哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

77 / 157
後編です、のんびりどうぞ。


遠山少年の実家帰り―File.4

「ちょっといいかな。ビラに載ってるのは君の知り合い?」

 

 立ち寄った飲食店、声をかけるとビラを張っていた少女の首が反転する。

 

「ごめんなさい、私たちも彼を探してるの。警察とは別にね?」

 

 まるで警察手帳のように夾竹桃が武偵手帳を見せる。警戒心だらけの顔が、ほんの僅かに崩れた。

 

「……武偵って、あのなんでも屋?」

 

「そうとも言う。どうかな、ビラを配るようなもんだと思って彼のことを教えてほしい」

 

「なんでも屋って失踪事件を調べたりもするわけ?」

 

「そういうときもある。君の言ったなんでも屋ってのは間違いじゃないよ。この近くで前にも失踪者が出てるんだ、そっちの関連についても調べてる」

 

 腕を組んだ少女は、そのまま歩いてレストランの扉を開く。

 

「入って。テーブルで話したい」

 

 一度顔を見合わせ、俺たちは彼女の申し出に沿い、店内に足を踏み入れた。

 

「彼とは付き合って二年になるの。失踪したときも彼と電話しようとした」

 

 ビラに載せられていたのは、最近失踪したとされる男性の写真だった。話を聞いていると、眼前の彼女は彼の恋人で失踪した彼を探してビラを手当たり次第に貼っていたところだったらしい。このタイミング、ロカのまじないに救われたな。

 

「彼、運転中だったの。かけ直すって言ってた。だけど、それっきり……」

 

「普段と変わったことはなかった?」

 

「さあ……変わったことはなかったと思うけど。ただ……」

 

 コーヒーに口をつけ、少しの間を作ってから彼女は続けた。

 

「狭い街だから、色々あるのよ。火を放たれて焼けた教会とか、人が埋められてる森林とか、物騒な場所なんかがたくさん。貴方たちも言ってたとおり、前にもこの近くで行方不明になった人がいて、噂が……」

 

「「どんな噂?」」

 

「……この辺りにある迷信でね。何十年も前にハイウェイで女の人が殺された、その人の霊が出るって噂、ヒッチハイクするってね。彼女を乗せた男はみんな──消えてしまい、戻ってこない」

 

 ──ヒッチハイクする女の幽霊か。

 

 

 

 

「どう思う?」

 

「ヒッチハイクする女の幽霊でしょ。この上なく怪しい」

 

「だな、この上ない」

 

 コーヒーと軽い軽食、そして小さくない手掛かりと一緒に駐車場のインパラに戻る。ヒッチハイクしてきた相手が幽霊だった件、笑えないな。運転席に座った矢先に、マナーモードにしていた携帯が震えた。あっちも宿題が終わったか。

 

「ジャンヌ、どんな感じ?」

 

『良いニュースだ。代金は弾んでもらおう』

 

「楽しみだ、教えてくれ」

 

 朗報を期待して、道中と同じく、携帯をスピーカーに切り替える。

 

『お前たちも目的の街には到着した頃だろう。その地域でこの失踪事件に絡んでいそうな良くない噂を見つけた』

 

「ヒッチハイクする女の幽霊か?」

 

『ほう、ならば話が早い。怨念は非業の死から生まれる。その幽霊について調べてみたが気になる事件を見つけた。過去、その街に架けられている橋から26歳の女性が飛び降りたらしい。この失踪事件の騒ぎが始まる前のことだ』

 

「タイミングは合ってるわね。非業の死、つまりは『自殺』だけど、原因は?」

 

『それについても調べてある。ちょっと待て』

 

 持つべきものは情報科の親友か。ほんと、冗談抜きで頼りになるよ。

 

『彼女は自殺する前、警察に通報していた。子供を浴槽に入れていて、彼女がちょっと目を離していた隙に……浴槽で溺死。夫の話によれば、子供を失ったショックで自殺したと』

 

 それは……悲しい話だな。残された者の心中も察するに余りある。

 

『狭い街だ。橋の場所は携帯に送っておく。インパラを飛ばせばすぐだろう』

 

「分かった、夜にでも行ってみる。mahalo(ありがとう)──ジャンヌ」

 

 通話を切ると、画像の添付されたメールがジャンヌから送られてきた。この橋……さっきの子が行ってたハイウェイの近くにあった橋だな。ご丁寧にジャンヌが橋についての情報もメールに載せてくれている、下は湖でこの橋から水面まで飛び降りたんだな。

 

「さっきの彼女が言ってたとおりね。この街、オカルトスポットの巣窟よ。その手の界隈では結構有名みたいね。あ──」

 

 何か踏んではいけないスイッチを踏んだときのような、あまり良い気配のしなさそうな声に釣られて、携帯を弄っていた夾竹桃に横目をやった次の瞬間──

 

『Ghost facers──!』

 

 ──この世で一番聞きたくなかった音色が耳を串刺しにした。

 

「おい」

 

「動画が張ってあったから何かと思ったけど。雪平……目くじら立てるのはやめて頂戴。貴方の友達でしょ?」

 

「出会ったのは遥か昔のことだが、連中とは全くと言っていい程に良い記憶がないんだよ。最後に会ったときには色々あってグループも解散してたはずだ」

 

 実に後味の悪い最後だったが、まさか俺たちの知らない合間に復活したのか。

 

「嬉しいような、そのまま真っ当な道を行っとけって言いたいような……」

 

