デジモンエタニティ 作:LOST
水と食料が豊富な川岸。人がこの世界にいるなら川岸で必ず生活しているはずだ。
薬師寺の提案で子供達は川沿いを下流に向けて移動していた。
とはいえ、彼等の足取りは決して軽いものではなかった。
この世界に来てからというものの立て続けに3度もデジモンに襲われた。しかも、一晩は夜を徹している。
ゴブリモンに襲われた翌日は疲れ果てて朝から皆で横になったものの、硬くて冷たい地面で安眠できるはずもなかった。慣れないことの連続で全員が心身共にへとへとだ。
みんなが動けてるのは、単に一箇所に留まっていたら危ないという危機意識だけだった。
子供達の口数は自然と少なくなり、それに応じるようにデジモン達の口数も減っていった。
周囲から聞こえるのは川のせせらぎと風に揺れて葉が擦れる音だけ。
ともすれば平和な川辺を散歩しているだけのような錯覚を覚えるが、子供達の脳裏にはデジモンに襲われた時の恐怖が染みついている。
子供達は歩きながら常に周囲を見渡して警戒心を剥き出しにしていた。
だが、常に緊張感を張り続けることができるはずもない。
ふと、気が緩んだ瞬間、太河は大きな欠伸をした。
「ふあぁ……」
朝から歩いていたが、太陽はそろそろ天頂に近い。代り映えのしない景色と川辺に吹く涼しげな風が眠気を誘っていた。太河の横を歩いてアグモンも釣られて欠伸をして、太河は「デジモンにも欠伸はうつるらしい」とそんなことを思っていた。
そんな太河のすぐ後ろを歩いていた渚沙からも大きな欠伸が聞こえてくる。
「……ねむい……この川……どこまで続いてるんだろ?」
「そりゃ海じゃない?」
振り返りながらそう答えると、渚沙は「……そっか」と言って頷いた。
渚沙がもう一度欠伸をすると、彼女の足元を歩いていたレオルモンへと欠伸が広がった。
太河としては自分が放った欠伸が次々と伝染してく様を見るのは割と面白い光景であった。
「……ふあぁ……だめ……頭回らない……」
「今日はどこかでゆっくりと休めるといいね」
「……うん……でも……多分、無理」
「え、無理って?」
太河は歩幅を少し緩めて渚沙の隣に並ぶ。
「……無理……『安全な場所』なんて……ここにはない」
そう言った渚沙の表情はいつもと変わらない。
達観しているわけでも、絶望しているわけでもない。彼女はただ漠然と事実を述べているだけだった。
「……デジタルワールド……デジモンが昼夜問わず徘徊してる……安全な場所は……どこにもない」
「それは……」
「……あまり大きな声で言いたくないけど……ロバートがヒステリー起こす……」
ロバートの名前を出した彼女の表情に特に変化はない。
太河はあの日に見た闇の中の表情を思い出す。
炎の揺らめきの中で浮かび上がった憎しみを抱いた渚沙の顔。
それは見間違いだとは思えない程に鮮明に太河の記憶の中に残ってしまっていた。
だが、今の彼女の雰囲気からはそんな顔を連想することなどできない。彼女はいつもの抑揚の欠けた鷹揚とした態度のままだった。
太河は転校してきたばかりで皆のことをよく知らない。彼女等の間に今まで何があって、どんな関係であるのかを何も知らない。太河は彼女達の関係に踏み込むことが出来ずにいた。
「…………」
太河としてはあまり関わりたくもない話だった。変に踏み込んで、いらぬ重荷を背負うのは嫌だ。それに、人間関係の悪化は時に取り返しがつかなくなる時もある。だったら当たり障りのない距離を保つのが、自分にとっても相手にとっても安全なのだ。
その距離感を間違い、自分の力を過信したばかりに太河は取り返しのつかない傷を負った。
太河は左腕を庇うようにして歩く。
もう、他人に深く関わるのはやめよう。
そう思っていた。
そう思って転校してきたのだ。
『斜に構えてしかめっ面なんてらしくないよ』
「……ったく、ほんと」
その声を思い出すたびに、太河はため息を吐きたくなる。
人の気も知らないで好き勝手言いやがって……
太河はネガティブになっていた自分を追う出すように側頭部を拳で2度ほど叩いた。
そんな時、渚沙が声をかけてきた。
「……太河……」
「ん?なに?」
「……ちょっと……聞きたいことがある……」
そして、彼女は皆の位置を確かめるように後ろを振り返った。
太河達の後ろにはシャオと鐘山が歩いている。シャオは退屈と疲労が顔に現れており、鐘山は保存食にした食べ物の入った鞄を担いで黙々と歩いていた。
渚沙は皆が自分達に注目していないのを確認して、声を落とし、太河に顔を寄せてきた。
「……太河」
「なに?」
