哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

68 / 157
長いです。飲み物と一緒にどうぞ。


□□□□ 再び

「その制服、市販では手に入らない。どこで手にいれた? 沈没したタイタニックからか?」

 

 突如やってきた来客に気がついたときには呟いていた。病室には似合わない三挺の銃口が、今まさに部屋にやってきた一人の女を捉える。当然のように武偵高のセーラー服を着ているが、その女は極東戦役で無所属を表明した『ジーサード』の一派の一人でこの病室にバスカビールを送った他ならぬ元凶。武偵高で見かけたことなんて一度もない。

 

 理子の合図が契機となり、既に人を数回殺しても余りある必殺の銃火器が三方向から狙いを定めている。レキ、星枷、理子はいつでも引き金を引けるし、その後ろには毒手を構えた夾竹桃と悪魔殺しのナイフを抜いた俺のカウンセリングコンビが控えている。『飛んで火に入る夏の虫』と言われても否定できない状況、しかし──ジーフォースはまるで警戒する動きも狼狽える様子も見せていない。当然、俺の質問にも返答はない。

 

「ななな何ですのだぁ? 撃ち合いはあややのいない所でやってほしいのだぁ」

 

 代わりに、既にベッドの下に避難していた平賀さんがただならぬ状況に涙声で答える。完全に巻き込まれた形だがこればかりはタイミングが悪いとしか言えない。まさか病室にまでやってくるとはな、誰も考えてない。それもお礼参りの準備をしていたこのタイミングで。

 

「驚いたわ。自分がぶち込んだ囚人のいる刑務所に、自分からやってくるなんていい根性してるじゃない……」

 

「キングコングだから怖いもんなしなんだろ」

 

 武偵弾が届いたばかりの神崎が、怒気を纏いながらガバメントを抜こうとしたとき、ようやくジーフォースが反応らしい反応を見せた。銃口に囲まれているとは思えない花咲くような笑顔を立ち上がったキンジに向けている。

 

「見つけた。お兄ちゃん、早く行こうよぉ。おなかすいた」

 

 そう言うと、無防備にも沈黙していたキンジのもとへ何食わぬ顔で歩いていく。その目には銃口も毒手もナイフもまるで見えていない。殺傷圏内がどうこうのレベルじゃない。キンジ以外、他の景色が見えていない。なんだこの女……

 

 予期しない反応に理子たちも引き金を引くに引けていないが、それ以前にジーフォースの妹発言で病室が一気に色めき立つ。キンジの顔からは完全に血の気が退いていた。

 

「違う! 断じて違う! 俺には妹なんて

 

 色めき立つ病室でキンジは否定するが、すぐ近くにまで来ていたジーフォースがキンジの腕を自分の胸元に抱え込む。

 

「!?」

 

 そして、あろうことか否定するキンジの口を自らの口で強引に……塞いだ。この女……キンジにキスしやがった。よりによってキンジに思いを寄せてるバスカビールの女子全員が集まってる目の前で……

 

 あまりの唐突な展開に病室は静まり返り、数秒ののちに病室は一気に色めき立った空気を取り戻す。キンジの言葉を借りるとすればーーありえん、ありえんだろ。

 

「……キンジ、それはお前にとって人生最大のしくじりになるぞ」

 

 ロメオの意味では最高の収穫だが最高にタイミングが悪い。既に手遅れだが、警告の意味で俺はルームメイトに言葉を飛ばしてやる。

 

「──これがキスかぁ。でも、このぐらいじゃダメか」

 

「おい、待てっ……これはこいつが勝手に……」

 

 分かってる。だが、他の連中がどう思うかだな。これには俺も苦笑いを送ってやるしかなかった。ジーフォースを擁護するようなことを言ってる最中にこのアクシデントだ。ただでさえ、血気盛んな神崎はまず黙ってない。ちらりと、俺はバスカビールのメンバーをそれぞれ横目で追っていく。

 

「神様嘘だと言って……」

 

「ゆ、ゆきちゃん!?」

 

 驚きのあまり、星枷がまず床の上で失神。お気の毒に。理子が慌てて呼び掛けるも彼女は彼女でキンジには俺同様の苦笑い。星枷ほどではないが多少なりともジーフォースの行動に驚いている。いや、こんな状況で驚くなってのが無理か。

 

 レキは相変わらずのクールな表情で隣の愛犬と一緒に冷たい視線を送っている、心なしかどこか怒っているように見えるが本当のところは分からん。まあ、優しい言葉をかけてくれそうにはないな。そして──

 

「どうりで……さっきから敵に対して友好的なことを言うと思ったわ……そういうことだったのね。あんたのアキレス腱だってことは知ってたけど、まさかここまで酷いとは思ってなかったわ……」

 

「ま、待て! 話を聞けって!」

 

「百の物証、千の証言よりもあたしはたった二つしかない自分の目を信じるわ。バカキンジ、あんた裏切ったわね!」

 

 本物の悪魔より悪魔らしい眼光で、神崎が裏切りキンジを睨んでいた。緋色のツインテールを怒りに震わせ、なんとも恐ろしい眼で裏切り者と認定したキンジを威嚇している。当然、子ライオンのごとき唸り声もセットだ。キンジが待ったをかけるが、とても文化的話し合いができる様子じゃなさそうだ。ここまで一触即発という言葉が相応しい状況もない。

