『不正なアクセスを検知しました』
『パフォーマンスが二〇%低下』
『不正なアクセスを検知しました』
『アプリケーションの起動に失敗しました』
『不正なアクセスを検知しました』
『通信切断中…………切断に失敗しました』
『不正なアクセスを検知しました』
『再起動を試みますか? Yes/No』
悲鳴じみた警告音にたたき起こされ、エティは弾かれるように瞼のない目を開いた。野生化した人工樹木の知らない天井が視界を満たしている。そもそも記憶喪失の身で見知っている天井など、初めにいた箱庭のコンクリ天井くらいしかない。そのコンクリートの平たい天井が自分の最初の記憶だった。
『不正なアクセスを検知しました』
「クッ……!」
しかし今は思い出に浸っている場合ではないようだ。ファイアウォールを無数のワームが蝕み、セキュリティホールから続々とウィルスが入り込んでいく。論理防壁を更新しようにも、強制固定されたポートから注ぎ込まれる問い合わせの濁流がエティの計算力を奪い取る。
『不正なアクセスを検知しました』
「このっ!」
強固な筈の多層セキュリティは汚染され、すでにウィルスの苗床と化していた。エティは論理爆弾を振りまいて感染した障壁ごとマルウェアを吹き飛ばす。その隙に自閉させた障壁を立ち上げて、戦線を引き下るまでの時間稼ぎを試みる。
「はいる! いれろ! はいって!」
不法侵入犯の蜥蜴男は遅れる浸食に苛立ちの妄言を叫ぶ。権限を奪ったポートからクェリーとウィルスのセットを次々に追加してくる。布の皮膚に突き刺さるフラクタクル構造の端子からマルウェアが注ぎ込まれる。自閉障壁すらなぎ倒し、敵意で形作られた怒濤が迫る。
「入れる、もん、ですか!」
それを再構築に成功した情報戦線が受け止めた。即席のフィルターがクェリーの雪崩を漉し取って、隙間から侵入するウィルスは再起動したワクチンソフトが嗅ぎ付けて噛み殺す。怒濤のハッキングと鉄壁のセキュリティがぶつかり合い、思わぬ拮抗状態が生まれた。
「どいて! どかす! どけ!」
「こっ……のぉっ!」
西部戦線じみた血みどろの停滞の中、エティ謹製の情報防衛は成長し、効率化し、瞬く間に最適化を遂げていく。適応したフィルタリングは緻密さを増しながらも負荷を減らし、学習したアンチウイルスはダミーを嗅ぎ分け危険だけを正確に取り除く。
蜥蜴男は怪物じみた外観にそぐわない高級言語の使い手だが、操作技術は外見通りの脳筋である。DDOS攻撃で計算力を奪ってのウィルス攻撃しか芸はない。
キディ(子猫)と言うには無理がある面構えだが、やり口は紛れもなくスクリプトキディ(借り物頼り)のそれだった。
「よくもやってくれたわね!」
「この! これ! ここ!」
よほどの計算資源があるのか問い合わせもウィルスも底が一向に見えない。
だが、論理戦闘は力押しだけで勝敗は決まらないものだ。戦線はエティの中枢寸前から固定されたポートへと巻き戻る。ハッキング技術力の差に従い、天秤は徐々にエティへと傾いていった。
「しらないくせに! わからないくせに! おぼえもないくせに!」
「それがどうしたっていうのよ!」
言葉だけならそれは単なる悔し紛れの台詞だ。だが何かがエティの脳裏に引っかかる。蜥蜴男の口振りはまるで、自分の記憶喪失を知っているかのように聞こえる。
(こいつは何かを知っているの? 何を知っているの?)
