哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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遠山少年の実家帰り―File.5

「でも驚いたよ。ウィンチェスターは感謝祭なんて行事、無縁だと思ってた。せいぜいレトルトで済ませるものかと」

 

「レトルトのターキー? そんなのありえないだろ。みんなで美味いターキーを囲んでこその感謝祭。笑いに料理に友達、今年は感謝祭の三種の神器が揃ってた。つまり、大成功だ」

 

「神に敵対したり、時には感謝したり、キミも忙しい男だね」

 

 とキンジがいなくなって以降、必要以上に広々としている部屋に遊びに来てくれたのは、今ではすっかり師団に味方してくれているワトソンくんちゃん。ちゃっかり二つ名も持ってる手練れの武偵だ。律儀にも持ってきてくれた高そうなクッキーは、ソファーで一緒に摘まんでいる。

 

「けど、あのターキーは絶品だったよ。キミが焼いたのかい?」

 

「他愛もない取り柄だよ。感謝祭、キンジが出ていく前だったからな。時期的にもぴったりだったし、俺も楽しかった。やれて良かったよ」

 

「ボクも同感。誘われたときはびっくりしたけどね?」

 

 11月末日にキンジが武偵高を去る少し前のこと。発端はフライドチキンが食べたいという理子の一言だったが、たまたま11月の下旬だったこともあり、俺にとっては本土を飛び出して以来の感謝祭をやることにした。ハロウィンとクリスマスの間に挟まれている本土では1年の1度のメインイベントだ。後にはブラックフライデーという聖戦を控える束の間の休息でもある。

 

 家族や友人とターキーを囲む、簡単に言えばそんな催し。大きな七面鳥をお腹いっぱいに詰め込む日、それと感謝祭のとおり『神』に感謝する日として伝えられている。キンジから部屋を空けることを聞かされて、即興で考え付いたことだったがバスカビールのみんなも招いて、あの日は忘れられない一日になった。来年はきっと、神崎はイギリスに帰ってるだろうからな……

 

「トオヤマの調子はどうだい? 連絡くらいあるだろ?」

 

「アドレナリン出まくりで、命の危機にさらされる仕事からやっと解放された気分だってさ。それにしては諸手を挙げて喜んでる感じでも無さそうだけど」

 

 お高そうなクッキーを咀嚼しつつ、かぶりを振る。

 

「キミはどうなんだ?」

 

 一転、話の舵が切り替えられる。案の定、その綺麗な双眼と視線がぶつかった。

 

「俺?」

 

「ああ、ごめんよ。別に深い意味はないんだ。でもキミとゆっくり話す時間も必要だと思ってね」

 

「まあ、それは俺も思ってた。一緒に肩を並べる以上は話しておかないといけないことは少なからずある。特に、お前は博識な感じがするし」

 

 今ではワトソンも師団の仲間。それにUKの連中たちとも接点があったと聞いてる。遅かれ早かれ、こういう機会は必要だった。むしろ、ワトソンから来てくれたのはありがたい。カーテンの開かれた窓の向こう、やや夕暮れに染まりつつある空に視線を変え、俺は会話の口火を切る。

 

「お前のお家騒動の話や生い立ちのことは聞いてる。ここを留守にしてた間、正確にはルシファーと手を組んでるときに聞かされた」

 

 いつか話すと決めていた。後悔はない、いつかは──彼女に見抜かれてた。悪魔の親玉の名を出すと、ワトソンは呆れ半分、納得半分と言いたげな顔で、

 

「……そっか」

 

「悪かったな。お前には言わずに黙ってることもできた。けど、きっとお前はいつか見抜く。だから、見抜かれる前に白状しようって」

 

「相手の弱点を探るのも武偵の本質だよ。謝ることはない、ボクもキミのことはUKの賢人たちから色々と聞かされてるからね。お互い様さ、ユキヒラ。ボクたちはお互い、知られたくないことを知らされてる。別にアンフェアじゃないよ」

 

 口外させてはならない秘密のはずだが、ワトソンは冷たいくらい冷静だった。正直、その冷静さに少し救われたよ。

 

