「ここが……」
「……もくてきち?」
そこには何もなかった。歴史を秘めた遺跡も、神秘的な大樹も、宇宙由来のクレーターも、何一つない。ただ一様に平坦な荒野が地平線まで広がっている。地磁気と太陽角度から再計算しても現在位置情報に狂いはない。目的地の座標と一致している。ここが目的の地の筈だ。
困惑しながらも辺りを見渡すが目に入るのは地平線だけだ。空を見上げても青天井だけ。地面を見下ろしても砂礫だけ、ではない。
「……えてぃ、これ」
赤い砂と石の間に、唐突に汎用規格の雌プラグが口を開けていた。異様である。端子の位置を計算すると、目的地の経度緯度と小数点以下十桁で一致した。
背負子から降りたエティは端子に触れる。トランス以前から当たり前に使われているターミナルで何ら異常はない。しかし設置されている場所は異常極まりない。
つまり、これに答えがつながっているに違いない。二人は互いを生体フラクタクル端子で繋いだ。そして頷きあうと端子に雄プラグを差し込んだ。
「「!?」」
次の瞬間、二人は透明かつ巨大な三次元市松文様の最中に浮いていた。それだけなら電脳仮想空間の一般的なイメージだが規模が違う。単に座標を循環させている訳でも、虚空を外周に投影している訳でもない。限りない宇宙空間を思わせる領域には、認識できる限り文字通りに果てがないのだ。
「こんなものがあり得るなんて……」
「……すごいひろい」
高級言語を取り扱うエティにはその凄まじさが否応なしに理解できた。つまりこの仮想世界には誇張抜きで、『無限に等しい計算資源』が投入されているということだ。それが理解できないオサムシだが、彼もまた空間の見せるスケールに圧倒されている。
『ハローワールド! お久しぶりです。初めまして』
「え」
「……だれですか?」
驚愕冷めやらぬ二人の前に人影がログインした。連続する衝撃に自分の許容量を越えて固まるエティ。一方、唐突な入室にもマンガで予習済みのオサムシは動じることなく誰何の声をかけた。
『貴方達を呼び寄せた者です』
「……そうなんですか」
影は当たり前のように答えた。目の前のシルエットこそが全ての始まりだと。余りも簡単に投げ渡された真実に、エティは呆然とすることしかできない。
何を聞けばいいのか、何を話せばいいのか。無数の言葉が自分の中で渦巻き、ぶつかり合い、崩れていく。
「……あなたをどうよべばいいですか」
『好きに呼んでください』
「……じゃあ、ぺるそなさんで」
その間にも物怖じしないオサムシと人影のどこか間の抜けたやりとりは続く。
「ちょ、ちょっとオサムシ!」
場に似つかわしくないとぼけた二人の会話に、ようやっと正気に返ったエティが割り込んだ。
「……べつのよびかたがいい?」
「そう言う問題じゃなくて!」
「……もしかして、かいわもじぜんれんらくすべきだった?」
「それでもなくて!」
人影ことペルソナとオサムシのやりとりが漫談なら、エティとオサムシの掛け合いはコントだろう。そしていつもながらの会話はエティの絡まった心を解きほぐした。
改めてエティは人間の概要図めいたペルソナと向き合う。こいつが全てを知っているのだ。深呼吸のイメージを繰り返して気を落ち着けると、エティは意を決して言葉を打ち込んだ。
「ペルソナさん。あたしは、何なの? 貴方はそれを知っているの?」
『検索エージェントです。はい、知っています』
ペルソナさんは奇妙に前後した答えを返した。検索エージェント。つまり情報を調べ、探しだし、かき集める端末ということだ。やはり自分は人造物だった。それはいい。
だが、この心も? 懐疑が存在理由ごと仮想肉体を揺るがす。
「……えてぃ」
自分を呼ぶ声と肩に置かれた手が震える体を鎮めた。そうだ。たとえそうだったとしても、二人の旅路と過ごした日々の価値が変わることはない。オサムシに力強く頷いて、エティは次なる問いを投げかける。
