長谷川千雨の約束   作:Una

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第十三話 尋問

 ゲロ吐きそう。

 そんなことを千雨は思う。

 実体化された体では吐くことなんかできるはずもないのに。

 もはや食べることも、眠ることも必要ない体となって優に150年は超えている。嘔吐の記憶など記憶野の奥底にかすかな断片が残っている程度だ。

 吐けるものなら吐いてみろ、人間ですらないくせに。

 脳内に構成した電子空間で、そんな自嘲を自身に叩きつけながら、千雨は任務を遂行していった。

 魔法世界の各地に残る11箇所のゲートポートを順に破壊した。その過程を千雨はよく覚えていない。片手間にできることであるし、人造人格に任せきりで、千雨はその奥で頭を抱えていたのだ。

 なぜネギは魔法世界まで来たのか。

 ネギは長谷川千雨を探しに来たという。この、ここにいる『長谷川千雨』を。

『長谷川千雨』の単なるコピーに過ぎない自分を。

 なんでこんなことになってしまったのか。どうすれば地球に帰ってくれるか。

 それらの疑問が何度も何度も頭をめぐる。袋小路に囚われた思考は一歩も先に進もうとはしない。

 進まないというより、むしろこの疑問にあえて拘泥しているところがある。

 精神の奥底から沸き上がる感情を押さえつけるために、必死に、あのネギを叩き返す方法を考え続けているのだ。

 

 考えてはいけないのに、どうしても、嬉しいと感じてしまうから。

 

 生きているネギが、自分の意思で私を求めてくれている。

 100年以上側にいながら、摩耗していくネギをただ見ていることしかできなかった。ヨルダに侵食される苦痛を知りながら、最後まで傍観者であり続けるしかなかった。

 側にいるという約束を、果たすことができなかった。

 そんなネギが、生きて、私を求めてくれている。

 そのことが嬉しくて、嬉しすぎて、喜びとともに、途方も無い罪悪感を覚えて。

 裏切りではないか。

 自身の存在意義すら揺るがす最悪の禁忌。

 自分は、あのネギのために存在するのだ。

 こんな感情、持ってはいけない。

 ここにいるネギと、私のネギは別物なのだ。

 それにも関わらずあんな、10歳程度の子供の行動に一喜一憂するなんて。

 なんて──罪深い。

 

「長谷川千雨」

 

 ノックとともに扉から声がした。

 フェイトだ。墓守人の宮殿の中層にあてがわれた千雨の部屋に、悪の中ボスが訪れたのだ。

 

「なんだよ。戻ってきたばっかで疲れてんだよ」

「どこか、調子が悪そうだと思って。作戦中もどこか上の空だったし」

「ご心配なく。絶好調だよ。寝りゃ治る」

 

 だから寝かせろ、という意味で言ったのだが、フェイトはそれを無視して扉を開いた。その背後には栞が俯いて立っていた。フェイトは栞に目線だけで指示し、栞を千雨の隣に座らせる。その栞の細い、微かに震える手が、千雨の手を取った。

 

「なぜ、あそこにネギ・スプリングフィールドがいたのかな」

 

 来た、と千雨は思った。

 

「あんなん、私だって想定外だったっつの」

「渡航者リストをわざわざ書き換えて?」

「書き換えなんてしてねーよ」

「ではなぜ彼の名前がリストに載っていない?」

 

 ギシリ、と空気が軋む。千雨の手を握る栞の震えがさらに大きくなる。外殻には平静を装わせているが、電脳領域にいる千雨本体は恐怖でガクガクだった。

 

「載ってねーものは載ってねーんだからしょうがねーだろ。こっそり紛れ込んだとかじゃねーの?」

「転移ポートのチェックはそんな甘いものじゃないけどね。認識阻害と空間歪曲の組み合わせで、事前に発行されたコードキーを複数提示しないとそもそもゲートにたどり着けないようになっている」

「はっ、そんなセキュリティ、あいつにとってみりゃ無いも同前だろーよ」

「あいつ?」

 

 無表情で首を傾げるフェイトの姿にちょっとかわいいなこいつと千雨は一瞬思った。こちらを威圧してくる殺気を飛ばしてくるのでそんな感想は即座に霧散した。

 

