荒れた土地に力強く根付く草木や、太陽が登ってる間は懸命に獲物を探していた野鳥たちも眠りに着く月夜の時間帯。
とある地区の警備を行うグリフィン基地は夜間でも周辺の警備を行っているが、昼間は業務に当たっていた人員の殆どは休みについている。
具体的に夜間は閉めている施設は、食堂であったり、基地内の数少ない癒しと言えるカフェスペースであったり、後方幕僚が運営を任されているショップであるったり、或いは夜間作戦がないので一日の稼働を終えた司令室であったり。
一日の仕事を終えて眠りに着いたのかと思いきや全員がそういう訳ではなく、何時如何なる時も例外はあるものだ。
「お疲れ様です!かんぱーい!」
「かんぱーい」
司令室の電源が落ちたパネルの上に、全力で腕を伸ばしてグラスを掲げる褐色の髪を一纏めにした後方幕僚のカリーナと、彼女ほど元気さは無いが精一杯腕を伸ばして彼女のグラスに自分のグラスを触れさせる指揮官の様に。
「んぐっんぐっ……!ぷはぁ~!美味しいですねぇ!!」
グラスの中に並々と注がれていた麦酒と呼ばれてた飲料を再現した発泡酒を一息に全て飲み干したカリーナ。
「いい飲みっぷりだなぁ……」
対する指揮官は豪快なカリーナの飲みっぷりに感心しながらもチビチビとグラスに口をつけて、少しずつ量を減らしていっている。
「もう指揮官様!そんなペースじゃこの発泡酒は減りませんわ!」
指揮官はお酒をチビチビ飲んで行くタイプであり、一気飲みをするようなタイプでは無い。昔、指揮官の祖父が正月の祝だ何だと言って大好きなニホンシュ(?)を一瓶丸ごと一気飲みした結果、急性アルコール中毒で病院に運ばれたせいで新年が台無しになってから、一気飲みしないと心に決めているという個人的な理由もあるが。
「ああ、うん。私も頑張って飲むから、この量の発泡酒がここにあるのが私のせいみたいに言わんでくれ」
指揮官は飽きれながらカリーナの脇を指差す。そこにあるのはビニール袋一杯の発泡酒の入った缶達。その発泡酒の塊こそが、司令室に指揮官とカリーナが二人で飲んでいる理由。
「あはは……。でも、今日は私の奢りです!だから、ジャンジャン飲みましょう!」
「私、発泡酒は正直一杯目だけで――」
「ほらほら、指揮官様!グラスが空きましたわ!どうぞどうぞ!」
「うへぇ……」
指揮官のグラスが空いたと見るや否や指揮官のグラスにそそくさと発泡酒を注ぐカリーナ。
「さぁさぁどうぞ!指揮官様!」
カリーナは指揮官が高い商品を購入した時の様な極上の笑みを浮かべながらも新たな缶を開けてすでに次の準備を整えている。
その様子に一種の諦めがついた指揮官はカリーナに習う様に一気にグラスの中の黄金の発泡酒を飲み干した。
そう、カリーナから飲まないかと誘われたのは、昼間にカリーナに頼んだ作戦報告書を受け取った時の事だ。
「あっ、そうだ!指揮官様、今夜は私と飲みませんか?」
唐突にそう飲みに誘われた指揮官。十人の男が居たら全員が見てしまう様な見目麗しい後方幕僚からの同伴の誘い。
並大抵の男であれば一も二も無く飛びつく様な魅力的な提案。の筈なのだが、指揮官の表情はフリーズしたかのように固まる。
飲みの誘い。その瞬間指揮官の頭に過ったのは六、七人の芸術品の様に整った容姿の戦術人形との飲み会。この基地に来てから数か月たつ指揮官なのだが、戦術人形との飲み会の終わり方は決して良いものでは無い。ある意味で言ったら羨ましがられる事なのかもしれないが、それが毎度の事となるともはや新鮮味などは無く、どうしてこうなるのかと因果と運命を疑いたくなるだけである。
誘われるパターンも侵入してくるパターンも迎えた結末は殆ど同じ。指揮官は何故いつもこうなるのかと頭を抱えるばかり。
だから、戦術人形では無く、人間であるカリーナから誘われても疑ってしまうのだ。カリーナももしかしたら、戦術人形たちの様に『そういう事』をする為の口実として飲みに誘っているのではないかと。
「あーその……今日はだな……」
