長谷川千雨の約束   作:Una

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第十話 ライアー・ライアー

 魔法世界において、そこはある種の禁忌であった。

 廃都オスティア。一般人からすれば数多の民が犠牲になった、錯乱した王女による国土崩壊テロの中心地であり。事情を知るメガロメセンブリア上層部からすれば『赤き翼』に弱みを握られた挙句歯牙にもかけられず一蹴された、屈辱の汚点の象徴である。どちらにとっても会話に登らせることすら厭う土地である。だから、潜伏するにはこれ以上ない土地であるとも言える。

 オスティアの中心にそびえ立つ墓守人の宮殿。その最上階のかつてはダンスホールとして使われた空間。その中央に鎮座されている円卓にて、『完全なる世界』の面々のほとんどが顔を揃えていた。

 

「黄昏の姫御子の代理品、か」

 

 デュナミスが思案げに呟く。フェイトの説明を聞き、その場にいる全員が疑問を抱いている。それを代表してデュナミスが問う。

 

「使い物になるのか、それは」

「栞さんに確認してもらったよ」

「は、はい」

 

 フェイトの隣に座っていた栞が答える。

 

「彼女のアーティファクト『力の王笏』は、電子精霊を自在に操作するものです。それを用いればあらゆる魔法の術式に干渉・編集ができるようでして。彼女が言った『グレートグランドマスターキーがあれば世界再編魔法も実行できる』という言葉も信憑性が高いです」

「電子精霊、とは雷属性の精霊とは違うのか?」

「違うようです。具体的な話はちょっと、彼女の記憶でも専門用語が多くて私には理解しきれるものではなく。そのスペック的には、あの」

 

 言い淀む栞に代わりフェイトが、

 

「スペック的には、僕の精神を一瞬で機能不全に落とすほど、だよ」

 

 フェイトの言葉に皆驚きの声をあげるが、この事実を知った時の驚きが最も大きかったのは栞であった。フェイトの精神には『造物主』によって施された精神防壁が施されており、『魅了』や『傀儡』といった精神操作系の魔法はおろか、読心能力を持つ自分や姉ですらどれだけ頑張ってもその内面を覗くことができなかったのだ。それを一瞬で突破し操作するなど普通では考えられない。

 

「テルティウムよ、貴様が今正常に機能している保証はあるのか?」

「それは、今の僕が長谷川千雨に操作されている可能性を言っているのかな」

「操作までいかなくとも、何かしら思考に偏向がかかるようになっている可能性もあるだろう」

 

 は、とフェイトの従者である少女たちがフェイトを見る。全員がフェイトを案じる目を向けている。それらを受けてフェイトは若干の居心地の悪さを感じた。

 

「…………自己診断機能によれば問題はない、はずだけど」

「診断機能自体が編集されている可能性もあるな。後でメンテナンスを受けろ。おい耳娘よ」

 

 栞のことである。ちなみにデュナミスは暦を猫、焔をツインテなど身体的特徴で呼称することが多い。

 

「は、はいデュナミス様」

「件の長谷川千雨の記憶ではそこのところはどうなのだ?」

「えっと、一度意識を落としただけで、こちらの信頼を下げるようなことはしない、という意思はありました」

「では問題ない、ということか?」

「た、ただ」

 

 栞は僅かに言い淀んでから、意を決したように口を開く。

 

「彼女の内面には色々と不可解なところがあるんです。彼女が『千の呪文の男』の息子に執着する理由がわからない、とか」

 

 長谷川千雨とネギ・スプリングフィールドの接点は、一度部屋に侵入されてコスプレのまま屋外に連れ出されて全裸に剥かれたくらいである。自分が彼女の立場であれば間違いなく焔に頼んであの少年の眼球を焼いてもらうだろうと栞は思う。にも関わらず長谷川千雨は、その後『闇の福音』を敵に回してあの少年を庇っている。

 

「あと…………」

「なんだ?」

「あ、い、いえ。なんでもないです」

 