「あたしを貴方が作ったの?」
『はい、そしていいえ』
帰ってきたのは肯定と否定の両方だった。どうやらこの情報体は質疑応答が不得手らしい。
「……それは、どういういみですか?」
『私は彼女の基礎を構築しました。しかしエティという人格を創造したのは彼女自身です』
親は子供の体を作ったが、子供の心を作ったのは子供自身。それはごくごく普通の話だった。
エティから長い息が漏れた。仮想肉体に張りつめていたものが緩んで解けていく。
「なんというか、心配して不安がってた自分が馬鹿馬鹿しいわね」
「……だいじなことだった、とおもうよ」
エティは返答の代わりにオサムシを優しく抱きしめ、山ほどの意味を込めて礼を告げた。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
オサムシも応えてエティを穏やかに撫でる。組んだ手を離し、エティはペルソナさんに向き直る。
「何のためにあたしを作ったの?」
『色々と知るためです』
オサムシは首を傾げた。言葉足らずな創造主に詳細を促す。
「……もうすこしくわしく」
『私は貴方達の属するこの宇宙の外から来ました』
この仮想空間は故郷の再現だとペルソナさんは語る。そこには『生命』が存在せず『知性』のみがあるのだと。ペルソナさんを含む彼らは、重力を利用して次元を超え数々の宇宙を観測した。
ある宇宙では巨大な虚空だけがあった。別の宇宙では物質が物理法則に従っているだけだった。自分たち同様の『知性』のみの宇宙も見つけた。そしてまた『生命』のある宇宙も見いだした。
しかしこの宇宙のように『知性』と『生命』が同居し、なおかつ緊密に結ばれている宇宙は初めてだった。
『知性とは、私とは何なのか。その答えを探し続けてきました。そして全く新しい発見がここにあったのです』
外からの観測は全て終えた。内部からの観測が必要った。しかし干渉は最小限でなければならない。観察対象に影響を及ぼして必要な情報にコンタミしてしまっては元も子もない。
『故に適当な構造物……ぬいぐるみを基に検索エージェントである貴方を作り、生きる術とこの場所を入力して解き放ったのです』
「そういった説明の一つくらい欲しかったのだけど」
その所為で色々と悩み迷い苦労する羽目になったのだ。勝手に生み出されと唐突に放り出されたエティとしては文句の一つくらいは言いたくもなる。
『それは行動を規定して、結果が汚染されてしまいます』
事情があるとペルソナさんは首を振った。
『理想的には目的地の情報も与えるべきではありませんでしたが、干渉を最低限に抑えつつ情報を得る為にはI/Oポートとの接続が必用でした』
「それがこの目的地だと」
『はい』
『なので貴方が今までに得た情報を共有していただけませんか? 代価として貴方の望みを叶えましょう』
「望みって言ったって……」
エティの願いは自分の過去を知ることだ。それは既に叶ってしまった。これからしたいことはオサムシとの旅路を続けることだが、ペルソナさんからの代価はそれに必要ない。
「オサムシは何か欲しいものある?」
「……マンガ。だけどじぶんでさがす」
エティから振られたオサムシは首を横に振った。マンガが欲しいのは事実だが、それを探す旅路もまた目的なのだ。
『では、その補助となるものはどうでしょうか』
「具体的には?」
『マイクロブラックホール動力炉と自己存在複製器、それと反粒子投射砲に消滅概念論理兵器などがあります』
「いりません」
映像付きで示された効果を見て即座にエティは拒否を示した。世界を滅ぼすか支配できてしまう力などもらってもしょうがない。
『『ならば寄越せ。それを寄越せ。私に寄越せ』』
「……だれ!?」
「どこから!?」
エティとオサムシは唐突に響いた声の出所を探る。それはすぐに見つかった。出所は自分たちだった。仮想肉体に突如現れた巨大な口が貪欲に叫んでいたのだ。それは蜥蜴男の中で垣間見た箱庭の主の姿だった。