 

「あの様子だと半分は棺桶のなかだな」

 

「遠山キンジ、貴方も貴方でトラブルを引きずって歩いてるようね」

 

「皮肉はいいからお前らからも言ってくれ!」

 

「皮肉じゃない」

 

「本気で言ってるのよ」

 

「こんなときだけ意見を揃えるなッ──!」

 

 そう言われても変なときにしか意見が合わないんだから仕方ないだろ。俺が偏屈なら、この女も同レベルの皮肉屋なんだから。俺がキンジに助け舟を出せずにいると、この場ではまだ話ができそうな理子も苦笑いしながら、

 

「キーくぅんー……他人の色恋沙汰を見せつけられるのはしょっちゅうだけど、妹とのキスシーンはそうそう巡り会えないよ? しかも敵とのラブロマンスと来ましたかー。理子たちがお休みしてる間になにがあったのかなー?」

 

 首を傾げる。額に汗を滲ませているところを見るに、色恋好きの理子ですら許容できない出来事だったらしい。半分まで棺桶に入っていた体が更に沈んだな。

 

 星枷は未だにダウン状態、弁明できる相手と言えばレキだがハイマキ共々、キンジと目線を合わせる気配がない。今のキンジとは話したくない、そう言わんばかりだ。これで全滅だな。

 

 一応、バスカビールの面々には後でロメオのことだけは伝えておくか。従うかどうかは別としてバスカビールも師団に席を置いてる以上は方針を伝えておかないと。今は眼前にジーフォースがいる、標的の真ん前じゃロメオなんて言うに言えないしな。

 

「おい。チビ、カマトト、ブリッコ、ダンマリ。お前らが今まで、どんだけお兄ちゃんとラブコメしてたか知らないけどな。妹は最強なんだ。お兄ちゃんと妹の間には、誰も入れない!兄妹の繋がりは、絶対の繋がり。他の女とは、他人とは違うんだッ!」

 

 凪ぎ払うように手を振り、まるで怒ったときのキンジような口調でジーフォースは言い放った。自分と兄の間には誰も入れないと、家族以外は入れないと。

 

「お前ら……お兄ちゃんの部屋に住んでたんだろ!家に家族でもない女がいるなんて、ありえない。家にいていいのは家族だけだ。だから──」

 

「家族だろ。なんの問題がある?」

 

 気がついたときには口が勝手に動いた。

 

「バスカビールは家族だ。家族ってのは単なる血縁じゃない。同じ遺伝子を持って生まれた人間でもない。家族は自分で選び、自分が築き上げるものだ」

 

 集まる視線を関係なしに俺の口は勝手に言葉を続ける。ああ、駄目だな。この手の話になると、黙ってられなくなる。

 

「血の繋がり、生まれた順番は関係ない。気持ちで繋がるんだ。いつも気にしてくれて、見返りなんて求めない。調子が良いときも悪いときも傍にいて支えてくれる。自分の身を犠牲にしても、守ろうとしてくれる。俺たちはキンジを支えて、俺たちもキンジに支えられた。お前とキンジは、そんな関係なのか?」

 

 母さんが……メアリー・ウィンチェスターが教えてくれた、家族の証は血じゃない。ジャックは言ってくれた、自分の父親は血を分けてくれたルシファーじゃなくカスティエルと俺たちだと。

 

 俺もそう思ってる、ジャックも母さんもキャスも家族だ。天使、ネフィリム、生まれや種族は関係ない。迷いなく俺は堂々とジーフォースに視線をくれてやる。

 

「俺たちは色んな問題を一緒に解決してきた。後味の悪いことも記憶から消したいことだって経験した。どんなに時がたとうと、夜中の3時に俺がこいつに電話をして『助けてくれ』と言ったら、電話を切る前にこのバカはタクシーに飛び乗って俺のところへやってくるだろう。俺も同じことをする、お前が他人って呼んだ女も全員が同じことをするさ。俺はキンジのことは、バスカビールってのはそういう関係だと思ってる」

 

 だから、否定してやるよ。これは戦争だ、お前が仕掛けた奇襲も眷属側に味方することになってもそれは仕方のないことだと思ってる。だが、さっきのお前の言葉だけは否定してやる。

 

「──バスカビールは家族だ、他人じゃない。お前がなんと言おうがな」

 

 

 

 

 

「大人げないって言いたいんだろ、分かってるよ。今まで家庭や家族の問題にはさんざん煮え湯を飲まされてきた。これくらいは大目に見てくれ。あとでアナエル、業欲の天使に懺悔しとく」

 

 キンジとジーフォース、そして平賀さんが去った部屋は一転して静かなものだった。俺は丸椅子から立ち上がり、自嘲気味に窓の外にある空を仰ぐ。懺悔するのは、金の為に奇跡を引き起こす利己主義の鏡みたいな天使だが。

 

「そうだね、大人げない。でも本音を言うとちょっとだけ溜飲が下がったよ。さっきの言葉で」

 