 栞は続きを口にしなかった。

 栞が千雨の心に触れて何よりおかしいと感じたのはその精神である。

 ノイズが全くない、全ての記憶が整然としすぎている。感情に至っては、栞自身なんと表現すれば良いのか戸惑うところであるが、あえて言語に変換するなら『角ばっている』と表現するのが一番近い。

 どんな人でも感情は波のようなもので、常になだらかな変化をする。対して千雨の感情は段階的で、凹凸がはっきりしすぎていて、その凹凸を限りなく小さくすることで人の精神を再現しているような、今までに栞が見たことのない動きをしていて…………気持ち悪い、と栞は思ったのだ。吐き気が臓腑からこみ上げるほどに。

 まるで人間の真似をするゴーレムのよう、と栞は思うのだが、それをフェイトの前で言うことはできなかった。人工物という点ではフェイトも同様であり、それを否定するようなことを口にすることは自分で許せなかった。

 デュナミスは栞の煩悶を気にした風もなく話を進める。

 

「英雄の息子との繋がりは分からなくとも、能力的には問題ないということでいいのだな? 黄昏の姫御子が見つからず、タイムリミットが迫っている以上、あのメガネの少女で妥協する選択肢も現実的と言えるのではないか」

「も、もちろん監視を付けてですよね?」

「鵬法璽を使っているのだろう? であれば監視は不要ではないか、ただでさえ我らは人手不足だ。定期的に進捗を確認すれば十分だろう」

 

 まずいかも、と栞は焦る。

 鵬法璽をごまかす方法があるかもしれない。

 あの長谷川千雨という少女が彼女自身の精神を操作して、栞の読心能力をごまかしている可能性があるのだ。

 例えば栞が持つアーティファクト『偸生の符』は、他者の精神をコピーし術者の精神に貼り付ける能力を持つ。

 陰陽道では式神に自身の精神の劣化コピーを貼り付け、オート機能を付加するといった技術がある。栞のアーティファクトはその発展系とも言えるがしかし、陰陽道とは違い、異なる人格を自身に貼り付ける技術では、それを解除する主人格が上書きされ一生元に戻らない危険性や、二つの人格および感情が混同して最悪精神が崩壊してしまう恐れがある。

 一つの体に複数の人格を持つことは非常に危険なのだ。

 そのため、魔法世界ではそういった『人格の添付』などのような、精神の基幹部分を直接編集するような魔法の研究は禁止され、その資料は封印されている。

 フェイトとともに極秘に開発した『偸生の符』にも、二つの精神に同時に強い揺らぎ──例えば怒りや絶望、恋愛感情など──が生まれた時、それらが混合される前に自動で解除されるようセーフティがかけられている。

 長谷川千雨が精神を偽装する技術を持っている可能性は、ある。

 しかし、これらは全て栞の憶測に過ぎない。繰り返しになるが異なる精神を一つの体に収めることは非常に危険で、資料も少なく、実行する人間が存在するなど常識的に考えてありえないのだ。精神の動きが吐き気を催すほど気持ち悪いから鵬法璽をごまかせるかも、ではあまりに根拠が薄すぎて、デュナミスやフェイトの前で口にするのは憚られた。

 

「いえいえいえ、契約で縛られていたとしてもモチベーションの違いがクオリティに直結してしまうじゃないですか」

「『完全なる世界』に移行させるのにクオリティもなにもないだろう」

「世界の在り方を左右する最終工程ですよ? そこを部外者に任せっぱなしなんて不安ではないですか」

「…………まあ、そう言われればそうだな」

「ですよね! でしたら、わ、私が監視します!」

 

 今は焔に長谷川千雨の監視が任されている。何か不穏な動きをした場合、ただ思うだけで対象を焼き尽くすことができる彼女が監視として最適であるためだ。ただそれでは後手に回る可能性がある。何かの企みに対して先手を取れるのは思考を読み取れる栞しかいないし、千雨の精神の特異さに関して確信が持てたらフェイトに報告しよう、それまでは自分が監視をしようと栞は決めた。

 

「ど、どうしたにゃ栞。さっきからやる気まんまんで」

「そ、それはそうですよ、やる気に満ち溢れてますよ、むしろ暦はやる気ないのですか?」

「いやもちろん私もやる気あるにゃ! でも栞のはなんか…………痛い」

 

