デジモンエタニティ   作:LOST

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火炎炸裂!コアグレイモン! Bパート

先導する鐘山に従い、皆は森の中を駆け抜ける。

 

慶風学園の鞄。

 

それは、この世界に来て初めて感じる人間の文明の存在だった。

しかも子供達と関わりの深い品だ。彼等は逸る気持ちを抑えきれずに鐘山の後を追いかけた。

 

鐘山は森の中の目印を頼りに皆を案内していく。川辺から離れていくにつれ、木々の密度は濃くなっていき、見通しが効かなくなっていく。昼日中であるにもかかわらず、薄暗い森は生理的な圧迫感となってのしかかってくる。

 

だが、子供達の中に不安は無かった。

 

今はそれ以上に彼等を駆り立てるものがあるのだ。

 

その中でも鐘山のすぐ後ろを走っていた太河の胸の高鳴りは尋常ではなかった。

 

彼女がいなくなったのは不安定な空模様の日であった。彼女が姿を消したの場所は校舎内のプールを出た直後。彼女はなんの痕跡もなく煙のように姿を消した。

 

その全てが太河が達がこの世界に飛んできた状況に符号する。

 

本当に彼女はデジタルワールドに飛ばされていたんじゃないか?

 

太河の息が上がる。

 

この程度のダッシュでへばるような鍛え方はしていないが、全身の興奮が酸素の消費量を格段に上げていた。

それでも、培ってきた下半身の筋肉はこの程度の乳酸などものともせずに太河を前へ前へと押し上げていく。

 

太河は鐘山の進行方向に目を向けた。

 

「もうすぐだよ!」

 

鐘山がそう叫ぶと同時に急に強い光が差し込んだ。

不意に森が開けたのだ。

 

そして、目に飛び込んできた光景に太河は足を止めた。

 

「うわお……」

 

太河の後ろに続いていた誰かが無意識のうちにそう呟いた。

 

鐘山に案内されてたどり着いた場所はまるで光の広場であった。

 

森の中にぽっかりと空いた開けた空間。

 

その中心に一本の大樹が鎮座していた。

 

幹の太さは太河が両手を広げてもまだ足りない。そこから無数に広がっていく枝はその一本一本が通常の木の幹ぐらいの太さぐらいある。それらの枝には葉が青々と茂っており、広場のほぼ全域のを覆う新緑色テントになっていた。

その木の根本にはシャオとガジモンがいるのだが、樹の巨大さのせいで遠近感がおかしくなりそうだった。

 

太河は北海道から鹿児島まで様々な場所に転勤を繰り返してきたが、それでもここまで巨大な樹は見たことがなかった。

 

巨木に気を取られて足を止める面々の中、鐘山は大声でシャオに呼びかけた。

 

「ロン君!みんなを連れてきたよ!!」

 

その声に太河の意識が戻ってくる。

 

「そうだ、鞄!鞄は!?鐘山君!鞄はどこ!?」

「あそこ……あそこの中にあったんだ」

 

鐘山が指さす先。

 

それはその大樹であった。

 

皆がいることを確認したシャオはおもむろに木の中に手を突っ込んだ。

そして彼が中から掴みだしたのは、ボロボロとなったポリエステル製の学生鞄だった。

 

腐葉土に埋もれていたのか、その鞄は土にまみれて酷く汚れていた。チャックや留め金はメッキが剥げて錆びつき、赤錆の色が周囲に染み出している。全体の風化が酷く、鞄の継ぎ目は千切れて辛うじて形を保っているような有様だ。だが、皆が真っ先に注目していたのはその鞄の中心に描かれた校章だった。

2本の万年筆がクロスした校章。それは間違いなく慶風学園の校章だ。

 

その鞄を見て、子供達の足が動きだす。

彼等は大樹の広場を駆け抜け、シャオのもとへと駆け寄った。

 

シャオは鞄を両手で抱えて木の根から飛び降りる。

 

「これが、この木の中に埋まってた」

 