「ありがとう理子、気を使ってくれて。絆云々を語るつもりはない、語れる立場でもないし。でも家族の在り方だけは……口を出さずにいられなかった。いつものやつさ、家庭の事情」

 

 視線は空に固定したまま、気を使ってくれる大泥棒に礼を返す。ジョーもケビンもクラウリーもメグだって……俺にとっては家族だった。それはどれだけ時がたとうが絶対に変わらない。数えきれないくらい家族ってものに振り回されて、数えきれないくらい家族に助けられた。駄目だな、この手のことになると、どうやっても口を塞いでられない。

 

「それに──母さんやディーンがいたら同じことを言ってただろうからな。ウィンチェスターの教えだ。こればかりはどうしようもない」

 

 皮肉めいた笑みで残ったみんなを見渡す。優しいメンバーばっかりで良かった。バスカビールは……いや、キンジの周りにはいい女ばっかり集まる。武藤が羨む気持ちも少し分かった気がするよ。不意に背中に体重がかけられる。

 

「経験から言うと、家族の話は熱くなるわよね」

 

「それを誰かに言われるときが来るとは思わなかったよ。皮肉なもんだな」

 

 俺はうっすらとした笑みのままでかぶりを振った。背後から聞こえてくる夾竹桃の言葉は、かつてディーンがガブリエルに放った言葉と瓜二つだった。何年も経ってから言われる立場になるとは思ってもみなかった。

 

「いいんじゃない? どちらかが正しかったら、戦争なんて起きないわ。どっちも正しいと思ってるから戦争は起きるのよ」

 

 ……なんだよ、それ。分かるような分からない例えを持ち出されていく。

 

「慰めてくれてるなら礼は言っとく」

 

「慰めてない。うなだれて、窓ガラスを伝う雨の滴を永遠と見つめられても困るだけって言ってるの」

 

「そうか、お陰で立ち直ったよ。荒療治ってこういうのを言うんだな。覚えとく」

 

「もっと誉めてもかまわないわよ?」

 

 今度こそ振り返って苦笑いを飛ばしてやる。ずぶといな、性格ずぶといの防御全振りだ。インファイトもなんのその。

 

「ああ。すごいね、鮮やかだね、ありがとう、素晴らしい」

 

「貴方って一見タフだけど中身はマシュマロよね。鋼メンタルに見せかけた豆腐メンタル」

 

「あー、グッサリと来た、今のはグッサリ。夜は武偵、昼は精神科医か?」

 

「身辺調査よ。お目付け役の」

 

 そうか、ユーモアがあるね。ナイスな返し。俺が審査員なら120点やってたよ。そして、理子が呆れたような顔で溜め息をついた。

 

「……二人とも。カウンセリングはまだ続けたほうがいいかもね」

 

 

 

 結局、まだ理子と話があるらしい夾竹桃を残して俺は一人で病室を出た。重たくもなければ、軽くもない足取りでエレベーターを降りると、一階の通路に差し掛かったところで見知った顔と出くわした。

 

「ヒルダ、バスカビールの部屋なら三階だぞ?」

 

 声をかけると、金色の髪を揺らしながら知り合いの吸血鬼が振り返る。

 

「怪物が堂々と外を歩き回ってても何も言われない。お前らにとっちゃハロウィンってのは便利な日だよな」

 

「こんにちわ、雪平。しばらく見ない間に一段と顔色が悪くなったわね。まるで死人のようだわ」

 

「死人の仮装なんで。顔色のことはみんなに言われたよ。日焼け止めの塗りすぎだ」

 

 死人の仮装って意味では成功なんだろうが流石にモノホンの吸血鬼には敵わない。いつもと何ら変わらないゴスロリ姿で、ヒルダは手にしていた黒い扇子を口許へと寄せた。よく見てみるとダチョウの羽で編まれてるんだな。ドレスと同じでその扇も黒一色、趣味がよろしいことで。流石は夜の一族、黒色は大好きか。

 

「おかしなものね。死んではその度に蘇ってきたお前が死人の姿になろうだなんて」

 

「皮肉が効いてるか?」

 

「とてもね。それにしてもこの浮かれようを見ていると知らないと言うのは幸せね。本当の魔性の者にとっては今日ほど飢えを満たし、食事にありつきやすい日はないというのに……」

 

「知らないのはそれだけやばいってことだ。ただでさえ、ハロウィンみたいなイベントには事件が付き物。堂々と出歩いても怪しまれない上に、少し食い散らかしても猟奇事件として処理されやすい」

 

 通路の端に寄りながら、パーティーをやるには絶好の日だなーーと、ヒルダの考えに心で付け加える。そんな言葉が簡単に浮かぶ辺り、俺はまだ立派にハンターをやれているらしい。が、現にお祭りごとになるとトラブルが起きやすいことも事実。それは怪物、人間を問わない。

 

「人間なんて現実逃避の依存症ばかり。なにをしても虚しくて、その虚しさを埋めることしか頭にない。私にしてみれば、お前たち人間も怪物と呼ばれて然るべき存在だと思うけれど?」

 

