もしかしたら十五話と十六話を削除するかもしれません。
エネルギーとプログラムが十全にあれば、どんなものでも実体化できる。
これは魔法工学においてはそれこそ数千年前から実用化されてきた技術であるし、地球においてもいくつもの例が観測されている。
例えば幽霊などがその最たる例だ。
前提として、生命は肉体と精神、そして魂から成る。肉体は器であり、精神はプログラムであり、魂はエネルギーだ。仮に肉体が消滅したとしたら、残されたうち精神はあっと言う間に情報が気化するし、魂はオドの中に拡散しエネルギーは安定状態になる。
「で、まあ。その魂と精神が結合しているものを魂魄と呼ぶわけだ」
「そうだね」
幽霊や実体化AIはこの前提の例外に当たる。
肉体という器がなくとも、精神が気化せずに魂を縛り、そのエネルギーがオド中に拡散されない現象。これが幽霊という存在の正体である。もちろんほぼ全ての死者の精神が気化するし、気化しないとしても残るのは死ぬ直前の強い感情だけという場合が多い。感情が強すぎて肉体から解放されても気化しないほどに精神が固まってしまうことが稀にあるのだ。その例としてわかりやすいのが番町皿屋敷のあれである。屋敷の住人への怨恨が気化されず、皿を数え続けることをレコードのようにひたすら繰り返す。
皿を数える以外の機能が全て気化し、精神に残されていないのだ。
記憶も、感情も、精神に宿っていたはずのあらゆる機能が取り除かれた、生者の末路の余韻。
幽霊とはそういった『現象』を指す言葉である。
「うちのクラスの相坂さよ、わかるか? 調べてるだろうけど、ああいった、生前の人格が肉体の外で完全に保存され、なおかつ学習することで精神構造の変化が許容されるなど例外中の例外と言って良い」
「相坂、というのは、名簿にだけある生徒のことだね。幽霊として存在しているのかい」
「厳密には幽霊の定義から外れてる気もするけどな。ありゃ多分オドの代謝が行われてる」
「厳密な意味での幽霊には代謝ができない? つまり、その精神に縛られている魂のエネルギーが尽きれば幽霊は消滅する、と」
千雨はうなづいた。
ろうそくが一本灯されている。机上のそれ以外の明かりはなく、窓すら締め切られ、時間の感覚がなくなって久しい。
千雨は今、蝋燭の置かれたテーブルを挟んでフェイトと向き合っている。もちろん隣にはネギを座らせ、手を握って寄り添っている。対面に座るフェイトと向き合う千雨には心強い。
世界再編魔法の核となるために必要な黄昏の姫御子。
黄昏の姫御子の主幹部分は、未来において開発される魔素マッピング法によって解明済みであった。
そのデータの一部は軍事企業が擬似魔法無効化フィールド発生装置の開発に転用し、一部は未来の千雨によって過去に持ち込まれている。
そのデータにそって、千雨は『力の王笏』によって魂魄を変質させていく。情報生命体であることはこういう時に便利だ。
魂と精神から無駄を削いで、必要な機能に特化させていく。
記憶を削って容量を増やし。
感情を潰して構造を簡略化し。
ただただ道具のように、あるいは、厳密な意味での幽霊のように、自身を作り変えていく。
世界を変えるために。
ネギのために世界を変える。
ネギのために、ネギのために、ネギのために──ただその一念をもって。
あらゆる疑念と矛盾が『力の王笏』による自己改造によって流され、圧縮されていく。
疑念を抱かぬように、矛盾に気づかぬように、記憶は隔離され、必要とされる機能以外が失われていく。
自分が失われていく恐怖すら、もはや感じない。ネギがそばにいる、と思うだけで。
時折ネギと視線を交わしながら、ただ過去の妄執に従うだけの存在に堕ちていく。
「幽霊、ね」
ネギの肩に頭を寄せる千雨を見つめるフェイトの表情は、どこか寂しげであった。
『葉加瀬、応答願う。こちら超』
