哿(エネイブル)のルームメイト   作:ゆぎ

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寄り道

 

 

 

「なあ、ボビー。ナイフとか、射撃の訓練しないでいいの? 俺、まずい飯も食うし、屋根のないところでの寝泊まりも平気だけど、父さんに怒られんのだけは嫌だよ。この年になって人に怒られたくない」

 

 芝生を踏みつける足は重たく、それはまるで授業をサボるような気持ちだった。

 鬼教官から与えられた訓練を抜け出し、街に繰り出して酒に女に夜遊びーー前に見たドラマの1シーンが不意に脳裏をよぎる。

 一夜明けて上官に真実が知れたあと、その兵士がどうなったか。思い出すのもゾッとする。

 

「お前、自分が何歳か言ってみろ。何歳だ?」

 

「9歳かな」

 

「そうだ、お前はまだ子供だ。お前には遊ぶ権利がある、分かるな?」

 

 乱暴に、しかし真面目な声に行き場の迷った視線はとりあえず晴天へと逃がした。

 そう言われましても……と、最後には困り顔をしたのも今では懐かしい。

 

「よしここだ。キャッチボールをしよう、日が暮れるまでな。今日は難しいことは何も考えなくていい」

 

「……難しいこと? 80年代のアーティストで一番人気だったのは誰か、とか?」

 

「ドラマの見すぎだな。いちいち返しがひねくれてきてるぞ」

 

「だってドラマと映画見ることしか楽しいことないし。俺は『It's My Life』が好きだ、MVがかっこいい」

 

「せめてベースボールにしたらどうだ。好きな選手は?」

 

「タカ・タナカ」

 

「……?」

 

「メジャーリーグ2、日本からやってきた外国人助っ人。こっちの言葉はあんまり得意じゃないんだけど、通訳はいなくて代わりにいつも英和辞典を持ってる。聖書みたいに」

 

 手渡されるグローブを受け取り、左手に嵌めながらひねくれた子供の顔で後ろに下がる。

 人の声で賑わい、親子連れの顔も多数見える公園は、なんというべきかとても明るい雰囲気に包まれていた。

 

 そんな空間に、どこか自分が場近いと思えてくる程度には、子供の頃から俺はひねくれていたのだろう。

 ゆるやかに弧を描いて手元にやってくるボールを受け取り、ただ投げ返すだけの時間。

 確かにこのときばかりは、ボビーの言うとおり難しいことは何も考えずに過ごせたと思う。何より楽しかったからな。

 

「しつこいけどさ。親父にどう言うの、これ。州代表のピッチャーを目指して特訓してたとか?」

 

「真実を言うさ。ジョンはお前の父親だが教官じゃない。君は子供で兵士じゃない」

 

「親父はそうは思ってない、俺たちのことは士官学校を出たばかりの半人前だと思ってるよ」

 

「だとしてもだ。与えられた権利は使え、使えなくならんうちにな。子供でいられる時間ってのは少ないんだ、お前さんが思うよりもずっとな」

 

 後に思えば、それは深い言葉だったような気がする。

 時間というものは、良い時間も悪い時間も等しく消費してしまうものだから。

 まあ、このときの俺にそんな深い言葉を潔く受け止めるだけの綺麗な心はなかったんだけどな。

 

「覚えとく。けど、明日肩が上がらなくなってもしらねえからな、っと!」

 

「はっ、年寄り扱いするな。バカタレが」

 

「お、おいっ! どこ投げてんだよっ! この年になって全力疾走したくないっ!!」

 

「9年過ごしただけの体にガタがくるもんか。ほら、さっさと走れ」

 

「……な、なんて仕打ちだ。今日は俺が言ってやるぞ、ちくしょうめ!」

 

 毎月、来る街を変えて、毎日を今日が最後みたいに過ごしていく生活だった。けど、悪くない記憶も確かに存在してたって、今なら言える。

 あんたが言った、『血の繋がり』がすべてじゃないと。それなら嘘偽りなく、あんたは俺たちの父親だったよ。

 あの病室で、最後の最後まで父親でいてくれたことに感謝してるーー上のバカタレ二人を引っくるめてさ。

 

 

 

 

 

 

 

「貯めこんでるなぁ、飲んだくれ。親父の廃棄物処理場もあちこち物だらけだったがここも負けてない」

 

