長谷川千雨の約束   作:Una

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第十一話 テロとか不法入国とか(準備編)

 この計画が私の全てだ。

 言葉だけでは止まらない。

 一体、誰の言葉だったろうか。覚えていないし、そいつが何をやらかすつもりだったのかもわからないけれど、とても共感できる言葉だと千雨はまどろみの中で思った。

 

 自身の中にある記憶野の最適化のために、千雨は定期的に自身の意識をシャットダウンする。半覚醒状態のまどろみが千雨は好きだった。最適化を終えた一部だけで自我を無理やり起動させることで体感できるこれが。たまに自分でも予期しない、記憶野の奥底に沈んだ記憶の断片を想起してくれるから。

 A組の連中の馬鹿騒ぎが。それを眺める綾瀬の溜息とバカばっかですという呟きが。騒ぎを静める委員長の張りのある声と、先生の泣き声と。

 そんな記憶の泡方が次々と、次々と浮かんでは弾けて消えていく。

 その中で、一際深いところから、一つの記憶が浮上した。

 それは、ある意味で長谷川千雨の始まり。

 ネギ・スプリングフィールドとの出逢いだ。

 世界が嫌いで、伊達眼鏡で顔を覆って。自室に閉じこもって外界から自分を守って、ネットの世界こそが自分の居場所だなんて嘯いて。

 そんな長谷川千雨の狭い世界に、何重にも張った壁なんて全て無視してズカズカと入り込んで。私の手を握って外に連れ出した。

 そのあと裸に剥かれたけれど、A組の連中はからかいながらも気遣ってくれて。あれ以来A組と少しずつ打ち解けるようにもなって。

 

 思い出した。言葉などでは止まらぬよ、と大きく啖呵を切ったのは、超だ。超鈴音。

 なぜか彼女は、葉加瀬や古と会話する傍で自分にもよく話しかけてきた。A組の馬鹿騒ぎに胃を痛めていると、どこからともなくやってきて漢方やらハーブティやらを淹れてくれたのだった。

 なぜあんなに気を使ってくれたのだろう、と今さらながらに思う。

 茶々丸が長谷川千雨のパソコン技術について知っていたのも、もとは超から話を聞いたかららしいし、超がいなくなってからは茶々丸が千雨を外に引っぱり出したものだった。

 未来から来たあの天才の気持ちなど、凡人たる長谷川千雨に慮ることなどできるはずもないが、それでも、止まれない意地と覚悟は理解できる気がする。

 ここに来るまでに、長谷川千雨は多くの物を犠牲にしてきたのだ。

 自分の魂も、葉加瀬の命も、ネギ・スプリングフィールドの生涯も台無しにして、今の自分がある。

 幾つのものを、人を、心を、祈りを踏みにじってきたと思っている。

 そうでないと進めなかったのだ。足の下に何が落ちているのか、あえて目を逸らしながら、はるか先のありもしない希望だけを見て、必死に足を前に、前に。

 そうやって、先だけを見据えて進んできた千雨が、あらためて理解した。

 歩を進めるその足の下には、無数の屍があるのだと。

 こんな道を、歩き続けなければならないとい思うと足がすくむ。

 歩くごとに悲鳴が、怨嗟が聞こえるのだ。常人が理性を保ったまま歩ける道程ではない。

 世界を変えて。実体化モジュールによって電力依存の世界に変えて、この世界に生きる全ての存在から苦痛を消し去る。

 そうすることで、ネギを英雄にさせない。

 それがどれだけの人を、心を、思いを踏みにじる行為か、千雨はもちろんわかっている。その罪深さに目眩がする。足もすくみ、へたり込みそうになる。

 それでも、止まるわけにはいかない。

 だって長谷川千雨は約束したから。

 必ず殺してやると。その存在を消してやると。

 誰よりも頑張って、誰よりも耐え続けて、それなのに何一つ報われないまま、苦痛に塗れて終わった人生を無かったことにしてやると。

 だから千雨は、何を犠牲にしようとも、止まるわけにはいかないのだ。

 

 そうでなければ、葉加瀬も、『長谷川千雨』も、報われない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔法世界の中でも指折りの防壁も、『力の王笏』の前ではないも同然であった。

