11時07分 宇宙港6番ポート 仮設ピット
「ケンジ、すぐに機体検査始まるぞ。着替えてくれ」
「おう!」
自分たちの仮設ピットに戻ってきたケンジたち。
ケンジはジムⅡの足元に設営したテントに飛び込んだ。
「お兄ちゃん遅―い!」
留守番をしていたデイジーとモニカが、ふくれっ面で出迎えてくれた。
「ごめんねデイジー。すぐ戻ってくるつもりだったんだけど」
「もう磨くところなんてないぐらい磨いたんだからね」
ショーンがすかさず謝るが、デイジーの機嫌は斜めのままだ。
三人で開会式に行っている間、ワックスがけを頼んでいたのだ。デイジーたちのおかげで機体はピカピカ。鮮やかなインディーブルーに塗り替えられたジムⅡは見違えるほど綺麗になっていた。
エフラムはとりあえずデイジーを放置して、段取りを進めることにする。
「俺とケンジで検査に行ってくるから、ショーンたちもノーマルスーツに着替えておいてくれ」
11時45分 検査場
「はい、それじゃ登録証と整備履歴出して~」
スタッフに必要書類を手渡すと同時に数人の運営メカニックがジムⅡに取り付く。
宇宙港内に臨時に作られた検査場。
競技をするにあたってMSにレギュレーション違反がないか検査をするのだ。
レギュレーションと言っても、MS競技のそれはあまり厳しくはない。ジェネレーター出力もスラスター推力も上限規制はなく無制限。好き放題に改造できる。
「ハッチ全開放お願いしまーす」
「はい」
ケンジがコンソールを操作して整備ハッチを全て開ける。
「コクピット周り補強確認」
「脱出コクピットのテストシグナル確認」
「プロペラントタンクの使用ありません」
「装甲板固定問題ナシ」
ここで検査されるのは「パイロットの安全は確保されているか?」と「脱落もしくは投棄される機体部品はないか?」の二点。
パイロットの安全確保は競技である以上当然のことだが、後者には少々事情がある。
現在のレギュレーションでは『プロペラントタンクを使用する場合、投棄できないよう固定すること』と定められている。実は最初期の大会ではプロペラントタンクの投棄が認められていた。
そのため起きたのが『投棄されたタンクによる進路妨害』問題。
デブリヒートでは進路妨害が認められているので、当初はタンク等の投棄はその範疇ではないかという意見が大半を占めていた。
ただ、そのルールの穴をついて『ザク・マインレイヤー』を投入するチームが現れ、状況は一変。コース上で機雷散布(もちろん模擬機雷)を行ったことで進路妨害どころか、大会の進行そのものに影響を及ぼしたのである。
それ以降はレギュレーション改定が行われ、タンク投棄はもちろん、装甲板のパージも禁止されている。
「異常ナシ」
メカニックたちがチェックリストを埋めると検査済みのシールを張り付ける。
これにて機体検査は終了。あとは予選開始を待つのみだ。
14時22分 宇宙港6番ポート
「ジェネレーターチェック」
「OK」
「スラスターチェック」
「OK」
「フィールドモーターチェック」
「OK」
「推進剤残量チェック」
「OK」
昼過ぎに始まった予選。現在は第二ヒートが行われている。
ケンジたちは第三ヒートに出場予定。そのための最終チェックを行っていた。
「オールグリーン」
「……なぁエフラム、これでチェック三回目だぞ。心配し過ぎじゃないか?」
「なに言ってんだ、こういうのは何度やったってやり過ぎってことはないんだ」
先程から妙に落ち着きのないエフラム。平静を装ってはいるが、緊張の度合いが伺えるというものだ。
「外装と関節のチェック終わったぞ。問題ナシだ」
外回りの点検をしていたショーンが、デイジーとモニカを引き連れてコクピットに入ってきた。
「も~、何回点検するのよ~……」
「デイジー、もう終わりみたいよ。ほら」
全天周囲モニターの片隅に映るレースの中継画像。
