一つの塊で1トンは容易に超えるだろう瓦礫が山のように積みあがっている。砂塵が舞い、破壊され尽くしたそこは祭壇の体を為していない。空爆でも受けたようなその場所は、たった二人の少年が殴り合った結果生まれた光景だ。
「君の言うプランとやらを、聞いてみてもいいかな?」
「……いいだろう、フェイト。かいつまんで教えてやる。たいして時間はかからない」
瓦礫の上で、その少年たちが言葉を交わす。体が発光している長髪の少年は己の描いた理想像を語る。その全て、時間にして二分とかからずに語られたその内容を白い短髪の少年はしっかりと自分の精神にインストールした。
「なるほど」
フェイトは一度頷き、そして先ほどまで……ネギと殴り合っていた時までは浮かべていた笑みを完全に消した。
「計画の荒唐無稽さには目をつぶろう」
そして、そう切り出した。
「魔法、そして魔法世界についての情報を公開することでの政治的・経済的混乱、利権の奪い合いなどから生じる問題もうまく調整できると仮定しよう。
およそ10年という制限時間に間に合うか、という点もとりあえず置いておこう。
そのプランでは結局難民問題、民族問題、紛争問題が全く解決されず、メガロメセンブリア以外の魔法世界住人11億超が受けられる、テラフォーミングによって発生する利権の恩恵がゼロであることについても保留しておこうか」
だが。
「これだけ譲っても、それでもまだ問題がある」
「問題?」
「むしろ君にとっては、さっき上げた問題よりもずっと深刻かもしれないね」
「聞いてくれみんな!! 神楽坂を助け出すのが相変わらずゴールだ!!」
円を描く柱の組み合わせから成る球状の安置場。その中心に明日菜は十字架にかけられた罪人のようにくくられている。
そのすぐ横に設置された円形の祭壇に3-Aの面々その他数人、言わばネギの仲間がそろっていた。彼女たちの注目を引きつけ、千雨と栞は現状と為すべきことを説明していく。
「『調』がこちらに協力せず、フェイト様とネギさんがどこにいるかわからない以上、私たちが自力でアスナさんを助け出し、目覚めさせるしかありません!」
彼女らがいる祭壇の周囲はネギとフェイトの戦闘の余波でかつての美しさは欠片も残っていない。地は割れ、溶けた岩がドロドロと流れ、分厚い蒸気が立ちこめている。そのため祭壇から移動することも視界を確保することもできなかった。
「そ、そんなことをさせると……!」
栞の言葉に、明日菜の身柄を守る結界を維持している調が仮契約カードを手にするが、その目の前に高音、佐倉、コレットの三人が立ちふさがる。
「邪魔はさせません」
「……くっ!」
影で編まれた槍の穂先を首筋に当てられ、調は身動きが取れなくなる。千雨たちが明日菜を助ける方法を説明している光景を、忸怩たる思いで眺めることしかできない。
「私のアーティファクトを『グレートグランドマスターキー』に接続してある。みんな手を繋いで……アイツに呼びかけ」
「千雨さん」
しかしいざ呼びかけようというところで、千雨の動きを止める声が聞こえた。
呼ばれ、千雨が振り向くと、そこには最も頼りになるはずの存在がいた。
ネギ・スプリングフィールド。ネギパーティーの中で間違いなく最強の個人戦力の持ち主。
ネギがここにいるということはフェイトの野郎を倒したのか。一瞬そこまで考え笑顔になりかけた千雨の表情筋は、ネギの隣に立つフェイトの姿に凍りついた。
「な、なんでそいつが!?」
出てきて当然の疑問にネギは答えず、俯きがちにただ一言、
「明日菜さんを起こしてはいけません」
「……な、なんでだよ先生」
その意味がとっさには理解できず、千雨は一拍遅れながらもどうにか言葉を返すことができた。自分以外にそれができそうな人間がいなかった。他の生徒たちは古を除けば皆フェイトの姿に足が竦んでしまい、立っていることですらやっとというありさまだ。
「リライトの魔法を見誤っていました」
そんな生徒たちから目を逸らすようにしながらネギは言った。
「今このタイミングで魔法世界の崩壊を防ぎ、鍵を使って世界を元に戻すには、黄昏の姫御子であるアスナ姫を世界の礎としなくてはなりません」
それはつまり、黄昏の姫御子であるアスナ姫を、あるいは2年以上机を並べたクラスメイトである神楽坂明日菜を、100年以上封印しなくてはならないということだ。
