長谷川千雨の約束   作:Una

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第十四話 誰もが通った道

 考えてみれば、これは良い機会かもしれない。

 祭りの準備で忙しなく人が往来する街路を歩きながら千雨は思う。

 自我が崩壊しそうで。

 自分の存在意義が揺らいでいて。

 自分が『長谷川千雨』であることに対して、疑いを持ってしまった。

 ただでさえギリギリで、ツギハギだらけだった自分の定義がさらにボロボロになって、このままでは実体化しているプログラム本体の動作に支障がでてしまう。

 だから、新たな定義を設定しなおさなくてはならない。

 自分が『長谷川千雨』であるという自負を失い、ネギへの思いすらこの世界のネギに侵食され。あとは、自分が目的を果たすための道具であること。それしか千雨の中には残っていない。作られる時に設定された目的。自分を定義する根底命題。

 すなわち、魔法世界の科学的手法による実体化。

 そして始まりの魔法使い、ヨルダ打倒のため世界とそこに住む人類の改変。

 それすら、栞のせいで揺らいでしまっているけれど。

 雑踏の中を器用にすり抜けながら千雨は呟く。

 

「禊、とでも言うのかね」

 

 罪や穢れを落として自身を清らかにすること。

 そうだ。

 こちらに転送されてから何一つうまくいかない。失敗ばかり繰り返してきた。きっと自分は、自分を構成するプログラムは、『長谷川千雨』をコードする精神からなにか重要な物が欠けてしまったのだろう。

 オリジナルと比べて何が欠けてしまったのかは判断できない。

 それでも唯一言えることがある。

 自分には覚悟が足りないのだ。『長谷川千雨』本人には間違いなくあったであろう覚悟が。区切りをつけなくてはならない。計画の最終段階を前にして、こんなグダグダとした体たらくではダメだ。まして、ここのネギに惑わされるなど。そんなこと、『長谷川千雨』なら絶対ありえないことだ。

 そのための禊。

 この自分には穢れが染み付いてしまっている。

 穢れを祓え。

 自分のために火星まで来たネギを、地球に追い返せ。

 ここのネギを拒絶することで、自分はきっと目的のために邁進する『長谷川千雨』本来の『長谷川千雨』性を取り戻すことができるはずだ。

 

「よし」

 

 千雨は背筋を伸ばし、人垣の隙間から見え隠れする目標を見据えた。

 さあ、自分を再定義しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 クルト・ゲーテルとの交渉を終え、ネギたちは一度解放された。

 暖かな日差しの下、オスティアの街を歩けば陽気に誘われたように多くの人々がはしゃいでいる。耳に入るのは明るい話し声と子供の笑い声。時折花火もポンポンと上がる。どれも何かしらのイベント開催の合図なのだろう。

 祭を前にして、街の空気そのものが浮かれている。

 

「これ全部作り物なんですね〜」

 

 月詠が周囲をキョロキョロと見渡しながらそんなことを言った。周りには人間だけでなく、犬や猫のほか様々な動物的特徴を持つ多くの亜人種が大通りを交差している。

 超の言った、幻想、という言葉に月詠も思うところがあるようだ。

 

「せっかくたくさん斬れると思って来ましたのに、お人形を斬っても楽しくないですわ〜」

「作り物、とはまた違うネ」

「と言いますと〜?」

 

 超はアイスクリームを片手に月詠に答える。暑い日にはチョコミントがマストネ、とか思いながら。

 

「始まりの魔法使いが魔法世界を作た。それはいいヨ。でもそれ以来、この世界の全ての存在が互いに影響し合いながら歴史を紡いできた。生命の営みを延々と繰り返し、世代は果てしないほど変わり、物質は世界規模で循環し、進化と滅亡を幾度も経験してきた。すでにその在り方は造り手の意図からかけ離れた、予想も付かない形に変貌しているはずネ」

「はぁ」

「道具は造り手の意図から外れることはできないし、外れるべきではない。対してこの世界はどうカ。もう造り手の手から離れているネ。構成する原子は造り手によるものでも、その組み合わせは悠久の時の果てに辿り着いた奇跡の具現ヨ。もしその内に造り手が自由に押せる自爆スイッチがあたとしても、すでにそれを押す権利は誰にもないネ」

 

 超はアイスを舐めた。日差しの下で、氷の冷気が舌を心地よく刺激する。

 