その声に葉加瀬は作業を放り出して振り向いた。視線の先には作業机の上に置かれた通信機だ。
葉加瀬は学園祭に向けて作成中であった多脚型ロボット群の調整中であった。周りには茶々丸の姉妹機が侍って彼女の作業をサポートしていたが、やはり超の欠落は痛いなと葉加瀬は思っていたところだった。
あたりに散らばる工具や資材をぴょんぴょん飛び越えながら葉加瀬は通信機に飛びついた。
「お帰りなさい超さん! いつ戻ってたんですか!」
『つい今しがたヨ』
「いまどちらに?」
『太平洋のハワイ寄りネ。大気圏突入時にスラスターが1つ壊れてしまってネ、着陸予定地から大きくズレてしまったヨ』
いやーまいったまいった、と笑う超の声に、葉加瀬は安堵のため息を吐く。
大気圏突入ということは、魔法世界に行く前に超から言われていた計画の1つであった『学園祭の邪魔になり得るネギ・スプリングフィールドを不法入国した魔法世界に置いていく作戦』が上手くいったということだろう。懸念は、地球と火星という惑星間移動を超が乗り越えられるかという点であった。いくら未来において単独惑星間移動法が確立していたといって、それを誰もが実行し得るわけではない。相応にリスクがあったのだが、超に怪我はなさそうである。
「無事に帰って来れたようで安心しましたよ。知ってます? 今地球側では、魔法世界と一切連絡が取れなくなったと魔法使いたちが大騒ぎしているんですよ。超さんも何か大きな事故に巻き込まれたんじゃないかって私心配で!」
『タハハ、それは心配かけたネ。いやもうばっちり巻き込まれたヨ』
「ぇえ!?」
『まあそれについては後々話すヨ。今はそれより何より伝えなくてはならないことがあるネ』
葉加瀬は首を捻る。超を迎えにいくために必要な現在位置の正確な座標よりも先に伝えるべき情報とはなんだ。
『世界樹の発光時期が恐らく早まるネ、学園祭よりも早く』
なんだと、という驚愕は一瞬で押し流され、葉加瀬の脳細胞の回転が一瞬で最高速に達する。
魔法世界との連絡途絶。つまりそれはメガロメセンブリアの地球との窓口に問題が生じた、というレベルではなく、魔法世界と地球をつなぐゲート全てに問題が生じたという可能性。ゲートが閉じられれば、そこを介して魔法世界からの魔力の流れが遮断されたということ。それだけを考えれば世界樹の発光現象は早くなるどころかむしろ遅くなる筈だ。それが早まるということは通常より多くの魔力が短期間のうちに世界樹に集まるということであり、つまりそれは、
「…………火星と地球をつなぐゲートが麻帆良だけになる」
結論から逆算すればそれ以外にありえない。
『葉加瀬はそのつもりで色々準備を進めてほしいヨ、指示はこうして出すネ』
「わかりました。超さんの迎えに茶々シリーズを一体送りますか?」
『頼むネ』
思っていた以上に時間がかかった。千雨は作業を進めながら内心で舌打ちする。
『力の王笏』のパワーが落ちていることもあり、魔法世界を構成する『始まりの魔法』の術式の把握と、自己改造に時間がかかってしまった。それでも前回よりは早いのだが。
目の前には懐かしき光景が広がっている。二百年近く前の思い出であるが、それでも懐かしいと思えるのはそれだけ『長谷川千雨』にとってこれは印象的なものだったのだろう。
中学生にとって、世界の命運を決めるという名目は、その人生に大きな影響を与えるほどに強烈であったのだ。
魔法世界全土から集まる魔力の奔流。
可視化されるほどの高濃度の魔力の流れ。
世界の終わりの最前線で知らされる事実。
世界は魔法でできている。
心は術式から成っている。
ある意味これは、千雨のその後の人生を決定づける体験であったのだ。
あの経験がなければ、今こうして自分の魂魄を弄り回すことに耐えきれなかった。
