デジモンエタニティ 作:LOST
太河が転校してきてから、一ヶ月が過ぎた。
6月が終わり、梅雨が明け、夏休みが目と鼻の先に迫っていた。
空は青く澄み渡り、遠くに見える入道雲が太陽の光を反射して眩しい程に白く輝いていた。
だが、そんな世間の陽気とは裏腹に織原 ミカに関する情報は何も得られていなかった。
太河が転校してきたあの日、彼女は誰よりも遅くまで残って練習をしていた。
そんな彼女が更衣室に上がってきたのを確認した学生が数人。
それが最後の目撃証言であった。
裏門と正門にいる警備員は彼女の顔は見ていない。
学校内に複数設置されている監視カメラは彼女の帰宅時間と思われる時間帯の記録が飛んでいた。
その日に雷が落ちた影響か、機器のトラブルか。どちらにせよ人為的な工作ではないというのが警察の結論だった。
わかっていることはただ一つ。
その監視カメラの映像が途切れた時間帯になにかが起こり、織原 ミカは忽然と姿を消した。
誘拐や駆け落ちなどの話がワイドショーに流れる日もあったが、一月も経てば既に世間はこの事件をニュースに取り上げることすらやめていた。
「……太河……」
「ん?なに?」
今日は期末テスト最終日。全ての教科が終わり、後は夏休みを迎えるだけとなった生徒たちの歓声を無視し、太河は素早く帰る準備を進めていた。
「……今日も……やるの」
「うん。やる」
太河は自分の鞄から下げた水泳用のゴーグルに触れ、勢いよく席を立った。
太河はポケットに入れた織原の顔写真を確かめ、拳を握りしめる。
そんな太河にシャオが呆れたような目を向けた。
「おめぇも毎日毎日よくやるな。聞き込みなんざ警察が満遍なくやってるだろ。今更オメェが何かしてどうなるよ」
「わかってる。でも、やらなきゃ……やりたいんだ」
太河は毎日のように横浜の街を歩き回った。
道行く人や店員。果ては観光客から裏路地にたむろするような連中にまで声をかけた。
それでもやはり彼女の足取りはまるで掴めない。
最初の頃は同じように彼女の安否を心配する人達も同じ行動をしていたが、一ヶ月も経てばもうほとんど誰も手にビラを持ってはいなかった。
それでも太河は諦めきれず、こうやって毎日靴を擦り減らしていた。
そんな太河を見てシャオは肩をすくめた。
「まっ、それで気がすむんなら、好きにしたらいいじゃねぇの」
「うん、そうさせてもらうよ」
太河はほとんど感情を込めずにそう言った。
シャオはこの一か月の間に一度も織原の捜索に手を貸してくれなかった。
それを責めるつもりはない。誰も彼女を探す義務などないのだ。
太河だって義務感や正義感でやっているわけではない。ただ、じっとしていることに耐えられなかっただけだ。無駄だとわかっていても、希望なんか一欠けらもなくても、それでも立ち止まっていることができないからこんなことをしている。
だから、そんな自分のことを手伝ってくれないからといってシャオを責めるのはお門違いなのだ。
それは理解している。頭ではわかっている。でも、理屈と感情はまた別の話だ。
太河のシャオに対する反応は日に日に淡泊なものになっていっていた。
太河はシャオのことをほとんど無視しながら今日配るビラの準備を進めていく。それを横目に鼻からため息を吐くシャオ。そのシャオに向け、渚沙が一瞬だけ眉間に皺を寄せた。
「……シャオ」
「なんだよ。俺、間違ったこと言ったか?」
「……言ってない……でも、言い方は悪い」
渚沙はそう言ってわずかに目を細めた。シャオを責めるような、叱るような威圧感を伴う眼光。それは普段とのギャップも相まって人の背中に冷や汗を流させる程には強いプレッシャーがあった。
普段飄々としているシャオであるが、比較的親しい友人にそんな目を向けられては無視はできなかった。シャオはその渚沙の視線に耐えかねたように大きく息を吐き出した。
「わかった、わかった。俺が無神経だったよ。悪うございました」
言葉遣いはぞんざいであるが、その声音はふざけている感じではない。
一応、悪いと思っていることはかろうじて伝わってくる。
ただ、だからと言ってそれを許容できる心の余裕は太河には残されていなかった。
「………別にいいよ」
短い言葉だけで腹の奥に感情を抑え込む。今、それ以上口を開けば八つ当たりが飛び出しそうだった。
そんな太河に向け、シャオはつまらなそうな目を向けていたが、すぐさま踵を返した。
「ってなわけで、俺は帰る」
「……ホームルームはいいの?」