 痛い!? と愕然とする栞をスルーしてフェイトが、

 

「それじゃあ栞さん、彼女の監視をよろしく」

「は、はいわかりましたフェイト様」

 

 フェイトの中には一つの懸念がある。魔法具を使って魂を縛ったとして、もし彼女がアーウェルンクスシリーズと同じであるなら、という可能性。

 

 ──種族はまああんたと似たようなもんだ

 

 軽口のように彼女は言っていた。あれが真実だとすれば、彼女に契約魔法など、魂レベルの契約でも意味はない。例えば自分であれば、あの程度の契約ならアンインストールが可能だからだ。

 

「僕らにはもはや彼女に頼る以外の手段がなくなりつつある。もちろん本物の『黄昏の姫御子』の捜索も同時に進めるけれど期待はできない。彼女がなにかを企んでいたとしても、その企みの裏をかいて目的を達成するしかない」

「計画に支障がなければ放置でも構わん。たしかにメガネの目的やその手段を知ることができるならそれに越したことはないが、今優先すべきは『黄昏の姫御子』の確保と、ゲートポート破壊の工作だ」

 

 デュナミスの中での千雨の呼称は『メガネ』に決まったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ダイオラマ魔法球、ですか」

「そうだ、ここで修行をつけてやる」

 

 ネギは現在エヴァンジェリン宅の地下にいた。薄暗い地下室で自ら発光する、巨大なボトルシップ。中には帆船ではなく、まるでリゾートビーチに建てられた貴族の別荘のような、精巧な宮殿の模型が収められている。

 もちろん単なる模型ではない。

 ネギとエヴァンジェリン、そして彼女の従者である茶々丸の三人が、その城のような別荘の中にいた。

 

「これがあの模型の中なんて」

「この中は異界になっていてな。時間の流れも外界とは異なる、完全に遮断された別世界だ。こういった異界の時間密度は中の魔力密度に比例するわけだが、これの場合は外の24倍、中の1日が外の一時間程度にしかならん」

「なるほど、ここなら24倍の速さで修行が進むわけですね」

「代わりに24倍の速さで老けるがな」

 

 あ、とネギが呟いた。

 

「もしかしてタカミチが老け…………おじ…………えっと」

「老け顔と言っていいぞ。その通り、あいつもここでかなり修行していてな、戸籍上の年齢より実際はだいぶ年いってるぞ」

 

 気を扱う分老化は遅れるが、とエヴァンジェリンは付け足す。

 

「ちなみに、一度入れば中で一日経過しなければ外に出られん。それで、何時から何時まで使用するか予定を立てるか。貴様は教師として仕事をする必要があるからな。夜8時以降か? 次の朝6時まで10時間と見れば」

「いえ、それには及びません」

 

 ん? とエヴァンジェリンは振り向き眉をひそめた。

 

「授業は僕の精神をコピーした式神に行ってもらいます。本体である僕自身は修行を担当するということで」

「…………中に入れば外界と遮断される。式神の操作はできなくなるが」

「教えるだけならオートでいけます。多少バカになりますが、そこは術式を多層化させて分業させればなんとかなるかと」

 

 ふむ、とエヴァンジェリンは少し思案し、

 

「それならば無休で修行をつけられるな」

「いえマスターは授業に出てくださいよ、まだ学生でしょう」

「あ? 今更なにを言っている、中学三年生などもう5度目だぞ、そんな無駄なことする必要などあるか」

「だめです、僕は教師でもあるので、サボりは認められません」

「貴様はサボるのだろうが」

「いえ? ちゃんと生徒を導き教え、事務仕事だってこなしますよ、僕のコピーが。カモ君も付けていますし、滞りなく職務を遂行してくれるでしょう」

 

 ぐぬ、とエヴァンジェリンは口ごもる。

 

「私がいない間貴様はなにをするつもりだ? 組手ならまあ相手はいないことはないが」

「マスターがいない間は自分なりに術式の開発を進めるつもりです」

「開発ぅ?」

 

