いざ、フランスへ
「ワトソン、これ今まで食ったもののなかで一番美味い。もうやばいレベル。いったいなに?」
「パンフォルテ、1日1000個売れてるって。本当かどうか知らないけど」
二学期が終わり、実質的には今年最後とも呼べる依頼をこなした俺は、インパラのボンネットに置かれたケースの中身──正確にはワトソンがチョイスした洋菓子に素直な称賛の言葉を送る。
「ほんと美味すぎ、感動もの。なに、ドライフルーツとナッツと、さらにドライフルーツ? 最期の晩餐はカンザスのバーガーって思ってたけど辞めた、絶対これ。デザートも前菜も要らない、これ一箱でいい」
「なら良かった。でも最後の晩餐って、日本に骨を埋めるつもりかい?」
「むしろ骨が残ってたらラッキー。けど本当に美味い。素直に認める、俺の負けだ。どうぞ今度のランチはお前が決めてくれ」
「……キミは妙なところで律儀だね。そこまで言うならボクが決めるけど」
「それにしても美味い。今までジャンクな食べ物が究極にして至高のメニューと思ってたけど、これは別。こんなの誰も文句言えない」
ドライブスルーでセットを頼んで、車のなかでお気に入りの曲を流しながらハンバーガーとコーラを好きなペースで食べる。これが最高の贅沢と思ってたけど、この洋菓子の台頭で立場が揺らぎそう。ドライフルーツなんて持ち運び、保存に便利な携帯食としか見てなかったけどこんなに美味いのか。
「しかし、砂の窃盗って……あんなに儲かるもんなのか?」
「儲かるよ。意外かもしれないけど、砂の闇採掘は世界の一大産業になってる。ビーチへの補充もあるし、一番はコンクリート用だね」
「悪いビジネスも次から次に仕事の幅が広がっていくな。夜中に工事現場から工具や鉄板を盗むなら分かるが、砂を盗んで売り捌く時代か。何でも仕事になる時代、良い意味でも悪い意味でも」
しかし、砂を盗むなんてのは意外も意外。窃盗は窃盗だが、こんなケースに遭遇するのは今回が初めてだ。
「そういや、ハワイで宝石や金品には一切手をつけず、庭にあったコアの木だけが盗まれたって事件があったな。かなり立派なサイズの」
「コアの木は高級木材だからね。数が減っていて伐採が制限されてるから余計に値段が上がるんだよ。物によっては100万ドル相当になる場合もある、コアの木が『ハワイの黄金』って呼ばれるのも別に誇張じゃない」
本土やハワイ……というより、あらゆる国に対してある程度の知識や備えを持っていそうなワトソンは、実は理子やジャンヌと同じでイ・ウーの出身。例によって敵に回したいとは思えないレベルの凶悪な手練れ。ボーイッシュな雰囲気と男としての動作や振るまいが徹底されているが、紛れもない英国育ちの『女』だ。
「遠山の二つ名、ユキヒラはもう聞いたかい?」
「
一部の優秀な能力を持った武偵には国際武偵連盟が二つ名をくれる場合がある。身近なところでは欧州の有名人たる神崎が
そんな高天原先生も、今でこそ武偵高の安全地帯と呼ばれる探偵科の講師で知られているが、昔は多くの戦場を渡り歩いたかなりの凄腕だったとか。先生や蘭豹先生のような一目で分かるような危ない気配を完全に殺しているのが……むしろ高天原先生の危険さを語っているような気がする。
綴先生は開き直って隠そうともしてないが体に染み付いた危険な臭いを誤魔化すってのは……俺にはむしろそれができる高天原先生がちょっと恐ろしく思えるよ。教務科きっての安全な人だが、曲がりなりにも魔物の巣窟たる武偵高の教師陣の一角と言うことか。そんなことを考えながら、インパラを停めた駐車場に向かっていると制服のポケットから携帯が鳴った。
「……Winter,again」
キンジのアドバイスで特定の相手からの着信には専用の着信音を設定した俺は、画面を開かなくても冬の名曲を聞いただけで着信相手の名前が分かる。それでも結局は画面は開くわけだが。
「カウンセリングの相手?」
「世紀の大発明って何か知ってるか」
「車と携帯電話?」
ハズレ。どちらも今の時代には大変な利便性を持っているが今回はハズレだ。良いところを狙ってきたが俺はかぶりを振る。
