デジモンエタニティ 作:LOST
川を下り続けた一行。
いつの間にか川に接していた森は草原となり、水の流れも緩やかになっていた。
川岸は砂礫が目立つようになり、風の中に潮の香りも混じるようになっている。
子供達の足取りは自然と早まっていった。
そして、それは唐突に目の前に現れた。
「海だ!海だぁ!!」
ロバートが叫び、走り出す。
それにコエモンが慌てて付いて行く。
ロバートは走りながら振り返り、みんなを大きく手招きする。
「お前ら!早く来いよ!!他の人間がいるかもしれないんだ!急げって!!」
ロバートの元気な声に煽られ、皆の中に高揚感が沸き立つ。
鐘山がロバートに従うように走りだせば、その興奮はすぐさま他の子供達に伝染し、彼等の足を速めた。
取り残されたのはシャオとガジモンだった。
「……ったく、なんでみんな走るんだよ。ただの海だろうに」
シャオがぼやく隣ではギルモンが空腹で悲鳴をあげがていた。
「オイラも腹蹴った~」
お腹を両手でおさえて力無く歩いていくガジモンを励ますようにシャオがその背中を膝で軽く小突く。
そんな2人に向け、最後尾を走っていた太河が振り返った。
「シャオ!遅れてるよ!!」
「おめぇらが急ぎ過ぎなんだよ!!海ぐらいではしゃぐな!」
「いいから急ぎなよ!はぐれちゃうよ!」
「このぐらいの距離でそんなことになるわけねぇだろ!!」
シャオは舌打ちを放ちつつ、ガジモンの背中を押して足を速めていく。ただ、シャオが足にエンジンをかける頃には他の子供達は逸る気持ちのままに砂浜へと駆け込んでいた。
「うみだーーーーー!!」
ロバートの声が響き渡った。
子供達の目の前には水平線の彼方まで見渡せる大きな海が広がっていた。
波は低く、雲は白い。降り注ぐ太陽はまだ春先程度の日差しであるが、それでも海水浴場のような美しい砂浜は否が応でも彼等の気持ちを盛り上げた。
ただ、彼等はここに遊びに来たわけではない。
すぐさま靴を脱いで波打ち際へと走り出したロバートを横目に、士ノ道は沖合へと目を走らせた。
だが、見渡す限りでは他の島影は一つも見つからない。
「近くに他の島はないか……」
同じように島を探していた渚沙も小さく頷き、わずかに肩を落とした。
「……でも……もしかしたら船が通るかもしれない……」
そんな渚沙の意見を聞いていたロバートが海水を跳ね上げながら意気込んだ。
「よし、だったらここに目印を立てようぜ!とにかくでっかい奴を作るんだ!そこに僕の名前を入れれば完璧だ!なにせ、僕はアットマン社の跡取りだからな!!きっとパパが僕のことを探してるに違いない!!」
ロバートのパパがこのデジタルワールドまで捜査の手を広げてくれているかどうかはわからない。
だが、目の前に広がる海は太河達が今まで見てきた世界の海と何一つ変わらない。
『この海の先にはきっと自分達のよく知っている世界がある』
そんな錯覚を覚えても仕方のないことかもしれなかった。
それに、ここにSOSの目印を出すということは決して悪い考えではない。
そして、ロバートは鐘山を指差した。
「おい鐘山!旗を立てるぞ!その為には大きな柱が必要だ。どっかから持ってこい!」
いきなりの命令。内容もこれまたぶっ飛びすぎだった。
太河はその理不尽な指示に横槍を挟んだ。
「ちょっと待ってくれ、ロバート。さすがにそれは現実的じゃないよ」
「無理ってわけじゃないだろ?鐘山にはベタモンもコエモンもいるじゃないか」
突然名前を出されたコエモンは目を丸くしてロバートを見上げた。
「え?オラもか?」
「当たり前だろ?お前は僕のパートナーなんだから僕の命令には従えよ」
「パートナーの意味が間違ってるべ」
じと目で睨みつけるコエモンだったが、ロバートは気づかなかったようだ。
