透花散春   作:月見 栞

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「…………どうして、ここに」

「それはこっちのセリフ。何で生徒会の仕事も無いのにここにいるの? ルビィちゃんが教えてくれたけど、すっごく心配してたよ」

 突然現れた果南さんは空中で掴んだブロマイドをそっと机に置くと、険しい表情で腕を組んだ。

 ああそうか。一応面識はある訳だし、妹が彼女に連絡していてもおかしくはない。

「あなたにはーー」

「関係ある!」

 ぴしゃり、と打ち付けるように言葉が遮られる。その表情が、その声が、悲哀と憤怒に彩られていた。

「友達でしょ、勝手に自分だけの話にしないで。これ、大事なものじゃなかったの?」

 ブロマイドが突き付けられる。すんでの所で拾い上げられたそれに、憧れは変わらず輝いていた。

 目を逸らす。眩し過ぎるから。輝きが目に痛いから。1度手放した後ろめたさが私を苛むから。

「大事、でしたわ。でも、もう要りません。もう、私には憧れなんて必要ありませんもの」

 嘘だ。

 必要ないのではなく、現実との差に心が耐えられないだけ。ただ、辛くて手放そうとしているだけだ。やり場のない感情を、自分にぶつけているだけだ。

 果南さんは目を見開いてしばらく唖然とした後で、酷く悲痛な表情をして俯いた。

 見上げる私の視線と彼女のそれが不意に接する。

「……ごめん」

 返事は、彼女らしからぬひどく弱々しい謝罪だった。声は震えており、よく見ればその瞳に涙がうっすらと浮かんでいる。

 恐らく、私がここまで塞ぎ込んでいることが想定の外だったのだろう。だけど、私は同情など今は欲していないし、彼女に自責の念を抱かせたかった訳でもない。

 私は視線を逸らし、極力平静を装った声で返答する。

「何故果南さんが謝るんです。私はただ、身勝手な自己嫌悪に浸っているだけですわ。ご心配なく、放っておけばすぐにーー」

「私の、せいでしょ」

 再び声が遮られる。2度目の遮断は酷く悲しげな、震えた声で行われた。

「私が、私がダイヤに協力させたから。よりによって、スクールアイドルが大好きなダイヤに、スクールアイドルをやめる手伝いをさせちゃったから」

「……私が自分の意志で賛同した事です。果南さんが自分を責めることはありませんわ」

 言葉通り自分のせいだ、と思う自分と、今更遅いと糾弾したがる自分が混在している。

 決めたのは自分なのだから、人に責任を押し付けるべきではないと頭では分かっている。でも、置き去りにされていた私の気持ちに気付いて欲しいと叫ぶ自分がいる。

 

 この痛みは少し、重過ぎた。

 誰かにぶつけなければ、自分が押し潰されてしまいそうで、でもそれが出来ない。

 もしそんな事をして、相手に嫌われたら。

 これ以上何かを、失ってしまったら。

 そんな恐れが、私を痛みに押し留めていた。

 

「あるよ……いっぱいある」

 くい、と心を引かれる感じがした。

 恐れも建前も通り抜けて、私を引っ張り出そうとする声がした。

「私、鞠莉のことで頭がいっぱいだった。なるべく早く、今の内に鞠莉をここから解放しなきゃって、そればっかりで」

 深い色の瞳が私を捉える。

 まっすぐに心の底を見つめるその瞳に、視線が引き寄せられて動かせない。

「だから、って言ったら言い訳になるけど、ダイヤの気持ち、考えてなかった。ダイヤだったら分かってくれるし協力してくれるって信じ切ってて、それでダイヤがどう感じるか全然考えてなかった」

 再び視界が滲み出す。

 ただ、今度の涙は少し感情が違う。

 熱いものが溢れて来る。押し留めていた感情が、抑圧から抜け出てゆっくりと流れ出す。

 無彩色に固く固めた心が、再び色付き動き始める。

「ーー本当に、ごめん」

 果南さんが腰を折る。

 悲しげで自分を責めるような声で、深々と頭を下げる。

 そんな事は、とか、決めたのは自分だから、とか、優等生の受け答えが脳裏をよぎった。いつも反射的に発する私の言葉が。

 

