目が痛くなる程に紅い空に不審感を抱きながら、ひとまずオレは煙草に火をつけた。
肺に冷たい煙が充満し、気分が良くなる。
やはり煙草は気持ちがいい。
冷たい害煙が体を徐々に蝕んでいくのがよくわかる。だがその感覚が病みつきになるのだ。
薬物中毒者もきっと似たような感覚に魅入られているのだろう。
そんなことを思いながら遠くを眺めていると、なにやら黒い塊のような生物が動いているのが見えた。
「なんだありゃ。妖怪にしてはどうも雰囲気が違うよなァ…」
どうにも不審なその風貌が気になり、オレは眉間にシワを寄せてその化け物を睨みつけた。
その瞬間、その化け物は突然咆哮をあげてこちらに向かって走ってきた。
後退りしそうになるほど凶悪な面構えをしたその化け物はどんどん速度を上げ、オレに強靭な腕を振り上げた。
純度の高い殺意、確実にオレを仕留めようとしているのが五感にビリビリと伝わってくる。
それに対し、オレは反射的に拳を突き出してその化け物をぶっ飛ばす。
幻想郷中にパァンと破裂音が鳴り響く。
その化け物は四肢が千切れ、彼方の大木に体をうちつけてそのまま動かなくなった。
すると今度は周辺から数多の咆哮が溢れんばかりに轟いた。
辺りを見渡してみると、先程ぶっ飛ばした化け物が何体もこちらに向かって走ってきていた。
紅い空の下、闇のように黒い化け物が犇めく様はまるで世界の終わりのようだった。
「どうも嫌な予感がすんなァ…加えてオレの勘はよく当たるってんだから困ったもんじゃい。」
胸騒ぎがしたのでオレは煙草を投げ捨て、走り寄る化け物を放っておいて紅魔館に向かって跳躍した。
もちろん、お得意のぶん投げ飛行法だ。
陽が出てないにも関わらず真っ赤な空、殺意の高すぎる黒い化け物の群れ。
どう考えてもこれは異常事態だ。もしかしたら紅魔館の方でも、いや、幻想郷中がこんな状況なのかもしれない。
ハイスピードで紅魔館に向かいがてら、地上の様子も伺おう。
ある程度飛行が安定してから、オレは地上を見下ろしてみた。
「ッ!?オイオイどうなってンだこりゃあよ…」
眼下に映し出された景色は酷く惨いものだった。
地上を埋め尽くさんとばかりに化け物の大軍が逃げ惑う人々を襲っていた。
あらゆる所がこの空のように真っ赤に染まっており、化け物たちが動かなくなった人間の四肢を引きちぎって食い散らかしていた。
それに対して一部の戦える人間達が応戦しているようだが、化け物のあまりの数に圧されている状況だ。
このままでは全滅も十二分に有り得るだろう。
「クソが!オメェら無事でいてくれよ…ッ!」
だが、今のオレには眼下で襲われている奴らを助けてやれる余裕はない。
オレにとって紅魔館の面々は家族も同然。
1番優先すべきは彼女らなのだ。
悲鳴が響く地上をよそに、オレは更にスピードを上げて紅魔館に向かった。
〇
全速力で飛行すること数分、漸く紅魔館が見えてきた。
見たところ、先程人々が襲われていた辺りに比べて化け物の数はだいぶ少ないようだ。
塀はある程度壊されてしまったようだが、紅魔館の内門前で美鈴が化け物と戦っている様子を見ると、化け物達はまだ館内には侵入していないようだ。
しかしさすが紅魔最強の門番というべきか、美鈴は化け物の大群を素手で難なく蹴散らしていた。
「とはいえ、流石のアイツもこの数じゃいずれ限界が来るなァ…」
魔法で巨大な槌を生成し、オレは化け物共に向かってその槌を叩きつけた。
一件の家屋のように巨大な槌は、一振りで何体もの化け物共を叩き潰すことができた。
「こりゃあ良いな。」
美鈴「龍二さん!来てくれましたか!」
「元気そうでなによりだ。にしてもこりゃどうなってやがんだァ?」
サイズのせいもあってか魔力の消費が激しいので、ひとまず槌を消滅させる。
かなりの数の化け物が減ったので一安心だとは思うが、オレはひとまず美鈴に状況を聞くことにした。
美鈴「お嬢様達が危険かもしれません…ッ!」
「なにィ!?まさか中に化け物が侵入してんのか!?」
一瞬の安堵も束の間、どうやら既に中で何かが起こっているらしい。