「このアイスも、道に転がる石ころも、全て始まりのなんちゃらさんの意思によって作られた物カ? そんなバカナ。あり得ないネ。みんなみんな、この世界の人間に存在意義を定義された道具か…………誰からの束縛もなく、無意味にこの世界に生み出され、自分で自分の存在意義を定義するかヨ。それは道具や作り物にはできないことネ」

「ん〜、話長いですえ」

「…………この世界の人間は、みんな自分の精神を持つネ。幼少期から環境と教育によって形成される精神を。地球の人類と違いはなにもないヨ。あるいはこんな言い方もできるネ。どちらの精神も所詮プログラム、どちらも平等に無意味、だから差をつけることに意味は無い、とネ」

 

 とは言え、と超は指を立てる。結局話が長くなりそうな雰囲気に月詠はうんざりし始めるが超は気づかない。アイスを持った左手を振り回して、

 

「とは言え、自分の精神がプログラムだと、完全に自分を納得させることができる人間は恐らくいないネ。どれだけ魔法工学を学び、精神が547のモジュールで構成されていると頭で理解し、それをどれだけ声高に叫んでも。心の奥底で自分の中にオンリーワンの自我が、『自分自身』が存在すると願わずにはいられないネ。もし仮に、自身がプログラムだと100パーセント納得してしまえば、その途端その人の精神は崩壊するヨ」

 

 そんなものですかね〜、と月詠は興味なさげに答えた。その態度に超はイラッとしたが、まあ人斬りをまじめに相手にしてもネ、と諦めた。

 

「…………でも結局受け手の気の持ちようですよね〜」

「ン?」

 

 月詠は返却された腰の日本刀の柄を指でトントンと叩きながら、

 

「話を戻すんですけど、魔法世界の人間が人形ではないって説明されたところで、それじゃあ私いっぱい斬ります! て気になるかといったらそうではないわけで。一度人形のようだと思えてしまうと、もう何をしても、どう誤魔化しても人形にしか見えないわけですよ〜」

「あ〜、まあ。結局感情移入できるかという主観の話になるネ」

「超」

 

 そこで、ネギと一緒に後列を歩いていた茶々丸が口を挟んだ。超は歩みを止めないまま視線を後ろに向ける。

 

「ン? どしたネ」

「今のお話ですが、それは自身の主観にも当てはまることでしょうか」

「どういう意味ネ?」

「受け手の気の持ちようによって、道具にも人間にもなる。月詠さんはそうおっしゃいました」

「言たネ。ああ、つまりその受け手というのが茶々丸である場合、茶々丸の精神はどうなるか、言うことネ?」

「はい」

 

 超は笑った。それは見る者によっては母性を感じさせる優しい笑みであった。今この場に母性を解する人間はいないが。月詠に至っては今なんか笑うとこあったかと首を捻る始末である。

 

「茶々丸が茶々丸の精神をどう定義するか。それはお前が自分で考えることネ。先も言たろう? 自分で自分を定義すべきと。お前の造り手たる私が定義しては、茶々丸という存在が私の意図から外れることができなくなるヨ」

 

 超は体ごと振り返り、器用に後ろ向きに歩きながら、茶々丸の眼窩にはめられた二つの高性能レンズを見上げた。

 

「お前は好きに生きろ。私が望むのはそれだけネ」

「…………了解しました、超」

 

 うむ、と超は頷き、そこでふと茶々丸の隣を見た。

 ネギの足はいつの間にか止まっていた。既に超たちとは三歩分の距離が開いている。

 

「ネギ坊主?」

「先生?」

 

 呼びかけるもネギは反応しない。超から見て左に視線を固定したまま微動だにしない。何があるネ、と超もそちらに目をやると、雑踏の中に見覚えのある姿が混ざりこんでいた。この数年ほぼ毎日目にしていた、麻帆良女子中学の制服。

 雑踏がわずかに途切れる。騙し絵のように人混みからその姿が浮き上がる。

 

「…………よう」

 

 不機嫌そうな顔で、こちらを睨むように見つめる、長谷川千雨がそこにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギがクルトとどんな会話をしていたかはわからない。監視カメラの類があの時間だけ完全に電源を切られたいたためどうしようもなかったのだ。

