デジモンエタニティ 作:LOST
「へっくしゅん!」
大きくくしゃみをしたのは川岸で待っていたロバートだった。
ロバートは濡れた服を着たまま、絞ることも乾かすこともしていない。
冷たい水滴を身体から滴らせたまま、ロバートはガタガタと震えていた。
「ロバート、いい加減その服脱いだ方がいいと思うべ」
「はぁ!?ふざけんな!この上着はヴェルマーニだぞ!ヴェルマーニ!もし盗まれでもしたらどう責任とってくれるんだ!?」
「ゔぇるまーに?なんだべ?」
「あぁ!もう!これだから貧乏人は!!」
ワニャモンはロバートが何を言っているのかまるで理解できなかったが、とりあえず彼が服を脱ぐ気がないと言うことは理解した。
「はぁ〜……」
ワニャモンは大きなため息を吐いて、ロバートの胸元に潜り込む。
「なんだよ!まだ文句あるのか!」
「別に~いいからロバートはそのままでいればいいんだべ」
ワニャモンは震えるロバートを少しでも温めてあげようと、その小さな身体を震わせて自分の体温をあげる。
毛に覆われたワニャモンは本来なら側にいるだけで暖房器具のように暖かい。だが、ロバートの濡れた服越しにはその効果も今ひとつである。それでも、多少の気休めにはなった。
もっとも、ロバートはその恩恵に気づいたりはしなかったが。
「へっくしゅ!まったく!あいつら遅いじゃないか!何をやってるんだ!鐘山の奴、こんな時でもトロいのかよ!」
ロバートの口数は増える一方だった。その内容もどんどん不機嫌なものになっていく。
挙げ句の果てに鐘山の陰口まで言い出す始末。その聞くに耐えない暴言に口を挟んだのは、木陰に座っていた薬師寺であった。
「あなたは文句を言うことしかできないのですか?少しは黙ったらどうです?」
その声音には苛立ちが少なからず乗っていた。
「なんだよ!僕に指図しようってのか!!」
「別にそういうわけではありません。ただ、少し静かにしてくれませんか?これでは考え事もできませんわ」
「なんだよそれ!僕が何を言おうと僕の勝手だろ!」
「あぁ、もう!いい加減幼稚園児みたく喚くのはやめてください!ただでさえ、こんな状況だというのに!!」
薬師寺は感情に任せ、八つ当たりのように地面に拳を振り下ろした。彼女の隣にいたバドモンが驚いて士ノ道を見上げた。
「真莉愛、どうしたの?なんで怒っているの?」
不安そうな声をあげるバドモンに薬師寺はハッとする。
彼女は自分を律するかのように静かに深呼吸をした。
「いえ、なんでもありません。なんでもありませんわ」
薬師寺は一つ呼吸を置く。そして、生徒会長の時のように精悍な顔つきを取り戻してロバートを見据えた。
「とにかく落ち着いてください。下手に大声を出せば危険なデジモンを呼ぶことになるかもしれませんわ」
「うっ……」
先程、ゴリモンに襲われたばかりのロバートだ。エネルギー砲を向けられた時の恐怖はまだ記憶に新しい。
ロバートは渋々といった顔で薬師寺から視線を逸らし、「わかったよ」と呟いた。
その時だった。
「おーーい!!おーい!!」
鐘山と渚沙が茂みを抜けて走ってきた。
「やっときた、遅いじゃないか!」
期待に満ちた顔を上げるロバート。だが、その顔が恐怖で硬直するのにそんなに時間はかからなかった。
「みんな、逃げて!!」
鐘山の口からそれ以上の説明は不要だった。
「キシャァァァァァァ」
木々を切り裂いて森の中からスナイモンが飛び出した。
「う、うぁわあああああ!パーパーーーーー!」
ロバートが一目散に駆け出した。『立ち向かう』なんて選択肢など微塵も持たないロバートの逃げ足はやはり早い。だが、それができないものも当然いる。
薬師寺と士ノ道の2人だ。
「あ……あ……え?なん……ですの?あれはなんですの!?」
「あ、あれも……デジ……モンなのか……」
彼女達が今まで見てきたデジモンはキョキョモン程度の大きさのものが全てだったのだ。
『危険なデジモンがいる』という情報を聞いてはいたが、その現物を見たことはない。
彼女達もそれなりに『危険なデジモン』というものを想像はしていた。だが、目の前に現れたのはそれをはるかに上回る巨大なデジモンの姿だった。
スナイモンの姿に圧倒され、2人の思考と身体が停止する。
「な、なんですの……この、この、化け物は……」
木陰に座り込んだまま動けない薬師寺。
そんな彼女の腰をバドモンが押しこんだ。
「真莉愛!早く立って!!逃げないと!!」
「え、ええ……そ、そうですわね……」
薬師寺はその場で立ち上がろうと手をつく。
「あ……あれ?」
「真莉愛!早く立って!!」
「わかっておりますわ。わかって……わかって……おりますのに……」
手をついた腕に力が入らない。膝を立てようとしたが、足がその体重を支えることができずに砕けてしまう。
「え、え?え?え?なんで……どうして……」
何度も起き上がろうとしては膝が抜け、掴まって立とうとしては尻もちをつく。
逸る気持ちばかりが先走り、身体に力が入らない。気づけば自分の両足がガタガタと震えていた。
「キシャアアアアアア!」
「きゃあぁぁぁっ!」
スナイモンの顎が立てる威嚇音に薬師寺の身体が萎縮し、硬直する。
彼女の目がスナイモンの鋭い鎌に釘付けになっていた。
「あ……ああ……あああ」
スナイモンの刃先が太陽の光を反射して煌めく。
意識が遠のきそうになる程の恐怖。身体に眠る生存への本能がスナイモンから逃げることを訴え続けていた。だが、彼女はその場で後ずさるだけでまるで身動きが取れない。
そんな薬師寺のもとに士ノ道が駆け寄る。
「薬師寺様!早く逃げますよ」
「わ、わかっていますわ。で、でも立てなくて……」
「わかりました。私が抱えます!捕まってください!!」
「え、ええ……」
薬師寺が士ノ道を抱きかかえようとする。
だが、それはすなわち、スナイモンに背を向けるということだった。
「っ!!」
恐怖の対象を見ずに背を向ける行為。
そのプレッシャーは士ノ道の想像の遥か上をいっていた。
から一気に冷や汗が噴き出る。耳がスナイモンの羽音を捉えて離さず、そのせいでスナイモンまでの距離が測れない。
100m?50m?