「それは言えてる。これは聖書にも書いてないんだが、実は魔王って大のお喋り好きなんだ」

 

「それは初耳だね。キミらしい雑学かな」

 

 小さく笑ったワトソンは──家庭の事情から男であるように教育された女性。俺と同じ。家庭の事情で、敷かれたレールを走らされた。

 

「連中はどんな話を?」

 

「色々なことを聞かされたよ。だからかな、知られちゃいけないことをキミに知られてるのに冷静でいられるのは」

 

「そうか、だったら頼みがある。この機会に教えてくれ、どこまで知ってるのか。俺もお前の一番大切なところを知っちまってる。それって、やっぱりアンフェアじゃないだろ?」

 

 理屈っぽく横目を向ける。

 

「さっきも言ったけど、色々なことを聞かされたよ。白兵戦の実力や銃の腕も聞いた。キミが本当はガブリエルの『剣』だってことも」

 

 切っても切れない縁で結ばれた、そんな天使の名前に俺は半眼で窓の外を睨んだ。二度、あのトリックスターには命を救われた。だが、俺は一度も彼の力にはなってやれなかった。あの掃き溜めみたいな終末の世界で、今際の際ですら。

 

「……最後までガブはロキの姿を隠れ蓑にしたままだった。俺の顔は気に入らなかったんだろ。でも最後まで俺のことを気にかけてくれた、最初から最後までな。皮肉は抜きで感謝しかない」

 

 でもなるほどな、ジャンヌと同じくらいには俺の家庭に詳しいわけか。ガブリエルーー神でもなく、天使でも悪魔でもなく、人間の為に最後まで戦ってくれた唯一の大天使。俺と同じく家出がライフワークだった、俺の『友達』だ。

 

「会いたいのかい?」

 

「まあ、話したいことは沢山。でも天使が行き着く先は『虚無』の世界だ。行けるのは死んだ天使と悪魔だけ。こればかりは人間の俺にはどうにもならねえよ」

 

 仮にまたもう一度、ガブが力を貸してくれるならそれほど心強いこともない。だが、それは無い物ねだり。デッキにないカードを求めるようなものだ。俺たちはいつでも手札にあるカードで戦うしかない。

 

「天国も見た、地獄にも落とされた。煉国にも飛ばされたし、今回のことで異世界にも行った。でも虚無の世界はそのどれよりも広くて、特別って話だ。お見舞いには行けそうにない。怨みを買ってる連中も一緒にいるだろうし」

 

「両手の指じゃ足りないだろうね。ボクのも貸そうか?」

 

「ありがとう。でも皮肉は俺の担当だ」

 

 ユーモアのセンスは認めるが、その役回りを奪われるのはちょっとだけ淋しい。

 

「だが、剣と言えば救いだったことがある。異世界のミカエルのこと」

 

「キミが置き去りにしてきたっていう例の?」

 

「そう、あの邪悪の権化。あいつの器は確かにくたびれてこそいなかったが、どう見てもヤツの本来の器ーー『ミカエルの剣』じゃなかった。あのファザコン大天使が全力を出せなかったのが一番の救い」

 

 ゾッとしそう背筋を宥めるようにクッキーを口へ放り込む。ミカエルの剣、剣とはあるがそれは比喩。ミカエルが全力で自分の力を振るう為の武器ーーつまり、彼の為に正式に用意された本来の器を示す言葉。強大な彼の力に耐えられる器は限られる、曰くミカエルの器に必要なのはーーカインの血。

 

 そこを行けば、確かに俺もアダムも彼の器としての役目は果たせる。どれだけ酷使しようと、体がくたびれて自壊することはないだろう。が、それは及第点でしかない。俺やアダムと、本来のミカエルの剣たるディーンを器にするのとでは根本的な力の差が生まれてしまう。どうやっても埋められない差だ。

 

「もう過ぎた話を掘り起こすのもだが。あの化物がミカエルの剣を……本来の器を手に入れていたらと思うとゾッとするよ。まあ、もう会うこともない今だからできる話だけどな?」

 

「いつも全力を出せるとは限らない、そういうことだね」

 