近くで見るとその鞄の状態の悪さは余計に際立った。本来ならば水を弾くはずのポリエステルが長い間の雨に湿り気を帯び、ところどころに穴があいている。乱雑に扱えばすぐにでも崩壊してしまいそうだった。

 

誰もが慎重に事を運ぶべきだと判断するなか、ロバートが皆を押しのけるようにして前に出た。

 

「そいつを貸せ!中を見せろ!!」

 

ロバートがその鞄をシャオの手からもぎ取ろうと手を伸ばす。

だが、ロバートのその行動はシャオも予想していた。シャオは素早く鞄を引き寄せてロバートの手の届かないところまで避難させる。

 

「おいっ!お前!そいつを寄越せって!!」

「あのな。おめぇに渡して壊されるわけにはいかねぇんだよ」

「そんなことするわけないだろ!早くそれを寄越せ!!それがあれば帰り道がわかるかもしれないんだろ!?」

 

シャオに飛びかかろうとするロバート。だが、シャオはこの鞄をロバートの手に預けるつもりは毛頭なかった。これはこの世界における重要な手がかりだ。それをロバートの手に渡らせるのはあまりに心許ない。

シャオは大樹の根の上を飛びはねながら、後退していく。その身のこなしは横に幅広いシャオの体格からはまるで予想できないものだった。次々と足場を飛んでいく様は歴戦のスタントマンのようで、ロバートはまるでついていけない。

 

「お前な!僕の言うことがきけないのかよ!!」

「知るかよ。ってか、俺がお前の命令なんざ聞いたことねぇだろうが」

 

吐き捨てるようにそう言ったシャオ。

ロバートはシャオのその態度があまりにも気に食わなかった。

 

ただでさえ、この世界はロバートにとってストレスの溜まることばかりだ。

ジュースもお菓子もなければ、食事でさえ魚とキノコなどという貧相なものしかない。寝る場所は固い地面の上でシャワーを浴びることもできない。

挙句の果てに周囲の連中といえば、まるでロバートの思い通りにならない奴らばかりだ。

 

ロバートの忍耐力が蚊の涙程度のものしかないのは問題ではあるのだが、積もり積もった鬱憤が爆発寸前であった。

 

「このっ!いい加減に……」

 

そして、ロバートがついに一線を越えようとしていた。

地面に落ちていた握りこぶし大の石を掴み上げたのだ。

 

「…………」

 

それを見て、シャオは逃げに徹していた足を止めた。

 

飄々とした態度でいることの多いシャオであったが、この時の彼は確実にボルテージが上がっていた。

ストレスが溜まっているのは多かれ少なかれ皆同じだ。シャオの忍耐の許容量は比較的大きい方ではあったが、それでも限界は必ずくる。

 

ロバートが手に取った石は十分に人に危害を加えられる大きさだった。

それを投げつけるなどという暴挙に出たなら、シャオは相応の反撃を行うつもりだった。

 

『十分に正当防衛の範囲だけどよ、多少の過剰防衛になるかもな』

 

シャオは胸の内でそう思いながら、足の裏で力強く地面を掴んだ。シャオはあまり不用意に暴力沙汰を起こしたくはなかった。喧嘩などしたところで得られるものなど何もない。それがシャオの基本理念だ。だが、右手を拳骨の形に固めた瞬間には一つの結論が下されていた。

 

つまり『知ったことか』である。

 

シャオは足裏から伝わってくる力を腰に溜め、腹の内側で練り上げていった。

 

ロバートが石を振りかぶる。シャオは一息で懐に飛び込むために地面を蹴りあげた。

 

シャオの動きは素早く、的確だった。

 

石が飛んでくるであろう軌道から身をかわし、ロバートを拳の射程にとらえる。

シャオはロバートの指から石が離れた瞬間に右ストレートを正中に叩き込もうと足を踏み込んだ。

 

だが、次の瞬間だった。

 

「ロバート、落ち着けって」

 

ロバートの襟首が後ろから引っ張られた。

 

「うげっ!」

「っ!!」

 

