松明の油も凍り付くラネール山。傍に仕える騎士一人と共に、雪山を登っていた。
何時かクレバスがあって、底の抜けてしまいそうな厚く雪の積った大地を、内心誤魔化して踏み締める。
長い道のり。だが一歩踏み進めるごとに着実に進んでいる、筈だ。辛い。あと、何れだけの距離があるのだろう。歩みの全てが今度も徒労に終わる。そう考えてしまう。繰り返してきた経験から、考えざるを得ない私の体から虚脱感が生じた。立ち止まる。
――こんなことをしたって、何も変わらない。
いけない。思考が悪い方に進んでいる。鼻頭が熱くなる予感に、途絶えた足音に後ろを振り返った――新しい傍付きの騎士――リンクに話を振る。話していれば余計なことは考えなくてすむから。
「何故貴方は私等に仕えるのですか、その剣を振るうにより相応しい者が居るでしょう」
「…」
我ながらこの選択はない。
眉値を寄せて首を振られる、そんなことはない、と。
当たり前か、彼は
私は一体何を言っているのだろう。
「…すみません、弱気になっていたみたいです。先へ行きましょう」
彼との蟠り――私が勝手に押し付けていた――は溶けていた。
だからこそ気付けたのだろう。私が抱いた劣等感は、いわば焼き菓子の型の様なものだ。苛立ちや悪感情を当て嵌めて理解した気になっていただけだった。
ならその生地の原料にどう対処すればいいのか。
自分に言い聞かせて気を奮わせる。この知恵の泉に行き着けば、何かが、と。
何の根拠もない。寧ろ今までを思い返せば…
「――」
悪いものを吐き出すように思いきり息を吐き、体内の淀んだ空気と清冷な大気とを入れ替える。
行こう。帰ればフルーツケーキが待っている。
今日は私の17の誕生日だから。
私は大きく手を振って勢いよく歩き出すことにした。
――――――――――――――
「リンク…リンク…」
「…」
「冷たいです…」
必死の呼び掛けは女神ハイリアではなく彼に。
何故昔の人々は雪の覆う霊峰に池を作られたのか。
そこに跪いて身を浸し、祈りを捧げる人間の事を考えなかったのだろうか。
とは言えこのまま躊躇していて冗談抜きに死んでしまう。
力の継承は代々のゼルダ、私の場合はお母様から教わる筈だった。しかし、あの人はソレを伝える前に亡くなられてしまった。
だから、今の私に出来る事とは。色々なものがない交ぜになって清らかとは言いがたいけれど、切実な願いを訴えること。力の泉では現状を変えられる力をねだった事がいけなかったのかもしれない。勇気の泉では自分を取り繕った事がいけなかったのかもしれない。
リンクが焚き火を起こし終えた頃、胸の鼓動が遅くなってきたきた事に命の危機を感じた私は立ち上がると、血の巡りが充分ではなくなってしまったのだろう。立ち眩んだそのまま、俯せに倒れこむ所を駆け込んできたリンクに支えられる。
「ありがとう…」
どれ程の間を、どれ程真摯に、どのような内容で黙祷すれば良いのか、何もかもが手探りだ。出来ることは試してきたつもりだったが、まさかまだしていないことがあるのか。それとも既に試してきた何かが足りなかったか。
伝承の存在だったガーディアンを発掘した時、彼らを起動させた時も、何台も壊した試行錯誤の末に歩行に至らせた時だって、何度駄目かと思ったか知れない。けれど、何れもどうにか出来た、してきた。
歯がパキリと音を立てて薄皮一枚剥がれるように割れたのが、舌で弄んで分かった。こんな時でも顎には力が入っているらしい。
不安と恐れと責任感、自身を哀れみ当たり散らしたい情動を、行先を奪った怒りでひた隠し、憤怒を頭を回す電力に変える。
諦めるものか。絶対に諦めて、やらない。
肩を貸されつつへりに手をついて水辺から上がり、焚き火の前に丁寧に体を下ろされる。
リンクがせっせと雪を積み立て始めた。
何をしているのかなどと問う必要は無い。彼が理解できない事を唐突に始めたのは一度や二度ではなく。その結果が悪しからぬものだったことも同様であるからだ。
