「さあて結果は……」
脳裏のウィンドウには単純化された廃村が映し出されている。エティは開始の合図に両手を叩いた。綿の詰まった両手からは何の音もしないが、代わりに音声ソフトが柏手の音を鳴らした。
それを引き金に画面の中のCom二四村は植物の連続撮影じみた動きで徐々に再生していく。視覚野に投影されたアニメーションを内観でじっと見つめるエティ。シミュレーターがビープ音で終わりを告げた。
「よし!」
網膜にはかつての姿を取り戻したCom二四村が映っている。無論、これは演算で描きだした仮想の姿だが、各初期値は現実で機能分子に打ち込んだ値と何も違わない。
つまりは余程の外乱がない限り、このシミュレーター通りの結果が期待できるということだ。
「これで終わり、っと」
最後の検算を終えてエティは心地よく全身を伸ばす。凝る筋肉も鳴る間接も無いが気分の問題だ。復興作業の担当分はこれで終了。あとはお返しにたっぷりと色を付けさせて村を出るだけだ。
辺りを見渡せば村人に混じって猫車から資材を下ろすオサムシの姿が目に入る。向こうもこちらを見つけたのか、空の一輪車を押してエティの方へと向かってきた。
「私の仕事は終わったわよ。あんたも満足したら適当な処で終わりにして村から出ましょう」
「……………………だいじょうぶ」
ひどく間の空いた返答にマジマジとオサムシの顔を見るエティ。手元の猫車を見つめる表情は俯いた影に隠れて見えない。嫌な予感が胸中に広がり、今までのオサムシの反応を無意識がシミュレートする。
「ねぇ? もしかしてなにかあったの?」
「………………あった。でも、だいじょうぶ」
どうやら大丈夫ではなさそうだ。膨らむ不安に従い、声をかけようとエティは吸えもしない息を吸う。
「なにがあったの「奴が来たぞーっ! また来たぞーっ!」
その呼びかけを村民の大声がかき消した。なにやら村外れが騒がしい。視線を向ければ、多層重合金鍬に自動刈払い鎌、重ロケット竹槍を構えて民兵と化した村人たち。
「どこだ!? どこだ!? どこだ!? ぬいぐるみ!」
そして、怪獣がいた。
村民らの倍はある背丈に肩幅に胸板。それを支える頑丈な骨格と中にぎっしりと詰め込まれた太い筋肉が遠目にも見て取れる。そして何より、その全身をくるむのは金属質に輝く『鱗』で、太股を越える直径をした『尾』が体重を受け止めている。
恐らくは
「さっさと村を出ましょう!」
その迫力はエティにも即座の撤退を選ばせた。あれは喧嘩を売ってはいけない相手だ。その上、自分たちと無関係である。
「………だいじょうぶ」
しかしオサムシは転進の選択を拒否した。自分に言い聞かせたのか、或いはエティに告げたのか。自身でも判らない台詞を繰り返しながら、蜥蜴男に向かって足を踏み出す。
「あんた、まさか……!?」
「………だいじょうぶ」
約束をしたのだ。守らないわけにはいかない。
「無茶だわ! 義理は果たしたでしょ、さっさと逃げるわよ!」
「………だいじょうぶ」
蜥蜴男の巨体が徐々に近づいてくる。奴の狙いはほぼ間違いなくエティだ。逃げた処で追ってくるし、村人が自分たちについて話してしまう。当人がそう言っていたから間違いない。だからオサムシが戦わないわけにはいかない。
「あたしを当てにしてるなら手伝わないわよ!」
「……わかってる。ひとりでもだいじょうぶ」
エティの助けになりたくて始めたのだ。なのに巻き込んでは本末転倒、主客も転倒だ。自分一人でもやり遂げてみせる。オサムシは決意と共に拳を固めた。
「あーっ! もう! あたしは手を貸さないからね!」
「……だいじょうぶ」
最後にもう一度同じ台詞を返すと、遠巻きに囲む村人をリングにして、オサムシは遂に蜥蜴男と対峙する。首が痛くなる程傾けなければ顔を拝むことすら出来ない大きさだ。
だが、大男との戦い方は知っている。マンガを読んだのだ!
「おまえは! おまえだ! おまえだな!」
なにやら一人で合点し、オサムシへと理由不明の怒りを向ける蜥蜴男。対するオサムシはマンガで覚えたファイティングスタイルを構えた。
巨漢は鈍重がお約束だ。そして懐に入ってしまえばリーチが仇になる。それに鱗は堅くとも目や口内は柔いとも相場が決まっている。つまり一息に踏み込み鱗のない急所を狙う!