「ネギ先生の近くに女がいただろ」

「月詠さん?」

「誰だよ。あの黒髪の、お団子二つ付けてるやつだよ」

「…………いたね。彼女がなに?」

 

 超鈴音を表す言葉は多い。火星人だの麻帆良の最強頭脳だの超包子オーナーだの、量子力学研究会会長なんてのもあった。だがあの女を最も端的に表現するなら。

 

「天才だよ」

 

 この言葉をおいて他にない。

 

「魔法と科学の両方に精通している。それを組み合わせて量子コンピューターなんて完成させちまった化け物だ」

「ふうん?」

「やつと、やつが作った量子コンピューターと、ハッキングプログラムがあればどんな防護壁も意味をなさない。誰にも気付かれずにどこにでも出入りできるし、どんな情報だって盗ってこれる。ネギ先生が転移陣に忍び込めたのもあいつの手引きだろーよ」

「…………」

「お前らは随分とネギ先生を警戒してるみてーだけどよ、現時点で、最も警戒すべきは超の方だ。あいつが何のためにこんなとこまで来たのかは知らねーけど。やつがこっちに来ちまった以上、この世界はあいつの、超鈴音の手の平の上にあると言っても過言じゃねー」

 

 千雨が口にした言葉には、たしかに事実を多く含んでいた。嘘は付いていない。

 それでも、千雨は罪悪感で吐きそうになった。

 今千雨は、ネギを守るために超を生贄に捧げようとしたのだ。フェイトたちの注意を超に向けさせて、少しでもネギの生存率を上げるために。

 

「ただ、あいつを殺そうなんて考えるなよ? 超はネギ先生の生徒だ。超が殺されるとなったら全力で抵抗するだろうしよ」

「わかってるよ。それに、君との契約で、彼の関係者にも手を出さないことになってるからね。君が心配する必要はないよ」

「…………」

 

 そんな契約いつでも破棄できるくせに。よっぽどそう言ってやろうかと思ったがなんとかそれを堪え、千雨は舌打ちするにとどめた。

 

「まあ、私たちの目的がネットワーク上にも上がっていない以上、超がどんなひみつ道具を持ってきてたとしてもそれがバレることはねーよ。目的がわからない以上こっちを邪魔する手段もなければ動機も生まれねー。何も知らないうちにさっさと地球に叩き返してやるのが一番だ」

「どうやって?」

「え?」

 

 どうやってってことがあるか、と千雨は思う。かつてフェイトがネギに契約を持ちかけた時、こいつは言ったのだ。生徒たちと一緒に地球に返してやると。だからこちらの邪魔をするなと。

 

「な、ないのか? 地球に送還する方法」

「あるわけないだろう。あったら魔力が分散してしまう。旧世界との繋がりをここだけにして、魔力溜まりを形成することが今回のテロの目的だよ?」

「でも、じゃあ魔力溜まりができたときにここの、いや」

「なに?」

「…………ちょっと、これを見てくれ」

 

 言って、『力の王笏』で即興で作成した図面を、プロジェクターアプリで宙に投影した。それを指差しながら千雨は説明していく。

 

「ここにあるゲートは休眠状態になっているけど、転移のシステム自体はまだ残っている。魔力供給路はだいぶヘタってるみたいだけど、ポンプと一緒にチェックして壊れている部分があったら私が直す。これが使えれば、計画の前にあいつらを地球に返すことができる」

「…………無理だね。ここの、吸魔力ポンプが設置されている場所。本来なら地脈に設置してそこを流れる魔力を吸い上げるんだけど、このオスティアはまだゲートを開けるほど地脈が回復していない」

「なんでだ? 地脈にダメージがあったのか?」

「オスティア事件。魔力消失現象が発生した影響だよ」

 

 あー、と千雨は呻いた。

 

「じゃあしょうがねー。あいつらを予め帰しておく、てのは諦める。でもあれだ、計画を実行して魔力溜まりがここの上空に形成されたらゲートの開通なんか余裕だろ」

「…………それは、そうだね」

 