渚沙がそう尋ねると、シャオはつまらなそうに吐き捨てた。
「そんなものに出たら金でもくれんのか?ようやく試験が全部終わったんだ。結果発表も通信簿も俺はいらねぇの。ってなわけで、俺はもう今から夏休みに入る。じゃぁな」
シャオはそう言って手をひらひらと振りながら帰っていった。
教室の反対側から風紀委員の士ノ道が静止する声が聞こえてきたが、そんなことなどどこ吹く風とでも言いたげにシャオは堂々と帰っていった。
そして、それに続くようにクラスの中から数人がホームルームを前に教室を抜け出していく。
それを見てまた士ノ道が声を張り上げていたが、それに耳を傾けるようなら最初からこんな行動を起こしたりはしないだろう。
実のところ、太河もその連中に続いて腰を上げようとしていた。今更一分一秒を急いでもどうにもならないことはわかっているが、やはり心が焦る。
だが、人間の本質というのはこういう時も変わらない。根っこの真面目さもあって太河は席を立つことはしなかった。
太河は机に肘をつき両手で髪をかきむしる。そうやって溜まり切った感情を発散させようとしたが、今抱えている問題はその程度でどうにかなるようなものではない。少しでも考える時間が産まれてしまえば焦燥感と絶望がすぐさま忍び込んでくる。
荒れた心を抑えられない太河に渚沙が心配そうに声をかけた。
「……太河……少し、根を詰めすぎだと思う」
「うん、わかってる。わかってるよ。でも、無理はしてない」
太河はそう言って笑顔を取り繕う。
だが、その顔は誰が見ても『無理している』顔だった。
毎日歩き続けているせいか頬は窶れ気味。寝不足が響いて眼球が落ち窪んで酷いクマになっている。髪もざっくばらんで、前髪が影を落として視線に光が感じられない。食事をまともにしていないせいで肌に張りがなく、青白い。
どこからどう見ても、健康体とは言い難かった。
「まだいける。まだ……まだ動ける」
太河は自分の頬を叩いて気合を入れる。
動けるうちは行動しなければ不安に押しつぶされる。
今、出来ることがあるうちは止まるつもりはなかった
そんな太河に渚沙は静かに息を吐いた。
「……太河……」
「ん?なに渚沙?」
「……今日は……手伝える」
ほとんど無表情でそう言った渚沙。
彼女は織原を探すために今も手を貸し続けてくれている数少ない一人だった。
「……ありがと」
「……いい……ミカちゃんのこと……私も心配……」
「……そうだよね……友達だったんだよね」
「……うん……毎月2000円で友達やってた……」
「………」
「……冗談」
「はい」
一か月も経てば渚沙との会話の間隔も大分掴めるようになってきていた。
それから、担任の教師の短いホームルームが終わり、太河と渚沙は他の生徒達と一緒になって教室の外へと吐き出された。
「……太河……今日はどこを回る……」
「……とりあえず駅かな……」
太河は裏門の方へと歩きながら、携帯で周辺の地図を開いた。
横浜の町はだいたい回った。繁華街も、地下街も、住宅街も全部探して、手当たり次第に話を聞いて回った。
横浜の町にもう探していない場所はない。
そもそも失踪からもう1か月も経っている。
彼女が国外で発見されても最早誰も驚かないだろう。
それでも、太河はやはり横浜周辺に探す範囲を絞り続けていた。
それはどうしても気になることがあるからだった。
「……ねぇ……太河……」
「なに?」
「……ミカちゃんを……学校から出たところを見た人はいない……つまり……」
「うん……それは考えてる……織原がまだ学校内にいるって可能性だ」
「……うん……校舎内のどこかに捕まってるとか……」
「でも、その線はもう大分潰した……この学校の中の部屋は全部開けた。マンホールの下まで全部……あと探してないのは壁の中ぐらい。案外、プールの底のコンクリ掘ったら出てきたりするかも」
「……それ……冗談でも笑えない」
「……わかってるよ……」
太河は溜息まじりにそう言った。
だが、最近はその考えが頭をかすめるのを止めることができずにいる。
一か月もの間、音沙汰がない。
なら、もしかしたらもうこの世にいないのかもしれない。
太河は携帯を起動させ、彼女とのSNSでの会話を開いてみる。
くだらない雑談が残る履歴。
だが、一か月前を境に彼女に送ったメッセージに『既読』が付くことはなかった。
太河は絶望に押しつぶされそうになりながらも、なんとか気持ちを奮い立たせるために顔を上げた。
