ミデア・ロナが会敵ポイントに接近するまでにかかる時間は僅か10数分。
しかし、この短時間で救出対象のブルースカル小隊が全滅する可能性は充分にあった。救援要請を受けてからアルメンドラ基地に白羽の矢が立つまでにも経過時間はあるし、そこからヴィンス司令官を通してエイラム少尉に伝わるまでの間にも、ブルースカル小隊は攻撃に晒され続けているはずだった。
それでもエイラムは、たまたまアルメンドラ基地に物資を運んできたこの大型の戦術輸送機を利用しない手はないと思った。現状で最も早く救出に向かえる方法としてモビルスーツを空輸するのは最適といえた。
聞けば、付近で友軍の輸送機がジオン軍残党の狙撃と思われる攻撃を受けて墜落し、キャルフォルニア基地本部の命令でミデア・ロナは帰投中止の待機命令を受けていた。
エイラムはこのミデア・ロナのキャプテンにすぐさま交渉して、コンテナへのモビルスーツの積み込みが可能と知ると、本部との連絡を取らせて作戦の立案から説明までの流れを手早くこなした。本部は意外にも二つ返事での快諾了承であった。
ミデア・ロナはエイラムの立案どおり、高度120メートルほどの低空を維持した。南米でもアルメンドラ基地以北の地形はそれほど大きな森を形成しておらず、平坦な地形そのものは空からの索敵をしやすい。その反面、高高度では地上からの索敵に弱く、低空飛行による対策が必須とされている。
ペイロードの大きな大型輸送艦が低空飛行を行うのはかなりの習熟を要し、新型であることもあってかキャプテンはいささか緊張した面持ちではあったが、事ここに至ると安定して高度を維持したまま高速航行をこなしていた。
ミデア・ロナのコンテナの中では、アニムスの毒気にいきなり当てられたエイラムだったが、気を取り直して今回の救出作戦の全容を参加メンバーに伝えていた。
刻一刻と会敵ポイントに近づく中で、各々の役割を説明してゆく。
この時ばかりは”エイラム大好きのアニー”と言えども、真剣な表情でいてくれてエイラムはほっとした。
『設定ポイントまで残り10マイル、減速します』
キャプテンからの報告を受けて、エイラムは了解の意思を返す。
あと数分で作戦決行の合図だ。
ちらりとスポットウィンドウのアニーに視線をやると、すごくうきうきした表情を浮かべている。他の4人とは明らかに違う表情にエイラムの好奇心が頭をもたげる。
「アニーは緊張していないのか?」
遠慮がちな声色で尋ねる。
するとアニーは、男とは思えないかわいらしいハスキーがかった声ですぐさま反応した。
「そんなわけないよ。もう、ドッキドキだよぉ。憧れの隊長とデートだなんて、もう天にも昇る勢いだよ、うん!」
「あぁ……やっぱりか……」
予想通りの反応で返答にエイラムは困惑の色は隠せない。
こいつはこういう奴だった! と、。
そんなエイラムの様子を無視して彼女は──本来は彼なのだが──ことさら嬉しそうに笑顔で返す。
「まっかせてください! 隊長の相棒(バディ)として選ばれたからには、ボクのショットガンが火を吹きますよ! ばばんのばーんですよ!!」
グリニングゴースト小隊の面々はとりわけ若いメンバーが揃ってはいたが、その中でもアニーはひと際若く見えた。容姿や言葉遣いもさることながら、その行動や仕草は女性と言うより少女のようでエイラムをしばしば混乱させる。エイラムは女性に免疫がないわけではないが、こういった職務柄にあってはアニーのようにキャピキャピした同僚に出会うことは全くといっていいほどなかったのだ。
ましてや小隊長に着任早々気に入られ、日夜夜這いの憂き目に会うとは露にも思っていなかったのである。
「隊長。そろそろ身を固めてやってもいいんじゃないですかね?」