渚沙に合わせるように太河も声を落とす。
「太河は……本当に帰れると思う?」
太河はその質問に身体が強張るのを感じた。
太河は『デジタルワールド』での最初の夜に『きっと帰れる』と言った。
それは何の根拠もない空元気だ。薬師寺にも『無責任な発言』だと言われた。太河だってそのことはわかっている。だが、一度口にした以上、その言葉はもう取り消すことはできない。太河は今更意見を覆すわけには行かないのだ。
「……うん……きっと帰れるよ」
笑顔で言い切った太河。太河としては自分の今できる最高の笑顔を作ったつもりだった。
だが、渚沙は呆れたように細い眉に皺を寄せた。
「……違う……そういうこと言って欲しいわけじゃない」
「え?」
「もっと具体的な話……太河はここから帰る『道』みたいのがのがあると思う?」
太河は渚沙の言っている意味を頭の中で簡単に噛み砕く。
彼女は元気づけて欲しいとか、前に進む気力が欲しいとかそういうことではない。
単に意見の交換をしたいのだ。
「あ……そういうこと」
「うん……意見が聞きたい……」
そう言った彼女の表情は真剣そのもの。彼女が求めているのは漠然とした希望ではなく、具体的な事実だ。
現状を整理し、様々な角度から俯瞰するには他者の見解を聞くのが一番手っ取り早い。
それは太河もやっておきたいことだった。
太河は自分の考えを整理するかのようにこの世界に来た時のことを思い出す。
「僕らは……体育館裏で何か吸い込まれるようにしてここに来た……」
「……うん……」
「ってことは……僕達はこの『デジタルワールド』に地続きの道を歩いてきたわけじゃない……どこか……別の世界に飛ばされたって考えた方が自然だと思う」
「……小説みたいに……異世界召喚されたってこと?」
「簡単に言えば」
だが、もしそうなら元の世界に帰る方法なんて存在するのだろうか?
吸い込まれた時に世界の壁を越えたというのなら、帰る『道』なんてあるのだろうか?
太河は自分の腰のあたりに手を置く。そこには太河が大切にしている水泳用のゴーグルが今も括り付けられていた。その御守りに触りながら、太河は自分の意見をまとめる。
「だから『道』はないかもしれない」
「…………」
「でも、もし、この『デジタルワールド』が別の世界だとしても。こっちから僕らの世界に通じている『穴』みたいなのはあると僕は思う」
「……根拠は?」
「根拠は……これ」
太河はそう言って自分のポケットから取り出したのは、デジヴァイスであった。
「これが、僕らがここに呼ばれた原因じゃないかって渚沙も言ってたろ?それに進化にも関わっている。だったらこれはこの『デジタルワールド』に存在していた物だと思うんだ。そして、このデジヴァイスは『デジタルワールド』から僕らの世界に落ちてきた」
「確かに……なるほど……言われてみれば……」
「だから、これは帰る方法の手がかりにもなるんじゃないかな……まぁ、今考え付いた話だけどさ」
太河はそう言って「たはは」と照れ笑いを浮かべた。
「ううん……筋は通ってる……と思う……」
「そうかな?」
「うん……それに……その考えなら……デジタルワールドから私達の世界に何かが通じている可能性はある……悪い話じゃない」
そう言って渚沙は自分のデジヴァイスを取り出して、弄り出した。
まるで、そこに帰るための秘密が隠されているんじゃないかと言わんばかりだった。
デジヴァイスを凝視する渚沙の横顔。いつもと変わらない無表情ながら、彼女が熱心に手がかりを探そうとしているのが伝わってくる。
「……意外だよね」
太河はそんなことを口にした。
「……なにが?」
渚沙が太河を振り返る。彼女の目には純粋な疑問符が浮かんでいた。
「あ、いや。渚沙ってさ……意外と研究熱心というか、結構色々と分析とかするんだなぁって」
「……そう?」
「う、うん」
デジヴァイスについて最初に皆に意見を述べたのは彼女だった。
彼女と出会ってさほど時間は経っていないが、太河から見た渚沙は決して積極的な人種には見えなかった。だから、彼女が自分から注目を集めてデジヴァイスについて語った時は驚いた。
受け身で無口な大人しい女子という印象はここ数日で随分と覆されてきた。
「勉強とか好きだったりするの?」
渚沙は少し考えるように空を見上げ、ゆっくりと首を横に振った。
「そういうわけじゃない……でも……図書館は好き」
「あぁ、なるほど……」
「……恋愛小説とか割と好き」
「えっ?そっちなんだ?」
「BL」
「まじでっ!?」
渚沙って通称『腐女子』とか言われるような人種なのか?