 Ghost facers──オカルトが大好きな男二人で構成された……傍迷惑なお笑いユニットで、幽霊が出ると言われる場所やその手の心霊スポットを駆け回り、俺たちとは狩りの途中に何度も遭遇してる。思い返しても狩りの邪魔をされた記憶しかないが、端から見てもそれなりの信頼で結ばれていた二人だった。ま、ある一件で仲違いをして、さっき言ったとおり後味の悪い別れを見たのが最後の記憶。

 

「これ、けっこう前の動画みたいだから、解散する前に録られたのかも」

 

「真実は分からずか。初めて会ったときはまだアザゼルを退治する前だった、懐かしいよ」

 

 さっきまで忘れかけてた連中なのに、スイッチが入ったみたいに気になって仕方ない。

 

「解散したなんて驚き。不仲には見えなかったけど?」

 

「色々あったんだよ、色々な。別れを決意させるようなそういう何かがあったんだよ。でも別れるのは悲しいとも言ってた。長い時間一緒にいるとさ、ずっと隣にいると思うようになる。二人で歳を重ねて、一緒のソファーに座って、酒を酌み交わすんだろうなって」

 

 それが約束された未来に思えて、当たり前だと思うようになる。

 

「でもある日を境に繋がってた物が切れて、ソファーも一緒にいた相手も消えてしまう。傍迷惑な連中だったけど、正直最後に別れたときは、かける言葉が浮かばなかった」

 

 後味の悪い最後、たぶん──俺の声色からそれを見抜かれたんだろう。

 

「当たり前なんだけど、私にもどん底って言えるときがあった。ほんと、悲惨って言葉しか浮かばないくらい打ちのめされてた時期があったの」

 

 そう言って、何かを思い出すように綺麗な瞳はフロントガラスの外を向いた。 

 

「理子は──私が寝てないのを知ってたのね。それで電話してきた。それも真夜中に、本当に何気なく、『夾ちゃん、何してる?』って。何って──ねえ?」

 

「ふっ、何もしてない」

 

「ええ、そう言った。で、コーヒーでも一緒にってことに。近くの店に待ち合わせて、二人で座ったの。話すときもあれば、話さないときも。それが何週間も。でも理子はそのことを誰にも話してない、夜中のコーヒーのことも。普段はあんなにお喋りなのに、誰にも」

 

「……あいつらしいな。初めて理子に会ったとき、俺も思ったよ。なんてお喋りでふざけた女なんだって。でも本当は、俺よりもずっと真面目で律儀な女だって気付かされた。慰めるわけでもない、でも腫れ物みたいに敬遠するわけでもなくて、ただ支えになろうとしてくれる」

 

「たぶん、それがあの子なんでしょうね。人生に必要なタイミングで現れて、心に傷跡を残していく。一人じゃ耐えられない、それが分かって誘ってくれた」

 

 頼りになる友達──そう言いたげな隣で俺はインパラの鍵を捻った。

 

 

 

 

 幽霊が活発になる条件は多々ある。住み着いてる建物が撤去が決まったり、あるいは生前の記憶と関係した特殊なものだったり、ケースバイケースだが、大抵の幽霊は夜になると騒がしくなる夜行性で共通してる。

 

 お決まりの夜に、現場にやってきた俺たちはインパラを道の脇に停めて、トランクの中から二個分のマグライトを拾い上げた。左右に振った青白い光が暗闇を照らす。不意に空を仰ぐと、絵に描いたような満月が視界に広がった。

 

「もっと車の往来が激しいと思ってた」

 

「狭い町だし、噂が立ってるんだろ。ペレとパリロードの伝説みたいに。この橋、車で通るべからず」

 

「ペレって、たしか……火山の女神?」

 

「正解。ハワイに伝わる神様で、彼女は半分獣の神と熱く愛し合ってた。カマプアアな、彼は半分が豚なんだ。上下どっちかは分からないが」

 

 まあ、上下どっちが豚なのかは問題じゃない。

 

「最初は円満。それが修羅場の連続でもう別れるってことになったわけ」

 

「分かった。男が豚みたいに泥だらけの足でキッチンの床汚したのね。そうでしょ?」

 

「いや、知らないって、そこまでは知らない。キッカケまでは知らないけど、顔も見たくないってことで島を真っ二つに分けた。カマプアアはウィンドワード側を、そして今のホノルル全部がペレの物」

 

 夫婦喧嘩で土地を割る、如何にもスケールが狂ってて神様って感じだ。

 

「それで、最初に戻るけど──伝説って?」

 

「ああ」

 

 伝説って言うか、これも迷信だな。歩きながら、俺は根本的な場所に触れていく。

 

「パリロードは豚肉を持って通るなって言われてるんだ。通ると車が故障したり、良くないことが起きる」

 

「つまり、そのペレの縄張りにカマプアアを持ち込むことになるのね」

 

「そういうこと。その手の噂って世界中どこにでもある。幽霊や神、発端になった存在が違うだけで」

 

 幽霊の出るって言われてる場所で別の国の怪談話、それこそGhost facersがやりそうだ。

 

「神様でさえ喧嘩するんだから、男女がずっと円満でいるなんて、難しいことね」

 

「だからって、女同士がずっと円満とも限らないだろ?」

 

「それもそうだけど」

 

 自殺した女性、榊美鈴って彼女ももしかすると夫と何かあったのかもな。真実は闇の中だが。転落防止用の手摺の前から下を覗くと、広い水面が下降に広がっていた。如何にもな濁流や激流ってイメージとは反対に穏やかな湖って感じだな。かといって、溺死しないと言い切れるようなものでもないが。それに何十年も経てば、人も場所も変わる。