「そういうこと。ミカエルが本当にディーンみたいな器を手に入れてたら、とても手には負えなかった。そこは本当にラッキーだったよ」

 

 正真正銘、ミカエルは天界の最終兵器だ。しかもルシファー曰く、あっちのミカエルはこっちの世界のよりも強力らしい。しかし、性格はこっちのミカエルよりも邪悪でグレてるときた。それが全力でやってくるとなると、考えるだけでも悪夢だ。嫌なことしか浮かばない。

 

 一蹴できるのは生みの親たる出来損ないの神やその近親のアマラ、あるいは虚無みたいな銀河系プレイヤーに限る。他にいるとすれば、全力のネフィリムや死の騎士(デス)くらいの存在なら、あるいは良い勝負ができるかも。出来ればどれも見たくない対戦カードだが。

 

「綱渡りをやるのが日常?」

 

「大丈夫だ、別にナーバスにはなってない。誰にでも試練はあるよ、ワトソンくんちゃん」

 

「うん、それはそうだけど。その呼び方はなんとかならないかい……?」

 

「俺は気に入ってんだけどな。努力しよう」

 

 頬杖を突き、やや間を置いてから。

 

「ところでワトソンくんちゃん」

 

「キミ、頭に風穴でも空いてるの?」

 

「冗談だ。お前もイ・ウーにいたんだろ。それを踏まえて、眷属のことを聞いておこうと思って」

 

「油断ならない連中だよ。特にドイツの魔女連隊はーーキミに私怨があるみたいだ」

 

「……トゥーレ協会の連中のお友達か。ヤル気満々だったか?」

 

「言ったとおりだよ。キミたちに私怨がある」

 

 私怨、私怨かぁ。淡々と事実を並べてくれるワトソンくんちゃんに、俺は深呼吸してから、顔を伏せて、最終的に両手で頭を抱えた。

 

「ゆ、ユキヒラ……?」

 

 ちくしょうめ。ああ、やばい……やばいぞ。ドイツはまずい。まずいぞ。まずすぎる。ああ、まずいって……やっぱりあれはまずかったんだよ。仕方ないことだがまずかったんだよ。まずかったんだよ、ディーン……!

 

 連中がどこまで知ってるか定かじゃないが、仮に知られていたらーーゾッとする話だ。それこそ極刑どころの話じゃない。連中の士気も十中八九跳ね上がる。願わくばあの事実は闇に葬られていますように、つか伝わってませんようにーーとりあえず、魔女連隊との戦いになったら、それは他の連中に任せよう。

 

「……キミは後ろ足で砂をかけるのが得意みたいだけど、今回は何をやったんだい?」

 

「ちょいと喧嘩してんだよ、トゥーレ協会とは昔から。ああ、違った。デカいちょいとだ」

 

 駄目だ、考えてると頭が痛くなってくる。コーラでも飲んで、現実から逃げよう。

 

「協会と連隊が仲違いしてることを祈るよ。場合によってはバチカン以上に怨まれてる可能性がある」

 

「一体何やったの……?」

 

 苦い顔で横目を向けるワトソンを同じく苦笑いで制する。

 

「連中のテリトリーは欧州だったな。だったらおとなしく他のみんなに任せる。頼んだぞ?」

 

「分かった。詮索するのは辞めるよ。ボクの頭の中でアラートが鳴った」

 

「恩に着る。ここには山ほど、話せない秘密が閉まってあるんだ。消防法違反なくらいに」

 

 自虐的に自分の頭を指で差す。正解だよ、俺の頭を叩いてもロクな答えは出てこない。

 

「でもこのクッキー、評判通りだね。バカうまっ」

 

「……」

 

「イギリス人だって『バカうまっ』くらいは言うよ? 気取った喋り方しかできないと思った?」

 

 驚きで固まっていた体を叩き起こし、俺は首を横に揺らす。

 

「まさか。そんな風に思えるほど、英国のことはよく知らない。でもお前とはーー思ってたより仲良くやれそうってのは分かった。ほんと、良かったよ」

 

 やや温くなっていた瓶入りコーラの残りを喉に流し込む。追加持ってくるか。

 

「ねえ、ユキヒラ」

 