僕やシャオを見てそういった妄想を繰り広げているような人だったのか?
「……冗談」
「あっ……ああ……そうでした、そうでした……」
太河は一人で焦っていたのもあって、がっくりと肩を落とした。
彼女の言動が『冗談』で締めくくられることがすっかり抜け落ちていた。
「でも……図書館が好きなのは本当」
「……で?好きなジャンルは?」
「……推理もの」
そう言われ、それはそれで納得した太河であった。
彼女のミステリアスな雰囲気と推理小説の組み合わせは割としっくりと来る。
彼女が安楽椅子に揺られながらシャーロックホームズでも読んでいる姿は絵になりそうでもあった。
渚沙の探求心の高さなどはそういったところが原点なのかもしれない。
そんな時、太河の服の裾をアグモンが引っ張った。
「ん?どうしたアグモン?」
「たいが~おなかすいた~」
アグモンは今にも泣きそうな顔でお腹を押さえて見上げてくる。
確かに朝から食事もとらずに歩き通しなのだ。そろそろ空腹を覚えても仕方ない時間帯だった。
「そっか……そろそろ、休憩にした方がいいかもしれないね」
「……うん」
渚沙は頷きつつ、足元のレオルモンを抱き上げた。
「む?」
猫のようにお腹を掴まれたレオルモンはされるがままに渚沙の肩へと担ぎ上げられる。
「レオルモンは……お腹すいた?」
「いや、私は大丈夫だ。まだまだ歩けるぞ」
「……本当に?」
「本当だ!」
だが、そう言った直後にレオルモンのお腹の虫が盛大に唸り声をあげた。
「あ……いや……これは……その……」
きまりが悪そうに頬を赤らめるレオルモン。
渚沙は優しくレオルモンの頭を撫でた。
「レオルモン……無理しなくていい……」
「う、うう!!……渚沙!降ろしてくれ!!これは、私に対する辱しめだぁ!」
レオルモンの訴えは渚沙に完全に黙殺された。
ただ、皆が空腹を感じているのは間違いなさそうだった。
「薬師寺さん!」
「なにか?」
「アグモンがお腹すいたって。そろそろ休憩にして、お昼でも食べない?」
太河がそう言うと、シャオとロバートから同時に賛成の声があがる。
薬師寺はその二人を無視して、残りの面子を見渡した。
シャオとロバートを除いた他の人達はそう簡単に『疲れた』などとは言い出さない人達だ。
だが、皆の顔には確かに疲労の色が浮かんでいた。
「……そうですわね」
薬師寺はそう言って立ち止まる。
彼女は周囲を見渡した。
周囲は森だが木立の幅は広く、見通しはある程度ついた。
休むにはちょうど良さそうな場所である。
安全を確認している薬師寺はいつもと変わらない。
学園で校内を見回るかのように凛とした態度を崩さない。
だが、その内心では強く唇を噛んでいた。
それは自責であった。
こういった時に疲れを感じてから休憩しては遅い。動けなくなってから立ち止まれば、危険が増すだけ。そのことはこの世界に来てから嫌になる程味わった。
薬師寺はそのことを意識して、早めに休憩を入れようと思っていたのだ。
にも関わらず、太河に『休憩しよう』と言われるまで、まるで皆の状態に気がつかなかった。
学園にいた頃はこんなことは決してしなかった。
生徒会長として周囲に気を配り、良きリーダーとして立派に行動していた。
なのに、ここに来てからというもの何も上手くいかない。
薬師寺は自分の失態を無理矢理腹の腹の奥底に飲み込む。
毅然とした態度を取り繕い、最初から予定していたかのように言い放つ。
「わかりましたわ。お昼休憩にしましょう」
薬師寺の言葉が放たれた瞬間にロバートがその場に尻もちをつくように腰を降ろした。
ロバートはそのまま大の字に寝転がり、二度と歩きたくないと全身で訴えていた。
「あぁっ!つっかれたぁ!おいっ!鐘山、昼飯だ昼飯!さっさと出せよ!」
「あっ、うん……」
鐘山が鞄から取り出したのは魚の天日干しだった。
それは、このデジタルワールドに来た日の夜に皆で捕まえた魚の残りだ。
鐘山はゴブリモンに襲われた翌日に皆が疲労困憊で眠ってしまっている間にそれを作ってのけた。それを腐敗を防ぐ香草に包み、鐘山は率先してそれを担いでいる。