 

「21金のペン先」

 

「なに?」

 

「プレゼント──21金のペン先。欲しいって言ってた18金じゃないけど」

 

 不意に、口走ったとき丸くなった瞳と目が合う。軽く笑って、俺は手摺に頬杖を突いた。

 

「なんで今そんな……」

 

「持ってるのが全部駄目になったら使ってくれりゃいいよ。どこで言うか迷ってた」

 

「はぁ……分かった。雪平、ありがとう。真面目に」

 

 一転、手摺に手を置いたままだが皮肉なしの言葉が飛んでくる。

 

「ほんの気持ちだよ、真面目に。ヒルダじゃないけど、俺もお前のファンになりかけだから」

 

 二人して、橋の先に広がる海面に視線を変えていく。奇遇だな、どうにも目を合わせて話す気分にはなれない。海面を見ながら言葉だけを飛ばし合う、こっちの方が今は落ち着く。昼間ならもっと綺麗な『蒼』が見られたんだろうけどな。

 

「貴方の画力はお察しだものね?」

 

「失礼な。これでもディーンよりは上手い」

 

「身内の悪口は程ほどにしておきなさい。いいことないわよ?」

 

「大丈夫、お互い様だよ。兄弟でいつもこけ下ろし合ってる」

 

「ふ、それもそうね」

 

 ミカン箱で描いたお前の絵には、遠く及ばないだろうけどな。ミカン箱を先生の命令で届けに行って、あの日以来すっかりお目付け役だ。ある意味、日常に風穴を空けられた。

 

「もう一度言っておくわ。雪平ありがとう、真面目に。大切に使うから」

 

 どういたしまして──素直に返事をしてやろうとしたとき不意に、凍えるような悪寒に背中を包まれた。

 

「……は?」

 

 切っていたはずのインパラのヘッドライトが点灯し、アメ車らしいV8のエンジンが吠える。目を擦るが視界にある車は変わらない、67年のシボレー・インパラ、俺の車だ。氷室に体を投げられた気がした。それは隣の女も同じだった。

 

「……ねえ、ひとつ聞いてもいいかしら?」

 

「ああ、どうぞ」

 

 雨も降っていないのに、ワイパーが意味もなく左右に振られ始める。

 

「私、これと同じ光景を本で読んだことがあるんだけど」

 

「奇遇だな、俺もこれと似たような場面を見たことがある。日本に来るずっと前のことだがクリソツだ」

 

「鍵は?」

 

 俺はキーケースを手元で揺らす。

 

「ねえ、雪平?」

 

「なんだ鈴木さん」

 

「走る?」

 

「全力で」

 

 刹那、動き出したタイヤに俺たちは全力で体を翻した。マジかよ、ちくしょうめ。

 

「行け、行けッ──!」

 

「だから貴方と珍道中やるのは嫌なのよ!」

 

 人気のない橋、鍵のかけられた車、持ち主を追いかけてくてくるシボレー・インパラ。これを忘れるわけがない、いつか退治した『白いドレスの女』と一緒だ……!

 

「あの女、俺のbabyを寝とりやがった……! 俺の目の前でインパラを……この屈辱許しはせん!」

 

「雪平、口調口調」

 

 全力で足を動かし、徐行の速度から徐々にスピードを上げてくるインパラから逃げる。ただ逃げる。ちくしょうめ、なんでよりによって俺の車を……!

 

「おい、榊美鈴! 俺は本土からやってきたゴーストバスターズだ、今すぐ車を停めてホールドアップしろ! でないとありったけの塩をぶつけて、お前が忘れてそうな後悔って感情を思い出させてやるぞー!」

 

 ……返答なしか。いや、なんかインパラのスピード上がったような……

 

「私の意見だけど強く出すぎ。貴方が脅かすからあっちも意地になった」

 

「ああ、お前は交渉のプロか」

 

「脅迫されるのは誰でも嫌でしょ、北風と太陽の話知らないの?」

 

「ああ、建設的意見がないなら黙ってろって格言なら知ってる。それと、さっきからスピードが上がってる」

 

「このお馬鹿、怒らせるからよ……!」

 

 最初から虫の居所が悪かったんだろ。ちくしょうめ、もうこれ以上は……追い付かれるッ!

 

「飛び込め」

 

「なに!?」

 

「飛び込むんだよ! 下は水だ、この高さなら助かる!」

 

「このお馬鹿! さっきから馬鹿なことしか言ってない! 今度衛生科で頭も見てもらうことね! そっちもダメージ受けてるから……!」

 

 ネガティブなアドバイスをどうも。海面の深さは聞いてる、飛び込みが禁止されるほどの浅瀬じゃなければ、内臓破裂必至の高さでもない。

 

「私立探偵のマグナムやマクギャレット少佐なら迷わないぞ!」

 

「彼等は特殊部隊よ、それも海軍の! 好き勝手なこと言って──でもグチャグチャにされるよりマシね!」

 

 文句を言っても、後ろを見るのも躊躇するまで存在感が迫れば選択肢はない。お陰で1つ思い出したよ、いくらインパラが相手だからって追いかけられるのは楽しくない。選択肢は既に決まっていた。ヘッドライトがすぐそこまで迫り、柵側にいた夾竹桃とほぼ同時に転落防止にかけられていた柵を飛び越える。

 

「雪平! 着地任せた!」

 

「あっちで拾ってやる──Hoo-yah!」

 