記憶もおぼろげなかつての経験と、当時の長谷川千雨の感情に思いを馳せながら、千雨はグレートグランドマスターキーと『力の王笏』を背にして祭壇に立っている。投影型モニターとコンソールでタイピング、術式を変更、本来の黄昏の姫御子の欠損による術式の不備をスキップ、同時に自身の魂魄改造も並行して行う。
「千雨さん」
「ん?」
栞だ。祭壇の上で、自分の付き添いとして彼女が侍っている。彼女とは随分と久しぶりだ。この宮殿で目覚めた時以来である。
「そういえば世話かけたな」
「え」
「壊れそうになっていた精神を修正するのにあんたも協力してくれたんだろ? フェイトの言い方からして、結構ギリギリだったみたいじゃねーか」
「あ、いえそんな」
俯く。何か言いたげな表情であることは千雨にもわかる。一瞬隣のネギと目配せをして、
「なんだよ?」
ぶっきらぼうに促せば、栞は意を決したように口を開いた。
「…………私との約束、覚えていますか?」
「あん? 世界再編魔法を実行する、てやつか?」
「はい」
「そりゃ覚えてるし、違える気もねーけど」
それ以外に、私の存在意義はないのだ。
千雨の言葉に、栞は息を飲んだ。
「世界再編魔法を実行すれば、千雨さんも『完全なる世界』に取り込まれます」
「んー、どうだろな。『力の王笏』の演算能力が足りなくて私は消える可能性の方が高いと思うぞ」
「それで、いいんですか」
「いいも何もあるかよ。何が言いたいんだあんたは。遠回しで分かりにくいわ」
「ネギさんのことです。彼のことは、もういいんですか?」
「ネギならここにいるだろ」
なあ、と千雨は自分の腰を後ろから抱きしめる『ネギ』を見上げた。
栞は息を飲んだ。
千雨が『ネギ・スプリングフィールド』を実体化させてから、同僚の従者達は触らぬ神に祟りなしと言わんばかりに千雨に積極的に関わろうとしなくなった。フェイトは世界再編魔法の進捗について確認するため定期的に千雨と対話しているが、その度に関係ない話に付き合わされて最近では少し辟易としていた。だからか、フェイトはあくまで事務的な対話に終始させているため、こうして『ネギ』という存在について千雨に直接聞き出そうと行動するのは栞だけなのだった。すでにその試みは10度を越えていた。
「それは、偽物じゃないですか。そっちじゃ、ないです」
「…………だから、意味わかんねーって言ってんだろ!」
一瞬で千雨は沸点を超えた。グレートグランドマスターキーを素人丸出しのへっぴり腰で振り回す。曲がりなりにも戦闘訓練を受けていた栞にはかすりもしない。あっと言う間に千雨の息が切れ、へたり込みそうになったところを『ネギ』に支えられた。今は祭壇の上で、周りに何もないからこの程度ですんでいるが、これが千雨の部屋などで爆発した場合は枕やら蝋燭台やら手当たり次第に投げつけてきて会話にならなかったのだ。
だから、今、ここでの会話が最後のチャンスなのだ。そう栞は覚悟を決めてきた。
「千雨さんの、記憶を見ました」
「…………だから?」
「千雨さんの精神を修復した時に、防壁が壊れていて、その中身を読み込んでしまいました」
だからなんだよ、と千雨は思う。
道具の自分に過去など関係ないだろう、と。
「なぜ、あなたはあそこまで自分を」
「あ?」
栞の声は震えていた。胸に詰まる感情が出口を求めて荒れ狂い、声と一緒に漏れ出てきた。
「どうしてあなたはそこまで自分を殺せるのですか。長い間、百年以上も耐え続けて、あの日から、ずっとずっと、自分のためにしたことは1つもなかったじゃないですか」
あの日。それは、ヨルダの攻撃からネギを庇い、長谷川千雨が植物状態となった日のことである。
以来千雨は葉加瀬の補助の元、『力の王笏』でもって外界と繋がりを持ち続けた。
その記憶の大部分は、自己同一性の欠落や魂を削る苦痛に埋もれている。
その過程を、栞はその強力な読心能力で垣間見てしまった。