 ゲートポートの警備ローテーション、見取り図、警報機の配線構造…………あらゆる情報が指先の動き一つで集まってくる。目の前で次々と極秘情報をかき集めていくその手腕に、監視についていた栞や焔は唖然とした。フェイトですら、それらの情報をまとめて提出したときは「おぉ…………」と小さく声を上げたほどである。

 

「これで、ゲートポートの破壊工作は数日中に実行できますね」

「そりゃ結構」

 

 栞の言葉に千雨は目をそらす。どうにも居心地が悪い。

 

「正直我々にはそういった情報関係の人材がいませんでした。フェイト様一人で力押しできるから不要だったというのもありますが、効率が上がるに越したことはありません。お陰で本来の計画よりずっと早く始められますし、フェイト様の危険も減ります」

 

 キラキラしている。

 千雨を見る目がめっさキラキラしている。

 そんな目で見ないでほしい、と千雨は切に願う。

 私はお前を踏みにじる。お前の願いを、祈りを、エゴでもって台無しにする。

 千雨の計画、世界を実体化モジュールで再構成することが叶えば、この世界の差別も、戦災も貧困も格差も、何一つ解決しないまま放置される。

 ただ、ネギを英雄にしたくないというそれだけの理由で、栞の抱く願いを踏みにじるのだ。

 

「あ、それとですね。テロを実行する際は千雨さんも同行したほうがいいだろう、とフェイト様が仰ってました」

「あー」

 

 ちなみに、千雨と栞はずっと手を繋いでいる。自身の潔白を証明するのに都合が良いため千雨は許可したが、正直精神的に辛いものがある。こんな精神攻撃をされるとは思っていなかった。まさか風呂まで一緒とは。

 せめて名前呼びはやめて欲しい。もっとよそよそしく苗字でお願いしたい。

 

「千雨さんの電子精霊を操作する能力があればゲートポートの掌握は一瞬ですしね。報告書にありましたけど、遠隔操作でゲートの破壊はできないんでしたよね?」

「ああ。ネットワークから切り離されているからな。直接触れんことにはどうしようもない」

 

 ゲートの転送に用いられる魔力は、魔法世界から旧世界へと流れる魔力の蓄積によって行われる。これが外部から制御された魔力インフラであれば今からでも2秒で12箇所同時に破壊してやれるのだが、ゲートポートは勝手に溜まるオドの蓄積量が一定になったときにゲートを解放する、ダムのような仕組みになっている。その制御はゲートポートの施設だけで間に合うため、制御系のシステムが外部とネットワークで繋がっていないオフラインだった。そのため、それを破壊するには直接出向かないといけないのだ。

 

「それでも、あれだけ大きな施設を触れただけで機能不全にできるなんて、やっぱり千雨さんはすごいです」

「…………どーも」

「そのときは私は留守番になってしまいますが、頑張ってくださいね」

 

 ぎゅっと両手で千雨の手を握って、満面の笑みで栞は千雨を応援した。

 突発的に死にたくなった。なんとなく天井を仰いで思う。

 だれか助けて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エヴァンジェリン」

 

 その日最後の授業を終え、エヴァンジェリンは茶々丸を連れて教室を出るところだった。

 声をかけられ振り返れば、そこにはクラスメイトが一人、普段は見せない真剣な表情で立っていた。

 

「珍しいな、お前が私に声をかけるとは。先生方の監視があるんじゃないのか?」

「少しいいカ?」

「歩きながらならな」

 

 超がエヴァンジェリンに並び、その僅か後ろを茶々丸が随行する。校舎を出れば、湿った空気が彼女の長い金髪にまとわりつく。空は厚い雲に覆われ、今にも降り出しそうだ。

 

「誰にも聞かれてないぞ」

「盗聴器の存在も確認できません、超」

「謝謝」

 

 三人はほぼ口を動かさないままで会話する。

 

「ネギ坊主はどこネ?」

「気づいてたか」

「私だけじゃないヨ、龍宮サンと、あと委員長もちょと勘付いてるネ」

「すごいなあのショタコン…………」

 