 だが、あのメガネの言うことなど予想がつく。要するに、魔法世界がヤバいから協力してくれ、という話だろう。

 しかもその傍には超がいる。

 すでに魔法世界の現状について、ある程度の情報共有が行われていると考えていいだろうと思う。

 問題は、ネギがテラフォーミングを思いついているか否かだ。

 すぐ近くにあった喫茶店のオープンテラスに席をとり、茶々丸の分を除いた四つの紅茶を用意する。

 というか、ゲートポートが封鎖されてしまったら、超は麻帆良祭までに帰れるのだろうか。もちろん自分の計画が成れば超のそれは不要となるがそんなこと超が知るはずはないし。

 それともこの天才は、麻帆良へと帰るルートを持っていたりするのだろうか。それならぜひともそれを使ってネギを連れ帰ってほしいのだが。

 

「超、お前随分と落ち着いてんな」

「ん?」

「麻帆良祭までに帰れないかもしれないだろ、ゲート全部塞がってんの聞いてないのか?」

 

 ああそのことカ、と超はニヤリと笑った。よくぞ聞いてくれた、といったところだろうか。

 

「帰ろうと思えば、大気圏を突っ切って宇宙を飛んで帰るネ。そのための装備は茶々丸に積んであるヨ」

 

 こんなこともあろーかとネ。そう言って超は笑った。

 

「そんなことできんのか?」

 

 問えば、超が自身の胸元を親指で差し、

 

「このスーツも、どんな環境でも装着者を保護するフィールドを張るようにできてるヨ。超高空でも宇宙空間でも、火星の荒野でも余裕ネ。それに千雨さんは知てるはずネ、生身での星間移動を成功させる忍者の存在を。彼女のお陰で、単独での星間移動に関しては手法が確立してるネ」

「…………そういやそうだった」

 

 長瀬楓のニンニンという口癖を思い出して千雨はうんざりとため息を吐いた。

 あの忍ばない忍者は、あろうことか人類初の生身・単独での地球−火星間移動を成し遂げたのだ。

 その後テレビ取材に答えて曰く『修行の成果でござる』。

 もうバカかと。やることもバカだし、カメラに向かってなにピースなんかしてやがる、「いえ〜い見てるでござる〜?」じゃねえよ忍べよ。その写真、宇宙開拓史の教科書にお前の名前と一緒に載るんだぞ。The・Ninja : Kaede Nagase て写真の下に振られるんだぞ。

 

「初めて見たときビクリしたヨ。あ、教科書のピースの人! て。あの人見た目全然変わらないネ」

 

 偉人との出逢いもこれの醍醐味ネ、と超は笑う。その笑みの裏で超は千雨を見定める。目の前にいる『長谷川千雨』は、少なくとも長瀬楓のピース写真が初めて採用された『図表・宇宙開拓の歴史』第7版が出版された西暦2030年より先を経験している、と。

 

「でもこっちは異界だろ。ただ上に向かって飛んでくだけで宇宙に出られんのか?」

「そこは抜け道がある、というか作るネ。異界構築の術式構造は、規模が変われど土台は大体一緒ネ。魔法世界でもダイオラマ魔法球でも。ダイオラマ魔法球、千雨さんはご存知無いカ?」

 

 知っている。言われてみれば、遮断された魔法世界の内側では時間の流れが変わる点も、魔法世界と魔法球で共通している。

 

「異界に穴を開けるその魔法陣なら、外に出るだけなら容易いヨ。その魔法陣はエヴァンジェリン宅にあったものを茶々丸に既に解析させてたネ、こんな」

「こんなこともあろうかと?」

 

 超は寂しそうな顔をした。

 

「…………まあそんなわけだから、ネギ坊主を連れ帰れと言われても無理な相談ネ。その魔法陣で外に出てもそこは火星ネ。悪いなこのスーツは一人用なんだ、てやつヨ」

「…………そうか」

 

 読まれてた。できれば計画が実行される前にご帰宅願いたかったのだが。仕方ない、と千雨は背筋を正す。

 じゃあ本題に入ろう、というタイミングで、それは遮られた。

 

「ちょっといいですか〜?」

 

 挙手をしながらの発言は月詠だ。月詠は既に席を立っている。

 

「な、なんだ? 月詠さん?」

「この話、私は聞かなくても問題ないですよね?」

「そりゃ、まあ」

 

 そりゃあ、いち傭兵に過ぎないこの女が聞いたところで、という話ではあるのだが。というかそもそもなぜこいつはここにいるのだろう。超が雇ったりしたのだろうか。『完全なる世界』の拠点で姿が見えないと思っていたらこんなところにいた。一体どんな差異があればこいつがネギの味方になるのだろう。それともまさかフェイトからのスパイだったりするのだろうか。

