長谷川千雨の約束   作:Una

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第十二話 テロとか不法入国とか(実行編)

 超鈴音は一葉の写真を眺めていた。

 閉じたカーテンの隙間から入る朝日だけを光源とする薄暗い部屋で、自身のベッドに三角座りになっている。

 そこに写るのは、1組の男女。純白の衣装に身を包んだ、幸福に溢れた結婚式の写真だ。

 左に立つ赤い髪の青年はネギ・スプリングフィールド。自身の知る未来でも英雄として知られる男である。

 その隣に立つ花嫁。

 青年の左腕を遠慮がちにとるメガネの女性の名前を、超はこの時代に来るまで知らなかった。

 多くの記録映像が残されていたネギとは違い、その伴侶の名前は歴史の闇に秘匿され、おそらく知るものは一人もいなかったに違いない。

 しかし超家だけは、スプリングフィールドの末裔である自分だけは、かろうじてその存在を知るヒントを得ることができた。それが、今超が見つめている写真である。

 もちろん名前が書いてあるわけではない。

 どんな人物だったのか、その写真から想像することしかできない。

 花婿の隣に立っているのに、不貞腐れたような顔で、目を逸らしながらもその腕にかける右手を外そうとはしていないし、こうして正面から堂々と写真を撮らせている。きっとこの少女はへそ曲がりで、素直じゃなくて、喜びをそのまま表現することに慣れておらず、でもその芯に一本筋の通った気の強そうな眼差しを持つ女性で…………そんな妄想が幼い頃の超の脳を走ったものだった。

 この時代に来て、A組に配属され、長谷川千雨を見たときの衝撃は筆舌に尽くし難い。写真の女性をそのまま幼くした、中学生の段階ですでに可愛いというよりきれいと表現される容貌。ある種歴史のブラックボックスとも言える謎の答えがいきなり超の前に現れたのだ。不貞腐れたような顔で、伊達眼鏡とイヤホンで外界を遮断しケータイを弄っている。

 あれが、伝説の英雄の心を射止めた伴侶。

 そして、自分の祖先。

 その人となりを知りたくなるのは当然のことで、超は折につけて千雨との接触を図った。

 そうして2年強の観察の結果、長谷川千雨という少女は、特筆することのない普通の少女だった。

 へそ曲がりで、素直じゃなくて、感情をそのまま表現することに慣れていない、妄想した通りの少女だった。

 そんな先入観から、長谷川千雨がもう一人いるという情報を聞いた時、1つのある可能性に気づくのが遅れた。

 もう一人の長谷川千雨がどのような存在なのか。超にとってもっとも都合のいいのは、数十年先の長谷川千雨がこの時代に移動し、年齢詐称薬で若返りこの時代の長谷川千雨と入れ替わった、というものだ。

 この場合はどうということはない。たとえ『力の王笏』の担い手であっても、そこからさらに未来の情報技術と茶々丸がこちらにはある。すでに茶々丸の搭載する量子コンピューターにはハッキング対策の防壁を設置してある。対等以上に渡り合えるはずだ。

 しかし。

 超は写真に写る千雨の顔を撫でた。

 最も恐ろしい可能性が超の脳裏を巡る。もう一人いるという長谷川千雨が、あらゆる時間に存在できるような、時間移動を自在に操る存在である可能性。もしかしたら、自分の知る未来において様々な時間軸で起きた『力の王笏』の担い手によるテロ事件は、すべて彼女の仕業なのではないか。自分が持つ技術よりさらに先の技術を持っているのではないか。

 つまり、もう一人の長谷川千雨が、あの悪名高き『電子の魔王』であるという可能性。

 戦場を敵味方問わず蹂躙し、魔導式兵装の悉くを無力化し。サイボーグテロリスト集団を容赦なく発狂させ。大量破壊兵器の開発を目論む国家を、その兵器を暴走させて国民まるごと蒸発させたこともある。入院中のある要人を殺害するために医療衛星をまるごと機能停止させ衛星軌道から叩き出したとか。23世紀初頭に起きた数十万人を分子レベルに分解したナノマシン暴走テロ『夕闇事件』すら『電子の魔王』の仕業であるという情報もある。

