初めて出会ったときのことを今でも鮮明に覚えてる。個展でも開けそうなありとあらゆる魔除けを書きなぐった部屋に"お前"は今と何も変わらないトレンチコートを着てやってきた。部屋中の照明という照明が火花を吹いて、あのときばかりは本気でビビったよ。
悪魔、怪物──ありとあらゆる対策を仕掛けたっていうのに、お前は何食わぬ顔で、何を考えてるかわかんない顔で何事もなく歩いてきた。今に思えば、対策なんてできるわけなかった。あのとき、あの瞬間まで、本当に『天使』がいるなんて考えちゃいなかったんだからな。
「君をがっちり掴んで地獄から救いだした。そっちの彼と一緒に」
「そうか。礼を言うぜ」
と、礼を言いながらルビーのナイフを思いっきり突き刺した辺り、ディーンとお前のファーストコンタクトも俺と夾竹桃の出会いに負けず劣らず酷いもんだ。思い出したら苦笑いが浮かぶところまでソックリ。
お世辞にも、良い出会いとは言えない始まりからいつしか家族と呼ぶ以外にない存在にお前はなっていて、正直いつからそうなったのか。白状なことに俺は覚えてない。多分、というか絶対に二人の兄も同じことを言うだろう。
いつから、俺は神崎に入れ込むようになったんだろう。
ひねくれたルームメイトが肩入れしている姿に感化された。
ただ、ひたすら、家族の為に尽くそうとする姿に何かを重ねてしまった。
理由なんて、悔しいことに次から次に浮かんでくる。それこそ、キッカケがどうかなんて忘れそうになるくらい。なんとも卑怯なことに、神崎・H・アリアという女はそういう女だ。
いや、それでも一番の理由は分かってる。人の部屋にある日勝手に上がり込んできて、何かあればガバメントをぶっ放すあの女は──母親から逃げなかった。逃げずに、救うために海を渡ってきた。
そして俺はメアリー母さんから逃げた。根底にある理由は、たった一つ。俺ができなかったことをあいつはやってる、たったそれだけのこと。
アンフェアな現実を突き付けられて尚、あいつは現実に風穴を空けようともがいた、そして俺は逃げた。その前を向いたか、背を向けたかの違いが焼き印を押されたようにずっと頭に引っ掛かってた。
けど、言葉を並べたらなんとなく分かった。きっと、俺はどこかで憧れてたんだろう。自分にはできなかった道を選んだ、神崎のことを──
◇
──緋々神。緋緋色金と呼ばれる未知の金属に宿る意思。これまで飽きるほど目にしてきた、常識の外側にいる存在。それが、眼前のSランク武偵に取り憑いている
「さぁて、お手並み拝見」
常々人形のようだと例えられている顔が、邪悪に口元を歪める。次の瞬間、両手の大口径が夜闇に炸裂音を鳴らし、パトラが先行させた黄金色の鷲の群れを一匹残らず叩き落とした。
「妾も私怨がある、助力はしてやるでの。嫌がらせぢゃ」
王様の声が聞こえた刹那、魔力を通して造られた鷲たちが後方から俺とキンジを追い抜いて、冷ややかに笑う緋々神に次々と向かっていく。
ピラミッド内での戦いでも見た思念動で操られるパトラの使い魔。ふざけた魔力の量に目が行き勝ちだが、あのカナに言わせてパトラはとても頭の良い女だ。左右の手で別々の文字を紙に書くように、幾つもの物を同時に思念動で操ることができる。
暗闇を駆ける黄金色の鷲は次から次に凶弾に倒れ、虚空の上で元の砂に還るが引き換えにガバメントのスライドにも弾切れのロックがかかる。王様のわりに姑息な手を使う、わざとらしい軌道を描かせて弾切れを誘いやがったな。あとは浮遊する地雷を抜けるだけ、忌々しい影の立方体を潜り抜け、キンジより一足先に俺が白兵戦の間合いに飛び込むが──
「なあ、ウィンチェスター。お前、
「ちぃッ!」
弾切れで両手を塞がれ、無防備と思われた緋々神から鋭く日本刀の一撃が放たれた。予期しなかった一撃をなんとか2本のナイフで受けるが、殺し切れなかった衝撃で体が嘘のように後ろに飛ばされる。地を靴で削るように体勢を立て直した俺の眼前には──ピンクのツインテールに操られる2本の日本刀が映り込んでいた。
「……あれは理子の専売特許と思ってたよ」