 いつか教会で、小児科医に化けたアラステアから逃げたときのように俺は全力で、真っ暗な虚空へと身を投げた。一転、気持ちいいとは言えない浮遊感に襲われるが、水深は足りていると言っても、姿勢を崩して足からの着水に失敗すれば笑えない。今回は泳げない蠍がセットだしな、一番負荷のない姿勢で水面に落ちて、泳げない夾竹桃をなんとかしてやるしかない。

 

「今度、平賀さんに携帯できる浮き輪でも頼んで見るか……!」

 

 まず両足が水を掻き分け、次いで頭が水の中に沈む。暗い水中で腕を振り、視界が真っ暗な空を捉えた。

 

「ぷはあぁっ!」

 

 ……良かった、とりあえず生きてる。冷たい海面の上に投げ出され、制服が水を吸ったのか、とてつもなく重たく感じる。激流ってほど流れは酷くないが、いつまでもいたいとは思わないな。

 

「おい、いきてるか?」

 

「とりあえず、息はしてる。気分は最悪だけど」

 

「だろうな。でも生きてる証だよ」

 

「……ところで、岸までどのくらいかかりそう?」

 

「すぐそこに見えてるだろ。10分もかからねえよ」

 

 幸い、ハイジャックでボーイングから落ちたときみたいに遠泳する必要はなさそうだ。肉眼でも陸地が見える距離にいる。何もいきなり極地の海に放り出されたわけじゃない。が──それは俺の考えだった。

 

「長居してると不味いわ。体温が奪われてお陀仏よ。さあ、行きなさい──Navy SEALs。岸に向かって全速前進よ」

 

「……なあ、やっぱり暇なときに泳ぐ練習したらどうだ?」

 

「海は嫌いなの。もし人間が泳ぐ生き物ならヒレがついてるはずよ」

 

 海や川が苦手な彼女には安堵できる要素は何ひとつとしてなかったらしい。

 

「それ、神崎も言いそう。海からオルクスでやってきたのに海が嫌いとはな」

 

「お可愛いやつめ? そう、ありがとう」

 

「いや、言ってないから。変なヤツだって言ったんだよ」

 

「お前の言葉を、私が"書き換えた"のよ」

 

「新手のバカですか?」

 

 普段、人をお馬鹿と言ってくれるが彼女も大概だ。実はウィリアムズ刑事みたいに、本当は泳げるってオチを期待したが駄目らしい。さっきから浮き輪かってくらいしがみついてくる。手を離したら即死するって勢いだ。水に濡れた冷たい手が首に巻き付いて離れない。

 

「海が苦手なのは分かるが、あんまり首絞められると仲良く心中するぞ?」

 

「無理。離したら死ぬわ」

 

「すぐには死なないって」

 

「死ぬわ」

 

「……お前は5歳の子供か」

 

 冷静でクールないつもの頼もしい蠍はどこに行ったのか。この様子では何を言っても『死ぬわ』の一言で片付けられそうだ。

 

「10秒もせずに海底に急速潜航、そして行き着く先は海の亡霊よ。フライングダッチマンで働きたい? 働きたくないでしょ?」

 

「そりゃ幽霊船でなんて働きたくない。海草のお化けにはなりたくないし」

 

「そういうこと。愛は沈まない、でも人間は沈むの。沈むのよ、雪平」

 

 ……凛々しい声で何を言ってるんだ、この金槌女は。苦手な海面に放り出されたせいで、頭の中がカーニバルになってやがるな。まあ、気持ちは分かる。俺だって逃げ道のない場所でピエロに囲まれたときには、脳内がカーニバルだよ。

 

「分かった、早いところ陸に帰ろう。俺も海の亡霊にはなりたくない」

 

「そうして頂戴。録り貯めた深夜アニメをまだ見てないの。待ちに待った2期なのに……」

 

「良かったな。後で感想聞かせてくれ。面白そうならレンタルしに行く」

 

「貸してあげるわよ。Blu-ray買うつもりでいるから。浮き輪のお礼よ、水兵さん?」

 

 ……またそういうこと言いやがって。妙なタイミングで飴を投げてくるよな、お前って。人を操るのが上手いよな。

 

「海の亡霊にならないように頑張るよ。ずっとお前に抱きつかれてるのも悪くないけど」

 

「それ本気?」

 

「いつも本気だよ」

 

「……ハンターの男は口下手って聞いたけど、貴方は口も上手だわ」

 

 事実だから仕方ない。実際、悔しいことに夾竹桃やジャンヌ、理子や星枷に抱きつかれて、何も感じないって言えるほど、俺は意地っ張りじゃない。キンジの周りにいるのは本当にいい女ばっかりだ。それは素直に認めるよ。この金槌女を含めて。

 

「それって誰に聞いたんだ?」

 

「貴方のお母さん」

 

「母さん……エレンみたいなこと言わないでよ。けど、綺麗なものを素直に綺麗って言うのって、意外と難しいことなのかもな」

 

「何それ?」

 

「人間は本質的に天の邪鬼なんじゃないかって話だ。肯定より否定が好きな生き物だと思ってさ」

 

「また妙なことを考えてるわね。冷たい水に浸かってる影響?」

 

「かもな。もしくはお前の影響かも。妙なことを口走るのはお前も同じだし」

 

 難しい言い回しが大好きな彼女に、多少なりと影響を受けてる可能性は否めない。ここ数ヶ月でキンジが神崎の影響を受けているのと同じで、俺も後ろに乗せてる毒使いやジャンヌの影響を少なからず受けてる気はするよ。神崎がキンジの日常に風穴を空けたように、元から日常と隔離されていた俺の非日常も、今では『研鑽派残党』に随分と引っ掻き回されてる。神崎が俺たちの部屋に転がり込んでから、本当に毎日が賑やかになった。