 そういえば、と千雨は思い出す。

 かつて、千雨の体感では二百年近く前のことだが、世界の命運がかかった最終決戦の場で、空一面に神木を中心にした麻帆良の街並が映っていたな、と。

 その後エヴァンジェリンがやって来てこいつらをボコボコにした挙句にまとめて冷凍保存にしたのだった。あのとき麻帆良とこの宮殿は繋がっていて、つまりこいつらの計画は、あのロリババアが麻帆良にいる時点で最初から破綻しているのではなかろうか。登校地獄に囚われていたエンドレス厨二ロリがどうやってここまでやって来たのかは謎だが。まさかあの学園に封じるという呪いは、上方向ならいくら離れてもセーフということなのだろうか。今更ながらに衝撃の事実に気づいた気がする。

 そんなことを考えていた千雨に向かって、フェイトがおかしなことを言い出した。

 

「じゃあ最後に地球とつながるときまで彼らに何もせず待っていてもらうように交渉してきてもらおう」

「…………誰が?」

「君が」

「な、なんで」

 

 いきなり振られて千雨は焦る。

 冗談ではない。今ネギの前に出て冷静でいられるはずがない。もちろん人造人格に任せてしまえばいいというのはわかっているが、もはや自分があいつを前にしてどんな誤作動を起こしてしまうか分かったものではないのだ。

 しかしフェイトは千雨の事情などまったく頓着せずに告げる。

 

「僕らではまともに話を聞いてもらえない可能性が高い。それに契約で縛られているから、戦闘になったらまずい」

「ゲートポートで蹴り入れてたじゃねーか。つーかあれなんだよ。ネギに危害は加えないって契約だったじゃねーか」

「あんなの、優しく脚で押しただけだよ。本来はあの足刀で首を切り落とすことだってできた。『冥府の石柱』でも彼は傷1つ負っていないはずだよ」

「そーかいそりゃ重畳」

 

 くそ、と千雨は内心吐き捨てる。

 

「あの契約があるから、君自身が彼の前に出る必要が出た。君の望みを叶えた結果なんだから、そのくらいやって欲しいな」

 

 千雨は頷くしかなかった。

 考えるだけで気が滅入る。

 自分の感情を抑えるのにも、限度はあるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギたちは事情聴取を受けることになった。

 とは言っても容疑者としてではない。あくまでテロ発生現場の生存者として、あるいは目撃者としての聴取だ。

 聴取を行った衛士によれば、随分と現場は混乱しているらしい。

 ゲートポートが崩壊したのはネギたちもその目で見たが、それ以上にあらゆるデータや術式が削除されたことが痛いらしい。監視カメラの画像も、渡航者リストも、転移の術式すら跡形もなく破壊された。さらには、現場からは死体が1つも出ていない。死者がいない、ではなく行方不明者推定300人超。ゲートに詰めていた職員と、この時期の渡航者推移からの推定を合計した概算である。これだけの数の人間が、まるで神隠しにでもあったかのように消えたのだ。瓦礫の下をどれだけ漁っても血の一滴すら見つからない。

 しかもそういった事件が魔法世界に12ある全てのゲートポートで起こったのだという。

 衛士も相当参っているようで、隈のできた疲れ切った顔で愚痴のように教えてくれた。

 超としては幸運であった。

 渡航者のリストと死体が失われているから、自分たちがリストにいない密入国者であることはバレていない、バレようがない。ただの善良な被害者として扱ってもらえる。ネギの状態も、テロに巻き込まれたショックで放心状態にある子供そのものであるため、衛士や救助隊の魔法使いたちもそれ相応に扱ってくれた。

 さて、と超は腕を組む。ここで自分はどの様に振舞うべきか、と。

 ここでネギ・スプリングフィールドの名前を出していいものか。

 出せばかなりの便宜を図ってもらえるだろう。ネギが使い物にならない以上、こちらで長谷川千雨、およびエヴァンジェリン曰く『完全なる世界』の残党を追いかけなければならない。ネギの名前とこちらのもつ犯人の情報を出せば、捜査に協力するという名目でメガロメセンブリアの警察組織から情報を得られる立場が手に入るのではないか。