同感だ、ふざけたトリックにも程がある。理子の専売特許、ツインテールの髪で刃を操作しつつ両手は拳銃で武装する、その厄介極まる技は俺もキンジも過去に身を持って体験してる。単純に言って、腕が4本になったというだけでアンフェアだが本当に厄介なのは『腕』ではなく『髪』ということ。
「峰理子か。あれも良い女だったなぁ。よし、前は消化不良だったし、次に会ったときはあのときの続きをしよう」
ピンクのツインテールが巻き付いた刀が怪しく暗闇に揺れる。髪には、腕と違って間接なんてものは存在しない。パトラの思念動と同様に、正しく行使できる集中力さえあれば、人体ではありえない無茶苦茶な軌道を描いて、2本の刃が振るわれることになる。
オイルまみれの道を片足のハンドル操作で走り抜けるようなヤツだ。楽観的な考えはどうやっても浮かんでこない。さっきは運良く無傷に終わったが……油断したら簡単に首が落ちる。いや、あるいはさっきはわざと狙いを外したか。
「切……!」
ルームメイトに名前を呼ばれ、思考を白紙に戻す。ナイフとベレッタの一剣一銃で真横を駆け抜けたキンジに先行させる形で、右手にあるルビーのナイフを投擲する。悪魔や獣人には極めて有害な刃は当たり前のように回避されるが、ベレッタが吐き出していく弾と合わせて少しずつだが緋々神をカナ側に寄せていく。
狙うのは蠍の間合い──177・7㎝。空いた右手で天使の剣を抜き、献身的に手に馴染んでくれる形見のナイフと再度の双剣で踏み込む。何を見せられようと進路は一つ、萎縮している暇も余裕もない。
巧みにリロードされた漆黒と白銀のガバメントからも再度の発火炎が散るが、金属と金属がぶつかるような音だけで距離を詰めようが一発たりと被弾はない。どうせキンジが飛来する弾に片っ端からベレッタの弾を命中させて弾き飛ばしたんだろう、漫画みたいな技だがもう驚きやしない。あのカナの弟で、かなめの兄だからな。
「──
「愚直すぎるぜ。でも気に入ったよ。その腕、まとめて落としてやる!」
殺傷圏内の侵入した瞬間、重苦しい威圧感が肌を刺す。快活に告げられた言葉は何も冗談ではなく、緋色の髪が巻き付いた日本刀は腕を容易く切り離せそうな速度と鋭さで振るわれ、接触と同時にふざけた振動が腕を走った。
「……っ、無茶苦茶やりやがる 」
ナイフのように小回りこそ効かないが、斬擊の鋭さはタクティカルナイフの比じゃない。かなめのお陰でアンフェアな斬擊には多少なりと慣れたつもりだったが、駄目だな。刀を振るいながら両手のガバメントもキンジを牽制し、置物になってない。
俺と髪の日本刀で刃を交えつつ、両手のガバメントでキンジと撃ち合う。そんな器用どころでは片付けられない景色を見せられ、心中舌打ちが止まらなかった。これじゃあ本当に腕が4本あるのと変わらないぞ……
「へぇ、そいつは誉め言葉か?」
神崎の顔をして、神崎ではない口調で一言。一瞬遅れて、首を拐うような角度で右から刃が飛来し、逆手に構えたジョーのナイフから派手に音が鳴った。追撃を仕掛けてきた左からの刃と派手に切り結んだ刹那、ノックバックするように一度下がるが、
「皮肉に決まってるだろ」
勝手に代弁したキンジの弾丸が、今度は急に位置を変えたキューブの中に消えていく。これには俺も目を見開いたが、計16個の影の立方体は空間アートのような瞬間移動を繰り返し、いよいよ境内の景色は混沌としたものになっていった。
どうやらあの危なかしいパンドラボックスは距離や移動といった俺たちの知る常識とは無縁の代物らしい。キューブに触れた鉛弾はたちまち中に吸い込まれ、影だけで編まれた立方体の中で動きを止める。なんでも食らい込むのか……あれじゃ影っていうよりブラックホールだ。
「そいつは残念だ。でも遠山、お前は誉めてくれるよな? よし、撃ち合おう。もっともっと」
……なんつー理屈だ。
「彼女に常識を求めるな、話し合いでどうなる相手じゃない」
鋭くキャスの否定が入り、ガバメントから放たれた弾丸の雨が今度こそ虚空で静止していた。なるほど、こっちもこっちで常識をねじ曲げてやるってわけか、最高だ。