 一息、綺麗とは言えない空気を吸い込んでから現実に意識を引き戻す。

 他には誰もいない、だからその言葉に誰かの声が返ってくることはない。

 

 一言で言うとそこはまるで武器庫だった。

 壁に架けられたハンドガン、ショットガン、手榴弾や人食い鬼用と思われる照明弾と一通りの武器がそこには並んでいた。

 隅に置かれていた木箱の上蓋を近くに転がっていたバールでこじ開けると、出てくるのはラベル付きの酒、酒、酒……それと申し訳程度の袋に敷き詰められた塩が不意に現れる。

 

「はっ、本当に申し訳程度だな。ボビー」

 

 ボビーは本土の至るところに、ハンターが狩りの拠点や緊急時の避難場所として使える小屋や倉庫を持っていた。

 俺が足を置いているこの倉庫とも空き家とも呼べる空間もその一つ。狩りのための武器やまじないの材料がここには一通り用意されている。

 

 この酒だけは狩りのためのものなのか、それとも単なる嗜好品として用意されたのか、怪しいもんだけどな。

 ウチの兄貴も酒には強いが、ルーファスやボビーも強かった。もちろん今は亡きエレンも。

 

 母さんを見つけたとして、先に待ち構えているのは間違いなく狩りと言っていい。こればかりは言い切れる、身仕度なしに乗り込むわけにはいかない。

 武偵として登録されてしまっているこのトーラスを狩り、しかも本土で振り回すのもできれば避けたいのが本音。何かトラブルを招いてから後悔しても遅いからな。

 

「水平二連式と、おいーーXDじゃねえか。しかも9mm口径、昔の女に世話になるか」

 

 そこで俺は、ボビーが残したこの忘れ形見に装備を頼ることにした。

 備えあれば憂いなし、本土を出るときに親父の手帳の写本と一緒に小屋の場所もメモしといて助かったぜ。

 何がどこかで、どう役に立つかは本当に分からない。そのまま無駄になることもあるけど。

 

 壁に並べられた装備から幽霊退治では馴染みとなっている水平二連式の銃を一挺。

 武偵高の門を叩くまで狩りのパートナーだったスプリングフィールドXDも壁から抜き取る。偶然にもこの子は、先生のグロッグとは色々と機構が似ていることでも有名だ。

 トーラスはトーラスで、キンジが愛用するベレッタのカスタムラインと妙な縁があったから、先生に一度そこをツッコまれたっけ。

 

「ーー何度目になるか分からないが世話になるよボビー。ほんと、何度目になるかは分からないけどさ」

 

 いつも俺たちは当たり前のようにボビーを頼って、いつか堪忍袋の尾が切れたみたいに怒ったよな。あれはそう……クラウリーの骨を俺たちが探しに行ったときだった。

 珍しく、ボビーから俺たちに頼みごとをしてきたんだったよな。いつものごとく一悶着あったけど、ディーンが最後に言った言葉覚えてる? 俺もあれが全てだと思うよ、『近くにいすぎて有り難みを忘れてた』ってさ。

 

 実際、失ってから一番喪失感を覚えるのは『当たり前』だったことなんじゃないかな。いつも当たり前のようにいた人とか、当たり前のように存在してた居場所を失ったときは本当にキツい。

 

 ……駄目だな、この国にいると色んなことを望んでもいない不意のタイミングで思い出しちまう。

 一人でセンチメンタルになって誰が徳をするって話だが、それだけ色んなことがあった。良いこともそうじゃないこともそれこそ無数に。

 

「ねえ、ボビー。聞いてるかどうか分かんないけど、言わせてもらうね。天使は人材不足だし、もう辺鄙な牢獄に閉じ込められてるわけじゃないんだろ? そっちにはルーファスはいる? 奥さんとはちゃんと仲直りできたの?」

 

 俺はたぶん、そっちのチケットは貰えそうにないからさ。もしジョーの天国にお邪魔することがあったらさ、これ以上ないくらいあの子を誉めてやって欲しい。

 だって、もしタイタニックが沈んでなかったらあんたはエレンとくっついてたんだからさ。

 俺もアッシュみたいに他の人の天国を行き来して、ジョーの天国やエレンの部屋を叩いてみたかったけど、それはどうやら叶いそうにない。

 