 エヴァンジェリンから見てもネギの式神は大したものである。会話や仕草の人間臭さは言うまでもなく、放散魔力を吸収する術式で魔力の香りが漏れるのを極限まで抑えている。龍宮のような特殊な魔眼でもなければ初見であれを見抜くことはできまい。実際学園長や高畑すら欺いて教職を続けているのだ。あの二人が式神を相手に会話している様はちょっと愉快だった。

 というか、気づける委員長がおかしいのだ。

 

「あと多分長谷川サンも。不機嫌そうな顔でネギ坊主を睨んでるヨ」

「よく見てるな。私は気づかなかったぞ、長谷川の様子など」

「…………それで、どこにいるか知ってるネ?」

「私の家だ」

 

 だろうな、と超は内心でうなづく。ダイオラマ魔法球を使っているのだろう。自分がいざ計画を実行する際には、ネギ・スプリングフィールドとその仲間たちを嵌めるトラップとして利用させてもらうつもりだ。

 

「何日ネ?」

「10」

 

 超は目を見開いてエヴァンジェリンを見た。

 エヴァンジェリンに弟子入りしてから、つまりネギが学校に来なくなってからすでに十日。

 その間、ネギはダイオラマ魔法球に入りっぱなしだったということになる。

 時間が24倍の速さで流れるその空間で十日間。ネギは240日分の修行をこなしたことになる。

 ククク、とエヴァンジェリンが笑った。邪悪に頬を釣り上げて超に言う。

 

「見てみるか? ぼーやがどこまで堕ちたか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨大な腕が二本、肩甲骨から生えている。牙が伸び、額からは角が二本伸びている。肌の色は元は白であったのだろうが、その上を黒い渦がいくつも蠢いているように流動的に変化しており、纏う空気は禍々しいにもほどがある。ただでさえ『闇の魔法』は周囲に黒い威圧を与えるのに、そこに日本を代表する鬼を取り込んだのだからその重圧は見るもの全ての心臓を鷲掴みにせんばかりの重さがある。

 頬はこけ、目は落ち窪み、その瞳にはまるで理性を感じられない。口の端から唾液を垂らして、周囲の全てに噛みつかんと暴れている。10歩の距離が開いていてもその威圧感に膝が折れそうになる。

 なんだこれは。

 それが超鈴音の感想だ。

 これが未来の英雄か、と。

 

「あ〜、お久しぶりです〜」

 

 エヴァンジェリンに話しかけたのは、メガネをかけた少女だ。ゴスロリ服に身を包み、四腕の獣を二本の刀で地面に縫い付けてその背に座っている。あの禍々しい怪物の上で、平然と挨拶を告げる少女の異常さに超は目を見張る。

 

「月詠、今どんな感じだ」

「大分抑え込めるようにはなってきたんですけど、まだどうしても『受け入れられない』みたいで〜」

「ふむ」

「受け入れちゃえば楽しいんですけどね〜」

「皆が皆お前のようなアホではない」

 

 少女がエヴァンジェリンから一瞬だけ超に視線を向けた。

 その目を見て超は察した。

 彼女は壊れている。

 ただ人を切ることにのみ己の存在理由を見出す外道。

 そんな人斬りに、まるで路傍の石を見るかのような目で見られたのは、超にしてみれば幸運である。興味を持たれなくてよかったと。アレすごいめんどくさそうヨ。

 月詠の狂気に触れて『めんどくさそう』で済むあたり超もまたある種の狂人であった。

 

「こんな獣と斬り合っても面白くありません」

「やはり無茶だったか。鬼の中でも悪鬼の類だしなこれは。しかしこいつの適性からいって一番強力なのはこれだしな」

「エヴァンジェリン」

「ん?」

 

 超が問いかける。

 

「これは何ネ?」

「ぼーやが『闇の魔法』で両面宿儺を取り込んだ成れの果てだ」

 

 鬼神の魂と精神を、魔法における魔力と術式に見立て、掌握する。

 もちろんこれは両面宿儺が肉体を失い、信仰によって神格を得た鬼神だからできることで、存在を肉体に依存している普通の生物や妖魔には不可能だ。

 言ってみればこれは降霊術や神降ろしに近い。霊が降りやすい体を作り、掌握した魂を兵装として纏うのだ。

 両面宿儺によって作成した術式兵装を、ネギはそのまま『両面宿儺神(リョウメンスクナノカミ)』と呼んでいた。

 