虚空に縫い付けられていた銃弾は、やがて糸が切れたように重力に従って落下。地に転がっていく。意気揚々と持ちかけた撃ち合いに"待った"をかけられ、緋々神の不機嫌な瞳は俺とキンジのさらに背後を指した。
「……カスティエル、相変わらずつまらない水を差すヤツだな。聞いてるぞ、堅物野郎のミカエルの後釜を巡ってラファエルと内戦したんだろ?」
「それがなんだ、私はミカエルの後任になどなってはいない」
「よく生きてたなぁ。ラファエルは四人の中で一番トロくて、一番の小物だったがそれでも重役の一人だ。普通はグチャグチャになってんのさ」
話している隙を遠慮なく狙ったパトラの鷲の群れ、その内の一匹がキューブの中から跳ね返るように飛び出してきた銃弾に頭を、貫かれた。一匹また一匹とキューブから飛び出した弾がパトラの使い魔を穿つ。あそこに収納した物の扱いも緋々神のさじ加減一つか、本当に無茶苦茶だぜ。
「数百年振りの世間話も少しは心踊るか? いやいや、そんなもんちっとも満たされない。あたしを満たしてくれるのは恋と戦い、この渇きを止めてくれるのはそれだけなんだよ」
そして、緋々神が動いた。小さな足が持ち上がり、軽く境内の地面を踏む。次の瞬間、小さな肢体から緋色のオーラのようなものが迸ると、信じられないことに両足が地面を離れ、突風を叩きつけられたように今度こそ背中から地面に投げ出された──
「……!」
「っいってぇ……」
カナ、パトラ、キャスの呻きは聞こえない。どうやら吹き飛んだのは俺だけらしい。突風のようでいて違う、まるで見えない斥力だ。覚悟してはいたが技のデパートだな……
立ち上がって眼前を見ると、キンジは両足に力を込めてなんとか飛ばされずにいる。素直に感嘆するがあれは恐らく──磁石のように近づこうとするほど反発する力が働くように出来てる。
「まだ全力とはいかないようだが、彼女の体はずいぶん相性が良いらしい。過去、私が見てきたどの緋々神よりあれは素の緋々神に近しい」
「つまりヤバイってことだろ。寝起きに全力が出せないのは聞いてる。アマラで言うと、あれはまだ大人の姿になってない」
「その例えはこの上なく不吉だが、つまりそういうことだ。すぐに手がつけられなくなる」
「今でも怪しいよ」
キャスとの終末の世界から戻ったとき以来の会話は、こんな状況じゃなかったらもっと楽しい気持ちにもなれたのかもな。生憎、今は雑談に華を咲かせる余裕もないわけだが、
「おい、キン──バカか、お前は……!」
遂に斥力に飛ばされたルームメイトの背中を受け止め、お決まりの台詞を飛ばす。
「いいところにいたな」
「ハイジャックで神崎に腹を足場にされたのを思い出したよ。仲の良いことで」
「……あの超能力、なんとかできるか」
「惨めに吹っ飛ばされたの見てなかったか? 無理だよ」
即答してやる。緋々神が放つ以上、あれはただの超能力より1ランク上の技だ。斥力を操る超能力者も探せばいるんだろうが、緋々神が行使するのは別物と考えていい。俺の手には負えない、即答したとおりだ。
だが、幸運なことに手に負えそうなヤツが一人いる。こっちの手札には奴の盤面を台無しにできる一枚がある。山札の上に手を置いて、
「だから、ここはアナエルの厚意に甘えるとしよう。やっちまえ──クラレンス」
「君が相変わらずで何よりだ」
かつて、
「罰当たりな。妾は知らぬぞ……!」
「んっ……派手にやってくれるわね」
砂、砂利、木の葉や枝、周囲にあったものが手当たり次第に、突如起こった異常な力の小競り合いに巻き込まれる形で、視界を無茶苦茶に乱していった。反射的に両腕は顔と喉元を守り、今度こそ醜態をさらすまいと足に力を入れる。アクション映画──いや、SF映画みたいな1シーンをよりによって境内で見るなんてなぁ。
(同感だよ王様。罰当たりなこと、この上ない)
だが、これでブラックホール染みたパンドラボックスと謎の斥力に制圧されていた盤面がリセットされたはず。キンジも、カナも、パトラも、同じことを考えるはずだ。カードを切り、仕掛けるタイミングがあるとすればここしかない。
「──しらけるぜ。あたしが求めてンのはそんなお前じゃない」