だが、紅魔館の奴らは実力者揃いだ。
それに美鈴が数を減らしてくれているわけだからそこまで大袈裟な事態では無いと思うのだが…
…だが………
美鈴「いえ…」
オレはそれを聞いた途端、心臓が止まるんじゃないかと思う程の衝撃を受けた。
美鈴「刀を持った男と巫女服の女が中に…ッ」
「ッ!?」
その瞬間、オレは紅魔館の扉を乱暴に開けてレミリアのもとに走り出した。
とても嫌な予感がする。化け物に会った時とは比べ物にならない程の嫌な予感。
「まさかアイツもこの世界に来てたってのかよ…ッ!?」
全速力で走りながら、オレは背中に背負っている彼岸剣を抜く。
刀の男の話をした時に幽々子がくれたものだが、あまりにもタイミングが良すぎる。
幽々子がグルだとは思わないが、何か知っていることは明白だろう。
「クソッ!あん時に聞いておくんだった!ちゃんと使えんだろうなこの刀ァ!!」
妖しく輝く緋い刀身を睨みつけ、オレは彼岸剣を鞘に戻した。
それにしても、美鈴は「刀の男と巫女服の女」と言っていた。
あまり考えたくはないが、刀の男はおそらくオレを現世で襲った奴だろう。
だが、巫女服の女というのは皆目見当もつかない。
もしかしたらその女こそが黒幕なのかもしれないが…想像だけで物事を考えてもあまり意味が無いだろう。
「もうすぐか!間に合ってくれよォ…ッ!?」
もうすぐレミリアの玉座というところで廊下の脇に咲夜が倒れているのが見えた。
辺りにはナイフが散らばっており、床や壁に大量の血飛沫がべっとりと付いている。
「ッ…咲夜ァ!大丈夫かッ!?」
あまりの惨状に一瞬思考が停止したが、すぐ我に返って咲夜のそばに走り寄った。
オレの声に対し、咲夜の反応は無い。
これはまさか…いや、きっと気を失っているだけだろう。
むしろ、無理矢理にでも自分にそう言い聞かせなければ、オレはとても正気を保てそうに無かった。
早くレミリアのところに行かなければ手遅れになる。
そんな予感がし、オレは再びレミリアの玉座へ向かって走り出した。
「すぐ戻っから死ぬんじゃねェぞ咲夜ァ!」
相変わらず反応は無い。
だが今はレミリアの所へ行くのが先だ。
不安と焦りからか、オレは更に走るスピードを上げていった。
目の前の扉を開ければレミリアがいるはずだ。
どうか無事で居てくれと願いながら、オレは走っている勢いのままその扉を蹴破った。
扉を蹴破るバゴォンという破壊音とともにオレが見たのは巫女服の女とレミリアだった。
いや、厳密には…
巫女服の女をレミリアがグングニルで貫いている光景だった。
壁は酷く破壊され、天井には大きな穴が空いている玉座の間。
その部屋で大きな瓦礫の山に巫女服の女が磔にされていた。その瓦礫はおそらく、元々天井のものだったのだろう。
レミリア「博麗の巫女といえど、紅魔の王には到底届かないわ。」
巫女服「う…ぐっ…!」
おそらくかなり激しい死闘だったのだろう、満身創痍の巫女服の女と同様、レミリアにも夥しい量の生傷が刻まれていた。
レミリアはグングニルを捻って巫女服の女に追い打ちをかけ、乱暴に引き抜いた。
磔にされていた巫女服の女は崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
レミリア「…龍二、来たのね。」
レミリアはこちらを向かずにオレに話しかけてきた。
薄いピンク色だったレミリアの服は返り血で真紅に染まっていた。
そう、まるでこの不気味な空のように。
レミリア「全く、とんだ因果に巻き込まれてしまったものね…。」
「レミリアお前…ボロボロじゃねェかよ。」
よく見てみるとレミリアの服は各所に傷が付いており、付着した血も全部が全部返り血というわけではないようだ。
緋色のグングニルを消したレミリアは微笑みながらこちらに向き直る。
その表情は、どこか物悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
レミリア「なに、大したことは無いわ………それよりも龍二、貴方に…ッ!?」
「ッ!?」
唐突に響くドスっという音。