 

 閉塞した世界に風穴が開いて、見ることのできなかった航路が拓いた気分だった。この一年、無茶苦茶だった日常に更に拍車がかかったが、手放すには惜しいと思える毎日が続いてる。魔女や泥棒、吸血鬼が首を奪いにやってきたのにはヒヤヒヤしたが、思い返せば似たようなことは本土で何度も体験してるんだ。今となっては、ジャンクフードと一緒に苦笑いしながら語れる思い出だよ。

 

 駄目だな。冷水の中で泳いでいると、本当に妙なことばっか考えるようになってる。後ろからおもしろい話題でも飛んでこないもんか、そう考えた矢先のことだとった──魔宮の蠍が妙なことを口走ったのは。

 

「けど、人間って面白い生き物ねぇ」

 

「何だ? また唐突に……」

 

「人間は一人じゃ生きられないらしいわよ。前に呼んだ漫画でね、人間でもないキャラがそう言ってたの。イ・ウーにいた時はそんなこと思ってもみなかったけど、私たちもいつかそれを実感するときが来るのかしらね」

 

「人間らしくあろうとするなら、そうかもな」

 

「雪平」

 

 不意に名前を呼ばれて、返事をする。

 

「何だ?」

 

「愛するのも愛なら、憎まれるのも愛なんだって。愛の形も愛情表現の形もそれぞれなのよ、そこに正解なんてないわ。綺麗なものを綺麗と言えなくても、言葉はなくとも伝わるときは伝わるものよ」

 

 そう言って、声は一度途切れる。

 

「どのみち知性体には他の個が必要ってお話でした」

 

「何だそれ」

 

 重たいのか、それとも深い言葉なのか。なんとも微妙なラインを突いた考えだ。心の底にあるものが読めないというか。首にしがみついてくる手の感触と、時折振りかかる吐息には努めて意識しないことにしてるが──いや、やっぱり深い言葉なのかもな。知性体には他の個が必要ってのは。

 

「昔、親父が何事にも時期があるって言ってた」

 

「賢いお父さんね」

 

「どうかな、フォーチュンクッキーの格言の受け売りだろ」

 

 くすりと、笑う声がする。

 

「厳しいわね」

 

「そりゃそうだ、親父にはそれで丁度いいくらいだ。悪かったな。その……苦手な水に飛び込むことになって」

 

「別に。貴方に運んで貰えるし、そうでもないわよ。どうして?」

 

「俺なら発狂してるから。ピエロがたむろしてるサーカスに一人で置き去りにされたらさ」

 

「それ、今度は私に『助けろ』って言ってる?」

 

「別にそんなわけじゃ……いや、そうだ。そういうことにしとく。バッドシグナル出したときは助けてくれ。バットマンはまだしも、ジョーカーとだけは戦いたくない。そのときはお前に譲るよ」

 

 正直、顔を白塗りにされるだけでも拒否反応が出る。

 

「嗜好は長男、苦手なものは次男に似たのね」

 

「お互いの悪いところが重なったのかな。ハイブリッドと言えば聞こえはいいが。血と一緒に弱点まで受け継ぐなんてまるで──」

 

吸血鬼(ブラック・ブラッド)?」

 

「のBROTHERS(ブラザーズ)──なんてな」

 

 ようやく岸にたどり着いたときには、体は冷えきって酷い有り様だった。俺も夾竹桃も冷水を制服からしたたらせ、示し合わせていたように嘆息する。強張る体で装備を改めるが幸いにも銃は流されていなかった。こればかりはラッキーだな。

 

「……ねえ、雪平」

 

「シカゴじゃ氷点下のことは春って言うんだ」

 

「まだ何も言ってない」

 

「ああ、言ってない。だから次に何を言うのか当てた。じゃあ言うよ。俺だって寒い……」

 

「そこまで言ったなら、最後まで気丈に振る舞いなさいよ……」

 

 夾竹桃の呆れた顔と声が向けられる。当然、濡れた制服や黒髪が嫌でも目に入るので俺は視線を逸らした。冗談じゃない、童顔と中学生みたいな体がナパームみたいに凶悪になってやがる。

 

「悪かったな。我慢できると思ったら、急に限界が来たんだ。相手がお前だし、無理して格好つけるより素直に本音を言って楽するのが正解」

 

「私には弱みを見せていいってこと?」

 

「お前が言ったんだろ、晒けだしていいって。弱みも全部も晒していいって言ったのはお前だ。だから、お前には本音をぶちまけてやるって決めたんだよ。それに、女に嘘はつかない方がいい、女は嘘を見抜く、いつだってな。インターネッツに書いてあった」

 

「……インターネッツ? インターネッツって言った?」

 

「ああ、言ったよ」

 

「私、ネットのコピペ以外でそう呼ぶ人、峰理子だけだと思ってたわ」

 

「案外、三人目が近くにいたりして」

 

 俺が思っているだけかもしれないが、女は男よりも危険に敏感だ。理子やジャンヌみたいなのを見てると、つくづくそう思わされる。女は危険を察知する天才だ、出し抜くには数手上を行かないと。

 

「ま、信頼してくれるのは悪くないわね。ところで危機的状況を打破する提案があるの」

 

「なんだ?」

 

「聖油よ、聖油でサークルを作りましょう」

 

「は? 天使もいないのに──ちょっと待て。お前、まさか……」

 

 聖油、サークル、火──頭の中で並べられたカードが白い一本の光で繋がっていく。

 

「駄目だ! バカなことするんじゃない!」

 

「暖を取るだけだから!」

 

「バカかお前は! ホームセンターに売ってるもんじゃないんだぞ!」

 

「探せばどうとでもなるでしょ!」

 

 その言い草には呆れを通り越して、浮かんだのは苦笑いだった。重たくなった体で、俺は後退るように距離を取る。この女……聖油を使って暖を取る気だ……ッ!