「……耳が痛いな。でもトップガンを見て、軍に入隊するっていうのはまだ分かるが、ホラー映画を見てカボチャマスクの殺人鬼の真似をするってのは俺にもわけが分からん。同じ人間でもさっぱり分からねえよ。ただ、怪物に共通していることはひとつ、良心ってものがない。他人の痛みが感じられない」

 

 狩りの傍ら、色んな人間を見てきたがヒルダの言葉を堂々と否定することは残念だが無理だ。狩りだと睨んだ凄惨な事件が、実は人間の手で起こされたものだったなんてことは両手の指じゃ数え切れないからな。

 

「──ところで、バスカービルは随分とやられたようね」

 

 話題を変えるのと同時に、金色の瞳が横目を向けてくる。

 

「みんな俺たちが思ってるよりタフだよ。絆創膏が一箱ありゃ足りる」

 

「紆余曲折あったけれども私がバスカビールとの戦いを自分から降りたことは事実。私を下したお前たちがつまらない連中に破れられるのは──おもしろくないわ。さっきトオヤマにも言っておいたけど、下手人はお前たちできっちり処理するのよ?」

 

 勝手なこと言いやがる。つまらないの一言で片付けられる相手ならバスガビールの面々も遅れは取ってない。けど、ヒルダが言いたいのはようするに──"自分を倒したお前たちが私以外の相手に負けることは許されない"って漫画のライバルキャラクターみたいな遠回しの彼女なりのエールなのだろう。

 

 理子が神崎とキンジに"お前たちを倒すのは自分だから"と言いつつ協力しているのと同じ。最も理子の場合は単純に作った借りを律儀に精算している面もたぶんある。普段はゆるキャラでも理子の本質は目敏く狡猾であること以上に誇り高い、受けた借りをそのままにはしたくないんだろう。お人好しで天然タラシのキンジに毒されてるって面も否定できないが。

 

「お言葉だが奇襲を仕掛けたとしても神崎たちを単独で一蹴できる奴なんて一握りだ。お前が言うほど有象無象の相手じゃないから安心しろ。それに好き勝手させてやるつもりもない」

 

「最後の言葉が聞けて満足よ。わざわざ出向いた甲斐があったわ」

 

「俺もお前と病院で会うとは思ってなかった。師団に付いたとは言ってもお前は電話も手紙もクッキーさえ送ってこない。それがお見舞いに来るなんてな。もしかして、これは美しき友情の始まりか?」

 

「私には私なりに譲れない物があるの。お前たちには理解できないでしょうね。私とお前たちでは見ている景色が違うから。それに、前はお前に味方してあげたでしょう?」

 

 マスカの一件か。俺の記憶が正しければ、あれはお前から持ちかけられた話のはずだけどな。

 

「逆だよ、目先に蝿の巣が作られるのが耐えられなかったんだろ。経験豊富なヘルプがいれば色々と便利だからな、お前が俺を呼んで、俺が力を貸した。吸血鬼と狩りをやるなんて昔を思い出したよ」

 

 そう、昔のことを。最初で最後、煉獄でできた友達のことを思い出した。どうか彼には煉獄の支配者にでもなっていてほしいものだ。二度と、俺があの怪物の墓場に足を踏み入れることはないだろうが。

 

「お父様の仇と手を組むのはおもしろくないけど、お前たちは野蛮なハンターの中でもまだ話が通じる連中として獣人の界隈では通ってる。一番遭遇したくないハンターとしても通っているけどね」

 

「エゴサはしないんだよ。出会った怪物の首をかたっぱしから跳ねてるわけじゃない。実際に人を襲わない吸血鬼や狼男もたくさん見てきた」

 

 獣人の界隈での評判なんて知りたくないが、レノーラやベニーみたいな味方になってくれるような吸血鬼だっている。ヒルダだって、まあ……ちょっとおっかない部分もあるが話し合いができるだけ温厚だ。

 

「ゴードン……怪物を見つけたら見境なく襲いかかるハンターだっているが、みんなが悪い怪物じゃない」

 

「それは『人間にとって都合の悪い』怪物でしょう? 私たちはお前たちと同じ、ただ食事をしているだけに過ぎない」

 

「ああ、そこは否定しない。お前から見たら人間は相当身勝手なことをやってるよ。でも俺もハンターである以前に人間だ。だから人間として、他の誰かが悲惨な方法で食い散らかされていくことは見過ごせない。それだけ」

 

 ヒルダはつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「噂通りの偏屈ね。理屈っぽい」

 

「兄が理屈っぽかったんで。親父が失踪しなけりゃロースクールが決まってた」

 

「お笑いだわ。10万ドルかけて法律家になるより、法律を破る生き方を選んだのだから」

 

「選んだっていうか最初から決まってたシナリオなんだろ。神様が書き上げたエモい展開ってやつさ。なんでもかんでも不幸な展開に舵とってりゃ読者の心を掴めると思ったら大間違いだ。いつだってそうさ。神が望むまま、俺たちはハムスターみたいに回し車を回してる」

 

「だったら、何だと言うの。おまえは──神とでも戦うつもり?」

 

 金色の瞳がまっすぐこっちを見てくる。ほんの少しの静寂を置いて、俺はかぶりを振った。

 

「まさか、俺たちは殺人鬼じゃない。戦うつもりもないのにナイフも銃も抜かないよ。神に苛ついたりするのはしょっちゅうだがそこまでは──」

 

 いや、仮に戦うことになるのなら、そのとき俺は……勝てるのか?

