?」

 

「決まってるだろ、最悪な運転と姑息なとこ」

 

「最悪の運転? 最高の運転の間違いでしょ。貴方に運転を任せたら、シートベルトする前に暴走す──」

 

「勘弁してくれよ……」

 

 

 

 

「じゃあ、俺は売店でももまんやらカロリーメイトを買ってくるから、病室には二人で先に行っててくれ。もうレフェリーは必要ないだろ」

 

 武偵病院のA棟、ナースステーション付近でそう言うとキンジは踵を返して購買に走っていく。車から降りたときはやけにげんなりした顔だったが、ジーフォースのロメオって大役を一人で引き受けるわけだからなぁ。師団の行く末を一人で背負うなんて状況、重圧で苦い顔になっちまうのも当然か。忘れがちになるがあいつはまだ学生なんだしな。

 

「行くか」

 

「ええ、303号室」

 

 キンジと別れ、雪女の夾竹桃とバスカビールの入院している部屋に向かうべく、エレベーターに乗る。しかし、こんな格好で病院を歩いていてもスタッフからはお咎めなしとはいえ、ハロウィンに縁のなかった俺には不思議な気分だ。エレベーターのボタンを押し、頭上で点滅していく階層の数字を眺めていると、

 

「どうかした?」

 

「いや、別に」

 

「別にってことないでしょ。これだけ一緒に仕事してたら、何かあるってことくらい分かるようになるわよ」

 

 ドアが開き、降りてくるナースと入れ替わりでエレベーターに入る。暫く待っても誰かが入ってくる気配はなく、俺が3階のボタンを押すと音声が流れ、そのままドアは閉まった。

 

「これ、言うまで聞かれるパターンか?」

 

「そのパターン。嘘も駆け引きもなし」

 

「ああ、そうか。ハロウィン。なんていうか、生まれてから初めてまともなハロウィンをやってる気がして」

 

「ハロウィン?」

 

「ああ。去年は病院で寝てただけだし、昔は悪魔を退治したりだとか幽霊を退治したりとかそんな記憶しか。だから、海を越えた先で初めてまともにこのイベントをやってる気がしてる、それが不思議に思ったんだよ」

 

 エレベーターの浮遊感に揺られながら、視線もろくに合わせずに答える。無言の静寂なんていまさら気になる相手じゃない。ただ、なんで話したのかも正直謎だ。

 

「私だって不思議よ。数ヶ月前に襲撃した相手と、お見舞いに行こうとしてる」

 

「雪女の格好で?」

 

「ええ、しかも死体の相手と」

 

「それは確かに不思議だな。雪女の格好で死体になった仇敵とお見舞いに来てる」

 

「不思議ね。かなり不思議」

 

 だな、こんなの仕方ない。気付いたときにはお互いに自嘲した笑みで笑ってしまう。

 

「まあ、遅くなったけど本土まで来てくれて嬉しかったよ。好き好んで面倒ごとに首を突っ込んでくれて、本当に言葉もない」

 

「よしなさいな。結果はどうあれ、貴方はミカエルと一人で戦ってくれた。あれだけ過去にトラブルになってる悪魔の血を飲んだ上で、私とジャンヌを巻き込まない選択肢を取った。迎えに行くのは当たり前でしょ?」

 

 ……お前なぁ。さも当然に言うなよ。ただでさえ、今日のお前は普段より凶悪な見た目してるんだからさ。

 

「平然と言うなよな。待つことを知らない奴だ」

 

「私の静止を振り切って一人で戦ったのよ。だから私も貴方の期待に答える必要はない。丁度、ベガスにも行きたかったし」

 

「ベガスって、本気か?」

 

「雪平もベガス好きって言ってたじゃない。いいところよ、別名9番目の島って呼ばれてるし」

 

「そりゃたまにならいいけど。長期で行くのはちょっとな」

 

 苦笑しながら俺は視線を結ぶ。たまにならいいよ。ポーカーやるとか、古い知り合いだけでちょっと遊ぶとか。でも長期は躊躇う。

 

「海は嫌いか?」

 

「なによいきなり。聞かなくても分かるでしょ」

 

「俺が嫌いなものってのはな、砂漠だ。そう、暑くてカラカラで日陰でも50度。そんなところに長期は無理、願い下げ。何人熱中症で倒れてるか知ってるか?」

 

「どこにでも汚点はあるわよ、ニュージャージーの日焼けサロンと同じ」

 

「今日も軽口は絶好調だな。今度旅行に行くならローレンスとかいいんじゃない?」

 