「それで、その間にロバートは何をするんだ?」
「僕か?僕はここで船が通りかからないか監視しておく」
要するに待機ということだ。
太河は呆れかえる。ここまで徹底してサボりたがる奴だとは思わなかった。
何か彼を動かすための方便を言おうとした太河。その肩を後ろから大きな手が掴んだ。
「いいんだ。ロバートの言ってることも間違ってない」
そう言ったのは無茶な命令をされた張本人である鐘山だった。
「いや、でも、柱を立てるなんて。木を切って持ってくるってことだろ?そんなことできるの?」
「僕は木材の扱いには慣れてるから大丈夫」
そう言った鐘山に対して、太河は言葉を探す。
太河が本当に言いたかったことは『できる』か『できないか』の問題ではなかった。
このままじゃ鐘山がロバートの奴隷じゃないか。
太河は単にこんな関係性が正しいとは思えなかったのだ。
だが、太河が何か言葉を探す前に薬師寺が話を進めてしまった。
「鐘山さん、一人でできるのですね?」
「うん、多分大丈夫」
「一人でかまいませんの?」
「……うん」
鐘山の返事に少し間があった。
本当に大丈夫だろうか。
だが、薬師寺はそれを是としか受け取らなかったようだ。
「わかりましたわ、鐘山さんが柱を立ててる間に私達はこの辺りを探索いたしましょう。人のいた形跡を探しますわ」
「……人のいた形跡?」
疑問の声をあげたのは渚沙だった。
「そうですわ。海には色んな物が流れ着きます。人工物が流れ着いているならば、そこからこの島の場所について何かわかるかもしれませんわ。もっとも、民家や港があればそれに越したことはないんんですけれど」
ただ、この海岸をパッと見渡した限りはそんな造物は何一つ見られない。
「それでは、海岸沿いに移動する為に二組にわけますわ。それではMr.アットマンは……」
「僕はここで見張ってる」
「よいのですか?コエモンさんは鐘山さんと一緒に行くのでしょ?一人でこの海岸に残ることになりますよ」
「うぐっ……」
パートナー無しで海岸に一人。
何度も狂暴なデジモンに襲われてきた過去を思い出し、ロバートは身震いをした。
「わ、わかったよ。行けばいいんだろ」
渋々立ち上がるロバート。
そこに別の声が降ってきた。
「そんじゃあ俺が代わりにここを見張っといてやる」
そう言ったのは追いついてきたシャオだった。
そんなシャオを士ノ道が睨みつけた。
「貴様も動け、我々に遊ばせておける頭数は存在しない!」
「うへぇ……」
今日はサボりたがる奴が多い。
眉をひそめる薬師寺と士ノ道。そんな女子2人に太河が横合いから声をかけた。
「あっ、そうだ。シャオは鐘山君の方を手伝ったらどう?そしたらコエモンはロバートについてられるから、戦力の偏り的にも悪くないでしょ」
唐突に仕事を振られたシャオは疑問符を浮かべた。
「ん?鐘山の方って、何するんだ?」
シャオが鐘山の方を見ると、彼は曖昧な表情をするばかりだった。
そんな彼に代わり士ノ道が説明する。
「木を切り出して柱を立てる。遠くを行く船や他の人間に助けを求める為にここに目印を立てようということになった」
「僕の提案だぞ!」
すかさずそう言ったロバートにシャオは「あぁ、はいはい」と適当な相槌を返した。
シャオはロバートと鐘山の顔を交互に見て、ロバートがまた鐘山に仕事を押し付けたであろうことを把握した。シャオは少し悩んむような仕草をしていたが、不意に口角を釣り上げた。
「んじゃ、俺はそっちにいくか。鐘山、いこうぜ」
「あ、うん」
「シャオ!ちゃんとやってよ!」
太河の声を背中に受けつつ、シャオと鐘山は柱になりそうな木を探しに川沿いを上っていった。
そして、残された人達を薬師寺は素早く分けて、話を進めていく。