 愉快犯というには大掛かりで、義賊というには分別がなさすぎる。これら『電子の魔王』が起こしたとされる事件を羅列すると、そこからは子供じみた八つ当たりのような計画性のなさが見て取れる。目障りな石ころを軽く蹴り飛ばしたような、そんな印象。

 果たして自分は、あの歴史に名を刻むテロリスト相手にどこまで通用するのか。

 超は大きく息を吸って、吐いた。

 とはいえ、これはあくまでも可能性の1つに過ぎない。慎重になり過ぎて自縄自縛などマヌケの極みだ。

 まずは情報を得る必要がある。

 その結果敵対することになるかもしれない、あるいは手を取り合えるかもしれない。友好的に接するべきか、不安要素の排除を目的に動くべきか。

 全ては、もう一人の未来人が何のためにここに来たのか、にかかっている。

 なぜ過去に来たのか。なぜ魔法世界にいるのか。どんな手段で、何を代償に、何を成そうとしているのか。

 それを見極めなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 すでに桜の旬は過ぎて久しく、見上げればその枝には青々とした葉が風に揺れ、強い陽光を優しく遮っていた。

 一本の大きな桜とともに、丘の上から麻帆良を一望する。

 麻帆良中等部の校舎では、ネギの式神がクラスメートと馬鹿騒ぎしている様子が見えた。

 長谷川千雨もそこにいる。ネギの式神はオートで動いているが、本体の意識を多少なりとも継承しているのだろう、随分と千雨に対して積極的になっている。生徒に構い倒されて、ズボンまで剥ぎ取られて、泣きながら千雨に助けを求めて。それを千雨は渋々といった態度でネギを背中に庇いながらクラスメイトに軽く説教してズボンを取り返した。お礼を言えば千雨に頭を軽く撫でられてネギは頬を赤くしている。

 暖かな時間だと思う。

 夢のような日々だ。

 でも、とネギは思う。

 彼女は自分が求める長谷川千雨ではなく、あそこにいるネギ・スプリングフィールドは偽物である。

 別物なのだ。

 何より、今の自分にあの中に入る資格はあるのか。人間を辞めつつある自分に。存在するだけで周囲を危険に巻き込む自分に。

 人間を辞めたことに後悔はない。

 長谷川千雨を守るためならなんでもする。

 式神と生徒たちの声を聞きながら、ネギは麻帆良から視線を切る。踵を返し、歩いて行くその後ろ姿は、決別の意志を強く感じさせた。

 

「行くカ、ネギ坊主」

「はい」

 

 もう振り返らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 オーストラリアに設置されているゲートへの道すがら、超とネギは情報交換をしていた。

 

「ネギ坊主は魔法世界では有名ネ。魔法世界に向かうとなれば、あらゆる存在に付け回されることになるヨ」

「はい」

「それが千雨さんを狙う奴らだったら目も当てられない、警戒させてしまう。だから、公式にはずっと麻帆良にいることにして、私たちはこっそり密入国ネ」

「はい」

「だからなるべく渡航客の多い便を選んで混ざる必要があるネ。1番早い便に乗れなかったのは申し訳ないと思うガ、これは必要な処置ヨ」

「わかってます。この件については超さんに一任します」

 

 密入国のノウハウは任せるヨ、と超は自信満々に微笑んだ。

 歩く人影は4つ。ネギと超、加えて茶々丸と月詠だ。

 ネギは自分ひとりで魔法世界に乗り込むつもりだったが、そこにまず超が加わり、超の要請で茶々丸も参加。対して月詠は、完全に趣味で参加した。

 京都で月詠を蹴り飛ばしたエヴァンジェリンは、彼女が着こなす服の趣味に興味を持った。月詠のおっとりとした雰囲気とタレ目にそのロリータファッションは良く似合っており、湖畔でネギと情報交換を終えたエヴァンジェリンは自身の蹴りで気絶していた月詠を山賊よろしく肩に担いで連れ帰ったのだ。で、月詠とエヴァンジェリンは意気投合した。話をするうちにこんな服を着てみたい、という話になり。月詠がファッションデザイナーとしての意外な才能を見せ、デザインされた服をエヴァンジェリンが得意の繰糸術で作り上げる、というラインができあがった。

