哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

92 / 157
緋緋神

「──うおおおおおッ!」

 

 ベレッタの眩い発火炎、そしてルームメイトの叫び。境内には似つかわしくない景色をこれでもかと演出しながら、神崎に宿った緋緋神との一戦は続く。

 

「──くらえ、ケツ野郎!」

 

 スタール墓地ではミカエル、数年後のライブハウスではルシファーに放った天使らしからぬ罵倒を吐き、キャスもトレンチコートに袖に忍ばせていた天使の剣で厄介極まる緋色のツインテールを斬りにかかる。

 

 幾度となく神の近親たる大天使と交戦し、産みの親の姉であるアマラにすら牙を剥いただけあって、緋緋神に向かっていく姿には恐れも怯む様子もない。良く言えば格上の相手との戦いに慣れている、悪く言えばいつも無茶な対戦相手ばかり回ってきたこれまでの経験が活きてるんだろう。

 

「カスティエル、なんだってお前みたいなポンコツが特別扱いされてたんだ?」

 

 が、緋緋神もそれをよしとしない。

 

「お前んとこのボスは出来損ないを好む癖でもあったんだろうな。理解に苦しむぜ。……つか、ケツ野郎ってなんだ?」

 

 ポンコツと罵倒されようと、そこいらの獣人や魔女は一蹴できるキャスの攻撃でも狙いが決まらない。俺とキンジもしつこく攻め立てるが、カナの蠍の尾の間合いに押し込むには──忌々しいことに、まだ手が足りない。

 

 キンジの一剣一銃、俺の双剣、カスティエルが振う天使の剣は、どれも回避、あるいは髪で操る日本刀に阻まれる。思わず、『過保護』という言葉が出そうになるほど、その守りは固い。

 

 ああ、うんざりするほど誰かさんの口癖がピッタリの状況だよ。ちくしょうめ。

 

「ちッ……!」

 

 得体の知れないキューブが消え、広さを取り戻した境内で再度の疾駆。が──見えない壁にでも当たったようにまたしても不可視の斥力に足が挫かれる。恨めしげに喜色満面の緋緋神を睨み付けた刹那、ヤツの瞳の色が──カメリアの瞳が濃い赤色に輝き始めた。

 

「よし、おさらいといこうか。まずは一人、誰にする?」

 

 指鉄砲を作った緋緋神の右腕が、真っ直ぐに前へ伸ばされる。こいつは……

 

「例のレーザーか。あっさり切札を切ってくるんだな」

 

「違うぜ、ウィンチェスター。今のあたしは何だって使える。これはそう、数十枚あるカードの内の一枚だ。他も見たいなら見せてやる、あたしを満足させてくれるなら」

 

 「いくらでもな」と、瞳を赤色に染めながら緋々神は言う。照準を兼ね備えた瞳は、待機状態に入ってるかのように瞳の赤い輝きを徐々に色濃くしていく。まるでカウントダウンだ。

 

 直線上に俺たちが並ばずとも、眼で狙いをつけられた瞬間、最低でも一人は落ちる。キンジはスクラマサクスと神崎が撃ったガバメントの弾を壁にし、レーザーの照射時間をやり過ごすことで一度は必中の如意棒を攻略した。だが、香港と違って今はスクラマサクスなんて業物は……

 

「覚えておきなさい。どんな相手でも、攻撃の瞬間は無防備になる。そこを攻めれば、斃せるものよ。誰であれ、ね」

 

 凛とした声がして、カナが俺やキンジよりもさらに前へと──躍り出てしまった。大鎌の刃先は胸の中心、付け根は明らかに緋緋神の右目を向いている。カナは、蠍の尾でレーザーを止めるつもりだ……

 

「カナ……!」

 

 右目の赤が光を増していく最中、切羽詰まったキンジの叫びで気付いてしまう。無理なんだ、蠍の尾では如意棒を受け止め切れない……実際にレーザーと相対したキンジはそれを悟って、カナを呼んだ。

 

 今の緋緋神の瞳に宿る光源は香港で見たときより一回り……強い。高出力なんだ、キンジが凌いだ如意棒よりも今放たれようとしてるのは。が、それでもカナに足を動かす様子はない。

 

「相打ち──それなら試してみるか。カナ、賭け金は……そうだな、お前のその美しい顔を──剥いで貰っていこう」

 

 たしかに直線に並ばなけりゃ直進するだけのレーザーが狙えるのは一人。だとしても、そんなのキンジじゃなくても許せるか……!