 しかし、やはりネギの名前を使うことに躊躇いはある。

 まず危険であること。スプリングフィールドの名が持つ影響力は絶大であるが同時に多くの恨みも買っている。危険人物がネギに近づいてくる可能性が考えられる。

 次に不法入国であることがバレかねないこと。いくら渡航者リストが失われていると言っても、ネギ・スプリングフィールドが魔法世界にやってくるとなれば、それ相応の準備を魔法世界ではされるはずである。事前に根回しがされ、お偉いさんのスケジュールを調整してネギのスケジュールに組み込むのか偶然を装うのかは知らないが必ずネギとの挨拶と顔合わせがされるはずだ。そういった情報が麻帆良からメガロの上層部に全く伝わっていない、にも関わらずネギ・スプリングフィールドがいるとなればはたして自分たちはどのような扱いがされるか。ゲートが潰されている以上麻帆良と連絡は取れないはずで、ただの連絡の齟齬で処理してもらえるかは正直賭けの要素が大きい。下手をすれば自分と月詠がネギを誘拐したなどと糾弾される可能性だってあるわけで。

 悩みながらも衛士と適当に話を合わせていると、取調室の扉が突然開いた。

 そこから現れたのは、ひょろりと背の高い男だった。メガネの下から覗く目は柔らかい弧を描いている。一見温和な優男に見えるが、男の歩の進みや重心のブレの無さは、その見た目に反してかなりのやり手であることが窺える。となりに座っていた月詠もさり気なく背を伸ばしている。ちなみに彼女の刀やネギの指輪型魔法発動体などは控え室で保管されていて手元には無い。それでもこの女の危険度は大して変わりはしないのだが。

 

「取り調べ、変わりますよ」

「え、や、はっはい! 了解しました!」

 

 今まで取り調べをしていた衛士の反応からして、この男は随分と身分の高い人間らしい。そんな男がわざわざなんの用なのか。生存者一人一人を見て回っているのだろうか。

 

「さて」

 

 ネギの目の前に座り、男は組まれた両手で口元を隠す。その目はまっすぐにネギを見据えている。値踏みするその瞳にもネギは反応しない。俯いたまま視線を合わせようとすらしない。

 

「初めまして、ネギ・スプリングフィールド。英雄の息子」

 

 ネギが肩を震わせた。超はかろうじて無反応を維持できた。

 一目でネギの正体を看破した男は笑顔で言う。

 

「私の名前はクルト・ゲーデル。オスティアの総督なぞをしています」

 

 男、クルトは腕を解き、握手を求めて右手をネギに差し出した。

 

「よろしく」

 

 クルトの言葉にも応えず、ネギはぼんやりとその手を見つめるだけだ。

 ネギが反応しないので、月詠が代わりにその手を握った。微妙な顔をされた。

 

 

 

 

 

「なぜここにいるのか、についてを追及するつもりはありません」

 

 クルトはそう断りを入れた。

 

「むしろそのことを私以外に公言しないように。どんな輩が近づいてくるか分かったものではありませんし、ことによっては君たちを私が処罰しなければならなくなる」

 

 何の罪かはまだわかりませんが、とクルトは笑みを深める。

 つまり、バラされたくなければ言うことを聞け、という話である。

 追及しない、ということはこちらには弁明する機会すら与えられないということで、この男がその気になればここでの証言を捏造し、どんな罪でもでっち上げられるということだ。

 厄介な相手、それも総督などという立場の人間にネギの存在と入国について知られてしまった。その視線から溢れる気配にどんどんと粘り気が増してくる。周囲を探れば部屋の外に人の気配が10以上。その足取りの重さから武装済み。総督を名乗るのだ、護衛くらいはつけていて当然ではあるがそれにしても物々しい。右を見れば月詠がニヤニヤしだした。まずいこいつ刀無しでもやる気ネ、と超は焦るが正直非武装状態の超に月詠を止めることなど不可能である。今回茶々丸も『力の王笏』対策のため電子戦メインの装備に換装していたため、物理的な戦力としては心もとない。というかそもそも超はそっち方面を月詠とネギに期待していたわけで。自分と茶々丸に腕っ節を求めるなんてナンセンスネ、と超は内心ため息をつく。麻帆良祭を前にアレを起動するつもりはないのだ、痛いし。寿命縮むし。

 

「それで、総督様は一体何をお望みネ?」

「話があるのはそちらの英雄の息子さんなのですが」

 