 

「却下だ! 聖なるオイルで焚き火なんて罰当たりなこと考えたのはお前が初めてだよッ! 絶対に駄目だからな……!」

 

「私を突き落としたのはどこのバカ? 教えてあげる、貴方が突き落としたんでしょ!」

 

「あっ! このバカ! 気を使って見ないようにしてたのに! やめろ、その格好でそれ以上近寄るんじゃない! バリア! バリア張った!」

 

 このバカ、濡れた髪が肌に張り付いて……なんか湯上がりみたいに凶悪になってんだよ!

 

「バリア張った! ふぅーふぅー!」

 

「小学生みたいなこと言う前に取り決めを思い出しなさい。非常時には私に判断を委ねるって本土で決めたはずよ」

 

「取り決めなんてしてない。取り決めってのはお互い納得した上で決めたことで、俺は納得なんてしてないから! 駄目だ、絶対に駄目だぞ! 貴重な聖なるオイルを暖を取るために使おうなんて、馬鹿げてるぜ!!」

 

 キャスに貴重な物と言わしめたレアアイテムを焚き火に使うなんざ──馬鹿げてるぜ!

 

「ただ動いてるだけで暖は取れないのよ!」

 

「知るか! またミカエルみたいな化物が襲ってきたとき困るだろ! つか、お前はもっと恥じらいを持て! 目に毒なんだよ、毒!」

 

 右腕を払いながら、俺は言ってやる。だが、不思議なことに言い終えた途端、頭が妙にクールダウンして、冷静になってきた。

 

「こういう会話やめよ、平行線だ。決裂して終わり」

 

「そうね。急に虚しさが襲ってきたわ」

 

「同感。今のはお互いの記憶から消そう」

 

「そうしましょう。今のはなし」

 

「ああ、今のはなし」

 

 やけにあっさりと停戦協定が結ばれて、口論は終わりを迎えた。同感だ、急に虚しくなった。

 

「白いドレスの女と同じなら、今のは警告でインパラは壊れてない」

 

「嗅ぎ回るなって警告」

 

 とりあえず、水を吸った制服を絞りながら、俺は真上にある橋を岸から仰ぐ。仰いだ先には、目を凝らしてみるとインパラらしき車がかろうじて見えた。俺たちが落下した地点から、少しだけ進んでから停車したんだな。

 

「それで、あとはなるべく死なないようにするだけ?」

 

「泥棒女を退治する。罵詈雑言をたっぷり吐いてからな。それから服を着替えて、ファミレスに行って、美味い飯を食う。こんな時間に泳いだせいで腹が減った、そっちは?」

 

「どうかしら、ミニプレッツェルを6袋食べたけど」

 

「腹ペコか、じゃあ早くなにか食いにいこう」

 

 車内にはタオルも毛布の代わりだってある、橋まで戻ればなんとかなるだろ。夾竹桃も張り付いた前髪を軽く解きながら、足を前に砂利道を踏みしめて行った。焚き火焚き火と言っても、彼女は俺よりずっとタフだ。正直なところ、心配できる側じゃない。

 

「その髪型似合ってる、さっぱりしたわね。出会い系にでも登録したら?」

 

「ウケたよ、毎日橋から飛び降りないとな。でも俺、外見より中身で勝負するから」

 

「女子よりジェルだのワックスだの持ってるくせに。今のは嘘ね、私の頭で警報が鳴った」

 

「そんなもん消せ消せ。とりあえず、お前が風邪を拗らせる前になんとかする。インパラに戻ればタオルも毛布もあるし、今度カプチーノ奢ってやるから我慢してくれ」

 

 水に濡れた靴で砂利を踏み、橋への道を辿る。

 

「……なんだその顔は?」

 

「カプチーノだけじゃ足りない」

 

「ポケモンパン買ってやるから我慢しろ。パンとコーヒー、最強の組み合わせだ。まあ、これだけやられたんだ、警告ごときで引き下がるなんて冗談じゃない。それじゃまるで、出しっぱなしのビールではありませんーか」

 

「は?」

 

 いや、だから──

 

「──"生ぬるい"の」

 

「最悪……」

 

 

 

 

 帰ってシャワーの一つでも浴びたいが、収まり切れない怒りに従って、俺は濡れた体で足を動かす。こっちがテリトリーに踏み入れたのには違いないが、ここまでバカにされたのは久々だ。あの車泥棒には、畏敬と感嘆と"こんちくしょう"を送ってやる。

 

「壊れてない?」

 

「ああ、大丈夫だ。シートの隅まで綺麗なもんだよ」

 

 橋にまで戻ったあと、インパラのエンジン周りやトランクまで改めるが綺麗なものだ。これまでの事件同様、何の痕跡も残ってない。だが、この場所が根城ってことははっきりした。

 

「彼女の夫は他界してるし、遺体だって燃やされてるはず。何かに取り憑いてるにしても探すのは骨よ?」

 

「作戦はあるさ」

 

「プランBでも考えた?」

 