そしてその100年の間に、明日菜という人格は摩耗消滅してしまう。
鍵さえあればなんのリスクもなく世界は元に戻ると考えていたが、それはあまりにも楽観的過ぎる憶測であったと、ネギは血の出るような悔恨とともに告げた。
「つまり、神楽坂の人格を殺して魔法世界を救うか、魔法世界を消してから安全に神楽坂を起こすかってことか」
「そんな、」
生徒の中の誰かが、おそらく木乃香あたりの呟きが聞こえた。
「じゃあ先生は、私たちにここで世界が崩壊していく様を見てろと?」
「いえ。ポニョさんに言えば、僕たちはすぐにでも地球に帰ることができるでしょう」
「そういう話じゃねえよ! 魔法世界を見捨てて、12億人を切り捨てて、日常に戻れっつーのかよ!? てめー自分が何言ってんのかわかってんのか!」
ネギの胸倉をつかむ千雨。どれだけ強くなろうとその体は十歳の矮躯でしかなく、千雨の細腕でも、されるがままのネギを持ち上げることができた。千雨の剣幕に、隣にいた木乃香が駆けより千雨をなだめようと肩に手をかける。ネギは顔を俯けたままぽつりと、
「わからないです」
「わかんねーって、ぁあ!?」
「だって、しょうがないじゃないですか。ずっとお世話になっていました、慰めてくれました。時には添い寝だってしてくれて、励ましてくれた。僕のために怒って、泣いて、笑ってくれた。そんな人を犠牲にする選択肢なんて、選べるわけないじゃないですか!」
「それは、そうだけどよ! 他に手はねーのかよ! あんた天才だろ!? 英雄の息子だろ! あんだけ自信満々に『止める手立てがある』なんて啖呵きっといてなんだよそれ! 私たちはあんたの言葉を信じてここまで死ぬ思いで来たのに! こんな時に泣いてんじゃねーよ!」
「あまり責めるな、君。少年はまだ10歳なのだから」
「うるせーよ今話し、て……?」
そこには、絶望が集っていた。
先にネギとフェイトが倒したはずのニセフェイトたち、デュナミス、ラカンの見せた映像にあったかつて紅き翼と闘っていた面々に1番2番のフェイトなど。まさに悪の組織のオールスターの集合であった。
下半身を斬り飛ばされたはずのデュナミスが、敵であるはずのネギに向かって不自然なほど優しい声をかける。
「選ぶことができないという者に無理に選択を強いることはないだろう。少年は何も選ばず、何もしなくていい。ただ黙って見ていれば、それで全ては終わる。大丈夫。世界を滅ぼすのは少年ではない、悪の組織である我々だ。そして少女よ」
今度は千雨へと視線を向ける。それだけの動作で千雨の体はビクリと反応し、ネギの体を地面へと下ろした。
「その少年にとって『神楽坂明日菜』という疑似人格は家族のようなものだったのだろう? 情の移った疑似人格の為に、見知らぬ幻を見捨てるという、感情を持つ人間なら当然の判断ではないかな?」
千雨は、子豚の授業の話を思い出した。
一年間名前までつけて育てた子豚を捌くことは抵抗があるが、どこかの屠殺場で解体した豚でできたトンカツは何の躊躇もなく食べられる。別に千雨が神楽坂明日菜という少女を動物として見ているわけではないが。だがその存在が人の手によって生まれたものであるという点では、もしかしたら家畜も魔法世界人も疑似人格も、同じなのかもしれなかった。
さらに2番が皮肉気というにはあまりに歪みきった笑みと共に言葉を叩きつける。
「旧世界の大人たちには口裏合わせてこう言えばいい! 『一生懸命頑張りましたが、敵が強くて世界の崩壊を防げませんでしたごめんなさい』とな! ハハハ、なに子供の君たちに本気で期待している大人などいやしないのだ、気にすることはない!」
「黙って、2番」
「は? ……3番、貴様!」
2番の言葉を遮って、フェイトがネギの前へと進む。その背に向けて右手を向けた2番であったが、デュナミスに咎められ歯ぎしりを鳴らしながら矛を収めた。
「ネギ君」
カツン、と靴の音を響かせて、ネギの顔を覗き込むようにフェイトが額がぶつかるほどの距離まで接近した。千雨はつい一歩下がる。それでも、胸倉をつかむ右手は離さなかった。離すべきではない、いま離してしまえばネギは壊れてしまうと、そんな予感があった。
「君の今までの頑張りは、神楽坂明日菜を助けるためだろう? 彼女を救うために自分がどうするべきかを考えればいい。