今日の指揮官は未知への恐れが勝った。カリーナからの提案を断ろうと頭と口が動いたのだが、はたまた突如としてカリーナが指揮官に抱き付いた。
「助けてください」
よろめきながらも指揮官はカリーナの身体を受け止める。
彼女は豊満な胸を押し付け、消え入るような小さな声で助けを求めた。
「……どうした?」
その声色は、先程までのどうやって誘いを断ろうかと考えてた小心なものでは無く、戦術人形たちに指示を出す時の様なよく通る低い声へと瞬時に変わる。
お人好しな指揮官は、はたまた飲もうと言うのは口実で、実は胸に秘めた後ろめたい何かがあるのではと勘ぐっていたのだが。
「じ、実は、発泡酒を入荷しすぎて不良在庫になりそうなんです!」
瞳を潤ませながら、悩みを口にするカリーナ。その様子は小動物が助けを求めるような愛らしさがあるが、指揮官の脳は一言根性論を口添えしてここから去れとの判決を下した。
「うん。ガンバレ」
カリーナの肩に手を置いて一言そう告げると、指揮官はカリーナの脇を通り抜けて司令室に戻ろうとしたのだが、カリーナは指揮官の腰を両手でホールドして逃がさない。
「助けてくださいよ指揮官様!」
「全部買えって言うのか?!流石にそんなに発泡酒は飲めんぞ!」
「ほんの百本!百本でいいですから!!」
「どう考えてもほんのじゃないだろ!と言うか、何でそんなに入荷した!酒買う人ってそんなに居ないだろうに!」
「いやぁ~いつも飲料を卸してくれる業者さんが安く売ってくれたんですけど、まさか全て賞味期限が近かったなんて」
「確認はいつもちゃんとしろって言っただろ!」
「何とか捌けると思って格安で売ってたんですけど全然だったんです!助けてください指揮官様!もうこの際無料でお譲りしてもかまいませんので!指揮官様はアルコール好きですよね!?」
無料。タダより高いモノは無いと昔から言うが、無料と言う言葉の響きにはいつの時代でも心が引かれる事だろう。
脇腹に引っ付くカリーナに指揮官は目を向ける。
「……賞味期限は?」
「明後日です」
「頑張って全部飲み干すんだ。頑張れカリーナ」
「待っください指揮官様ぁ!ヘリアンさんに怒られたくないんですぅうう!!!」
その後も約五分間カリーナと格闘した指揮官は根負けし、夜の司令室で二人で飲んで出来る限り消費する事を約束する羽目になったのだ。
そのような経緯でカリーナと二人っきりで発泡酒を次から次へと飲み干す二人。
と言っても、人間のお腹に入る量など限られた者。三本目で二人は味に飽きを感じ始め、指揮官の提案でジュースや化学調味料で味をつけて何とか数を減らそうとしたが、一人五本が関の山であった。
二人してお腹を擦って、冷えた発泡酒で失われていった体温を求めるかのように自然と二人は寄り添う。
「お腹いっぱいですね……」
「まさか……アルコールでお腹を膨れさせる日が来るなんて……」
「うぇひひー……」
指揮官がショップで財布を見せたときにする怪しげな笑いをするカリーナだが、その声にはいつもの様な快活さは無い。発泡酒の炭酸は想像以上に二人の胃を圧迫しているからだ。
指揮官はチラリとカリーナが持ってきた袋を盗み見る。二人で飲んだ数は計十本、開いた袋の口から見える残りの缶の数は四本と言った所。
ある程度の数は減らせた様にも思えるが、嘘かホントかカリーナは『百本買ってくれ』と言って来た。それが本当の事なら、氷山の一角でしかない。
「ゲップ……」
指揮官は口を押さえて口から洩れたゲップの音量を押さえる、余りにもお腹が膨れすぎて、ゲップと一緒に飲んだ物を出してしまいそうになる。
「……指揮官様」
「……なんだい?」
「ご満足いただけましたか?」
「……大満足だよ」
「……うふふ。よかった~」
カリーナは安堵した様に指揮官に体重を預ける。
「指揮官様はお酒が好きって聞いたので、ちょっと奮発したんですよ?」
奮発した。その言葉に指揮官は違和感を覚える。不良在庫回避の在庫処分に何を奮発する必要があったのかと。
「不良在庫の件は嘘か?」
「嘘じゃないですけど、本当でも無いです」