「惜しい、正解は拒否ボタン──これを発明した奴はきっと人間関係に苦労してたんだな、俺と同じで」
「カウンセリングは順調だと思ってたけど?」
「そう、でも今は冬が近い。冬コミ、サブカルチャーのビッグイベント目前だ。あいつにとっちゃライフワーク。ってなるとそう単純にはいかないんだな、ピリピリしてる。減量中のボクサーみたいに」
着信を拒否し、俺は携帯の画面を閉じた。司法取引してまで参加の権利をもぎ取ろうとする熱量だからな。サブカルチャーのことになると、誰かさんは水を得た魚のように一気にアグレッシブになる。
「しかし、彼女とはツーカーの部分がある。お互い電話は出ない、用件は留守電に、伝言を聞いたら答えは留守電に。知り合いの前で喧嘩なし」
「それで円満?」
「そう。年に数回のイベントなんだし、あいつが楽しめればと俺も思うんだよ」
「だから、留守電経由で連絡?」
「リアルタイムで話すより平和的だ。一方的に自分が話し続けられるからな」
「それは納得。悔しいけど」
インパラのエンジンをかけ、カセットテープだらけのダンボールボックスから1つ抜く。テープが回りだすと同時にハンドルを回して、白線を出ると──
「……タイタニック?」
「次男の趣味、本土からの帰りに借りてきた。世界の歌姫」
「君の持ち曲ってオチなら驚かないよ」
「俺にあんな『hiD』は出せねえよ。行くぞ、ワトソンくんちゃん。出港だ」
車を出すと、優雅なBGMとは反対にワトソンが切り出してくるのは殺伐とした話。避けては通れない戦役の話にハンドルを握ったままで俺は返事を返す。
「じゃあ、カツェたちが悟空が負けた途端、連戦に近いタイミングで今回仕掛けてきたのは……ようするに筒抜けだったってことか? 師団の、情報が?」
「内通者がいる、その可能性は否めないってトオヤマにも話をしたところだよ。正面突破が困難なら搦め手、戦役のリピーターは何も玉藻やバチカンに限った話じゃないからね」
「経験者はあっちにもか。しかし、キンジや神崎は仲間を疑うことは嫌いそうなタイプだ。俺も白状するとあんまり好きじゃない。だが──内輪揉めや内部から起こされたトラブルが引き金で、戦線がガタガタになっちまうことはよく知ってる」
身内は疑いたくないが、ワトソンのように色んな可能性を考えることが一概に悪いとも言い切れない。ロカのように運を左右する魔術を使ったって可能性はあるが仮に内通者がいるとすれば無視できない事態だ。身内の反逆、裏切り、すれ違いほど強力なカードはない。
「いつも最悪な状況を想定しちまうのは俺も同じだ。もし内輪揉めのタイミングで別の刺客が流れ込んで来たら目も当てられない。特に、宣戦会議に来てたって斧を持った『覇美』って女。恐らくは獣人だろうが『親父の手帳』やちょっと調べようとしたくらいだと手掛かりなし。案外、悟空レベルのダークホースかも知れねえぞ?」
「あくまで可能性、けどこれは無視できない可能性なんだ。戦線がガタガタになるって表現は当たってるよ、形勢が傾いてそのまま全滅だって有り得る。キミも仲間を疑うのは嫌いなタイプなんだろうけど、キミは愚痴を言いながらも仕事をこなし、嫌な現実を見てくれる男だからね。勝手に文句を言わせておけば、仕事はしてくれる」
「ありがとう、まあまあの評価と受けとるよ。この話をしてくれるってことは、少なくともお前の中では俺は『白』ってことか?」
「内通者と考えても、彼女たちがキミと手を結ぶとは考えにくいからね。キミとパトラやカツェが険悪な関係にあるのは見るに明らかだ。戦術的には正しいとしても、キミが内通者として採用されるのはない。キミが自分から師団を裏切って貶めようとするなら話は別だけど」
それも可能性は薄いーー遠回しにそう言ってくれる声色だ。事実、俺は裏切ってないし、師団が敗戦するメリットなんてのは何もない。何よりドイツ勢に負けたときのことを考えると、末恐ろしいなんてものじゃない。パトラ以上にあっちとは私怨まみれだからな。
「この話をした理由はもう1つ。欧州の戦況はあまり好ましくない。二人の義勇兵の参戦で、膠着していた均衡は完全に破られたって話だよ。まだ謎が多いけど、白雪やジャンヌみたいな超能力者には女、アリアやトオヤマみたいな純粋な兵士には男が。通常戦と魔術戦を互いにカバーしてるから、手がつけられないらしい」