 

「では私はこれで失礼します〜…………お人形に興味なんてありませんし」

 

 最後にぼそりと言って、月詠はその場を離れ、角にあったクレープの屋台でトッピングマシマシの注文をしていた。どんだけ腹減ってんだよ、と千雨は呆れ、すぐに意識を切り替える。

 

 

 

 千雨の精神には鵬法璽の契約がかけられている。それを解除することはもちろん可能だが、それをすれば契約を握るフェイトに気づかれる。加えて、栞の話から察するに、今この会話はおそらくフェイトに聞かれている。やつのハイスペックは聴覚にも及んでいて、こちらの一言一句がその耳に入っているはずである。である以上、ここでの会話の中で千雨は『完全なる世界』の計画に自ら賛同して行動しているという体で話をしていかなくてはならない。

 

「で、千雨さんは何が目的で姿を現せたネ? こちらとしては探す手間が省けた、というところだガ」

「話し合いだ」

「離婚調停みたいネ」

 

 やかまし、千雨は紅茶で唇を濡らして捲し立てた。

 

「これからこの魔法世界そのものに関わる、大規模な計画が行われる。巻き込まれないように、つうか邪魔だから地球に帰ってほしい」

「先も言たが、ネギ坊主を地球に返す手段を私は持てないヨ?」

「手段はこっちで用意する。ただ時期が問題でな。計画が成就される直前にようやく地球へのゲートが一つ開く。だからお前らはそれまで大人しくしてろって話だ。そうすりゃ地球までエスコートしてやるから」

「計画とは何ネ」

「言う必要を感じねーな。魔法世界の問題がお前らに何か関係あるのか?」

「無いとでも?」

 

 ち、と千雨は舌打ちした。そりゃあ関係はあるだろう。未来から来た火星人と、魔法世界を救った二人の子供だ。関係の有無で言えばこいつらほど関係のある存在もそうはいない。

 それでも、『完全なる世界』の計画について説明する気にはなれない。今の超の反応から、そこまでは情報が届いていないのだろうと千雨は推測した。それはそうだ。超が生きた世界線は、アスナ姫を欠いた世界再編魔法が失敗し、テラフォーミングも間に合わず、純粋な人間種が火星の荒野に放り出された世界なのだ。その世界では『完全なる世界』の面々は、胸に秘めていた祈りなど誰にも知られることなく歴史の裏に消えていったのだろう。

 

「そんなことより、千雨さん」

 

 そう言ったのはネギだった。虚を突かれた千雨は背筋をかすかに震わせる。

 

「その計画が完遂されれば、千雨さんは地球に、麻帆良に戻ってこれるのですか」

「そりゃな」

 

 千雨はまた嘘を重ねた。

 そもそも『完全なる世界』の計画が完遂されることなどないし、実体化モジュールを起動する場合、魔法世界全体の物理法則と魔法法則、そして精神をシミュレートし続ける必要がある。実体化モジュールで演算装置を実体化させてリソースを増やすつもりではあるが、はたして今の自分の精神プログラムを演算させ続けることができるかは正直わからないし、そんなことをする必要があるとも思わない。

 しかしそんなことを馬鹿正直に言ってしまえば、ネギは帰ってくれなくなるだろう。

 千雨は平静を装うためコーヒーカップに手を伸ばし、

 

「私だって地球出身だからな、こんなファンタジーな世界の行く末に一蓮托生なんてしねーよバカらし」

「フェイトたちの目的は」

 

 ネギの声は全く抑揚のない、感情がまるで感じられない。

 超の隣に座り、オロオロとした雰囲気を醸す茶々丸のほうが、まだしも人間らしい。

 

「魔法世界の救済、ということでしょうか」

 

 手に取ったカップがするりと指の隙間から落ちた。

 なんでそこに至った。千雨は超を見るが、彼女の顔も驚愕に染まっている。それはそうだ。超の世界線においては、『完全なる世界』の存在はナギ・スプリングフィールドが英雄へと至る踏み台的な悪役でしかない。やつらの目的について超が知る術は本人たちに聞く以外にないはずなのだ。

 

「先生、何をクルト・ゲーデルに聞いた?」

 

