GRIDMAN F   作:細野龍元

3 / 3
EPISODE2 予兆ーFORETASTEー

 10月15日。万城目航空という小さな航空会社で直人は仕事に励んでいた。

 社長の佐原が同じ桜が丘の出身で、その縁から採用が決まった。佐原だけでなく先輩社員の桜井と西條もフレンドリーで働きやすい。

 予定のフライトを終えて社屋に戻ると、佐原が笑顔で出迎える。

 

「今日もお疲れさま、翔さん。予定のフライトは全部だね。あとは飛び込みがあるかだけど、入るかなぁ」

「よく言いますよ……この前だって泥棒捕まえるのに飛行機出したんですから。おかげで感謝状だけじゃなくて大目玉を貰っちゃって」

「いいんだよ。相手が時速300kmオーバーのスポーツカーを使ってたんだから。社会正義のためさ」

「これだもの。やっぱり桜が丘の人って頭がおかしいんですかねえ……」

「ちょっと西條くん、翔さんも桜が丘の人なんだけど?」

「え? あ、いや! そういう意味じゃなくてですね!」

「大丈夫ですよ。頭がおかしいってたまに言われますから」

「いや気にしてるじゃありませんか! とにかく、ホントにごめんなさい!」

「気にしてませんから、頭を上げてください」

 

 今日も佐原や桜井、西條と談笑しながら休憩室の椅子に座って伸びをする。

 

(除隊できたのはよかったが……)

 

 除隊直前、発光体と衝突した直人は無事生還し、ツツジ台の病院に救急搬送された。意識を取り戻したのは翌朝で、駆けつけたゆかと蘭子に泣かれたことが辛かった。

 しかし精密検査でも異常はなく、身体もすぐ動かせたため、3日で退院して基地に戻った。

 

(それにしても、なぜ査問があんなに短かったんだ?)

 

 帰還して仲間と無事を喜び合うのもそこそこに査問会が開かれたが、驚くほどあっさりしたものであった。墜落時の状況説明は通り1遍の質問で終わり、残りは飛行物体のことばかり聞かれた。銀色の光に包まれたところまで話したが、あとは覚えていないと答えた。

 それからも様々な検査を受けて除隊がずれ込み、佐原たちに迷惑をかけてしまった。

 

(そしてあの時見た巨人は……)

 

 それ以上に気になるのが、巨人のことだ。

 あの日以来、巨人は姿を現していない。何者なのか分からず、事情が事情なので相談も出来ない。

 ゆかや一平、武史は信じてくれるだろうが、自分たち夫婦は新生活と蘭子のこと、一平は来月初めにサンフランシスコで開かれるコンペの準備、武史は怪事件の捜査に忙しい。落ち着くまで話せないだろう。

 コーヒーメーカーに向かう直人の視界に、無造作に置かれたチラシが目に入る。

 

「台高祭、か」

 

 ツツジ台高校の学園祭、通称台高祭のチラシだ。10年前から開催直前に飛行機でチラシを撒いているらしいが、今年は撒かれていない。

 手に取って眺めると、佐原が後ろから覗き込む。

 

「知ってるかい? 今年の台高祭、中止になったんだよ。体育館も焼けたりしたから安全を考えて、だってさ。生徒側は最後まで実行したかったらしいんだけどね」

「そうだったんですか……もしかして、金曜に来たのは台高の?」

「実行委員さ。ギリギリまで撒く予定でいたけど中止になっちゃったから、改めて謝りに来たんだ。律儀な子たちだよ」

 

 そこで直人は、入社してすぐ佐原へ会いに来た高校生たちを思い浮かべる。

 

「最近のツツジ台は騒がしくて心配になるよ……こんな時、グリッドマンがいてくれたらねえ」

 

 グリッドマンの名を出されて身体が反応しかけるが、平静を保つ。

 佐原は毒煙怪獣との戦いを目撃して以来、グリッドマンのファンらしい。自作のグッズを作って社屋にもポスターを貼ったりと、熱は冷めないようだ。

 直人とグリッドマンの関係は恐らく誰よりも深いが、流石に話していない。

 

(それにしても、どこにいるんだろうな……グリッドマンは)

 

 佐原の言葉を聞きながら、ふと直人は思いを馳せる。

 よもやグリッドマンが記憶と力の一部を失い、()()1()()()()()()()で戦っているとは思いもしなかった。

 

*****

 

 荻窪にあるCDCR本部ビル。調査部第1課のオフィスで武史は独りパソコンと向き合っていた。

 

(ツツジ台かと思えば今度は青梅か。まるで読めないな)

 

 現在見ているのはDCW発生地点のデータだ。最近、DCWの発生はツツジ台に集中していたが、1番最近のDCWは青梅市の山中で発生したものだ。一部宿泊施設で火災が発生し、山火事にまで発展した。

 そのため、第1課のメンバーは武史と課長を除いてツツジ台と青梅双方の調査に出た。課長も作戦部と調査部の定例会議に出席中なので、オフィスに残っているのは武史だけだ。

 

(それにしても汚染源が割り出せないのが……その場でDCWを発生させているのか?)

 

 自然発生にせよ何者かの作為があるにせよ、DCWには大元の汚染源が存在する。これを解消しないと終息しないが、まだ割り出せていない。痕跡を辿ろうと試みているが不調だ。直接コンピューターワールドに干渉したことも考えられるが、それが出来るのはカーンデジファーのような人智を越えた存在だ。

 現代の科学力ではコンピューターワールドの破壊プログラムこそ完成したが、連鎖反応で多数のコンピューターワールドに被害を与えるため、使うのは最終手段だ。自由な改竄などまだ先の話だ。

 どちらにしても、続発するDCWは何者かが裏で糸を引いていると考えた方が良さそうだ。

 そこでDCW発生地点のファイルを閉じ、別のファイルを開く。

 

(気になると言えばこっちもだな……高校生の連続失踪。DCWの疑いあり、か)

 

 こちらは年初から発生している連続失踪事件の記録だ。いずれも高校生が突然姿を消し、2週間から1ヶ月ほど間を置き自室で発見される、というものだ。失踪は5例確認され、失踪者は原因不明の昏睡状態で発見後、目覚める気配がない。

 この失踪にDCWの疑いがあるのは、どの事件も失踪者が家におり、誰かが侵入したり自分から外出した痕跡がないこと、失踪者の発見時に必ず不自然な故障をした電子機器があることが理由だ。