レミリアの腹から飛び出た、黒曜石を彷彿とさせるような黒い刃。
更に紅く染まってゆくレミリアの服。
───レミリアの背後から覗く不気味な仮面。
「レミリアッ!!!」
レミリア「来るなッ!!」
思わずレミリアの傍に駆け寄ろうとするが、それは突如響いた大声によって止められた。
刀の男は刀を乱暴に引き抜き、レミリアを背中から蹴っ飛ばした。
血飛沫がまうと同時にレミリアは吹っ飛び、力なく倒れ伏す。
倒れたレミリアのもとへ男がゆっくりと歩み寄る。
「おいッ!?」
レミリア「龍二…!あとで私の寝室に…行って……ッ!」
「どういうことだよ…ッ!」
刀の男は倒れ伏しているレミリアに刀を振り下ろそうとしていた。
それに気づいているのか否か、それはわからないが、レミリアは口から血を垂らしながらこちらに微笑んだまま動かなかった。
「おいッ!避け…」
レミリア「…今までありがとうね、お父さ」
ドシャ
レミリアの頭上から振り下ろされた刀は鈍い音と共にレミリアの頭蓋を叩き斬った。
レミリアはそのまま動かなくなり、何も喋らなくなった。
刀の男はまるで不潔な物を扱うかのように、刃についた血を乱暴にはらった。
「テメェェェェェェエエ!!!!!!!」
その瞬間、オレは喉が枯れるほどの大声で叫びながらその男に殴りかかった。
絶対に殺す。
オレの思考はそんなドス黒い色だけに染まりきっていた。
渾身の力を込めた拳を刀の男に向けて叩きつける。
…が、その瞬間その男の姿は消失し、殺意に満ちたオレの拳は床面のタイルを砕いた。
刀の男「お前の家族は死んだ。あの金髪の吸血鬼もな。」
「ッ!!!テメェ、フランまで…ッ!!!!」
背後から男の声が聞こえ、振り向きざまに裏拳を放つ。
しかし、その拳はまたもや男には届かず、ブゥンと空気を裂くだけに終わった。
オレが裏拳を振り抜いた瞬間、その隙をついた男は黒光りする刃をオレに向けて振り下ろす。
ガキィン!
刀の男「な…ッ!?」
オレは咄嗟に彼岸剣を抜き、男の刀を弾いた。
幽々子から貰ったこの刀は質量無きものを切り裂く。疑っていたわけではないが、幽々子の言葉は本当だったようだ。
とはいえ、刀相手では流石に切り裂くことはできなかった。
刀の男「なんだその刀は…ッ!」
「……」
オレは男の質問に答えることなく、刀を手放して無防備になった男の腹に懇親の一撃を放った。
その威力で為す術なく彼方まで吹き飛んだ男に、オレは強い憎しみを込めて一言だけ言い放つ。
「死ねや。」
間髪入れずにオレは鋭利なパイプを生成し、吹き飛んだ男に向けて放った。
刀の男「グハッ…!」
まずは一本、そのパイプは腹を貫いた。
二本、右肩を貫く。
ただ殺意のみを込めて。男を殺すことだけに集中して。
「……。」
オレは男を睨みつけ、何も言わずに次々とパイプを突き刺した。
顔に飛び散る血飛沫などは一切気にせず、ひたすら突き刺した。
腕を貫き、太腿を貫き、腹を、手を、胸を、足を、腰を、股を、心臓、首、顔、頭、頭、頭、頭、頭…………
───どれくらいの時間が経っただろう。
既に刀の男はそこに存在せず、ただ血肉の欠片が無数に飛び散っていた。
紅い部屋を更に赤く赤く赤く染めて、オレはただ一人そこに呆然と立ち尽くしていた。
割れたステンドグラスからは夏の冷たい夜風が吹き、返り血に染まったオレの肌を撫でた。
復讐は終わった。
オレはゆっくりとレミリアの元へ歩み寄り、レミリアを抱き上げた。
「なァ…レミリアよ。野郎はぶっ殺したぜ…いい加減、起きろや。…なァ……なァ!!!!」
何度語りかけてもレミリアは動かない。
元より冷たい吸血鬼の肌が、更に冷たくなっていた。
もう生きていない。頭の中では分かっていたが、どうしても認めたくなかった。
レミリアをオレの運命に巻き込んでしまった。それが一番辛くて、やるせなくて、許せなかった。
「…クソが。」
そこでふと、レミリアが殺される直前に叫んでいた事を思い出した。
“寝室に行け。”
レミリアの最後の願いだ。
オレはレミリアが遺したものを探すべく、レミリアの亡骸を抱いたまま部屋を後にした。
キッツ