旅路を超えて   作:属物

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第一話「森からの旅路」その1

 縫いぐるみ一人を肩に乗せた人形一人が、夜の闇より暗い森をおっかなびっくり歩いている。僅かな光源は糸のような木漏れ日だけで、周りは薄暗いを通り越して月のない夜に等しい。

 肩の上のエティは視界のコントラストを最大にして明度を上げるが、周囲の輪郭がぼんやり浮かび上がる程度だ。理由は森を構成する木々にあった。

 

 「黒い森とは言うけれど……」

 

 「……くろい」

 

 黒いのだ。葉も、枝も、幹すら墨汁を塗りたくったかのように真っ黒。どう考えても自然物ではない。おそらくは太陽光エネルギーを最大効率で得るための人造植物だろう。

 もっとも『自然物』なるものは既に言葉と記録の上にしか存在しないのだが。

 

 エティは漆黒の幹に触れる。大きく、太く、真っ直ぐ。管理されている証拠だ。

 

 「もしかしたら管理してる人がいるかもしれないわ」

 

 「……ひとがいる?」

 

 もっとも、今時は管理人が人間の姿をしているとは限らないが、それは自分も一緒なので気にしないことにする。

 

 「マンガもあるかもね」

 

 「……マンガ」

 

 雑談てがら何の気も無しにこぼした言葉。ちょっとはやる気を出してくれるんじゃないかと淡い期待はあった。

 

 「……マンガ!」

 

 だが、マンガコンテンツへの興味以外何もないオサムシには、その言葉は狂信者に開祖の居場所を教えるのと同じであった。マンガの在処、と思いこむ方向めがけて弾丸のような勢いではね跳び駆け出す。肩の上のエティは振り落とされないように必死にしがみつく。

 

「ちょっとちょっと! 方角判ってるの!?」

 

 今まで目的地に向けてナビゲートしてきたのはエティだ。オサムシが行き先を知るはずもない。実際、地図アプリが示していた目的地への矢印と九〇度近くズレている。

 それはまだいい。問題は走るオサムシが速すぎて木漏れ日からの現在位置確認ができないことだ。

 

「お願い! 止まって! 遭難する!」

 

 エティは視界を駆け抜ける幹の速度と慣性モーメントから必死で移動経路を概算する。自分の場所も歩いた道も判らなければ遭難は必至である。そうなればスリープモードで管理者の来訪を神に願うか、天に運を託して迷い歩くしかない。どちらにせよ果てに待つのは死だ。

 

 「あーっ! あーっ! あーっ!」

 

 不足データを推測で補い、直観で偏差を補正し、泣きたい心境で経路計算を続けるエティ。

 だが加速度的に概算値は信頼度と精度を失っていく。密林を疾走する車両の荷台にくくりつけられて、経路の地図を脳内だけで描くようなものなのだ。どだい無理がある。

 

 「あー…………ダメ、終わった」

 

 そして当然のように計算は破綻した。計算上の現在位置は多分森の外、実際の現在位置は間違いなく森の中。もう何処にいるのかも判らない。

 がっくりと首を落としたエティは捨て鉢な気分のまま自閉モードの設定を始める。後は神のみぞ知る、だ。

 

 神様、誰かが見つけてくれるとありがたいんでよろしくお願いします。転化後の人間らしく信仰心の欠片もないお祈り擬きを捧げるエティ。モード移行のパスコードを打ち込もうとするその目に光が射し込んだ。信心がまるでない適当な代物とはいえ祈りを奉じられた神様は慈悲深く応えてくれたらしい。

 

 そこは黒い森にパンチ穴を開けたかのような、突然に開けた空間だった。衝動のままに駆け回っていたオサムシも驚きの余り足を止める。

 足下を覆うのは黒ではなく青々とした芝生で、しかも丁寧に刈り込まれている。そして天然芝の野球場を思わせる広場中央には、場違いなほど真っ白なビルが一棟。どれもこれも人の手が入っている。

 

 「もしかして、ここは管理者区域……?」

 

 そして管理者のいる巨大な人造環境の中で、これだけの領域を設定できるなど、管理者当人くらいだ。もしくはそう見せかけた一流どころのクラッカーか。どちらにせよ、この森の出口を知っているだろう人間には違いない。

 

そうこうしているうちにいい加減驚きも醒めたのか、オサムシは再びマンガを求めて辺りを見渡しだした。再スタートは時間の問題だろう。なのでエティは文字通りに先手を打った。

 

 「走ろうとするんじゃない!」

 