「これは、戻るのカ?」

「さあな」

 

 エヴァンジェリンは軽く肩をすくめた。

 

「このまま死んだらそれまでの男だったということ。死なず、完全な獣に身を堕とせば、まあこのまま飼ってやるのもいいな」

「…………無責任じゃないカ?」

「奴が選んだ道だ。親切にもリスクを説明してやった上でのな。選択は常に命がけで、前に進むのに対価を払うのは当然のことだ。違うか? 超鈴音」

 

 超は、いつのまにか詰めていた息を吐いた。

 どうも自分は、いつのまにか日和っていたらしい。暖かな時代で、暖かな生徒とバカをやっているうちに。

 気を引き締めて超は思考を巡らす。

 仮にここでネギ・スプリングフィールドが死ぬか、あるいはエヴァンジェリンのペットになったとして、果たして自分の計画にどんな影響があるか。

 何もない。

 自分の計画が成った場合、当然ネギにもその責は及ぶだろう。その規模の大きさからもしかしたら終身オコジョ刑もあるかもしれない。

 オコジョ刑に処された人間は、1年ほどで精神に異常をきたすという。

 ハムスターと同じような生育状況。食事は毎食味のしない固形飼料で、おがくずの足場に糞尿を垂れ流し。飼育箱は全面が鏡ばりで、目を開けているだけで自身の人間としてのアイデンティティを削っていく。初めの頃はオコジョの体に慣れず動くことすらままならず、しかも毎週のように奉仕活動として孤児院で子供の相手をしなければならない。オコジョから見れば巨人のように感じられる、人間の子供のだ。

 そうした懲役を終え出所し、人間の体に戻ったとしても、その頃には歩き方や指の使い方、言語すら忘れてしまっている場合がほとんどだし、子供の笑い声を聞いただけで暴れるようになる。

 たとえ自分の先祖であるネギ・スプリングフィールドがそうなってしまったとしても、超鈴音には果たさなくてはならない目的がある。

 言ってみれば、年端もいかない少年が理性のない獣と化すこの状況は、超鈴音からすれば早いか遅いかの違いでしかないのだった。

 

「ま、ちょと残念だただけネ。いろいろと話したいこともあたヨ」

 

 そもそも、ネギのことが気になったのも単なる感傷でしかないのだ。

 ふ、と超は微かな笑みを見せた。その笑みの意味は、エヴァンジェリンにはわからない。しかし意識が僅かにネギから超に寄った。

 その時である。

 

「あ」

 

 月詠が僅かな驚きを含む声をあげた。

 まさかタイミングを見計らったわけでもないだろうが、ネギが背中に乗っていた月詠を跳ね飛ばし、硬い石畳に縫い付けていた刀から肉体を引きちぎって拘束から脱した。

 ネギの絶叫が魔法球全体を揺るがす。吹っ飛んだ月詠はあーれーとか言いながら強風に舞う木の葉のように転がっていく。

 ネギが突っ込んで来る。持ち前の魔力と『闇の魔法』で強化された筋力の相乗効果で生み出された加速は余所見をしていたエヴァンジェリンの反応を僅かに上回った。

 エヴァンジェリンは『断罪の剣』を瞬時に起動し、ネギを串刺しにして動きを止めようと図る。あと一瞬早ければネギの腹を貫いていただろうそれを、ネギは右の背腕を犠牲にするだけでエヴァンジェリンの脇をすり抜けていった。

 ネギが超に迫る。

 構えをとれただけでも超の積んだ功夫が透けて見える。

 とはいえそれだけだ。超はたしかに天才ではあるが、目の前で突然展開される圧倒的暴力に対抗する手段などない。パワードスーツは制服の中に着込んでいるが、ステータスに差があり過ぎる。技術や工夫でどうにかなる範疇を超えている。

 超が計画を立てるうえで、心の中に一つの私的な願望があった。

 もし、この計画の前に立ちふさがる存在がいるとしたら。この時代を代表する宿敵として名乗りをあげる誰かがいるとしたら。それはネギ・スプリングフィールドであってほしい。