「……せぃっ!」
力強くかけ声を発し、一気呵成にオサムシは懐へと飛び込む。そのまま狙うは股間の一点だ。大抵の男なら一撃必殺に違いない。だが、次の瞬間、オサムシは驚愕に両目を見開いた。
「……え?」
爪先を振り上げるより速く巨体が消えたのだ。瞬間移動? テレポート? ワープ?
「よくも! よくも! よくも!」
頭上からの憎悪に満ちた声がどれも違うと告げる。上げた視界一杯に広がる鱗の鞭が正解を教えてくれた。単にオサムシの認識より速く高く跳んでいた。それだけだった。
「……ゲハッ!」
振るわれたのが太く強靱な尾で、縦回転と共に叩きつけられたことは、オサムシの反射速度では判らなかった。理解できたのは衝撃と痛み。そしてマンガの知識は実戦では余り役に立たないということだけだ。
いくら本物っぽさ(リアリティ)が有っても、
潰された肺から呼気が溢れ、肉体が交通事故のボールのように跳んだ。痛みを通り越し、全身が熱くて息苦しい。乱れた脈拍が耳の奥でやけに大きく響く。
「……あ……う」
頬にざらざらとした土のような何かが押しつけられている。違う、地面に倒れている。衝撃で混乱する三半規管が向きを九〇度間違えただけだ。
「「「………………」」」
遠巻きに見つめる村民の誰一人が何一つ喋らない。いや、喋れない。只の一撃、それも牽制だろう一発でこの様だ。
勝てると思っていたわけではない。単に高級言語を使えるヌイグルミに出張ってもらうための前座だ。それでも目の前で振るわれた圧倒的な暴力は、甘い村人の予想を粉みじんに叩き潰した。
「ど、どーすんだ!?」
「どーすんだって言ったって!」
「言い出したのお前だろ!?」
「おい、あいつ立つぞ!」
狼狽する村民たちは責任と罪悪感を押しつけ合い、目の前の現実から目を逸らす。逸らさなかったのは只一人、自分の言葉でオサムシを焚きつけた村人だけだった。
生まれたての草食動物よりも頼りなく、捕まり歩きを覚え立ての赤ん坊よりも弱々しい。それでもオサムシはゆっくりと立ち上がろうとしていた。
「……ゲホッ、ゲホッ」
視界も足下も波打って歪んでいる。片膝を突いて立つだけでやっとだ。それでも震える拳をせき込みながら構える。
その目の前にエティが立った。オサムシに言いたいことは山ほどあるが死なせたい訳ではない。
「何やってるのよ! 私が何とかするから、その間に行きなさい!」
「……ケホッ、ひとりでも、エホッ、だいじょうぶ」
だが、這いずる様にしてオサムシはエティの前に出る。約束をしたのだ。約束を、エティを守らない訳にはいかない。
「いいから退いて!」
叫ぶと同時にエティは短い両手を地面に叩きつける。機能分子に建築プログラムが走り、怪獣の四方に高分子壁が瞬く間にそびえ立った。こんなこともあろうかと建築プログラムにこいつを仕込んでおいた。ことの原因が再登場する可能性は想定済みである。
「ぬいぐるみ? ぬいぐるみ!? ぬいぐるみ!」
インスタント城壁の向こうから喜色と憎悪を満面にした声が響く。やはり蜥蜴男の標的はエティで間違いなかったようだ。
「それか! それだ! それな!」
妄言を叫び散らしながらそいつは高分子の壁面に躍り掛かる。が、弾性構造体に同速度で跳ね返された。
「!?」
「即席だけど強度は十分よ。壁の中で一人上手に踊ってなさい」
性懲りもなく突撃を繰り返しているようだが、衝撃力から概算して数時間は持つだろう。出来映えに頷くとエティはようやっと立ち上がれたオサムシへと向き直った。気まずそうに逸らす目をしかと睨みつける。
真っ先に飛び出したのは、叱りつけると言うには少々感情的に過ぎる声だった。
「ねぇ、できもしないのに何でこんなことをしたの!?」
「……できるとおもったから」
「できてないじゃない!」
理不尽な台詞であるが事実である。そう言われてしまってはオサムシは首を竦めて項垂れることしかできない。
「それにあたしに確認もしないで! 勝手なことしないって約束したでしょ!」
「……ごめんなさい」
返す言葉もない。約束を破ったのは自分の方だ。
「そんなに勝手にしたいなら一人で行きなさいよ! あたしがいない方がいいんでしょ!」