 そのため、DCWの疑いがある事件を管轄する調査部第3課が動き、公安警察や自衛隊の情報保全隊とも協力しているらしい。聞いたところによれば、失踪前後の状況からツツジ台のケースも6例目の疑いが濃厚らしい。

 

(そして6人目はまだ発見されず、か)

 

 6人目の失踪者のパーソナルデータを見て武史が呟く。

 その失踪は数ヶ月前にツツジ台で発生したが、まだ失踪者は発見されていない。

 失踪者はいずれも対人関係に問題や不安があったと証言された者ばかりだ。

 6人目は両親が家を空けがちだったこと、高校に進学したが上手く馴染めなかったことが分かっており、それが失踪に繋がったのではないか、というのが第3課の見解だ。

 ファイルを閉じた武史は肩を落とす。

 そこでノートパソコンを机から出し、電源を入れる。キーボードを操作するとディスプレイが白い光で満たされ、青い体色をした人型のCGモデルが姿を現す。武史はヘッドセットを着けて語りかける。

 

「おはよう、シグマ。身体はどうだい? 君を保護して1月経ったが……」

 

『おはよう、武史。あまり思わしくないな……今もこの姿を辛うじて取れる程度だ』

 

 ディスプレイにいるのはハイパーエージェントのシグマ。地球では『グリッドマンシグマ』の名で知られる。武史とは2度共闘した戦友だ。

 武史がシグマと再会したのは1か月前、ツツジ台上空に青い発光体が飛来した翌日のことだ。世田谷区砧に設置された機材を調整していたところ、入り込んでいたシグマが接触してきたのだ。

 当初はかなり弱っており姿も青い球体だったが、武史が組んだ治療用プログラムで少しずつ回復し、昨日グリッドマンの姿を取れるようになった。それでも力はまだ戻っていないらしい。

 今はノートパソコンで機材にアクセスしてシグマと会話している。見つかった場合は自作のAIと誤魔化すつもりだ。武史の過去やシグマとの関係は、親友3人を除くとアメリカの友人にしか教えていない。

 

「アレクシス・ケリヴ、暗黒宇宙の魔王が2人もいるなんて。そしてベノラを複製していたとは」

 

『正確に言えば、元は1つだったものが2つに別れたのだろう。ヤツらの反応は微妙に違っていた。それにベノラは君が製作したものと違うようだ。兄さんを苦戦させたものより戦闘能力は低かった』

 

「2つに別れる……そんなことが可能なのか?」

 

『我々は大きなダメージを受けるとエネルギーが一時的に散逸する。そのエネルギーにコアとなり得るデータが混じっていた場合、本体と別個の生命が誕生することがある』

 

「コアとなり得るデータ、とは?」

 

『相反する強い感情や親しい相手の記憶だな。それらをベースに新たな人格が形成された時、再誕が起こる』

 

「なるほど……ついでに1つ。どこのコンピューターワールドでヤツと戦ったんだ?」

 

『分からない。この世界で交戦中、ヤツが開いたパサルートを通って直接コンピューターワールドへ侵入した。それからは2体のアレクシスとベノラたちにかかりきりで、場所を特定する暇がなかった。ただ、ツツジ台のどこかに入り口があるのは確かだ』

 

「ありがとう。やはり鍵を握るのはツツジ台、か」

 

 シグマとの会話を1度切った武史は顎に指を添え、考える。

 そこでもう1つ、気になっていたことをシグマにぶつける。

 

「話は変わるが、グリッドマンはどうしたんだ? 別の任務についているのか?」

 

『いや、最初にアレクシスを追跡していたのは兄さんだった。しかし途中で連絡が途絶え、兄さんの捜索も兼ねて私が派遣された。今度は私たちの仲間が来ているハズだが……』

 

「新たなハイパーエージェント、か。4番目の飛行物体は君の仲間かもしれないな」

 

『飛行物体?』

 

「先月、自衛隊の戦闘機と銀色の発光体がツツジ台上空で衝突したんだ。詳しい話は自衛隊と作戦部のガードが固くて僕も分からないが、発光体は黒い飛行物体と戦っていたらしい」

 

『銀色の発光体……もしかすると仲間かもしれない。どちらにしても、今の私では仲間のエネルギーを感知することさえ出来ないが』

 

「そうなると振り出しに戻る、か。君の治療プログラムも新たに組み直した方が良さそうだ」

 

『すまない、世話をかける』

 

「気にしないでくれ。僕たちは仲間だろう? 他のみんなもそう言うさ」

 

 申し訳なさそうに頭を下げるシグマに対し、武史は笑って首を振る。直後に足音が聞こえるとシグマに断りを入れ、パソコンを落とす。

 少ししてオフィスのドアが開き、長い黒髪を束ねたスーツ姿の女性が入室する。武史が立ち上がって会釈すると、女性はデスクまで歩み寄る。

 

「お疲れ様です。何か報告は?」

「青梅の件もDCWであることが確定したこと、くらいですね」

「そうですか……となると、作戦部からの提案を受けた方がいいかもしれません」

「提案、ですか?」

 

 会議の席で作戦部から何か提案があったらしい。

 

「良い予感はしませんが……内容は?」

「DCWに関与していると思しき人物の捕獲です。調査部第2課が撮影した写真に写っていましたが、偶然とは思えないと」

 

 DCWが発生した地域の監視や聞き込みを行う調査部第2課の網に、『黒幕』が引っかかったらしい。

 続けて課長が数枚の写真をデスクに置く。不鮮明ながら、黒マントに赤い炎を靡かせた人影が写っている。間違ってもただの人間ではない。どれもDCWの発生地点付近で撮影されたものだ。目を付けるのも無理はない。しかし懸念がある。

 

「確かに関係ありそうですが……捕獲は早いのでは? 無関係ならばCDCRの正体を晒しかねないし、当たっていれば一筋縄ではいかない」

「私も同じ意見を述べましたが、作戦部第1課長から言われましたよ。調査部はお忙しいようだからお手伝いする、と」

「当てつけですか。予算の増額か、武力の誇示か、DCWを引き起こせる存在を捕獲して軍事的優位を得たいのか。いずれにしても第1課長の意向が強そうですね」

 

 捕獲作戦を立案したのが誰なのか、すぐ予想がついたことに課長共々渋い顔をする。

 作戦部はDCWの被害が拡大した際に現場へ急行、市民の避難や事態の収拾を図る実働部隊として創設された。官僚が多い総務や人事、経理部門、防衛省から民間まで幅広い調査部と違い、自衛隊出身者が大半を占める。トップの部長も前職は統合幕僚監部の運用部長だ。