 そんな誰にも明かしていないささやかな望みがこんな形で成就してしまうなんて。

 超は自分の天命を感じながら、迫るネギの鋭い爪を見つめた。自分を止めるそれを最後まで見届けようと肉体の反射をねじ伏せて目を開き続けた。

 その爪が止まった。

 爪は額の薄皮一枚貫いて、一筋の血が超の形のいい鼻の横を通っていく。

 

「ネギ坊主?」

「ぼーや?」

 

 突然の急制動に困惑しながら声をかけるが、ネギはうめき声を上げるだけで反応を見せない。

 真正面にいる超だけが気付けた。ネギの目に僅かな理性と、大きな恐怖が宿っているのを。

 怯えた子供の目だ。

 超はこれと似たような目を、その過酷な人生のなかで何度も見てきた。戦場で逃げ遅れた少年が、粗野な傭兵団に連行される少女が、銃を片手に突撃を強要される少年兵が。

 見飽きるほど見てきて、それら全てに情けなどかけなかった。助ける余裕などあるはずもない。いくつもの救いを求める人たちを踏みにじってきた。

 でも、今はこの小さな少年を、助けることができるのではないか。

 それは偽善というより、人体が持つ反射のように。

 ボールが飛んできたらとっさに腕で顔を守るように。

 階段から落ちそうになる赤子を見て思わず手を伸ばすように。

 超はネギの体を抱きしめた。

 

 

 

 そのまま長い沈黙が続いて、

 

「…………目的を、思い出したんです」

 

 ネギが、囁くように言った。

 

「破壊したいわけじゃなかった。それなのに、僕の心には、周囲の敵を全て殺してしまえばいいなんて思っている自分がいました。復讐が僕の根幹に根付いてしまっていた」

 

 それは当然のことだろう、超とエヴァンジェリンは思う。ネギのたった10年かそこらの人生は理不尽に満ちていた。明確な誰かではなく、英雄の息子として生まれてしまったが故に生じた周囲の環境全てが理不尽の構成要素なのだ。それ故に発散できない怒りはいつまでも心の中で澱となって積み重なって、いつか来る復讐の時を待っているのだ。

 

「こんな感情を持つ自分なんて千雨さんに嫌われてしまうかも。そんなことを思ってしまって、忌避感がどうしても消えませんでした。千雨さんの隣に立つには綺麗な自分でないといけないって。そうでないと資格がないって。だって千雨さんは強くてカッコよくて素晴らしい人だから」

 

 女に夢見すぎネ、と超は思った。

 恋する乙女かなんかかこいつは、とエヴァンジェリンは思った。

 千雨ってどちらさんどす? といつのまにか復活していた月詠がエヴァンジェリンの後ろで首を傾げた。

 

「でも、思い出したんです。僕は千雨さんを守りたいんだって。嫌われるかもとか、嫌がられるかも、なんて。そんなことに拘って立ち止まっているわけにはいかない」

 

 ネギは超から体を離し、超のしなやかな両肩を掴んだ。ネギの顔つきは、体がエヴァンジェリンのものに近づいたからだろうか、先まで見せていた死体のごとき不健康さはなりを潜め、もとの愛らしさと新たに得た精悍さを兼ね備えたものに変わっていた。

 そんな顔が至近距離で微笑みながら、

 

「千雨さんを守る。そのために僕は頑張ってきたんだから」

「…………まるで私に告白するような体勢でなに惚けてるネ」

「え、あ、いやこれは!」

 

 あばばばと慌てるネギは、麻帆良に来た当初のものと変わりがない。それを微笑ましく眺めていると、その後ろからエヴァンジェリンが近づいてきた。

 

「おいぼーや」

「は、はいマスター」

「どうやら答えを得たようだな。だが貴様の属性や相性から考えて、『両面宿儺神』はまだ暴走の危険がある。十分に気をつけろ」

「はい!」

「あと、なぜ長谷川千雨を思い出した? このタイミングで。貴様の芯にはあの女がいるようだが、ここで思い出すきっかけはなんだ」

 

 エヴァンジェリンに問われ、ネギは照れくさそうに超を見た。

 え、嘘ご先祖様に惚れられるとか古い映画で見たネ、と超は思うもそれはネギの言葉ですぐ否定された。

 

「超さんから、少しだけ、千雨さんと同じ匂いがしたんです」

 

