よくある家庭だった。
両親は共働きで兄が妹の世話をする。
そんな家庭。
親は妹に付きっきりで、休日は妹に時間を費やした。
兄が何か我儘を言うと一言目には
「お兄ちゃんなんだから我慢なさい。」と、
次第に兄は我儘を言うことは無くなっていった。
お兄ちゃんだから、妹を第一に考える。
お兄ちゃんだから辛いことは我慢する。
お兄ちゃんだから…
だからなのだろう。
我慢に我慢を重ね、辛い時に辛いと言えなかった。
胸が痛む、頭痛がする、頭がくらくらする。
それでも、妹の世話をしないといけない。
お兄ちゃんだから。
どこかで読んだ話に、
『愛す』とは既に持っているものに対する独占欲で、
『恋す』とは手に入らないものに対する所有欲だとあったのを思い出す。
愛して欲しいと願ったことはない、なんて言えば大嘘付きもいいとこで、
恋されたい、なんて言うのは戯れ言で、
妹は自分を愛してくれているから、なんて小さな灯に縋る自分の浅ましさに笑すら零れる。
自分は妹を愛しているから、なんて自己満足に浸る自分がどうしようもなく気持ち悪い。
『本物』なんてありはしないとわかっている。
誰もが月に手を伸ばして触れてみたいと思うように、誰もが届かないことなんてわかっている。
それでも、届かないからこそ、どうしようなく『本物』が欲しくなるのだ。
だからなのだろう。
比企谷八幡の体は気付いたときには、どうしようもないぐらいボロボロになっていたのだ。
俺こと、比企谷八幡は20歳まで生きることは難しいと言われている。
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恵まれた家庭。
父は県議で、お家は名家と呼ばれのるに相応しい。
恵まれた容姿に、明晰な頭脳。
誰もが羨む完璧超人 。
それに加えて、可愛い妹もいる。(仲がいいとは言えないのが玉に瑕だけども)
欲しいものは全てに手に入れてきた。
要らないものは全て切り捨ててきた。
なんでも手に入る。なんでもこなせる。
私の思い通り。
だからなのだろう。
こんなにも世界がつまらなく感じるのは。
いろんな人を見てきた。
自分の立場のために笑顔でヘコヘコ頭を下げる人。
腹で何を考えてるか分からない人。
親の七光りを自分の力だと思って自分の力を過信している人。
ずっとこういう世界で生きてきた。
きっと雪乃ちゃんはこの世界では生きていけない。
雪乃ちゃんは綺麗で真っ直ぐで、本当に壊してしまいたくなるぐらい透き通っている。
守りたいと思う反面、壊してしまいたい衝動にも駆られる私はどうしようもなく歪んでいるのだろう。
こんな世界で生きてきた私には『本物』なんて存在しないって分かっている。
もし、『本物』が存在したとしても、それは私では手に入れることはできない。
だから私は彼らに干渉するのだ。
君たちが探しているものは本当に存在するのか?
君たちが探しているものを見つけることができるのか?、と…
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落ち葉が秋風に吹かれて地面をカラカラと鳴らす。
今日は本当は大学の講義があったのだけれど教授の方の都合で急遽休講になってしまいやることもなくなっていた私はなんとなしにドライブをしていた。
1人旅行も好きだけど、こうやって特に目的もなくボーッと車を乗り回すのも嫌いではない。
必要なものは自分と車だけ。こういうシンプルさは中々に魅力的だ。なんて、ちょっと大人ぶって気取ってみる。
それでもスキーみたいな必要なものは自分と技術だけ、遭難するかどうかは自分次第。そういった遊びが自分のしょうに合っていると感じるぐらいには1人が好きなのだろう。
私は嘘つきだから、雪乃ちゃんや比企谷くんと違って建前も言うし本音は言わない。
あぁいう生き方、羨ましいのよねぇ…。
何か面白いものでもないかな、と鼻歌交じりに運転していると、ピョコピョコと可愛らしく跳ねるアホ毛の子が見えた。
うんうん。今日は中々ツいてるかも。
「ひゃっはろー。小町ちゃん。どうしたの、こんなとこで?」
「ん?あぁ、陽乃さん!ひゃっはろーです。小町は今から夕飯の準備のために買い物に行くところなんですよ。陽乃さんはどうしてここに?」
うん。可愛い。ホントに比企谷くんの妹なのかと疑うぐらいコミュニケーション能力が高い。
比企谷くんがいい反面教師になったのかな?