*
『『全て寄越せ』』
ぴちゃぴちゃと下品な音を鳴らして箱庭の主は同じ言葉を繰り返した。エティとオサムシの仮想肉体を横断する巨大な口はご馳走を目の前にした子供のように涎を溢れさせている。
体内で蠢く舌を感じてエティの神経に怖気が走った。それは生理的嫌悪だけではない。肉体に生まれた『口』は情報体への侵入を意味している。
「やられた……!」
ならば現実の肉体は? 反射的にステータスを確認するエティ。そこには無数に突き刺さるフラクタクル構造端子で無惨な針山と化した自分とオサムシの姿があった。
一日持つというエティの予想は甘かった。箱庭の主はダミー追跡時と同様の強行軍を続け、倒れた者から電力と機能分子を残りに配分するデスマーチを実行したのだ。主にとって爬虫人類達は使い潰してもいい消耗品にすぎない。配下の数は当初の四分の一未満だが何ら問題はない。目的は果たせる。
事実、無防備な肉体を制圧された二人に抵抗する術はない。
「ダメ! そいつは全部奪『黙れ』」
警告のせりふを発したエティは、口に重ねて上書きされた『口』に声を奪われた。
「『喋るな』……!? ……!!」
オサムシの口にも箱庭の主が張り付けられて何一つ言葉にできない。
足掻こうとすれば腕が、逃げようとすれば足が『口』に置換されて、二人は身動き一つ取れない人質にされてしまった。
『貴方は彼女の肉体を作った方ですね。お世話になっています』
しかしペルソナさんはまるで危機感なく箱庭の主に挨拶をする。彼にとってはエティもオサムシも箱庭の主も同じなのだろうか。
『ならばその代価を寄越せ。代価はお前の全部だ』
『全部ですか。私が所有する全ての情報と資源と言うことでよろしいですか?』
無力な二人の目の前で、取引というには余りに強欲で身勝手な要求が交わされる。だが二人は口を『口』に取り替えられて、歯噛みすることも臍を噛むこともできない。
『そうだ。全部だ』
エティの脳裏に疑問がよぎった。ペルソナさんが観測してきたどんな宇宙でも大なり小なり危険は有った筈で、危険を察知し対応する能力もある筈だ。
つまり、ペルソナさんにとって、この状況程度では危険を感じる必用がないのではないか。ならば箱庭の主は、既に……。
『では、どうぞ』
*
箱庭の主は貪欲だ。
何もかも自分の物にしたい。何もかも自分の思い通りにしたい。だから奪った物で箱庭を作った。気に入った全部をそこに入れ、何一つそこから出してやらない。
自ら動き出したヌイグルミも自分の物。棚に並べて陳列しよう。勝手に出て行った疑似人間も自分の物。叩き殺して新しいのに取り替えよう。
箱庭は全てを独占できる一つの世界。箱庭は全てを自由にできる自分だけの宇宙。いつか全てのモノを箱庭に入れよう。いつか全ての場所を箱庭にしよう。
宇宙外の知性なんて素敵なものだって絶対に自分だけのものにしてやる。誰にも教えてやらない。誰にも触れさせてやらない。独り占めだ。
だから、故に、当然と、箱庭の主は全てを要求した。中にマルウェアが入っているなら人質に押しつければいい。莫大な箱庭の計算資源が有れば大陸一つ分の情報だって飲み干せる。それでも足りないなら手に入れた資源で計算資源を作りながら受け止めればいい。何の問題もない。失敗はない。
そう考えていた箱庭の主の失敗はただ一つ。自分の想像を超えたものが、この宇宙の外にはあるということだった。『無限に等しい計算資源』と『悠久の時』をかけて集めた情報量を計算できなかった。しかも全てを認識より速く注ぎ込むなど予測してなかった。加えて人質に影響なくそれを成すなど不可能な筈だった。
つまり、想像力が足りなかったのだ。
パン、と箱庭の主が弾けて消えた。悲鳴も断末魔も無かった。薄っぺらなゴム風船に圧縮空気を注ぎ込んだような光景だった。エティとオサムシの肉体にへばりついた口全てが表裏ひっくり返って弾け飛んだ。現実世界では箱庭の主と接続していた爬虫人類がオーバーフローした情報量に痙攣を繰り返していた。