 

「ヘイスティングスの戦いよ、ワンヘダ」

 

 ……ヘイスティングス? それってイングランドとフランスの……待て、カナだぞ。無策で敵の懐に飛び込む愚か者とは違う。あれがレーザーであるのは、たぶん見抜いてる。カナには条理予知がある、その上で前に躍り出たなら、

 

「さあ、答え合わせの時間だぜ」

 

 右目の光が一際強まった次の瞬間、不気味なほど明るい光が宵闇に走った。

 

「……?」

 

 しかし、緋緋神に浮かぶのは困惑の顔。

 

「はぁ……はぁ……む、無茶をさせおる。妾を、誰じゃと……」

 

 そして、聞こえてくるのは後方に位置を取っていたパトラの荒い息遣い。困惑だった緋緋神の顔に怒気が差す。防がれたんだ、俺には見えなかったがパトラが仕掛けた何かしらの技が、緋緋神の必殺の一撃を不発に終わらせた。

 

「……『重力レンズ』か。魔女が、つまんねえ横やりを入れやがったな?」

 

 底知れない怒りを込めた一言と輝きを失った瞳がパトラに向く。はっ、だろうな。やっぱり()()()()()()か。

 

「つまらない水を差したヤツは殺──」

 

「そいつは非合理的だな!殺傷圏内だぜ、緋緋神様!」

 

 カナを信じて良かったぜ、カナなら弟の前で自己犠牲の相打ちみたいな作戦は提案しないと思ってた。既に緋緋神との距離を詰めていた俺が、今度は恨みを込めて横やりを入れる。攻撃の瞬間は無防備になる──語られたとおり、神様の懐へ入り込めた。

 

 天使の剣を捨て、今度こそ元始の剣で双剣を作った俺に向けられたのは……思わず、視線が呪縛されそうなほど綺麗で、邪悪な微笑み。

 

「ようやくか。待たせやがって」

 

 待ち望んでいたとばかりに、目では追えない早さでガバメントから両手に持ち変えられた2本の小太刀が首元に飛来する。元始の剣を持った瞬間から、血が沸騰したような熱に襲われている体が今まで異常の早さで急所への一撃に反応し、それを捌く。

 

「ウィンチェスター、お前も相打ち狙いか?」

 

「悪いが、俺は自己犠牲も等価交換も大嫌いなんだ。覚えときな、俺が一方的にぶん殴る──それが俺の『相打ち』だ」

 

 右手にはかつてカインが振るった剣、左手には今際の際に恩人から託されたナイフ。俺の手にあるのは、異なる在り方で『これまでの道のり』に絡んでくれた二振り。そして、見よう見真似とはいえ、(アマラ)を閉ざしていたカインの刻印からのバックアップ。相手が神だろうと、この手札なら打ち合える。

 

 目の前の蠱惑的な微笑みを睨み付け、如何わしい刻印で水増しされた五感を以て、緋緋神と刃を重ねる。神崎の戦闘技術がそのままトレースされたような鋭い斬撃と刻印の恩恵にあやかった俺の一撃は、やがて耳障りな音と一緒に互いにノックバック、一度は詰めた距離が、巻き戻るように開いた。

 

「これくらいはやれるか、よしよし。まずは香港では叶わなかったお前との第2ラウンドといこうか。そっちのザコ女は後回しだ」

 

 今だ。やれ、カスティエル。

 

「バカが。そんなトリックは見飽きてんだよ」

 

 まるで後ろに目がついているかのごとく、音もなく死角から接敵したはずのキャスにも緋緋神は反応した。小さな体を独楽のように反転させ、またしても小太刀がふざけた速度で接近したキャスの首を切り払おうとする。しかし、遅れてやってくるのは首を斬り落としたような音ではなく、鋼で鋼を叩いたような甲高い音。

 

「は……?」

 

 目の前で火花とは違う、青白い光が弾けた。

 

「……懐かしい。それ、まだあったのか」

 

 緋緋神が振るった小太刀は、いつの間にか天使の剣と入れ替わっていた銀色の槌に弾かれた。その槌は──ミョルニル。かつてオカルトグッズまみれのオークションに参加した折、サムが勝手に持って帰った──北欧神話のトールが振るったAランクの遺物。

 

「しょ、しょせん、ひとの、体か……この程度の……」

 