 言いながらも、はたしてあのアリカ姫信者が『完全なる世界』を擁護するようなことを言うだろうか、と千雨は首を捻る。やつは『完全なる世界』を含む魔法世界のほとんどを打ち倒すべき敵と認識していた。

 

「クルトさんからは、魔法世界とその住人が火星に位置された幻想であることと、あと数十年で崩壊すること。魔法世界を守るために僕の両親が命を賭けて、それでも崩壊の運命を回避することができていないこと。それくらいです」

 

 崩壊の原因は聞いていないのか。

 

「じゃあフェイトたちについては」

「フェイトたち『完全なる世界』、始まりの魔法使いの一派の目的は、一般的に世界を破滅させること、と言われています。それは聞きました」

 

 しかしそれには違和感を覚える、とネギは言う。

 

「この世界はじきに消滅します。クルトさんおよびメガロメセンブリアの試算によれば、長くともあと30年程度しかもたないと。フェイトは、そんな世界で何をしているのか。世界の滅亡を企むなら、死体の消滅という現象の意味がわからない。放っておけばいいんです。はっきり言って無駄手間です。

 では、彼らの目的が『世界の滅亡』ではなかったらどうでしょう」

 

 ネギはそこで二本の指を立てる。

 

「魔法で構成されるこの世界が消滅するとすれば、その原因は2つ考えられます。1つは魔法を構築している術式に綻びが生じている場合。もう一つは魔法に込められている魔力が枯渇している場合。このどちらかです。

 始まりの魔法使いの意志を継ぐ『完全なる世界』が起こすテロでは、死体が消滅している。

 生命は肉体と魂、そして精神からなる。『完全なる世界』のテロによって肉体が消滅したとき、魂は純粋なエネルギーとして露出するはずです。

 魔力が枯渇しつつある世界で、魂という高濃度の魔力の結晶が露出させれば、そのエネルギーはオドとして拡散し、魔法世界の術式に注がれる」

 

 仮に肉体を消滅させたとき精神が魂というエネルギーを手放さなかったら、そこには例えば幽霊や精霊といった存在が生まれることになる。

 

「もしフェイトたちのテロがそれを狙ってのものなのだとすれば、彼らの目的は魔法世界の維持、ということになります。紛争地など、死ぬことが決まっている亜人種を選んで魂を刈り、世界維持に利用する。かつての大戦を裏で引き起こした理由もそのためではないでしょうか」

 

 もちろんこれはあくまで仮説です。そう前置きして、

 

「千雨さんの立場が『完全なる世界』の中でどのようなものかはわかりませんし、彼らの目的を吹聴できない立場にあるのかもしれません。ですが、魔力の枯渇が魔法世界崩壊の原因であり、それを防ごうとフェイトや千雨さんが動いているなら、自分にはその状況を打破する代案があります」

 

 テラフォーミング。千雨にとっては聞くも悍ましいそれを、ネギは口にした。

 

「現実の火星表面を開発することでオドで満たせば、テロなど起こさなくても魔法世界は維持されるはずです。おそらく地球側の協力が必要になるでしょうが、それでも、みんなで協力し合えばきっとうまくいきます」

 

 沈黙が降りた。10秒ほど、千雨は腕を組み、目を閉じたまま彫像のように微動だにしなかった。

 

「超」

「何ネ」

「お前が吹き込んだのか。テラフォーミングなんて」

 

 怒りを抑え、それでも震える唇を必死に動かしながら、千雨は超に問う。

 それだけは、何と引き換えにしても阻止しなければならない道であるのに。

 

「ノー、ネ。私はネギ坊主に何も教えていないヨ。総督が教えようとしたことを代弁はしたけど、それだけネ」

 

 そうかい、と千雨は吐き捨て、正面に座るネギをその吊り上がった両目で睨みつけた。

 

「それで、なにが解決するんだよ」

「なにが…………?」

「『完全なる世界』の目的についてはな、及第点をくれてやる。でも模範解答はな、この世界に生きる全ての人間の精神を別の世界に移動させることだ」

「…………何ネ、それは」

「その別世界を『完全なる世界』と呼んでる。そこはな、魔法世界を構成する全てを魔力に還元することで半永久的に維持される、それぞれのアニマ、つまり欠落を補完された理想郷を再現した精神世界だ」

 

 もはやなりふり構ってはいられない。テラフォーミングでは、ネギがヨルダと関わりを持ってしまう。魔法世界の存在に責任を持つ立場になってしまえば、こいつは必ず最悪の選択をする。