ロバートの命令があるとかないとか関係なく、こういった仕事を率先してやりたがるのは鐘山本来の人柄なのかもしれなかった。
鐘山は自分の鞄を開いて、皆の食事を配っていく。
そんな中、一人だけ皆の輪から離れていくものがいた。
「ロン・シャオメイ!!お前、どこにいく!?」
士ノ道が唐突に鋭い声をあげた。彼女の視線の先ではシャオがガジモンを連れて森の中へと向かおうとしていた。
「あん?なんだよ」
「どこに行く気だ。勝手な行動はつつしんでもらおう」
「辺りを見回ってくるだけだ。食料になりそうなものがあるかもしれねぇしな」
シャオがそう言い、その足元ではガジモンがお気楽そうに手を振っていた。
「大丈夫だって、そんな遠くには行かねぇからよ~」
士ノ道は『ギンッ』という効果音が聞こえそうな程の眼力でガジモンを睨んだ。
彼女が目元に力を込め、眉間に皺を寄せれば、顔全体の彫りが極めて強調される。濃淡のついた士ノ道の顔はまさに『魔王』と称するにふさわしいものだった。
「ひっ!!」
その形相に驚き、ガジモンは慌ててシャオの後ろに隠れる。
士ノ道はそのままの視線でシャオを睨みつけた。
「こんな場所で単独行動など許せるわけがないだろ。それに、お前が動けば変なデジモンに見つかる危険性も高くなる」
「その安全を確保するために行くだけだ。それこそ、変なデジモンの巣が近くにあったらどうすんだよ。地理を把握しておくことは大事だろ。それに、食料は確保できるうちにとってきた方がいい」
「食料は鐘山が作ってくれた保存食がまだ余っている。やはり許可できない。ここにいろ」
「…………はぁ、堅物魔王め」
シャオは説得を諦めたように首を振り、士ノ道に背を向けて森に向けて歩き出す。
そのシャオの態度に士ノ道のこめかみに青筋が走り抜ける。
「ロン!ここは学園じゃないんだぞ!勝手な行動をするな!」
「そんなことお前より理解しているよ。すぐ戻る」
シャオはそれだけを言い、森の中へと足を踏み入れる。
そんなシャオのスタンドプレーに士ノ道の忍耐も限界だった。
「ロン!いい加減にしろ!!」
もはや、言葉で通じないのなら直接的な手段に出るしかないと士ノ道は拳を硬めて追いかけようとする。
その彼女の前を不意に大きな体が遮った。
「待って、士ノ道さん。僕が一緒に行くよ」
そう言ったのは鐘山であった。
「鐘山……」
士ノ道は彼を前にして一瞬怯む。
彼の体躯は一般中学生の中でも抜きんでており、女子からしてみれば前にするだけで圧力がある。
だが、士ノ道が身を引いたのはそんな理由ではなかった。
士ノ道の脳裏に浮かぶのは、薬師寺をスナイモンから守れなかったあの時の出来事だった。
その時に、士ノ道のミスをフォローしてくれたのが鐘山だ。あれからというもの、士ノ道は彼を目の前にするたびに自分の無力を思い出し、劣等感に苛まれてしまうのだ。
だが、あの出来事は鐘山が緊急事態でも頼りになる人物であることを示す証明でもあった。
士ノ道は固い表情の下で少し悩む。だが、決断を自分で下せないと思い、薬師寺を振り返った。意見を求められた薬師寺は曖昧な表情のまま小さく頷いた。
士ノ道はすぐさまシャオの背中を指さした。
「無理はするな。すぐに戻れ」
「わかった」
シャオは森の入り口で鐘山が来るのを待っていた。
「なんだよ、お前も来んのか?」
「う、うん……ロン君1人よりはいいでしょ」
「まぁな」
シャオはそう言って森の奥へと入っていく。
「『ベタカッター』」
その後ろで突然ベタモンが木に傷をつけた。シャオが振り返ると、鐘山は躊躇うように笑っていた。
「念のために、帰るための目印をね」
「なるほど。そっちは任せる。行くぞ」
目印は鐘山に任せ、シャオは先頭を歩いて行った。
―――――― ※ ―――――― ※ ――――――
シャオと鐘山が森に行き、残った人達は魚の日干しを食べ終えて、それぞれ休んでいた。