ロバートの体勢が崩れ、石が明後日の方向に飛んでいく。そして、予想していた位置にロバートの身体が来ず、シャオの拳は寸止めの位置で止まった。

 

「ったく、石なんか持ち出しやがって。洒落じゃすまないぞ」

 

ロバートの襟を掴んでいたのは太河であった。

 

「げほっ!げほっ!!この野郎!!なにすんだよ!!」

「だから、僕は瑠々川 太河だ。名前を覚えろっての」

「そんなことどうでもいいんだよ!お前は僕の首を絞めたんだぞ!!」

 

ロバートは太河を振り返り、喉首を見せつける。

そこは確かに少し赤くはなっていたが、内出血するような怪我はない。

だが、自分の怪我を客観的に見る余裕もなくなってるロバートはその場でがなり立て続ける。

 

太河はこれ以上話を続けても無駄だと判断し、早々に頭を下げることにした。

 

「まぁ、確かにちょっと乱暴だったかな。ごめん」

「あ、あ、謝ってすむとでも!!」

 

顔をピンク色に紅潮させ、ロバートは太河に掴みかかる。

 

「だいたい!僕はお前が転校してきたときからずっと気に食わなかったんだ!!」

「えっ?なんで?」

「なんでって……とにかく気に食わなかったんだ!!お前は僕がどれだけこの学園で偉いか知らないんだろ!!」

 

太河は疲れたように視線を上に向けた。

 

ここは木漏れ日の差す大森林のど真ん中だ。

確かに僕らは学園からこの『デジタルワールド』に来た。だが、この世界のどこに『学園』があるというのか。

既にそんなことを言っている場合ではない状況だということが、ロバートは理解できていないのだろうか?

 

いや、違うか。

 

ここが別世界であることは多分、皆が理解している。だけど、『日常』から離れてしまったことを信じたくないんだ。

 

太河はロバートの血走った瞳を見返す。

 

こんな非常識で無秩序な場所で、保護者の一人もいないこの状況。『日常』の続きだと思っていないと不安で押しつぶされそうなんだろう。だから『学園』のことを口にしている間は自分達の世界に戻れる。

 

それは『きっと帰れる』と言って、『日常』への回帰を促した太河にも責任がある。

ここが『日常』の延長でしかないと暗に言ってしまった太河の甘さがこんなところに現れていた。

 

なら、このロバートを諫めるのはきっと自分の役目なのだ。『帰れる』と無責任に口にした分、仕事はこなさないといけない。

 

太河はロバートに拝み手を向けた。

 

「それは悪かった。でも、勘弁してくれよ」

「か、勘弁だと!!」

 

ロバートの手が震えていた。

どうも謝罪を受け付けてくれそうな雰囲気ではない。

これは、一度振り上げた拳の落としどころをつくってやらないと、収まらないかもしれない。

 

太河は奥歯を噛み締めた。

 

本音を言えばこんな我儘な自己中野郎は顔面に頭突きをみまった後に3回ぐらい張り手をかましてやりたかった。

だが、今は一刻も早く鞄の方に取り掛かりたかったのだ。それは太河が求め続けた幼馴染の手がかりかもしれない。

 

無駄かもしれないと思いつつ、太河は話題をそちらに向けようとした。

 

「でも、今は鞄を調べよう。もしかしたら何か手がかりが掴めるかもしれないだろ」

「……」

「喧嘩なら後でいくらでもやってやるから。な?今は鞄を調べよ」

 

太河はそう言ってへらへらと笑ってみせる。

そんな時、コエモンがロバートの足元から声をかけた。

 

「ロバート、そこまでにした方がいいべ」

 

ロバートはコエモンを迷惑そうに見下ろす。

 

「なんだよ!お前も僕に逆らうのか!?」

「そうじゃないべ」

 

コエモンは普段のように(おど)けたりせずにロバートを見上げていた。

 

「ただ……アグモンが怖い顔でこっち見てる」

「え!?」

 