「本当はこの時間に講義入ってたんだけどね。突然休講になっちゃったからお姉さんやることなくなってブラブラしてたところなの。あっ、そうだ。小町ちゃん、お姉さん暇だし買い物手伝おうか?」
「いいんですか!?いやぁ、助かりますぅ。1人だとどうしても荷物持つの大変ですし。それに話し相手がいると色々捗りますもんね。」
「いいよいいよー。さっ、乗った乗った。あんまりこんなところで止まって話してるのも良くないしさ。」
「はいはーい。ではでは…失礼しまーす!えへへっ。」
…何この子。超可愛いんですけど。
お持ち帰りしたい。比企谷くんがシスコンになるのも分かる気がする。
めぐりみたいなぽわぽわとした可愛さじゃないけど、これはこれでアリだね。
うちの雪乃ちゃんの方が可愛いけどね!
「今日は比企谷くんはどうしたの?」
「お兄ちゃんなら多分家にいますよ。家で受験勉強してるんだと思います。」
「あー、もう本腰入れて始めてないとヤバい時期だもんね。比企谷くん、理数系は壊滅だって静ちゃん嘆いてたし。」
「そうですねー。あっ、でも今日は単純に小町がご飯を作る当番なだけですよ。」
「へー。比企谷くんも家事するんだ。意外かも。」
「専業主婦になるんだー、なんて言ってるぐらいですからね。まぁそれなりには家事は出来ますよ。小町の方が上ですけどね。」
うん。今の比企谷くんのモノマネ少し似てたかも。本人は否定するだろうけど。
取り留めもない話をしながら車を回しているうちに目的地に着いた。
話していて分かったけど、小町ちゃんは本当に比企谷くんのことが好きなのね。
雪乃ちゃんとはあんまり仲良くできないから、こういうのを見ると羨ましくなる。
え?私のせい?ノンノン、世界が悪い。
嘘です。私のせいです。
それでも、今の雪乃ちゃんとの関係を後悔したことはないし、これからも今まで通りに接していくつもりだけど、それでもやっぱり比企谷くんと小町ちゃんみたいな関係は私には眩しく見える。
私たち姉妹が歪んでいるのもあるんだろうけど、ここまで、兄妹同士信頼し合える仲なのもそうそういないのだろう。
「おっ、今日は鶏肉が安い!唐揚げ粉はまだ家にあったし唐揚げにしようかな。」
「ふむふむ。gあたり計算だとこっちの豚肉の方が安いよ?」
「およ!むむ…寒くなってきたし豚しゃぶもありかなー。あぁ、でもそうすると鍋用の野菜も買わないとダメだなぁ。うん、今日は唐揚げにしよう。」
ここら辺の経済感覚は結構しっかりしてて感心。
比企谷くんが言ってたけど、やっぱり共働きってのが大きいのかな。
「そういえば小町ちゃん、学校の方はどう?もう慣れた?」
「はい。お陰様で楽しくすごせてますよ。あ、でもやっぱり進学校ですね。勉強についていくのが大変ですよ。お兄ちゃんも今は自分の勉強で手一杯になってますし。」
たはは…と若干力なく笑う小町ちゃんに思わず笑みが零れそうになる。
「なるほどねー。あっ、そうだ。一応高校時代のノート残してるけどあげようか?もしかしたら雪乃ちゃんがって思って残して置いたんだけど、案の定だったし。」
「えっ!?いいんですかぁ!!?ありがとうございます!お兄ちゃんも一応ノートは取っておいてくれてたんですけど…理数系の科目のノートがどうも穴多くて困ってたんです。」
あぁ…理数系が壊滅とは聞いてたけど、なるほど、そもそも教科を捨ててるから壊滅してるのか。
「ふむふむ…じゃあ理数系科目だけノート渡した方がいいかな。比企谷くんの事だし多分、文系科目は見やすいノートになってるだろうし。ここから私の家近いからついでに持ってく?ついでに小町ちゃんの家まで送ってくよ。」
「そこまでしてもらうのは流石に悪い気がします。」
「だいじょーぶ!お姉さんに任せなさい。」
「えーと、じゃあお願いします。…っと、後は…コレと、コレと…これだけあったら大丈夫かな。では、陽乃さん、小町はお会計をすませてきますね!」
ビシッと敬礼したあとにタタタッと効果音がつきそうな軽やかな足取りでレジに向かった小町ちゃんを待っている間に物思いにふける。
もしも、私が普通の家に生まれていたら私もあんなふうになれただろうか。
ありもしない仮定の話なんていつもなら鼻で笑い飛ばすのに、どうにも今日はそれができそうになかった。
さて、そろそろ本題に入ってもいい頃合いかな。
まさか、私が本当に善意だけでお節介を焼くとでも?
