デジモンエタニティ   作:LOST

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プロローグ Aパート

「次のニュースです。開催が迫る横浜万博。パビリオンが次々と完成となり、その全容がお披露目となりました……」

 

ニュースの音に混じり、トースターが食パンを焼き上げたチンという音が鳴る。目玉焼きとウィンナーの簡単な食事を並べ、ジュースとバターを机の上に置く。焼き立てのパンの良い香りがリビングに広がり、早朝で寝ぼけたままの胃袋がようやく活動を開始しはじめた。黄金色の焼き跡のついたトーストの上からバターを薄く塗っていく。

 

どこにでもある朝の一時。

 

朝はこうやって落ち着いた時間が一番だ。

 

だが、そんな平穏な空気は部屋に響く絶叫に破壊されることになった。

 

「あぁーーー!!」

 

二階から聞こえる叫びに瑠々川(るるかわ) 秀樹(ヒデキ)は視線を上に向けた。

小学校6年になったばかりの彼だが、フルーツジュースとトーストを片手に朝のニュースを眺める様は歴戦の主夫の風格があった。彼はため息をつきながら、バターの染み込んだトーストにかぶりついた。

しばらくすると、階段を慌ただしく駆け下りてくる音が聞こえ、リビングに秀樹(ヒデキ)の兄が飛び込んできた。

 

「ああっもうっ!ヒデ!転校初日だっていうのになんで起こしてくれなかったんだよ!!」

 

開口一番に文句を言いながらドタバタと走り回る兄。秀樹は呆れたようにトーストを齧った。

 

「なに言ってんのさ。兄貴もう14でしょ。自己管理能力つけなきゃダメだよ」

 

目覚まし時計を5分も鳴りっぱなしにさせといて、一度も目覚めなかった兄の熟睡加減には逆に関心している英紀である。

彼の兄は中学2年。今日が転校初日である。彼が通学することになるのは私立慶風大学中等部。制服の指定がない学校のため、兄の服装はカーゴパンツに無地のシャツというラフなものだ。兄が外出するときにいつも使っている安定の服であり、服を選んでいる時間がなかったことが伺えた。

 

そうやって最低限の身だしなみを整えている彼だが、自分の頭にまでは気が回っていないようだった。

 

「それで、そんなぼさぼさ頭のままで出かける気?」

「え?あーーーーもうー!!」

 

彼の色素が薄く、光加減で茶色ともとれる明るい髪は好き勝手な方向に跳ねまくってる。

それらを流し台の水で強引に整えようとする彼の名前は瑠々川 太河である。

 

「朝ご飯は?」

「いらない!時間ない!!」

 

そう言いながらも太河は台所に立ち、陽菜が準備していた目玉焼きとウィンナーだけは口の中に詰め込んでいく。

 

「いってきます!!」

 

リビングから飛び出して行く兄を見送りながら、秀樹は呆れたようにため息を吐く。

 

「さってと。僕もそろそろ学校行こ。じゃ、行ってきます、お母さん」

 

彼はリビングの棚に立てかけられた母の写真に手を合わせて、食器を片付けた。

 

「次のニュースです。連日お伝えしております各国で相次ぐ異常気象ですが、被害は拡大を続けており……」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

太河は横浜の住宅街の間を疾走していた。学校指定の校章の入ったカバンを肩に担ぎ、ひたすらに足を動かす。彼のカバンの紐には競泳用のゴーグルが括り付けられており、彼の動きに合わせて激しく揺れていた。

 

「初日から遅刻はまずいよなぁ……でも、タクシー使うのも……」

 

転校初日の遅刻したことや、それを回避するためにタクシーを使ったことが父に知れたら長い長いお説教が始まることは目に見えていた。それを考えるだけも太河の胃は痛みをあげそうだった。

 

だが、今痛めるべきは腹ではなく肺と脚だった

太河は昔から鍛えてきた肺活量を全力で稼働させ、再びペースをあげていく。とにかく、今は一刻一秒を争う事態だった。

 

6月の少し汗ばむ気温の中、走りに走って、太河は私立慶風中等部にたどり着いた。

だが、たどり着いたというのにまだ彼の戦いは終わらない。

 

『なんで校門がこんなに遠いんだよーーー!』

 

胸の内でそう叫び、隣の薄汚れたフェンスを憎しみながらひたすらに走る。

太河の家は慶風中等部の裏門に近いのだが、残念ながら朝は裏門が閉まっている。

遅刻を回避するためには、校門までまだ走り続けなければならない。

永遠に続くと思われる学校のフェンスを睨みつけながら、太河は最後の角へと差し掛かる。そこを曲がれば校門までは一本の直線。

太河はラストスパートをかけようと、スニーカーの靴底をすり減らしながらコーナーに切り込んだ。

 

それとほぼ同時に太河の横を1人の男子生徒が通過する。

二人は次第に横並びに走り、お互いの顔を見合わせた。

 

太河と並走しているその生徒は不意に唇の端をニヤリと持ち上げた。

 

「よう!お前さんも遅刻か?」

 

