一日の業務を終え、昼間にあったような喧騒も幾らか収まった真夜中のグリフィン基地。
昼間は人の出入りが激しく騒がしかった司令室も今は機材の殆どの電源が落ちて、サーバーを冷却する為のファンの音だけが響くくらいに静寂に包まれている。
殆どの人員が自室で休息をとってる中、物寂しい司令室を利用するのは、この基地において唯一人。その利用者とは指揮官、基地に配属された戦術人形達と共に作戦の立案から実行を行う統括者。
そう普段なら一人。最近は乱入されるパターンもあるような気がするが、夜の時間の司令室は基本的には指揮官の貸し切り状態で、一人でアルコールを嗜む為に利用されているのだが、今日は何とも珍妙な同伴者がいる。
「しきか~ん!」
「ちょ、落ち着け!」
指揮官の頬に赤らんで熱を持った頬を押し付けて擦り合わせているのは、ワインレッドの長髪を一房右側に纏めたヘアスタイルの戦術人形、WA2000。
普段は高飛車な面が強く指揮官に対してはキツイ言動や態度をとったりしているWA2000に何か間違えが起きたのか、今はねこ撫で声で指揮官に頬ずりをしている。
「えへへ~……指揮官のほっぺジョリジョリしてる~」
自分には無い髭の感触が楽しいのか、WA2000の頬は何時の間にか顎にまで到達していて、微かに生えた髭の感触を頬っぺた全体で甘受してる。
「ちょっ……もういいだろ……」
WA2000の肩を押して離れようとする指揮官。しかし、彼女は決して離れようとしない。
「いーやーだー!」
子供の様に駄々を捏ねながら更に強い力で指揮官の首に自分の腕を巻き付けるWA2000。
「指揮官と一緒にいるのー!」
甘えたがりなSOPⅡやG41よりも我儘でタチの悪い駄々っ子に指揮官は疲れた様にため息を吐いた。
誰からも誘われる事も無く、だからと言って誘う事も無く、そして、久しぶりに侵略者が訪れる事も無く、司令室にてファンの音を聞きながら一人のみを堪能していた指揮官であったが、そんな密かな楽しみは数十分で終わりを告げた。
『指揮官、その……少々宜しいでしょうか?』
扉の前から聞こえるのは穏やかな清流のような優しい声色。その声の持ち主が誰であるかは指揮官はよくわかっている。
「どうしたスプリングフィールド?」
グリフィンに所属する戦術人形の一人、スプリングフィールドの声だ。アルコールが入って判断力が鈍り始めてる指揮官ではあるが、酔いが回り始めた位で部下の声がわからなくなるほど頭の回転は鈍って無い。
指揮官はパネルに腰かけるのをやめると、何か問題が起こったのかと首を傾げながらドアの前の認証パネルにふれてロックを解除する。
本日は夜間の遠征は行っていない。なので遠征の報告をしに来たと言う訳では無いのは確か。
緊急事態が発生したら基地中にけたたましい警報が鳴り響く事も身をもって知っている。
だとしたら宿舎に不備でも発生したのだろうか?正直そういう話なら、自分ではどうしようも出来ないので、修理の担当の元に行って欲しいのだが
扉が開ききる前の数舜の間にそんな考えを巡らせながら扉が開ききるのを待つ指揮官。
開ききったドアの向こうに居たのは、困った様に微笑むスプリングフィールドとスプリングフィールドに肩を貸される形で何とか立っている俯き加減のWA2000。
その瞬間、指揮官の顔つきが一瞬で変わる。WA2000に何か異常が起こったのか?まさか、この基地の人員から何かをされたのではないか?
