見やすくなったかどうか感想など、良ければもらえると参考になります。
長くなりましたので、お飲みもの片手にでもどうぞ。
「よう、あんたも地獄行きのチケットを渡されたのかい?」
その日は嫌になるくらい暑い日だった。
フロリダは12月でも暑い。そんな当たり前のことを思いださせてくれるような暑い日。
もっとも、足を置いている場所はアメリカ本土ではなく日本なのだが。
「残念なことにな。蘭豹先生の癇癪をもらうのは俺だけと思ってたけど、そっちもなんかやったのか?」
「いいや、豹の怒りは触れてない。こっちは女帝の方だ。豹と仲良しの」
「綴か。それは御愁傷様だな」
「お互い様だろ、どっちもやばいよ」
「言えてる」
酒とタバコの匂いが混ざりに混ざったような嗅覚を貫かれる部屋。
後から扉を叩いたその男はやる気のない声で壁際に並んだ丸椅子を足で引き寄せた。
窓から入り込む鬱陶しいまでの明るい日差しが部屋に影を作る。丸椅子に座りながら、俺と入ってきたその男子生徒はうんざりとした顔で照りつける光を浴びていた。
「綴ってことは尋問科の?」
「そっちは強襲科か。脅すわけじゃないが、教務科の体罰フルコースは比喩抜きでこの世の地獄みたいだぞ。噂では、犠牲者は洗濯機に入れられたチワワみたいな顔になって翌日グラウンドに転がってるそうだ」
「俺に言えるのは今日はまるで人生の最後が始まる日ってことか、もしくは人生初の最後の日ってことくらいだよ。とにかくトラブルだ」
「へぇ、面白いこと言うやつだな。昨日の夕食は最後の晩餐にしては味気なかった。明日も生きてたらランチは豪華にしよう」
「俺もそうするよ。これが人生最後の自己紹介になるかもな、遠山だ。遠山キンジ」
「雪平だ、雪平切。数分後には記憶が飛んでるだろうけど、よろしく頼むよ」
それが今から約一年前、俺と遠山キンジとの正真正銘のファーストコンタクト。
武偵高の『3大危険地域』の一つである教務科の個室という、これ以上はないあまりに不吉すぎる、忘れることのできない出会い。
◇
外務省からの圧、そして神崎かなえさんからの助言もあり神崎は英国への帰国を決めた。
一方、俺とキンジもジーサードたちとアメリカ本土に経つために、武偵高に海外行きの報告をいれた。表向きにはジーサードが本土に所有している会社からの依頼ということになっている。
前回の香港──修学旅行Ⅱとは違い、依頼による海外赴任は、その日数に応じた単位が基礎数として与えられる。
その基礎数は、良くも悪くも武偵として活動していれば最低限は稼ぐのことできる単位数になっている。つまり、これで多少本土に長居したところで単位不足の心配はしなくて済むわけだ。
そうこうしている間に神崎の英国、そして俺とキンジが本土に経つ翌朝がやってきた。
「なぁ、初めて会ったときのこと覚えてるか?」
「暑苦しい部屋で『トゥームレイダー』の話をしてたのまでは覚えてるよ。けど、そのあとの記憶が完全に飛んでる」
「俺もだ。記憶がそのまま削り取られたみたいになくなってる。頭にアリアのハイキックを受けたときみたいに」
「そのままにしとけってことかもな。掘り返すなって頭が拒否ってんのかもしれないぞ?」
目指すはニューヨーク。育ちの国ということもあり、手早く支度を終えた俺はキンジの家で荷物の整理を手伝っていた。
テーブルの上には、留学前の平賀さんから『お別れセール』で買ったとかいう一目見ただけでは用途の分からないものがずらりと並んでいる。
「お前、その……腎臓でも売った?」
「なんでそうなるんだよ、ありえんだろ」
「万年金欠のお前が衝動買いなんて何かある」
「いつかお前も言ってたろ、経費をケチって良い仕事はできない。装備をケチって死ぬくらいなら散財したほうがマシだ」
「……まあ、どんなに溜め込んだところで、あの世じゃカードも札束も紙切れだからなぁ」
「平賀さんへの礼も兼ねての出費だ。手痛かったのは確かだけどな」
荷物整理のヘルプも一段落し、俺は座布団を頭に敷き、畳に寝転がる。
仰向けのまま首を傾けると、ジーサードとかなめがキンジの私物からそれぞれ日本土産をみつくろっていた。
「オーッ……ビューティフル……!」
「やったー! これで5枚ついに揃っちゃったぁ!」