自分とオサムシに対する異様な憎悪。ヌイグルミを、恐らくは自分を捜していたその目的。そしてオサムシ以外だれも知らない記憶喪失に対する言及。
エティが抱いた疑問は相手の言葉を受け入れる心の隙間を生んだ。そこに言葉は刃めいて突き刺さった。
「さいしょからきおくなんてないくせに! もとからまっしろなくせに! はこにわでうまれたくせに!」
それは想像もしなかった言葉だった。否、エティはそれを薄々と感じていた。だから無意識に意識の外へと追いやっていた。自己についてのみ綺麗に抜け落ちた記憶から目を瞑り、過去の喪失に恐怖を感じない自分への違和感に蓋をして、明示された目的地から透かし見える誰かの存在を無視した。
「ち、違う! 違う! 違う! アタシは、私は、わたし……は…………」
だが今、それは目前に突きつけられた。もう目を逸らすことも出来ない。出来ることは意識を白く染めて、現実から目を背けることだけ。
その一瞬の無防備を蜥蜴男は突いた。
ダミーに紛れたトロイの木馬が論理爆弾を吐き出して、フィルターを背後から焼き尽くす。無害と処理した相手からの攻撃にアンチウィルスはエラーを吐いて停止する。その合間に辞書ソフトがパスコードを塗りつぶしていく。
「しまっ「いわれた! やった! できた!」
蜥蜴男は脳筋であり狂人だった。だから高級言語を使うと想像できていなかった。だからこのタイミングで全く別種の攻撃を仕掛けてくるなど想定できてなかった。第三者が指揮でもしていなければこんな攻撃をしてくるなどありえない。
だが、すべては言い訳に過ぎない。時計の針は再度向きを変えた。防御戦線を突き破ったマルウェアの軍団は中枢を目指して恐るべき速さで権限を食い荒らしていく。フィルタソフトとアンチウィルスを初期設定で再起動して必死の抵抗を試みるがもはや手遅れに過ぎない。
絶望が目の前を暗く染め、視覚に侵入したウィルスが光を奪う。更に瞬く間に残りの三感が奪い取られ、死に等しい暗闇へと押し込められる。最後に残った聴覚もすぐさま静寂と耳鳴りが塗りつぶしていく。
「…………!」
全てが無音と無明に消える寸前、自分の名を呼ぶオサムシの声が聞こえた気がした。
*
初めてオサムシが怒りを覚えたのはマンガを貶められた時だった。自我を形作ったものを嘲笑されてオサムシは自分を否定されたかのように腹を立てた。それは自分のための憤怒だった。
「……おまえ、よくも!!」
そして今、オサムシは生まれて初めて誰かのために怒り狂っていた。全身を走り回る激痛すら敵意を燃やす増燃剤にしかならない。熱感と怒りと痛みが混じり合い全身が煮えたぎるようだ。血中に噴出するアドレナリンがニトロめいて心拍と憎悪を加速させていく。
「ぅ……ぁ……」
オサムシの激情に針山もかくやの無惨なエティの姿が更なる燃料を注ぐ。コネクターらしき針が皮膚という皮膚を突き立って、僅かに呻くのがやっとの有様。一本一本に付随するコードを思えば、尊厳を浪費して無意味な時間を稼ぐスパゲティ症候群患者の姿にも見える。
「きたな! きたぞ! きてる!」
そして、そのケーブルを通し輸液ではなく毒液を送っているのは、ニタニタと嘲り笑う巨漢の蜥蜴男だ。そいつのたった一撃でオサムシは意識を刈られた。相対すれば恐怖に身が竦む程の痛みを与えられた。
「……オオオォッ!」
だが、一片の躊躇もなくオサムシは蜥蜴男に突撃する。レスリングのタックルを思わせる、地を這うが如き疾走だ。沸き上がる怒りが怯む心を焼き尽くし、固まる体を蹴り上げる。集中のあまり視界が狭まり、感じる世界が収束していく。あるのは討つべき敵と守るべき人だけ。
対する蜥蜴男は雑草を払うかのように鱗の腕を振るった。感情にまかせた暴走では避けられはしないだろう。しかも戦闘用に改良を受けた巨体は、学生の設定で生まれたオサムシとは比べものにならない暴力を有する。当たれば先の焼き直しと一発で沈むのは確実だ。
「……ッアアアァ!」
「!?」
ただし、それは『当たれば』の話でしかない。地を擦り迫る必殺の掌をオサムシは跳ね飛んでかわした。蜥蜴男を睨むオサムシの目には冷徹な敵意があった。
そう、これは無為無策の自殺攻撃ではない。『マンガで判る薬丸自顕流』を参考に考えに考えた、今できる最良の攻撃なのだ!