前者なら専門外ではあるが、すべきことは完全に頭の中に入っている。
「WA2000に何か異常があったのか?」
「その……確かに異常と言ったら異常かも知れませんが……」
スプリングフィールドは困った様にはにかみ、はっきりとしない言葉だけを指揮官に返す。
少しでも多く、それでいて早く情報を掴み、次の行動に移したい指揮官ではあるが、今はWA2000の状態について一番よく知っているスプリングフィールドから証言を聞き出すのが先だ。
そう自分に言い聞かせて、WA2000の詳しい状態を改めて聞こうとした指揮官であったが――
「あっ指揮官だー!」
突如顔を上げたWA2000が指揮官の姿を確認すると、テーマパークの着ぐるみに抱き付く子供の様に満面の笑みを浮かべて指揮官に飛びついた。
「ぬわっ……!」
突然の事で反応が遅れたのとアルコールによって若干筋肉が弛緩しているので踏ん張りがつかず、指揮官はWA2000のクッションになる形で倒れてしまった。
「しきかんだー!しきかんだー!」
WA2000は指揮官のことを幼い子供が遊園地のマスコットキャラクターにするかのようにすりすりと頬を寄せている。
「ちょ、これ、どういう事なんだ!?」
「ごめんなさい!さっきまでこの子と一緒に飲んでたんですけどその……指揮官の元に行くと駄々を捏ねて……だから、申し訳ありません!」
スプリングフィールドはひとしきり頭を下げると、逃げるように司令室から去っていった。
部屋に取り残されたのは唖然とする指揮官と相変わらずすり寄るWA2000。
司令室の扉は、このまま帰るのは許さんと言わんばかりに、外からの光を遮断した。
司令室に二人っきりで取り残されてから数十分、相も変わらずWA2000は指揮官のことに抱き付き、マーキングするかのように頬を寄せている。
頬をするのをやめたのかと思えば指揮官の手を取り、まじまじと見つめたかと思えば、スライムにでも触るかのようにクニクニと握って『柔らか~い!』とはしゃぐ子供の様に感想を言って来たリ。
指揮官がわかった事と言えば、彼女の言葉に乗せて漏れる息からアルコールの独特の匂いを感じたので、WA2000が酔ってると言う推測が何となく出来ただけである。
酔って甘えてくると言えば、HK416とUMP45の姿を即座に思い出す指揮官。前者は遠まわしに褒めてくれと言って来たり、後者は唐突に発情期の猫になって語尾に『にゃ』をつけ始めてWA2000の様に顔を寄せて来たり。いや、どっちも発情期のネコだな、というか酔っぱらったほぼ全員発情期のネコだったな、と回想から現実逃避へと移っていると、唐突に頬を抓られ、そのまま力強く外向きに力のベクトルを向けられた。
「私のことをみなさいよ!」
「しゅ、しゅんまへん!」
知らぬ間にWA2000から視線を逸らせていた指揮官の頬を、威嚇をするふぐの様に頬を膨らませて引っ張るWA2000。その怒り顔には、先程までの様な子供の様な好奇心に溢れたモノは無く、素面の時の様な理不尽な物言いをしてくる彼女の面影が残っている。
戦術人形から頬を引っ張られるなど溜まったモノではない。非戦闘時の人間相手の為のオートパワーバランスが作用してるため死に至る程の力の強さは働かない筈なのだが、人形もアルコールを摂取すると、その管制も甘くなるのか物理的に頬が落ちてしまう様な危機感を覚える指揮官。
即座に視線を逸らした事を謝罪すると、WA2000はゆっくりと指揮官の頬を抓った手を離して、力を込めて充血した彼の頬を癒す様に指先で撫でた。
「ごめんね」
アルコールのせいで正常な判断力が弱まったWA2000でもやり過ぎたと感じたのか、怒られることを悟った子供の様に、弱々しい声色で指揮官に謝る。
「いや、別に……」
WA2000に抓られて痛くはあったが、アザになる様な痛みは感じない。現にWA2000が指先に刺激されても、頬が歯に当たる感触を感じるだけで痛さは何もない。
「ごめん……。ごめんなさい指揮官……」
しかし、彼女の謝罪は止まらない。留まらない。まるで堰を切ったかのように、次々と謝罪の句を繋げる。
いつものWA2000ならこんな風に謝ったりせずに、『アンタが悪いのよ』と嫌味を言ってきそうなものでペースを崩されてしまう。
「いい、気にしなくていいから」
いま起きたのは大きな間違いでは無い。今のはただのじゃれ合いであって、間違いですらない。そう考えつつ、WA2000を慰める指揮官であったが、
「ごめんね……。いつも迷惑をかけてばっかりで」
WA2000のその言葉で、彼女がなんでこんなにも謝るのか、何となく理解した。
「私、いつも指揮官に対してキツイ態度をとってるし、指揮官が心配してくれても素直に心配してくれて嬉しいとか、ありがとうとか返せないし……」
それは指揮官もよくわかってる。彼女の態度は、規律に重きを置く組織であれば問題視されるべきもの。現に規律に煩い戦術人形から何度か注意されているのも指揮官は知っている。
「でも、本当は……私、嬉しいの……!指揮官に話しかけて貰ったりとか、心配して貰ったりとか――。この前に私の銃の点検ミスを指摘してくれたのとか、凄く……。でも、それを素直に言葉に出来なくって――」