「でしたら、この砂浜の右側を私とMr.アットマン、士ノ道の3人で回ります。反対側には瑠々川さん、木村さんの2人でお願いします」
3対2ではあるが、パートナーデジモンの戦力を考えればかなり妥当な分け方であった。
「それでは行動を開始しましょう」
正覚院の号令と共に皆が動き出した。
目的はただ1つ。少しでも多くこの場所のことを知るための手がかりを見つけることだった。
――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
木材の調達に向かったシャオと鐘山。
海辺の付近は広い平地が広がっており、背の高い木は見当たらない。川沿いを上流に遡れば豊かな森もあったが、そこまで行くなら丸一日は歩かなければならない。
ただ、平野を見渡せば少し離れたところに森の緑が見えたため、彼らは川岸の道から外れてそちらへと向かって歩いていた。
会話もなく歩き続ける2人。
鐘山は一歩前を行くシャオの背中を心配そうに見ていた。
シャオの背中は身長の割りには横幅が広い。大きめの服を着ているせいでわかりにくいが、その体格はかなりがっしりとしていることに鐘山は気づいていた。
鐘山からしてみれば、シャオの印象はあまり良く無い。
学校ではよくサボってるし、反省文もしょっちゅう書かされている。時々、他校生と喧嘩沙汰を起こしているとの噂も耳にする。
鐘山はシャオのことを俗に言う『不良』だと思っていた。
ロバートも広い括りでは『不良』と呼べるのかもしれないが、彼とはまだ親しい分、なにかと話すことはできる。
だが、鐘山はシャオのことをよく知らない。
そんな彼を前にして鐘山は少し萎縮してしまっていた。
そのシャオが後ろを振り返った。
「なぁ、鐘山」
「な、なに?」
鐘山は自分よりも背の低い彼に一歩引いていた。
「ベタモン、抱えなくていいのか?」
「え?」
振り返ると、少しバテ気味のベタモンが地面を這いずっていた。
「ベタモン!」
「へぇ……へぇ……
足を止めるベタモン。
その隣にガジモンも倒れこむ。
「オイラ……もうだめ……もう動けない」
舌を出して、へこたれているガジモン。
シャオは鼻からため息を吐きだし、ガジモンの傍にしゃがみこむ。
そして、ポンポンとガジモンの頭を優しく叩いた。
「よく頑張ったぞ、ガジモン。これぐらい離れたらもういいだろうしな」
そう言って、シャオがガジモンの体を抱えて肩に担ぎ上げた。
「さて、鐘山。森に行く前に、川に戻って一休みするってのはどうだ?」
「う、うん。そうだね」
ロバートの仕事も確かに大事だが、疲れ果てているベタモン達を放ってはおけない。
木を切り出すなら彼らの力は必要不可欠なのだ。
「それじゃあ、方向転換。回れ右!」
シャオが回転した勢いでガジモンの尻尾が振り回される。
「ふぎゅー……」
「ったく、昼食抜かしたぐらいでへこたれすぎだお前は」
シャオははガジモンに負担が少ないように抱えなおし、軽快な足取りで川へと向かって足早に歩いて行く。
鐘山はベタモンを小脇に抱えて、慌ててシャオの隣に並んだ。
「えと……ロン君、ガジモンは重くないの?」
「どうってことねぇさ。しかも、これで大手を振ってサボれる口実になったんだ。こいつに感謝さ」
シャオは悪役のように卑しく笑ってみせる。
「ロン君……でも、大丈夫かな?」
「なにが?」
「ほら、ここで休んでたら今日中に木を切り出すなんて……」
「いいじゃねぇかそんなの。無理して失敗するより、余裕を持って失敗して次に活かす方が大事だ」
「失敗すること前提なんだ」
「そりゃそうだろ。だって今からガジモン達の食事探して、食べさせて、休ませて、そっから仕事に戻る……んー……いい具合に時間が無いな」
どうだろうか?