 トールは雷神。ヒルダの電流を浴びたときと同じく、緋緋神は恨み言を吐きつつ、これまで忙しなく動いていた足を、止めた。さすが北欧のメインキャストお抱えの武器、動けないならこれで終わりだ。トドメの一枚だけは、最初から用意されてる。音もなく、俺の横をカナが駆け抜けた。

 

「──177・7㎝。幕引きぢゃ、緋緋神」

 

 パトラがそう言うと、動けない緋緋神に向けてカナの大鎌が振るわれた。外れた、いや、わざと外すようにも見えたが、恐らく──意識だけを狩った。

 

「……お……? おっ?」

 

 既に呂律が乱れていた緋緋神の声が、今度こそ不安定で聞き取り辛くなっていく。外れたようにも見えた蠍の尾が、緋緋神の顎を掠めていたのだろう。カナは意図的に顎に衝撃を与え、脳震盪に近い状態を作り出した。無茶苦茶としか言えないが、ありえないことすんのが遠山家だ。身に沁みてる。

 

「──器に宿る、乗り移るといっても、神経系は憑依先の人体のものを利用してるのね。緋緋神さん?」

 

 おぼついていた両足もやがて投げ出し、今度こそ大の字となって緋緋神は倒れると、

 

「ままならぬ、ものよ……猴の、からだなら……こうは、いかぬ…もの、を……」

 

 蠍の尾を肩に掛けたカナに見下ろされながら、ゆるやかに緋色の瞳を閉じていった。

 

 

 

 

 

 

 

「ヘイスティングスの戦い。強い敵と戦うときは一旦水辺に退却する。敵は勝ったと思って、油断して追ってくる、そこを罠に嵌める」

 

「うん、満点の解釈。よくできました」

 

「如意棒を撃たせるからその隙に奇襲しろ、それは分かったけど、ちょっと遠回しすぎないか?」

 

「けど、うまくいったでしょ?」

 

 倒れた神崎をキンジに背負わせ、皆が皆話すことも聞きたいことも山程あると言った様子で、俺たちは乃木坂にあるカナ──金一さんのマンションに上がり込むことになった。スカートや衣服の一部が破れてる神崎をそのままにしとくわけにもいかないしな。

 

「それもそうだな。みんな生きてるし、何より神崎を取り戻せた」

 

 我が家の安物と違い、見るからに高そうなソファーに座らせてもらって、腕を組んでいたカナと一息付くように言葉を交わす。ちなみにマンションの一階に金売買店が入っていたが、そこはパトラが運営しているらしい。今夜は驚きの連続だった、もう何が来ても驚かねーよ。

 

「しかし、ウィンチェスターというのは──」

 

 神崎を着替えさせてくれたあと、向かいのソファーに寝かせてくれたパトラが、少し言い淀むような感じで俺を見てくる。まあ、何が言いたいのかは分かる。想像つくよ。

 

「紹介するのが遅れたな。彼はカスティエル、ずっと昔に俺を地獄から引っ張りあげてくれた天使で、その先は階級を下げられてしたっぱになったり、リーダーになったり、幽閉されたり、追放されたりして、詳しいことは本人に聞いて」

 

「なんでも聞いてくれ。ユーモアのある返しはできないが」

 

 と、いつもの調子で答える友人に、俺は軽く頷いてから目を伏せた。正直、得体の知れなさなら緋緋神にも負けず劣らずで、このマンションに招いてくれたことも少し驚いてる。だって俺が言うのもあれだが──トレンチコートを着た天使なんて怪しすぎるだろ?

 

「……本音を口にすると、何から質問すればいいのか。それと、キリ? 地獄から引き上げられたっていうのは、苦しみから救われたとか、そういう意味ではないのよね?」

 

「リリスって悪魔の指揮官に、"黙れブス"って言ったらペットに腹を引き裂かれて、気がついたら地獄に異世界転生」

 

「彼と彼の兄を、地獄の底から引き上げた」

 

「墓から這い出た。ちなみに服は着てたぞ?」

 

「あのときの私は神や、天使の使命というものに盲目的で……数えきれないヘチマをやった」

 

「ヘチマじゃない、ヘマだ」

 

「ヘマをやった」

 

 とりあえず、真実をそのままありのまま語ることにする。三人とも苦笑い寸前って感じだが。

 

「みんなそうさ、俺たちみんなヘマをやった。サテライトなら顔がマーカーまみれだ」

 