そこは最後に織原と別れた場所。プールと体育館に挟まれた細い道だった。
あの時の最後の会話を思い出す。
『横浜を楽しんで……それから、新しいことを始めよう。また、楽しく頑張れることを探そう』
お前がいないのに……どうやって楽しめばいいんだよ……
あの日、自然に流れ落ちたはずの涙はもう太河の瞳から落ちることはなかった。
その時だった。
「おい、お前。さっきからなんなんだよ!僕に文句でもあんのか!!」
工事中の体育館の裏の方から高慢そうな声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがある。それは間違いなくロバート・アットマンの声だった。
太河と渚沙の足が止まる。
ロバートの声がわずかな反響を残して消える。
面倒事の気配がする。しかも、相手はロバートなら関わりにならないのが正解だ。
だが、そのロバートに返事をした相手の声を聞き、そういう訳にもいかなくなった。
「おいおい、そう目くじら立てるなよ。とっととお前らの前から消えてやるから、解放してくれって」
裏から聞こえてきたのはシャオの声だ。
太河と渚沙は顔を見合わせた。
渚沙はいつもと変わらない無表情であったが、『どうする?』と問うてきているのは流石にわかる。
放っておくのがきっと一番いい選択肢だ。こんなところで寄り道していられる程暇ではない。
とはいえ……
「……とりあえず……様子だけ見に行こう。何かあれば教師とか呼ばないと」
「……うん」
二人は頷きあって、体育館の裏へと回る細道へと足を進めていった。
その間にもロバートの声は引き続き聞こえてくる。
「お前やっぱり日本語わかってないだろ。僕は『謝れ』って言ったんだ!今すぐここで膝をつけよ!!」
そして、ロバートの声に従うように「そうだそうだ!」複数の人達が野次を飛ばす声がする。おそらく、ロバートの取り巻きも周囲にいるのだろう。その雰囲気は極めて剣呑であり、とても仲裁できそうなものではなかった。
太河と渚沙はまずは状況を確認しようと、道の角から体育館の裏を覗き込んだ。
そこではシャオがロバート集団に囲まれ、心底迷惑そうにして立っていた。
「おら!さっさと這いつくばれよ!」
シャオは繰り出された足蹴りを軽く避けつつ、薄ら笑いを浮かべた。
「ったく、相変わら暇な奴らだなぁ。俺に構ってる時間がもったいねぇとは思わないのか?もう少し建設的なことしようぜ。例えば、織原の奴を探す手伝いをするとかよ」
シャオはロバートの取り巻き達などまるで気にもしないかのように平然としている。
それが、ロバートには気にくわない。
「お前!謝れって言ってるのが聴こえてないのか!?」
そんなロバートを挑発するかのようにシャオが自分の耳に小指を突っ込んで、耳垢を削ぎ取った。
「あん?聞こえてるよ。聞かされたくもねぇ話をいつまでもいつまでも……」
「このぉぉぉ!!」
そんなシャオの態度に取り巻きの一人がいきり立った。
体当たりをぶちかますような勢いで突進していく。
その突撃をシャオは軽快な動きで横に避け、すれ違いざまに膝裏を蹴り抜いた。
そして、よろめいたところで腕の間接を素早く極める。
「いてててて!折れる折れる!!」
「この程度で腕が折れるかよ」
シャオはその男子をロバートの方に押しやりながら、ぞんざいな口調で言った。
「いい加減にしてくんねぇかな。俺はこんな無駄なことに時間を使いたくねぇんだけど」
半ば挑発するようなシャオ。それに、ロバート達が色めき立つ。
「お前ら!!こいつをボコるぞ!!一斉にかかれ!!」
ロバートが叫び、取り巻き達がじりじりと輪を縮めていく。
そんなロバートの取り巻き達の中で、後ろの方に鐘山の姿もあった。
彼は巨体をできるだけ縮こまらせ、喧嘩なんかやりたくないと全身で訴えていた。
それでも、ロバートに逆らえずに拳を握っているあたり、彼もまたロバートの被害者なのかもしれなかった。
怒気を吹き上がらせながら近づいてくるロバート達に対してシャオはいつもの態度を崩さない。
「ああ、やだやだ……喧嘩とか面倒くさ……」
シャオがそう言いながら拳を握りしめた。
まさに一触即発。しかも、シャオからすれば多勢無勢だ。一対一ならまだしも、現状は1体8。
どれだけ殴り合いに自信があろうと、3倍以上の数を相手にした喧嘩では絶対に勝てない。
それを太河は今までの経験則で知っていた。
太河は歯の奥を強く食いしばった。
どうする?シャオを助ける?どっちが悪いかもわからないのに?