 どんな嘘をついてでも、こいつを英雄にはさせない。

 

「それは、逃げじゃないですか」

「そうだな。逃がすんだ。このクソみたいな現実から」

「テラフォーミングを、皆でやっていきましょう。みんなに声をかけて、地球側に魔法世界の危機を説明して、そしたらきっと協力してくれます。そうやって現実と戦っていきましょう」

 

 本当に腹が立つ。

 あいつと同じ顔で、同じことを口にするガキが。

 綺麗な顔で、綺麗事ばかり並べる目の前の子供に対して、心の底から嫌悪感が沸き立つ。

 あいつは、その綺麗事を現実に変えて、挙句に現実の汚い部分を全て背負わされて逝ったのだ。それも知らず、この世界の汚い部分も何一つ理解しないままに理想論を並べ立てやがる。

 

「無理だ。この世界は、理不尽に満ちている。誰が悪いとか、何を殴れば解決するとか、そういうこっちゃねー、世界がそうなってんだ。差別や格差や貧困や紛争のおかげで成り立っている肥溜めなんだよこの世界は。世界の上で戦う限り、その理から逃れることは不可能だ」

 

 暖かな日差しが千雨を、ネギを照らす。周囲には笑顔が溢れ、数十メートル離れた石段の上では月詠が自身が差す刀より長いサンドイッチをリスのような頬をして噛り付いている。この世に悲劇があることなど知りもせず、世界は幸福で満ちていると無根拠に信じて、世界の裏側においてはなによりも尊く価値のある平和と幸福を浪費している。

 

「幸福が悲劇の上にしか成り立たねーってルールから逃れられない。だから『完全なる世界』の連中は、世界そのものを変えるんだ」

 

 殺してきた。はるか未来において、長きに渡り、長谷川千雨は多くの命を、願いを、祈りを踏みにじってきた。

 ネギがその命と引き換えに救おうとする世界が、汚いままであることなんて認めるわけにはいかなかった。命を費やすだけの価値があるのだと、自分を納得させたかった。

 ネギを対価にする世界は、ネギよりも美しくあるべきだ。

 それは、単なる千雨のわがままだった。

 そのわがままを叶えるために、千雨は悲劇の根源を消し続けた。差別主義者を潰して、格差を助長するやつらを潰して、紛争地帯は軍隊ごと利権の元を更地にして。この世から悲劇がなくなるように。悲劇を生むことで利益を得ようとするやつらを粛清して回って。悲劇の存在を肯定する世界のシステムそのものにケンカを売り続けたのだ。

 この世から悲劇を全て消していけば、あとには綺麗なものしか残らないはずだと。

 そうしたら、なんのことはない。

 悲劇が無くなった場所には、幸福どころか、何も残っていなかった。

 自分のしてきたことは、ありもしない理想を求める醜い癇癪に他ならず。

 結局、子供の八つ当たりに過ぎなかった。

 

「現実なんかいらねー。世界なんてくだらねー。こんなくだらねーもん、無くったってだぁれも困りゃしねー」

 

 もちろん、魔法世界を消してしまうつもりは千雨にはない。消してしまえば、ネギを庇護する存在もまた消えてしまう。ネギの血筋と才能は、善悪問わずあらゆる存在を誘蛾灯のように引きつける。

 ネギの平穏のためには、メガロメセンブリアは必須なのだ。当然ネギにとって害になる議員やら何やらは今こうしている時も自身のアーティファクトと『世界図絵』をフル活用して、不正や犯罪の証拠を集めてメディアや他国の上層部に流して社会的に殺しているし、めんどくさい場合は標的の乗っている高級な個人飛空挺にお願いして墜落事故を起こしてもらっている。

 超には理解できないだろうが、差別も紛争も、すでに千雨の興味を引く対象になり得ない。ネギが安穏と暮らせる社会が構成できる世界が作れるなら、「私のネギ」を尽く殺せるなら、他に何もいらないのだ。

 

「でも」

 

 千雨の言葉を聞いて、それでもネギは反発する。

 

「どんなに汚くても、僕は本物の方がいいです」

「へぇ」

 