 そう、みんなが過ちをやった。キャスだけじゃない、俺たちみんな。天使も悪魔も人間も、みんながやらかした。

 

「では、聞きたいことは尽きないけれど、まずは先の助力を感謝します」

 

 苦笑いしそうな顔から一転、カナの顔付きが真面目なものとなる。この人はこの人で、本当に美人だな。金一さんにそれを言ったら大変なことになるらしいが、

 

「私はかつての同志から頼まれただけだ。バットシグナルはキリが送った」

 

「アナエルに会ったら礼を頼む。今頃、いつもみたいに商売繁盛だろうけど」

 

「天界に戻る気配は?」

 

「ないな。もうボタン押しは懲り懲りって感じ」

 

 カナから俺、俺からアナエル、アナエルからキャスに繋がった結果が今夜の魔女・天使・人間連合。アマラに天国、地獄、地上の面々で総力戦を挑んだときを思い出した。今夜と違い、あのときは敗退に終わった。今夜は勝てて何よりだ。

 

「あー、次は俺からかまわないか? 緋緋神とはその、知り合いなのか?」

 

 不意に、キンジがぎこちなく問う。カスティエルは変わらぬ様子で、

 

「知り合いだ。緋緋神が宿った器を何度か見てきた。仲は見てのとおり」

 

「みたいだな。両親の仇ぃ──とか、言い出すんじゃないかと」

 

「……どっちのだよ」

 

「さあ?」

 

 肩をすくめ、うっすらとキンジに笑う。キャスとキンジが会話してる……すげえ光景だ。それも金一さんのマンションで。ただ会話してるだけなのに、なんというか……現実味のない光景だな。ついに出会ってしまった二人──みたいな?

 

「とりあえずは、一段落。キンジもお疲れ様。けど、ちょっとだけびっくり。思ってたより、ませてたのね。キンジも。緋緋神を起こすくらいアリアとの仲を進めてたなんて」

 

「緋緋神が目覚めたということは、君はそこで横になっている彼女と……」

 

「キャス、その手の質問は遠山ボーイには禁句なの。神崎が3馬身くらい他より前にいる感じはあるけどな」

 

「でも、またアリアとくっついちゃダメよ? そしたら、また緋緋神が出ちゃうんだから」

 

 めっ、という感じでカナがキンジの額をつついた。今の、頼んだら俺もやってもらえるかな。

 

「……いや、別にそんな」

 

 キンジは顔を赤くして抗弁するが、カナは構わず続ける。やめとこ、キンジの俺を見る目が変わりそうだ。

 

「そこの『恋』の線さえ切っちゃえば、ひとまず安全かな。緋緋神を起こす感情は『恋』と『戦』の二つ。でもアリアが武偵法を破って人を殺すような戦いじゃないと、『戦』で緋緋神を喜ばせるには刺激が弱いからね」

 

「アリアがそういう戦いをしなければ……引き金は『恋』だけってことか……」

 

「アリアがそういう戦いをしないって絶対の保証はないけど。私よりもキンジの方があの子のことは知ってるでしょ?」

 

 と、弟の心情にやや肩入れする意見を出しつつも、そこはカナ。最後には『アリアの身柄は拘束したくないし、『殺して』って頼んでくるまでは殺してもいけないと考えているわ』と、あくまで神崎を犠牲にする選択肢も残していることを口にした。

 

「アリアは自らの手で、緋緋神と決着をつければよい。今夜は助力してやったがの」

 

 と、パトラはテーブルに置いたキンジのバタフライナイフを見ながら、かぶりを振った。

 

「これも駄目ぢゃの」

 

「色金止女を打ち直したのか」

 

「「色金止女?」」

 

 初めて耳にする言葉に俺とキンジが声を揃えると、

 

「それはつまり、一昔前の色金ジャマー」

 

「御名答。簡単に言っちゃえば色金に対する魔除け、御守りみたいなものね。今は金物屋で売ってるナイフになっちゃったけど」

 

 ややアンニュイな様子でカナが目を伏せた。キンジが倒れた神崎を抱えて運ぶ少し前──気絶したと思われていた緋緋神が、最後の最後でそのナイフに神崎の八重歯を立てた。そこから神崎は今も寝たきりだが、噛みつかれたナイフからは刀身に走っていた緋色が、綺麗に抜け落ちている。

 

「緋緋神が最後に噛みついたのは、この御守りを破壊したってことか?」

 