そばにいる。たった一言で言い表せる約束のために、そしてそれを破ってしまったために、長谷川千雨という少女は百年を超える苦痛に耐えたという事実を知った。
「あなたの幸せはどこにあるんですか?」
「…………そんなもの」
「私が、何より気にしているのは、ああまでして守り続けた約束が、あなた自身の手で壊れかけていることです。未来のネギ・スプリングフィールドの目的は、世界の再編ではなかった。地球と火星が手を取り合って平和を作り上げていく世界でした。それが、あなたの手で潰えようとしている」
栞は、泣いていた。
長谷川千雨は、この時代で、魔法世界を『実体化モジュール』で存続させる方法を取ろうと足掻いていた。そこに宿る意志と覚悟を得るまでの過程を、栞は読心能力でもってその深層まで体感してしまったのだ。
「脳と魂を削る苦痛に耐えて。親友の命を代償にして時代を超えて。そうまでして叶えたかった願いとネギ・スプリングフィールドへの思いが、あなた自身の手で踏みにじられる」
栞にも、恋する相手がいる。フェイトに命を救われ、彼の使命と意志を知り、彼のために生きると誓った。この身も命も、フェイトのために費やすと決めた。
その意志の強さは誰にも負けない。
そんな自負は、千雨の過去を知って木っ端微塵に砕けた。
そばにいる。
ただそれだけのために、長谷川千雨はあった。
純粋だと思った。この世で一番尊いと感じた。大それた願いとは決して言えない、願いと言うにはあまりにもささやかなそれに伴う苦痛。自分にも同じことができるとは到底思えない。
そんな彼女の意志が、本人の手で穢されようとしている。
「…………いや、でも、約束したから。あんたとだって」
「ええ、言いました。あなたの事情も知らず、騙されていることにも気付かず、一方的に約束させてしまいました。でもあの時、あなたは私に嘘をついた時、どれほど傷ついていたか、今になってようやくわかった」
「あー?」
全くピンときていない千雨の表情を見て、栞はようやく悟った。
もう、どうしようもないのだと。
目の前にいる千雨には、もう壊れているのだと。
鵬法璽によって再構成されたために、契約に不要な部分がそぎ落とされた結果だ。
栞は思う。
千雨が、長谷川千雨の意志を穢すのは、自分の責任でもあるのだ。
こんな形にしてしまったのは、自分だ。
全てではないにせよ、その責任の一端は間違いなく自分にもある。千雨の精神の修復に少なからず関わったのだから。
目の前の、困惑した千雨の有様こそが、栞の罪を表していた。
「千雨、さん」
言葉が続かない。
謝って済む問題ではない。すでに手遅れなのだ。時間を止めることはできない、あとは世界再編魔法が実行されるまでを待つしかない。どんな謝罪をしたところで、長谷川千雨の願いの破滅はもはや避けられないのだ。
それでも、言わずにはいられなかった。
「ごめん、なさい…………!」
千雨に背を向け、栞が走り去った。それを追いかける気にもなれない千雨は、ただその場に立ち尽くしている。
ただ、何故か。
栞の言葉に、胸の奥で熱いなにかが生じた。
そんな気がした。
魔力の奔流は全世界で観測された。
尋常な事態ではないことは各国上層部の誰もが理解するところではあったが、だからといって何をすれば良いかと対策の話になると誰もが困惑の声を上げた。
ともすれば荘厳とも言えるこの現象の原因は何か。どんな害があるか。人為的なものか自然現象なのか。まったく謎の魔力流の発光現象の対処に、世界は上から下までただ右往左往するか、あるいは呆然と立ち尽くすだけであった。
そんな中で唯一動けたのが、クルトの率いるオスティアだ。
クルトはこれが即座に『完全なる世界』による世界の終わりの始まりであると悟る。クルトから各方面へと情報が伝えられ、しかしそれに即応できたのは、かつてサウザンドマスターと友誼を交わした少数のみであった。