刹那、背後から言葉にならない寒気がした。
「遠山との戦いは甘美だ、最高だ。けど、口から涎を垂らして狂ったお前と──カインの刻印でおかしくなったお前とも、あたしは戦いたくて仕方ない」
いつからそこにいたのか──後ろに立たれて気付かなかった相手は初めてじゃない。レキがその筆頭だ。だが、あんな視界もグチャグチャになってる中でこうもあっさり……
「は──?」
無茶苦茶になってい視界が今度は目まぐるしく動き、酔いそうになるレベルで暴れていく。反射的に体が受け身を取ろうと動き、ようやく自分が吹っ飛ばされたことに気付いた。
「ち、ぃ……ッ!」
喉から出そうになる悲鳴を舌打ちを混ぜて押し殺す。蹴りか、体当たりか、それとも何かの超能力か。何にしても臓器がシェイクされたみたいに気持ち悪い。頭から落ちることこそ避けたが……今ので俺の首も落とせてた。それを考えるなって方が無理だ。
徐々に晴れていく視界、パトラが仕掛けたであろう黄金色の虎が無惨に首もとから切り捨てられるのが見えた。次いで、ベレッタの発砲音と宵闇でバク宙を切る緋々神。暗闇で揺れる、苛つくほど綺麗な緋色の髪に分かっていても視線が呪縛されそうになる。
キャスの力は知ってる、金一さんの、カナも力も知ってる、パトラも実際に刃を交えたことでどれだけ面倒な魔女かは理解してたつもりだ。手札には十分、神を相手にできる可能性は眠っているはずだった。
「緋緋色金は一にして全。全にして一。されど、これこそ理想の一……」
──眼前の神が歌うようにそう言った。それが契機となり、小さな体に改めて緋色のオーラが迸っていた。どうやら、俺が思っていた以上に彼女は化物だったらしい。ああ、神社……嫌いになりそうだ。
「──お次はなんだ?」
◇
「──うおおおおおッ!」
ベレッタの眩い発火炎、そしてルームメイトの叫び。境内には似つかわしくない景色をこれでもかと演出しながら、神崎に宿った緋緋神との一戦は続く。
「──くらえ、ケツ野郎!」
スタール墓地ではミカエル、数年後のライブハウスではルシファーに放った天使らしからぬ罵倒を吐き、キャスもトレンチコートに袖に忍ばせていた天使の剣で厄介極まる緋色のツインテールを斬りにかかる。
幾度となく神の近親たる大天使と交戦し、産みの親の姉であるアマラにすら牙を剥いただけあって、緋緋神に向かっていく姿には恐れも怯む様子もない。良く言えば格上の相手との戦いに慣れている、悪く言えばいつも無茶な対戦相手ばかり回ってきたこれまでの経験が活きてるんだろう。
「カスティエル、なんだってお前みたいなポンコツが特別扱いされてたんだ?」
が、緋緋神もそれをよしとしない。
「お前んとこのボスは出来損ないを好む癖でもあったんだろうな。理解に苦しむぜ。……つか、ケツ野郎ってなんだ?」
ポンコツと罵倒されようと、そこいらの獣人や魔女は一蹴できるキャスの攻撃でも狙いが決まらない。俺とキンジもしつこく攻め立てるが、カナの蠍の尾の間合いに押し込むには──忌々しいことに、まだ手が足りない。
キンジの一剣一銃、俺の双剣、カスティエルが振う天使の剣は、どれも回避、あるいは髪で操る日本刀に阻まれる。思わず、『過保護』という言葉が出そうになるほど、その守りは固い。
ああ、うんざりするほど誰かさんの口癖がピッタリの状況だよ。ちくしょうめ。
「ちッ……!」
得体の知れないキューブが消え、広さを取り戻した境内で再度の疾駆。が──見えない壁にでも当たったようにまたしても不可視の斥力に足が挫かれる。恨めしげに喜色満面の緋緋神を睨み付けた刹那、ヤツの瞳の色が──カメリアの瞳が濃い赤色に輝き始めた。
「よし、おさらいといこうか。まずは一人、誰にする?」
指鉄砲を作った緋緋神の右腕が、真っ直ぐに前へ伸ばされる。こいつは……
「例のレーザーか。あっさり切札を切ってくるんだな」
「違うぜ、ウィンチェスター。今のあたしは何だって使える。これはそう、数十枚あるカードの内の一枚だ。他も見たいなら見せてやる、あたしを満足させてくれるなら」