予選第二ヒートは順調に進み、残り五周。ケンジの出る第三ヒート参加者の集合の頃合いだ。
『予選第三ヒート参加者は機体をエアロックに移動してください』
「ね?」
「本当だ~」
運営からの集合を知らせる放送で、チェック地獄から解放されたことを知るデイジー。
延々と続くチェックの繰り返しから解放された安堵から安堵のため息。
そんな妹とは対照的に、ショーンはいつになく真剣な表情をケンジに向ける。
「いいかケンジ、今回は時間がなかったから腰の装甲を外しただけの『どノーマル』だからな。かなり分が悪いぞ」
「わかってるよ。楽に勝てるなんて思ってないさ」
「……そうじゃない」
ジムⅡが納機されてから今日のレースまで期間はあまり余裕があるものではなかった。
わずかな期間で出来たことと言えば基本的な整備と、腰回りの装甲板を外す定番の軽量化だけ。あとはジムⅡに慣れるための慣熟飛行に費やさざるを得なかった。
「壊すなよ」
「大丈夫だって」
ショーンの杞憂を笑い飛ばす。が、ショーンとエフラムは二人揃って肩をすくめた。
「何度も言うけど、今日は『レースに慣れる』のが目的だからな。一戦ぐらい落としても後で巻き返せばいい。だから壊すなよ。機体が無事なら俺とショーンで勝てる機体にチューンしてやる」
「……俺、そんな信用ないか?」
「ジュニアモビルスーツであれだけ壊しておいて何言ってんだ?」
「だよなぁ……」
14時31分 宇宙港エアロック
『デブリヒート予選第三ヒート参加機体は速やかにスターティングボードに搭乗してください』
ケンジのジムⅡがボードに取り付けられた取っ手を掴む。
『スターティングボード』は長方形の鉄板に取っ手とスタートシグナルを付けただけの物である。これをMSを乗せた状態でスタート地点までタグボートで牽引し、そのままスタートラインとして使用する。
各自で三々五々にスタート地点まで移動するよりも、集合時間の圧縮ができるためスムーズな運営ができ、スタート前の事故防止にも役立っている。また参加者側としても無駄な推進剤を消費しなくてもよいというメリットがある。
指定された位置にジムⅡを固定すると、頭部を巡らせ他の参加機体を確認してみる。そしてピットにいるエフラムたちを呼び出す。
「ショーン、エフラム、このヒートは当たりだ」
『どうした?』
「見てみろ。半分ぐらい『エンスー派』だ」
MS競技に参加する人々にも様々な傾向や嗜好がある。その分類の一つが『エンスー派』と『チューニング派』である。
MS競技界隈では本来の意味とは違う使われ方をしているが、『エンスー派』は『エンスージアスト』を語源とし、特定の機体に熱狂的な愛情を注ぎ、自ら機械いじりを嗜む人たち。そして『可能な限りオリジナルの状態を保つ』ことを至上命題としている。
対して『チューニング派』はレースで勝つために、とことん機体をいじり倒し、構造変更や形状変更も厭わない人々を指す。
『ザクⅡにリックドム、ゲルググとアクトザク?! なんじゃこりゃ?』
ショーンがジムⅡから送られてくる映像に目を丸くした。
「ネモとマラサイが居るけど、気を付けるのはこいつらぐらいだろ?」
『このヒート、えらく偏ってないか?』
「かもな。でも、おかげで予選通過が見えてきた」
他の機体もジムⅡにハイザックと、ケンジのジムⅡと性能的に大差はない機体ばかり。
予選は各ヒート十二機ずつで行われ、三位までに入れば明日行われる決勝に進むことができる。
ケンジの目算では、性能的にネモとマラサイに勝てないにしても、他は同等かそれ以下の性能。三位狙いは十分に可能。
『いくらチャレンジクラスでも偏り過ぎだろコレ?』
現在、デブリヒートは前年度の成績に応じて『ゴールド』『シルバー』『チャレンジ』の三つのクラスに分けられている。