 しかし今、この瞬間は。それを押し流すように、奔流のような激情が私の中を駆け抜ける。

「ーー今更、今更何だというのです!!」

 行き場を失い続けた感情が、ようやく出口を見つけて殺到する。無念も、怒りも、苛立ちも、全て。

「私はスクールアイドルになりたくて、ずっと憧れていて、高校生になったら必ずなると誓っていましたわ! ただやるのではなく、あなた達2人と一緒に、全力で優勝を狙うような熱い活動をしようと!」

 色褪せた記憶が脳裏に浮かぶ。

 

 鞠莉さんを説得して3人組になったこと。

 騒がしくグループ名を決めた日のこと。

 曲や衣装を作るのに夜遅くまで話し合い、休日も休まずダンスや歌の練習に打ち込んだこと。

 初めて衣装に袖を通したときのこと。

 初めてライブをし、地元の人達に沢山応援の言葉を貰ったこと。

 より一層激しく日々の練習に打ち込み、その成果として東京のイベントへの参加資格を得たこと。

 そしてーーそのイベントで全てが終わったこと。

 

「それをーーそれを終わらせようと言ったのはあなたです! 鞠莉さんの為だからと、私の事など考えずに、そう言ったのは!」

 私は既に、私を止める術を失っている。

 1度流れ始めた激情は止まらない。こんな言い方では語弊があるとか、身勝手な言い方だから良くないとか。それをぼんやりと感じている自分はいても、それに制止をかけるだけの力はもう無かった。

「勿論、やめるのは嫌でしたわ! それでも、鞠莉さんの為だからと真剣に言うあなたを見て、あなたを信用しようと思って、死ぬ程の苦しさを抑えてあなたに協力したのではありませんか!!」

 溢れ出す。人の気持ちも知らないで、親友のために突っ走った人への糾弾が。碌にこちらも振り返らずに走り続けた人への鬱憤が。

 それが、子供じみた怒りだと分かっていても。

「決めるのにどれだけ苦しんだかお分かりですか? あなたはきっとそんな事想像もしていなかったでしょうけれど、私は何度も何度も苦しみましたわ。あなたが鞠莉さんのことを考えて動いている間、あなたの視界の外でずっと!」

 抑えてきた分、ひとたび堰を切ったそれの勢いは尋常ではなかった。

 辛かった気持ちも、腹立たしい気持ちも、何もかも。行き場を失い、自分の内面を抉り続けた全ての感情が今、目の前の人へと流れ出す。

「そうして、1人きりで何もかも抱え込んで格闘して、ようやく自分を納得させたのです! それが全て終わってから謝罪なんて、した、ところでっ……!」

 嗚咽が漏れ、言葉が躓く。

 

 惨めだった。

 自分を抑えて、道を譲って、結局耐え切れずにこうして親友に当たっている自分が。

 間違っていると、幼稚な怒りだと分かっていても結局は抑え切れない自分が。

 何より、結局この親友に寄りかからなければ立っていられない自分が。

 

 惨めで、かなしかった。

 

「ーーうん。だから、さ」

 

 頭上から、優しい声が降ってくる。

 ゆっくりと顔を上げれば、視界に入るのはこちらに伸びた2本の腕。

 辛そうな、悲しそうな、優しい微笑み。

 

「ーーもう少し、謝らせて」

 ダメかな、と首を少し傾げながら彼女は問うた。

 

ーーずるい人。

 

 そう思いながらも、身体は勝手に動き出す。

 席を立ち、ゆっくりと彼女の肩へと手を伸ばす。ゆっくりと、触れた身体の温度を確かめながら腕を首の後ろへと回す。

 同じように自分の後ろに回された腕に寄りかかるように、彼女の首にぶら下がるように、後ろ向きに体重をかけて目を合わせる。私が力を抜いても、目の前のひとは私の身体を支えてくれる。