横から茶々を入れるようにアーメッドが意地の悪い笑みを見せた。
大柄で鍛え上げられた肉体の35歳。エイラムよりも随分と年上だか、軍人らしく上下関係をしっかりと遵守する規律を重んじる男だ。エイラムが着任するまで二つの分隊を預かってきただけあって、今の状況には満足していた。
アニーが俯いてばかりいた生意気で規律違反も平気でやってのける無頼漢だということを知らないのは、エイラムの他には彼より遅く基地に配属されたサラくらいなものだろう。それがエイラムによってがらりと変わってしまったことを、アーメッドはむしろ喜んでいた。例え倒錯的な愛情であったとしても。
だからこその軽口でもある。
「おいおい、勘弁してくれよ、アーメッド准尉」
エイラムは苦笑いを浮かべて答えるが、決して本気で嫌がっているわけでもなかった。
もちろんそれはアニーに体を許すかと言う問題とは別なのだが、着任してからの数ヶ月で彼女の才能も働きにも一目置いていたし、何より信頼していた。
「俺はアニーになら背中を任せられると思ってるだけだよ。もちろん他のみんなもね」
「ボ、ボクは隊長になら背中から抱きしめてもらってもぜーんぜん問題ないです!」
4つのスポットウィンドウから盛大に笑いが生まれた。
会敵ポイントの手前でミデア・ロナは低速巡航に移り、エイラムの指示通りに光学双眼鏡を使用した目視による索敵でザクスナイパーの姿を確認した。
およそ6マイル後方となる地点まで到達すると、開けた平地へとVTOLによって機体を降下させた。機体本体やコンテナのショックアブソーバーが軋み、着地したことをモビルスーツに伝わる振動で待機する兵士たちに伝えた。
『ハッチオープンします』
キャプテンからの通信がモビルスーツのコックピット内に響く。
同時に各モビルスーツを固定していたワイヤーハーネスが弾けるように外され巻き取られた。
「チョコバット、サラを優先に順次下船! オフィーリア軍曹、レーダーポッドをぶつけるなよ」
エイラムの号令によって救出作戦は開始された。
ジオン公国軍2664小隊──いわゆる一年戦争における第二次地球降下作戦に参加した生き残りは、今やジオン残党軍のゲリラ小隊となって熱帯のジャングルに潜んでいた。
マックス・ベルネット少尉もそのひとりで、狭苦しいザクⅠスナイパータイプのコックピットに座していた。
朝方ナイフで剃った髭はすでに伸び始めて、落ち窪んだ目のせいか実年齢よりも老けて見える顔で、計器の密集した中にねじ込んだ煙草とライターを目で追った。根元まで焼けて火の消えた煙草のフィルターをぷっと吐き捨てて、くしゃくしゃになったパッケージから新しく一本を取り出して火を点けた。
紫煙が漂うや否や個体通信のランプが視界の端で赤く光った。
「なんだ、軍曹?」
「『なんだ?』 じゃありませんよ。また吸ってるんですよね、少尉」
若い声の主は同じくザクⅠスナイパータイプに乗るユリアン・エクスラー軍曹のものだ。
「大尉がいないからって戦闘中に煙草なんていけませんよ」
若さは言動にもにじみ出ていた。
マックスは同じスナイパーとして一方的に慕ってくるこの19歳の若造のことが嫌いだった。第二次降下作戦から1年半以上、よく我慢したものだと自分を褒めてやりたいと心の中で呟く。
「電子機器は煙草のヤニに弱いんですから、少尉ほどの名スナイパーがそんなことじゃ示しがつきませんよ」
田舎のお袋よりも小言がうるさい。
白い煙をひと際大きく吐き出して、咥え煙草のマックスは顔に似合わぬ低音で静かに答えた。
「月の裏側に残してきた母ちゃんのおっぱいが恋しくなってくらぁ……」
スコープを覗いてトリガーを引く。
ほんの一瞬見えた連邦軍のモビルスーツのパーツが岩陰の向こうに顔を出すのを、マックスは見逃さなかった。