木彫りの熊に感激してるジーサードと、最後の銀のエンゼルを見つけて歓喜するかなめ。
そんな妹、弟に、ケチっぽく金銭での売買を要求するキンジ。ちなみにエンゼルは500円、熊は2000円だそうだ。
「んで、ユキヒラよぉ。兄貴は気にしちまうから俺からもう一度聞いとくぜ。こいつは停戦破りってことになるが、構わねえのか?」
「構わないよ、あっちだってルールの穴を突きまくってるんだ、こんなのアンフェアでもなんでもない。ハンバーガーもご馳走してくれるみたいだしな」
「コリンズがチェリーコーラもご馳走してあげるってさ」
さすが水兵さんは話が分かる。
オーバーテクノロジーの化物と戦う報酬は、チェリーコーラとハンバーガーか。
「励めよ。色金を手に入れたあとは、胃袋を熱く焦がすスパイシー洋食がおまちかねだ」
「俄然やる気が出てきたな。知り合いの保安官が言ってた、天国への鍵はハンバーガーとコーラだって」
「ハッ、ユーモアがあるなその保安官は」
「きっとお前も気に入るよ。そこいらの傭兵よりよっぽど腕が立つ、何よりタフだ」
いや、鍵はハンバーガーとメキシコビールだったかな。スーフォールズに行く機会が会ったら聞いておこう。
天使の剣やジョーとルビーのナイフ、親父の手帳の写本や使えそうなものを詰め込んだバックを背負い、準備を終えたキンジたちといよいよ玄関の外に出る。
「うおっ……!」
「……」
キンジが玄関のスライド扉を開くや、待ち伏せしていたようにドラグノフを肩掛けしたレキが立っていた。
思わず声をあげたキンジに続いて、俺も反射的に丸めた瞳で無表情のレキを見る。
口は閉じたままだが、『私も同行します』と言わんばかりの気配が全身から溢れている。
「こんな朝早くに何しにきた、矢田ミント」
恐らく過去にレキが使っていたであろう偽名をキンジが嫌味ったらしく口にした。
これは掟破りの喧嘩、師団陣営にいるレキを関わらせたくない故の先手を取った嫌味なんだろうが、レキは案の定どこ吹く風で晴天の空を仰ぐ。
「キンジさん、日本を経つと聞きました。私も同行します」
視線をキンジに戻し、変わらぬ無表情と抑揚のない声でレキは答えた。
対するキンジも、後ろに控えていたジーサードとかなめを俺ごと手で示して見せる。
「見てみろ、こんなの連れてゲーセンやファミレスに行くと思うか? お前もルールを無視するタイプかもしれんが俺たちがやろうとしてるのは休戦破りの殴り込みだ。なるべく、師団にいるお前たちは巻き込みたくない」
言いたいことは分かるんだが──こんなのってなんだ、こんなのって。
「私は行く必要があるのです。風が──キンジさんたちの先に居る存在に会いたがっている」
相変わらず、どこか抽象的なレキの言葉にキンジが頭を悩ませている。
一方、かなめとジーサードからはSランク狙撃手を歓迎するようなムードが感じられた。
ジーサードとキンジ、対照的な空気に挟まれながらレキはじっと微動だにせず、アーモンド形の瞳をまっすぐキンジに向けている。
「どっちに賭ける? お兄ちゃんが折れるか折れないか」
「スナイパー相手に我慢比べはまずいだろ。賭けにもならねえよ。レキはレキ、頑固だ。誰かさんに似てな」
後ろ頭を掻くキンジを見ながら言ってやる。
予想は的中。一歩も退かないというか、前にも後ろにも動く気配のないレキに、キンジも早々にかぶりを振った。
「お前、英語は話せるか?」
「Yes.little bit」
はい、少しならーーか。
リエゾンの淡い綺麗な英語で答えたレキが歩いてくるとそっと体を反転させ、キンジの後ろについた。
スポッタなしで機能する百発百中の狙撃手か、心強いことこの上ない。
「これでバンドメンバーが揃ったな。レキ、あと少しで遅刻だぞ?」
「リードシンガーは最後に会場入りするものですから」
凛とした声で、レキはドラグノフを肩にかけなおした。
俺たちも神崎が飛び立つのは成田空港。
神崎は俺たちよりも一足先に、民間機で英国に飛ぶらしい。
「どうしたの? さっきからあちこち見渡して、まるで首を切られたら鶏だよ?」
「誰が鶏だ、色々考えてたんだよ。空港で首を落とし合ったお前と、こうやって空港を歩いてるってなんというか──」
「先のことは分からない?」