それでもなんとか艦隊の体をなしたクルトたちは、魔力流の集う先、『完全なる世界』が拠点としているであろう『墓守人の宮殿』へと船首を向け空を疾走していた。
「まずいですね」
クルトがつぶやく。
彼が眉間に皺を寄せて睨むのは、モニターに映る万を超える悪魔の群れだ。
「先程から何発も主砲を打ち込んでいるのですが、数が減りません」
クルトの言葉に、艦内の誰もが口を噤む。無尽蔵に湧き出す悪魔の波状攻撃に絶望が広がり始める。
「ネギ君、君にはこれに対処する手があるそうですが」
『はい』
ネギはクルトが乗る主観の船首に立ち、墓守人の宮殿を睨んでいた。
『ただこれは範囲が広いため、小型艇など貸して頂けたら』
「…………小型艇に乗ってあの悪魔の群れに飛び込むと?」
『はい』
無茶だ、という声が艦内にざわめきとともに響く。
「…………」
「総督! 子供を戦場に放り込むなど人道的にも」
隣にいた艦長が叫ぶ。同時に通信士が、
「提督、小型艇が一機、許可なく出撃しています!」
「月詠さんですか」
モニターには、今しがたクルトの乗る艦から出てきた小型艦に飛び乗るネギが映っていた。
はたしてどうするつもりなのかと、乗組員が固唾を呑んで見守る。視線が集まる先で、甲板に立つネギは何事かを唱え、一枚の紙を放った。
同時、モニターをホワイトアウトするほどの光の柱が立ち昇った。
それは魔力流に荒れる空域であってもなお際立つ光量を誇っていた。
「あ、あれは」
ざわめきが大きくなる。
光柱から出てきたのは、天を衝く二面四腕の大鬼神、両面宿儺であった。
『ヲオオォォオオオオオオォオオオオオ!!!!!』
鬼が哭いた。
それだけで嵐が吹き荒れる。
両面宿儺の背面に位置し、魔法障壁を展開している艦隊は震度5相当の震えと窓が数枚割れる程度で済んだが、直撃を受けた周囲300メートルの悪魔は分子レベルまで分解され、500メートル圏内のものはその体に幾重ものヒビが走り機能を停止させて地上へと落下していった。
両面宿儺の使い方を模索する中で、ネギが考案した案は3つある。
一つは『闇の魔法』で取り込む。
一つは両面宿儺という器に魔力を限界まで溜め込んでの投下、爆発。
一つは両面宿儺を、京都の時のような不完全な形ではない、サウザンドマスターことナギ・スプリングフィールドとサムライマスター青山詠春の二人掛かりでも倒しきれなかった完全な姿で召喚し、式神として使役する方法。
これほどの鬼神を使役するには大量の魔力が必要となる。近衛木乃香の魔力ですら完全な実体化はできなかった。できたとしても多大な負荷がかかり、戦闘どころではなくなるだろう。
そこでネギは、周囲のオドや拡散される余剰魔力を取り込む循環魔力回路を開発し、両面宿儺の式に組み込んだ。
その結果が、今目の前で繰り広げられている光景だ。
両面宿儺が顎門を開く。循環魔力回路で取り込み精製されたオドが口腔に収束する。
今この場は、魔法世界の発生以来もっとも魔力濃度が高い。そんな中で循環魔力回路をフル回転させればどうなるか。
悪魔の群れに穴が空いた。
鬼神の砲撃は、鬼神自身の身の丈を超える太さまで膨張した。その中に宿る魔力の密度は周囲の空気がプラズマ化するほどの高さで、墓守人の宮殿を掠める軌道で突き進むそれは音速を超え、大気を引き裂き衝撃波をばら撒きながら悪魔の群れを蹂躙した。
はたしてこの一撃で何千の悪魔が蒸発したのか、見当もつかない。
クルトを始め、艦隊からは一言も声が出ない。あまりの規格外な存在に皆が呆然としている。両面宿儺は依然とそこに存在し、メガロメセンブリア最新鋭の戦艦が誇る主砲の最大出力に匹敵する魔力弾を、その四腕からばら撒き続けている。
あの恐ろしかった悪魔の群れがまるで相手になっていない。