「いくらでもな」と、瞳を赤色に染めながら緋々神は言う。照準を兼ね備えた瞳は、待機状態に入ってるかのように瞳の赤い輝きを徐々に色濃くしていく。まるでカウントダウンだ。
直線上に俺たちが並ばずとも、眼で狙いをつけられた瞬間、最低でも一人は落ちる。キンジはスクラマサクスと神崎が撃ったガバメントの弾を壁にし、レーザーの照射時間をやり過ごすことで一度は必中の如意棒を攻略した。だが、香港と違って今はスクラマサクスなんて業物は……
「覚えておきなさい。どんな相手でも、攻撃の瞬間は無防備になる。そこを攻めれば、斃せるものよ。誰であれ、ね」
凛とした声がして、カナが俺やキンジよりもさらに前へと──躍り出てしまった。大鎌の刃先は胸の中心、付け根は明らかに緋緋神の右目を向いている。カナは、蠍の尾でレーザーを止めるつもりだ……
「カナ……!」
右目の赤が光を増していく最中、切羽詰まったキンジの叫びで気付いてしまう。無理なんだ、蠍の尾では如意棒を受け止め切れない……実際にレーザーと相対したキンジはそれを悟って、カナを呼んだ。
今の緋緋神の瞳に宿る光源は香港で見たときより一回り……強い。高出力なんだ、キンジが凌いだ如意棒よりも今放たれようとしてるのは。が、それでもカナに足を動かす様子はない。
「相打ち──それなら試してみるか。カナ、賭け金は……そうだな、お前のその美しい顔を──剥いで貰っていこう」
たしかに直線に並ばなけりゃ直進するだけのレーザーが狙えるのは一人。だとしても、そんなのキンジじゃなくても許せるか……!
「ヘイスティングスの戦いよ、ワンヘダ」
……ヘイスティングス? それってイングランドとフランスの……待て、カナだぞ。無策で敵の懐に飛び込む愚か者とは違う。あれがレーザーであるのは、たぶん見抜いてる。カナには条理予知がある、その上で前に躍り出たなら、
「さあ、答え合わせの時間だぜ」
右目の光が一際強まった次の瞬間、不気味なほど明るい光が宵闇に走った。
「……?」
しかし、緋緋神に浮かぶのは困惑の顔。
「はぁ……はぁ……む、無茶をさせおる。妾を、誰じゃと……」
そして、聞こえてくるのは後方に位置を取っていたパトラの荒い息遣い。困惑だった緋緋神の顔に怒気が差す。防がれたんだ、俺には見えなかったがパトラが仕掛けた何かしらの技が、緋緋神の必殺の一撃を不発に終わらせた。
「……『重力レンズ』か。魔女が、つまんねえ横やりを入れやがったな?」
底知れない怒りを込めた一言と輝きを失った瞳がパトラに向く。はっ、だろうな。やっぱり
「つまらない水を差したヤツは殺──」
「そいつは非合理的だな!殺傷圏内だぜ、緋緋神様!」
カナを信じて良かったぜ、カナなら弟の前で自己犠牲の相打ちみたいな作戦は提案しないと思ってた。既に緋緋神との距離を詰めていた俺が、今度は恨みを込めて横やりを入れる。攻撃の瞬間は無防備になる──語られたとおり、神様の懐へ入り込めた。
天使の剣を捨て、今度こそ元始の剣で双剣を作った俺に向けられたのは……思わず、視線が呪縛されそうなほど綺麗で、邪悪な微笑み。
「ようやくか。待たせやがって」
待ち望んでいたとばかりに、目では追えない早さでガバメントから両手に持ち変えられた2本の小太刀が首元に飛来する。元始の剣を持った瞬間から、血が沸騰したような熱に襲われている体が今まで異常の早さで急所への一撃に反応し、それを捌く。
「ウィンチェスター、お前も相打ち狙いか?」
「悪いが、俺は自己犠牲も等価交換も大嫌いなんだ。覚えときな、俺が一方的にぶん殴る──それが俺の『相打ち』だ」
右手にはかつてカインが振るった剣、左手には今際の際に恩人から託されたナイフ。俺の手にあるのは、異なる在り方で『これまでの道のり』に絡んでくれた二振り。そして、見よう見真似とはいえ、
目の前の蠱惑的な微笑みを睨み付け、如何わしい刻印で水増しされた五感を以て、緋緋神と刃を重ねる。神崎の戦闘技術がそのままトレースされたような鋭い斬撃と刻印の恩恵にあやかった俺の一撃は、やがて耳障りな音と一緒に互いにノックバック、一度は詰めた距離が、巻き戻るように開いた。