「ああ。あのときは羽田だったけど」
前を行くキンジの後ろ、隣を歩くかなめの言葉に頷く。
いくらキンジの妹だったとはいえ、最初出会った頃からは考えもつかなかった、仲良く本土に行ける日が来るなんてな。
「想定外を求め、驚きを受け入れたまえ。ポテチとチョコのように」
「ポテチとチョコ?」
「嬉しい結果が生まれるってこと」
と、かなめはいつものようにキャラメルを口に放り込んだ。
第2旅客ターミナルの3F──国際線出発ロビーにやって来たところで、キンジがひとり行き足を変えた。
ポケットに手を入れ、背を向けたまま、
「アリアの見送りに行ってくる」
と、抑揚のない声で告げてくる。にこにこ顔で額に青筋を立てたかなめが即座にその背中を走って追いかけた。
「お兄ちゃんのフラグ増築を阻止してくる」
と、一度だけ体をこちらに反転させて言い残すと、再びキンジの背中を追っていった。
「行くぜ、ユキヒラ、レキ。部下を待たせてる」
キンジを待つ傍ら、先に残りの部下と合流する算段でいるらしいジーサードが足を進める。
今いるサードの部下は、かなめを除くと紺色のジャンパースカートを履いたツクモだけ。
となると、待っているのはアンガス、少尉、コリンズ、ロカやキャサリン中尉あたりか。
かなめとの戦徒契約、それに同郷ということもあって俺はジーサードリーグの面々とはそれなりに親交がある。
何人かは本土で守備役にでも就いているんだろうが果たして誰が出迎えてくれるか。
なんて考えていると、こちらに気づいたその内の一人が豪快に手を振ってくれた。
「コリンズ、アトラス。出迎えご苦労」
入場ゲート近くで待っていた、二人の部下にジーサードが声をかける。
白い学ランと、虹色のスーツという奇抜な二人組だがどちらも過去に米軍からジーサード暗殺に差し向けられた腕利きの軍人だ。
「ロカはあっちでお留守番?」
「ええ。守備役よ」
虹色のスーツに、顔を包帯でぐるぐる巻きにしたコリンズがツクモにそう答える。
ロカは本土で守備役か、会えるのはもう少し先だな。
「おお、キリくん! 豪快に久しぶりだね!」
「久しぶり、少尉。かなめから聞いてる、ウチのルームメイトの窮地を救ってくれたみたいで。見逃したの超悔しい」
俺も小さく笑いながら、挨拶を交わす。
白い歯を覗かせている彼の名前はアトラス。
言わずと知れた、米軍の特殊部隊のひとつであるグリーンベレーの元隊員。
ウエストポイントを首席で卒業し、この若さでチーム指揮官も務めていた、声に出すのも少し躊躇ってしまうエリート軍人だ。
「メインイベントはこれから。もっと楽しくなるわよ?」
「楽しみにしてるよ、コリンズ。──Hoo-yah」
「Hoo-yah」
顔全体に包帯を巻いたもう一人の待ち人ことコリンズと、突き出した右手の拳同士をぶつける。
恐らく、水兵だった彼が何千何万回と口にした言葉を添えて。
「ところでお嬢様のご機嫌は? パネライの競りに負けた愚痴のメールが5件くらいきたけど」
「もう未練は切って、次を向いてるわよ? 今度はブレゲのオークション」
「ロカお嬢様は相変わらずの高級趣味だな。でもあのメーカーは確かに美しい」
元グリーンベレーのアンガス、そして元ネイビーシールズのコリンズ。
どちらの部隊も、振るいに振るいをかけられた一握りの軍人のみが席を置ける精鋭部隊。第一級の暗殺者だ。
それを返り討ちにした挙げ句、仲間に丸め込むなんてなぁ。キンジに負けず劣らず、ジーサードもやることが派手だ。
神崎とのお別れを済ませたキンジ、かなめとも出国ゲート前で合流し、俺たちはやたら甘いセキュリティチェックで優先ゲートを通過した。
どうやら、本土への移動にはジーサードの玩具を使うらしい。プライベート機を使うと、あんなにチェックが甘くなるもんなのか。
「自分の飛行機をジャックするやつはいないもんなぁ。どうりでチェックが甘いわけだぜ」
どうやらキンジも同じ事を考えていたらしい。
俺たちはエレベーターで地上のラウンジへ、ラウンジからワゴンバスでジーサードの航空機に向かう。
飛行機とドッキングする通路──いわゆるボーディングブリッジは使わないらしい。
航空機用優道路を走っていると、機に近づくに連れて頭の中がざわつき始める。