体勢を変えて暖まる必要性を感じなくなった時、リンクが一仕事終えたとばかりに、周りを囲う雪のドームに手を擦り合わせて入ってくる。
「…」
彼にこのドームの意義、役割を聞こうとして止める。旅を重ねて体力が付いても今度は疲れた。
少し休憩すればやる気がでる筈だ。ラネール山麓の門の集合時刻までまだ時間はある。大丈夫だ。
「リンク…少し、休みます」
焦りを押し殺して瞼を閉じた。
『ゼルダ…ゼルダ、こちらへ』
『どうされたのですか、おかあさま』
『これを』
『これって…』
掌を覆っていた手の甲を開けると、アマリリスの花が1輪そこに在った。
『誕生日、おめでとう。良く、よく頑張ったわね』
涙が溢れた。
『これは私からの、私の気持ち。頑張るあなたを、きっと支えてくれるわ』
『おかあさま、私…!』
『あっ』花が溶け出し、おかあさまの指の隙間から滴り落ちていく。
『ごめんなさい。これしか、これが私に出来た精一杯よ』
急ぎ掬おうとしたソレが地に着こうという時。
どぷん
大きな固体が水に沈む音に仰天し起きた私は、雪のドームを抜け出し、音の発生源を警戒して剣を抜いたリンクと泉を視界に収めた。波紋の中心に煌めきを見てとった私は考えなしに体が動き、冷たさなど何でもないと泉を突き進んで
「これは…」
足甲…?脚部を守る防具、の膝に付いた小さめの騎乗槍と、足の裏から伸びた暗く厚い刃。武器…なのだろうか。
どう見ても扱える人間がいるとは思えない、実用的に見えない。しかし、華美な装飾が施されていない、儀礼的、又は非実用的でもない。
「何なのでしょう…リンク」
鼻水をすすって彼と――彼が言うには――かまくらに戻る。
彼も見たことが無いのだろう。興味津々に見詰めている。
彼が私の膝上に鎮座する足甲を指先でふれると『ぴちょん』鎧を波立たせて突き抜けた。
「…!?」
慮外の出来事に腕を引っ込めたリンク。
今度は私が触れると、その重さと実在を示すかのような、冷たくつるりと硬質な手触りが伝わる。
なんだか愛おしく思えて、温もりの伝わるように撫でていると『ずぶずぶ』沈み始めた。
「えっ、えっ」
「…!…!?」
私の太股に。
――――――――――――――
あの後出来る限りの事を尽くしても女神からの応答は無く。
二人揃って下山し、他英傑との合流地点であるラネール山門の所までやってくる。
周りの露払いは彼らが担ってくれたようだ。嵩張る上着を脱いで動ける様にしていたが、どうにも杞憂だったらしい。
山門に見えた四人の元に着くとゴロン族の益荒男、ダルケルが元は気が小さいのか優しいのか、心配顔で尋ねてきた。
「姫様…その、どうだったんですかィ」
「成功…では…ないですけど、失敗でも…ない、ような」
横にならんだリンクと顔を合わせると彼も困り顔である。
リト族の英傑、若く負けん気とプライドの強い、努力家のリーバルが催促してきた。
「煮え切らないね、ハッキリ言ってくれないと困るんだけど」
すると――良く日焼けした体の凹凸がしっかりし、目鼻立ちのくっきりしたゲルド族の英傑――威厳ある為政者と苛烈な剣闘士、穏やかな女性の側面を持つウルボザが後に続く。
「そうさ。おひぃ様、一体、何があったんだい」
「…女神ハイリアが私に賜り物を…」
「賜り物、ですか」
脆く儚げながらも不退転の心を持つゾーラ族の英傑、ミファーが喜ぶように聞き返してきた。
「えぇ…それなんだけど」
出てきてくれるかしら。呟いて見下ろし、足の付け根の辺りを服の上から撫でると、地面が少し、遠退いた。
ビリィ。ワンピース、或いは貫頭衣の様な服の両膝の辺りから、布地を突き裂いて極太の針がこんにちはする。
「「「「!」」」」
「わっ、わわわ」
ヒールやらシーカー族に伝わる一本歯下駄を履いた事のある人なら分かるかもしれないけれど、馴れない靴底の形に姿勢を維持出来る訳もなく。
「…助かりました」
リンクに抱き留めてもらうことで事なきを得た。
「確かに、こりゃぁ…」
地が揺れる。地震か?
大気が震える。いや違う。
これは嘶きだ。では何の?