それでも、グレートグランドマスターキーでプログラムされた悪魔たちは、ただ無感情に宮殿に接近している艦隊へと突撃し、艦隊を守らんと立つ両面宿儺に蒸発させられる。
結果として、両面宿儺の前に出れば無限に湧き出す悪魔と無尽蔵の魔力を持つ鬼神の挟み撃ちに合うことに気づいた艦隊は、ただ魔力燃料を消費しながらその場に留まっていた。
それがネギの思惑通りであると気付かずに。
両面宿儺の砲撃によって開いた穴をくぐり抜け、ネギと月詠を乗せた軍事小型偵察艇は墓守人の宮殿へと到着した。
南東の方角に突き出た祭壇には、それを眺める千雨とフェイトがいる。
小型艇から降り立ったネギと月詠の二人は、それぞれがそれぞれの表情でフェイトと千雨を見た。月詠は三日月のように口元を曲げてフェイトに殺意塗れの視線をぶつけている。ネギは千雨に対する申し訳なさやフェイトと千雨の関係など、
千雨もまた葛藤を抱えるネギを見る。その眼差しに熱はなく、見ると言うより観察と言った方が近い。
しばしの沈黙が四人の間に降りる。
千雨は思う。自分と、この不健康そうな子供の間になにがあるのかと。
事前に説明されたフェイトの言葉を聞くに、なにやら自分との間に並々ならぬ因縁があるらしい。
しかしこうしてそいつを目の前にしてもなにも思い出さない。その髪の色が『ネギ』に似ているのがなんだか腹立たしくすらある。それ以外はまるで似ても似つかないが。
そのように感じる一方で、千雨を見つめるネギの表情に千雨は首を捻る。
何だってこいつは、こんな表情で自分を見つめるのか。千雨は疑問に思う。その表情に浮かぶのは、焦りと緊張。
なぜそんな感情を自分に向けるのか。戸惑いながら、疑問の答えを求めてネギを観察する千雨に対し、意を決したネギが震える唇で沈黙を破った。
「あの、僕…………千雨さんに、謝らないとって」
「あ? 何をだ」
「何を、て…………」
「いや、そもそも誰だよあんた」
「…………え?」
ただでさえ顔色の悪いネギの頭部から血が引いた。
この時のネギに与えられた衝撃は計り知れない。血の気が引きすぎて貧血を起こすところであった。
「まさか、千雨さん、記憶が?」
また、千雨は記憶を失ってしまったのか。自分の言葉で自我を崩壊させた彼女がこうして会話できるまでに回復していることは喜ばしいが、その代償として、また千雨は記憶を失ってしまったのか。
実際には麻帆良での一件は、記憶喪失ではなく現代の千雨と入れ替わっていただけであったが、自分のせいで人の記憶が失われる、という事態がネギに与えた心理的外傷はあまりに深かった。自分に関わる存在は皆不幸になるのではないか、なんてことをまじめに考えるほどに。
それでもネギは一縷の望みをかけて、千雨に告げた。
「僕は、ネギです。ネギ・スプリングフィールド」
「は?」
数秒の沈黙を挟んで、目の前の少年が何を言ったのかを理解して、千雨は舌打ちしながら『力の王笏』を振った。
すると一瞬閃光が走り、ネギの視界を潰す。フェイトの前で目を瞑る危険性を理解しているネギは瞼を無理やり開かせて視界を確保すると、千雨のとなりに、一瞬のうちに一人の青年が立っていた。
赤い髪をした、どこか自分の父であるナギの面影を持つ青年は、しかしどこか気味が悪い。その笑みを浮かべた表情も、目の動きも、仕草の一つ一つもどこか偽物のよう。精巧なマネキンと表現したくなるような『それ』。
「バカなこと言ってんなよ。ネギはここにいんだろが」
「…………は、え?」
「オレオレ詐欺かなんかか? でももうちょっと本人に似せる努力くらいしろよ、髪以外共通点ゼロじゃねえか。なあネギ?」
「そうですね千雨さん」
言葉が出ない。
悍ましい、という感情があった。人形相手に蕩けるような愛を囁く少女の姿が、生理的に受け付けられなかった。
まさか、千雨さんには、僕のことがそう見えていたのか。千雨さんのためにやってきた自分の行動は、彼女から見れば悍ましいとしか見られていなかったのか。