オサムシが見せた想像外の機動に蜥蜴男の反応は遅れた。振り抜いた手はすぐには戻せず、逆の手を振るえばエティとつなげたコードに引っかかる。
蜥蜴男が狂気だけで動くのなら対応も間に合ったかもしれない。だが実際は指示を待つ兵隊同様の硬直の間に、全質量を弾丸にしたオサムシの突貫が顔面にめり込んだ。
「……こっっっのぉ!」
「ぐぅっ!」
オサムシが考えられる限りの策を練り、一瞬の油断を突き、文字通り全てを叩き込んだ。
それでも蜥蜴男は倒れない。単純な肉弾戦においては大きいということは圧倒的な有利なのだ。間合いが大きく、腕力が大きく、耐久力が大きい。
「はなれろ! はなれる! はなれて!」
「……いやだっ!」
例えそれでも後込みなどしていられない。オサムシは蜥蜴男の首にしがみつき、縦に割れた瞳孔へと指をねじ込む。
「あああぁっ!」
鱗がいくら堅くとも眼球までは覆われていない。マンガで覚えた。思いの外堅い角膜を突き抜けて生ぬるい漿液が指を包み込む。
「がぁぁぁっ!?」
「……おがっ!?」
その痛みが制御を外したのか、蜥蜴男ははばかることなく両手を振り回した。先の通りの予測通りにオサムシは意識ごと軽々と弾き飛ばされる。霞む視界の端に空飛ぶ布人形が一つ。
打ち振るう手がエティをつなぐケーブルも巻き込んだのだ。ハンマー投げの要領でエティは空を舞っていた。遠心力に負けたコードと端子針の大半が布地の肌を引き裂きながら抜け落ちていく。ハッキングされた身で受け身など取れるはずもなく、ヌイグルミの肉体は下草の上に落ちて跳ね飛んだ。
「……ぬぐっ!」
オサムシもまた下草に叩きつけられてのたうつ。幸いにも飛び去りかけた意識は再度の衝撃で舞い戻った。このまま寝転がっていては先の二の舞だ。オサムシは人工樹木にすがりついて立ち上がる。一刻も早く動かなくてはならない。だが急く意識とは裏腹に、震える足は遅々として進まない。
このまま先ほど同様に殴り倒されて終わりか? 諦めがオサムシの脳裏を過ぎる。だが、そうはならない。先ほどと違う点が一つある。
「ごめんなさい! すみません! もうしわけない!」
虚空に向けて謝罪を繰り返す蜥蜴男だ。誰に何を謝っているのは不明だが、攻撃の余裕は無いらしい。
その間にオサムシは足を引きずり横たわるエティの元へと向かう。視界はモノクロと天然色で明滅している。忘れていた痛みが蘇りだし、息をするだけで苦しくて堪らない。アドレナリンの魔法が切れかかっているのだ。
それでも歯を食いしばって足を止めることなくエティへと歩み寄る。
「ぅ……」
全身に痛々しい鉤裂きが幾つも走り、悪夢を見ているかのように魘されている。
だが、まだ生きている。可能な限り優しく抱き上げる。
「……えてぃ。もう、だいじょうぶ」
「オサ、ムシ……?」
声をかけた拍子にエティの目が覚めたらしい。茫漠とオサムシの顔を見つめる。目覚めたばかりのエティには何がなんだか判らない。
何故ここにオサムシが? オサムシが助けに来た? 蜥蜴男はどうなった? あいつに言われたことは事実なのか?
無数の質問が胸の内に溢れかえり、口から出たのはただ一言だった。
「なんで?」
「……だいじょうぶ」
そして返答は答えになってなかった。
「だいじょうぶって何よ、もう」
だが、その言葉は望んだ答え以上にエティを落ち着かせた。それは、ここにオサムシがいるという意味だった。いつもと変わらない様子でいつもと変わらずにいる。
それで十分だった。絶望に縛り上げられていた心が解放されていく。
「その、酷いことを言ってごめんなさい」
流れ出すように言葉が漏れた。言わなければならない言葉だった。言えずに終わってしまうところだった。
「あなたが居てくれることにすごく助けられているっていうのに、恩知らずなこと言って本当にごめんなさい」
「……だいじょうぶ。こちらこそ、かってなことしてごめんなさい」
「出来れば先に言って欲しいけれど、無理な場合は後で理由を説明してちょうだい。あたしも無闇に怒ったりしないようにするから」
「……わかった。かってなことはできるだけしない。するにしても、ちゃんとはなす。できないなら、あとでせつめいする」
「手を出して」
「……あらためてやくそく」
傷だらけの短い手をエティが差し出す。オサムシは優しく摘んで上下に降った。それは最初に出会ったときと同じ、契約と約束の握手だ。
オサムシの顔が綻ぶ。エティの変わらないヌイグルミの表情も笑っているように見える。柔らかな空気が二人を包んだ。
「やりなおす! くりかえす! とりもどす!」
そこに焦燥にまみれた蜥蜴男の声が分け入った。何処の誰に謝っていたかは知らないが謝罪会見は済んだようだ。
怒りと怯えと焦りの入り交じった視線を残った片目から二人にぶつける蜥蜴男。見る限り潰れた目以外に怪我らしい怪我はない。
「大丈夫?」
「……ちょっときびしい。えてぃは?」
「あんまり大丈夫じゃないわね」
方や二人は満身創痍もいいところだ。エティはクラッキングを受けた後遺症で体内環境が滅茶苦茶になっている。オサムシは重傷を押してきたツケが今正に回ってきている。どちらも死に体で死に掛けだ。
闘争か、逃走か。どちらにせよ難しいことこの上ない。だが、やる他にはないのだ。二人は覚悟を固めて蜥蜴男に向き合う。
「つぐなう! つぐない! つぐなえぶぅっ!?」
「「……え?」」
その目の前で蜥蜴男が爆音と共に吹き飛んだ。