「貴方たちの知る聖なるオイルと同じで、これも貴重なものなの。これは昔、遠山家が星伽神社に貰った匕首・色金止女を打ち直した物、緋緋色金に共振して、力を少し打ち消す効果があるわ。んー、つまりね?」

 

 ホームセンターには売ってない。再戦の為に最後の最後でこっちの手札を削られたか。抜け目ないな。それにしても、

 

「妙に色金に詳しいな? それもメタトロンからの入れ知恵か?」

 

「私も何から何まで知っているわけじゃない。君たちより少し長く生きているだけだ」

 

 それはごもっとも。ルシファーも色金には因縁ありって感じだが、天使自体が多少なりと色金について知ってるって感じかも。ただの金属や物質じゃないわけだしな。

 

「ほぼ無制限に使える色金殺女とは違って、これは共振するたびに効果が弱まっていくの。最終的には使い捨てにするんだけど……」

 

「今夜で最後ぢゃのう。緋緋神が一気に力を注ぎ込み、共振を満たしていきおった。妾でも元には戻せぬ」

 

 パトラでも無理なら、俺やキンジにどうこうできるわけないか。

 

「キャス」

 

「私にもこの色金止女は直せない。悪魔が天使に『恩寵』を注ぐようなものだ」

 

 専門外か。緋緋神が姑息な手を使ってまで破棄したかった1枚。また使えたら、心強かったんだけどな。正真正銘使いきりの1枚か。

 

「すまない、彼と少し話があるんだ。席を外してもかまないか?」

 

 来たか。さて──

 

「待て、ここでかまわぬ。聞きたいことは同じとみておるでの。妾の耳はたしかに捉えた、カインの刻印と原始の剣が揃っておるとな」

 

 できることなら口にしたくない、そんな顔をしつつもパトラがその名前を口にした。さすがに世界最高レベルの魔女となれば"第一級の呪い"は知ってるか。刹那、左腕が人間離れした力で捻り上げられ、袖が捲りあげられる。

 

「……バカなことを」

 

「それ、前にも聞いた」

 

「その刻印が何を招き、何を奪ったか。覚えていないわけじゃないだろ」

 

 キャスの腕を振りほどき、腕組みしてソファーに背を倒す。

 

「分かってるよ。そいつは……分かってる」

 

 チャーリーを殺したのはスタイン一族だ。そいつは間違いない。だが、そのスタイン一族に目をつけられた原因は、この刻印にある。それは忘れてないし、忘れていいことじゃない。彼女は戦友で、家族だった。

 

「けど、緋緋神を黙らせるには必要だと思ったんだよ。国に尽くして、大勢の命を救った武偵の人生が台無しにされようとしてる。俺にはそれが許せない」

 

 許せないんだよ、見ないで流すなんてのはできない。知っちまった以上、絡むなら最後まで。神崎だって、俺にとっては失いたくない存在の一人だ。

 

 最初は……傍迷惑な居候。けど、一緒に戦って、一緒の時間を過ごした、何度も危険をくぐり抜けてきた戦友だ。あいつを救うためなら、刻印で頭がおかしくなろうが構わない。他に言いようがない。

 

 みんな人生を奪われた。チャーリーだけじゃない、ジョーもエレンもアイリーンも、ミズーリやパメラ、名前を挙げていけばきりがない。もう飽き飽きだ、大切な人が死ぬのも、人生を台無しにされるのも──もう懲り懲りだ。抗う選択肢が用意されてるなら、俺は全力で抗ってやる。

 

「香港のときも緋婢神が言ってたな。正直、あのときは俺も聞き流しちまったがたしか……刻印が、殺しのドラッグ、とか……」

 

「妾も見るのは初めてぢゃが噂は聞いておる。カインの刻印……最初の殺人者カインに焼き付けられた、第一級の呪い」

 

「ちょっと待て。まさか、問題を解決するためにまた別の問題の種を撒いたって言うのか?」

 

 ……さて、とはいえだ。キンジも加わって完全に針のむしろ。どこから話したもんかな。行方知れずだった神の姉と話をした、なんて話したらまた一悶着ありそうだ。

 




 これにて、今回の章は終了。次回からはアメリカ本土のお話となります。ここらへんで、緋緋神の話も折り返しってところですね。

 当時読んでいたときは、平賀さんの転校やヒステリアモードの秘密が露呈する等、クライマックス感で満ちていましたが今でも連載が続いて、喜ばしい限りです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。