 何代前の話ネ、と超は呆れた。

 良い壊れ方ですえ〜、と月詠は頬を染め、これ千雨への依存をこじらせただけじゃないかな、とエヴァンジェリンは顔をしかめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういえば、とエヴァンジェリンは声をかけた。

 魔法球から出たネギたちは、エヴァンジェリン邸のリビングで茶々丸に用意させた紅茶とクッキーを飲み食いしながら会話をしていた。

 

「ぼーや、お前『闇の魔法』の制御のほかにも何か研究していただろう。あれはなんだ?」

「はい。千雨さんを探す術式の開発をしていました」

「ストーカー一歩手前じゃないですか〜」

 

 違いますよ! とネギは月詠の言葉を否定するが、魔法で女の子を追跡しちゃうあたりどう見てもストーカーである。

 

「というか、千雨さんは普通に寮にいるヨ? わざわざそんなハイスペックストーキングなんてしなくても」

「いやそっちじゃないぞ超。長谷川千雨は二人いるんだ」

「どういうことネ?」

 

 その問いにはネギが答えた。停電の夜から修学旅行での出来事までを超に説明していく。

 

「結局、もう一人の千雨さんが何者なのかはわからないままなんです」

「ちなみにこっちのはそのとき京都で敵側について桜咲刹那と戦っていた傭兵だ」

「あ、そういえば自己紹介もしてませんでしたね〜」

「そうネ。私は超鈴音、未来から来た火星人ね。魔法も使えるよ。寿命と引き換えに放つ『燃える天空』がロマンに溢れてお気に入りネ」

「祝月詠言います〜、言うてもこの名前は世襲制なんで本名とは言えないんですけど」

「祝家は青山家の分家だったか」

「分家と言うには関わりが薄すぎるんですけどね〜」

 

 渾身のネタ兼驚愕の伏線をスルーされて寂しく思いながら超は考える。

 もう一人の長谷川千雨。魔法に通じ、エヴァンジェリン本人も忘れていた『闇の魔法』を扱えて、何より茶々丸に見せたあの技能。この時代には存在しない量子コンピューターに関する深い知識がなければできない芸当だ。

 

「予想通りと言えば予想通り、カ」

「え?」

「なんでもないヨ」

 

 超はごまかしながら紅茶を口に含んだ。

 

「それで、そのもう一人のヒーローぽい千雨さんをどうやって探すヨ?」

「これを使います」

 

 ネギが取り出したのは仮契約カードだった。

 

「それの召喚機能はもう試しただろう」

「これに陰陽道の技術を融合させます」

 

 仮契約カードの機能は担い手によらず画一的だ。一方で陰陽道にて扱われる呪術は術師の技量によって距離も威力も変化する。

 今回ネギが千雨の捜索に利用するのは、護符などに用いられる感染呪術理論である。

 感染呪術とはつまり一つであったもの同士は距離が離れても相互に影響し合う、という理屈である。お守りに妻の髪を入れたり、あるいは丑の刻参りで使う藁人形に対象の髪を入れたりするあれである。

 

「このカードも元は一枚から二つに分岐させたものですし、何よりこれは千雨さんとパスが繋がっています。それを軸に捜索用の術式を組んで、理論上僕の魔力なら地球全土をカバーできます」

 

 ネギは説明しながらテーブルに置いた紙に魔法陣を刻んでいく。インクに使うのは当然のようにネギの血だ。

 

「いきます」

 

 魔法陣が発光し、その中心に置かれたカードが震える。それが10秒ほど続いて、発光は突然止んだ。

 

「あ、あれ?」

「どうした」

「いえ、反応しないんです。ちょ、ちょっともう一度」

 

 何度繰り返しても結果は変わらない。地球規模で千雨をストーキングする、ネギの才能と執念を存分に注ぎ込んだ術式で千雨を見つけられない。

 

「どういう、ことでしょう」

「ふぅむ? 死んでいるわけでもなし。術式は私から見ても見事なものだが」

「…………あー」

 

 ネギとエヴァンジェリンが悩む傍、超が何かに気づいた。

 