「ん?」

 

 立とうとした矢先、声がかかる。

 

「本当にーーキミはアラステアの?」

 

 ーー……その名前を出された途端、冷蔵庫に向けようとした足が止まった。我ながら、だらしのない……事実を述べればいいだけだと言うのに。閉じた口が鉛のように重たく感じた。本当にだらしのない、知られたくない秘密を打ち明けられたのはワトソンも同じだと言うのに。ここで答えないのはそれこそアンフェアだ。

 

「受け取ったよ。あいつの差し出した手を受け取った。気の遠くなるような時間の中で、あいつから教えを受けた。だから、入学早々に尋問科でAランクにもなれた。別に才能とか努力とか、そんな綺麗なものを持ってたわけじゃない」

 

 俺の先生は綴先生だけ。そう思ってるし、そう在りたいと思ってる。けど、違うんだ。皮肉にもAのランクを取れたのはーーあの透明の眼を持った悪魔のお陰。リリスのペットに喰われ、地獄で過ごした悪夢のような時間のお蔭。

 

「人は歳をとると変わる。本当のことを言いたくなるものなんだ、嘘をついても大抵のことは解決しないから」

 

 塗り潰せない過去と向き合うつもりで、俺はワトソンに振り返り、視線を結ぶ。

 

「今の俺の技術を与えたのはアラステア。リリスと同じ透明の眼をした悪魔でーー尋問と拷問のエキスパート」

 

 ーー猟犬に喰い殺された俺を、ディーン共々遊んでくれた最低で最悪の怨敵。

 

 

 

 

 

「吸血鬼って招かれないと、自分から中には入れないんじゃなかったか?」

 

 太陽が沈んで、夜の帳が降りた時間。当たり前のようにベランダから侵入してきたその吸血鬼は大げさに肩を竦める。

 

「お笑いね、ウィンチェスターの人間がそんな伝承を本気で信じてるの?」

 

「そういう吸血鬼も探したらいるのかも」

 

 昼はワトソン、夜はヒルダ。今日は珍しい来客が続く日だ。見上げる夜空には、少し欠けた月が浮かんでいる。ベランダからこちらが何か言うよりも、我が物顔でヒルダは部屋へと上がり込んできた。とりあえず、我が家が土足禁止であることだけはブロンド吸血鬼に伝えておく。

 

「こんな時間に何の用だ? 残念だが冷蔵庫を漁ってもお前好みのワインも肉も出てこないぞ?」

 

「でしょうね。最初から期待はしていないわ。話があってきたのよ」

 

 という言葉に、少し目を見張る。ワトソンと似たような口振りだな。

 

「意外だ。あんまりお喋りが好きなタイプには見えなかったが」

 

「お前の勝手なイメージを押し付けるのはよしなさい。まあ、つまらない話なら時間の無駄ではあるけど」

 

 と、我が物顔で次はソファーが侵略される。相変わらずの吸血鬼に俺も一度肩を竦めた。我が家のソファーは吸血鬼にも人気らしい。実は暇だから遊びに来たってオチじゃないよな……?

 

「ねえ、雪平。頭の良い人間は常に礼節を持って接する、なぜだか分かる?」

 

「目の前にあるのが敵の顔かもしれないから」

 

 出鱈目に返してやるが、思いの外満足の答えだったらしい。真っ赤なルージュに塗られた唇が緩やかな弧を描いた。

 

「安心なさいな。少なくともこの戦役が終わるまで事を構えるつもりはないの。一度取り交わした契約を安易に破るような醜い蛮行、私の趣味じゃないわ」

 

 赤い瞳を伏せ、「何度も言わせないで」とヒルダは付け加える。

 

「竜悴公姫は契約や規則を重んじるのか?」

 

「ええ。それが安っぽいプライドだとしても、それは私の核を成すものよ。利口ぶって、なんでもないように手放して良いものではないの」

 

 静かな眼差しで、しかし確かに俺の言葉は肯定される。

 

「と、この私が教えを説いてあげたところで、自然界の規則を破って、()()()()()()()を繰り返しているお前には無用の長物ね」

 