「……考えておくわ。そう来るとは思わなかった」

 

 いいところだぞ、聖地巡礼もできるし。ああ、そうだ。それと──

 

「なあ、お前もジャンヌもお世辞抜きで似合ってると思うけどさ。正直なところ、俺ってそんなにゾンビみたいに見えるか? ウォーキングデッドに出てくるウォーカーみたいな?」

 

「負けず嫌いね」

 

「性格なんで。でもお前と張り合っても即サレンダーするよ。俺も一応、こういうのは気になるだけ」

 

 髪を残して、雪のように真っ白な彼女は、なんというか似合ってるって次元を飛び越えてる気がする。張り合う気にもなれないし、勝てるとも思わない。本当のところを言うと、隣で歩くそんな彼女を見てちょっと気になったのだ。

 

「ヘアアーティストの本音って知ってる?」

 

 ふと、そんな疑問を投げられて俺は目を丸める。

 

「土台がいいと何やっても良く見える」

 

 3階を知らせる音声が流れ、エレベーターの扉が開く。すると、目の前には額や太ももに包帯を巻いた理子がいた。それはそれは面白い物でも見つけたような満面の笑みで。ひまわりみたいな明るい笑顔を向けてくる。

 

「おー!蠍堕天使コンビじゃん!二人仲良く揃ってお見舞い?」

 

「ええ、元気そうね」

 

 待て、理子。言いたいことがあったのに、ツッコミを強制させるようなこと言うんじゃない。なんだ蠍堕天使コンビって、スルーできないだろそんなの。それとお前もナチュラルに肯定するなって。

 

「理子、なんだよその取って付けたような名前は。バカみたいなあだ名つけるなら、先に聞けよ。つけてもいいですかって、それが筋だろ。それと、何階だ?」

 

 相変わらずのネーミングセンスに呆れつつ、理子が乗るまで開閉のボタンを押しておく。

 

「じゃあダメなんだ。いいネーミングだとおもったんだけどなぁ、残念。一階までよろしく!」

 

「ああ、ダメだ。一人で大丈夫か?」

 

 理子にこんな心配必要ないだろうが、一階のボタンを押してから一応怪我人なので聞いてみる。

 

「うん、またお部屋で。あややも来てるよ!」

 

「平賀さんが?」

 

 エレベーターの外に出ると、詳しいことを聞き返す前にエレベーターのドアが閉まる。また意外な人と重なったもんだな。踵を返して正面を向くと、廊下の手摺に寄り添うようにして、夾竹桃が腕を組んで待っていた。今の姿だと威圧感はいつもより欠けるな。

 

「蠍堕天使コンビ、悪くなかったのに……」

 

「気に入ったのかよ……あんなの俺がルシファーに取り憑かれてる前提の名前だろ。不吉にもほどがある。理子に新しいのを考えてもらえ」

 

 別になくても何の問題もないんだが、なんでそこで不満な目をするんだよ。蠍堕天使はない。堕天使は絶対ない。

 

「それよりもさっきのヘアアーティストの本音って──」

 

「貴方もウィンチェスター兄弟ってことよ」

 

「なんで小走り?」

 

「別に」

 

 小走りで前を行く夾竹桃を追い、俺も必然的に歩くペースが早くなる。元通りに彼女の隣へと並び、バスカビールが相部屋になってる303号室へ続く通路を歩く。

 

「あれって褒め言葉だよな?」

 

「……なんか嬉しそうね。ずっとニタニタ、天下取ったみたいに」

 

「そんな顔してるか?」

 

「してる。エレベーター降りたときからずっとニタニタ」

 

 知らず口から笑みがこぼれていたらしい。本土から帰って来て、疲れて泥のように眠っていたのが嘘のようなくらい気分爽快だ。どうやら、俺も理子に劣らず気分屋だったらしい。

 

「そうか。じゃあ、今の俺が持ってるのはガムと酔い止めのクスリと、あとスマイル?」

 

「おもしろいわね。今のたとえはA+あげる」

 

「ありがとう」

 

 軽く頷きながら、患者、ナースと擦れ違いつつ目的地に近づいていく。病院とはいえ、ナースステーションで見かけたカボチャを模した置物だったり、本当にハロウィンって感じだな。元々は悪魔から身を隠すために始まったようなイベントだから、ハンター的には複雑なイベントだが。まあ悪いことばっかりでもないか……と、お隣の雪女に視線をやり、

 

「なによ?」

 