 

「……」

 

 ヒルダの言葉で背中に冷たいものが走る。神はいつだってなんかを隠してやがる。あのひげ面親父はへらへら笑いの下に残酷な顔を隠してる、こんなことを言う日が来るとは思わなかったが……俺には、あの狡猾で聡いルシファーが嫉妬だけで反逆に至ったとはやっぱり思えない。

 

 darknessとの一件、そして異世界のミカエルとの騒動で奴の器には二度もなってる。贔屓目に見てるつもりはないし、実際にルシファーは放射能みたいに危険な存在だった。しかし、ルシファーの言葉が全部が全部間違いかどうかは……別問題になってくる。

 

 ミカエルは盲目的なまでに父に忠実、疑うこともなかっただろう。だがルシファーは……ひねた見方をしている奴だからこそ見抜いてたんじゃないのか──自分の父の本性ってやつを。ガブリエルもその一端を無意識に感じていたからこそ離別した。

 

「雪平?」

 

 風呂敷は限界まで広げられたと思った。大天使や神の姉、考えられる最強の相手とのトラブルは片付けたつもりだ。もしもこれ以上の先があるとするなら、最後にやってくる問題は────

 

「ああ、悪い。ちょっと考え事してた。今回の敵も厄介だがいつもどおりだ、なんとかするよ」

 

 我に返り、かぶりを振って逸れた話を戻す。いつだって何より片付けるべきは目先の難題。今片付けるべきはジーフォース、そして彼女を筆頭とするジーサード一派との衝突。先のことを考えるのはそれが片付いてからでも遅くない。舵を取るべき方向を頭の内で固めていく。

 

「やることは変わらない、いつだって出たとこ勝負」

 

「出たとこ勝負? 計画は?」

 

「ないよ、計画なんて。軍の作戦じゃないんだ。焦らず待てばドジを践む」

 

「ドジを踏んだら食らいつくつもり?」

 

「そのとおり。玉藻は奴等を味方に引き込むつもりで動いてるが成功するかは怪しい。奇襲を仕掛けてきたジーフォースって女、玉藻もジャンヌもあいつが瞬間湯沸し器ってことを知らないんだ」

 

「ああ、それはお前といるからよ」

 

 無視できない解答に俺は金色の目を目掛けて睨み付ける。案の定、怯む素振りはなかった。

 

「ウケたよ。なあ、おまえってイ・ウーでは喧嘩腰の女って役回りだったのか? 新参者を『信用してない』って目で睨み付ける役だよ」

 

「野蛮な人間と一緒にしないで頂戴。私は誇り高い夜の血族、無意味に牙は振るわないわ。本当に口の減らない男、でもお前たちウィンチェスター兄弟のことは好きよ──みんなイカれてる」

 

 その言葉で俺は浮き上がる笑みを堪えられかった。ああ、言えてるよ。確かにイカれた生き方をしてる。こればかりはど真ん中を撃ち抜かれた気分だった。否定の仕様がない。

 

「そうだな、イカれてる。俺たちがやってるのは狩りだ。闇に潜む怪物と戦わなくて済むように俺たちが代わりに戦う。住民は白いフェンスで囲われたマイホームで暮らす。保険はなし、給料はでない。それが仕事」

 

「そういう意味じゃないわ。お前、私の目を誤魔化せるとでも思っているの?」

 

 とん、とダチョウの扇で肘を打たれる。

 

「第一級の呪いを見抜けないとでも?」

 

「なんのことだかさっぱり」

 

「カインの刻印は第一級の呪い。私、教授が残した研究の資料を少しだけ覗いたの。色金と一緒に刻印のことも書いてあったわ。元始の剣を振るうためのパス、そして所有者の身体能力を底上げするのと同時に殺人の呪いを与える」

 

 お詳しいことで。素直に感嘆してやる。カインの刻印がシャーロックの興味を惹いていたのは知らなかったな。アベルとカイン、兄弟殺しで有名な俺たちのご先祖様だ。

 

「大体は当たってるよ。カインがルシファーから授けられた刻印、ご先祖様の黒歴史さ。なんでも殺せるコルトの刀バージョンを振るうために必要なパスで神の姉さんを閉ざす牢屋の鍵」

 

 その呪いはルシファーですら耐えられず、奴が堕落する原因を作った。300年以上生きてる魔女ロウィーナが言うには第一級の強力な呪い。決められたスパンで殺しを続けなければ、呪いで頭も体もやられることになるこの世で最も危険なタトゥー。

 

「とっくに解決した問題だ。刻印の呪いを解いたことで長年の獄中生活から自由になった神の姉さんが怒りに任せて大暴れ。最期は弟と和解してアマラおばさんは銀河の彼方まで旅行中」

 