「……ったく。大人は敬うもんなんだぞ、でないと良い大人に慣れない」

 

 侵略されていない別のソファーで足を組み、負けじと反論してやる。夜中に吸血鬼と一対一、しかも自分の部屋で雑談してる。鉈も死人の血もなしで。ったく、どんな状況だよ。自虐的な気分で携帯を開くと、受信メールの通知が一件新しく入っていた。電話帳に登録されている差出人の名前を見て、口角が無意識に吊り上がっていく。

 

「キンジの野郎、やっとバットシグナル出してきやがったな。夜中にファミレス、はい喜んで」

 

 打ち鳴らすようにして、携帯電話を二つに折り畳んだ次の瞬間、怪訝な顔でこっちを見ていたヒルダと視線が重なる。

 

「おやつがいる? それとも自分から話す?」

 

「誰の入れ知恵か知らないがウケた。後者だ、自分から話す。キンジからメールが届いた。淋しいから一緒にファミレス行こうだってさ」

 

 結ばれていた赤い瞳が、ゆっくりと細められていく。

 

「いや、淋しいとは書いてなかったな。ファミレスの誘いだけ」

 

 ……なんで俺が尋問されてるんだよ。まあ、キンジからの久々の連絡だ。悩むまでもない。

 

「そう」

 

「ああ。それで提案があるんだが冷蔵庫にステーキはないが、近頃のファミレスではステーキが頼める」

 

 ヒルダはふいうちを食らったような顔で、

 

「一応聞いてあげるけど、それはディーナのお誘いかしら?」

 

「案外美味いらしいぞ。それに」

 

「それに?」

 

「ソフトクリームバーがある、食べ放題だ。行くしかないだろ。さようならサラダバー、こんにちわソフトクリームバー」 

 

 そう言うと、ヒルダは彼女らしからぬ大きな溜め息を溢した。別に高くもなかった評価がもう1ランク下がった気もするが、それについては考えないことにする。

 

「……はぁ。こんな男にお父様は苦渋を飲まされたのね」

 

「そう肩を落とすなって。星枷を呼んでやるよ」

 

「一応聞いてあげるわ。その人選はどうして?」

 

「火は悩みを灰にしてくれる」

 

「頭おかしいんじゃないの、お前……」

 

 これ以上は本気でヒルダとの信頼関係が転覆しそうなので、俺はわざとらしい咳払いと一緒に頭を切り替える。

 

「冗談はここまでにして。無理には誘わないがお前もキンジの様子は興味あるんじゃないか?」

 

「それは一理あるわね。やっとマトモな言葉がお前から聞けたわ」

 

「俺だって昔は真面目で堅物だった。ほら、誰かに会って、ハッと何かに目覚めるってことあるだろ?」

 

「自己啓発セミナーのこと?」

 

「遠からず、でも近からずだ」

 

 いや、やっぱり遠いかも。財布、財布っと。

 

「人間、感情を抑えつけて吐き出さないとロクなことにならない。大抵の人間はそれが耐えられなくて、いつか痛みが吹き出してくる」

 

「そう。こんなに夜も早い時間に、遠山の愚痴を聞きに行くだなんて、お前も暇ね」

 

「お前は暇じゃないのか?」

 

「ええ。でもお前の珍道中は興味があるから。私も一緒に行くわ。眷属の行動は、運の不均衡の誘因となる」

 

「そのクリンゴン語を簡単に言うと?」

 

「愚鈍ね。お前と遠山に不幸の1つでも押し付けてあげるーーそういうことよ」 

 

 ああ、そういうことか。ようするに良いことがあれば、次には悪いことがやってきて、運気が天秤の秤を保とうとするってことだな。

 

「俺もキンジも不運には慣れてるから、1つや2つ増えたところでどうってことねえよ」

 

「そうね。遠山の持ち運は最悪、逆に理子は持ち運が大きいわ」

 

「不思議なもんだがそれは納得だな。ちなみに俺ってどうなんだ? 俺の持ち運もキンジみたいに劣悪?」

 

 聞き慣れてはいない言葉だが、ヒルダにはその持ち運とやらが見えるみたいで、おみくじでも引くような軽い気持ちで俺も聞き返した。 

 