「これくらいはやれるか、よしよし。まずは香港では叶わなかったお前との第2ラウンドといこうか。そっちのザコ女は後回しだ」
今だ。やれ、カスティエル。
「バカが。そんなトリックは見飽きてんだよ」
まるで後ろに目がついているかのごとく、音もなく死角から接敵したはずのキャスにも緋緋神は反応した。小さな体を独楽のように反転させ、またしても小太刀がふざけた速度で接近したキャスの首を切り払おうとする。しかし、遅れてやってくるのは首を斬り落としたような音ではなく、鋼で鋼を叩いたような甲高い音。
「は……?」
目の前で火花とは違う、青白い光が弾けた。
「……懐かしい。それ、まだあったのか」
緋緋神が振るった小太刀は、いつの間にか天使の剣と入れ替わっていた銀色の槌に弾かれた。その槌は──ミョルニル。かつてオカルトグッズまみれのオークションに参加した折、サムが勝手に持って帰った──北欧神話のトールが振るったAランクの遺物。
「しょ、しょせん、ひとの、体か……この程度の……」
トールは雷神。ヒルダの電流を浴びたときと同じく、緋緋神は恨み言を吐きつつ、これまで忙しなく動いていた足を、止めた。さすが北欧のメインキャストお抱えの武器、動けないならこれで終わりだ。トドメの一枚だけは、最初から用意されてる。音もなく、俺の横をカナが駆け抜けた。
「──177・7㎝。幕引きぢゃ、緋緋神」
パトラがそう言うと、動けない緋緋神に向けてカナの大鎌が振るわれた。外れた、いや、わざと外すようにも見えたが、恐らく──意識だけを狩った。
「……お……? おっ?」
既に呂律が乱れていた緋緋神の声が、今度こそ不安定で聞き取り辛くなっていく。外れたようにも見えた蠍の尾が、緋緋神の顎を掠めていたのだろう。カナは意図的に顎に衝撃を与え、脳震盪に近い状態を作り出した。無茶苦茶としか言えないが、ありえないことすんのが遠山家だ。身に沁みてる。
「──器に宿る、乗り移るといっても、神経系は憑依先の人体のものを利用してるのね。緋緋神さん?」
おぼついていた両足もやがて投げ出し、今度こそ大の字となって緋緋神は倒れると、
「ままならぬ、ものよ……猴の、からだなら……こうは、いかぬ…もの、を……」
蠍の尾を肩に掛けたカナに見下ろされながら、ゆるやかに緋色の瞳を閉じていった。
◇
「ヘイスティングスの戦い。強い敵と戦うときは一旦水辺に退却する。敵は勝ったと思って、油断して追ってくる、そこを罠に嵌める」
「うん、満点の解釈。よくできました」
「如意棒を撃たせるからその隙に奇襲しろ、それは分かったけど、ちょっと遠回しすぎないか?」
「けど、うまくいったでしょ?」
倒れた神崎をキンジに背負わせ、皆が皆話すことも聞きたいことも山程あると言った様子で、俺たちは乃木坂にあるカナ──金一さんのマンションに上がり込むことになった。スカートや衣服の一部が破れてる神崎をそのままにしとくわけにもいかないしな。
「それもそうだな。みんな生きてるし、何より神崎を取り戻せた」
我が家の安物と違い、見るからに高そうなソファーに座らせてもらって、腕を組んでいたカナと一息付くように言葉を交わす。ちなみにマンションの一階に金売買店が入っていたが、そこはパトラが運営しているらしい。今夜は驚きの連続だった、もう何が来ても驚かねーよ。
「しかし、ウィンチェスターというのは──」
神崎を着替えさせてくれたあと、向かいのソファーに寝かせてくれたパトラが、少し言い淀むような感じで俺を見てくる。まあ、何が言いたいのかは分かる。想像つくよ。
「紹介するのが遅れたな。彼はカスティエル、ずっと昔に俺を地獄から引っ張りあげてくれた天使で、その先は階級を下げられてしたっぱになったり、リーダーになったり、幽閉されたり、追放されたりして、詳しいことは本人に聞いて」
「なんでも聞いてくれ。ユーモアのある返しはできないが」
と、いつもの調子で答える友人に、俺は軽く頷いてから目を伏せた。正直、得体の知れなさなら緋緋神にも負けず劣らずで、このマンションに招いてくれたことも少し驚いてる。だって俺が言うのもあれだが──トレンチコートを着た天使なんて怪しすぎるだろ?