 千雨は笑った。ネギから欲しい言葉を引き出せたからだ。

 エラーまみれの精神で思考した結果、ネギが自分にこだわる理由については未だに見当がつかないが、それでもネギを諦めさせる方法を思いついたのだ。

 自分が長谷川千雨のコピーであると知らないから、ネギは自分に固執するのだ。人工物であると知れば本物の方に戻るだろう。人工物に恋するなんざ黒歴史にもほどがある。

 もし告白でもして来ようものなら他に好きな人がいますごめんなさいで済むだろうか。

 否、こいつはきっと、それでもいつか自分に振り向かせると、そう言って諦めずに追いかけてくるだろう。

 こいつは、何があろうと諦めない。

 それくらい、ネギが抱く感情は純度が高く本物なのだ。

 そして、本物であるだけに、偽物に対する嫌悪も人一倍である。かつてフェイトを否定したように。ここでまた『完全なる世界』を無根拠に否定するように。

 

「偽物じゃダメか?」

「だってその世界は幻想で、現実じゃなくて、偽物で、本物じゃない。それじゃあ、僕には意味がない」

 

 偽物でいいなら、ネギは麻帆良にいる千雨で満足していた。見た目も性格も全く同一であるのだから。ただ記憶を失っただけの同一の存在として扱うことができたはずだ。でもそれじゃあだめなのだ。自分に触れてくれた千雨は別にいるから。自分にとっての本物の千雨を追いかけて、ネギはここまで来たのだ。

 

「そうかよ」

 

 そんな切実な思いを込めたネギの言葉は、千雨には届かない。

 

「幻想じゃダメか。偽物は無価値か。本物でないと意味がないか」

 

 はっきりと拒絶の意思を言葉に込めて、千雨はネギに言い捨てた。

 

「じゃあ私の存在も無意味だな」

「…………え」

「意味だの本物だの吠えやがって。こんな言葉、私の在り方に何の関係もねぇんだよ」

 

 千雨の頭によぎる、ジャック・ラカンの言葉。

 

 ──真実? 意味? 

 ──そんな言葉、俺の生にゃあ何の関係もねぇのさ

 

 情けない。

 あのオッサンの言葉は、こんな意味ではなかった。あの言葉は自分を貫くもので、自分が幻想であるという真実を見せつけられて、その存在の無意味さを突き付けられて、世界に否定されて、それでも俺は俺だと、世界の理を前に一歩も引かなかった男の言葉だ。

 それに対して、私のこれは、唯の逃げだ。世界から逃げて自分の檻に引きこもる自分を正当化するだけのくだらない言葉遊び。

 

「つまり、あなたは」

 

 千雨の言葉を聞いて、ネギは自身の言葉の過ちに気付いた。

 

「あなたは、この世界の住人と、同じ?」

「いや、もっと程度が低い」

 

 周囲を見渡す。寄り添って歩く男女がいて、赤子を抱いてベンチに座る女性がいて、少女を真ん中にして手を繋いで歩く三人組の親子がいて。

 

「ここの住人にはどれも意思がある。両親の愛から生まれて、自分の生きる意味を自分で定義する『人間』だ。でも私は違う。ある目的のために作られて、それを実行するためのコードの集合で、『長谷川千雨』の劣化コピーで、在り方を定義された道具に過ぎねー」

 

 胸が痛い。頭が割れそう。正体不明の苦痛が千雨の精神を軋ませる。

 否、と千雨は心の中で否定する。精神はプログラムだ。こんな痛みは気のせいだ。

 ここにいる存在は、何者でもない、ただの『長谷川千雨』の残滓に過ぎなくて。

 コギト・エルゴ・スム…………我思う、故に我あり、なんて。あまりにも浅薄な考え。

 私がどれだけ思い、願い、焦がれたところで、ここに長谷川千雨はいない。

 絶句したネギに割り込むように超が口を挟む。

 

「つまり千雨サン、いや、今私の前にいるあなたは、なんらかの方法で実体化した『長谷川千雨』の精神データのコピー、ということネ? それは魔法的というより科学的に寄った手段で、おそらく未来の長谷川千雨が送り込んだデータ生命体…………!」

「おいおい超、お前の未来バレはもうちょっと先のはずだろ、さっきだってその辺フワッとさせてたくせに」

「ことここに至ってはそんなことどうでもよろしいネ。てことは、実体化ができるあなたの本当の…………」

 

 なにやらブツブツと思索に沈んでしまった超を放って、千雨は呆然としているネギに振り返り、

 