彼女の武器に傷みを発見したので報告した事もあったが、彼女は『なによ!?私の点検が悪かったって言うの!?』と肩を怒らせて立ち去られてしまうことがあった。
ただ、それが拘りのあるベテランであったら、そんなミスを指摘されてもミスだと認めずに出撃する愚か者も居るだろうが、
「だから、素直に言うにはどうしようって、スプリングフィールドに相談しながら飲んでたら、凄く指揮官に会いたくなって。スプリングフィールドに指揮官の元に連れてきて貰って……」
彼女は案外素直なのだ。その場では、ツッケンドンな態度をとられたが、次の出撃の時は修復していたし、戦闘終了後に囁き声で『悪かったわね』と不器用ながらミスを認めたのだから。
そうWA2000と言う戦術人形は、指揮官からすれば腹の内も読みやすいし、十分素直な部類だ。大抵の場合は、キツイ態度の裏には何があるか読みやすいから。
「ごめん……迷惑よね……ごめんね……」
ポロポロと頭部のCPUを冷却するための疑似涙液を流すWA2000。
今の彼女でも、『君は思ったより素直な子だよ』と言っても、全力で否定するだろうし、それでは変わりたいと思う彼女の意志を無視することになる。その言葉をかけるのも間違いでは無いし、正解かもしれない。だから、指揮官のかける言葉を決めた。
「もっと話さないか、お互いのことを」
「えっ……?」
指揮官の言葉に、思わず疑似涙液を手で拭うのをやめて、彼を見上げるWA2000。視線が合わさった彼は優しく笑んでいた。
「多分、お互いのことを詳しく知らないから、そういう態度になっちゃうんだと思う。だけど、お互いの事を詳しく知れば、その態度にはどんな意味があるかとか、わかってくると思う」
「でも……」
「他人の領域に踏み込むのが下手な人間なんていくらでもいる。WA2000も、そういうモノなんだと思う。だから、もっと話してお互いを知ろう。そうすれば、WA2000も自然と素直な言葉を出せると思う。素直に言葉を出すって言うのは、お互いに素を知り合う事が大事だと思うから」
だから、彼は変われとも、そのままでいて欲しいとも言わない。その代わり、お互いの事をもっと知ろうと言った。お互いの事を知れば、もっと自然に変わることが出来る筈だし、変わらなくても、変れなくても相手の思いがわかれば、それは素直な事と同じだから。
「だから、今からもっと話そう」
「そうすれば、私、素直になれる……?」
「わからない。だけれど、お互いの距離がもっと縮まれば、今よりかはもっと言葉を口に出来る筈だ」
「そう……。そうかも知れないわね……。うん……。話しましょう指揮官!」
赤く腫れた目元を拭い自然と笑顔を浮べるWA2000。その表情を素の時も見たいと思いつつもこれから見れる様にすればいいと思い直して、指揮官は微笑み返す。
それから、WA2000と指揮官は話し合った。好きな食べ物から、好きなこと、休日の過ごし方や世間話。何もかも当たり障りのないモノばかりだが、二人の間には不思議と充足感が漂っていた。
指揮官が持ち寄ったアルコールを二人で飲みながら話し合う二人。時間が過ぎるのを忘れ、ちょっとした話題で盛り上がりついつい話し込んでしまう。
「ははっ、なによそれ!」
「仕方ないだろ、これは私の体験談なんだから……」
武勇伝語りに一区切りをつけた指揮官の目に不意に腕時計の文字盤が納まる。時刻は長針と短針が最後の周回を終える頃合い。
今日はお互いの事をよく話し合えた。また、WA2000と話すきっかけを作って親睦を深めよう。そう決心した指揮官の視界が突如揺らぎ、司令室の灯りと水平になった。
「指揮官」
彼の視界に移る照明を奪うかのように、彼に覆いかぶさるWA2000。
「もっと仲良くなる方法に興味ない?」
舌で唇をなぞって潤わせ、初めてのことを体験する子供ように目を輝かせるWA2000。
その瞬間、何が起こるのか指揮官は遺伝子で察した。
「それ、もっと仲良くする方法じゃない!仲良くなった人たちが仲良くなりすぎる為にするやつだ!!」
「別にいいでしょ。これでお互いの事を知れるなら……ね?」
お互いの事をよく知ろうと言った手前、指揮官は咄嗟に反論を思い浮べる事が出来なかった。
口角を大きく持ち上げて、指揮官の顔との距離を縮めるWA2000。指揮官の唇は、WA2000の燃え上がる様に熱い唇と一つになって融け合った。
翌日、指揮官はずっと目を回していた。
なんでも、昨日、永遠と悪路を走る車に乗る夢を見ていた為、三半規管の調子が変になっているとの事。
WA2000はそんな指揮官の胸倉を掴んでぐわんぐわんと揺らし『忘れなさい!忘れなさいよ!』と壊れたアナウンス用の民生人形の様に連呼し、指揮官を小一時間トイレに引きこもらせたらしい。
指揮官が目を回していた理由。WA2000が指揮官に掴みかかってた理由。それは当事者のみが知ることだろう。
「もしもし、母さん」
『うん?どうしたの?』
「最近、女の人からの攻めっ気が異常に強いんだけど、これどうやって対応したらいいとおも――」
『あっ、はい!ごめんなさい!お母さん急激に大事なお仕事が~~!!』
「母さーーーん!!!!」