 なんのこっちゃ、とエヴァンジェリンは首を捻る。十歳にも満たない子供が新たな術式を開発できるほど魔法の歴史は浅くない。

 本来は。

 しかし今エヴァンジェリンの前にいるのはネギ・スプリングフィールドである。あらゆる世界線で英雄に、あるいは世界を滅ぼす魔王に至る存在である。

 

「まずはこれをうまく使う方法を考えようと思ってます」

 

 ネギは言いながら懐から一枚の紙を取り出した。陰陽五行を刻んでいる札である。それに魔力を通し、一言二言ぼそぼそと唱えた。呪術の造詣に乏しいエヴァンジェリンにはそれがどのような意味かはわからなかったが、それによって引き起こされた現象を見てその言葉の意義は一目瞭然だった。

 札が輝き、それを媒体として中から飛び出てきたのは、雲を突くような巨人。大きな水の音とともに着地した、ただそれだけで地は激しく揺れ、浜に大きな波が押し寄せる。

 京都でネギが長谷川千雨とともに肉体を破壊したはずの飛騨の鬼神、両面宿儺である。

 

「ぼーや、これを調伏したのか!?」

「はい。調伏し、魂を召喚符に封じました。京都の封印の解除にはこのかさんの膨大な魔力が必要だったようですが、存在を維持するにはそれほどの魔力は必要ないようです」

 

 エヴァンジェリンは半分呆れて両面宿儺を見上げ、一つ気づいた。

 

「維持だけか? 使役するには至っていないのか」

「はい。これではただの巨大な『気』の塊です」

 

 ネギは先の札を鬼神に向けかざす。それだけで鬼神は札に吸い込まれ消えた。

 

「フェイトと対決する可能性がある以上、やつと渡り合えるだけの力を身につけなくてはなりません。それには魔法を交えた戦闘技術を習得し僕自身を強化することはもちろんですが、同時に抜本的な戦力の増強が必要です。これはそれを実現させるための手段の一つ」

 

 戦力の増強、と聞けばまず思いつくのは仮契約である。従者を増やし、前衛を任せながら主人側は後方から大魔法を打ち込むというのが定石である。または近接戦闘と魔法攻撃を同時にこなす魔法剣士型の戦い方もあるが、それだって従者に自分の戦闘を補助させるのが一般的だ。

 

「ぼーや、お前従者をつくる気はないのか?」

「ありません」

 

 ネギは全くためらいを見せずに首を振った。

 

「フェイトのような危険人物を敵に回す可能性が高いんです。気軽に巻き込むわけにはいきません」

 

 ネギの脳裏に過るのは、自身を守るために石になるスタン老。そして、自分を庇って石の槍に貫かれ、湖に沈んでいく千雨。この二者の姿だ。

 

「関西呪術協会の本山を落とし、長を一蹴する実力。石化など、扱う魔法の殺傷力。少なくとも一般人を従者にすることはできません。僕は一人で、強くならなければならないんです」

 

 ネギからどんどん負の気配が増していく。瞳に宿る闇はさらに深く、あたりにばら撒かれるネギの魔力は大気を汚染するスモッグさながらに重く禍々しい。常人であれば呼吸も苦しくなるような濁り方だ。

 そんな魔力の奔流を正面から受け、エヴァンジェリンは笑みを深めた。ネギの適正を見出したからだ。もしやすれば、このぼーやは我が秘術を継承するに値する、と。

 本来ならこんなことは思いつきもしなかっただろう。しかし最近、自身の古い日記を読み返すような経験をしたのだ。長谷川千雨。紛いなりにも再現された、かつて思い描きながらも挫折した魔法技術。かつて生存のためにがむしゃらに求めた力。あれに再び挑戦するもよし、ぼーやに課題として与えるもよし。どちらにせよ、まずは目の前で闇に沈みつつある英雄の息子にあれを教えてやるべきだ。

 かつての自分のようなひたむきさで力を求めるこのぼーやになら、くれてやるのも悪くない。

 

「ぼーや」

 

 その顔に浮かぶ表情は、笑みと呼ぶにはあまりにも歪んでいる。おとぎ話に出てくる悪い魔女さながらだ。

 もし見込み違いで死んでしまったり怪物に堕ちてしまっても、まあそれはそれだ。

 