知っている。
災厄の現れた先、あれはハイラルの方。
違う。
あれはハイラル
「うそ」
――――――――――――――
「もう、いいんです!もう」
みんな、みんな死んでしまった。残ったのはあなただけ。
「御願いです。貴方だけでも、逃げて」
何で言うことを聞いてくれないの。
私なんかに構っていたら貴方まで。
駆動音と小砂利を踏み締める音に気付いた時には、
「あ…」
命からがら逃げ延びて来た、ハイラル平原で光の矢に悲鳴ごと掻き消された人々の姿がフラッシュバックする。
時を忘れ、赤い眼光が自分に向いていない、つまり満身創痍の彼に注がれているのに気付いて。
「駄目ぇッ――――――」
古代兵器の目線を遮るように、自身を差し出し、掌を突き出した。
大切な人は一人を除いて残らず死んでしまった。
もう誰も失いたくない。
私は価値なんてない、いっそ死んでしまえ。
でも。
でも、この人だけは――
この人だけは私の命に代えても
目の前に突き出した手の甲に、三つの三角形を積み上げた光の紋章が表れた。これは――――
黄昏の光が迸り、満ち広がる。光の洪水が全てを呑み込んでいった。
呆然とする中、何事もなかったかの様に光が消え去る。 するとガーディアンがエラーを起こしたのかガタガタ震え出し、邪悪な気が霧散すると共に糸の切れた人形の如く沈黙した。
「これ・・・私、今・・・」
「良いの。ソイツ、死ぬわよ」
聞いたことのない第三者の声に首が弾く。
この場でなければ言及していただろう格好の少女に言葉を失っていると、どさり。倒れ伏す音が聞こえた。
「駄目、駄目。死なないで・・・」
抱き起こして遠くへ行かない様に呼び掛ける。
「お願い・・・死なないで」
疲労困憊の体を震わせながら、僅かに起こした彼は、魂の抜け落ちたかのように力を失った。
手に伝わる感触は重く、目蓋が落ちていく。
「あ、あぁ・・・」
胸に疼いた喪失感に、彼の身体に縋り付く。
「ぅ・・・」
噛み締めた歯の隙間から嗚咽が漏れる。
こんなことをしている場合じゃない。分かっている。
でも私の守りたい人達は、みんな・・・
『 報 告 』
「!」
頭に響く声。
体に満ちた霊力からその存在の在り処を特定出来た。あれは・・・マスターソードが?
弱々しく発光するリンクの剣が、私が声を聞き届けた事を確認したのか、言葉を続けた。
『マス ターは 存 命』
『尋常ならぬ技術を用いた処置ならば、その 命 は助かるも の と 推 測』
「まだ助かる・・・リンクを、助けられる・・・」
閃きの正当性と妥当性を計るように、行き着いた結論を手早く簡略に逆算していく。
尋常ならぬ技術。間違いない、古代シーカー族の技術の事だ。
王家の者達には秘密裏に携わった最近の研究に、後世の勇者を治癒する施設があった。初めての、祠に対する本格的な調査と進展に、研究に関わる人間は誰もが湧いていた。あれは――
「姫――――――――ッ」
なんと運の良いことだろう。
「姫、御無事ですか」
鍛え上げられた肉体と、素早い身のこなしで駆けてきたシーカー族の男性の二人組。
彼らならば。
「貴方達に御願いがあります。この人を、回生の祠に連れて行ってください」
戸惑いを見せる彼らを一喝する。
「急いで。彼の命が燃え尽きてしまう前に」
それだけ告げると彼の握った拳を優しく解いて、マスターソードを手にする。
「私はこの退魔の剣を修復しに参ります」
「御一人で、ですか。それは無茶――」
「一人じゃないわ」
気配だけある所から光の粒子が溢れ、人の輪郭が出来、実体化した。
シーカー族の二人は即座に武器を構え、一人が前に出、一人が私を庇うように下がった。
「姫」
「何奴」
「・・・ハイリア神の御遣いよ。分かったらとっととソイツを連れて行くことね。命が助かっても頭が使い物にならなくなるけど。良いのかしら」
「御二人とも、問題はありません。早く回生の祠に向かわれてください」
揺れる内心を抑えて毅然と告げると、彼等はリンクを負担のかからぬ姿勢で運び去って行った。
「それで、行くのでしょう。その、ナントカの剣を戻しに」
「えぇ、先ずは・・・ところで、貴女の御名は」
「メルトリリス、よ。そっちの名前はあんたの母親から聞いてるわ」
「お母様が、ですか」
「面倒な質問は後。剣を戻した後はあの猪をどうにかするんでしょう。急ぐわよ」
「えぇ・・・行きましょう」
こうして、私の長い誕生日はその一日を終えた。
何も始まらない。