「──行くんだな、本土に」
間近で離陸してくるボーイング便。
誰に向けたわけでもない俺の言葉をツクモが拾った。
「里帰りなのに嬉しくないの? 戦役中に一度帰ってるんでしょ?」
「帰ったというか、あのときは流されるまま流されたって感じで……自分の意思で帰るのはこれが初めて。正直言うとさっきから落ち着かない」
「家出から戻る子供ってさ、みんなそんな顔するよね」
「見たことあるのか?」
横から入ってきたかなめは『テレビでね』と素っ気なく答える。
一転、お次はいつも見せる眩しい笑顔をキンジに差し向けた。
「お兄ちゃん、全部終わったら一緒にビーチ行こうよー!」
「ビーチって、アメリカでか?」
「うん、サンタモニカ。すごく綺麗だからお兄ちゃんも絶対気に入ると思うなぁ」
そう言うと、かなめはキンジの方に肩を寄せていく。
サンタモニカビーチは、その名のとおりカリフォルニア州のサンタモニカにあるビーチで、俺も何度か足を運んだことがある。
もとよりサンタモニカは観光の色が強い街、太平洋に沈む夕日を一望できる広大なビーチは特に根強い観光スポットとして知られている。
本土には数多くのビーチがあるが、俺もサンタモニカの砂浜が一番好きだ。
「もし何かあってもカリフォルニアだし、外で寝れるよ?」
「シカゴなら一晩で冷凍グラタンだけどな」
「おい、そこ。物騒なこと言うな。俺は野宿なんてごめんだぞ」
ネクラと言われがちな顔が、俺とツクモを交互に睨む。
ケモノ耳丸出しの妖狐と、俺はとぼけるように顔を見合わせた。野営なれしてる強襲科がよく言うぜ。
ジーサードリーグの運転兼バックアップ担当の初老の男性──アンガスとも合流し、俺たちは用意されていたXプレーン──X19Cに乗り込んでいく。
滑走路不要、水平飛行を行うティルトローター方式で航続距離も長い、過去に武藤が熱烈に語っていた機体のひとつだ。
「船ほどの金食い虫はないと思ってたけど、これを所有することに比べたらペットの餌代みたいなもんか」
「船は船で金を食っちまうよ、あれはあれで大食漢だ。我が家の
「くだらねえこと言ってないでさっさと入れ!」
ダークグレーに塗装された機体の、側面に用意されたドアをくぐると機内はまるで高級ホテルのスイートルームのような有り様だった。
コロッセオの油彩画やマホガニー材の彫刻で飾られた壁、ワインレッドに金の刺繍で飾った見るからにお高そうなソファー……十中八九、すべてジーサードの趣味だろう。
とても機内とは思えない広々とした、どこか浮世離れした空間だった。
足下のペルシャ絨毯だけじゃない、目を動かす度にそこかしこに置かれた工芸品が視界に入っては、新しいものと入れ替わっていく。
『……クラウリーがいたら気に入りそうだ』
心のどこかで。そんなこと有り得るはずがないのに、もしかしたら──
そんな淡い望みを期待して、俺は赤いソファーに振り向く。
「雪平さん……?」
当たり前だ、そこには誰も座っていない。
自分の命を代償に、魔王に一矢報いた地獄の王はもういない。
クラウリーは──もういない。
「いいソファーだな」
レコードを選んでいたジーサードに目配せしてから、俺はソファーに背をつけた。
程なくして、ジーサードが選んだクラシックが機内に流れてくる。
駄目だな、まるで遠足前の小学生みたいだ。考えることをやめられない。
死は等しくやってくる、天使にも悪魔にも。そんなの分かりきってるのに。
X19Cは羽田を離れ、操縦席にはアンガスが就いてる。
礼儀正しい初老に見えて、かつてはデルタフォースに身を置いていたコリンズやアトラスにも負けない経歴の持ち主。
ジーサードの車の運転を任される場面を何度か目にしたが、扱えるのは車に限らず、この機も総飛行時間は1000時間近くあるらしい。
運転手兼何事も一人で負担しがちなジーサードの相談役ってところか。
「親父が退役してすぐの頃、届いた新聞の音に驚いて思わず銃を持って玄関に行ったって。本当だと思うか?」
「常在戦場、俺たちだって同じだろ。金物の筆箱を閉める音を撃鉄を起こす音と勘違いしちまうこともある。不意を突かれる方が悪い世界」