「貴様に最適な魔法がある。一人で戦うために私が編み出した技法だ」

「なんでしょうか」

「『闇の魔法』といってな。習得には命を賭ける必要があるが、どうする?」

「やります」

 

 ネギは即答で、魔女との契約に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 失敗したのか、と千雨は後悔した。

 自身が持つ14歳当時の本物の記憶と、未来技術で作られた人工知能で構成した人造人格であったが、やはり即席であったためか。この栞という少女は、自分の心理を読んでいる間ずっと顔色が悪かった。たまに口を抑えて嘔吐を抑えるような仕草にちょっとどころではないショックを受けたのだが、そんなことよりなぜ尋常ではない反応をされるのか、の方が重要であって。

 人造人格の裏で考えた結果、やはり栞の不調は人造人格の不具合を読み取ったからではないか、という結論に至った。

 しかしだからといって何か対策が建てられるわけでもない。千雨は依然として、人造人格の防壁の裏側から、長谷川千雨型に実体化されている体を操作している。

 鵬法璽での契約を終えて、香港のゲートを通り、墓守人の宮殿の一室で待たされた後、千雨はデュナミスと対面している。ちなみに、千雨のとなりに座った栞には再び左手を握られ、真後ろで仁王立ちで腕を組んでいる焔にはそのツリ目でギンギンに睨みつけられている。銃口を突きつけられている気分になる。焔の能力をまだここでは聞いていないので、ビビる様子を見せるわけにはいかないのがさらにきつい。

 

「フェイトはどうした、んですか?」

「様を付けろデコスケ野郎」

「ちょ、焔」

「奴は調整を受けている。少し不具合がおきてな」

「ふうん? あいつでも体調悪い時とかあるんですね」

 

 後ろのツインテールが機嫌悪いのはそのせいかと一人納得している千雨を、デュナミスの仮面越しの視線が射抜く。やはり探られているのか、と千雨は喉を鳴らした。

 

「…………これが貴様が注文していた、ネギ・スプリングフィールドに害を為す可能性のある存在のリストだ」

「どうも」

 

 テーブルを滑らせて渡された紙束に千雨は空いている右手を使ってさっそく目を通す。情報は精神に直接書き込めるため、一瞬見れば十分なのだが、さすがにそれだけで突っ返しては怪しまれるので、邪魔にはなるが目を通した後そのままゲートポートの売店で買ったショルダーバックに突っ込んだ。

 

「それで、計画はいつ頃から始めるんです? 私としては出来るだけ早く始めて欲しいところなんですが」

「無論そのつもりで計画は進めているが、貴様には何か急がねばならない事情でもあるのか?」

「…………地球の暦でいうところの6月中旬までには計画を終わらせたいんですけど」

「なぜだ」

 

 千雨は黙った。

 中旬の終わり。6月20日。

 それは忘れもしない、麻帆良祭が始まる日である。

 それまでにこの魔法世界を電力依存の世界に書き換えて、麻帆良への魔力の流れを根本から絶つ。火星から魔力を全て排除する。そうすれば、世界樹に溜まる魔力を利用した超の認識改変魔法による計画は頓挫するだろう。が、それをどこまで言うべきかを一瞬迷って、

 

「言う気がないのならよい」

「え」

「興味もない。どうせ、今月中に計画の第一段階は実行される。黄昏の姫御子の代理が見つかったのだ、計画を進めるのは当然だろう」

 

 どういうことだ、と千雨は内心首を傾げた。自分が心を読まれることを拒んでいることは向こうも気づいているはず。それならもっと交渉や尋問でこちらの目的や正体に関する情報を引き出そうとしてくるだろうと予想していた。

 それがないということは、可能性は三つ。一つは今デュナミスが言っていたように興味がない。二つ目は読心を遮っていることがバレていない。三つ目は、全て分かった上で泳がされている。どれかを判断するだけの材料は揃っていない。

 

「なにする予定なんですか?」

「まずは世界中に12箇所あるゲートを破壊する。そうすることで旧世界側からの援軍を遮断させ、またゲートから旧世界へと流出していた魔力を、ここの地下にある休眠状態のゲートに集中させる」