「一つ前の死の騎士が言ってた。すべてが終わったあと、俺たちに待ってるのは天国でも地獄でもないって。じゃあ一体……最後には何が待ってるんだろうな」

 

 きっと、これまでのらりくらりと交わしてきた色んなことへのツケを最後の最後に払わされると言うことなんだろう。

 天国でも地獄でもない場所……煉獄にでも投獄されちまうのかな。笑える、リヴァイアやイヴと仲良く監獄暮らしか。それもある種の地獄みたいなもんだが。

 

「……行くか」

 

 今回は門限がある。これ以上やったら止まらなくなりそうなので、俺はXDの様子を改めてから懐へと納めた。

 いい加減、独り言を続けるのもどうかと思ってきたところだしな。とりあえず、装備の調達はできた。これで用事は終了だ。

 

 言ってみればこのXDって拳銃は武偵になる以前の、ダブルワークになる前の俺がずっと引き連れていた腐れ縁。

 コルベットを現地妻と例えるのなら、この子は別れてしまった昔の女。即興で命を預けるにはこの上ない相手と出会えた、珍しく運が向いてる。

 

 あとは母さんの居場所を探るだけ、そっちの解決策は案外簡単に思い付いた。幸運なことに、頼れる友人がこの国には尽きないからな。

 お粗末な倉庫の扉に背を向け、俺は古い友人の携帯へと番号を叩いた。

 

 

 

 

 

 昔の俺は、ニューヨークそのものが都会だと信じて疑ってなかった。

 実際、マンハッタンは都会も都会の大都市だったし、ブロードウェイやエンパイア・ステート・ビルの華やかさは言うまでもない。

 

 けど、それはニューヨークシティを中心として見ればの話で、ニューヨーク州全体で言えばアップステイトーーハドソン川が通っている北側のエリアはそうでもなかったりする。

 ニューヨークに限らず、都会として見られている場所も少し離れてしまえば、永遠と続くような長い田舎道に出てしまう、なんてことは本土ではよくある。

 

「お届けものです」

 

 真夜中のマンハッタンを抜けて数時間、日付が変わる前に目的の場所についた俺は、年季の入ったそのドアを迷わず叩いた。

 かつては農場だったと思われるだだっ広い野にぽつんと建てられた家には、確かにオレンジ色の照明が窓から漏れて人の気配を感じさせる。

 

 ノックから数秒経ってから、ほんの僅かにドアが開いた。

 

「キリ……?」

 

 僅かに開いた隙間からこちらを覗いてきたその瞳が丸く見開かれる。

 視線を惹いてやまない長く伸びた黒髪と、妙な懐かしさを感じさせる穏やかな目元は、前に別れたときから何も変わってない。

 

「久しぶり、アレックス。こうなるとは薄々思ってたけと、いざ的中すると何って言うべきかな」

 

「もっと普通に再会したかった?」

 

「ああ、でも元気そうで良かった。会えて嬉しいよ」

 

「それは言えてる」

 

 一瞬、困り顔を浮かべるも今度こそドアが隙間なく開かれ、そのまま再会の抱擁を受けとる。この年になると懐かしい再会にはいちいち心が揺れ動く。

 腕を離し、決して狭苦しいとは思えない室内を見渡すとやはりというか俺の来訪に気付いた母さんが、部屋の一角で立ったまま目を丸めているーー案の定か。

 

「やあ、母さん。さっきぶり。大丈夫? 不気味な笑顔だ」 

 

「どうしてここが? 誰かに尾けられてる気配はなかった」

 

「痕跡を追ったんだ。そっちの方も親父から訓練を受けてる、" 高度山岳作戦訓練 "。得意科目だった」

 

 血痕を辿るだけが追跡じゃない、神経を研ぎ澄ませれば痕跡は至るところに……

 

「山岳……?」

 

 訝しげに、母さんは首を斜めに傾ける。

 かぶりを振って、俺も目線を合わせた。

 

「さっきのは忘れてくれ。一度言ってみたかったんだ。本当はチャーリーに頼んで母さんの携帯を追跡してもらった。基地局や交通カメラ、色んなところに探りを入れて最終的にここを割り出してくれた」

 

「チャーリーに聞いたの? 向こうにいた、あの?」

 