それとももう真後ろにでも迫っているんじゃないか。
そんな恐怖と焦燥が一瞬で士ノ道の全身を震わせた。
それでも、なんとか薬師寺を抱えようと士ノ道は腕に力を込める。
「………あ、あれ……」
「し、士ノ道さん、は、はやく、あげてください」
「わ、わかってます!!わかってます!!」
だが、士ノ道の腕は彼女の意志に反してまるで力が入らない。
それどころか、一度折り曲げた膝ですら言うことをきかなくなっていた。
「な、なんで……」
「士ノ道さん!早く!」
「わかっていますわかってますわかってますから、焦らせないで!!」
士ノ道は信じられなかった。
動かない自分の身体が信じられなかった。
『士ノ道』は『薬師寺』を守らなけらばならない。
幼い頃から言い聞かされ、そして実践してきた。
身体を鍛え、心を鍛え、いざとなれば彼女を抱えて逃げることすらできるように自分を鍛えてきたはずだった。
だが、この土壇場でその積み重ねは脆くも崩れ去った。
そんな彼女を見かね、キョキョモンが士ノ道の首から離れた。
地面に尻尾をつけ、彼女の尻を持ち上げようと身体を押す。
「真央殿!頑張ってくだされぇ!!」
「キョキョモン……わかっている……私もわかって……いるんだが……」
バドモンも薬師寺を動かそうと必死に身体を支えていた。
「真莉愛も!早く立ってよ」
「こ、これでも……立とうと……」
わずかに2人の身体が浮き上がる。
だが、それを阻むかのようにスナイモンが威嚇音を発した。
「キシャアアアアアア!」
「きゃぁぁあっ!」
「っっ!!!」
悲鳴を上げる薬師寺。恐怖に身をすくませる士ノ道。
2人は震えながら抱き合ってその場に沈み込んでしまった。
そんな彼女らの状況に鐘山は奥歯を噛み締めた。
「くそっ……」
スナイモン追われている状況でここに戻ってくるのはやはり無謀だったのだ。
鐘山は自分の考えの甘さをまたもや突きつけられていた。後悔と自責の念がその肩にのしかかる。
そんな鐘山の表情を下から見上げるツノモン。
ツノモンには今の鐘山の気持ちが痛いほどに流れ込んできていた。
決して最悪の選択をしたわけではない。そのはずなのに、彼は全て自分が悪かったかのように思ってしまう。
それが鐘山 善久という人であることをツノモンは本能よりももっと深い場所で理解していた。
ツノモンは歯を食いしばり、意を決したように鐘山の腕の中から飛び出した。
向かう先は当然、スナイモンだ。
「ツノモン、何を……」
「このぉっ!」
ツノモンがスナイモンにアワを放つ。風に乗せられて届いたアワはスナイモンの外骨格にあたって弾ける。だが、そんな攻撃でダメージなど与えられるはずもなく、スナイモンは真っ直ぐに向かってくる。
「えいっ!えいっ!」
それでもツノモンは何度もアワを放つ。やはりスナイモンには効果がない。
「ツノモン!」
鐘山が引き返してツノモンが拾い上げた。だが、その間にスナイモンはもう目の前にまで迫っていた。
鋭利な鎌が鐘山めがけて振り下ろされる。
命の危機。誰しもが怯え、思わず目を瞑ってしまってもおかしくはなかった。
だが、鐘山は冷静だった。
身体を捻りながら、持っていた枝をスナイモンのカマに合わせる。
枝をカマの動きに沿わせ、横から払いのけるようにしてカマの軌道を逸らした。思わぬ空振りにスナイモンの身体が流れ、バランスが崩れる。
鐘山ははすぐに身体を反転して走り出した。
腕に抱えられたツノモンは彼の咄嗟の機転を目の当たりにして、落ち込んだような表情になった。
「ご、ごめん、善久……僕が役立たずなばっかりに……」
「大丈夫だよ。これぐらい猪や熊に比べたら……」
だが、状況が改善したわけではない。
薬師寺と士ノ道は変わらず動けない。このまま走って逃げてもスナイモンを彼女のもとに連れていくだけだ。
鐘山は決断を迫られていた。
逃げるか、戦うか。
鐘山は恐怖に顔を歪ませる。怖くないわけがない。こんな巨大で凶悪なデジモンに追われ、平常心でいられるわけがない。