 しばらく、そうして躊躇いを溶かしてーー私は一気に彼女へ抱きついた。

 胸に、肩に、首筋に、自分のものではない体温を感じる。それが温かくて、私はゆっくりと心に温度が戻るのを理解した。

「……ごめんね」

 ゆっくりと、子供をあやすような速さで私の背中を叩きながら、果南さんはまた謝った。

 耳に聞こえるというよりは振動が胸に直接響くようなその声は、先程よりも優しく心に沁みた。

 考えてみれば、いつも挨拶がわりに行われていた彼女とのハグも久し振りだった。

 首筋に顔を寄せる。触れ慣れた彼女の体温と匂い。

 海に抱き締められるような安堵を感じながら、私はしばらくの間、果南さんの肩で静かに泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

「これ、私が預かっておくから」

「え?」

 ひとしきり泣いた後の帰り道。

 果南さんの言った言葉に思わず聞き返してしまう。彼女の手には、私の捨てようとしたブロマイドがあった。

「待ってください、私はもうーー」

 大丈夫です、とは言わせてくれなかった。

「ダメ。ダイヤ、浮き沈み激しいから。また何かの拍子にさっきみたいなことになるかもしれないでしょ」

「……随分信頼がありませんのね」

「そういうんじゃなくて、心配なんだってば!」

 少し拗ねたように返せば、本気で心配そうな顔を見せる果南さん。

 言われなくても分かっている。休日にわざわざ淡島から学校まで駆けつけて、私の感情を受け止めてくれているのだから。

 ただ、先ほど散々彼女の肩で泣いていたせいか、素直にはい、と言うのが照れ臭かった。1つ意地の悪い返答でも返しておきたい気分だったのだ。

「まあ、不本意ですが分かりましたわ。で、いつ返して頂けますの?」

 うーん、と少し思案した後、果南さんは言った。

「これを捨てなさそうなダイヤになったら、返してあげる!」

 何故か自信に満ちた笑顔。

 何とも曖昧な基準を設けられたものだ。

 ただ、それが実に彼女らしくもあった。

「……結局、果南さんの匙加減ではありませんか」

「えー私匙加減には自信あるよ? お味噌汁とか、家族で1番上手だって評判でーー」

「そっちの匙加減は関係ないでしょう!? それに、逆に私があのブロマイドを見たくて仕方なくなって落ち込んでしまったら、あなたはどう責任を取ってくれるんですの?」

 私の呈した疑問に果南さんは一瞬きょとんとして、程なくしてこう答えた。

「その時は、ウチに遊びに来ればいいよ!」

 爽やかな、海風のような笑顔。

 要するに、こう言いたいのだろう。

 

 大切なものをつい捨てたくなってしまうような心の傷を、早く治して欲しい。

 まだ完治したか分からなくて不安だから、私から見て安心出来る状態になるまでこれは預かる。

 これからは、辛くなったらすぐに私に相談して欲しい。

 今度は、1人で抱え込まないで欲しい。

 

 まったく、器用なんだか不器用なんだか。

「……まあ、分かりましたわ。早く果南さんに返して頂けるよう、精進します」

「そうそう、それでこそダイヤだよ!」

 調子がいいんですから、と呆れた風に返答しつつ、私は内心で改めて感謝を感じていた。

 あのまま憧れの象徴がゴミ箱に入って、私がそれを破棄したという事実が完成すれば、私はもっと深く傷付いていただろう。

 そして、彼女がああやって向き合ってくれなかったら、あのやり場のない感情はもっと悪い形で爆発していたかもしれない。

 

 昔からそうだった。

 辛くて泣いているときも、ものを無くして困っているときも。気付けばこの親友は助けに来てくれた。

 

 

 英雄のような、人だった。

 大らかで勇敢で、強い人。

 

 松浦果南という、私の親友ーー

 

 

 

ーーその、英雄のようだった親友は。

「………………むー」

   今現在、私を拘束しつつ盛大にヘソを曲げていた。

 

 

 

 

 




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