「プランB? BもCもDねえよ。俺たちの得意な手でいく、即興で対応してやろう」

 

 濡れた体を二人してタオルで即興の処置を済まし、とりあえず気休めの体でハンドルを握る。さっきの仕返しだ、とことんやってやる。

 

「あの子、言ってたよな。焼け跡になった教会があるって」

 

「そういうこと。ドライブするつもり?」

 

「ああ、ヒッチハイクするなら乗せてやる。頼んだ」

 

 その意味に納得した彼女に、ほんの少し芽生えた躊躇いの気持ちを捨てて、俺はジョーのナイフを差し出す。

 

「……色んなペンや武器を握ってきたけど、このナイフが一番重たく感じる」

 

「そのナイフは100%鉄だ。幽霊にはこうかばつぐん」

 

 砕けた言葉で誤魔化すが、重たいって言ってくれて素直に礼を言うよ。ありがとう。後部座席に移った夾竹桃をバックミラーで確認して、俺はアクセルを踏んだ。

 

「──かかるぞ」

 

「かかりましょう」

 

 警告を無視して、俺は彼女の眠りを妨げるようにクラクションをガンガン鳴らしてやる。さあ、延長戦だ。

 

「出てこい、車泥棒ー! ヒッチハイクしたいんだろー! 早く来い、インパラは気持ちいいぜ!」

 

 アクセルをガンガン踏み、俺は挑発するように叫んでやる。

 

「おーい、ここだ! 捕まえてみろ! 俺の車には乗りたくないってか、上等だ!」

 

 刹那、間近でナイフが空気を切り裂いた音がする。バックミラーに見えた後部座席に、立ち消える黒い煙が見えた。

 

「ヒッチハイク大成功ね。乗ってきたわよ?」

 

「ああ、作戦大成功だ」

 

「罵詈雑言に常識的な反応をしたんでしょ。貴方の影響、やっぱり受けてるのかしら。分の悪い賭けにベッドするのが得意になってきた気がする」

 

 今度は助手席に現れた影に、すかさず鉄のナイフが突き刺さる。鉄は、塩に並んで幽霊を追い払えるメジャーなアイテムだ。純度100%の鉄なら弱点としてこの上ない。車内で幽霊との格闘を見るのは、俺も初めてだよ。

 

「それって良い影響か? それとも悪い影響?」

 

「前者ならいいけど……! もっとアクセル踏みなさい!」

 

「もっとスピード出せっていうならお前を下ろすしかない。そうしたら俺も泥棒女に殺される。今夜学んだよ、好みでもない女に追いかけられるのは楽しくない……!」

 

 長い橋の直線を越えて、ガラガラのハイウェイに飛び込む。

 

「そう、今度の休みにホラーキャンプにでも行ってみたら?」

 

「それなに?」

 

「冒険型のイベント、参加料は高いんだけど仮面をつけたプロの役者が追いかけて怖がらせてくれる」

 

「やばい繁華街に行けばタダで追いかけてくれるよ。先に言っとくけど墓にはこの制服で埋めるなよ?」

 

 煙が車内を消えたり現れたりする異様な光景の最中、構わずにハンドルを切る。

 

「今は葬式に備えてる場合じゃない。それに服なんて滅多に買わないって聞いたけど?」

 

「買ってるって。お前と違って派手なのも抵抗ないし」

 

「どうして?」

 

 ナイフが振るわれる音と疑問がやってくる。ギロチンに首を狙われてる気分だ。喋ってないとどうにかなりそう。

 

「派手なの嫌いだろ?」

 

「派手なのも好きよ」

 

「それは初めて聞いた。それなりの付き合いになってきたけど、お前のファッションセンスって普段は制服、たまに制服、稀に制服だろ。派手とは無縁の」

 

「貴方だって制服着てないときはいつもカーゴパンツでしょ。人の夢を食べるカーゴパンツの歩くパックマン……! まだ着かないのッ!?」

 

 叫ぶな、全力で飛ばしてる。橋の下見に行く前に、この街については一通り調べた。ここを左、左折だ……!

 

「もうすぐだ! 派手なのが好きなら俺からアドバイスがある!」

 

 大きく車体が揺れ、再びの直線でメーターの針が80の数字を越えていく。ろくに整備もされていない道、冷や汗が滲みそうな中でアクセルをさらに踏む。もう少し……もう少し粘れ……!

 

「俺からすれば制服だけっての地味すぎるぜ、もっと腕にシルバー巻くとかさ!」

 

「雪平! 首下げて!」

 

 無茶苦茶な言葉、視界をフロントガラスから離して、頭を下げる。刹那、頭上でナイフが振るわれる音がする。どす黒い煙が、下げた視界の隅で消えた。頭を上げた視界で、俺は今度こそ唇を歪める。黒い影が、助手席で改めて女性の形をとったとき、俺は足を持ち上げ──

 

「ご到着ですよ、お客様……!」

 

 右に大きく振られる針に構わず、ブレーキを踏んでタイヤにロックがかかる。けたましい音を立て、タイヤを擦り付けながら、車体が大きく揺れる。視界がぐちゃぐちゃに揺れて、胃に入っていたものが暴れそうになったあと──インパラは止まった。

 

「……彼女は?」

 

「消えてるわ、影も形もない」

 

 やつれた声が後ろから聞こえてくる。途端に、安堵の溜め息が壮大に漏れた。インパラが止まったこの林に囲まれた場所は教会──街で怪談話とされていた焼け跡になった教会の跡地だ。

 

「あの子の言ってた言葉。言っちゃ悪いけど、初デート大成功ね?」

 