鐘山は少し無理すれば何とかなるように思った。
だが、そんなことはどこ吹く風とでも言いたげにシャオは口笛を吹く。
サボりたいだけなのか、本当にデジモン達を心配しているのか。
鐘山にはシャオの真意が今一つ掴めずにいた。
「で、ベタモンは平気なのか?」
「あ、うん。疲れただけみたい」
「み、みず……みずが……欲しい」
呻くようなベタモンにシャオは苦笑いを浮かべる。
「ああ、それと鐘山。俺を呼ぶ時はシャオでいい。ロンってあんまり慣れてないんだ」
「ああ、うん。それじゃあ僕も善久で……」
「はいよ、善久」
川岸にたどり着き、シャオはゆっくりとガジモンを下ろした。
「待ってろよー今から魚とって来てやるからなー」
「ふあ~い」
善久もベタモンを川岸に下ろした。
「ベタモン、平気かい?」
「……うん……水だぁ……」
ずりずりと川の中に消えていくベタモンはまさにカエルだ。
川を目の前にしたシャオと善久。
シャオはとりあえずズボンの裾をあげ、腕まくりをしてみる。
「さて、魚を取るんだけど……竿も餌もないしな……どうすっかねぇ」
「あ、それなら。僕ができるよ」
「竿作れるのか?」
「そうじゃなくて、手掴みで」
「……まじ?」
「少し仕掛けがいるけどね」
「さっすが、山育ち!で、何から始める?」
「えと……それじゃあ……」
善久はシャオと協力して川岸に石を並べて魚を追い込む場所を作った。あとは元気を取り戻したベタモンに水中の魚を追いやってもらえばいい。
「おおっ!すげぇすげぇ!魚だらけ!」
シャオが興奮しながら川に入っては狙いを定めて水の中に手を突っ込む。
だが、魚はシャオの手を潜り抜けて逃げ出してしまう。
「ああっ!くっそ逃げられた!」
シャオは都会育ちで川遊びなど数える程度しかしたことがない。魚一匹取るだけでも一喜一憂して、水しぶきを跳ね上げていた。その隣では善久が慣れた手つきで魚を川岸へと跳ね上げていく。
シャオがようやく魚一匹捕まえることができた頃には、善久は大物を5、6匹程捕まえていた。
簡易で作った生け簀の中に自分で捕まえた魚を入れたシャオは自分と善久の腕前の差に渋い顔をしていた。
「善久はさすがに上手いな……」
「……そうかな……でも、僕も地元では下手な方だったよ」
「そりゃ比較対象がおかしいだけだろ。俺なんかこんなにずぶ濡れになったってのに、ちっこい魚一匹だけだぞ。なんかコツとかねぇの?」
シャオは濡れたシャツをバサバサと扇ぎながら、そう言った。
善久は「コツか……」と少し頭を悩ませた後、ふと自分が父親から教わったことを思い出した。
「魚は振動に敏感なんだ。それに、水の中から捕まえようとしている僕らを見ている……だから、魚を捕まえる時は慌てず騒がず、水の流れに逆らわず……」
そして、善久はするりと水の中に手を入れて、魚を掴み上げた。
「こうして、引き抜くように取る……って、わかりにくかったかな?」
善久の視線の先ではシャオが苦笑いして肩をすくめていた。
「言葉にされるとわかりやすいけどよ。そう簡単に出来る気はしねぇな」
「そ、そうかもね……」
「他にコツはねぇの?」
「え、えと……経験?」
「それはコツとは言わねぇっての……」
シャオはやはり苦笑いのまま再び川に入っていく。
先程までと比べて格段に動きは静かなものにはなったが、そう簡単には魚を捕まえることはできないようだった。
「ねぇねぇ、善久」
ベタモンの声がして、鐘山が川の方へと目を向ける。
ベタモンは川の深いところから頭だけを出して善久を呼んでいた。
「どうしたんだい?」
「魚、もっと追い込んだ方がいい?ここけっこう魚が一杯いるよ」
善久は川岸に寝そべるガジモンに目を向けた。
「ふぎゅ~………」
川岸に倒れ、どこからどう見ても『もう一歩も動けない~』という姿勢のガジモン。
善久としては他の人が我慢している中、ガジモンだけに多く食べさせることに多少気後れする気持ちはあった。だが、こうしてへたり込んでいるガジモンを前にすると、少しばかり優しくしてもいいんじゃないかと思えてしまう。
そんな善久の気持ちを見透かしたかのようにシャオが静かに口を開いた。
「善久、ガジモンの飯は俺が確保する……お前はみんなの分の魚取ってろ」