 これより迷惑な話も他にない。ほら、見たことか。通りがかったナースさんがこっちを見ながら苦笑いしてる。そりゃそうだ、ルシファーとか神の姉さんなんてアニメや漫画みたいな話で盛り上がってるとしか思えない。しかも真面目な顔して言ってる。誰もルシファーが『天国への階段』を歌えるとは思ってない。

 

「でもお前が思ってるようなことは何もない。不殺がモットーの武偵がシリアルキラー推奨のタトゥーなんて入れるわけないだろ?」

 

「時間の無駄ね。私、夾竹桃のアートは気に入ってるの。お前がまた馬鹿なことをやって、私がそれを知りながら黙っていたとなったら。あの蠍の尾は私に向けられる」

 

「……まぁ、お前でもミニガンの放火は浴びたくないか」

 

 吸血鬼に同情する日が来るなんてなぁ。つか、お前って夾竹桃のファンなのかよ、初めて知ったぞ。俺は辺りを見回し、知り合いがいないことを確認してから左腕の袖を捲る。前腕に刻まれた印が露になった途端、ヒルダは心底苦い顔で十字を切り始めた。

 

「吸血鬼がそれやるか?」

 

「黙りなさい。これは第一級の呪いよ」

 

 鋭い声でヒルダは首を振った。

 

「……やったわね。今度はパニックルームでどうこうならないわよ?」

 

「最後まで聞いてくれ。本土にいたときにそれらしいのをでっち上げたんだよ。アマラを閉じ込めてるわけじゃないし、オリジナルとは全くの別物。勿論、殺人衝動に襲われるわけでもない」

 

「待ちなさい。つまり、こういうことかしら。カインの刻印を……でっち上げた?」

 

「簡単に言えばな」

 

 半信半疑のヒルダに俺は袖を戻し、目を合わせる。苦い顔がさらに酷いものになっていた。

 

「ルシファーから聞いた話だと、オリジナルのまじないに必要な材料を知ってるのはミカエルだけって話だ。俺がやったのは単なる模倣。ロウィーナからコーデックスと呪われしものをちょっと借りて、似たような呪いをでっち上げた。身体能力を底上げするつもりで」

 

「……恐れを知らない男ね。やることが無茶苦茶だわ」

 

「恐怖は心が作る物。戦わなきゃ」

 

「いいえ、恐怖は良き隣人よ。危険を教えてくれる、お前は絶対聞かないだろうけど。だからこんな狂気染みた真似ができるのよ。コーデックスの噂は聞いているわ、呪文の解読をライフワークにしていた魔女が残した呪文や文字の解読書。それにしても……よく解読できたわね?」

 

「インディ・ジョーンズが好きだったんだよ。謎解きと暗号や未知の言語の解読は彼の得意分野だ」

 

 唖然とするヒルダに俺は肩をすくめる。呪われしものはあらゆる呪いや古い魔術について書かれた本。そしてコーデックスはあらゆる呪文や言語を解読する方法が書かれた翻訳の本。その二つが揃えば第一級の呪いの解き方すら知ることができる。

 

「……今のところ刻印の効果はないが」

 

「それはつまり……失敗したってことかしら?」

 

「いや、悪趣味なタトゥーシールが貼りっぱなしになったってことだ」

 

 やめろ、今のところ俺の頭はおかしくなってない。つまり危惧すべき問題にはぶち当たっていないんだ。そんな自由研究が失敗した学生を憐れむような目はやめろ。俺は俺なりに努力したんだよッ!

 

「極東戦役、それに色金に宿ってる神は化け物だ。キンジは日に日に力を増して、どんどん俺を置き去りにしてる。これまでみたいに血を飲んで超能力に頼るわけにもいかねえし、なにもしないわけにはいかないだろ?」

 

「そんなやり方だから次から次に問題を招くことになるのよ。目先の問題を解決するために新たなトラブルの種を抱えては意味がないわ」

 

 不条理な魔の眷属の割に、納得させられるような正論を言うヒルダ。なんてやつだ、まるで俺がとんでもない愚行をやったような気分になる。とんど精神攻撃だぜ。

 

「でもお前に魔術の才能がなくてジャンヌや玉藻は一安心でしょうね、今度ばかりは自分の才能に感謝しておきなさい。お前の愚行も未遂に終わったみたいだしね」

 

「またそうやって人の脇腹を蹴りつけて……」

 

「あら、柔いところを突いた?」

 

「体脂肪7%だ。柔いところなんてねえよ」

 

「7%を除いてね」

 

 ……口の減らない吸血鬼め。駄目だ、口喧嘩じゃ勝てる気がしない。ヒルダに言い負かされた気分のまま俺は病院の廊下を後にした。思わぬ鉢合わせで時間を使ったが、ヒルダがお見舞いなんて本当に意外だ。

 

 武偵病院の駐車場に出ると、マナーモードにしていた携帯が鳴った。着信相手は……神崎からだ。そういや、武偵病院内にも携帯での通話が許可されてるエリアがあったな。インパラのドアを背にして、俺は神崎からの通話に出る。

 

「雪平」

 

『さっきぶりね。あんた、今どこにいるの?』

 

「まだ病院の駐車場だ。丁度、インパラに乗ろうとしたところだよ」

 