それに、僕が一人で行ったところで8対1が8対2に変わるだけ。それで何が変わるってんだ。
太河は鈍い痛みを放つ自分の左腕を握りしめる。
見捨ててしまえばいいと頭の中で誰かが囁いていた。
ロバートに逆らって、シャオを助けて、なんの得もありはしない。
こんな喧嘩など無視して、背を向けてしまえ。今ならシャオはこっちに気づいていない。なにも見なかったことにしろ。何も聞かなかったことにしろ。それで、お前の名誉は傷つかない。ロバートに目を付けらるこもない。つまらない怪我を負うこともない。
わかっている。わかっていた。
中途半端な優しさや正義感が自分に牙を剥くことはよくわかっていた。
だから、全てを投げ捨ててここまで逃げてきたのだ。もう余計なことには関わるまいと、波風立てないようにして生きていこうと。それが世界の中で楽に生きる方法なのだと学んだのだ。
だけど……だけど……
『斜に構えてしかめっ面なんてらしくないよ』
「ああ、ほんと……ほんと……あの馬鹿は」
太河は意を決したように腹に力を込め、その場に飛び込んでいった。
「何してるんだ!」
声を張り、両者を睨みながら太河は両陣営の間に立った。
「なんだよお前!部外者は引っ込んでろよ!」
「どくか!1人に対し大勢なんて卑怯だぞ!やるなら正々堂々と一対一でやったらどうだ!」
正々堂々なら喧嘩してもいいのだろうか?
シャオはそんなことを思ったが、声には出さなかった。
そんなシャオとは違い、ロバートは単なる嫌悪感を持って太河に目を向けた。
「お前転校生か……」
「瑠々川 太河だ!転校してきて一か月になるんだからいい加減名前は覚えてくれないか?」
ロバートを睨みつける太河に対し、当のロバートはあざ笑うかのように目を細めた。
「一か月か……ちょうどいい機会だ。この学園の支配者が誰なのか、今ここで教えてやるよ」
「なんだよ、ここでリンチでもしようっていうのか?それが支配者様のすることなのか!?」
「生意気な口聞くなよ!お前、奨学金制度でここの学費払ってるんだろ?」
それを言われ、太河の顔が一層険しくなった。
この学園は名門私立だ。中学といえど学費がかかり、あまり安い値段ではない。
太河がこの学園に通えているのは以前の学園の成績や、編入試験の点数により認められる奨学金制度を利用してたからだ。
「だからなんだ?」
「僕のパパに言えば、お前の奨学金を止めることだってできるんだ。そうなればお前にはこの学園にはいられないだろ?貧乏人」
ブツッと音がした気がした。
太河の中の堪忍袋の緒が切れかかっている音だった。
ここ一か月、緊張感と焦燥感に心をすり減らしてきた太河。
普段なら聞き流せるような挑発も今日ばかりは太河の感情を荒立たせた。
全身の血が沸騰を始める。全身の毛が逆立ち、湧き上がる熱量が全身の筋肉を震えさせていた。脳みその奥からアドレナリンが噴き出る。既に身体は戦闘態勢に入っていた。太河は持っていた鞄をプールの方に投げ捨てた。
最早、相手の人数もシャオが絡まれていた原因などどうでもよくなっていた。
今はただ、こいつの支配者面に拳骨を叩き込んでやりたかった。
「やれるものならやってみろよ!」
腕まくりをして拳を作る太河。
そんな太河の後ろからシャオの口笛が聞こえた。
「ひゅ~かっこいい。ってかよ、なんで俺を助けにきたんだ?お人よしめ」
「さぁね。僕にもわかんないよ。でも、絶交した覚えはないからね!」
「そいつはどうも。ってか、俺の方が悪者って可能性は考えなかったのか?」
「シャオが正しかろうが悪かろうが関係あるか!とにかく、こんな一方的な喧嘩を見過ごせるもんか!五分五分にしてから話は聞く!んで、シャオが悪かったら風紀委員に自首だ自首!!」
「ははは、おっとこまえ」
シャオがケラケラと笑い声をあげながら一歩足を踏み込んだ。
それに合わせて太河も腰を落とす。
頭上の曇天がこの場の雰囲気を察しているかのように腹に響くような小さい稲光を放った。