スミスのようなトップクラスのパイロットたちがしのぎを削る『ゴールドクラス』は、勝つためにレースをしているようなものなのでチューニングが絶対条件となり、MS自体も新しい型式になる。
対して『チャレンジクラス』は玉石混合。ゴールドクラスへの昇格を目指しチューニングと技能向上に余念がない者がいる一方で、「大勢でMSを飛ばすのが楽しい」という純粋なレクリエーションとして参加する人たちがいる。それが『エンスー派』であり、彼らにとってレース結果は二の次、三の次になる。
そして彼らにとってもっとも重要なのは、フリーマーケットで放出される部品であったり、他のMSオーナーからもたらされる修理方法や部品の調達法などの情報である。MS競技会はMSイベントの中では最大規模のものなので、それらを集めるのに丁度良いのだ。
そんな彼らエンスー派が参加しているため、会場の雰囲気はどことなくコミックコンベンションに通じるものがある。
「でもチャンスだぜ?」
『いや、でもさぁ……』
『OK~ケンジ』
状況を理解してなお煮え切らないショーン。
見かねたエフラムが通信に割って入った。
『このレースは勝ちを拾いにいこう』
「よっしゃ! 任せとけよエフラム!」
エフラムの許可が出てオーダー変更。
事前に決めていたレースオーダーは『様子見』である。
エフラムとショーンが言っていたように、納機から今日までの期間が短かったために準備できたことは少ない。できたことは僅かな軽量化と多少の慣熟飛行。
万全の状態ではないことは誰もが承知している。だから今回は捨て試合と割り切ったはずだった。
『その代わり、他のMSに絶対接触するなよ!』
「それは難易度高すぎないか?!」
容認かと思ったらハードルが高くなった。
デブリヒートでは進路妨害を含む接触、格闘戦が認められている。他のMSと全く接触しないとなると、それなりの技量と性能が必要だ。だがノーマルのジムⅡには性能的優位はなく、ケンジの練習量も足りているとは言い難い。
『万が一、クラッシュなんてことになったら修理費で活動資金が食い潰される』
「そうかもしれないけど勝ち点も大事だろ?」
『そりゃ大事さ。だが後半戦でひっくり返すこともできる』
「少しでも稼いでおいた方が後半は安心だ」
『おいケンジ。勘違いするな俺は『勝つな』と言ってるんじゃない。接触しなければ『勝ってもいい』って言ってるんだ』
「んな、無茶な……」
エフラムからの無茶ぶりに思わず天を仰ぐ。
だがエフラムはニヤリと笑う。
『できるさ。少なくとも俺とショーンはそう信じてる。じゃなきゃ、今までバイトで稼いだ金を全額突っ込んだりしない』
「賭ける相手を間違えたんじゃないか?」
『何を今更。お前だって『自分に賭けてる』んだろ?』
「……そりゃそうだ。そーいやそうだった」
汗水垂らして必死に働いた日々を思い出し、今いる場所を意識する。
モニターの向こうではショーンが頭を抱えているのが見えるが、この際見なかったことにしよう。
「じゃあ、『俺からは当てに行かない』ってことでいいな?」
『ああ、それで構わない』
14時34分 仮設ピット
「エフラム……ケンジを焚き付けるなよ~……」
「あいつは言い出したら聞かないのはわかってるだろ?」
通信を切ると頭を抱えたショーンが抗議してきた。
その気持ちがわからなくもないので、苦笑いで応えるエフラム。
「それはわかってる。けどなぁ……」
「やる気を出してる時に締め付けたってダメさ。手綱を緩めてやるぐらいがちょうどいい」
とは言いつつも頭を抱え始めるエフラム。
「はぁ~……やっぱり止ときゃ良かったかな?」
「だからそう言ってるだろ……」
「どのぐらい壊してくると思う?」
「……フィールドモーターを二、三個ってところだろ」
エフラムは自分で言いつつ天を仰いだ。
一時間後。
ケンジは宣言通り三位に入り予選通過。明日のチャレンジクラス決勝への出場権を手に入れた。