「……え?」
その時、シャオが慣れない手つきで一際大きな魚を掴み上げた。
今までの掌サイズの小魚ではない。両手で掴まなければならない程の大魚だった。
「のわ!このっ!!こいつ、この大人しくしろ!!」
手の中で暴れまわる魚をシャオはなんとか抑え込もうとするが、魚の掴み方がそもそもできてないのだ。
シャオは自分の握力を上手く使うことができず、魚を手放してしまった。
「うわっ!うわっ!!のわぁあああ!!」
バランスを崩したシャオは盛大な水しぶきをあげて川の中へと倒れ込んだ。
「シャオ!大丈夫!!」
「っててて……あぁ、畜生……せっかく捕まえたってのにな」
シャオはびしょぬれになりながら、苦虫を噛み潰したような顔をする。
善久はそんなシャオに手を伸ばした。
「立てる?」
「……おう」
シャオは倒れた時にどこかぶつけたのか、少し足を庇うような立ち上がり方をした。
だが、シャオは痛がる仕草などせずに、次へと向かっていく。
「なかなか難しいもんだな……」
ガジモンの為に慣れない魚獲りに挑戦するシャオ。
善久はシャオのその姿に普段の彼とのギャップを強く感じていた。
シャオはよく授業をサボる。掃除もサボる。学校にすら来ないこともある。
だけど、このデジタルワールドに来てからというものの、食料探しには積極的だし、休憩するときは見回りを欠かさない。そして、今はこうして『パートナー』の為に汗水を流している。
今のシャオの真剣な様子を見ていると普段の彼と同じようにはまるで見えない。
「……あの……シャオ」
「ん?なんだ?」
シャオは小さな小魚を掴みながら振り返った。
「……その……」
「なんだよ。山育ちの奥義とか田舎の秘術とか教えてくれんのか?」
シャオはそう言ってケラケラと笑う。
「……シャオ……ガジモンの分の御飯なんだけど……僕も手伝おうか?」
「………」
善久の発言にシャオの表情が固まる。
そして、シャオはしばらくの沈黙を経て、何かを諦めたかのように小さく笑った。
「やめとけよ……俺に合わせて善久まで不和を買うこたぁねぇよ」
「不和って……」
「想像してみろよ。俺達はこれから与えられた仕事もせずに夕方に海辺に帰る。そして、ガジモンだけが腹いっぱい。誰もいい顔はしねぇ」
「あ……」
「お前は俺に押し切られたってことにしとけ。俺が無理やりお前を連れて、飯を先に食った。その為の埋め合わせに善久が魚を獲って持って帰ってきた。それで万事解決だ」
「でも……それだと……」
「なぁに、
シャオはそう言ってつまらなそうに笑った。
「いいんだよ……俺は……そういう奴なんだからさ」
その笑顔に善久はそれ以上言葉が出なくなってしまった。
シャオの笑顔はそれだけ擦り切れたような顔だったのだ。
全てを諦め、全てを捨て、全てを悟り切った後のような、そんな顔をしていたのだ。
善久は唇を震わせる。
彼に何かを言わなければならない。
だが、口下手な善久はなんと言ったらいいかわからない。
そして、善久はいつも通り、黙って目の前の時が流れていくのを見ることしかできない。
それが鐘山 善久の日常だった。
俯いて黙ってしまった善久。
シャオはそのまま会話を打ち切り、再び魚獲りに戻った。
今度の狙いはやはり大物。
空腹で動けないガジモンの為にも大きな魚が欲しかった。
何せ、ガジモンにはいざという時には戦ってもらわないといけないのだ。
だが、大きな魚は一度は掴むことができても、水から上げようとするとなかなかうまくはいかない。
シャオは再び大きな魚を捕まえたが、持ち上げた途端に魚はシャオの手を離れて、水しぶきを上げて川に落下した。
「あぁあ……ったく……」
シャオはぼやきながら、去り行く大きな魚影を見送った。
だが、逃がした魚は見つめていても戻ってきてくれることはない。
シャオはすぐさま次の魚に狙いを定めた。
その時、ふとシャオの背後で大きな音がした。
それは今まで川で魚獲りをしていて一番大きな水飛沫の音だった。
当然のごとく、シャオの足元にいた魚たちは一斉に逃げ出し、追い込み係だったベタモンも何事かと水面に顔を出した。
『魚を獲る時は大きな振動を与えてはならない』
それが、魚獲りの鉄則だ。
それを公然と破った馬鹿者は誰だ?