初対面の相手に対して随分と気さくに声をかけてくる相手だった。

だが、彼の言い分には納得ができなかった。

 

「まだだ!まだ僕は遅刻してない!!」

「ハハハハ!その通りだ!なら走るぞ!!」

 

太河の返事が気に入ったのかその男子生徒は笑い声をあげながら更に加速した。

それに合わせるように太河も加速していく。

ほとんど全力疾走になりながら、太河はその男子生徒と並走を続けた。

 

お互いの息があがりはじめる。

だが、限界ギリギリの中でも彼等は足の回転を緩めることはしなかった。

 

「急げ!急げ!あと5秒だ!鐘が鳴るぞ!」

「それはダメだ!鳴るな!鳴るな!鳴るなぁ!」

 

そして、彼が宣言した通り、きっちり5秒後に学校のチャイムが鳴り響く。

それは二人して学園の敷地内に飛び込んだタイミングとほぼ同時だった。

だが、太河の感覚からすれば、チャイムが鳴りはじめるよりも、大河の足が敷居を跨いだ方がわずかに速かった。

 

「ハァ、ハァ……せ、セーフ」

 

膝に手を置き、肩で息をする太河。その隣からため息が聞こえてきた。

 

「いや、アウトだ」

「え?」

 

太河は一緒に滑り込んだ人物を見上げた。

 

丸みのある顔にソバカスが目立つ男子だった。だぼついた服を着ているのもあってか随分と身体が横に膨れてるように見える。背は男子にしてはやや低く、160cmくらい。総じて『まん丸』な印象の人だった。

 

「くっそ……今日は魔王の日かよ……」

 

そう言って、目に手をあてて天を仰ぐ彼。

 

「私で悪かったな」

 

凛とした声が聞こえた。

 

それが教師の手厳しい声のように聞こえ、太河は反射的に背筋を伸ばした。

だが、太河の予想に反して目の前に立っていたのはセーラー服を着た女子生徒であった。綺麗な黒髪は束ねてポニーテールにしており、釣り目がちな瞳と相まって気の強そうな顔立ちだ。背中に定規でも差し込んでいるかのように直立して仁王立ちする姿は女武者を連想させた。

彼女の左腕には緑色の腕章がつけられており、白文字で『風紀委員』と書かれていた。

 

「さて、いつも遅刻している貴様はいいとして……」

 

彼女はそう前置きして、隣の男子生徒から太河の方へと視線を移した。

 

「君はあまり見ない顔だ、初遅刻か?」

「えっ!あっ、その……初遅刻というか……初登校というか……」

 

太河は口の中で呟くようにそう答えた。それに対して、風紀委員は腰に手を当てて眉をひそめた。

 

「ああ、今日から来る転校生か……話は聞いている。だが、初日から遅刻とは感心しないな」

「え?あの……間に合った……はず、だよね?」

 

太河は不安になって、一緒に飛び込んだ隣の男子生徒に目を向けた。

 

「なんだ、あんた転校生か?じゃあ最初に覚えておくことだ。ギリギリの登校が遅刻か否かという永遠の命題は風紀委員の判断に任されているわけだが。この堅物は『疑わしきは罰する』精神の持ち主だ。この学園は残念なことにビデオ判定はやってくれねぇ。今のタイミングなら、こいつが直々に職員室まで連れていってくれるよ」

 

嫌味も皮肉もたっぷりと塗りたくった声音で彼はそう答えてくれた。だが、内容はまったくもって穏やかではない。太河は慌てて風紀委員へと視線を戻した。

 

「えっ!じゃあやっぱり……遅刻?」

 

風紀委員は少しだけ困ったような顔をして、目元を指で押さえた。そして、数秒後に大きなため息を吐きだした。

 

「仕方ない……今回は転校初日ということで大目に見る。だが、『最初に覚えておくこと』をもう一つ教えてやる」

「は、はい……」

「我が校は国内有数の名門私立である。私服通学が認められているからこそ、風紀の引き締めはより厳しい。次は必ず職員室に直行させるからそのつもりでいるように」

「は、はいっ!」

「わかったなら行ってよし!」

「はいっ!!」

 

太河は直立の姿勢で返事をする。なぜかこの人を前にすると大きな声でハキハキと返事をしたくなるから不思議なものだった。

 

「あ、あの……でも、僕は転校初日なので結局職員室に直行なんですけど」

「なに?そうなのか?」

 

太河がそう言うと風紀委員は途端にキョトンとした顔になった。

彼女の眉間から険が取れる。すると、澄ました顔の下から愛嬌のある顔が現れた。

 

「場所はわかるか?ここの職員室は少しわかりにくいぞ。なんだったら案内してやるが」

「い、いえ、いいです。先日来ましたから」

 

ほぼ反射的に断りを入れてしまった太河。

 

生徒が困っているとみるや態度が急に軟化した風紀委員に太河は少し面食らってしまっていた。

今日の遅刻を見逃してくれたこともあり、太河はこの人のことを『案外話が分かる人かもしれない』と思い始めていた。

 

「そうか?だったら、早く向かうといい。先生も待っているだろう」

「わ、わかりました」

 