「どうした」

「何かわかったんですか?」

「いや、これ。あーつまりヨ、千雨さんは火…………魔法世界にいるね」

「魔法世界、てなんですか〜?」

「ここ地球とは異なる異界だ。なるほど、ぼーやの術式も次元を隔ててしまえば繋がらないか」

 

 嫌な予感がする。

 超は科学者として当然数字と統計を重視するし、測定された数値の評価に感情を紛れさせるようなことはしない。それでも多くの数字と理論を見比べていくうちに、経験則からくる予感やなんとなくといった感覚もバカにできないと統計上理解していた。

 もう一人の長谷川千雨は未来人である。

 わざわざ時間を移動して来たのだ、まさか観光というわけでもあるまい。間違いなく彼女は、なんらかの目的のためにこの時代に来たのだ。

 

「なぜそんなところにいるんでしょう?」

「奴らから身を隠すために魔法世界に逃げ込んだか」

「もしかしたら、フェイトはんに拉致されたのかも〜」

 

 月詠に煽られ、ネギの思考が加速する。

 逃走か拉致か、どちらにしても千雨の安全が脅かされているのは間違いない。怯えながら暗闇に潜んでいるかもしれないし、あるいは隙間風の入り込む牢獄で空腹と寒さと孤独に身を震わせているかもしれない。フェイトが無表情で千雨に拷問しているところを想像して頭に血がのぼる。あるいは治安の悪い地域に入り込み、むくつけき男どもに捕まってしまってあんなことやこんなことが

 

「行ってきます!」

「行き方わかっているのか貴様」

「あー、ネギ坊主落ち着くネ。今までの反動なのかテンション高すぎネ」

 

 今にも箒で飛び出していきそうなネギをエヴァンジェリンが紐で椅子に固定し、超が話を進める。

 

「離してください、今にも千雨さんがジャングルで服だけ溶かす粘液を分泌する触手生物に襲われているかもしれないのに!」

「だからといってどこに行く気ネ。安心するネ、魔法世界への行き方は私が知てるヨ」

「本当ですか!」

「もちろんヨ。茶々丸、この時期で一番早いゲート解放はいつネ?」

「三日後、オーストラリアのエアーズロックにあるゲートです」

 

 茶々丸はノータイムで答えた。

 

「そんなところにあるんですか」

「じゃあそれで行こうカ。ほれさっさと準備するネ。時は金なりヨ」

「はい!」

 

 椅子に縛られたまま指輪型の魔法発動体を使って宙を飛んでいったネギを見送り、超はエヴァンジェリンに向き合った。

 

「エヴァンジェリン、相談があるヨ」

「なんだ? 言っておくが私は行かんぞ。もう子守が必要なアマちゃんではないだろう、ぼーやは」

「そうカ。それはむしろ都合が良いネ」

 

 ん? とエヴァンジェリンは首を傾げる。

 

「私はネギ坊主について魔法世界に行くヨ」

「なぜだ? 長谷川千雨については貴様は無関係だろう」

「…………魔法世界で、必ず何かが起こるネ。恐らくは、世界全体に影響するような何かヨ」

「なぜそんなことがわかる。貴様、長谷川千雨の何を知った?」

「言えないネ、まだ。あえて言うなら勘ネ」

 

 しばし睨み合う。空気が軋む。重苦しい雰囲気の中で、月詠が残されたネギの分のクッキーを食べる咀嚼音だけが響く。

 

「月詠、バリボリうるさい」

「おかまいなく〜」

「かまうわアホが」

 

 はあ、とため息をついてエヴァンジェリンが先に折れた。真面目にやるのがアホらしくなったのだろう。

 

「で? さっき言った『都合がいい』とはなんだ」

「…………明日菜さんのことネ」

「神楽坂のことか? あのバカがどうした」

「狙われる可能性があるヨ」

 

 エヴァンジェリンの目つきが変わる。

 

「ほう? それは、この私の目をかいくぐって、か?」

「手段は不明でも、確かな情報ネ。とある目的のために拉致されるかもしれない、と」

「詳しいことを言う気はないか。まあいいさ。どうせ麻帆良の警備もいまや私の仕事だ」

「謝謝」

 

 ふん、と興味を無くしたようにエヴァンジェリンは再び紅茶を口に運んだ。クッキーはすでに月詠の手で全滅していた。


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