 そんな月詠は今、黒を基調としたゴスロリ服に身を包み、その腰には二本の刀が下げられている。それらの刀は600年前からチャチャゼロによって多くの騎士や魔法使い、魔物や果てには魔族の血を吸い、魔力密度の高い別荘内にこの15年放置されていた代物だ。

 エヴァンジェリンもその存在を忘れていたが、別荘で15年ということは24倍して360年。その間にこれらの刀は魔力を存分に吸い上げ、刀身に含まれる数多の血と混ざり合い、ついには時折奇声をあげる立派な妖刀と化した。

 それらを使ってこれまた人斬り談義で気が合ったチャチャゼロと切り結んでいたのだが、やはり月詠としては人を斬りたいわけで。別荘の中で色々な技を身につけるとともに溜まる欲求不満で悶々としていると、あのいい目をした少年が魔法世界なる場所に行くという。

 フェイトに興味はないが、この少年には敵が多いらしいし、ついていけば新しく手に入れた妖刀やこっそり手に入れた隠し球の試し切りがてら人を斬ることができるかもしれない。

 斬りたい人がいなくても、最悪この少年を斬れば面白そうだ。

 そんな思惑を胸に秘め、ニヤニヤハアハアと横目でネギを眺めながら、月詠も魔法世界に行くことにしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テロなど慣れたものである。

 かつて情報生命体となってからははっちゃけて暴れまわり、ついには『電子の魔王』などと呼ばれるようになった。昔取った杵柄とでも言うのか、情報を収集してからの具体的なテロ計画にも千雨は口を出し、『完全なる世界』の面々からある程度の信頼を得ることができたと千雨は思う。

 お陰で、前回よりかなり早めにゲートポート破壊が実行されようとしている。

 前回は夏休みに入ってからだったから、二ヶ月は早い。これなら、ネギが魔法世界に来る手段はない。可能性があるとすれば世界再編魔法の最終段階で麻帆良と繋がってしまうあの瞬間だ。すでにゲートの制御システムは掌握している。あとはタイミングを合わせて千雨がソフトを、『完全なる世界』の連中がハードを同時に破壊すればいい。そうすれば繋がりは完全に絶たれ、ネギや高畑、龍宮などというチート連中をこちらに呼び寄せることができなくなる。

 実体化モジュールによる世界の書き換えを、千雨は学園祭より前、超がネギにある種の覚悟を与えるより先に完了させなくてはならない。そうすれば超の計画はネギが戦うまでもなく失敗に終わる。しかしそれは同時に、超がこの時間軸に存在する間に計画を実行しなければならないというリスクを負うということだ。

 もし超が火星の異変に気づけば、魔法世界に介入してくる可能性があるのだ。それを潰すためゲートはきっちり潰す。アリの一匹もこちらに入ってこれないくらい完全に。

 自分も、もう麻帆良に戻れなくなる。

 

 ──あいつは麻帆良で楽しくやっているだろうか。

 

 ふいに、そんなことを思った。

 メガロメセンブリアの庇護がなくては、ネギはまともに生きられない。その血筋が一般的な人生を許してくれない。

 一般的からはかけ離れていても、せめて平穏な人生を送れるように。英雄としてではなく、人として生きて、人として安らかに死ねるように。

 それだけが、『長谷川千雨』の願いだ。

 

 

 監視カメラの映像をリアルタイムで改竄しながら、千雨はフェイトとともに人目につかない物陰に隠れている。潜入にあたって1番厄介なのは肉眼による目視だ。もう少し時代が進めば、監視や警備などの職に着く人間は皆視覚強化や迷彩看破、チャット通信を行う人工の魔眼を移植する時代が来る。その時代では千雨は周囲の魔眼を全てハックして透明人間になることができたのだが、現代ではそうも行かない。どいつもこいつも生の眼球で目視してくるものだから、千雨のメガネやフェイトが纏うフードに認識阻害の効果をわざわざ付加してもらった。

 大小様々な赤褐色の石柱が歪なサークルを描く祭壇を、千雨はフロア一つ高い位置にある到着ロビーから睥睨する。その傍にはフェイトが相変わらずの無表情で佇んでいる。ただそこにいるだけでとんでもない威圧感が漏れている。

 つーかこいつ私だけに威圧を向けてんじゃねーか? 