「いや、来年もそれやればいいと思って」

 

 一瞬、目を見開いたような気がするがすぐにいつものクールな視線で、

 

「見たいの?」

 

「そりゃ見れるものなら」

 

「本気?」

 

「本気。本気で似合ってるって言ったし。嘘は言わないって、俺はいいやつが売りだし」

 

 何気にとんでもないことを口走ったような気がするので視線だけ正面に戻しておく。が、なぜか夾竹桃からも言葉が返って来ないので妙な雰囲気になる。廊下を鳴らす足音だけが妙に鮮明だ。

 

「雪平、なにか話題だして」

 

「もうすぐ目的地の部屋だぞ?」

 

「それまでの間よ。何かあるでしょ、お喋り好きなんだから」

 

「昔の男は寡黙なんだ」

 

 もっとも俺はキンジと同世代で本当は昔の男ってほどじゃない。キャスと比べたら、何桁違うか分からん。

 

「本当に軽口が好きね」

 

「性格なんで」

 

「疑問が一つあるんだけど」

 

「聞くよ、なんでも。でも手短にな」

 

 どうせ病室はすぐそこだ。肯定してやると『ありがとう』とだけ、夾竹桃は前置きし、言葉を続ける。

 

「貴方って死ぬほど軽口が好きだけど、遠山キンジの恋愛事情には言及しないのね?」

 

 投げられた言葉を頭で整理し、俺は言葉を絞り出した。

 

「それってあいつがタラシってこと?」

 

「それもあるけど、『リア充』とか好きそうな言葉なのに使ってるところ見たことないから」

 

「ああ、そういうことか」

 

 今さらだが、視界を隠すように揺れる札が若干鬱陶しくなりつつ、投げられた質問を理解して彼女に横目を向ける。

 

「そうだな。バビロンのコインの話、なんでも願いの叶うコインの話は覚えてるか?」

 

「ティアマトが書かれたコインのことなら」

 

「そう、ティアマト。バビロンの女神で混沌の根源」

 

 かつて女神を崇める僧侶たちが黒魔術を使ってコイン作った、諍いの種を撒くために。誰かがそのコインを投げて願いをかけると、井戸に呪いがかかって、後は誰が来ても願いが叶う。但し歪んだ形で。

 

 例えば、美味いサンドイッチを頼めば食中毒に当たるし、女の子が喋るテディベアを頼んだら情緒不安定のなよなよ熊がやってくる。

 

「それって幸運を運んでくる『ウサギの足』と似たようなものでしょ?」

 

「ああ、あれは短時間だけすごい幸運をもたらす代わりに持ち主の命を奪う。バビロンのコインは死ぬってまでに行かないけど、手痛いしっぺ返しを受けることになる」

 

「一人の願いならトラブルで済むけど、みんなの願いが叶うと──」

 

「まさに混沌。色んな街で騒ぎを起こしたコインさ。人の欲望をねじ曲げて返す。まあ、なんでこんな話をしたかって言うと、俺にはキンジがそう見えてならないんだよ」

 

 俺たちから見れば、キンジの周りには美女が尽きない。大抵の男は羨むし、嫉妬する。嫉妬は醜い衣装って言うが、神崎や理子やワトソン、あれだけ美女に好かれてたら羨む気持ちは分かる。だが──

 

「キンジの女に対する反応は普通じゃない。嫌いとか好きとか、そんな物差しじゃ計れないレベルだ。二年も一緒にいたら、あいつが好きで女性を遠ざけてないことくらい分かる。でも自分から親密な関係を望んでるわけでもない」

 

「ふーん、それで?」

 

「願いの井戸だよ。最初にコインでかけられた願いは片思いの相手との婚約だった。コインにかかった全ての呪いを解くには最初にコインを投げた彼が願いを破棄するしかない」

 

 当然、願いを解けば婚約は破棄。一方通行で意志疎通もろくにできないとはいえ、彼女が振り撒いてくれる好意もなくなる。元の他人同士だ。

 

「俺が言うのも何だけどサムもディーンも顔はいいから、彼の説得には難航しちまった。自分たちは『簡単に女が手に入る』って言われてさ。なにもしなくても女が寄ってくる、そう言われてたのがなんとも皮肉と思って」

 

「普通じゃないものね、貴方を含めて」

 

「ああ、哀れなもんさ。欲しいものは手に入らない。今ある物を抱えておくので精一杯。外からは綺麗に見えても実際は……本の表紙と同じで外見だけじゃ分からない」

 