 

 魔力は濃度の高い方から低い方へと濃度勾配に従って拡散する。旧世界、つまりは地球よりも、全てが幻想で作られている魔法世界のほうが魔力濃度は圧倒的に高い。ゲートを破壊していけば、魔法世界全体に散っていた魔力は唯一の出口となった旧オスティアのゲートに殺到することになる。

 

「工作にも時間がかかるからな、実行するのはおよそ2週間後、詳しくは追って連絡する。では耳娘、世話は任せる」

 

 そう言って席を立ったデュナミスと、その後を追う焔の後ろ姿を見送り、千雨はわずかに混乱した。

 …………もしかして、バレてない? 二つ目? 

 

「あの、ハセガワチサメさん」

 

 声はすぐ隣から。そういえばいたんだった、というか手をずっと握られていたのだった。

 栞は千雨に視線を向けず、俯いた状態で声をかけてきた。

 

「あなたにお聞きしたいことがあります」

「い、いやそれはいいんだけどさ、顔色悪いぞ、大丈夫か」

「…………あなたのせいなんですけどね」

「マジかよ私の体臭そんなにキツい? じゃあ風呂入るから手ぇ離してくれ。めっちゃ体洗ってくるから」

 

 やはりそうなのか、と思いながら千雨は栞の読心から逃れるため軽口を叩くが、栞の指は逆に千雨の手を握る力を強めた。

 

「あなたは何者ですか」

「長谷川千雨、14歳」

「あなたの精神は、一体なんですか。どのような生まれならそんな形になるんですか」

 

 どんな形だよ、と千雨は思う。そんな抽象的な話をされたって答えようがない。

 それが栞にも分かったのだろう。自分の感覚を言語化できない歯がゆさに小さく唸り声をあげている。

 そして、顔を上げた。まっすぐに、至近距離から見つめられる。涙の滲む瞳に見据えられて、精神の奥底に展開した電脳空間で千雨はわずかに怯んだ。もちろんそれを体に反映させたりしないが。

 

「私は」

「ん?」

「私たちは、あなたを信じていいんですか?」

 

 余計な反応をしないようにと意識しすぎて、千雨は体の動きを一切停止させてしまった。それは逆に、今の状態に心底驚いているかのような挙動だった。

 

「あなたが心を隠しているのはわかります。でも、それを知っているのは私だけです。ほかの誰にも言っていません。それは、あなたが世界再編魔法を実行できる能力を持っているのは事実だから」

 

 栞は一瞬目を逸らしそうになるのを耐え、千雨の瞳を正面から直視し続ける。

 そこから少しでも千雨の心を読み取ろうとしているかのように。

 

「もしあなたが本当に世界を変えてくれるつもりで、心を隠すのは全然別の理由であったら、フェイト様やデュナミス様と、いえ他のどのメンバーとも、対立させてしまうようなことを言いふらしても、全く意味がないどころか、黄昏の姫御子が見つからない以上計画の頓挫に繋がる」

 

 逆に、と栞は唇を食いしばった。

 

「逆にあなたが鵬法璽の契約すらごまかせる術を持っていて、私たちをただ利用するだけで、世界再編魔法を行うつもりがないんだとしたら」

 

 栞の唇が震えた。

 

「わからないんです。誰にも相談できないんです。相談したせいで、もしかしたら世界再編の唯一の手段であるあなたを失ってしまうかも、なんて思うと」

 

 栞の両手で左手を包まれ、まるで祈るかのように、最後には頬に涙をこぼしながら栞は叫ぶように告げた。

 

「お願いですハセガワチサメさん。どうか約束してください。世界を救うって。もうこの世界に悲劇を生み出さないって!」

 

 尊い祈りだと思う。美しい涙だと思う。左手を握る指の震えにこもる願いは、どれだけ強いのか千雨にはわからない。

 それを間近で見せつけられて、千雨は小さく微笑み、ただ一言。

 

「任せろ」

 

 見る人を安心させるような笑顔を外殻に作らせ、自分に対して激しい吐き気に襲われながら、千雨は堂々と嘘を吐いた。

 


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