 周りの通路を歩く客は特に何も反応していないから多分そういうことなのだろう。

 自身の気配に指向性を持たせるとか、無駄に器用に脅してくるのはやめてほしいと千雨は思う。基本的にビビりな千雨は先から冷や汗が止まらない、すぐ隣にいるフェイトに視線を向けることすら怖くてできない。先日までは情報収集という自身の役割を楯に、周りの人間を巻き込んで対等なやりとりを演じてきたが、こうして外的要因ゼロのガチタイマンだと途端にヘタレてしまうのだった。

 会話もろくに無いため、千雨は仕方なく眼下に設置されているゲートを眺めた。

 もっとも監視が緩くなるのは、ゲートが開いた直後。警備員として働く魔法使いが中に不審人物が紛れていないかを監視カメラと肉眼の両方で確認する。もしいれば周囲で張っている魔法使いが袋叩きにするという形だ。

 

「準備はいいかな」

「いつでも」

 

 ゲート管理局のデータにアクセスし、次の便がここ一週間で最も渡航客が多い。正直客数人程度の違いならフェイトと自分の前では誤差でしか無いのだが、万全を期すため、より混乱を起こしやすいその便を狙うことになった。

 その便が開く瞬間が近づいている。立ち並ぶ石柱に光が宿り、徐々に発光が強くなっていく。広い円盤状の足場に刻まれた魔法陣が回転し、魔力が術式に注がれていく。魔力光がついに魔法陣から溢れ、天を穿つ柱となって数秒。魔力の減衰とともに柱は細まり、その中から数百人の渡航客が現れた。

 その中心にいる小さな姿を認めて、千雨の体が凍りついた。

 ありえない。ゲート管理局の利用客名簿には目を通した。その中には奴の名前などなかったと確信を持って言えるし、今調べ直してみてもその名前は見つけられない。

 それにも関わらず、千雨の視線の先には、最も避けたかった、考えうる限り最悪の光景があった。

 

 ネギ・スプリングフィールドが、超鈴音とともにいる。

 

 

 

 

 ネギが視線を上げた。その目の下には色濃い隈が浮かんでいるし、頬もわずかにコケている。一週間徹夜してもここまでにはならないという有様だが、それでも少年の親譲りの整った顔立ちと愛らしさは損なわれていない。

 心なしか、京都にいた頃より顔や瞳の色が戻っているように思える。

 そのネギの目が、千雨を捉えた。

 千雨は、全く身動きが取れなかった。

 二人の視線が交差する。

 ネギにとってもこの再会があまりにも予想外であったが、彼は千雨の姿を認めてほんの数秒で動き出した。

 表情が驚愕から歓喜へと変わり、瞬動で一気に千雨までの距離を詰めた。

 ネギと対峙する。彼我の距離は2メートルといったところで、ネギは歩を止めた。

 

「千雨さん」

「なんでここにいる」

 

 思った以上に冷たい声が出た。

 

「あなたを探しにきました」

「意味わかんねーよ」

 

 探す必要なんてないはずだろう。麻帆良には同じ存在がいるのだから。同じ精神を持って、同じことを考える、同じ外見をした無傷で汚れていない長谷川千雨が。

 そもそもどうして『長谷川千雨』が二人いることに気がついた。

 

「長谷川千雨は、麻帆良にいるだろうが! なんでこっちに来るんだよ! しかもその腕」

 

 千雨の目をまっすぐに見つめるネギの両腕には、『闇き夜の紋様』が刻まれていた。

 それは、『闇の魔法』の習得の証。

 人の理から外れ、闇の住人として生きることを強いる禁忌の外法。

 どうして。

 千雨は混乱する頭で思う。

 私を探しに来ただと。そんなことのために、お前は人間を辞めたのか。

 ふざけんな。

 私が今までやってきたことは全部無駄か。

 

「なんで、人間やめてんだよ…………」

 