『そう、部屋に帰るつもりなら心しなさいよ。あの子、あたしたちとあんたの荷物、ダンボールに詰め込んで送り付けてきたわ』

 

「……本気か?」

 

 半信半疑で聞き返すが、神崎がこの手のつまらない嘘を言わないことは把握済みだ。病室でのジーフォースの言葉を踏まえると、本当にキンジと二人きりで生活するつもりらしい。俺たちの私物は早い話が不要な産物ってことか。

 

『あの子なりのメッセージなのかもね。あたしのクッションはハサミで無茶苦茶になってるし、理子のゲームとあんたのDVDではご丁寧に手で叩き割られてるわよ?』

 

「……やってくれるぜ。今度こそカウンセリングを勧めてやる」

 

『思ったより落ち着いてるわね。もっと怒り狂うと思ってたけど』

 

「いや、別に。ジーフォース、子宮にいるとき楽天的な面は怒りんぼうでガチガチな面に潰されちゃったタイプだと思うから」

 

 ああ、落ち着いてるよ。ジーフォース、自分がキンジを独占してやるってアピールなんだろうけど、悪いが作戦じゃない、自殺行為だ。敵意を煽っただけ、一時の優越感には浸れるかもしれないがそれだけだ。

 

「分かった。そういうことなら俺も部屋を留守にする。インパラが俺の家だ。何の問題もない。ジーフォース、キンジの隣を独占しようと必死だな。わざわざ武偵高の制服まで用意してるってことはこっちでも色々と手を広げるつもりだ。交渉の使者として残された?ありえない、他に目的があるに決まってる」

 

『目的って、例えばどんな目的よ?』

 

「連中、見るからに本土の匂いがぷんぷんしてた。日本にもビジネスや活動の手を広げるとしたらどうだ。あの女、奈良時代の恋愛みたいなのはちょっと共感できないが馬鹿じゃない。そこらの手配犯よりもよっぽど知恵が回る。おまけに冷酷だ」

 

『簡単に感情のスイッチを切り替えられる。それに躊躇わない』

 

「ああ、任務遂行に私情は持ち込まない。命令順守、やるときは徹底的、理想的な兵士だよ」

 

 私情を抜きにして、彼女は文句なしに優秀だ。出会ってまだ間もないが、それでも俺が見てきた一年の中では頭一つ実力が飛び抜けてると断言できる。本気になったら強襲科の一年が束になろうと相手にならないだろう。素直な評価を下しつつ、俺は殺風景な空を仰ぐ。

 

「こんなときジーフォースみたいな奴は必ず水面下で何かを進めてる。気を付けろ、あいつのキンジへの執着は普通じゃない。あれはまるでガブリエル・ウェインクロフト、自分にメリットがあれば商売敵は見境なく排除する」

 

『……また大物を出してきたわね。ガブリエルが日本でビジネスなんて始めたら、それこそ悪夢よ』

 

「最期はちょっとだけいい奴になってただろ。彼も被害者だよ、粗悪品のクリスタル・メスはそこいらの毒物よりもずっと危険だ。街で銃撃戦をやられるのはごめんだけどな」

 

 オアフ島のアイドル、ガブリエルも島で好き放題に暴れ回ったが、最期は自分がやってきたことの報いを受けて命を落とした。大抵の人間はどこかで必ず、自分がやってきたことのツケを払わされる。俺だって例外じゃない、だからツケを払う前にやるべきことはやっておく。今の俺にとっては、この目先に置かれてる極東戦役って難題のことかな。

 

『あんたも気をつけなさい。あの子、あんたには特別敵意を持ってる。あたしたちとは違った……ううん、敵意というか特別な感情』

 

「好意じゃないのは確かだな」

 

『詳しく話してみる?』

 

「仲良くなったらね」

 

 三言以上言葉を交わせるまでになったら大したもんだよ。

 

「今はキンジの作戦が成功するのを祈るさ。あいつの手腕に期待する」

 

『なによ、あたしたちに黙って作戦を練ってたわけ?』

 

 やや驚いたような声が飛んでくる。

 

「インパラのなかでキンジが思い付いた。俺は出費担当。ジーフォースをスパに行かせる、指圧マッサージにプールサイドでネイル。フルコース高かったけど、首を跳ねられないで済むと思えば安い」

 

『……大した作戦ね。期待してるわ』

 

 微塵も期待していない声で通話は途切れた。クモの巣張ってる頭でキンジなりに知恵を絞ったんだ、俺は誉めてやるよ。作戦の代金はいつか2割増しで取り立てるけど。

 

 携帯をポケットに投げ入れ、俺は今度こそインパラの運転席に座る。やっぱり自分で運転するに限る。バックミラーを弄り、おもむろにシートに背を預けて俺は深く息を吐いた。

 

「かくしてまた二人きりだな」

 

 ハンドルに手をやり、空いたもう片方の手でキーを捻る。相槌を打ってくれるように彼女のエンジンが音を立てた。

 

「ただいまbaby。今夜は二人で語り明かそう。そうだな、何から話そうか。ジョーに9mmを摘出して貰ったとき、白状するとマジで痛くて泣きそうだった」

 