ロバートはコエモンのパチンコを奪い取ろうとまた追いかけっこをしていた。渚沙は木陰に背を預けて黙々とデジヴァイスを弄り、その隣では士ノ道と薬師寺が靴を脱いで足をもみほぐしている。
剣道で鍛えてきた太河はまだ足腰に疲労感は感じていなかったが、今後のことを考えを巡らせながら川辺に腰を降ろして休んでいた。
太河は川の水を両手で救い上げ、顔を洗った。水の冷たさが火照った身体に心地よい。このまま、水の中に飛び込んで泳げればさぞ気持ちが良いだろう。
きっと、織原がこの場にいれば率先して泳ぎに飛び込んでいただろう。
そして、それを止めるのが自分の役目なのだ。
『太河太河!太河もこっちきて泳ごうよ!!』
『バカ!こんな時に余計な体力を使うんじゃない!』
太河はそんな幻想を浮かべた自分を自嘲する。
彼の腰にさげられたゴーグルが力無く揺れていた。
「ねぇ、アグモン」
「なぁに?」
「アグモンはさ……泳げる?」
「えっ?うん。泳げるよ?バタ足が得意!」
自信満々にそう言ったアグモン。
微笑ましい返答に太河はアグモンの鼻を撫でる。
「んんっ?なぁに?」
「いや……なんでもないよ」
撫でられるままのアグモン。アグモンはくすぐったそうにしながらも、されるがままに太河の手を受け入れていた。
「ねぇ、たいが」
「ん?どうした?」
「たいがが持ってる、それってなぁに?」
「え?ああ、これ?」
アグモンが指さしていたのは太河が腰に結び付けている競泳用のゴーグルだった。
「これは、ゴーグルって言って水の中で目を守るものなんだけど……でも、どっちかっていうと御守りかな」
「おまもり?それって、たいがの大事なものなの?」
「うん。そうだね……うん、大事なものだ」
太河はゴーグルを手の中に収める。年季が入っているのでゴムはヘタり、表面のプラスチック部分のコーティングなど既にボロボロだ。それでも、全体的に見れば傷自体は少なく、色褪せもわずかだ。そういった端々から丁寧に扱われてきたことが伺える。アグモンが太河の隣にペタンと腰を降ろし、ゴーグルを覗き込んできた。
「その『ごーぐる』ってもしかして『おりはら』さんのもの?」
「え……」
太河は驚いてアグモンの方を見る。
「アグモン、織原のこと知ってるの?」
「うん、この前に夜にたいがが話してた人でしょ?」
「あっ……そっか……そういやそうだったね……」
一昨日のゴブリモンに襲われた夜に太河は彼女のことを少し話した。そのことをアグモンも覚えていたのだ。
「あの時のたいが、随分と痛そうな顔してたから」
「痛そう……か……まぁ、そうだろうね」
太河はゴーグルを再び腰に結び付け、手遊びのように河原の石を手に取った。
「『おりはら』さんってたいがの友達?」
「ん?まぁ……そうだなぁ……友達……うん、友達というより、『大事な人』かなぁ?」
太河は自分の中でも答えを決めかねているような雰囲気でそう言った。
事実、自分と織原の関係を表す言葉を持ち合わせていないのだ。
『友達』と呼ぶには少し関係は濃すぎる。『家族』とまで言ってしまうのはちょっと彼女に失礼だ。『幼馴染』という単語が適切なのかもしれないが、彼女と実際に過ごした年月は4年程度なのでその単語もあまりピンとはこない。
結局、『大事な人』以外に言い表す言葉がみつからない。
太河は手に取った平たい石を人差し指と親指で石を挟み、サイドスローで川へと投げ込む。
横回転のついた石は5回程水面を跳ねたところで失速し、川底へと消えていった。
「『おりはら』さんってどんな人なの?」
「そうだね……前向きな奴でさ。どんな時も馬鹿みたいヘラヘラ笑って、逆境なんか知るか!って感じで突っ込んでいくくせに、本当は弱虫で凹みやすくて、それで拗ねて、喚いて、すぐにこっちに『助けて~』って泣きついてきてさ」
「ふぅん……」
「でも、それは本当に小さかった頃だけの話で、最近はずっと僕の方が『助けて~』って泣きついてたんだよね」
太河はもう一つ石を手に取りながら、リラックスした表情で話し続ける。