今にも弾けそうな緊張の中、太河はロバートに聞いておきたいことがあったのを思い出した。
「おい、腰抜けアットマン!」
「……腰抜け?」
軽い挑発で眉を顰めるロバート・アットマン。まるで、映画の世界だった
「一つ聞かせろよ」
「なんだよ!!」
「織原が行方不明なのって、もしかしてお前のパパが隠してんじゃないのか?」
そう言った時のロバートの顔の変化は大きかった。
自信満々に支配者面していたロバートの顔が心底嫌そうに歪んだのだ。
「……お前もか……お前もかよ!」
ロバートがヒステリックを起こしたように大きな声を張り上げた。
「お前も僕を疑うのか!!何度も言ってるだろ!!僕はそんなこと知らない!確かに、アイツは生意気で気に食わない奴だったけど!僕は関係ない!僕は知らない!何度も言わせるな!!」
喚き散らし、怒り狂うロバート。
その必死そうな言葉に嘘や後ろめたさは感じない。
だが、太河は人の喋り方1つでその台詞が真実か否かを聞き分ける能力なんて持ち合わせてないない。
太河の下した結論は『保留』であった。
「……まぁ、口では何とでも言えるよ」
その一言でロバートの顔が燃え上がった。白い彼の頬が桃色に染まる。
「お前ら!こいつを叩きのめせ!!」
ロバートが太河を指して激昂する。
そして、いざ取り巻き達が飛びかかろうとしてきたその時だった。
「そこで何をしている!!」
凛とした声が響いた。そちらに顔を向ければ、薬師寺と士ノ道を連れた渚沙が走ってくるところだった。
「やべっ!薬師寺と『魔王』ですよ、ロバートさん」
「っち……」
ロバートは興が削がれたとでも言わんばかりに、顔を歪ませた。
いくらロバートでも喧嘩の現場を生徒会長と風紀委員に抑えられたら不利になることぐらいわかっているのだろう。
「命拾いしたな……お前ら……」
ロバートは尖った顎で取り巻きに「行くぞ」と指示を出す。
だが、既に薬師寺と士ノ道はにらみ合っている場を目撃している。そう簡単に逃がしはしない。
すぐさま薬師寺の上擦った声が飛んできた。
「お待ちなさい!Mr.アットマン!何があったか説明していただきますわ!」
「あぁ、もう面倒くさい……鐘山!お前説明しとけ!」
「あ……うん……」
「Mr.アットマン!あなたもお待ちなさいと言っているのです!」
「うるさいな!僕に指図するな!!」
その時だった。
その場の全てを硬直させるかのような爆音が轟いた。
それは目を焼く程の稲光と雷鳴。
頭上の雲から雷が放たれたのだ。
「うわぁぁっ!!」
雷の筋が視認できる程の近距離の雷。
あまりに近い距離で味合う強烈な爆音が彼等の内腑にまで響き渡る。
その自然界の脅威に誰しもが息を飲み、身を強張らせた。
特にロバートの反応が良かった。腰を抜かし、尻もちまでつく。
無様を晒したロバートに対して、取り巻き達の反応の良さは素晴らしかった。
落雷に薬師寺と士ノ道の意識が向いた隙に一目散に逃げ出したのだ。
「あっ、お前ら!」
ロバート軍団の中で残ったのは彼を心配する鐘山のみ。彼の人望が知れるというものだった。
舌打ちをするロバート。それを見て薬師寺はほくそ笑む。
「随分といいお仲間ですこと」
「うるさい!!」
とにかく、これでこの問題児との戦力差はひっくり返った。
後は風紀委員に任せて煮るなり焼くなりすればいい。
随分とあっけない結末だったが、ひとまずこれで万事解決だ。不満といえばロバートの鼻っ面をぶん殴れないことだけだ。
だが、平和に解決した現状とは裏腹に頭上の雲は不穏にゴロゴロと重低音を轟かせ続ける。
雲の中では行き場を求める雷がバチバチと放電を続けていた。
「嫌な雲だな……」
誰かがそう呟いた。
その時だった
その雲から一際大きな雷が降り注いだ。
放たれた雷は放射状に別れ、枝分かれするかのように地上に落ちてくる。
そして、その落雷はまるで吸い寄せられるかのように太河達の目の前に落ちてきた。