 そして実働部隊を統括する第1課長が、『特殊作戦群』出身の佐藤だ。その手腕は万人が認めるところで、作戦部の権限拡大やCDCRと防衛省および自衛隊の連携強化に大きく貢献した。加えて、アメリカと共同で設立した対バイオテロ研究機関『BCST』の初代司令を務め、アメリカ軍にも独自のパイプを持つ。

 その姿勢は強硬的で、CDCRに所属するのも軍事利用のためにDCWの制御手段を見つけたいからだ、と噂になっている。

 課長は表情を戻し、話を再開する。

 

「向こうからの提案で、藤堂副課長にオブザーバーとして参加してもらいたい、と」

「私を、ですか?」

「ええ。DCWに関係する以上、それに通じた人物のアドバイスが欲しいそうで」

 

(それだけならばいいんだが……)

 

 本当の意図は別にあると武史は推測する。課長も疑っているらしいが、断っても作戦部との軋轢が増えるだけだ。

 

「分かりました。日程は?」

「追って連絡するそうです。遅くても今月中に実行するとか」

「やはり性急な気がしますが、準備は前からしていたのかもしれませんね」

 

 手回しの良さに最早感心するしかないが、こちらもそれなりの準備をした方が良さそうだ。

 

「では、田宮たちにも連絡しておきましょう」

 

 それだけ告げた武史は、まず田宮へ電話をかけるのであった。

 

*****

 

 放課後。とある小学校の美術室では数人の少女が思い思いに絵を描いている。全員、美術クラブのメンバーだ。その中に蘭子の姿もあった。

 今、蘭子は静物画を描く友人の姿を描いている最中だ。筆に水彩絵の具をつけ、下絵をベースに色を塗る。薄い鉛筆で表現された友人の姿が彩られ、周囲の光景も浮かび上がる。

 友人が静物画を描き上げ、他の友人も完成させた直後、蘭子のキャンバスにも友人が姿を現していた。

 

「よし、出来た」

「じゃあみんなで見せ合おうか」

 

 蘭子が筆を置くと、リーダー格の友人の提案で全員がキャンバスをどけ、イーゼルを移動させる。そして絵を陳列し、めいめい絵を観始める。

 

「望海はポップな感じだね。枯れ木もこんな可愛くなるなんて」

「相変わらず涼香は荒いなぁ……なんというか、リンゴをここまで力強く描けるのはそうそういないと思うよ」

「正確さなら真弓かな。いつも思うんだけど、点描って大変じゃない?」

「慣れたらそうでもないよ。でもぶっちぎりは……蘭子だよねぇ」

「オーラからして別物だもん。こりゃあ賞を総なめにするよねーって」

「そんなことないよ? もらえたのはたまたまだし、みんなのいいところを真似しただけだから」

「真似でこんな絵を描けるかな……?」

「描けるよ。私がそうだったんだから」

 

 最終的に自分の絵に集まった友人たちへ、蘭子ははにかみつつ答える。

 両親の友人でアーティストの『一平おじさん』や、同じくCGアートの心得がある『武史おじさん』が身近に居たため、小さい頃からよく絵を描いていた。今でも1番の趣味で、クレヨンから始まり鉛筆、油彩画、切り絵、最近では点描や水墨画と色々やるが、一番好きなのは水彩画だ。

 それなりに上手い自覚はあり、全国規模のコンクールで何度か最高賞を受賞した。中には大人も参加したものも含まれる。

 ただ、自分の絵が優れているとは思っていない。受賞したのもたまたま審査員と感性が一致したからであり、合わなかったがゆえに酷評とともに作品を突き返されたこともたくさんある。

 酷い結果でも落ち込まないため、周りからは変人扱いされるが、賞のために描いたわけではない。コンクールに出品するのも、他人が絵を見た時にどう感じるのか、他の人がどんなテーマを選ぶのか、同じテーマでもどんな絵を描くのかを知りたいからだ。

 賞賛や批判には描いた時には思いもしなかったことが多々含まれ、それを聞く度に自分の世界が広がって嬉しくなるし、技術的なアドバイスはありがたかった。

 それは美術クラブも同じだ。メンバーの個性が刺激となり、モチベーションを高めてくれるし、誰かと一緒に絵を描くのが無性に楽しくて仕方がない。だからこそ、数少ないワガママとして週1回のクラブを続けている。

 

「そうは言うけど、私の絵のいいところって何よ?」

「あくまで私の感想だけど……千尋の絵はね、色遣いが千尋と同じなの」

「それどういう意味?」

「あったかくて心がポカポカしてくるって意味。このミカンの絵はそれがよく出ていて、いい絵だって思うんだ」

「じゃあ私の絵は?」

「伊遊の絵は、線が鋭いの。こう、何て言ったらいいのか……モデルの表面だけじゃなくて、その内側も切り取って見せるような鋭さを、自然に描けちゃうのが凄いなって思う。私はどうしても丸っこくなっちゃうから、こういう線が描けるのが羨ましい」

「私の絵はいいとこないと思うなぁ。ぶっちぎりで下手だし」

「遥は確かに下手かもしれないけど……その分、変に凝ろうとしてないのが素直でいいなって思う。私はたまに新しいことを試そうとして、こんがらがっちゃうこともあるから」

「下手なのは否定しないんだ?」

「上手下手は単純に技術の問題だからね。でも絵は描きたいから描くのであって、別に上手くなるために描くわけじゃないでしょ? どんな技術もまず描きたいものがあってのこと、自分の想いを表現できたんなら上手下手はどうでもいいんだよ」

「でもさ、蘭子だってたくさん勉強してるじゃん?」

「描き方が増えたら表現の方法も増えるからね。もっと描き方を知りたいって思うことはあっても、上手くなりたいって思ったことはないかな」

「未来のアーティスト様は言うことが違うね……けどありがとう、ちょっと気が楽になったよ」

「どういたしまして。じゃあ、片付けたら先生に声かけよっか」

 

 蘭子が微笑んで言葉を返すとその場にいる全員で後片付けを始め、最後に絵を教室の隅に並べて隣の準備室にいる先生に声をかけ、ランドセルを背負い退室する。

 そのまま固まって下校し、次第にメンバーが散り散りなって帰宅する。

 すぐにドアを開錠し、玄関に入って施錠し直す。

 