「ああ、お互い生きてるし?」

 

「それだけでもたいしたものよ。聖なる場所を通過した悪霊は消えることがある」

 

「ああ、焼け跡になってもここは神聖な土地。前はトラックに取り憑いた幽霊が相手だったが、なんとかなったな。今回も」

 

 同じく溜め息が聞こえてきて、助手席に夾竹桃が座ってくる。差し出されたジョーのナイフを受け取り、俺はもう一度深く息を吐いた。聖なる場所を通過した悪霊は消えることがある、過去に一度やってはいたがいつも通りの出たとこ勝負だったな。

 

「もし駄目だったらどうしてた?」

 

「土曜日に教える」

 

「ふーん、セカンドデートってこと?」

 

「そう、コーラでも飲みに。あとハンバーガーだな、ハンバーガーならいいだろ。ジャンクフードの王様みたいなパンケーキ」

 

 駄目だ、こんなこと言ってると、無性にコーラが飲みたくなってきた。ハンバーガーと一緒に。

 

「コーラにハンバーガー、最高にアメリカらしいわね。でもとりあえず今夜は──」

 

「ああ、カプチーノ飲みに行こう。服を着替えてから、とびっきり高そうなやつ。それとさ……」

 

 言うなら、今しかない。今しかないぞ。言えよ、言うんだよ、俺──

 

「あー、夾竹桃? ちょっといいか?」

 

「なに、改まって?」

 

 小首を傾げてくる彼女に怯みそうになるが、今ならこの空気、場の勢いも借りられる。今しかない。

 

「言いたいことがあるんだ。もっと先に言えば良かったんだがな。あれだ、決心ができなくて」

 

 いいのか、俺。言ったら退けなくなる。止まるなら今だぞ、俺。なんか相手も怯んでるし。

 

「聞いてあげるけど……」

 

「ああ、良かった。その、いや、でも……」

 

「言えば?」

 

 よし、そっちがその気なら言うよ。勢いに任せて言ってやる。言うなら、このタイミングしかない。怯んでも俺は責任は取らないぞ。

 

「それなりに円満な関係が壊れても?」

 

「勿論。最初から砂上の楼閣よ」

 

「それは言えてる。それなら言うよ。今日、一緒に幽霊を退治して、改めて気付かされたんだ。ずぶ濡れになって、お前とかしましくドライブしたよな?」

 

「そうね、ノーガードの応酬」

 

「ああ、ノーガード。彼女を成仏させた。少なくとも、これから彼女の毒牙にかかるドライバーはいなくなったわけだ」

 

「いいことね」

 

「とってもな。とってもいいことだ」

 

 こればかりは目を逸らさず、視線を合わせて言ってやる。

 

「誰かを救って、救った誰かがまた誰かを救ってくれるかもしれない。武偵もそうだよ、なんでも屋の荒っぽい仕事だが善意の輪を広げられるかもしれない。キッカケは家出だったが、俺は武偵でもハンターでも遣り甲斐のある仕事を、こう、することができてる」

 

 今では武偵って職業が嫌いじゃなくて、バスカビールって仲間にも恵まれた。ハンターって仕事も昔よりも前向きに向き合うことが出来てる。

 

「なのに、なんでレストランをやろうなんて言い出したんだ? 何をしてる?」

 

「……ん?」

 

 一瞬の静寂が過ぎる。

 

「それは──待って。レストランは辞めようって告白?」

 

「告白じゃない、謝罪だ。あれだけ言って、きっと……怒るよな? 俺から言い出して。夾竹桃、俺はこの仕事しかもう考えられない、できないんだよ。なのになんで、もしもの人生設計にしてもレストランをやろうと思ったんだ?」

 

 目を丸くしてる夾竹桃に怯みそうになるが、俺は窺うように、

 

「悪い。あんだけ騒いでたのに、言うなら今しかないと思って。ほんと、その……怒ったか?」

 

「いいえ、それなら私も──降りるわ」

 

 ……え?

 

「降りる?」

 

「私も降りる」

 

「乗り気だっただろ……!?」

 

「オープン前からこれなのよ。経営になったらどうなるか、ストレスで死ぬわ」

 

 苦い顔で首が横に振られた。頭のギアをフルに使って情報を整理する。思っていたのと全然違う展開で頭がイマイチ追い付かないが……

 

「じゃあ、怒ってない?」

 

「貴方が言わなきゃ、私が言ってた。レストラン経営で胃をやられよりマシ」

 

「マジか? それ本気?」

 

「切り出してくれて感謝してるわ。話が広がって手遅れになる前にね……」

 

 よっし、助かった……! 助かったぞ! 砂上の楼閣が持ち堪えた!

 

「そこ、動かないで」

 

 そう言うとドアを開き、近くの自販機で缶コーラを二つ買って戻ってくる。

 

「乾杯しましょう。この短くも、美しく、夢を語り合った日々に」

 

「ああ、冷蔵庫にある牛乳の消費期限より短くて──」

 

「一時の夢だった」

 

 この炭酸の泡みたいに。一思いにプルタブを捻る。

 

「貴方が見せてくれたレストラン経営の夢に」

 

「ああ、それと──この勇気ある撤退に」

 

「二人の英断に」

 

 苦い顔で、俺たちは缶をぶつけた。 

 

「乾杯」

 

「乾杯」

 

 

 

 

 

 

 




オルフェゴールを混ぜたら負けだと思います。どうかギミパペに新規をください、お願いします。うららに妨害されないトレード・インをください、お願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。