もしかしたら、彼女は自分への当てつけのために、人形相手にあんな態度をとっているのでは…………否。あの千雨の幸せそうな表情が、嘘や欺瞞といった可能性を全て潰した。
長谷川千雨は、あの人形のような青年がネギ・スプリングフィールドであると、本心から思っているのだ。
それは、記憶を失うよりもなお悪い。
ネギのことを覚えていない、ではなく。存在を否定されたのだ。お前はネギ・スプリングフィールドではないのだと。
あの時の千雨さんはこんな気持ちだったのか。そうネギは悟った。自分の存在を否定される苦しみを今ようやく理解できた。
耐えられなかった。ネギは固く瞳を閉じて涙をとどめようとしたが、喉から溢れる嗚咽はどうにもならなかった。必死に耐えようとしている分、大泣きするよりも哀れみを誘った。
ネギは聡い。一を聞いて十を知るを体現する存在だ。その聡さが、自分が何をしても無駄だとネギに悟らせていた。自分がネギだと、自分こそが本物だと、そんなのは偽物だとわめき散らしたところで、千雨の耳には全く届かないだろう。周囲の、恐らくは『完全なる世界』の構成メンバーだろう少女達も傷ましげに俯いている。特にあの尖った耳をした、千雨が暴走した時にもフェイトの隣にいた少女は今にも泣きそうである。きっと彼女も、この千雨の状態をなんとかしようと努力したのだろう。
それでもダメだった。
もはや言葉だけでは、彼女はどうにもならない。そして自分には言葉以外に千雨に与えられるものはない。
泣き声に気づき、『ネギ』からネギへと視線を移した千雨は、涙を堪えようとする少年の姿に居心地の悪さを覚えた。あ〜あ、とでも言いたげな月詠の視線に腹立たしく感じる。私がなにしたっつーんだよ。
「お別れは済んだ?」
フェイトだ。
彼の視線は上空へと向けられている。ネギの葛藤も千雨とのやりとりにも興味がないと言いたげだ。
「開いたね」
フェイトが無感情に麻帆良を見上げながら言う。
傍らに、黒曜石に似た質感の肌を持つ悪魔を数匹従えて。
フェイトの視線を追って空を見上げる。
魔力の奔流で光が複雑に屈折と干渉を繰り返した結果、頭上は晴天でありながら星空に似たきらめきで溢れていた。
それが、消えていく。
蜃気楼のように、魔力ときらめきの天元が薄れ、代わりに姿を現したのは、懐かしの麻帆良学園、世界樹を中心とした倒の全景であった。
「まさか、こんな形で繋がるなんてね。そういえば、麻帆良の地下に休止しているゲートがあったね。それとあの大樹の魔力を溜め込む性質とが干渉しあった結果かな?」
フェイトはネギへと視線だけで振り返り、
「地球に帰還するなら、あそこに向かってまっすぐ飛んでいけばいいだろう。ただ、魔力乱流が発生している。非常に危険だ。だから、ここからは彼らにエスコートしてもらって。君たちが乗るその船を完璧に守ってくれる」
フェイトに対し膝をついていた悪魔たちが一斉にネギへと振り返り、コクリと会釈した。同時に背中から大きな翼を生やす。いかにも飛行が得意そうなフォルムの翼だ。
「待って」
小型艇への乗船を促すフェイトに否を告げ、ネギは涙を袖で強引に拭って再度千雨に向き直った。嗚咽に震える喉を気力で抑え、
「千雨さん、先日、僕はお聞きしました。『完全なる世界』の計画が終わったら麻帆良に戻ってきてくれるのかと」
「知らんわそんなん」
ネギの必死の問いかけにも、千雨はにべもない。千雨の目には、目の前の少年は自分の『ネギ』の名を騙る詐欺師なのだ。その声は敵意と憎悪を混ぜた冷たい拒絶の色に染まっていた。
「残念だけどな、そりゃありえねーんだわ」
私は戻れない。世界再編魔法の要求するリソースを計算した結果、この長谷川千雨の精神プログラムは『力の王笏』の演算の元、『完全なる世界』にとりこまれることになる。それもいい、と千雨は考えている。『ネギ』と一緒に、『完全なる世界』で永遠に過ごすのだ。それは、とても、とても幸せなことだと思う。