善意だけで動く人間なんていない。
誰しも打算や見返りがあって行動する。
当たり前でしょ?
別にみんながそうだから、私もそうしている、なんて腐った論理を振りかざすつもりはない。
ただ効率がいいから。それだけ。
だから太古の時代から今に至るまでギブアンドテイクが成り立っているの。
本当に良いものは廃れないのよ。
「はい、小町ちゃん。これがノートね。私は理系に進んだから2年までのノートしかあげれないけど、もし3年で必要になったら言ってね。」
「ありがとうございます!…ほぉ!キレイな字ですね。読みやすいし見やすいし、助かりますぅ!」
「うんうん。それは良かった。」
1拍置いて本題を切り出す。
「それでね…」
「それで、聞きたいことはなんですか?雪乃さんのこと…な、訳ないですよね。お兄ちゃんのことですか?」
私の言葉に被せるように小町ちゃんが問うてくる。
正直驚いた。いや、何か目的があってお節介を焼かれていることに気付いていることは分かっていた。
だけど、こんな真面目な眼差しで、真っ直ぐと私を見据えて、まるで私に挑んでくるみたいに応えてくるとは思わなかった。
やっぱり君たちは兄妹だね。
比企谷くんならこんなに真っ直ぐは挑んでこない。
だけどきっと私の目的の答えに辿り着いてくれる。
…全く、あんまり私をゾクゾクさせないでよ。
「そう。私が聞きたいのは小町ちゃんのお兄さんのこと。単刀直入に言うよ。小町ちゃんは、比企谷くんをどう思う?」
「……。」
少し面食らった顔をした後、小町ちゃんは黙りこくって思考に耽ける。
しばらくの間、車を運転する音だけが、その空白を埋めるように響き続けた。
徐に。
「……面倒くさい人。」
ポツリ、と
「朝は起きるの遅いし、出不精だし、やっと外に出たと思ったら一言目には『帰っていい?』って言うし、デリカシーもない。」
一つ一つ、日頃の鬱憤をはらすように、指折りで数えながら語っていく。
…比企谷くん、あんなに溺愛してるのにこんなに言われてると若干気の毒な気がしてくるよ。
私も雪乃ちゃんのこと、あんなに大好きなのに中々伝わらないのはお姉ちゃん悲しい!
あれ?もしかして今なら比企谷くんと仲良くなれちゃう?
「それに捻くれてるし、野菜だけじゃなくて人間まで好き嫌いが激しいし、むしろ人間は小町と戸塚さん以外に好きな物ないんじゃないかってぐらい嫌いなものばっか。」
そうだね。彼はいつも人の言葉の裏を見ている。額面通りになんて受け取れない。
嫉妬や侮蔑、嘲笑に欺瞞。
醜いものばっかりが見えて、世界はモノクロに見えているのだろう。
きっと過去にそれなりにトラウマになるようなことがあって今の比企谷くんが完成した。
折本ちゃん、だっけ?
トラウマを作ったのはきっと許されることじゃないんだろうけど、私は感謝してるよ?
お陰で中々面白い子に育ってくれたからね。なんて、言ったら怒られるのかな?