「一体どういう――」
思わず振り返ってカリーナを見つめる指揮官。そこに居たのは、普段の陽気なカリーナでは無く、アルコールともしかしたらそれ以外の何かで頬を染めてそっぽを向いているカリーナだった。
「指揮官様……あなたへの好意は割り増ししてると言ったら嬉しいですか?」
「そりゃ……その……」
カリーナの言葉の意図がどういうものなのか理解できない指揮官では無いし、カリーナがどんな言葉を望んでいるのかも何となく指揮官はわかっている。
わかっているからこそ、口ごもるのだ。指揮官は自分の想いに答えを出せないから。
「迷惑か迷惑じゃないか……それだけを教えてくれませんか?」
「……嬉しいよ」
それは嘘偽りの無い指揮官の言葉。カリーナからの好意は決して迷惑では無いし、深い信頼をおいて貰えてるのだと嬉しくはある。
だから、迷惑かそうじゃ無いかと与えられた選択肢を使わず、自分が思い浮かんだ言葉をそのままカリーナへと伝えたのだ。
「イヒヒ……」
カリーナは指揮官の背中にすり寄ると、まるでぬいぐるみの代わりにするかのように頬を擦りつける。
「嬉しいです。指揮官様が来るまで、仲の良い職員ってあまり居ませんでしたから」
この基地にいる人間は仕事に忠実。民間軍事会社なのだからそうあるべきなのだが、戦いへの恐怖を紛らわす為か仕事一辺倒の職員も少なくは無い。
指揮官が基地に着任してからは、指揮官の秘書の様に懸命に働いていたカリーナだが、彼が来るまではどこか心の寂しさを感じながら過ごしていたのかもしれない。
「指揮官様はいつも優しいですから、普段からのお返しをしようと思ったんです。だから、今日は奮発しました。全部奢りって言うのは本当です」
「……嘘をつかないで素直に誘ってくれたら、私の方から奢ったぞ」
「うーん……それはもったいない事をしちゃったかなー……」
カリーナは指揮官の胸に腕を回す様にして抱きしめる。指揮官の方には抵抗しようとする意識は無いので、彼女の腕に身を任せる。背中に感じるカリーナの柔らかさと温かさが今の彼にはとても心地よいモノであった。
アルコールと、カリーナの高い体温。その二つによって唐突に眠気に襲われた指揮官は、ぼんやりとした視界に腕時計の文字盤を収める。時刻はもうそろそろ月が頂点へと昇る頃。いっそのこと、この眠気に身を任せたい衝動に駆られるが、ここには寝具は存在しない。どうやって自室まで帰ろうかと霞がかった頭で考えていると、いつの間にか自分の身体が天井を向く様に倒されている事に気が付いた。
「指揮官様――ごめんなさい。今の私には、この想いを抑える力は無いです。だから――」
指揮官はその先に待つであろう運命を直感的に感じ取って、目を瞑る。人間と飲んでもこうなるのかと、諦めた様に、或いは受け入れる準備をするように。
「指揮官の温かさを――今だけでいいから感じさせて……!」
真っ暗に閉じてく世界の中で、指揮官はカリーナからの情熱だけはしっかりと感じ取った。
翌日、指揮官は頭を抱えていた。今までは人形だけにされていたから、あまり心配して無かったのだが、今回の相手は生身の人間。一夜の過ちで、自分のせいでカリーナのこれからの人生が狂ってしまったらどうしてあげるべきか、自分はどう責任をとってあげるべきなのかと。
一方、カリーナはいつも以上に晴れやかな表情で仕事に取り掛かり、彼女を見る者達に元気を分け与えていたと言う。
朝の挨拶の去り際、気まずそうに頬を引きつらせる指揮官にカリーナは耳打ちする。
「子供が出来た時の為に名前を決めておきますか?」
指揮官が一日中頭を抱えていた理由。カリーナが晴れやかに仕事にとりかかかってた理由。それは当事者のみが知ることだろう。
「もしもし父さん」
『うん?どうしたんだい?』
「色々あって去勢しようと思うんだけどどう思う?」
『疲れたらいつでも帰って来ていいから、早まったことはやめなさい……。いつでも相談に乗ってあげるから』
「割と本気の相談してるつもりなんだけどなぁ……」