ジーサードとレキは座ったまま動かず、アトラスはスマホでチャット、コリンズは礼拝、かなめとツクモは羽子板を取り出して、機内で羽根突きを始めてしまった──これからネバダの空軍基地を攻めるとは思えないほど、機内に広がるのは穏やかな景色だった。
電子レンジを借りて暖めたレトルト料理をミネラルウォーターと一緒に、俺とキンジは簡易テーブルを使って腹に溜め込んでいく。
「昔、まだ銃の扱いも分からなかった小さい頃を思い出すよ。小川でザリガニを釣って、婆ちゃんの漬物をご飯と食べて──」
「のどかだな」
「そうだろ。たまに恋しくなるよ」
「なんだよ、たまになのか。" いつも "恋しいって言うと思った」
キンジはなにも言わず、水の入ったボトルを一度呷る。そして、
「こんなこと言うと、未来の俺が今の俺を笑うだろうけど──アリアがやってきて、変わっちまったのかもな。俺もお前も」
「自分の仕事に前向きになった」
「ああ。ほんの少しだけどな」
お互い、影響されやすい男だった。
あるいは、神崎・H・アリアという存在が大きすぎたのかな。
アラスカでの空中給油を挟み、恐ろしいほど静かにX19CはJ・F・ケネディ空港に向かう。
下手なバスよりも揺れない、キンジが出した言葉もあながち間違いと言えなくなるほどだ。
武藤が熱弁するのも少し分かった気がする。
「間もなく、遷移飛行。5分でケネディ空港へと着陸いたします」
アンガスのアナウンスが聞こえたとき、既に窓の外からはニューヨークの景色が覗いていた。
「見えた! お兄ちゃんマンハッタンだよ!」
アメリカ合衆国最大の都市、その中核を成すマンハッタン島に、窓ぎわの椅子で膝立ちなっていたかなめが騒いだ。
帰って来たんだな、アメリカ合衆国──懐かしの故郷に。
◇
俺にとっては、恐らくキンジにとっても初乗りだったプライベート機は、マンハッタン南東に在るJ・F・ケネディ空港のヘリポートにごく普通に着陸した。
時刻は15時。世話になった航空機からバスを経由して、俺たちは空港のターミナルへ移動する。
数ヶ月振りとなる、慣れ親しんだ本土の空気が肺を通っていく。
妙な気分だな、帰って来たって感じよりもこのアメリカにレキやキンジと一緒に立ってるっていうのが不思議と……信じられない自分がいる。
ノロノロと進む入国審査の列を終え、入国ロビーで先に手続きを済ませていたジーサードご一行と合流する。
キンジ、レキは……まだ順番待ちか。もう少しかかりそうだな。
「ワンヘダ。お前、ニューヨークに土地勘は?」
「まだガキの頃、ロングアイランドでよく仕事をしてた。親父はマンハッタンが大嫌いでさ。煩いし、汚いし、球団まで嫌ってた」
手持ち無沙汰に声をかけてきた腕組みモードのジーサードに横目で答える。
でも兄貴たちは、都会が見たいってこっそり夜中に抜け出したんだっけ。
この話にはまだちょっと続きがあるんだけどそれは今思い出すような話でもない。
「てことで、多少は持ってるよ。インパラに乗って、行き着く先が家みたいな生活だったから」
「サード様、流されないでください。まともになったかと思ったら、次の瞬間パートナーをビルからジャンプさせる男です」
サードと俺との間に、耳をピンと立てたツクモが割り込んだ。
……まあ、いまのはちょっと悲観を込めちまったところはあるが……夾竹桃め、変なところに嫌な話を流しやがって。
俺は力なく息を吐き、ツクモにかぶりを振る。
「ツクモ、それはデマだ。大方、夾竹桃が愚痴ったんだろうがビルからジャンプはしてない。橋からジャンプしただけだ、川に向かってな」
「おい、魔宮の蠍は泳げねえだろ」
「もしかしたら泳げたかもよ? なんでもなんとかしちゃうヤツだから、黙秘する。お、やっとキンジが来たな。レキとかなめもいる」
話を強引に切ると、ジーサードは呆れ顔をするだけで追及はしなかった。
よし、これで揃ったな。
「ほらよ兄貴、ウェルカム・ドリンクだ」
既に審査でやつれた顔をしているキンジに、ジーサードが缶コーラを投げ渡した
「ありがとな」
「よし。出るぞお前ら」
ジーサードを先頭に、合流した俺たちは入国ゲートから外へと歩いていく。
初めてのニューヨーク、初めてのケネディ空港に、キンジの視線は面白いほどあちこちに動いている。
海外自体は初めてじゃないのに、物珍しいものなんてあるか?