 ネギが人として生きて、人として安らかに死ねるように。そのために今までやってきたのに。

 か細く呟かれた千雨の言葉は、ネギの耳に届いていた。千雨の動揺する様に困惑しながらも、ネギはその暗い瞳をしっかりと千雨に向けて告げる。

 

「僕はあなたを…………僕のために戦ってくれたあなたを守る力が欲しかったから」

 

 意味がわからない。あの程度のことなんて誰でもできるだろう。本来は神楽坂明日菜の役割で、その後もお前はのほほんと過ごしていたじゃないか。神楽坂のために人間をやめるほど思いつめてなどいなかったじゃないか。前回お前が『闇の魔法』を求めたのも、神楽坂のためではなかっただろう。

 私は、仮契約をするためにその代役をしただけだ。しかもその後お前の前には無傷の長谷川千雨がいたじゃないか。ちょっと戦って、なんの後遺症も無く生きている長谷川千雨が目の前にいたのに、何をそんなに、人間を辞めるほどの借りを感じているんだ。

 

「麻帆良に、長谷川千雨はいるじゃねーかよ…………」

「でも、あの長谷川さんは、あなたとは違うから、だから…………」

 

 ネギから告げられた言葉は、この『長谷川千雨』を構成する人工知能に大きな衝撃を与えた。

 このプログラムは、自分を『長谷川千雨』であると定義することで機能しているのだ。そこを違えれば自己同一性の認識に支障を来たすことになる。

 自分と、あの長谷川千雨は違うと、ネギ・スプリングフィールドは言う。最愛の人の顔と声で。

 そんなに、自分と『長谷川千雨』は違うのか。

 ここにいる私は、長谷川千雨とは別の存在とでも言うのか。

 

 

 

「じゃあ私は誰なんだよ」

 

 

 

 私は何だ。長谷川千雨ではないここにいるこれは一体なんだ。

 違う、そうじゃない。ネギの言いたいことはそういうことじゃない。確かに長谷川千雨は2つ存在していて、そのうちの片方だけがネギのために戦ったのだから、それらが別個に存在していると知れば別人と認識するだろう。

 当たり前のことだ。

 それが分かっていても、ネギの口から、『長谷川千雨』と別人と言われることは、余りにも耐え難い。

 千雨は両手で顔を覆い、皮膚に爪をたてた。電力から実体化されている肉体からは血が出なかった。

 人間としての自分が揺らいでいる。

 頭が痛い。

 精神が根元から崩れ落ちそうな感覚。

 元々子供のような屁理屈で自分を維持していたのだ。精神データを少しづつ移譲して、連続しているから本人だ、だなんて。

 別物に決まっているのだ。肉と魂で構成された人間と、電力とプログラムで動く自分では。

 私という存在は『長谷川千雨』にはなり得ない。

 じゃあ、私はなんだ。

 考えるな。思考を止めろ。思考回路の一部を強制断線。思考を進めるな。これ以上考えれば。

 自我が崩壊してしまう。

 

「千雨さ」

「うるさい」

 

 口を開くな。なんの苦しみも背負っていない子供が、あいつと同じ顔で『長谷川千雨』の名前を呼ぶな。

 お前は別人だろう。別のネギ・スプリングフィールドだ。だからこいつの言葉に価値なんてない。だから、黙れ。これ以上私を混乱させないでくれ。

 

「ぼ、僕は、千雨さんが、フェイトに狙われるかもしれなくて…………それで」

「帰れよ! 私は自分であいつに」

 

 こいつと、こいつが連れてきた超鈴音を麻帆良に帰さなければならない。しかしどうやって。まだゲートは繋がっているが、魔力の補充はゲート管制局が握っている。ここではゲートの術式しか弄れないし、魔力そのものがしばらくこの魔法陣付近では枯渇状態なのだ。『力の王笏』があろうとも無いものはどうしようもない。

 

「時間だよ」

 

 完全に参ってしまっている千雨の耳に、無慈悲で無感情な声が届く。

 

「警備員たちの監視が全て客に向いた。もう時間がないよ」

 