いつか聞いた問いを今改めて聞こう。ネギ君、君は幻想の世界の為に仲間を犠牲にするのかい?」
「……僕は、」
口ごもる。答えられないのだろう、と千雨は思う。誰も犠牲にしないと、宿敵であるフェイトですら殺さずに全てを解決するのだと叫んだ子供に、どちらを犠牲にするか選ぶなんてできるはずがないのだ。さっきはつい感情的になって叫んでしまったが、デュナミスの言うとおりこれは仕方のないことなのかもしれなかった。
「ふざけんじゃないわよ!」
その叫びは、その場にいた全ての視線を集めた。上。
祭壇に封じられていたはずの明日菜が、破魔の大剣を振りかぶり、ネギとフェイトを引き離す位置に飛び込んできたのだ。
「あああっ!」
喉が裂けんばかりに吐き出された気合いと共に振るわれる横薙ぎの一閃に、フェイトは迷わず回避を選んだ。黄昏の姫御子の体質を体現した、魔法無効化のアーティファクト『ハマノツルギ』。これをもって振るわれる斬撃は自分の持つ障壁など何の意味ももたない。防御などしようとすればその防御ごと斬り伏せられるだろう。しかもその斬撃の鋭さは以前の比ではない。おそらくアスナとしての記憶を取り戻したためだろう、最強の枠に十分以上収まる剣の腕を明日菜は思いだしていた。
「あ、すなさん……?」
「こぉんの……バカネギ!」
「あぶろっ!?」
「お、おい神楽坂!?」
振りかえりざまの明日菜のチョップを、彼女の復活に呆然としていたネギは避けることができなかった。脳天を抑えてネギが明日菜を見ると、彼女は釣り眼気味なその両目をさらに釣り上げてネギを睨んでいた。
「何考えてんのよあんた! 言ったじゃない、魔法世界の人たちだって皆大切なんだって! なにをうじうじ悩んで、挙句に選べないって……バカ!」
明日菜から捲し立てられる言葉の群れにネギと千雨は目を見開いた。
「現状を、把握しているんですか?」
「……うん。聞こえてた。千雨ちゃんのアーティファクトのおかげでね。あんたのうじうじした声も、考えていることも全部……バカ!」
「え」
今千雨は、『力の王笏』と『グレートグランドマスターキー』を接続して、明日菜に呼びかけようとしていたところだったのだ。クラスメイトたちの明日菜への思い、あるいはその精神データは『力の王笏』によってデジタル信号として処理され、『グレートグランドマスターキー』を経由して明日菜に届けられていた。その信号の中には、千雨に胸倉を掴まれていたネギの精神データも当然含まれていた。
「で、でも今からリライトをキャンセルして世界を元に戻すには明日菜さんが礎にならないといけないんですよ!? それには100年の眠りにつかないといけなくて、そんな長い期間明日菜さんの人格がもつはずないんです、つまり死ぬってことなんですよ!?」
「大丈夫!」
大丈夫。それは明日菜が以前も口にした言葉で、アスナとしての記憶を取り戻してもそこは変わらないらしい。
「な、なにが」
「私は消える気なんかない。絶対また会える。私を信じて!」
無根拠で、理論もなく、でも自信にあふれていて聞いた者を安心させる。まるで魔法のような言葉だと千雨は思った。
というか、百年分の記憶を取り戻しても変化しない疑似人格ってことは、もしかしたら本当に百年の封印も耐えられるのではないか。そんなことを千雨は思った。明日菜の『大丈夫』に引きずられているのか、こっちまで思考がポジティブになった気がする。
だが、それじゃあこのガキは納得しねーんだよなと、千雨はネギをちらりと伺った。
「でも!」
「そんなことより、あんたはやんなきゃいけないことがあるでしょ」
「え」
しかしそのネギの反論を、明日菜はさらに言葉を重ねることで封殺した。
「世界を平和にすんのよ」
「世界を、平和に?」
「そうよ。世界を背負うんでしょ? ナギの跡を継いで。私が目覚める100年後までに、世界を平和にしときなさい。それができて初めてナギを超えたことになるんじゃないの?」
「え、う」
最後に一度明日菜は頬笑み、ネギの頭を撫で、そして高らかに詠唱を始めた。
――造物主の掟最後の鍵
我黄昏の姫御子 創造主の娘 始祖アマテルが末裔――