「今日は編集者さんと打ち合わせ、だもんね」

 

 蘭子は独り言を漏らし、自分の部屋に向かう。

 母はフリーのサイエンスライターで、主に医学系の記事を書いている。曰く、実家が病院なのと親戚の出産に立ち会ったこと、大学時代に医学部と共同で希少な症例のデータベース製作を担ったことで興味を持ち、迷った末サイエンスライターの道を選んだらしい。

 ただし、元々得意だったプログラミングもやめたわけではない。今でも自分のパソコンと携帯はカスタマイズしているほか、『ハッカソン』に参加したこともある。

 そのため、普段は在宅で仕事をしているが、取材や編集者との打ち合わせがある時は外出し、夕方まで帰ってこない。その時は祖父母や叔父、両親の友人たちが面倒を見てくれるのだが、今日はまだ来ていないようだ。

 部屋に戻った蘭子はランドセルを下ろし、中からドリルを取り出して机の前に座り、宿題を手早く済ませる。そして隅に置かれたノートパソコンを立ち上げる。デスクトップが画面に表示されたところで、蘭子はマイクを接続する。

 

「こんにちは、ファイター。起きてる?」

 

 すると間を置いて背景が銀色に変わり、人型のCGが姿を現す。

 

『おかえり、蘭子。私はいつでも起きている。今も調べ物をしていた』

 

「そっか……アプリの調子はどう? ちゃんと検索出来てる?」

 

『問題ない。君には感謝してもし足りない……私用の検索アプリまで作ってくれるとは』

 

「お礼はいいから。私が出来るの、これくらいだし」

 

 律儀に頭を下げるCGことファイターに、蘭子は笑って首を振る。

 出会った翌日にファイターと改めて話し合い、協力することを決めた。アレクシス・ケリヴの凶悪さを聞かされ、立ち向かえるのはファイターとその仲間しかいないと悟ったこともあるが、それ以上に困っている相手を見捨てられないのが大きかった。

 とはいえ、アレクシスと直接戦うことは出来ないので、情報収集の助けになればと、ファイターが自分で検索できるアプリを自作した。両親や『武史おじさん』の影響で、もう1つの趣味となったプログラミングが役に立った。

 なお、当初はキーボードでファイターとやり取りしていたが、今はマイクも併用している。家に誰もいない時はマイク、いる時はキーボード、という使い分けだ。

 

「それで、何かわかった?」

 

『ツツジ台の街で起きている怪事件、コンピューターワールドで異変が起きた可能性が高いということだな』

 

「コンピューターワールド……確か、コンピューターの中にある世界、だよね?」

 

『正確に言えば機械をゲートとして繋がっている異次元世界だ。この地球、我々が「ソリッドワールド」と呼ぶ世界とは密接な関わりがある。とはいえ、コンピューターワールドについては我々も分からない点が多い』

 

「そうなんだ……やっぱりアレクシスはツツジ台にいるのかな?」

 

『十中八九、そうだろう。事件の黒幕もアレクシスに違いない』

 

「話は変わるけど、仲間の居場所は分かった?」

 

『そちらはまだだ。早く合流しなければ被害が拡大する一方なのだが……』

 

「焦ってもしょうがないよ。私の知り合いにツツジ台の人がいるから、その人に色々聞いてみる」

 

『すまない、蘭子。ここに来てから君の力を借りてばかりだ』

 

「気にしなくていいの。私がやりたいって言ったことなんだから」

 

 仲間の居場所はまだ分かっていないらしい。改めて謝罪するファイターに笑う蘭子だが、玄関のチャイムが鳴るとすぐ表情を戻す。

 

「ごめん、誰か来たみたい。ちょっと待ってて」

 

 それだけ告げてノートパソコンを閉じると、小走りで廊下のインターフォンを取る。モニターに映るのはアロハシャツにソフト帽を被り、レイバンのサングラスをかけた男だ。不審者かと思いかけたが、声がすぐに打ち消す。

 

『ヤッホー! 一平おじさんだよー! 蘭子ちゃん、いますかー?』

 

「おじさん! 待っててくださいね、すぐ開けますから」

 

 訪問者は一平おじさんこと馬場一平、両親の幼馴染みだ。蘭子とも幼少期から交流がある。

 すぐに玄関へ走って開錠し、ドアを開けると一平が快活な笑顔と共にサングラスを外す。

 

「いやぁ、半年ぶりか。ちょっと見ないうちにすっかり美人になって。あと30歳若かったら求婚してたね!」

「大げさですよ、いくらなんでも。でもハワイで作業していたんですよね? コンペは半月後じゃ……?」

「いいんだよ、最後の仕上げくらいだから。ハワイやパリも悪くないけど、やっぱ日本が1番だし」

「じゃあコンペまではツツジ台のオフィスにいらっしゃるんですね……って、ごめんなさい! 玄関先で! よかったら上がっていってください。お茶くらいは出せますから」

「気を使わなくていいのに。俺と蘭子ちゃんの仲じゃん。でも、女の子の誘いを断ったら男が廃る、ってね。そんじゃお邪魔しまーす!」

 

 危うく玄関先で長話しかけたことに恥じ入り、そそくさとリビングまで案内する蘭子に、一平は軽口を叩いてドアを閉める。

 一平はCGデザイナーとしてアニメや特撮のメカから工業製品まで幅広く手掛ける。その一方で、『フラット・ワン』というペンネームでCGアートを発表している世界的なCGアーティストでもある。ちなみにペンネームは師事するアーティストで、蘭子の大叔父でもある『ジロー・ダイ』こと翔大次郎の影響で付けたらしい。

 一平は現在、ツツジ台に『デザインオフィス彩』という事務所を構えている。しかし世界中のコンペに参加したり、審査員などとして招かれることが多いため、1年近く事務所に戻らないことも珍しくない。

 今回もアメリカで開催されるコンペに出品する予定で、別の用事で訪れたハワイで製作を開始した、と聞いていた。

 アイスティーを用意してリビングに戻ると、一平はソファーでだらしなく足を伸ばしていた。しかし蘭子を見て足を引っ込める。

 