「なあネギ先生、あんたの言う通りだ。偽物に意味はないってな」

「ちが、ぼ、僕は」

「私みたいなパチモンに懸想するなんてな、アニメやゲームのキャラに入れ込んでるのと変わんねーよ。ちょっと冷静になってよ、客観的に見てみ? たしかに『これ』は三次元だけどよ、元は他人が作ったプログラムなんだ。予め設定された通りの行動をとってるだけで、そこには感情だって存在しねーんだ。

 気持ち悪いことやってないで、地球に帰れ。そっちにゃ本物の長谷川千雨が」

 

 ──あ。

 

 千雨は、心の中で呟いた。

 壊れた。

 自身の内側で自壊していくプログラムを呆然と、他人事のように眺めながら、千雨は気づいた。

 今、後戻りできない言葉を口にしてしまった。

 自分で自分を否定した。他でもない、ネギ・スプリングフィールドに向かって。

 ネギに求められていたこと。言い換えれば、ネギが自分を長谷川千雨として認識していくれていることが、自分の最後の生命線だったのだ。

 精神がプログラムであるとただ知識として知っていることと、それを実感として認識してしまうことは全く異なる。自身の精神がプログラムに過ぎないと完全に認識してしまえば、その精神はアイデンティティを失い、崩壊してしまう。

 それは魔法工学を学ぶ上でもっとも留意すべき禁則事項だ。それを千雨が知らないはずはなく。それなのに今、千雨はよりにもよってネギ・スプリングフィールドに向かって、自身が人間ではないと暴露し、突き放した。

 欺瞞の上の矛盾が露わになる。

 自分がプログラムだって。感情も存在しない偽物だって。

 斜に構えて、口ではそう言いながら、それでもどこかで自分を人間であるととらえていた。だから今の自分を実体化しているこれが人間そのものとして構成されていた。

 でも、それが失われてしまう。百パーセント完全に、自分が、自分を構成する精神がただのプログラムであると、そう認識してしまう。ネギとの繋がりが断たれたことで。

 ネギとの繋がりを否定してはいけなかった。

 感情を否定してはいけなかった。

 ネギに抱いたあの感情こそ、自分を人間として繫ぎ止める楔だった。

 ネギとの繋がりこそが、長谷川千雨の全てなのだ。そんな当たり前のことを否定してしまった自分が、どうして『長谷川千雨』のままでいられようか。

 ネギに求められて感じた喜び。罪深いと否定したあの感情こそ、長谷川千雨としていられる最後の砦だったのだ。

 

 ──お人形に興味なんてありませんし。

 

 人を斬ることにしか興味のない女の言葉が、今更胸に響く。

 人としての自分が崩壊する音を聞きながら、千雨の意識が途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 エラーに塗れた精神が機能不全を起こす。

 ノイズが体を縦横無尽に走り回る。四肢の末端から、体を構成する情報が自壊し、ノイズとなって拡散・消滅していく。

 激痛として処理された情報が千雨の精神を侵す。

 耳障りな不協和音が千雨の口からほとばしり、周囲の通行人が皆顔を顰め、耳を抑えてうずくまる。およそ人間に出せる声量、声域ではない。テーブルに並んでいたティーカップが一瞬の振動の後にパンッと砕け、喫茶店の店舗に張られたガラス窓全てに同時にヒビが入る。

 血反吐のように撒き散らされる崩壊ノイズがネギたちの接近を拒む。

 ネギは、一体何が起きているのか、という戸惑いも当然あるが、それ以上に恐ろしかった。

 奇声とも言えない騒音と、黒と灰色の塊と、何よりその表情の混濁が恐ろしかった。

 人形と人間の中間。表情が溶け落ちている。無表情なのではなく、様々な感情が同時に発露して、形容しがたい表情になっている。

 まるで人間の感情など、データに過ぎないとあざ笑うかのような有様で。

 千雨が人間ではないという事実を突きつけられるようで。

 人として生きる者にとって根源的な恐怖を見せつける千雨の有様に、ネギも、超も、ただ立ちすくむことしかできなかった。

 

「やれやれ」

 

 そこに、そんな冷めた言葉とともに、小さな人影が千雨の隣に現れた。

 

「まさかこんなことになるなんてね」

 

 人影は、その後ろに二人の少女を連れていた。少女に挟まれるように立つ人影の、人形じみた無表情と乾いた声。

 ネギがあらゆる意味で警戒する存在である、フェイト・アーウェルンクスであった。

 


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