コエモンの台詞にこの場で一番驚いたのは太河だったかもしれない。

太河が慌てて後ろを振り返ると、アグモンが怖い顔でロバートを睨んでいた。

アグモンは爪を武器のように構え、歯をむき出しにして、今にも唸り声をあげそうな様子だ。

 

「たいがを攻撃したら……許さないぞ」

 

アグモンの緑色の瞳が燃え盛るエメラルドのように光る。

その視線に本気の闘気を感じ取り、ロバートは息を飲んだ。

 

「な、なんだよ!!べ、別にお前なんかこわくないぞ!!こっちにはコエモンがいるんだからな!!」

「いや、オラは多分アグモンには勝てないと思うべ……っていうか、ロバートが悪いんだからオラは巻き込まれたくないべ」

 

やれやれと首を横に振りつつ、コエモンは念のためにパチンコを引き絞った。

だが、コエモンの狙いはアグモンではない。コエモンの狙いはロバートだ。彼がこれ以上暴走を続けるならコエモンはロバートを気絶させようと思っていた。

 

コエモンの手加減したパチンコが頭部にぶつかる方がアグモンの火球に晒されるされるよりかはいくらかはマシであろう。

 

今にも火を吐きそうなアグモンと諦めたようにパチンコを構えるコエモンが対峙する。

 

「アグモン、オラはこんなことしたくないんだべ」

「わかってる。でも、たいがを傷つけようとする奴は僕の敵だ!」

 

デジモン同士の一触即発の空気に他の子供達の表情が固まった。

彼等は今までに何度もデジモン達の恐ろしさを目の当たりにしてきたのだ。威嚇し合うデジモンの間に割って入る勇気の持ち合わせなどない。

 

その時、太河がアグモンに鋭く声を放った。

 

「アグモン!やめろ!!」

 

太河の切迫した声が森に響く。そこには他者に有無を言わせぬ気迫がこもっていた。

 

「たいが……」

「ダメだ、アグモン。ダメだ」

 

太河はアグモンの瞳を射抜くように見つめながら、そう繰り返す。

 

太河はこの事態で一番危険なのは皆が喧嘩別れを起こすこととだと思っていた。

この見知らぬ土地で団体行動ができなくなれば、最悪の事態を招きかねない。

ここは『学園』ではない。一つの喧嘩がどんな結末を招くかが想像できない。

 

そのためにシャオとロバートの喧嘩を止めたというのに、アグモンが攻撃を加えては本末転倒だった。

 

太河はもう一度アグモンに呼びかける。

 

「アグモン、下がってくれ。頼む」

「う、うん……」

 

太河の声にアグモンは爪を降ろし、身を引く。

それを確認し、コエモンは安堵したように息を吐いてパチンコを降ろした。

 

それが緊張を解く合図だったかのように子供達の間から一斉に吐息が漏れた。

 

太河はロバートへと向き直る。

間近で見るロバートの顔には恐怖が色濃く浮かんでいた。

アグモンに牙を向けられるのはやはり怖かったらしい。

 

太河はロバートの気持ちが怯んでいるうちに言葉を畳みかける。

 

「ロバート、今は喧嘩している場合じゃない。みんなで帰るために、鞄を調べよう。学園に戻ったら僕のことなら好きにすればいい」

 

諭されるようにそう言われ、ロバートは強く拳を握りしめた。

 

ここで引き下がってしまえば負けたようなものだ。

そうは思うものの、ロバートの口から言葉は出なかった。彼は太河の向こう側にいるアグモンの姿が目から離せなかった。

 

「……くそっ!」

 

ロバートは悪態を吐き捨てて、太河を突き飛ばし、人差し指を向けた。

 

「学園に帰ったら覚えてろよ!絶対に後悔させてやるからな!!」

 

ロバートはそう言って、地面に唾を吐き捨てる。

 

「ったく、鞄だ!鞄!中身はなんだったんだよ!!」

 

ロバートはそう喚くものの、もうシャオに詰め寄ったりはしない。もう一度喧嘩沙汰にして同じことを繰り返すなどまっぴらゴメンだった。

 