 フェイトが千雨の背後から肩を叩いた。契約相手であるフェイトが一言催促することで、鵬法璽の契約が効力を発揮し、千雨が果たすべき義務を強制的に遂行させようとする。それが実行困難なことであれば実行されるまでにラグが発生し、その隙に『力の王笏』で鵬法璽の契約を自身の魂から削除することもできただろう。しかし不幸なことに、千雨にとってゲートポートの転移システムを破壊し尽くすことは呼吸するよりも簡単なことだった。

 一瞬で、ゲートポートの転移陣とその制御システム、魔力供給路と吸魔力ポンプ、監視システムに通報装置等あらゆる機能が復元不可能なまでに木っ端微塵になった。

 

「フェイト…………!」

 

 フェイトを前にしてネギが構えをとる。月詠直伝のその構えは重心が高く、両の掌に魔力を巡らせるそれは中国拳法とはまた異なっていて、千雨には見覚えがない。

 

「何かな、ネギ・スプリングフィールド」

「千雨さんを返せ」

 

 ふん、とフェイトは鼻で笑った。次の瞬間にはその姿が搔き消え、千雨の前に躍り出てネギの腹部に足刀を入れた。

 それを両腕をクロスさせて受けるが、魔法発動体がまだ預けたままだったため身体強化が不十分であったネギの体は来た軌跡を逆戻りするように吹っ飛んだ。それを茶々丸が受け止め、超と月詠が追撃を牽制するため前に出る。その様子をフェイトは上段から冷徹に見下ろす。

 

「君は、大きな勘違いをしている」

「何のこ、と…………」

 

 ネギが叫ぶも、その声は途中でかき消される。右手を軽く上げたフェイトのさらに上空。吹き抜けとなっているゲートポートの大きな天窓から、幾本もの巨大な石の柱が降り注いできたからだ。

『冥府の石柱』。正六角柱の石の塊で、莫大な質量を持つ魔法構造体を対象にぶつけるというシンプルな魔法である。普通の術者であれば200キログラムの質量を生み出せればいい方だが、フェイトの手にかかればそれは比べるのもバカらしくなるほどの質量が生み出され、それの落下により生まれる運動エネルギーは直撃すれば大抵の魔法的防御も無慈悲に押しつぶす。

 そんなものがいきなり陽光を遮るように頭上に現れ、ゲートポートはパニックに陥った。客が多い便であったこともパニックに拍車をかけていただろう。

 そんな状況の中で、決して大きくないはずのフェイトの声は明瞭にネギの耳に届いた。

 

「長谷川千雨は自分からぼくたちに接触し、自ら進んでこの作戦に協力してくれているんだよ」

 

 石柱の群れが落ちる。ゲートポートの建物が轟音とともに崩れていく。瓦礫と粉塵が豪快に飛び交うその先に、ネギはかろうじて千雨を捉えた。

 千雨からフェイトの手をとり、転移魔法で姿を消す様子を。フェイトに逃走を促された時の彼女の顔に浮かんだ、紛れも無い安堵の感情を。ネギの目は捉えてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あー、ネギ坊主?」

 

 崩落が一通り収まり、超がゲートポートの残骸の上でネギに話しかけた。

 しかしネギは全く反応を見せない。体育座りで顔の下半分を膝に埋めたままだ。

 顔を覗き込めば、闇を飲み込んで多少改善したはずのネギの目が、また光を映さないどす黒いヘドロのような闇に戻っていた。

 良い目してますわ〜、と月詠は茶々丸の手を借りて瓦礫から這い出ながらはあはあしてた。

 超は天を仰いだ。

 夕暮れに変わりつつある、懐かしの火星の空だった。




メタ的な解説

赤松先生の作品『AIが止まらない!』のヒロインは実体化モジュールで実体化した人工知能でありもちろん人間ではないのですが、そのプログラムが成長しあまりにも人間に近づきすぎた結果、その体も人間そのものになり、傷を負えば血も流す肉体を手に入れるまでに至りました。つまり赤松作品の人工知能たちは、自分が人間であるという認識が強ければ人間と同じように血を流したり仮契約できるようになり、逆に人間である確信が揺らげば、怪我も流血もしない自律する人型の物体になってしまうわけです。

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