「……ちがう」
それでも流石にこの台詞は看過できない。絞り出すように反論を試みる。
「何が違うって言うのよ!」
「……そんなことはおもってない」
エティ自身、ここまで自分がヒステリックに怒るとは思わなかった。感情がまるで制御できていない。黒の森でのオサムシの暴走と同じだ。あの時はマンガへの欲望でブレーキを外したが、今度は自分が怒りを理由に暴れ回っている。
「……かってにやったのはぼくがわるい。ごめんなさい。でも、あなたをたすけたかった」
「助ける!?」
今のエティは、オサムシが死にかけたという衝撃を、怒りに転化して処理しようと情動の弁を全開にしていた。だから平常なら脳裏に浮かんでも即座に打ち消すだろう決定的な言葉も、止めることなく垂れ流してしまった。
「何の役にも立たないくせに何を言ってるのよ!」
「……………………ごめん、なさい」
「あ……」
自分は何を口にした? オサムシの表情でその意味に気づいた。それはどんな猛毒よりも致命的な一言だった。
だけど、もう、取り返しはつかない。短い手で口の位置を覆っても言葉はもう戻らない。言い訳を言うこともできない。
「そ、そんなつもりじゃ「ぬいぐるみぃっ!」なっ!?」
怪物が壁の外へと飛び出したからだ。あり得ない。驚愕に呑めもしない息を呑む。強度は概算値だが必要なだけの精度は確保していた。先の衝撃値から見てもこの短時間で壁を壊せるはずがない。
計算違いかとエティは反射的に壁のプログラム構造を見直す。
「ハッキング!?」
そして残された量子痕跡に気づいた。そう、蜥蜴男は壁を『壊した』のではない。壁を『解いた』のだ。より正しくは『壁を構成する機能分子の構造記述を改竄して、分子の結合を解かせた』のだ。物理暴力に特化した外観と狂的な言動故に高級言語を扱えるとは誰一人も思っていなかった。
「は、な、して……っ!」
「これか! これだ! これで!」
だが現実は違った。エティを握りつぶすように掴み上げるこの怪獣は、間違いなく高級言語の使い手だ。手の中から逃げだそうと構築する滑性液の機能分子に、壁と同様に改竄して分解している事実がそれを示している。
それに加えて物理戦闘力は外観通り。痛みを無視して飛びかかったオサムシは振るわれた逆の腕に軽々と弾き飛ばされた。
「……このガッ!?」
拳に正面衝突したオサムシは車に撥ねられた小石のように地面をバウンドする。圧倒的な質量と速度はオサムシの肉体のみ成らず意識までも容易く彼方へ吹き飛ばした。
エティは吹き飛ぶオサムシの名を呼ぼうとする。だが万力以上の握力で締め上げられた柔い体は言葉を発することすらできない。
「おまえだ! おまえが! おまえの! せいだ!」
「……っ!」
そして狂える蜥蜴男は、訳が判らない憎しみを込めた暴言で言葉を発する心までも締め潰す。
(……………………ごめん、なさい)
沸き上がる警告と警報に埋もれて消えゆく意識の中、エティの脳裏に浮かんだのは先のオサムシと全く同じ謝罪の言葉だった。
*
「…………は探してたヌイグルミを捕まえたんだろ。もう大丈夫じゃ?」
「いや、そもそも何で襲ったのかも判ってねんだ。また来てもおかしくねぇべ」「それに助けてくれた相手を見捨てるんか」
「それはヌイグルミの台詞で言うなら『公平な取引』の結果だぞ」「忘れれよう。俺たちの手には負えんぜ」
喧々囂々で侃々諤々な議論の声に目が覚めて、オサムシはゆっくりと目を開いた。真新しい人工樹木で出来た、知らない天井が視界を満たしている。そもそも見知っている天井など、初めにいた箱庭のコンクリ天井くらいしかない。そのコンクリートの平たい天井が自分の最初の記憶だった。
生まれ故郷の記憶を切っ掛けに、記憶が次々と浮かび上がってくる。箱庭。ヌイグルミ。約束。黒い森。畜産物。論戦。村。契約。蜥蜴男。敗北。役立たず。
そして……誘拐。そうだ、エティが浚われたのだ。急いで行かなくては。
オサムシは体を起こすべく、かけられた煎餅布団を剥がそうとした。
「……~~~~っ!?」