その場の空気が徐々に弛緩していき、皆の注目が再び鞄に集まる。

そして、鐘山が場を取り繕うように声を張り上げた。

 

「え、えと……実はシャオと歩き回っている時にこれを見つけて、開ける時はみんなと一緒の方がいいかなと思って……」

 

太河は掴まれて乱れた襟元を整える。ロバートに突き飛ばされた時に肘の関節に違和感を覚えたが、特に怪我の後遺症が悪化したりはしていなさそうだった。

 

しかし、喧嘩の仲裁というのは何回やっても慣れるものではなかった。

大きく息を吐く太河。そんな太河の服の裾をアグモンの爪が引っ張った。

 

「たいが……」

「ん?どうした、アグモン?」

 

太河は膝を折ってアグモンと視線を合わせる。アグモンは自分の爪の先を擦り合わせるようにして俯いていた。

 

「ごめんね……僕……」

 

どうやら、ロバートへと爪を向けてことを反省しているようだった。

太河はそんなアグモンの頭に手を置いた。

 

「いいんだよ。アグモンは僕を守ろうとしてくれたんだよね」

「うん……」

「ありがと。でもね、アグモン……」

 

太河は自分のゴーグルに触れる。

太河は胸に巣食う苛立ちや焦燥を締め出し、アグモンの目を見つめる。

 

「アグモン……僕らは今、危ない場所にいるんだ」

「うん……」

 

アグモン達だけならこの『デジタルワールド』は安全なのかもしれない。彼等には戦う術があり、森の中を逃げる方法も熟知している。だが、人間を守らなければならないとなれば話は違う。

 

「だから、僕らは協力しないといけない。『仲間』にならないといけない。アグモンも言ってくれたろ?『1人じゃないなら、なんだってできる』そのためにも、もっと『仲間』を増やさないといけない」

 

太河は別に全員が友達になるべきだとは思っていない。

馬が合わないのは仕方ないだろうし、ここにいる人達は一癖も二癖もある連中ばかりだ。

だが、チームとして纏まることぐらいならできるはずだ。

 

「アグモン……その為には『手』を出したら終わりだ。こんなところで一度でも禍根をつくっちゃえば、本当に取り返しのつかないことになる。それだけは絶対にしちゃいけない」

「うん……」

 

素直に頷いてくれるアグモンの頭をもう一度撫でる。

まるで、弟がもう一人できたような気分だった。

 

太河がアグモンの頭から手を離し、皆の方を振り返る。

それはちょうどシャオが鞄のチャックに手をかけたタイミングだった。

 

「開けるぞ」

 

だが、シャオがチャックを引っ張ってもファスナーはびくともしなかった。金属が錆で肥大化してしまったせいでチャックが動く隙間を潰してしまっているのだ。

そこに太河が意見を出した。

 

「この際、ファスナーを壊してでも中を確かめた方がいいんじゃないか?そこまで傷んでたら、もうチャックが壊れてても誤差の範囲だよ。持ち主が取り返しに来るとは思えない」

 

太河の意見に否定の声は入らない。シャオも頷き、サバイバルナイフを取り出してチャックの隙間に差し込んだ。強引にチャックをこじ開けると中から腐ったような臭いが一気に沸き立った。鞄の中には雨水がたまり、腐敗してヘドロのようになってしまっていたのだ。

 

「うへっ……きったね」

 

錆の赤と苔の緑が入り混じった茶色い液体の放つ臭いにシャオは辟易したような顔をする。それでも、その中に手を突っ込んで中身を取り出した。

 

まず、最初に出てきたのは何かの本だった。

 

「……これは……」

 

本の大部分は腐り落ちてしまっていたが、まだ一部分は生き残っていた。

そこに書かれていた内容に子供達は覚えがあった。

 

「これっ!英語の教科書じゃありませんの!?」

 

薬師寺の言葉通り、それは慶風学園が採用している中学2年の英語の教科書だった。

 

「名前は!?名前とかどこかに書いてないのか!?」

 