人外には俺、人間相手には神崎とキンジ。アドシアードでジャンヌを相手に神崎が浮かべていた役割分担とおおよそは一緒だ。お互いに、戦術的有利が取れる相手に狙ってぶつかる。しかし、均衡を破るとなると相当の手練れだな。
「一体、どこにそんな凄腕が潜んでたんだ。バチカンが思わぬ蜂の巣を突いたか?」
「どうかな。キミが言うとおり、情報が少なすぎることは確かに不気味だね。もしかするとーーボクたちの知らない未知の場所からやってきたりして」
「案外、それが当たってるかもな。一難去ってまた一難か。まあいつものことだな」
目の前の問題を、一個ずつ片付ける。気分を切り替えるようにアクセルを踏み込み、年末の道路にインパラを走らせた。欧州、そこに関わっているドイツ連中とは出来ることなら関わりたくないのが本音だ。しかし、普段は裏切られるのが関の山の俺の望みが、今回は思わぬ形で成熟することになる。
キンジのバスカビール離脱と、ジャンヌ率いるチーム・コンステラシオンへの移籍。そして、二人の補修という名の、フランス旅行によって。
そして──無事に迎えた新年の1月5日。修学旅行の単位を落としたジャンヌのチームと監査役としてキンジがヨーロッパに旅立つ日だ。体調を崩した鑑識科のメンバーの代理として、成り行きだがワトソンもフランスに飛ぶことになったとメールがあった。ヨーロッパには強そうだしな。これは思わぬ増援かもしれない。
そんな三人を見送るために、俺は神崎と今日は珍しく彼女の愛車で空港に向かっているわけなのだが……
「……ショックアブソーバー、いつ変えた?」
「忘れたわ」
頭痛がしそうな車内の揺れに、俺はたまらず聞き返す。
「はっきり言ってサスペション、ガタが来てるんじゃない?」
「いえ、絶好調よ」
隙を生じぬ二段構えと、再度車内が揺れる。
「感じない? さっきの揺れ、ガクガク来て吐くかと」
「いえ、何も感じなかったわね。錯覚じゃないの?」
「そうか。まあ、要求が低いのかな。人の車だからね。本人が良ければいいんです。車がひっくり返らなければ」
いや、やっぱり無理……!
「振動、振動がある。これ感じない?」
「ねえ、いつもやってるわけ? カウンセリングに行く前はいつもチクチクやりあってるの?」
「違う、やってない。そりゃ口論はするけどチクチクなんて。それに最近はカウンセリングはお休み、先生の機嫌がよろしくないんだ。ダイエットの最中なのにドーナツを差し入れたやつがいるから」
「尋問科も賑やかねえ。話題を変えても?」
「ああ、どうぞ」
快適とは言えない車内だが、むしろ会話があった方が落ち着きそうだ。ショックアブソーバーの寿命はきちんとチェック、クレアにも教えてやろう。
「あんた、かなめとの仲は? 戦妹に引き受けたんでしょ?」
「優秀だよ。元々の身体能力の高さに加えて、あのオーバーテクノロジーの装備。性格も兵士向きでその気になれば冷たいくらい冷静になれる」
「ふーん、随分と高評価ね?」
「刀だけに限れば、技術は俺より遥かに上。立ち回りも米軍らしく堅実的。素直に認めるよ、かなめは優秀だ」
信号で止まると、緋色の瞳が意外そうに形を変えている。
「意外だったか?」
「あんたとあの子の当初の関係から考えるとね。きっと、あんたは妹を溺愛するタイプだわ」
「……それ、知り合いの保安官にも同じこと言われた」
「やっぱりねえ」
クレアを溺愛してるつもりはないんだがどうにも二人の保安官や彼女の友人の看護師には過保護と言われてしまう。彼女とは色々と複雑な縁で結ばれているのは確かだが……神崎にまで言われるとそうなのかな。
「実を言うと、ちょっと妹っていいなぁとか思ってる。これオフレコで」
「理子が喜びそうな話だけど、黙っておいてあげるわ。オフレコね」
「ありがとう。まあ、妹云々は抜きにしてもかなめとは上手くやれてる。ファーストコンタクトの酷さは過去最高だが、今は近すぎず遠すぎずの適度な距離だよ」
「そうね、話は戻るけどかなめは優秀よ。あかりの
……ん?