「……本音を口にすると、何から質問すればいいのか。それと、キリ? 地獄から引き上げられたっていうのは、苦しみから救われたとか、そういう意味ではないのよね?」
「リリスって悪魔の指揮官に、"黙れブス"って言ったらペットに腹を引き裂かれて、気がついたら地獄に異世界転生」
「彼と彼の兄を、地獄の底から引き上げた」
「墓から這い出た。ちなみに服は着てたぞ?」
「あのときの私は神や、天使の使命というものに盲目的で……数えきれないヘチマをやった」
「ヘチマじゃない、ヘマだ」
「ヘマをやった」
とりあえず、真実をそのままありのまま語ることにする。三人とも苦笑い寸前って感じだが。
「みんなそうさ、俺たちみんなヘマをやった。サテライトなら顔がマーカーまみれだ」
そう、みんなが過ちをやった。キャスだけじゃない、俺たちみんな。天使も悪魔も人間も、みんながやらかした。
「では、聞きたいことは尽きないけれど、まずは先の助力を感謝します」
苦笑いしそうな顔から一転、カナの顔付きが真面目なものとなる。この人はこの人で、本当に美人だな。金一さんにそれを言ったら大変なことになるらしいが、
「私はかつての同志から頼まれただけだ。バットシグナルはキリが送った」
「アナエルに会ったら礼を頼む。今頃、いつもみたいに商売繁盛だろうけど」
「天界に戻る気配は?」
「ないな。もうボタン押しは懲り懲りって感じ」
カナから俺、俺からアナエル、アナエルからキャスに繋がった結果が今夜の魔女・天使・人間連合。アマラに天国、地獄、地上の面々で総力戦を挑んだときを思い出した。今夜と違い、あのときは敗退に終わった。今夜は勝てて何よりだ。
「あー、次は俺からかまわないか? 緋緋神とはその、知り合いなのか?」
不意に、キンジがぎこちなく問う。カスティエルは変わらぬ様子で、
「知り合いだ。緋緋神が宿った器を何度か見てきた。仲は見てのとおり」
「みたいだな。両親の仇ぃ──とか、言い出すんじゃないかと」
「……どっちのだよ」
「さあ?」
肩をすくめ、うっすらとキンジに笑う。キャスとキンジが会話してる……すげえ光景だ。それも金一さんのマンションで。ただ会話してるだけなのに、なんというか……現実味のない光景だな。ついに出会ってしまった二人──みたいな?
「とりあえずは、一段落。キンジもお疲れ様。けど、ちょっとだけびっくり。思ってたより、ませてたのね。キンジも。緋緋神を起こすくらいアリアとの仲を進めてたなんて」
「緋緋神が目覚めたということは、君はそこで横になっている彼女と……」
「キャス、その手の質問は遠山ボーイには禁句なの。神崎が3馬身くらい他より前にいる感じはあるけどな」
「でも、またアリアとくっついちゃダメよ? そしたら、また緋緋神が出ちゃうんだから」
めっ、という感じでカナがキンジの額をつついた。今の、頼んだら俺もやってもらえるかな。
「……いや、別にそんな」
キンジは顔を赤くして抗弁するが、カナは構わず続ける。やめとこ、キンジの俺を見る目が変わりそうだ。
「そこの『恋』の線さえ切っちゃえば、ひとまず安全かな。緋緋神を起こす感情は『恋』と『戦』の二つ。でもアリアが武偵法を破って人を殺すような戦いじゃないと、『戦』で緋緋神を喜ばせるには刺激が弱いからね」
「アリアがそういう戦いをしなければ……引き金は『恋』だけってことか……」
「アリアがそういう戦いをしないって絶対の保証はないけど。私よりもキンジの方があの子のことは知ってるでしょ?」
と、弟の心情にやや肩入れする意見を出しつつも、そこはカナ。最後には『アリアの身柄は拘束したくないし、『殺して』って頼んでくるまでは殺してもいけないと考えているわ』と、あくまで神崎を犠牲にする選択肢も残していることを口にした。
「アリアは自らの手で、緋緋神と決着をつければよい。今夜は助力してやったがの」
と、パトラはテーブルに置いたキンジのバタフライナイフを見ながら、かぶりを振った。
「これも駄目ぢゃの」
「色金止女を打ち直したのか」
「「色金止女?」」
初めて耳にする言葉に俺とキンジが声を揃えると、
「それはつまり、一昔前の色金ジャマー」