 これまでの非日常が果たして劣悪な持ち運が原因なのか、それともその非日常にいながらまだ五体満足でいられるのは大きな持ち運のお陰か。どっちにしてもこの年で僻むつもりはなかった。

 

「……分からないわ」

 

「分からない?」

 

 だが、怪訝な顔で首を横に振ったヒルダの言葉は、そのどちらでもなかった。

 

「お前の持ち運は私には読めない。ウソはつきたくないし、ホントのことを言うと不気味で仕方ないけど」

 

 今度は嫌がらせでもなく、ヒルダは真っ直ぐに俺を見る。

 

「ーーお前の持ち運は歪められてるわ。本来、お前が持っている運勢を()()が歪めて、良い方向に吊り上げてる」 

 

 真っ直ぐに、しかし不気味なものでも見ているような表情でヒルダは続けた。

 

「さっきの私の言葉は語弊を招くわね。お前の持ち運は恐らくーー理子にはとても敵わない。それを()()、あるいは()()が歪めて、大きなものに変えてる」

 

「どこかの誰かが、モブでしかなかった俺に無理矢理補正を与えて、メインキャラにしたと?」

 

「その例えは抜きにして、心当たりがある顔ね」

 

「さあな」

 

「これだけは言っておくわ。気をつけなさい、それが誰かの意図的なものであるなら逆もまた有り得ることよ。今のお前は自分の運を歪められてはいるけど、恩恵を受けている状態。何かが契機になってその恩恵を失えばーーこれまでと同じにとは行かない」

 

 旧敵、吸血鬼とハンター、そんなしがらみは抜きにヒルダはただ事実を述べるような声色で告げてくる。つまりーー俺の運勢を弄ってくれた()()()に後ろ足で砂をかけたとき、俺の運はフリーフォールみたいに真っ逆さまってことか。人の運をねじ曲げるーーまるで神様みたいだな。

 

「忘れないようにしとく。運気を上げるパワースポット、今からでも探しとくかな。童実野町とかどうだろ」

 

「それならアラスカを探すことね」

 

「アラスカ?」

 

「お父様が昔にしてくださった話よ。アラスカのどこかに、運気を上げることのできる場所があると」

 

「初耳だな。しかもアラスカかよ、本土じゃねえか」

 

「お父様も眉唾の話と前置きしたほどよ。詳しいことは私も分からないわ。でもお前の歪められていた運が戻って、どうしようもなくなったときはアラスカの大地を探してみたら? 私もずっと興味がある話なの、まだ生きていたときは話を聞かせて頂戴な」

 

 そんな昔話を聞かせてくれたヒルダはソファーから立ち上がり、お決まりの傘を自分の足下にある影の中から引き抜いてーー

 

「行くわよ、雪平。そのソフトクリームバーの店とやらで遠山と落ち合うのでしょう?」

 

「車を回してくる」

 

「BGMは交代で決めましょう」

 

「一番好きな言葉だ」

 

「二人だけの車内でお前の軽口を永遠と聞かされるのは拷問だもの」

 

「好きな言葉じゃないが少なくとも会話だ」

 

 テーブルの上からインパラの鍵を拾い上げる。

 

「車内で二人ってなると、相手次第ですっごく空気が重たく感じることあるよな。けど、もし気まずくなっても逃げ場はないんだ。走ってる車から飛び降りるわけにもいかないしーー」

 

 数秒思案したあとに俺は折り畳んだ携帯電話を手に取り、

 

「ジャンヌでも呼ぶか?」

 

「それ一番好きな言葉よ」

 

 

 

 

 




前後に別れたシーズン15も最終話まで見終わりました。予告どおりに懐かしい面々も色んな形で登場してくれたので最終シーズンらしい後味も感じれたかなと作者は満足です。作者は現地での最終回放送直後のsnsの感想なども追ってましたが、息の長い作品であればあるほど『最後を考える』のは難しいに尽きますね。

作者は最後のシーズンも楽しませてもらいました。色々総括しても、製作陣とスタッフさん、お疲れさまとありがとうございました。



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