 いえ、とクルトは口ごもり、突然その口元を邪悪に歪め、

 

「あえてこう呼びましょう。かつて自らの国と民を滅ぼした『災厄の魔女』。アリカ・アナルキア・エンテオフュシアの遺児、と」

「そうなのカ!?」

 

 会心の笑顔で衝撃の事実を告げたクルトである。が、それに反応したのは超だけで、肝心のネギは月詠と一緒に無反応だった。

 100年未来に生まれた超には、歴史の闇に消されたネギの母親について知る術がなかった。アリカ女王については今クルトが言った『災厄の女王』としての経歴しか知らない。それがネギの父親、つまりはナギ・スプリングフィールドの妻ということである。どういう経緯でナギ・スプリングフィールドと恋仲になるのか、是非とも聞きたいところである。

 しかし望んでいた反応をネギから全く得られなかったクルトはアプローチを変えることにした。この聴取室を監視カメラで観察した結果(もちろん、この部屋に入る前に監視カメラは停止させていた)、ネギが『闇の福音』の固有技術『闇の魔法』を習得していることがわかった。その精神状態も不安定であることから、彼を挑発して闇に堕とし、復讐を口実に味方に付けるという作戦を立てていた。

 この年頃の少年に母親の情報を出せばある程度は釣れると考えていたのだが。

 

「そこまで興味がないようでは、しかたがありません。正攻法でいきましょうか」

「エ、アリカ女王については」

「それはまた今度。実はネギ君にはある事業に協力してほしいと考えているのですよ」

 

 クルトはメガネを指で押し上げ、表情を隠す。

 

「メガロメセンブリア元老院。始まりの魔法使いとその意志を継ぐ「フェイト・アーウェルンクス」一派。ヘラス帝国。その全てを打倒し、この世界から6700万人の同胞を救い出すこと。それが我々の目的です」

「なるほどネ」

 

 超が頷いた。この時代から、世界の滅亡に抗う人間がいたのか。そんな感慨を抱きながら。

 

「こちらに住む『人間』を地球に逃がす、ということネ」

「君は…………」

 

 クルトが目を見開く。取るに足らない、10代半ばの子供としてしか見ていなかった目の前の少女が、まさか核心に迫る情報を握っているのか。

 

「しかし6700万もの人間が住む場所なんて地球には無いネ。移民か、難民か知らないガ、これだけの人間がいきなり現れたところで土地と資源の奪い合いにしかならないヨ」

「ええそうでしょう。ですがあちらには我らが同胞が世界中に散らばり、あらゆる組織に根を降ろしています」

「その魔法使いたちと呼応し、魔法を用いて地球の科学兵器と戦争、カ」

「戦争や武力の行使などは極力避けますとも」

「極力、ネ」

「…………我らの同胞は地球の各国政府の上層部に食い込んでいます。政治的な工作で、少しずつ現地に溶けこませていけば」

「それでは間に合わないネ」

 

 超は一言でクルトの、メガロメセンブリアの案を切り捨てる。

 

「工作は間に合わず、結局火星に取り残された市民が地球に大挙として押し寄せることになるヨ。そして各地で起こる混乱。魔法使いたちは魔法でもって自らの生存と自治、人権を望み、やってやり返され、ついには泥沼の闘争が始まるヨ」

 

 ネギ坊主を仲間に引き入れたいのも、魔法世界での先の組織の打倒だけでなく、地球との戦争の旗頭にでもしたいのだろうと超は予想する。確証もないため、そこまでネギの前で言う気はないが。

 

「…………まるで見てきたように言いますね」

「今朝の新聞でも開くといいヨ。難民問題なんてそこかしこにありふれる悲劇ネ。それともそんな悲劇は当たり前すぎて目に入らないカ?」

 

 片方が魔法という武力を持っているから不均衡と精神的隔意が生まれるのだ。だから自分は地球全体に魔法の存在を広め、純地球産の魔法使いが生まれるようにする。地球人と火星人の間の差を無くす。それでも起こるだろう争いは自分がその財力と科学技術をもって影に日向に介入していく。それが超の抱く計画であった。