太河は風紀委員の隣を通り過ぎ、校舎へと歩き出す。

そして、そんな太河の後ろを何気なく付いて行こうとする男子が一人。

 

「……それじゃあ俺もこの辺で教室に……」

 

その男子に向かって風紀委員の手が素早く伸びた。

 

「貴様は待て!!」

「イテテ!耳を!耳を引っ張るな!」

 

太河が驚いて振り返ると、男子生徒が耳を掴まれて悲鳴をあげていた。

 

「お前は何度こんなことを繰り返せば気が済む!」

「わかった、わかったから、職員室に行けばいいんだろ!!」

「貴様は既に罰則回数に達している!次に見つけた時は問答無用で反省文だと言い渡されてたはずだ!!来い!お前がこれから行くのは職員室ではなく、生徒指導室だ。そこで反省文を書いてもらうぞ!」

「痛い痛い痛い!!わかったから!わかったから引っ張るな!」

 

そして、二人は嵐のように校舎へと消えてしまった。

取り残された太河は目の前で繰り広げられた光景に目を何度も瞬いていた。

 

とりあえず、遅刻を繰り返したら反省文提出だということは判明した。

さっきの風紀委員が言っていた通り、服装が自由な分だけ風紀が厳しいようだった。

 

太河が状況に気圧されて校門に佇んでいると、不意に声をかけられた。

 

「……あなた、転校生?」

「えっ?」

 

声のした方に目を向けると、そこには柔らかな栗色の髪を蓄えた小柄な女子が立っていた。全体的に全てのパーツが小さく、小学生と言ってもギリギリ通用するかもしれない。服装はふんわりとした生地のスカートに薄手のカーディガンという格好。彼女は身の丈に似合わぬ大きめの鞄を持っていた。

 

「えと……うん……転校生の瑠々川 太河です」

「……私、木村 渚沙……多分、同じクラス」

「えっ!ほんと!?」

 

彼女は会話のテンポが少し遅く、独特の間合いをとった喋り方をしていた。

だが、それよりも、太河にとっては同じクラスの生徒ということがなによりも重要だった。彼女とこれから仲良くなれるかどうかは別として、新たな環境で最初に話かけることができる相手がいることは大事なことだった。

 

「って、あれ?木村さんはどうしてここにいるの?君も遅刻?」

 

彼女はフルフルと首を横に振った。その姿は小動物を連想させる。だが、その表情にあまり変化がないせいか、彼女は手を伸ばすと噛みつかれそうなミステリアスさも持っていた。

 

「……シャオが遅刻するだろうと思ったから……見学」

「シャオ?」

「……ロン・シャオメイ……さっきの男子……案の定遅刻で罰則……いいもの見れた」

 

木村はそう言ってクスクスと笑う。目を細め、あまり顔の筋肉を使わない笑い方。彼女の秘めるミステリアスな雰囲気が一層強くなる。太河は一瞬怯みそうになったが、気を取り直して質問を続けた。

 

「それで、引っ張っていった方の風紀委員は?有名な人?」

「……あれは、士ノ道(しのみち) 真央(まお)……風紀委員で剣道部」

 

剣道部

 

その単語を聞き、太河の心臓が一瞬だけ不規則に跳ねた。

だが、そんな動揺など一切見せずに太河は平静を装う。

 

「……あの人は厳しいことで有名……士ノ道さんが遅刻監視に付く日は『魔王の日』って言われている」

「あぁ、名前が真央(まお)だから……『魔王』か……」

 

名門とは言え学校は学校だ。いろんな人間が集まるものだ。

太河はそう思ったが、すぐにのんびりしている時間はあまりないことに気が付いた。

 

「やばい!職員室に行かないと!」

 

慌てて駆け出そうとした太河だったが、木村に「……待って」と言われ、足を止めた。

 

「え?なに?」

「……一応……案内しようか?」

「え、いや……」

「……この学園……職員室わかりにくい」

 

風紀委員の人にも同じことを言われた。先程はほぼ反射的に断ってしまったが、太河はこの学園をまだ数度しか歩いていない。当然不安もあったし、心細くもあった。それに加え、目の前にいる木村は先程の風紀委員の人よりも親しみ易くあった。

 

太河は頭をかいて、頷く。

 

「できればお願いしようかな……ちょっと不安だったし」

「……そのほうがいい」

 

木村は表情を緩めて頷いた。

 

木村は「……こっち」と言って太河が向かおうとした出入口とは別の方向へと連れていく。

太河は彼女の隣に並びながら、頭一つ小さいところにある彼女の横顔を眺めた。

 

「それで、木村さん……」

「……渚沙でいい」

「えっ、いいの?」

「……うん……そっちの方が呼ばれてる気がする」

「じゃあ……渚沙……」

「……なに?」

 

とりあえず、最初に出会った相手にすべきこと。

太河は右手を彼女に向けて差し出した。

 

「これから、よろしく」

「……うん、よろしく」

 

渚沙の手は太河の予想通り小ぶりであったが、思った以上にしっかりとした力で握り返してきた。

 

転校初日は校門から既に色々な出来事で溢れかえっていた。

 

 

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