スナイモンの顎が擦れるシャカシャカという威嚇音が次第に大きくなっていた。スナイモンとの距離が確実に縮まってきていることが振り返らずともわかる。
もう、迷っている時間はなかった。
鐘山は急ブレーキをかけ、スナイモンを振り返る。
鐘山は木の枝を構える。こんな枝などスナイモンの大きなカマに対してはそれこそ『蟷螂の斧』である。
だが、ここで引けない。引くわけにはいかない。
その腕の中からツノモンも飛び降りた。
「善久……僕も戦うよ!!」
「ツノモン……ありがとう」
一人が二人になる。状況はそんなの変わらなくとも、頼もしく思った。
鐘山は一度ゆっくりと深呼吸した。
自分の心臓が痛いほどに脈打っていた。全身を駆け巡る血流が焼けるほどに滾っていた。
鐘山はスナイモンの全景をその視界に捉える。
枝を握る手に力を込め、余計な
彼はいつもロバートの取り巻きの中でも地位が一番下だった。いつも奴隷同然の扱いを受けてきた。
そんな彼が今は背中に誰かの命を背負い、肩にかかる重みを跳ね除けて巨大な敵に立ち向かっていた。
今ここに、いつもロバートに虐められている男の子はいない。
勇気を振り絞り、誰かを守るために巨大な敵に立ち向かっていく1人の勇者が立っていた。
「キシャァァァア!!」
スナイモンが叫ぶ。
「う、ううう、うぉぉぉおお!」
鐘山が気合を込める。
スナイモンの鎌が迫り、鐘山は振り下ろされるカマに木の枝を合わせた。甲高い音がしてカマの軌道がそれる。
その隙をついて、スナイモンの懐にツノモンが突進した。
「うりゃあぁああああ」
自慢のツノを切っ先にした突進。ツノが外骨格にぶつかり、甲高い音をたてた。
ツノモンの小柄な体ではスナイモンの固い外骨格を破るには至らない。だが、その攻撃は確実にスナイモンの足を止め、小さな傷を刻みこんだ。
「このクソジャリがぁあああああ!」
スナイモンの視線が目先の鐘山とツノモンに固定される。スナイモンの顔に描かれた模様が興奮で赤く発光していた。
「来るならこい!!」
「僕と善久が相手になってやる!」
二人の挑発に応じるように、スナイモンは羽を閉じ、地面へと降り立とうとする。
鐘山は額から汗が流れ落ちるのを感じた。地に足をつけられたらカマの空振りを誘っても、隙が作りにくくなる。
スナイモンの両足が地面に降りる。巨大なデジモンの身体が見せかけでないことを示すかのように足元で土ぼこりが舞い上がった。
だが、スナイモン地面に足をつけた直後、その関節部分に小さな球体が飛びついた。
「『シッポびんたぁぁ!』」
フリモンだった。
フリモンの大きく振りかぶった尻尾がスナイモンの関節を直撃する。攻撃の威力は大したことはなくとも、スナイモンの全体重が関節に乗った最高のタイミングだ。
「ぬっおぉおお!」
スナイモンが自らの重量に耐えきれずに膝を折った。
「え……?」
驚く鐘山の隣にいつの間にか渚沙が並んでいた。
「…………手伝う」
「だ、ダメだ!木村さん!君だけでも逃げないと!」
「……私も……守る!」
彼女は強くそう言い切った。
渚沙の視線の先にいるスナイモンの戦意は未だ折れていない。
小さなデジモンに二度もいいようにされ、スナイモンのボルテージは最高潮にあった。
「シャアアアアアアアアアアア!」
高らかに威嚇の声をあげるスナイモン。
「キサマラァァアア!キリキザンデヤルゥウウウ!!」
叫び声をあげるスナイモンを前に鐘山は決意を固めるかのように拳を握りしめた。
「ツノモン……行くよ!!」
「うん!任せてよ!」
その隣にいる渚沙の口元は緊張のせいで、いつもより強く結ばれていた。
「フリモン……無茶しないで」
「ああ、そうしたいな。だが、今無茶しなきゃ、いつするんだ!!」
ツノモンとフリモンが一歩前に飛び出た。
身がすくむ程の恐怖を押し込み、彼等は飛び上がる。
その2匹の身体を突如光が包みこんだ。
【ツノモン進化ーーー】
【フリモン進化ーーー】