 ただクルト・ゲーテルという男は、アリカ女王への思いが強すぎて、アリカが救った人間を生かすためなら地球人のことなど頓着しない、どれだけ死のうと必要な犠牲であったと割り切る狂気を抱いている。争い自体をそもそも無くそうとする超とは決して相容れない精神性であった。

 

「あの〜」

 

 超とクルトの空気が剣呑になりつつあるなかで、月詠が声をあげた。正直助かった、と超は安堵のため息を漏らす。少し熱くなり過ぎた。

 

「さっきから火星とか地球とか、どういうことです? それに火星から逃げるって」

「ああ、そのことですか」

 

 クルトは意外そうな顔をした。てっきりこの世界に関する情報については彼らの中で共有されているのだと思っていたのだ。

 

「単純な話ヨ」

「と言いますと?」

 

 本当は、ネギの前でこの話をするつもりはなかった。もう少しタイミングを見て、ネギに与える情報を操作し、印象を変えてから公開し、ネギの協力を得るつもりであった。

 しかし、目の前にいるクルト・ゲーテルという男はそんなことに頓着しない。ネギの前だろうと容赦なく、ネギを手に入れるためならどんな情報も開示するだろう。それなら、クルトが口にするより先にこちらから開示して会話の主導権をこちらに引き込む。

 

「この『魔法世界』すなわち『火星に築かれた人造異界』は、あと10年ほどで崩壊するネ」

 

 この言葉に対する周囲の反応は様々だ。

 クルトは「あと10年」という期間の見積もりに眉を蹙めた。たしかにあと10年では自分の移民計画は間に合わない。しかしその時間は何のデータを基にした数字だとクルトは思考を巡らせる。この時点で主導権を握ろうとする超の思惑は成功していたと言える。

 月詠は笑った。あと10年で崩壊する世界であるなら、何をしたって罪に問われないのでは無いか。人を斬りたくて傭兵などやっているのだ。これからの10年は楽しいことになるかもしれない、とひっそり唇を舐めた。

 そして、ネギは。

 

「なぜ」

 

 初めて口を開いた。

 

「なぜ、6700万人だけなのですか?」

「…………それ以外の住民は救えないからです」

 

 その問いにはクルトが答えた。

 

「この人造異界に住む存在の中で、れっきとした人間なのはメガロメセンブリア市民だけなのです。それ以外の魔法世界人は、魔法世界の崩壊と同時に消え去る、魔法世界と同じものでできた幻想。彼らはこの幻想の世界から出ることができず、魔法世界と命運を共にするしかない!」

 

 それは、絶望しかない情報であった。解決不可能の問題である。超も何かに耐えるように唇を噛み締めている。発言したクルトもその目には諦観が浮かんでいる。

 しかしネギは全く別のことを考えていた。それは、千雨が何のためにフェイトに協力しているのか、である。

 フェイト、というよりアーウェルンクスとは、かつて魔法世界で『完全なる世界』なる組織の幹部の名である、とエヴァンジェリンや近衛詠春から聞いていた。

 その組織の目的は『世界の滅亡』であったらしい。

 であるから、千雨がフェイトとともに起こしたゲートポート破壊テロは、世界を混乱に陥れるための活動である、と思っていた。

 しかしだ。世界は、何もせずともあと10年で崩壊するという。

 果たして今回のテロと、消滅した死体。これらと『完全なる世界』の目的はどう繋がるのか。

 

「ネギ君」

 

 クルトが話しかけてくる。煩わしい、とネギは思った。

 

「君の両親は。ナギとアリカ様は、この世界を救うためにその命を捧げました。その子供であり、力を持つ君には、彼らの意志を継ぐ義務があるのではないですか?」

「…………」

「それに、君には復讐の意思はないのですか? 君の住んでいた村を襲ったのは、何を隠そうメガロメセンブリア元老院なのです。君がアリカ様の血を引いていたが故に、あの事件は引き起こされました」

「どういうことネ?」

「メガロメセンブリア元老院の策略により『災厄の魔女』との濡れ衣を着せられたアリカ様の血を引くこと。エンテオフュシアの末裔であること。これらが彼らにとっては大層目障りだったのです」

 

 そう! とクルトは拳を握って立ち上がる。椅子が派手に転がるのも無視してクルトは踊るように叫ぶ。

 