 振りかざした短い腕を頬めがけて振り下ろす。彼女の脳裏には破裂音に近い快音が響いた。

 実際には布と綿を軽くぶつけたような響きもしない音が微かにしただけだが。それでも意思表明くらいにはなったようで、オサムシはスタートダッシュ準備を取りやめて肩に乗ったエティに向き直る。

 

 「マンガが読みたいのは判るけれど、行き先も知らないで飛び出してどーすんのよ!」

 

 「……しらない?」

 

 「あんたが勝手に飛び出したんだからあたしが知るわけないでしょう!」

 

 絶叫とともに右ストレートのツッコミを左の頬に叩き込む。縫いぐるみの腕と力で殴りつけても何ら痛痒はないが抗議の意志は伝わったようだ。表情は変わりなく能面だが、俯いた顔からはしょぼくれた内心が判りやすく伝わってくる。

 感情のままに暴走しては叱り飛ばされて小さくなる。まるで駄犬だ。エティは胸の内で長々とため息をつく。

 

 それと同時に思う。自分は犬を見たことがあるのだろうか。人間自身すら改造、もとい転化(トランス)するこの時代。古代から品種改良してきた犬猫など原種との同一性を失うほどに変質してしまっている。

 

そんなプリセットの一般常識でしか知らない知識なのに、自分は驚くほど自然に『犬』という概念を使っていた。目的地にたどり着いて記憶が手に入ればその辺りの理由も判るのだろうか。

 気づけば頭に来ていた熱は全部冷めて、立った腹も寝ころんでいた。湿っぽい感傷で怒りの炎は鎮火したようだ。

 

 「今後は勝手なことはしないこと。何かしたいなら一度確認してから。いい?」

 

 「……かってはしない」

 

 「あと、ごめんなさいは?」

 

 「……ごめんなさい」

 

 幸いなことにマンガが絡まなければオサムシは随分と素直だった。犬っころなら一度痛い目みればそれで学習するだろう。擬きとは言え人間に近しなオサムシならより確実だ。そう信じたい。

 

「それじゃあ行きましょ!」

 

 エティが短い手で指さす先は、黒い森とのコントラストが目に痛い純白の建築物。鬼が出るか蛇が出るか。今の時代、どちらが出てきてもおかしくない。しかし森から出るには何かしらに出てきてもらえないと困る。虎穴に入らずんば虎児を得ずだ。

 

 指示の通りにオサムシはすっくと建つビルディングに向けて歩き出す。その肩の上、エティは言語ソフトが浮かべる猛獣の姿を振り払い、黒い森よりも一層色濃いビル内の影を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 唐突な光が暗視設定にしたエティ目を刺し貫いた。即座に感度を落とすが飽和した感光素子が平常に戻るまでしばらくかかるだろう。

 自動反応か出迎えかは不明だが、この建物を用意した御仁はオモテナシの心を持っていないようだ。天井に埋まった発光パネルの輝きが鏡面仕上げ大理石の床・壁・柱に反射してひたすら眩しい。

 オサムシも目が眩むのか珍しく渋面を作っている。

 

 「ナビゲートならするから、目は閉じてて良いわよ」

 

 「……いい」

 

 マニュアル自己制御のできないオサムシには辛かろうと声をかけたが、オサムシは手で庇を作って歩き出した。

 目に見える範囲に人影はない。そもそも強烈な反射光で影ができない。ビルを満たしていた闇はすべて消し飛ばされた。唯一残る影は上階につながる階段の先だ。人の声らしき音もそこから漏れ聞こえる。

 

「行ってみましょう」

 

 エティの言葉に小さく頷くと、オサムシはエスカレーター機能もない極々一般的な階段を上り始めた。踊り場まで上がれば影の中もはっきりと見える。

 二階にあるのは、扉だった。踊り場から見えるのはそれだけだ。二階の他全ては豪勢に分厚い扉の向こうに隠されている。

 

 「……教育者のない学習の速度を…………人類はまだ認められず……」

 

 微かに響く声の出所も扉の先だ。会堂入り口を思わせる両開き戸に相応しく、話の内容は何らかの講義のようだ。すぐさまオサムシはドアノブを握った。

 

 「ちょっ……!」

 

 反射的に咎める声を上げそうになるが、オサムシはそれ以上行動せずにエティを振り返る。行動の前にまず確認。オサムシは先の小言をちゃんと記憶していた。

 

「びっくりさせないでちょうだい。でも、それで良いわ」

 