シャオは顔を怒りに歪めながら振り返った。
そして、シャオは目の前の光景に目を丸くした。
「……お前……なにしてんの?」
シャオが振り返るとそこには大きな魚を掴み取った善久がずぶ濡れになりながら川から上がってくるところだった。
「……えと……その……この魚……シャオが落とした魚だから」
「は?」
「……いや……だから……その……これはシャオがさっき捕まえた奴で……拾った……から……」
シャオは善久の手元へと視線を向ける。確かにその魚は先程シャオが逃がしてしまった魚だった。
それを善久は川の中に盛大に飛び込んで、とっ捕まえてしまったのだ。
シャオはそんな善久の行動に曖昧な顔をした。
川に逃げた魚をもう一度掴みに走るなんて荒業ができる善久に感心していたしし、それで他の魚を逃がしたら本末転倒だとも言いたかった。
だが、シャオが一番最初に口にしたのは別のことだった。
「……お前……その理屈でその魚は俺の取り分にできると思ってんのか?」
「……え……えと」
「俺は一度逃がしちまったんだぞ?もうそいつは俺の魚じゃねぇだろ?」
善久は大きな体躯を縮こまらせるようにして、苦笑いを浮かべる。
彼も自分でも無理矢理だというのはわかっているのだ。
ただ、善久はそれでも動きだしてしまった。
善久はこの世界で自分にできることが多いことを徐々に理解していた。
魚を獲り、保存食に加工し、薪を組み、火加減を見ることができる。
そして、スナイモンに襲われた時、善久は自分でも思ってもみなかったほどに身体が動いた。
スナイモンの鋭いカマから、女子達を守った。
学校でロバートの軍団の最後尾にいた時にはありえなかったことだった。
この世界では自分に出来ることがある。だったら、人の役に立てるように行動したい。
それが善久の純粋な気持ちだった。
「やっぱり……ダメ……かい?」
そう言った善久にシャオは声をあげて笑い声をあげた。
「はははははは、わかったわかった、そこまでされたらもう何も言わねよ。これでお前の親切を断ったら俺がただのアホじゃねぇか……その魚は貰っとくよ」
「じゃあ、他の魚も……」
「はいはいわかったわかった!!ったく、バカにはかなわねぇな」
「はは……」
「でも、ありがとよ」
シャオはそう言って、川岸へと上がっていく。
善久も川から上がれば、それに追随してベタモンも川から身を引き上げた。
シャオは善久から生け簀の中の魚を数匹受け取り、それをガジモンの前に差し出した。
「ほれ、ガジモン。飯だぞ~魚だぞ~」
「やったっ!!」
ガジモンは魚の臭いに飛び起き、渡された魚を頭から齧り、骨ごとかみ砕いて飲み込んでいく。
「いい食べっぷりだな。ほれ、もう一匹いるか?」
「食べる食べる~!オイラいくらでも食べちまうぜぇ!!」
そして、シャオはガジモンに魚を食べさせると同時に、ベタモンの方にも魚を投げ渡した。
「ほれ、ベタモンも食え食え」
「え?僕も?」
「ああ、お前らも共犯になれ」
シャオはそう言って口の端でニヤリと笑ってみせる。
『共犯』という響きに少し尻込みしそうになった善久だったが、それを無理矢理飲み込んでなんとかシャオと同じように唇を曲げて笑った。
そして、善久も魚を掴み上げ、ベタモンに渡した。
「ベタモン、食べていいよ」
「ほんと?わーい、いただきまーす」
魚を頭から丸呑みしていくベタモン。
ガジモンも次々と魚を食べていき、生け簀の中の魚は2人で食べつくさん勢いだった。
その勢いに善久も吹っ切れたのか、全ての魚をベタモン達に食べさせていく。
みんなの為に獲ったはずの魚を自分達だけで独占する。
その背徳感を胸の奥に抱えながらも、善久は決して満更でもない気持ちだった。