「他にも、小町が掃除してるときにすぐに退いてくれなかったり、ゲームで卑怯な戦法ばっか使ってきたり、悪いところ、面倒くさいところを数えてたら日付またいじゃいますよ…。」
げんなりした顔で、まだ不満は言い足りないふうで。
…でも、と言葉を紡ぐ。
「小町は、お兄ちゃんがお兄ちゃんでよかったって思ってるんです。」
世界から音が消えた気がした。
「どんなに馬鹿なことやっても、お兄ちゃんとなら許しあえるんです。お兄ちゃんが気まずそうな顔をしながら『コーヒーでも飲むか?』なんて、不器用に聞いてきて、小町も『カフェオレがいい。』って不機嫌なフリして…また笑い合える。」
まるで、水晶に触れるみたいに、
「小町が辛いときに側にいてくれた。小町がどうしようもなく寂しいときに見つけてくれた。小町が悪いことをしたときに叱ってくれた。」
言葉の一つ一つが私の宝物なのだ、と大切そうに、
「だから、お兄ちゃんは、小町にとって…兄で、親で、出来の悪い召使いで……小町の王子様なんです…。」
大切そうに、真っ直ぐと前を見つめながら言い終える。
私は今、どんな顔をしているだろう。
笑っている?怒っている?悲しんでいる?哀れんでいる?
私のその表情はいったい誰に向けているの?
少なくとも彼が強化外骨格と評した外面はしていないと思う。
ついさっきにも彼女が比企谷くんのことが大好きなのは理解していた。
いや、理解していたつもりだった。
だけど、小町ちゃんの言葉を聞いて、意思を感じて、計り間違えていたことに気付く。
私はこんなふうに雪乃ちゃんのことを想えるだろうか。
たとえ歪んでいたとしても、ここまで大切に想いを抱えられるだろうか。
他人は他人、自分は自分だ。誰かがそうだからといって自分もそうでなければならない理由にはならない。
そんなことは分かっている。
それでも、小町ちゃんの言葉は、今まで人に問うことしかしてこなかった私に、自分を考えさせた。
ねぇ…。と、今度は私が言葉を紡ぐ。
「…小町ちゃんは、比企谷くんが言う『本物』なんて、あると思う?」
本当はここまで聞くつもりはなかった。
ただ、聞かずにはいられなかった。
つくづく今日は、らしくない日だ。
「……ありませんよ。変わらない関係なんて。終わらない関係なんて…どこにもありませんよ。」
寂しそうな声色。
日もすっかり落ちて暗くなった夜空に吸い込まれてしまうような声だった。
でも、そこにはしっかりと確信があって、何かを覚悟しているようで…。
「お!着きましたね!ここで降ろしてもらって大丈夫ですよ。」
小町ちゃんが重い空気を払い除けるように声を上げる。
本当によくできた子だ。
「ん。りょーかい。それじゃ、すぐそこだけど気をつけてね。」
「はい!色々ありがとうございました!」
「ううん。こちらこそ、ありがと。私も楽しかったし、いい話も聞けたしよかったよ。またね。」
「はい。それじゃあ、また!…あ、そうだ!」
何かを思い出したように小町ちゃんが声を掛けてくる。
まだ何かあるのだろうか。
「お兄ちゃんのこと、気にかけるなら目を離しちゃダメですよ。目を離すとすぐ見えないところに行っちゃいますから。」
それでは、と可愛らしくお辞儀して家の方へ歩いていく。
それを見届けて私も今度こそ車を出す。
小町ちゃんの比企谷くんに対する気持ちは本当だと思う。
何があっても何度でも笑い合えるなら、それは終わらない関係と言ってもいいのではないか?
それなのに、小町ちゃんは言い切った。
変わらない関係…終わらない関係なんてない、と。
本気で言っているなら矛盾もいいところだ。
いっそこのこと冗談でしたって言われた方がしっくりくる気さえしてくる。
だけど、兄を語る彼女の顔が、
終わらない関係なんてないと言った彼女の顔が、
脳裏にこびりついて離れないのだ。
優しくて、愛おしそうで、寂しそうで、美しいとまで思えた表情。
夜空は生憎の曇り空だ。