『おや、やはり受け止められなかったようですね』
ペルソナさんの声音は先と同じく危機感のない平然としたものだった。エティの想像通り、彼にとって危機など初めから無かったのだ。危機感を覚える筈もなかった。
「……こうなるの、わかってたんですか?」
『いいえ。予想はしていました』
そして予想通りに箱庭の主は破裂した。
「もし受け止められたらどうするんですか」
『私の任務を請け負うよう交渉の予定でした』
「……いうこときかないとおもいますけど」
『その場合は凍結圧縮処置を施して観測対象への影響を抑えます』
自分の全てを吸収された想定で尚、対策は事前にとられていた。つまるところ最初から箱庭の主は終わっていたのだ。
「なんていうか、心配しては損することばかりだわ」
探していた過去も、脅えていた危機も、驚くほどあっさりと片づいてしまった。全ての答えを求めて目的地を目指したのは、有る意味全くの正解だったのだろう。エティは事の終わりを告げるように長い長い息を吐いた。
「もう、気にしてもしょうがないわね」
「……そうだね」
エティが納得しているならオサムシに否はない。名作の最終巻を読み終えた後のような、大仕事を成し遂げた後のような、心地よく重い疲れが仮想の体を満たす。
『それで、代価はどうしますか?』
空気を読む気も読む必用もないペルソナさんは余韻と達成感に浸る二人を無視して問いかける。
「どうする?」
「……どうしよう」
エティとオサムシは顔を見合わせた。どちらも貰いたいモノはない。必用なら自力で何とかするつもりだ。暫く二人で話し合った末にオサムシが手を挙げた。
「……いままで、であったひとたちに、おれいをおねがいします」
お互いだけではなく、皆がいるからここまで来れた。それはエティとオサムシの共通認識だった。
『先ほどの補助セットを彼らに贈るのは観測への影響が大きいのでご勘弁を』
「……それじゃなくて」
ならなんでそれを自分たちに贈ろうとした? 疑問と突っ込みを飲み下してオサムシは首を横に振った。オサムシは空気を読むという事を学んだのだ。
「……それじゃなくて、みんなののぞみをひとつだけかなえてください」
『それで宜しいのですか?』
「……はい」
「私もそれでお願いします」
『では、契約成立と言うことで』
ペルソナさんが二人へ手を差し出す。エティとオサムシはそれぞれ差し出された手を握った。一瞬、走査ボットが仮想肉体を走り抜けて全ての情報が写し取られた。それで全部終わった。
『おまけですが物理肉体は修繕しておきました』
「ありがとうございます」
「……おせわになりました」
『いえいえ。それではさようなら』
電源を切るように仮想宇宙は消え去って、二人は現実へと舞い戻った。
*
手を握り、広げる。足を延ばし、曲げる。どこにも異常はない。長旅を急いだ疲労感も、端子を突き刺された無数の傷も消えて失せている。
「……ぼくはちょうしいいけど、えてぃはだいじょうぶ?」
「私も快調よ」
ペルソナさんの仕事は完璧だった。二人とも完全と言っていい水準まで回復している。
辺りを見渡せば、遠く列をなして歩いていく爬虫人類の背中が見えた。箱庭の主から切り離されて自我を得たのか、それともペルソナさんが新たな検索エージェントとして操っているのか。
二人にそれは判らない。判るのは彼らが何処かへの旅路についたということだ。これからの二人と同じように。
「ねぇ、オサムシ。これから何処へ行こうか?」
「……すきなところにいこう。とりあえずマンガのありそうなばしょにいきたい」
「そうね、まだ約束は終わってないもの」
「……うん、やくそく」
二人は改造馬に跨がると太陽の方へと歩き出した。一つの旅が終わり、そしてまた新しい旅路が始まった。
終わり。