瞬間、不意打ちの痛みが神経を殴りつけた。一瞬で眠気が吹き飛び、声にならない声が漏れる。意識が覚醒を通り越して再度暗転しかける程の痛みだ。激痛を堪えようとラマーズ法じみたリズムで必死に息を吐く。
「……ヒッ、ヒッ、フゥ。ヒッ、ヒッ、フゥ」
「おい、目覚めたみたいだぞ!」
「大丈夫か!?」
オサムシの異様な呼吸に気がついた村人が寝床へと駆け寄る。他の村民らも後に続いた。
「痛てぇところはないですかい!?」
「……ヒィッ! ヒィッ! フゥーッ!」
村人に掴まれて揺さぶられている場所が特に痛い。更に乱れた息に気づいたのか、村人はばつ悪げに手を離す。
「すまんです。村の医療ソフトじゃ気休めの痛み止めしか作れねんです。勘弁しとくだせ」
外科手術や処方箋まで出来る高度医療アプリは高級品だ。一介の村落に過ぎないCom二四村では維持できない。幸いオサムシの傷は浅くはないものの、圧縮保存して巡回医師の来訪を天に祈る程でも無かった。
「……ここは?」
「村の集会所になります。あのバケモンが帰った後、あんさんをここに移したんでさ」
返答を元に記憶の地図と現在地を照らし合わせる。蜥蜴男から一方的に打ちのめされた場所からはそう遠くない。問題はそこから先だが、取りあえず行ってみないことには始まらない。
「……~~っ!」
「その怪我で動くのは無茶ですぜ!」
オサムシはゆっくりと薄手の保熱布団を引き剥がし、時間をかけて上体を起こす。それだけの日常動作ですら、砕けんばかりに顎を噛みしめて脂汗を垂れ流す必要があった。死ぬほどでは無いとはいえ十二分に重傷なのだ。
『何の役にも立たないくせに何を言ってるのよ!』
加えて肉体面だけではなく精神面も重体だ。エティから突きつけられた言葉が耳の奥で繰り返し響いては、胸に突き刺さって傷口をえぐる。意識が無視しても無意識は再生を止めてくれない。
『何の役にも立たないくせに何を言ってるのよ!』
胸中の痛みと全身の痛みを堪えて歯を食いしばる。確かにそうだ。初めに契約してからひたすら迷惑をかけて面倒をかけて、そのくせ移動の補助もまともに出来てない。見放したくなるのも当然だろう。
「…………いかなくちゃ」
それでもオサムシは動くのを止めない。ここで動かなければ本当に『何の役にも立たない』ままだ。約束をしたのだ。何一つ約束を守れないままで終わるのはゴメンだ。ゾンビじみた半死人の様で足を引きずり歩き出す。
「お止めなせい! 死んじまいますで!」
心配声で呼びかける村人の声も遠い。ふと思う。そう言えば礼も言っていなかった。
「……たすけてくれて、ありがとう」
「それは……」
声をかけた村人は俯いて押し黙った。集会所に運び込んで応急処置をしたのは自分だ。だが、急所をついて都合のいい契約をさせたのも自分なのだ。
だがオサムシに都合よく使われた怒りはない。そもそも好き放題に使われることは了解済みだ。礼こそ言えども文句などあるはずもなし。
「い、行くんですかい……」
それが逆に彼らの罪悪感を強烈に刺激する。半死半生のまま粛々と歩を進める姿は、恨み言一つないのに自分たちの醜さを見せつけてくる。
「どう考えても無理だぞ!」
「死ぬだけだ! 諦めろよ!」
自分たちの行いから目を逸らすために村民たちは静止の声を張り上げる。それは心配の為でもなく善意の為でもなく、保身と安堵の為の台詞。そんな言葉でオサムシの足が止まる筈もない。責任を負って本気で止める気など無いのだから尚更だ。
「あいつを焚きつければぬいぐるみも動くって言い出したのお前だろ!? 止めてやれよ!」
「やれとは言ってねぇよ! それにお前等も賛成してたじゃねぇか!」
「俺は賛成なんて口にしてないからな! 俺関係ないからな!」
となれば矛先はお互いに向かうことになる。無責任な責任のドッチボールをBGMにオサムシは扉を潜る。
「もういい! 行かせてやれよ!」
その背中に一人の声が届いた。それは無関係を気取る台詞でもなく、無責任に逃げる言葉でもなく、唯一つオサムシのことを気遣った声だった。
「奴さんは村から西へ向かいましたぜ!」
「……ありがとう。いってきます」
投げかけられた声に応えてオサムシは外へと歩き出した。