「御名答。簡単に言っちゃえば色金に対する魔除け、御守りみたいなものね。今は金物屋で売ってるナイフになっちゃったけど」
ややアンニュイな様子でカナが目を伏せた。キンジが倒れた神崎を抱えて運ぶ少し前──気絶したと思われていた緋緋神が、最後の最後でそのナイフに神崎の八重歯を立てた。そこから神崎は今も寝たきりだが、噛みつかれたナイフからは刀身に走っていた緋色が、綺麗に抜け落ちている。
「緋緋神が最後に噛みついたのは、この御守りを破壊したってことか?」
「貴方たちの知る聖なるオイルと同じで、これも貴重なものなの。これは昔、遠山家が星伽神社に貰った匕首・色金止女を打ち直した物、緋緋色金に共振して、力を少し打ち消す効果があるわ。んー、つまりね?」
ホームセンターには売ってない。再戦の為に最後の最後でこっちの手札を削られたか。抜け目ないな。それにしても、
「妙に色金に詳しいな? それもメタトロンからの入れ知恵か?」
「私も何から何まで知っているわけじゃない。君たちより少し長く生きているだけだ」
それはごもっとも。ルシファーも色金には因縁ありって感じだが、天使自体が多少なりと色金について知ってるって感じかも。ただの金属や物質じゃないわけだしな。
「ほぼ無制限に使える色金殺女とは違って、これは共振するたびに効果が弱まっていくの。最終的には使い捨てにするんだけど……」
「今夜で最後ぢゃのう。緋緋神が一気に力を注ぎ込み、共振を満たしていきおった。妾でも元には戻せぬ」
パトラでも無理なら、俺やキンジにどうこうできるわけないか。
「キャス」
「私にもこの色金止女は直せない。悪魔が天使に『恩寵』を注ぐようなものだ」
専門外か。緋緋神が姑息な手を使ってまで破棄したかった1枚。また使えたら、心強かったんだけどな。正真正銘使いきりの1枚か。
「すまない、彼と少し話があるんだ。席を外してもかまないか?」
来たか。さて──
「待て、ここでかまわぬ。聞きたいことは同じとみておるでの。妾の耳はたしかに捉えた、カインの刻印と原始の剣が揃っておるとな」
できることなら口にしたくない、そんな顔をしつつもパトラがその名前を口にした。さすがに世界最高レベルの魔女となれば"第一級の呪い"は知ってるか。刹那、左腕が人間離れした力で捻り上げられ、袖が捲りあげられる。
「……バカなことを」
「それ、前にも聞いた」
「その刻印が何を招き、何を奪ったか。覚えていないわけじゃないだろ」
キャスの腕を振りほどき、腕組みしてソファーに背を倒す。
「分かってるよ。そいつは……分かってる」
チャーリーを殺したのはスタイン一族だ。そいつは間違いない。だが、そのスタイン一族に目をつけられた原因は、この刻印にある。それは忘れてないし、忘れていいことじゃない。彼女は戦友で、家族だった。
「けど、緋緋神を黙らせるには必要だと思ったんだよ。国に尽くして、大勢の命を救った武偵の人生が台無しにされようとしてる。俺にはそれが許せない」
許せないんだよ、見ないで流すなんてのはできない。知っちまった以上、絡むなら最後まで。神崎だって、俺にとっては失いたくない存在の一人だ。
最初は……傍迷惑な居候。けど、一緒に戦って、一緒の時間を過ごした、何度も危険をくぐり抜けてきた戦友だ。あいつを救うためなら、刻印で頭がおかしくなろうが構わない。他に言いようがない。
みんな人生を奪われた。チャーリーだけじゃない、ジョーもエレンもアイリーンも、ミズーリやパメラ、名前を挙げていけばきりがない。もう飽き飽きだ、大切な人が死ぬのも、人生を台無しにされるのも──もう懲り懲りだ。抗う選択肢が用意されてるなら、俺は全力で抗ってやる。
「香港のときも緋婢神が言ってたな。正直、あのときは俺も聞き流しちまったがたしか……刻印が、殺しのドラッグ、とか……」
「妾も見るのは初めてぢゃが噂は聞いておる。カインの刻印……最初の殺人者カインに焼き付けられた、第一級の呪い」
「ちょっと待て。まさか、問題を解決するためにまた別の問題の種を撒いたって言うのか?」
……さて、とはいえだ。キンジも加わって完全に針のむしろ。どこから話したもんかな。行方知れずだった神の姉と話をした、なんて話したらまた一悶着ありそうだ。
瀬人さま、ジェットが強すぎます。