「悪い悪い。勝手知ったる他人の家だと、つい。蘭子ちゃんの教育に悪いよな」

「気にしないでください、家族みたいなものですから。アイスティーで大丈夫ですか?」

「全然オッケーだよ。ところでさ、絵の方はどうよ? この前のコンクール、最優秀賞だったんだって?」

「はい。大地叔父さんにお願いして、ちょっと仕事中の姿を描かせてもらったんです」

「大地の仕事って野生動物の研究だろ? 山とか海とか行ってると思うけど、大丈夫だったのか?」

「その時の調査は街に出たタヌキの追跡だったので、少しだけ同行させてくれて。一平おじさんは今度のコンペ、どんなテーマで描いているんですか?」

「詳しいことはナイショだけど、『いつか見た未来』ってテーマさ」

 

 父方の叔父で野生動物の研究者である大地の仕事に同行した話をきっかけに、蘭子と一平はそのまま互いの絵について話し始める。

 

(やっぱり本物のアーティストの人は違うなぁ……)

 

 話を聞いていると、一平の情熱と造詣の深さ、そしてあらゆる知識や経験を積み上げ続ける貪欲さ、何よりも発想力に圧倒されてしまう。しかし、真剣かつ心底楽しんでアートを語る一平の姿はとても輝いていて、自分も楽しくなる。

 だからこそ時間があっという間に過ぎて、日が西に傾いても全然気付かなかった。

 

「ただいまー、って蘭子、誰か来てるの?」

 

 帰宅したゆかが玄関で声を上げたことで我に返るが、一平が声を上げる。

 

「俺だよ俺! カワイイ一平ちゃんが日本に帰ってきたんだぜ!」

「一平!? アメリカでコンペがあるんじゃなかったの?」

「ほとんど出来上がってるから……それとおかえり」

 

 ゆかは呆れた声を出しながらリビングに入ると、一平が笑顔で出迎える。

 

「もう、来るんなら連絡入れてよね。直人も喜ぶけど……ただいま、蘭子」

「おかえりなさい、お母さん。あとごめんなさい。一平おじさんのこと、電話すればよかったね」

「いいのよ。話に夢中で忘れてたんでしょ? 本当は一平が連絡しなきゃいけないんだから」

「相変わらず厳しいなぁ……蘭子ちゃんの前で説教すんなよ。カッコつかないだろ?」

「反面教師だからいいの。大体、適当な生き方してるからいつまでも結婚できないのよ」

「それ言うか!? 言ったら戦争だぞ! ……ホントのことだけど。それに蘭子ちゃんが大人になったら結婚する、って約束だしな」

「……ねえ、本気で言ってる?」

「冗談に決まってんだろ! 目が怖えよ! それにまだ結婚する気はないし……今は仕事で大忙しだからさ」

「それも結婚できない理由なんだろうけど。蘭子、一平に何かされたらいつでも言ってね?」

「ありがとう、お母さん。でもいつも優しくしてくれるから大丈夫だよ」

「昔から蘭子には甘いもんね、一平は。でもありがとう。私たちがいない時も面倒見てくれて」

「いいって。俺にとっても親戚みたいなもんだし、芸術家同士話してるといい刺激になるんだ」

「そっか……蘭子の趣味は一平と武史くん譲りだし、話は合うのかも」

「お母さん、晩御飯の支度は私がするから、おじさんと話してたら? 会うのも久しぶりでしょ?」

「晩御飯だけど、今日はお父さんが作るから。仕事が早く終わるし、餃子の材料買って帰るって」

「餃子って、つまり今日の晩飯は直人の餃子か!? あいつの餃子、店に出せるレベルで美味いからなぁ……」

「ちょっと、晩御飯も食べていく気なの?」

「もちろん! なんて、冗談だよ。一家団欒を邪魔する気はないぜ」

「あの、一平おじさんも一緒にどうですか? お母さん、ワガママかもしれないけど、もっとおじさんの話を聞きたいし……」

「まったく、しょうがないわね。直人には連絡しておくから」

「よっしゃ!」

 

 それからはゆかも交えた3人で近況を聞き合ったり、思い出話で盛り上がり、途中でゆかが着替えに行っても蘭子と一平で話し続けた。

 しばらくして玄関のドアが開く音がすると、戻ってきたゆかと3人で出迎える。直人が帰ってきたからだ。

 

「ただいまーって、なんだよみんな、お出迎えなんて」

「おかえりなさい。お父さんが帰ってくるの、みんな楽しみに待ってたんだよ?」

「蘭子とゆかはともかく、一平は餃子目当てだろ?」

「バレたか……そして久しぶりだな、直人。身体の方はどうだ?」

「久しぶり、一平。まだまだ現役さ。トレーニングもやめちゃいないしな。一平こそ調子はどうなんだ?」

「アイディアが枯れるどころかますます湧いてきて、いつも絶好調だぜ!」

「ほら、玄関先で長話しない。明日も時間は同じなの?」

「ああ。早朝のフライトは入っていないからな」

「じゃあ今夜は久しぶりに3人で盛り上がろうか! 蘭子ちゃんは途中までな? 遅刻したらいけないし」

「遅刻ギリギリの常習犯が言うと説得力が違うな」

「直人、お前だってそうだっただろうが!」

「そうなんだ? お父さん、いつも早起きして出勤しているのに」

「自衛隊できっちり叩き直されたのよ。一平と違って」

「だから俺をけなすなって! はい、もうこの話は終わり!」

 

 無理矢理一平が話を打ち切ると、買い物袋を3人で直人から受け取り、キッチンへ向かう。

 

(こんな時間が、ずっと続いたらいいのに)

 

 笑みを浮かべて両親や一平と話しつつ、蘭子は内心呟く。

 両親は隠しているが、今の生活が危ういバランスの上に成り立っていることは分かっている。次に発病した場合、助かる確率はかなり低いだろうと直感的に理解していた。

 しかし、決して他人の前では口にしないし、悟らせない。自分のために頑張る両親やその関係者の悲しむ顔は見たくない。

 

(やっぱり言えないよ、手術が怖いなんて)

 

 蘭子は、病状が安定した後に待つ手術に不安を抱いていた。

 他に助かる道がないのは分かるが、失敗した時のことを考えると無性に怖い。死んだら全部消えて幽霊にもなれないのではないか。自分がいなくなった後、両親や友達はどうなってしまうのか。なるべく考えないようにしているが、少し考えてしまうだけで不安で胸が苦しくなる。

 

(って、これじゃダメだよね)

 

 しかし不安をすぐ押し殺し、食材を冷蔵庫に詰めていった。

 

*****

 