織原のことなど、普段なら照れくさくて話したくないようなことであったが、なぜかアグモン相手だと立て板に水を流すようにスルスルと言葉が出てきた。
「そうなの?」
「うん、色々とあって転校繰り返してたからさ。クラスに馴染めなかった時とか、せっかくできた友達と喧嘩した時とか、いつもあいつが励ましてくれて……」
「ん?ん?『てんこう』?『くらす』?なにそれ?」
首をひねるアグモンに太河は苦笑いを浮かべた。いくら話が通じるからと言って全ての言葉が伝わるわけではないのだ。
「そこは気にしなくていいよ。とにかく、本当に『大事な奴』だったんだ」
太河は手にした石を川に投げ込む。
回転が悪かったのか、角度が悪かったのか、投げ込んだ石は一回も跳ねることなく水面下へと消えていった。
太河は小さくため息をつき、自分の左腕を見下ろした。
ゆっくりと握ったり開いたりを繰り返すが、その動きはどこかぎこちない。
左腕を軽く振ってみるが、関節の動きはやはり固い。これ以上無理に動かせば激痛が走るのは身をもって知っていた。
慶風学園に来る前に色々あった。
本当に辛いことがあった。辛くて、きつくて、どうしようもなくなって、太河は逃げてきた。
あまりの出来事に泣くに泣けず、耐えるに耐えれず、生きていることが苦痛でしかない状態だった。
横浜に戻ってきたのは親の都合だったが、慶風学園に来たのは太河が選んだからだった。
この学園には織原がいる。他の学校に行くよりは少しは気が晴れるだろうと思った。
だが、いざ織原に会ってみたら……
『斜に構えてしかめっ面なんてらしくないんだから』
溜まっていた涙を流させ、潰れかけていた心を支え、彼女はものの見事に太河の気持ちを切り替えさせてしまった。
あの時、彼女が本当に『大事な人』なんだと再認識させられたのだ。
「たいした奴だよ、ほんと」
「ねぇ、たいが。その『おりはら』さんって今どうしてるの?」
「それがわかんなくてさ。いなくなっちったんだよ……どこで何してるのやら……案外、こっちに来てたりして」
おどけたようにそう言ってみた太河だが、それが希望的観測にすぎないことはわかっていた。
そんなにしょっちゅう人が異世界に飛ばされてたまるか。
「本当はこんなことしてないであいつを探したいんだけど。まぁ、探したところで、僕1人じゃどうにもね……」
そう言って、太河は左腕で石を投げてみる。
太河の指を離れたその石は指が変に引っかかったせいで無様な縦回転をしながら川岸にポチャンと落ちてしまった。
太河は力尽きたように手を膝の上に置く。ふと、そんな太河の手に大きな爪がのっかった。
「たいが、大丈夫だよ」
それはアグモンお大きな手だった。
「え?」
「たいがはもう1人じゃないんだから。だって、僕がいるんだよ」
「……」
「僕も一緒に『おりはら』さんを探すよ。僕も一緒にたいがと頑張るよ。だって、僕はたいがの『パートナー』なんだ。だから、たいがは1人じゃない。1人じゃないから、なんだってできるよ」
アグモンはそう言って真剣な顔で頷いた。
「……はは……ははは……ありがとな、アグモン」
アグモンのグリーンの瞳が水面の光を反射して揺れていた。アグモンの鱗が陽光に照らされて黄金のように輝いていた。それらがやけにまぶしくて、太河は目元を少し抑えながらアグモンのその手を握り返した。
「そうだよな。今はアグモンがいるもんな」
「うん!!」
その時だった。
森から鐘山が飛び出してきた。
「みんな!!来てくれ!!」
切羽詰まった彼の声に士ノ道がすぐさま飛び起き、渚沙も顔を上げる。
ロバートだけは「はぁ?」という顔で鐘山を見ていたが、他の人達は彼の様子にただならぬ気配を感じ取っていた。
そして、鐘山は息を整えきれないまま声を張り上げた。
「鞄を見つけた……慶風学園の学生鞄だ!!」
その言葉は皆の間に衝撃をもたらした。
その中で太河だけは、皆とは別の興奮を覚えていた。
頭の中にあったのは一つの諺。
『噓から出た実』
先程、自分が言った根拠のない言葉が、真実なのではないかと思い始めていたのだった。