士ノ道の言葉にカヲルは残っているページを丁寧にめくっていくが、名前はどこにも書かれていない。

そもそも、本来名前を書くべき裏表紙が既に風化して崩れ落ちている現状ではこの教科書の持ち主を断定するのは難しそうだ。

 

「……発行された年とかはわからない?」

 

そう言った渚沙に対してシャオは力無く首を横に振る。最後から数ページ分が腐り落ちてしまい、情報らしいものは何も得られない。

 

シャオは他にも何かないか探してみるが、教科書を何冊か発掘しただけであとはボロボロの紙の切れ端が見つかる程度だった。筆箱のようなものもあったが、中身はやはりボロボロになった筆記用具が残されているだけだ。

鞄の小さなポケットの方も確かめてみたが、やはりそちらも成果なし。

 

「……手がかりになりそうなものはない……か……」

 

肩を落とす子供達。手がかりを期待して駆け付けた分、その落差は大きかった。

その中でやはり文句が多いのはロバートである。

 

「なんだよ!期待持たせるだけ持たせて!走ってここまで来ただけ無駄だったじゃないか!」

 

様々な苛立ちが重なっていたロバート。彼の攻撃がより弱い立場の方へと向かう。

 

「鐘山!こんなゴミを見せる為だけに僕を走らせたりして、どうなるかわかってるのかよ!」

「ご……ごめん……」

「ごめんで済むわけないだろ!帰ったら当番を10回は代わってもらうからな!」

 

そう言ってロバートは鐘山の足を蹴りつけた。肉がぶつかり合う鈍い音がする。

今度は太河より先に士ノ道が口を開いた。

 

「おい!暴力は……」

「はぁっ!?暴力?こんなのただのスキンシップだろ?なぁ、鐘山!」

 

ロバートはそう言いながら、鐘山の肩にパンチを当てる。筋肉の多い二の腕に拳が当たる乾いた音がする。

 

「そうだろ!?お前は別にこんなのなんともないよな!!」

「う、うん……」

「ほら見ろよ!鐘山が別にいいって言ってんだからいいだろ!!」

 

そう言いながらもロバートはまた鐘山の足を蹴りつける。

その行為に士ノ道の頰が一気に赤みを帯びた。

 

「貴様っ!それ以上やるなっ!」

「なんだよさっきから!僕がこいつに何をしようが僕の勝手じゃないか!」

「ふざけるな!鐘山はお前の持ち物じゃないんだぞ!!」

 

士ノ道の声音が次第に熱を帯びてくる。

 

鐘山に暴力を振るうロバートに対して、彼女は自分でも理由がわからない程に激しい苛立ちを覚えていた。

 

士ノ道は腹の奥が落ち着かなかった。

 

気持ちばかりが焦っているような気がして上手く言葉にできない。

ただ、息苦しい程の怒りがどこからか込み上げてきていた。

 

彼女も鞄の手がかりが空振りに終わったことに気持ちがささくれ立っているのだろうか?

それとも、度重なるロバートの暴挙に我慢の限界が来ているのだろうか?

 

そうではなかった。

 

彼女が真に苛立っていたのは鐘山 善久の方だった。

 

「鐘山!お前もお前だ!たまにはっきりと言いたいことを言ったらどうだ!」

「え……」

「悪いことは悪いと言え!間違っていることは間違ってると言え!そんな当たり前のこともできないのか!?」

 

士ノ道の鋭い口調に晒されても、鐘山は変わらなかった。

いつものように、困ったような顔になって、『自分が悪いんだ』という目をして、ただ俯いて一言呟く。

 

「ごめん」

 

士ノ道は奥歯を噛み締める。

彼女はこんな謝罪を聞きたかった訳ではなかったのだ。

 

「……もういい……」

 

士ノ道はこれ以上話しても無駄だとでも言いたげに鐘山から目を逸らした。

ロバートは彼女が引き下がったと思い、勝ち誇ったような顔をしていた。

 

「へん、馬鹿な奴。何が『悪いことは悪いこと』だよ。誰が悪いことをしたってんだよ。なぁ?」

「う、うん……」

 