 1週間後の真夜中。ツツジ台の街を数台の兵員輸送車が走る。向かう先はツツジ台高校だ。校門前に車両が停まると夜間戦闘用の装備を着けた兵士たちが続々と降りる。

 最後に隊長らしき男とスーツ姿の男が下車し、一旦集合する。そしてすぐ散開して敷地へ入る。

 その様子を見たスーツ姿の男がポツリと呟く。

 

「果たして、上手くいくものか」

「上手くいくかではない。任務は必ず達成する。それだけだ、藤堂副課長」

 

 スーツ姿の男こと武史に、1人残った戦闘服姿の男が答える。

 今、武史はCDCR作戦部の実働部隊、通称『鵺』と行動を共にしている。『鵺』は真っ先に現場へ乗り込む即応部隊で、捕獲作戦が提案された時点ですでに出撃体制を整えていた。

 先週写真で見た不審者はツツジ台高校周辺で集中的に目撃されており、情報部第2課が監視を強化したところ、1時間前に侵入したところを発見した。そこで『鵺』の出動が決定し、武史もオブザーバーとして同行した。

 『鵺』の隊員たちは音もなく敷地を駆け抜け、班ごとに別れて探索する。その動きは見事だと素人の武史も感じてしまう。

 しかし、不安は多い。相手が人外なら『鵺』の装備が通用するか怪しいし、まだツツジ台高校にいるのかも不明だ。一応、監視中の第2課曰く敷地を出た様子はないとのことだが、監視を欺いた可能性もある。

 漠然とした不安を抱きつつ、武史は隊長と共に報告を待つ。

 一方、校舎の屋上では2つの影が『鵺』の動きを観察していた。それぞれ赤と青のサングラスと炎を纏う、よく似た姿をした黒い異形だ。

 まず赤いサングラスの個体が口元の電飾を点滅させる。

 

「おやおや。こっちの世界は物騒だねえ……」

「フン、有象無象がいくら集ろうと問題ない。それより、あやつはどうした? 怪獣の製造が遅れているが」

「最近連敗続きでね。次はどんな怪獣を作るか頭を悩ませているのさ」

「もう心が折れかけているのか、情けない。だから言ったのだ……脆弱な小娘などすぐ潰れて使い物にならなくなると」

「おいおい、あんまり悪く言わないでくれるかな。彼女の才能は実に素晴らしい。自分の心さえ怪獣に変えてしまえるほどに歪みきっているんだから。()()藤堂武史にも匹敵する逸材じゃないかな」

「買い被りすぎだ。あやつには全てを恨み、世界を壊せるだけの攻撃性と執念がない。歪みはしていても、所詮は己に都合のいい箱庭でしか暴れられぬ臆病者よ。だからこちらでは怪獣を実体化させられるだけのエネルギーがない」

 

 青いサングラスの個体が吐き捨てると、赤いサングラスの個体が顔を近付ける。

 

「君こそ彼女を侮りすぎだよ。今は仕込みの段階、いずれ一皮むけてくれる。お客様やアンチくん……出来損ないの怪獣の手も借りることになりそうだがね」

「客……ハイパーエージェントか。懲りない連中だ。ところで、いつまで留まるつもりだ? あやつに催促しなくていいのか?」

「アイディアを煮詰められるよう一人にしてあげたのさ。表向きは散歩、ってことにした。ま、一番の理由は二度も敵を侵入させた君への意趣返しだがね。特に2回目はわざとパサルートを開いただろう? どういう意図だったんだい?」

「知れたこと。確実に仕留めるためだ。毒煙の効きが悪かったのか、取り逃がしてしまったが」

「そんな理由か……彼のせいで毒煙怪獣が半分くらい倒されて、私も2回死んだんだ。彼女が気付く前に補充するのが大変だったよ」

「だからこそ、3人目はこちらで処理するつもりだった。勝手に消えたのは予想外だったがな」

「なるほどね。それでお出迎えだけど、私も混ぜてくれないかい? 久しぶりに身体を動かしたいんだ」

「好きにしろ。戦闘用の身体にはまだ変われぬが、十分だろう」

 

 そこで会話を打ち切った2体の異形は屋上から飛び降りる。

 同じ頃、一平が帰宅して全員が就寝した蘭子の自宅でも異変が起きていた。

 急な尿意で目が覚めた蘭子はトイレに入ったが、戻る途中、ドアが開く音を聞いて眠気が少し覚める。

 

(……誰?)

 

 泥棒かと思い息を殺して耳をそばだてるが、誰かが入ったのではなく、誰かが出ていったらしく、音が外から聞こえてくる。今、家に居るのは蘭子を除けば両親だけだ。

 すぐに自室へ戻って窓を開け、外を見ると誰かが自宅前の道路を歩いていた。そのパジャマ姿には見覚えがある。

 

「お父さん……?」

 

 父だ。人影はふらふらと歩いていたが、突然立ち止まり、空を見上げる。

 次の瞬間、全身が光に包まれ、一瞬人間とは別の姿になった後で光の玉となりどこかへ飛び去る。

 そんな異様な光景を呆然と眺めていた蘭子は、スリープ状態のノートパソコンを開き、マイクを着けて声をかける。

 

「ファイター……ねえ、ファイター……あれ?」

 

 しかし、いつもならすぐ返ってくる返事がない。ただ、ノイズが聞こえるだけだ。

 蘭子は少し考え込み、ノートパソコンと窓を閉じてベッドに向かう。

 

「……寝惚けてるのかも」

 

 それだけ呟き身体を横たえると、すぐ寝息を立てて眠り始める。

 蘭子が眠りに就いたころ、ツツジ台高校は戦場と化していた。

 

「こちらチャーリー、現在ボギー1と交戦中! アルファ、ブラヴォー、デルタ、イプシロン、応答せよ! ……ダメだ、無線が通じない!」

「クソ、電子機器は全滅だ!」

「渡瀬班は後退しろ! 対馬班と中山班は援護を!」

 

 隊員たちの電子機器が突然故障し、C分隊を黒い異形が襲ったのだ。現在、各分隊は応戦中だが、いくら銃撃を加えても異形は倒れるどころか怯む様子さえ見せない。内心、パニックになりかける隊員たちを、分隊長が叱咤して持ち堪えさせる。

 援護を仰ぎたいところだが、E分隊がいる体育館方面から爆発音が聞こえたので、そちらにも異形が出現したのかもしれない。

 

「おやおや、よくないねえ……我慢は身体に毒だよ? 怖い時はちゃんと悲鳴を上げないと」

 