 外側は羨望の対象でも事実は分からない。

 

「キンジの周りに美女が尽きないのは認めるがそれであいつが幸せなのかはなんとも。人が変わったみたいにタラシになったり、女嫌いになったりするのも妙だ。あれがまじないや呪い的な……本人が望んでないものなら、とてもリア充なんて呼べないだろ」

 

 だから、呼ばない。たったそれだけ。ウチの家系では好きになった相手は非日常の化物に殺されるか、それとも自分との記憶をなくすかの二択しかない。どっちにしても自殺したくなるような結末だ。一緒に家庭を作って、なんて選択肢はどこにもない。

 

「キンジがなんで女を遠ざけるようになったかは知らないし、あいつが話さないなら聞くつもりもない。でも本当に好きになった女と一緒になれないって言うなら、それは間違いなく『呪い』だと俺は思う」

 

 それはあくまでも俺の考え、万人に共通するものじゃない。好きになった女性は手当たり次第に凄惨な結末を迎える──それがウチの家系。だから、俺たちは俺たちが一番欲しいものを求めないんだ。今ある物を抱えて必死にそれを溢さないように戦うだけ。

 

「ってことで神崎であれ理子であれ、仮にキンジが誰かと一緒になれるなら、誰であれ祝福してやるつもりでいるわけです。俺は聞き込みで神父もやったことあるし、今はネットでなんでも取れるし、文言はジャンヌ辺りに投げるけどね?」

 

「……そこは理子と似てるのね。切り替えの早さが気持ち悪いわ」

 

「この仕事は前向きじゃないとやってられないの、前向きに。現実は見るべきだが、そう思ってないと。武偵は前向きにだよ」

 

 行きたくないところにも行かないといけないし、苦い場面にも立ち会わないといけない。それが仕事だ。前向きに思ってかないと、実際はどうであれ。

 

「ひとつ、心に残る結婚式があってさ」

 

「へぇ、結婚式?」

 

「そりゃ、一つくらいはあるよ」

 

「ふーん。まだ時間はあるし、話してみれば?」

 

 意外、思う以上に食いついたな。急かすように袖口を引いてくるなんて、普段は絶対やらないのに。飴をねだる子供みたいだ。

 

「ああ、船の上で開かれた結婚式なんだが」

 

「そういうのもあるみたいね。アメリカだし」

 

「色々考えるもんだね、すげえよ」

 

「それだけ大きなイベントってことよ」

 

 そう、船の上で特別な結婚式。地上とは隔離された特別な一時。長い時間をかけて一緒になった二人は、その一時を永遠に忘れないだろう。インパクトは抜群。

 

「船を揺らす荒れ狂う海」

 

「? まあどんなときもあるわね」

 

「甲板と肌を叩きつける豪雨」

 

「……出航してから天気が変わったのね。運がお悪い」

 

「剣の振り下ろされる音」

 

「は?」

 

「やむことのない砲弾の光」

 

「待ちなさい、なによ砲弾って……!」

 

 おい、待てッ! 袖を引っ張るな! やめろ!やめろって!

 

「だから、心に残る結婚式の話だろ!」

 

「なんで結婚式に砲弾が飛び交うのよッ! 立会人の文言を言ってみなさい!」

 

「皆さん、今日お集まりいただいたのは……お前を思い切り痛めつけるためだ邪魔な怪物め!」

 

「そんなことだろうと思ったわよッ、バルボッサ!それは海賊映画の中での結婚式でしょ!」

 

「いったッ!?」

 

 思いっきり脛を蹴りやがった……!こ、この……病院ではお静かにだろッ。

 

「Follow me、雪平。私は先に行くから。猿のジャックとでも一緒に来るのね。ネフィリムじゃなくて、猿のほうの」

 

 そう言うと、夾竹桃は何事もなく通路を歩いていく。め、名作だろ……別に上手くもなんともないからな、その言い回し。大嫌いだお前らの世代なんか……!