「全ては! ネギ君の身に降りかかった悲劇は! アリカ様を利用しようとして挙句に失敗した元老院によって引き起こされたのです! 君には、アリカ様の無念を晴らし、アリカ様が救った民を導く義務がある。違いますか!」

「わかりました」

 

 ネギの呟くような声に超は振り返り、クルトは意表を突かれた。

 

「今なんと?」

「あなたの仲間になります、と言いました」

「素晴らしい!」

 

 クルトは大げさなほどの身振りで喜んだ。アリカに関して今まで誰とも共有できなかったのだ。その息子と、彼女の無念を晴らすことができる未来にクルトの身は震えた。

 

「ですが、1つだけお願いしたいことがあります」

「なんでしょう。これでもオスティアの総督です。ある程度なら聞き入れることができますよ」

「人を探しています」

 

 言いながらネギが胸から取り出したのは、千雨との仮契約カードだ。

 机の上に、クルトから見て正位置に置いた。それをなんとはなしに超も眺める。クルトの権力は、人探しには確かに魅力的だ。魔法世界の滅亡云々を抜きにしても、ここはとりあえずクルトの仲間になることもありかもしれない。むしろ、ここでクルトに引き止められ麻帆良祭においてもネギが魔法世界にとどまってくれるのなら、超としては自分の計画の成功率が上がるのだ。

 

「チサメ・ハセガワ…………彼女は?」

「フェイト・アーウェルンクスと行動を共にしています。あのテロ現場にも現れました」

「ふむ」

「脅迫されてのことかはわかりませんが」

 

 少し気になって超が声をかける。

 

「総督は驚かないネ?」

「何がですか?」

「アーウェルンクスの名前を聞いても、ということヨ」

 

 ああ、とクルトはうなづいた。

 

「一連のゲートポート破壊テロの中で、死体が1つも出てこなかったことはご存知ですか。これは『完全なる世界』の犯行の特徴なのですよ。タカミ…………有志の魔法使いが奴らの足跡を追っていたのですが、ついに行動を開始したようですね」

 

 困ったものです、とクルトは軽く肩を竦めた。

 

「それにしても」

「何ネ?」

「いえ、まあ『完全なる世界』は歴史ある由緒正しい犯罪組織なわけですが」

 

 言いながらクルトは仮契約カードを手に取った。

 

「アーウェルンクスと行動を共にしているということですが、『完全なる世界』に所属しているにしては随分と若いですね。もしかしてこの人物は人間ではない?」

「いや人間のはずだガ、どういうことネ? 見た目くらいいくらでも誤魔化せるヨ」

「いえ、仮契約カードに写る姿を誤魔化すことは不可能です。仮契約は魂の契約ですから、どんな魔法を用いてもその人物の姿と名前を偽ることができないのです。だからこのカードは魔法世界では身分証明書として1番ポピュラーなものだったりするのですが。そちらの世界でいう自動車免許証と同じ扱いですね。これがアーティファクトカードだったりすると一端の魔法使いとして一目置かれたりします」

「エ」

 

 超はその言葉に衝撃を受けた。

 超のいた未来では何十年以上も前に仮契約など廃れていた。仮契約があれば素人が手軽にアーティファクトや転移などが行えるようになるため、地球側は仮契約を担うオコジョ妖精を見つけ次第捕獲あるいは殺害し、ついには絶滅させることに成功したのだ。その魔法陣についても失伝したため、超は仮契約について細かい仕様を知ることができなかったのだ。

 

「まあ良いでしょう。ネギ君は私たちの計画に協力する、こちらはこの少女の捜索に協力する。ということで契約をしましょう。数日待っていただけますか、なにぶん急だったもので、しかもなにかと混乱してましてね、強制契約の書面を準備するのに時間がかかるのですよ」

 

 仮契約カードに描かれている姿がなんの偽りもない姿なのだとしたら、なぜ未来から来たはずの長谷川千雨は14歳の姿で描かれているのだ。

 それに、『私は誰なんだよ』という発言。

 一体、彼女は何者なのか。

 この問いが、彼女の目的を推し量るのに重要な意味を持つのではないか。そんな予感が超の脳を走った。


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