 C分隊が対峙する異形は、赤いサングラスを掛けた個体だ。銃弾を一身に浴びても全く反応せず、フレンドリーな口調で語りかけてくる。

 ある隊員がグレネードを撃ち込み、殿を務める班が後退しようとする。

 

「これだから大人は強情で困る。しょうがない、君たちを人間に戻してあげよう」

 

 しかし目にも留まらぬ速さで異形が距離を詰め、当たるを幸いに次々と殴り飛ばす。殴られた者は地面を転がったり校舎の壁に叩きつけられたりし、全員が苦悶の声を上げて動きを止める。

 

「撃ち方やめ! 味方に当たるぞ!」

 

 援護していた別の班も、同士討ちを懸念して射撃を止め、一旦異形と距離を開ける。

 残された班の隊員たちはどうにか逃げようとするが、異形にことごとく阻まれる。

 

「ダメじゃないか、命乞いをしないと。君たちの悲鳴、苦悶、恐怖、絶望……それが私の渇きを一時でも癒してくれる。だからこそ、生かしてあげたんだよ?」

 

 表情が伺えない顔から飄々とした言葉が吐かれると、銃を向けてあがく隊員たちの腕を折り、足を砕き、抵抗する力を奪い始める。それでも隊員たちは絶望せず、這ってでも逃げようとするが、それを見た異形は呆れたような声を出す。

 

「まったく、張り合いのない……もういい、次だ」

 

 そして倒れた隊員たちの首を片っ端から踏み砕いて絶命させるが、校門の方で爆発が起きたのを見て中断する。

 

「あっちは派手にやってるねえ。ちょっと見てこよう」

 

 そのまま異形は跳躍し、校舎を飛び越えて現場に向かう。

 校門付近ではC班以外の『鵺』が集結し、防衛線を敷いて青いサングラスの異形を迎撃していた。とはいえ、攻撃が全く通じていないのだが。

 

「グレネード!」

 

 複数の隊員がグレネードを投射し、いくつかは直に当てて爆発させたが、異形は足を止めるだけでダメージを受けた様子はない。

 

「無駄なことを」

 

 そして鼻で笑った異形が風と共に接近し、グレネードを発射した隊員たちの首を無造作な腕の一振りで千切り飛ばし、鮮血が散る。周囲の隊員たちも必死に攻撃を加えるが、接近された瞬間に拳で頭を吹き飛ばされ、あるいは胸を貫かれて数を減らしていく。

 

「そう、この感触だ! これこそが我に生の実感を呼び起させる。もっと砕けよ! 我を悦ばせろ! 下等種族が!」

 

 異形は狂喜の叫びを上げて虐殺を続ける。

 一方、最後尾に控えていた武史は隊長に詰め寄っていた。

 

「これ以上戦えば犠牲が増える! すぐに撤退を!」

「まだ撤退は許可されていない! 自分だけで逃げろ!」

「分からないのか!? 真っ向勝負でどうにかなる相手じゃない!」

「言われなくても分かっている! それでも戦うのが我々の任務だ!」

 

 隊長も手に負える相手ではないと理解しているが、命令が出ていない以上、引けないのだろう。そうしている間にも隊員が犠牲になっていく。

 

「やあやあ、お楽しみのようだね」

「もう1体だと!?」

「C分隊との連絡が途絶したのも……!」

 

 更に校舎を飛び越えた赤いサングラスの異形を見て、隊長と武史は絶句する。敵が2体いるとは完全に想定外だ。

 

(こいつら、シグマの言っていたアレクシス・ケリヴか!)

 

 そして目の前にいる異形たちこそが、シグマから聞いたアレクシス・ケリヴだと武史は確信する。

 

「クッ、撤退だ! 信号弾を上げろ!」

「おっと! 逃がさないよぉ!」

「折角の余興だ。生かしては帰さん!」

 

 2体のアレクシスはまず信号弾を放とうとした隊員を撲殺し、赤いサングラスの個体が校門の外に飛び出して逃げ道を塞ぎ、その隙に青いサングラスの個体が隊員を殺害していく。

 

「判断が少し遅かったねえ、隊長さん? 残念だけどここまでさ」

「クッ!?」

 

 そして赤いサングラスの個体と最接近する羽目になった隊長は武史を庇い、数名の隊員の銃撃に合わせて拳銃を撃ち込む。しかし、全く効果がない。

 

「無駄と分かっていても抵抗するしかない。悲しいサガだねえ。でも、終わりだよ」

「ここまでか……!」

 

 隊長が歯噛みし、武史が睨みつけてきても赤いサングラスの個体は軽い調子を崩さず、一歩ずつ歩み寄る。

 途中、その背後から銀色の光が差し込み、武史たちが思わず顔を背ける。

 

「ん? 援軍かな?」

 

 赤いサングラスの個体も振り返ったところで、武史たちは光源を視界に収める。

 そこには、銀色に光る人型の『何か』が立っていた。全身のパーツは眩しすぎて見えないが、シルエットはアレクシスたちとは違う。

 

「新手、か……?」

 

 隊長たちは身構えるが、すぐに勘違いと気付く。

 

「誰だか知らないが、いけ好かないねえ……先に始末しようか」

 

 赤いサングラスの個体がそう吐き捨て、いきなり殴りかかったのだ。仲間ではないようだ。

 そしてマントから出た右拳が乱入者の顔面を砕きにかかるが、あっさり受け止められる。

 

「ほう、ならこれは……!?」

 

 左拳で追撃を入れようとしたアレクシスの顔面が、乱入者の拳で砕かれる。続く前蹴りで上体が吹き飛び、残った下半身も溶けてなくなる。

 

「なんだ、こいつは?」

 

 隊長が思わず呟いた直後、乱入者は大ジャンプで校門を飛び越え、今度は青いサングラスのアレクシスの前に降り立つ。

 

「また敵か!?」

「待て!」

 

 隊員が一斉に銃を向けるが、撃つ前に隊長が制止する。

 

「貴様、ハイパーエージェントか?」

 

 アレクシスが誰何するが、乱入者は答えない。

 

「フン、我が前に立った以上はどちらでもいい。貴様も打ち砕いてくれる!」

 

 またしても高速で接近して拳打を放つが、乱入者は左手で打撃を捌き、逆に右拳をアレクシスの腹に打ち込み、後退させる。

 

「小癪な……!」

 