そう言ってロバートは再度鐘山の二の腕を殴りつけた。

やはり、鐘山は何も言い返さずに薄ら笑いを浮かべるだけだった。

 

「ったく、とんだ無駄足だった。さっさと帰ろうぜ!!」

「うん……」

 

ロバートは鐘山を引き連れ、そのまま川辺に帰ろうと元来た道に足を向けた。

それをきっかけにして他の子供達も言葉少なくその場に背を向ける。

 

何かの手がかりが掴めると強い期待があった分、落胆の度合いも大きく。子供達の間に流れる空気は重い。

彼等はロバートの行動に引きずられるように、この場を後にしようとしていた。

 

ここまで走ってきたにもかかわらず無駄足に終わってしまった。

誰もが少しの倦怠感と疲労感を抱えながら帰っていく。

 

だが、シャオは眉間に皺を寄せたままその大樹の傍から動こうとしていなかった。

 

「シャオ?どうかしたのか?みんないっちまうぞ?」

 

戻ろうとしていたガジモンが振り返る。

 

「ん?ああ、いや……ちょいとな……」

 

シャオはやはり何か気になることがあるのか、鞄を見下ろす。

 

「シャオ?どうかしたのか?なにか気になるのか?」

「気になるっていうか……まぁ……」

 

ガジモンはシャオの身体によじ登り、肩口からその鞄を見下ろす。

だが、やはりその鞄に不可解なものは無いように思える。目の前にあるのは酷く風化した鞄以外の何物でもない。

 

「どうしたんだよ?何か変なとこでもあんのか?なんか言ってくれなきゃオイラわかんねぇよ」

「いや……その……なんていうか」

「なぁなぁなぁ、なんなんだよぅ?なんなんだよぅ?」

「……はぁ……うるせぇ犬だ」

「だからオイラ犬じゃねぇ!」

 

そして、この場に残っている人物がもう一人いた。

 

「たいが~なにしてるの?」

「ん?いや……ちょっとね」

 

太河は鞄が放置されていた木のウロの中を覗き込んでいた。

ここはシャオが調べていたようであったが、太河も自分の目で確認しておきたかった。

 

シャオのことを信用しないわけではなかったが、太河には太河にしかできない調べ方があった。

 

漠然と何かを探すよりも、明確な目的をもって何かを探せばその結果は大きく異なる。

 

太河は巨木のウロの中へと足を踏み入れた。

ウロの中は半畳ぐらいの大きさがあり、中には余裕をもって立つことができる。上手く丸まれば横になって寝ることもできるであろう。

 

太河はウロの中に溜まっていた落ち葉の層の中に手を突っ込んだ。腐葉土になりかけている湿った枯葉の感触の中で神経を研ぎ澄ませる。

もし、あの鞄が太河の予想通りのものであるなら、必ずこの中に『あれ』があるはずだった。

 

太河は枯葉をかき出し、中身をウロの外へと放り投げる。

 

そして……

 

「……あった」

 

太河がかき出した枯葉の奥から、もう一つ鞄が出ててきたのだった。

 

「たいが?それなに?」

 

外側からのぞき込んでくるアグモンに見せつけるように太河は鞄を持ち上げた。

太河の肌に興奮で鳥肌が走り抜けていた。だが、まだ確証に至るには遠い。

問題はこの鞄の中身なのだ。

 

そして、それは太河が確かめるわけにはいかない。

 

太河はウロから飛び出し、声を張り上げた。

 

「みんな!!ちょっと待ってくれ!!」

 

皆が薄暗い森へ足を踏み入れる直前で立ち止まり、振り返る。

 

「みつけた!見つけたんだ!やっぱり、この鞄の持ち主は……」

 

そう言いかけた太河の身体が硬直した。

 

全身に走っていた鳥肌が別の意味に変化する。

 

それは『怖気』だった。

 

「みんな!!!戻れぇええええ!!!」

 

森の中に何かがいた。

 

次の瞬間、薄暗い森の中から大地を這うような衝撃波が放たれた。

 

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