「おい、神崎。間宮の一歩手前って、それは贔屓が過ぎるぜ。仮にも米軍の教育を受けて、それなりに嫌な現実も乗り越えてきたかなめが間宮に負けるってのは納得がいかない」
「あら、あんたは知らないだけであの子かなり成長してるわ。いつかはSランクも狙えるかも」
「成長が目覚ましいのは分かるが、それならかなめは既にSランク一歩手前だ。対超能力者戦も九九藻と俺で抑えてあるし、一年の中では間違いなく頭1つ抜けてる」
「あかりは徒手格闘だけでもそれなりにやれるわよ。キンジじゃ敵わないかも。名古女のゴタゴタもあの子が取り抑えたんだから」
「かなめも刀が本職ってだけで、素手でもそれなりに強い。元SEALsやグリーンベレーのいる組織でリーダー不在時にはその代理を任されるレベルなんだからな」
話の筋が予期しない方向に逸れ、ガタガタに揺れる車内で俺は溜め息をついた。
「悪い、神崎。話題変えよう。風魔や佐々木、バスカビールの後輩連中はみんな優秀だ。間宮を含めて、それは認める 」
「そうね、ごめんなさい。話を変えましょう。これこそ無益な争いだわ」
「ああ、平行線だ。真面目な話をしよう、戦役とか。欧州の──」
別に、俺たちがフランスに飛び立つわけでもないが空港まで珍しく真面目な会話が続いた。サプライズで見送りしようと提案した理子、星枷、レキは既に到着していて、俺たちが最後。空港に許可を取り……どうやったのかは知らないが搭乗口まで行くのを許された俺たちは無事にキンジたちより先回りすることができた。
「見送りに……来てくれたのか。こんなところまで」
と、感激が隠せないキンジを見ると、サプライズは大成功だろう。
「キンちゃん! 将来キンちゃんが会社とかをクビになっても私がその分働くからね!私が、私の強さを証明して見せるよ!」
どこかズレた星枷の激励会から始まり、神崎や理子も思い思いに言葉を送る。さて、俺は何にも言うことを考えてなかったが……
「チームがどこであれ、私はキンジさんの力になります。同じ道を行くのが仲間であるとするなら、違う道を共に立っていけるのが──パートナーです」
「ちょっ、れ、レキ……!?」
ふいうちのパートナー宣言に神崎が慌てるが狙撃手だけに思わぬところで狙い撃たれたな。理子もこれには予想外って顔をしてる。すかさず、レキは理子と神崎によって腕を引かれ、キンジから引き離されて行った。最後は後ろから星枷が抱き止めるように取り抑える始末。よっぽど強烈な一撃だったらしい。んで、順番的にも俺が何か言う場面だが、
「お前も来たのか」
「チームだろ──
「ああ。
「……下手くそ。下手な英語だ。この機会にジャンヌに教えてもらえ。帰るまでにどれだけ上達してるか、楽しみに待ってるよ。あっちのシスターによろしく」
「伝えとく」
ご武運を──まあ、心配はしてない。俺は最後に握手を促すように右手を差し出す。
「キンジ、待ってるぜ。君のレッドアイズ(レリーフ)はそれまで大切に預かっておく」
「いや、返せよ。渡してないぞ俺は、そんな高額カード」
「……えっ?」
──再会を約束する握手はなかった。神崎と理子の目が冷たい。
ジャンヌ視点で欧州編も考えましたが、作者の技術と気力が至らず、次章から時系列がキーくんの帰国までふっ飛びます。