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 あ、やばい。悶絶してるせいでナースさんと目が重なっちまった。仕事邪魔しちゃったな……

 

「は、はい。大丈夫です。おい、夾竹桃!草履は履くもんで蹴り飛ばすもんじゃねえんだぞ!まったく暴れ馬かお前は!」

 

「え、えっと……」

 

「春にお前が来て、先生が俺をお前のお目付け役にしてから全てのトラブルはお前のせい。お前は雲、絶対に離れない黒い雲!」

 

 ああ、大丈夫です。病院ではお静かにってね、本当にそうです。

 

「すいません、彼女生まれたときから非常識なので。本当に嫌味な人の鏡みたいな女。じゃあ、失礼します」

 

 うっすら笑って、軽く頭を下げてから冷血女の跡を辿る。そしてすぐに前を歩く彼女に追い付いた。まあ、何食わぬ顔で歩いてるよ。分かってたけど、本当にずぶとくなった。

 

「ジーフォースと交えたみたいね?」

 

「一言で言えば引き分けた。二言で言えば見事に引き分けた」

 

 彼女と罵詈雑言で殴り会うのはいつものことなので、俺も何食わぬ顔で答える。聞いたところによると、夾竹桃もジーフォースとエンカウントしたらしいがあっちから戦闘を避けたらしい。あくまでジーフォースの狙いはバスカビールだけだった。その理由もキンジが上手くやれば明らかになるかもな。

 

「手傷は負ったの?」

 

「無傷で退けられるような相手じゃない。でもバスカビールのメンバーよりは傷は浅い。胸に切り傷ってところだな」

 

 これも戦略上、自分で作った傷だが。すると、夾竹桃は指を立て、自分の頭を指で示しながら、

 

「それならアドバイスしてあげる。医者に傷だけじゃなく、頭も見てもらいなさい。こっちもダメージ受けてる」

 

「はいよ。優しいアドバイスありがとう。そうこう言ってる間に到着だ」

 

 部屋の札には303号室、ようやく到着か。中からは聞き慣れたバスカビールのメンバーの声が聞こえてくる。元気そうだな。夾竹桃がドアの取っ手に手をかける。

 

「傷の治療」

 

「やるよ?」

 

「頑張りなさい」

 

「ああ」

 

「痛いわよ」

 

「だな」

 

「すごく痛い」

 

 本当に何食わぬ顔で言いやがるな。そんな彼女に俺は自然と苦笑する。数ヶ月前に、自分の首を落としに来た女の隣で。本当に人生ってのは分からない。

 

 数年前、初めて好きになった相手の犠牲で俺は生き延びた。眼前で猟犬に腹を裂かれ、それでも猟犬の群れを巻き込んで、彼女は自分と家族を救ってくれた。胸を掻きむしり絶望の禍言を吐き、自分の無力を呪った。好きになったからーーそれを被害妄想の一言で片付けるには、あまりにも犠牲が多すぎる。

 

「ちょっと待て。ひとついいか?」

 

 多くは望めない。俺たちは俺たちの求めるものをどうやっても手に入れられない。だが、もしも神が用意したシナリオに終わりがあるなら──俺が望む結末は。

 

「なによ?」

 

 手を伸ばす。取っ手を掴んだ彼女の右手を、自分の右手で奪うように。重ねてやる。

 

「この先どうなろうと、本当に、心の底から」

 

 黒々とした瞳が見開こうが関係なしに、どんな表情を浮かべてようが、そんなの関係なしに言ってやった。

 

「──おまえが嫌いだよ」

 

 うっすらとした笑みと一緒に。喉を鳴らして、夾竹桃もうっすらとした笑みで笑っていた。棘も毒もない純粋(とうめい)な微笑みで。

 

「知ってる。私も好きよ」

 

 求めるものは手に入らない。でもこの場所を溢さずにいれるなら、俺はこのままで満足だ。

 

「天使の軍隊の次は22世紀の科学力が相手か。お前と一緒ってならまだマシかもな」

 

「生きてたら、また話せるネタが増えるでしょ。前向きにいきましょう」

 

 奪い取った手をほどき、俺は病室のドアを開ける。そう、この場所を失わないでいれるなら俺は満足だ。

 

「あら、キリじゃないの。また不気味な姿になったわね?」

 

「ほっとけ。元気そうで何よりだよ、本当に」

 

 妖精に仮装した神崎に、いつもの調子で返してから俺は後ろにいた雪女に振り返る。

 

「さっきさ。ドア開ける前に言ってたろ。あれだけどさ、俺も同じだ」

 

「同じって?」

 

「ここで言わせるのか?」

 

 疑問に疑問で返してやると、隠れるように自分の背中を俺に押し当てて来た。お陰でどんな表情をしているかも見えない。なんとも珍妙な背中合わせだ。死体と雪女の背中合わせ。

 

「夜中の3時に電話してきても迎えに行く。だから何かあったら電話しろ。今度は俺が迎えに行くよ、ベガスまでは勘弁だが」

 

「……お馬鹿」

 

 ──知ってる。俺も好きだよ。

 




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