「そう、あっちの世界から連れ出したあのチャーリーだよ。重火器も電子機器もなんでもござれのウィザード級のハッカー。頼らせてもらった」

 

 一息挟んでから、招かれた家の中を改める。

 近代ビルが乱れるマンハッタンとは逆に、文明と距離を置くような自然の野に孤立したように立てられたその家の中は……至って普通だった。

 

 肩に掛けたバッグを下ろし、一番近くにあった窓へと歩く。当たり前のように閉じられた窓の向こうから覗くのは至って普通の暗い野原。

 そう、ここまでは至って普通に思えたーードアの下や窓、外と繋がる場所に敷かれた塩やグーファダストに眼を瞑れば。

 

「……グーファダストか。なるほど」

 

 窓やドアに塩、そしてグーファダスト。ハンターならこの仕掛けが()に対して仕掛けられたものかは理解できる。

 塩がバリケードとして機能し、遠ざける存在は幽霊、悪魔、そしてーー地獄の猟犬。悪魔と取引した人間の魂を回収しにやってくる地獄からの悪魔の遣い。

 

「アレックス……いや、ないよな。母さんも」

 

 暴れそうになる心臓を自分の言葉で殴り付けて黙らせる。母さんは過去にアザゼルと取引をやってる、有り得ない。悪魔の世話になる? 有り得ないだろ、それは有り得ない。

 

 アレックス? クレアのこともアレックスのこともよく知ってる、これも有り得ない。アレックスは取引を求めるような子じゃない。

 つまり、この猟犬を遠ざけるための仕掛けは二人の為のものじゃないんだ。脳内での整理を終えて、メアリー母さんに向けて半眼を作る。

 

「母さん、ここまで勝手に踏み込んでおかしな話だがアレックスが絡んでるなら尚更だ。これはどう見たって猟犬が飛び込んでくるのを防ぐバリケードだ。隠し事も駆け引きもなし、全部話してくれ。猟犬が絡むなら放っておけない、放っておけないんだよ……あれだけはな」

 

 アレックスが、ましてや猟犬が絡んでると分かった以上関わらずにはいられない。

 もしアレックスに何かあったらジョディやクレアに顔向けができない。ハンターが猟犬に食い殺される、そんなことは見るのも聞くのももう真っ平だ。

 

「ーー相手は猟犬だ。取引した人間の魂を回収しに来る十字路の悪魔の遣い」

 

 そのときだった。隣室と繋がる扉が開き、青のネルシャツを着た男が入ってきた。

 後ろから同じく紺色のシャツを着た男がまた一人、そしてブロンドの女性がまた一人と入ってくる。

 ブロンドの女は……まだ若い。20代後半、あるいは半ばといったところか。黒のアシメのシャツがただでさえ華奢な体をさらに細く見せてる。

 

 理子やクレアとはまた違った、しかし人形のように一つ一つのパーツが整った顔は間違いなく初対面。これまでに会ったことのない相手。

 だが、残りのネルシャツセットは憶えてるぞ。偶然にもアレックスと母さんが一緒にいる場での再会は、前と一緒だな。リサ、母さん、アレックスのお次は……

 

「ーーロイ、ウォルト。お高い美容クリームでも使ってんのか? 顔が昔のまんまだ」

 

「見たら非常ベル鳴らしたくなるような顔か?」

 

 皮肉が込められたその男ーーロイの言葉に俺はかぶりを振る。

 

「昔のことさ。ディーンがスーフォールズで言っただろ、もう気にしてない」

 

 額の真ん中を指で軽く叩き、遠回しな皮肉を混ぜて俺も答える。

 ロイとウォルト、本土にいる中でも古株のベテランハンターで、昔ちょっと一悶着あった相手だが前回数年振りに再会したときに和解した。

 母さんやアレックス以上に……内心、この展開には驚きまくってる。思いもよらないところから槍が飛び出てきた感じ。

 

「で、話はそっちから聞かせてくれるのか?」

 

「長くなるから先に言う。昔のことを気にしてないなら手を貸してほしい」

 

「相手は猟犬なんだろ。私怨がある、これ以上ないってくらいのやつが。聞くよ、時間が許す限りはな」

 

 単刀直入なウォルトの頼みに窓の外に視線を向ける。あと少しで日付が変わる、相手が猟犬だとしたら許された時間は決して長いわけでもなさそうだが、

 

 

 

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