 腹を押さえてたたらを踏むが、アレクシスも負けじとマントを翻らせつつ回し蹴りで頭を狙う。それを手刀で叩き落した乱入者は、逆に中段蹴りを胴体に浴びせたところに逆回し蹴りを放ち、アレクシスの顎を蹴り抜き大きく怯ませる。そして接近すると左右のコンビネーションパンチで一方的に殴り続け、最後に殴り飛ばしたところで光が弱まり、その姿を晒す。

 乱入者は全身銀色の異形であった。薄い西洋甲冑を纏ったような全身、鉄兜に似た頭部、全てが銀一色だ。例外は両目と胸の中心部にある黄色い光、その周囲にある赤い装甲版、そして額の青いランプだけだ。

 全員が絶句するが、武史だけがポツリと呟く。

 

「グリッドマン、か……?」

 

 自分と縁の深いヒーローの名前を呟いたところで、乱入者が再度動き出す。

 

「調子に、乗るな!」

 

 苛立ちを露にしたアレクシスが突進し、手刀で一撃を浴びせる。それを手の甲で受けた乱入者だが、火花が散って微かな光が漏れる。しかし慌てる様子もなく、膝蹴りで間合いを取って上段足刀蹴りで喉を蹴りつけ、怯んだ隙にドロップキックを決めてアレクシスを吹き飛ばす。

 また向かってくるアレクシスに対し、乱入者は腰を落として右足を下げ、力を溜めるように膝を曲げて静止する。すると右足の先に光が集まって電流火花が飛び散り始める。

 

「臆したか!?」

 

 逃げも隠れもしないことを嘲られた直後、乱入者は跳躍し、空中回転で勢いをつけつつ右足をアレクシスに向ける。

 

『テヤァッ!』

 

 そして非常にくぐもった掛け声と共に飛び蹴りが放たれ、カウンターでモロに食らったアレクシスが吹き飛ぶ。地面に叩きつけられた後も後退を続け、校舎の数m手前でようやく止まる。

 立ち上がったアレクシスのマントは蹴られた部分が消し飛び、胸に足跡が残されていた。それでも歩き出すが、急に膝が崩れる。

 

「馬鹿、な……!?」

 

 驚きの声と共に、アレクシスの身体が爆発して火柱が噴き上がる。

 着地した後も油断なく構え、爆炎を眺めていた乱入者だが、全身から光を発して銀色の球体へ変化し、どこかへ飛び去る。

 

「なんだったんだ、今のは……」

 

 一部始終を眺めて呆然としていた隊長だが、炎が収まると通信機を確認する。

 いつの間にか、通信障害が直っていた。

 

「……各隊、撤収だ! 負傷者の収容を急げ! 後始末は『火車』に任せろ!」

 

 すぐに撤収を指示し、隊員たちも負傷者の収容とC分隊の捜索を開始する。

 

(彼が3人目、なのか……?)

 

 一方、武史は乱入者の正体に当たりをつけつつも、釈然としないものを感じていた。

 姿はグリッドマンに酷似していたが、自我が感じられなかった。本能に身を委ねた、一種の無我の境地にあったように感じた。

 

(どちらにせよ、シグマに話した方がよさそうだ)

 

 撤収作業が進む中、武史は一足先に車へ戻る。

 

「こちら『天狗』。『G』らしき飛行物体を捕捉。追跡を開始する」

 

 そして『鵺』とは別の部隊が密かにツツジ台高校付近で待機し、レーダー等を駆使して乱入者の追跡を開始したことを、この時の武史は知らなかった。

 

*****

 

 同じ夢を見た。

 銀色の流星になって夜空を飛び回る夢だ。

 戦闘機よりずっと速く、もっと自在に飛翔する、人間には到底味わえない体験だ。

 しかし、楽しさはなかった。いつも黒い塊と激しく争っていたからだ。

 何度もぶつかり合い、競り合い、空を所狭しと駆け回ることを続ける。

 それも渾身の衝突でどうにか競り勝ったことで終わりを告げる。

 態勢を立て直すためか、一旦離れていく黒い塊を追って加速する。

 不規則な軌道、目まぐるしく変化する高度に対応すべく、乱高下を繰り返す。

 そして真下に逃げ込んだ黒い塊に追いつくべく、一気に高度を下げた時、それが起こった。

 1機のF-15が運悪く降下コースに入ってしまったのだ。

 そして躱す暇もなく衝突してしまい、衝撃と炎が全身を包み、何かが身体から抜け落ちる。

 ぶつかる直前、F-15のキャノピー越しにパイロットといつも目が合う。

 その顔はー-。

 

「うわっ!?」

 

 そこでいつも、直人は弾かれるように目を覚ます。

 ベッドから跳ね起きたまま周りを見ると、隣で寝息を立てるゆかの姿。朝の5時を示す目覚まし時計。ここ最近の起床風景だ。

 

(またあの夢か……)

 

 銀色の発光体と衝突して以来、直人は同じ夢を見続けていた。おかげで眠りが浅くなったが、まだ誰にも話せていない。

 得体のしれない夢の内容に胸騒ぎを覚えながらも、ベッドを静かに抜け出した直人はそれを誤魔化すべく『日課』にとりかかる。

 別室に移動すると、まずは横になって腹筋のトレーニングを始める。最初は数をこなし、それから負荷を上げて回数を減らしていくのを3セット、休憩を挟みつつ行う。自衛隊時代からずっと続けている自主トレだ。こうしていると、自然に夢のことを忘れられる。

 腹筋が終わると次は腕立て伏せだ。うつ伏せになって、いつものように両手をついて身体を支える。

 

「痛ッ……!」

 

 しかし、右手に鈍い痛みが走って一度膝をつく。

 右手の方を見ると、手の甲に切り傷があり、周囲がわずかながら腫れていた。覚えはないが、寝ている間にどこかへぶつけたのだろうか。

 

「ま、これくらいならいいか」

 

 しかし出来ないほどではないと判断し、トレーニングを再開する。

 やがて腕立ても終えて背筋や柔軟など他のメニューも一通りこなしたところでゆかが起床し、部屋に顔を出す。

 

「おはよう、相変わらず早いわね。もう除隊したのに」

「おはよう。どうも身体に染みついちまったみたいで、やらないと起きた気分になれないんだ。起こしちまったか?」

「全然。それじゃ朝ご飯作るから」

「ああ、ありがとう」

 

 笑顔でゆかと会話を交わし終えた直人は、もう一度手の甲の傷を見る。

 

「夢について、いつかは話さないとな」

 

 そして蘭子が起床するまでの間、直人のトレーニングは続くのであった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。