隣にツクモ、前にはキンジとかなめの兄妹。
ぞろぞろと歩く列の最後尾から、俺も時折視線を脇に振るが視界に入るのは、人、人、人……何の面白みもない。
ビジネスマン、観光客、見るからに出稼ぎでやってきた者、色んな顔が視界に入ってくる。
「やっぱ、懐かしかったりするのか?」
「帰郷を懐かしめるほど、俺は純粋じゃ……かっ、なめえっ……!」
突然、首筋に冷えた何かを当てられ、マヌケな震えた声が出る。
押し当てられたかなめの手を反射的に弾くと、赤い缶コーラが床を転がった。
ずぶとさが顕現したような少女は、悪戯が成功したような顔で、
「ウェルカム・ドリンクだよ?」
「アズカバン行きだぞ、
「そう怒るな──後でお仕置きだ」
「やったー!」
キンジのお仕置き宣言に、理子みたいな反応をするかなめに俺は額を抑えて、腰を屈める。
はぁ、とりあえずこのウェルカムドリンクを飲んで今の一幕は忘れよう。
「あっ……」
手を伸ばしてコーラを拾おうとしたとき、近くで小さな音が鳴った。
恐らく、携帯かなにか落としたんだろう。妙なシンパシーを感じつつ、缶を拾ってその出所を見る。
本当に、反射的に、見てしまったことに他意はなかった。
「……リサ?」
足が止まる、先に進んでいくみんなの足音を尻目に俺の足は止まってしまった。
携帯を拾い上げた、背中まで黒い髪をおろしたその女性に……分かっていると、頭では理解していて、
「……どこかで会った?」
今すぐ、その場から立ち去るべきだと分かっていて、それでも足は止まってしまった。
リサ、ああ……リサだ。そうだよな、だってここはアメリカなんだから、会ったとしてもおかしくないさ。何もおかしくない。
「ああ、いや……その、ああ……えっと……」
話すべきでも、そもそも見つけるべきじゃなかったって分かってるんだ。
分かってるんだよ、許されないってのは。
「すいません。知り合いに、あまりに似ていたもので……心残りな別れを、したものですから。つい声をかけてしまって」
許されない、さっさとみんなの跡を追いかけるんだ。
いけ、いけよ俺。さっさと動け。
「そうだったの、ここには旅行? 言葉はお上手だけど」
「いえ、帰郷と……いうところです。子供の頃は本土で育ちました。さっきまでは実感なんてのはありませんでしたが、今は……その、とても……帰ってきた気がしてる、とっても」
「母さ──その人は?」
躊躇いを運んでくるように、忘れることのできない声が耳をなぞる。
「ベン、飲みものは買えた?」
ベン……でかくなったな。昔は……もっと小さいかったのにさ。
髪型もなんか、大人っぽくなっちゃてるし。ほんと……学生のときのディーンそっくりだ。
世の中っておかしいよ。
ほんと……どうしてここにディーン・ウィンチェスターはいないんだ、一緒にいることができなかったんだ。
どうしてここに、この世でもっとも二人が愛した男がいない──
「時間を取らせて申し訳ありませんでした。ここにいるってことは誰かお待ちでしょう」
「いいのよ、早く来すぎて時間を余してたところだから。ワイキキから知り合いが来るの、数年振りに」
「ああ、ワイキキに──そうでしたか。常夏の楽園はいいところですよね、俺も大好きです。変な話かもしれませんが……会えて良かった。ねえ、すごくいい体つきしてる、野球でもやってるの?」
「えっ……分かるの?」
「ああ、兄貴も好きだったからね。ベン……だったよね。応援してるよ、頑張って」
「ありがとう」
素っ気ないくらいの言葉をベンにかけ、頭を蹴り飛ばすような気持ちで、体を反転させる。
リサ、いまでもきっと兄貴は君とベンを愛してる。
君が覚えていなくても、いつでも君のことを想ってる、ディーンは永久に──君を愛すると思う。
お幸せに、リサ。
この世で一人、ディーンが心から愛した人。
今度こそ、会うことはないだろうけど──
──君とベンの幸せを、心から願ってる。
さよなら、リサ──