 溜息代わりのジェスチャーで安堵を示すエティは、いいこいいこと短く太い手でオサムシの額を撫でた。僅かに背けた能面顔は気恥ずかしさを表現しているのだろうか。

 

 「じゃ、ちょっとだけ扉を開けて。少しだけよ」

 

 「……すこし」

 

 僅かずつゆっくりと握りを引いていく。重厚な扉に光の亀裂が走る。エティは扉を分かつ糸のような隙間に顔を押しつけた。

 

「斯くしてAIは『人工知能(Artificial Intelligence)』から『進興知能(Advanced Intelligence)』へと変化し、旧来の人類を置き去りにしたのである!」

 

 まず目に入るのは壇上の講義者。雄鶏と教授を足して二で割ったかのような姿で耳にキンキン響く鳴き声を張り上げていた。

 

 「そうなれば技術的特異点に置いて行かれた人類が、いずれAIの手で除去されるのは時間の問題! しかしホモ・サピエンスは大人しく滅びを待つほど物わかりの良い種族ではない!」

 

 どうやらニワトリ教授の講義内容は歴史学のようで、主にAI誕生の技術的特異点と人間転化について述べている。

 それを受講しているのはロバに、ウシに、ウマに、ヒツジに、イヌに、ブタと畜舎の住人ばかり。当然のように人間の要素が入り交じったワーアニマルな擬人化をされている。森の音楽会ならぬ、牧場の講演会といった所だろうか。

 

「故に優れた一部の人類はいち早く、凡俗な人間はやや遅れて、転化(トランス)を始めたのだ!」

 

 これで演説者がナポレオンめいたブタだったらディストピアな心配をしなくてはならかったが、幸いブタも話を聞いてるだけで革命的シュプレヒコールを上げたりはしていない。全員背筋をピンと立てて生真面目に受講中……生真面目に? 

 

 「細胞単位の肉体改造! 改良遺伝子の導入! 自我の情報化と書き換え! 転化した新人類(トランスヒューマン)は遂にAIに追いついた!」

 

 首を左右に降り続けるロバ。俯いたまま涎を垂らすウシ。椅子から抜け出そうと体をよじるウマ。死んだ目で虚空を見つめるヒツジ。舌を噛み切ろうとしては失敗を繰り返すイヌ。背筋こそ立っているがほぼ全員話を聞いてない。

 

 「その過程で愚かにも転化を拒んだ旧人類がほぼ絶滅し、旧来の国家システムの大半が崩壊したが些細なことである!」

 

 そしてただ一人、若しくは一匹のブタだけが講義に耳を傾けている。同時に親の仇と壇上を睨みつけている。怒りの原因は不明だが昼飯が豚料理だったという理由でないことは確かだろう。

 

 「なぜならば前者は動物園に! 後者は旧人保護区に保存されているから「両方とももうないです! いい加減クチバシを閉じてください!」

 

 なにせ、管理者の国際連合とその後継者である人類連合がすでに機能停止しているのだ。残された旧人類と旧国家は行方不明だが、きっと新人類の玩具として滅びたのだろう。

 

 ニワトリ教授の講義にねじ込まれた受講ブタの抗議に一瞬だけ言葉が止まる。

 

 「……そのとおり! そのとおり! そのとおり!」

 

 怒声混じりの横やりに心地よい独演会を邪魔されて怒り狂うと思いきや、あっさりとニワトリは赤いトサカを縦に振った。

 

 「新人類は拡大知性と分子機械を用いて個々人の欲望をことごとく満たし、家族や国家といった無意味な集団や、歴史や芸術といった無価値な記録を不必要としたのだ! これこそ新人類が優れている証拠の一つである!」

 

 じゃあお前が話している歴史はなんなんだ。表情筋のないエティの顔がひきつった気がした。

 

 「では分子機械の構造について講義を続けよう!」

 

 話が先と違う。思わずツッコミを発しそうになる口を無理矢理ミュートで止める。飛び出しかけた台詞は急停止の衝撃でエラーとなってエティの全身をビクつかせた。

 

 「あ」

 

 「……あ」

 

 その拍子に首を降り続けていたロバと目があった。唐突に停止したロバにつられて順繰りにウシ、ウマ、ヒツジ、イヌ、ブタの視線が二人へと向けられる。

 

 「おやおやおや! 聴講者がいたとは! さあさあさあ! こちらにいらっしゃい!」

 

 そして最後に新たな獲物に照準を合わせた、ニワトリの目がこちらを向いた。

 

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