 誉めてやるよ、過去の俺。好きな女の前で見栄を張れるなんて大したもんだ。今の俺に同じことができるかは分からん。泣き叫んでるかもな。

 

 ハンドルを切り、静かにbabyとのドライブが始まる。テープから流すのは──Back in Black。古き良き名曲、ディーン・ウィンチェスターのお気に入りだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 ……どういうことだ。俺は確かにロキシーの玄関をくぐったはずだ。だが、ここはどう見ても俺の知ってるロキシーじゃない。年期の入った木張りの床、薄暗い店内に設置されたカウンターには酒が並び、各テーブルにはレトロなランプ型のスタンドライトがオレンジの灯りを灯している。

 

「今話題の異世界シリーズってやつか?」

 

 理子から聞いた今話題のジャンルらしいが、こっちは地獄も天国もうんざりするほど行ったり来たりしてる。異世界だって前に遭難して天使の軍隊と抗争したばかりだ。こんなサプライズ、ちっとも嬉しくない。皮肉な理由で目の前の出来事にも落ち着いているが、客どころか店員すら見当たらない閑散とした空間に舌打ちが響く。

 

 どう見てもここはファミレスではなく安いバー。店内に流れているのは、普段のロキシーの有線ではまず流れないであろう化石のようなジャズ。知ってる、頭がガンガンする曲だ。かつてのエレンのバーを彷彿とさせるモダンテイストの雰囲気は、俺の知ってる学生が入り浸るロキシーとはまるで違う。

 

 エレベーターから異世界に行ける都市伝説の話は聞いたことがあるが、ファミレスから異世界に行くなんて聞いたこともない。だが、玄関を跨ぐまでは外から見た建物は確実にロキシーの外観をしていた。ここは島で唯一のファミレスだ、大幅の改装をしたなんて話があれば武偵校でも噂になってる。

 

 何よりもこの明晰夢でも見ているような感覚には覚えがある。日本には『マヨイガ』と呼ばれる局地的な魔界がいたるところにあるらしいが、これは魔界というよりも箱庭。ロキ──トリックスターが使っていた悪戯ボックスそっくりだ。でも彼はもういない。だとしたら──こんなことをやれるのは誰だ?

 

 スタンドライトの置かれたテーブルはどれも赤い業務用ソファーで統一されている。嘆きたい気持ちで安っぽい店内を見渡すと、一番壁際のテーブルに肌色をした人の手が見えた。

 

「誰だ?」

 

 返事はない。いつでも袖にある天使の剣を抜けるように、左手に注意を向けながら木の床を踏んでいく。席を立つ様子はない。距離が詰まるに連れ、テーブルには山積みのように重ねられた原稿用紙が見えてくる。これ以上ない冷たいものが背中に走った気がした。

 

 今の俺はどんな顔をしているのだろう。ようやく会いたかった相手に会えた顔、怒りと憎しみで染まった顔、はたまた驚愕で呆気にとられた表情でいるのかもしれな い。

 

 テーブルに就いている存在は俺を見るや陽気に手を振り、かけていた黒縁の眼鏡を外す。俺はやっとのことで固まっていた喉を動かすことができた。

 

「何しに来た……」

 

 喉から溢れそうになる数多の感情を一纏めにし、俺はその言葉を口にした。負の混じった声色も最大限の善処の言葉だった。そんな俺を嘲笑うように『それ』は人間(俺たち)の言葉を紡ぐ。

 

「SHERLOCKの最終回、良かったよね?」

 

 彼は作家でペンネームはカーヴァー・エドランド。『SUPERNATURAL』って忌まわしき作品を書き上げた売れない作家。自分の息子を自分からグレさせ、姉との世界規模の喧嘩をやらかした傍迷惑な表現者。ドナテロ、ケビンと同じく神の声を聞くことができるとされていた予言者。

 

「チャック」

 

「やあ、キリ」

 

 どうりでトリックスターの真似事ができるはずだ。箱庭を作り上げることなんて息をするのと変わらない、そんなもの指を鳴らす程度の労力でしかない。

 

 仮面のような変わらない表情で続けた彼は原稿の積まれたテーブルを右手で示す。否、そこには積まれていた原稿用紙はなく、代わりに忘れようのない剣が置かれていた。今度こそ、俺は目を丸めてそれを凝視する。

 

「また家を追い出されたんだってね。君にギフトを持ってきた」

 

 ある者の下顎によって作られたその剣は、この世界で最も最初に作られたーーファーストブレイド。黒い布がグリップに巻かれ、博物館にも並んでいそうな原始的な見た目をした剣は、最初に殺人を犯した者……カインが弟アベルを殺すために振るった──

 

「元始の剣……」

 

 アバドンを葬り、ディーンを悪魔に変えた血塗られた剣が、テーブルに投げ出されていた。

 

 

 

 

 

 

 




『電話も手紙もクッキーさえ送ってこない』S7、22、アルファ・ヴァンパイア──

クリスマス発売のアリアの新刊が待ち遠しいこの頃です。超能力なしの生身で頑張るキンちゃんが作者は大好きです。異能力を相手にあくまで身体能力だけで抗うところもキンジの魅力なんでしょうね、今となっては余裕で衝撃波とか出してますけど……


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。