地を叩き割るかのような爆音。目を貫く程の強い閃光音。周囲の電灯が不吉な音を立てて明滅し、金属間で火花が散った。
「うわっ!!!!」
超至近距離に叩きつけられた高電圧の衝撃。巨大な熱エネルギーが暴風となって周囲に放たれた。工事現場を仕切る三角コーンが吹き飛び、プールのフェンスが音を立てて揺れる。吹き飛ばされる者、顔を伏せる者、再び腰を抜かした者。
太河は思わず壁際にまで後ずさっていた。
腕で顔を庇ったが、風はその隙間を縫って皮膚を切り裂こうとするかのように吹き込んでくる。体が浮き上がりそうになるのを腰を落として耐え。それでも、腹に気合を込めてないと仰向けにひっくり返されそうだった。
その風が吹き荒れたのはほんの一瞬だった。
吹きあがった砂埃が落ち着く頃には周囲には静けさが戻ってきていた。
「なんだ……今の……」
太河は目を庇っていた腕を降ろし、恐る恐る周りを見渡した。
足元には雷が落ちたことを証明するかのように、7つの小さなクレーターが作られていた。
太河は隣にいたシャオに話を振る。
「今の……雷……だよな?」
「あ、ああ……多分……いやぁ、しかし、ビビったなぁ……」
シャオの顔にはもう軽薄な笑顔はない。大きく目を見開いて自分の足元を凝視していた。
その対面にいたロバートは膝を震わせながら、うずくまるような姿勢になっていた。
ロバートは慌てて顔を上げ、周囲を見渡し、震える声をあげた。
「……な、なんだ……驚かせやがって……雷ってのも……た、たいしたことねぇな!!」
そんな彼に鐘山が手を差し出した。
「ロバート、立てるかい?」
「うるさい鐘山!僕は平気だ!!」
ロバートはそう言って咳払いをして立ち上がる。
どうやら、彼等2人にも怪我はないようだった。
太河は隣で尻もちをついたまま目を何度も瞬いている渚沙の隣にしゃがみ込んだ。
「渚沙、怪我はないか?」
「……うん……太河は?」
「僕も平気」
太河は渚沙に手を貸して立ち上がらせる。
隣では同じように士ノ道が薬師寺を抱き起していた。
「薬師寺様。お怪我はありませんか!」
「ええ……でも、驚きました……いや、本当に、驚きましたわ」
薬師寺は胸に手を当ててなんとか呼吸を落ち着かせようとしている。
どうやら、皆に怪我はないらしい。
そうなると次に注目が集まるのは皆の前にあるクレーターだった。その黒焦げた穴の中央。底で何かが光っていた。
「なんだこれ……うわっ!」
その光は急に上昇をはじめ、皆の目線の高さで止まった。『手に取れ』とでも言いたげなその物体。膜のような光に包まれた『それ』は害のあるようなものには見えなかった。
それに、目の前の『それ』には十分に見覚えがあった。
「スマホ……っぽい」
渚沙が茫然と呟いた。
タッチパネルの液晶と、画面の下にある小さなボタン。携帯電話に似た『それ』。
見覚えのある物に皆の警戒心が緩まる。皆は『それ』に順次手を伸ばしていった。
太河もそのスマホらしき物を手に取る。大きさも、重量も、質感も、まさにスマホだ。
「でも、こんな機種見たことない……うわっ!」
裏や表を見ていた太河は驚きの声をあげた。
『それ』が突然起動して音を立てたのだ。
他の皆のもほぼ同時に起動する。
起動時に最初に浮かんだ文字を太河は読み上げた。
「deg……デジ……ヴァイス?」
そして、唐突に『デジヴァイス』の画面が光を放った。
「まぶっ!」
「なんだ!!」
あまりの光に目を背けた彼ら。その時、周囲から突然水柱があがった。
「な……なんだ……」
水道管でも破裂したかのような巨大な水柱。
その中央から水柱が割れる。まるで、モーゼが海を割ったかのように立ち上る水柱が左右に別れていく。だが、水柱の向こうにあるはずの体育館も、校舎も、横浜の街も、何もかもが見通せない。
そこにはただ、奥へと奥へと引き込まれるような暗闇が広がっていた。
「うあぁぁぁぁあぁああああああ」
そして、彼らはその狭間へと吸い込まれていったのだった。