創造と再生を担うその詠唱は厳かに、そして染みるように魔法世界へと浸透していく。完全なる世界へと捉えられた魂が一つ、また一つと元の世界へと再構築されていく。『ハマノツルギ』と『グレートグランドマスターキー』を両手に携え、世界を構築する元となる魔力と共に舞う姿は、神聖にして不可侵な、神を祭る神楽の儀を思わせた。
「駄目です明日菜さん!」
「させん!」
突然始まった詠唱にネギが叫んだ。が、それ以上のことは何もできなかった。千雨に服を掴まれていたというのもあるが、既に自分は選択することを放棄したという後ろめたさが、彼から行動力と決断力を削ぎ落していた。
2番たちも慌てて明日菜に飛びかかった。彼らはあまりにも急な展開に、アスナという存在の重要さに、そして『ハマノツルギ』の危険さに行動を起こせなかったのだ。だが行動に入れば彼らは早い。特に2番と5番は雷化のスキルを保持している。詠唱が終わるまでに容易くアスナの意識を奪い、再儀式を行って祭壇に戻せる。問題はリライト発動までの時間だけであるはずだった。
しかし。
「ぐ、あ……!?」
明日菜を止めようとするフェイトたちがいきなり倒れた。
「な、なんだこれは! 力が、魔力が抜けていく! ……ま、まさか主が? あ、ああ、ぐああ!」
一堂に会していた新旧の幹部たちの体が、石化し砕けていく。そうしている間にも明日菜の詠唱は続き、そして終えた。
――世界を元に――
「なぜだ、なぜだ主よ! リライトは、魔法世界の救済はあなたの悲願ではなかったのか!」
叫びながら、2番はあることに気付く。
「そ、そうか……あの男、奴か! 奴が主の意識を、ああああああ! なんという理不尽な存在だ! くそう! ふざけやがってたかが人間風情が! 貴様さえ、貴様さえ存在していなければ、世界は救われていたはずなのにいいいい!」
壮絶な断末魔をあげながら2番が、そして他の幹部たちも崩れていく。
フェイトたちの原型がほぼなくなって周囲の瓦礫と区別がつかなくなった頃、その中心から黒い人影が現れた。
その威圧感。魔力を全く持たない千雨ですら、あのフェイトたちと比してもなお別格と感じられるその存在。警戒することもできない。しても無駄だと本能が告げている。その黒いローブの前で、千雨は、他のメンバーは、身じろぎひとつとることができなかった。
フードが外れる。暗い影に隠されていたその相貌が明るみに出る。
そこから現れたのは、かつての英雄にしてネギの父。ナギ・スプリングフィールドのものであった。
「と、うさん?」
ナギは無言のまま、明日菜へとゆっくり近づいていく。人と、その他の動植物全ての再生を終えた明日菜は、なんの躊躇も見せずにナギの手をとった。二人の体はどちらも塵と化しつつある。フェイトたちと違うのは、二人の意志でどこにでも自分の体を再構成できることだ。おそらく二人はこれから墓守人の宮殿の最深部で体を戻し、長い眠りにつくことになるのだろう。
「まって……待ってください、明日菜さん」
ナギと手をつないだ明日菜は、塵になりながらネギに振りかえる。
その顔に不安の色は何もない。自分が消えてしまうなど欠片も思っていない。ネギが世界を平和にしてくれると信じていて、だからこそ自分が眠りにつく価値があるのだと、その自信に満ちた瞳が言っている。
「私が目覚めたとき、平和になってなかったら承知しないからね!」
最後まで笑いながら明日菜が消えた。
伸ばされたネギの手は虚空を掴み、手のひらには何も残っていなかった。
「あ、うあぁ……ぁ」
がくり、とネギの膝から力が抜けた。膝をつき、何も映さない瞳を空に映る麻帆良学園に向ける。
約束したのに。
あの少女を守ると。
ラカンとの約束であり、父が守れず、守りたいと願った少女を、自分もまた守りたいと思った。
それは、ネギ自身が自らの胸に刻んだ誓いだったのに。
慟哭と共に流れる涙は、いつまでも枯れることはなかった。
言葉にできぬ後悔の中で、ネギは父に、ラカンに、クラスメイトに、そして何より明日菜自身に向かって、ただひたすらに詫び続けた。
その後、オスティアではクルトの指揮の元で表彰式典が執り行われた。
多くの魔法世界の住人が集まり、その全員が世界を救った英雄の登場を待ち焦がれている。誰もが自分たちの生還を喜び、新たな英雄を祝福している。
だが、耳をつんざく歓声もネギには届かない。まるで機械のように、今のネギはクルトの指示に従うだけだ。
英雄を讃えるクルトの紹介も、あまりにも虚しくネギの心に響いた。