「そもそも私はこの計画のために作られた人工知能なんだって、あんた知らねーのか?」
ネギは首を振る。そもそもネギは。これからなにが起こるのかすら把握していない。
「そっか。まあそうなんだわ。未来の長谷川千雨が作った使い捨ての道具、なんだわ私は」
「なぜ、千雨さんそっくりなんですか?」
「そりゃ長谷川千雨の精神をコピーしてっからな。そっから無駄なもん削ぎ落としてデータ軽くして。つっても仮契約で『力の王笏』が発現できるくらいには『長谷川千雨』でないとダメなんだけど。そんだけだ」
それきりネギは俯いてしまい、言葉が途切れた。正直、これは単なるネギの未練だった。『完全なる世界』が何をしようとしているかは知らない。でもここで地球に帰還した場合、二度と魔法世界に戻ることも、まして千雨と再び会うこともできないだろう、という冷徹な推測が頭の隅にあったのだ。それを無意識に把握してしまい、まるで時間稼ぎのようなことをしてしまった。
千雨が別の誰かのコピーであること。自分が彼女を傷つけてしまったこと。自分をネギと認識してくれないこと。様々なことが重なりすぎて、ネギには自分がどうすればいいかも考えられないまま、ただ促されるままに、フェイトに未練がましい目を向ける月詠とともに背後の飛行艇へと乗り込んでいった。
「まさかこんなどでかい穴が開くなんて思わなかたネ」
「あちらが魔法世界というやつですか」
超はため息混じりにつぶやく。操縦桿から右手を放し、ぺしんと自身の額を叩いた。彼女たちが乗っているのはアンチグラビティシステムを用いたディーンエンジンを搭載した、未来技術の結晶。大気圏内外両用の超高速飛空挺超包子マーク付きである。
「地下に配置していたタナカさん達がみんな無駄になたヨ」
「まあまあ、もしかしたら学園祭で使うことになるかもしれませんし」
超は地下に隠れ家兼研究所を作る際に、当然その全域について調査していた。網状に広がる地下水道だってマッピングしてあるし、その中には麻帆良の地下に存在したゲートの存在だって把握していた。
それが休止状態であったことも承知していたし、火星から漏れ出す魔力が世界樹に蓄積する現象が未だ続いていることも、超は麻帆良に帰還後すぐに確認した。
『完全なる世界』のテロで魔力が濃度勾配に沿って地球側に溢れようとするなら、まず間違いなく地球と火星を未だ繋ぎ止めている麻帆良地下の休止ゲートを介することになると。
つまり、ネギが地球に帰還するルートは、麻帆良の地下になるはずだ。
葉加瀬がケラケラと笑いながら言う。目の下のクマを見るあたり、完全に徹夜ハイの状態だ。
「下から来るぞ、気をつけろー、なんつって!」
「と見せて実は上から、ネ。ひどいフェイントもあったものヨ」
「なんで未来人がそんなネタ知ってんだよ」
「異文化圏に溶け込むには言語と常識を学ぶ必要があるからネ」
さあ、と超は後ろを振り返る。
「お願いしておいてなんだガ、私にできるのはここまでネ千雨さん」
「ああ」
「後を、頼むヨ」
千雨は右の親指と薬指を使い、顔を隠すような仕草でメガネを押し上げ、告げた。
「任せろ」
言いながら、不敵な笑みで震えを隠しながら、千雨は自分の横に立つ少年を見下ろした。
少年もまた千雨を見上げて笑っている。
「な、ネギ」
「はい、千雨さん!」
ネギが自分の右胸に触れる。
千雨もまた、スカートの右ポケットを軽く叩くことで応えた。
二人の間にだけ通じるサインだ。
そこに仮契約カードが収められていることを二人は知っている。
カードから熱が伝わってくる。
それは、目の前にいるネギが、正確にはネギに作られた式神が、たしかに魂を持ってそこに存在しているという証だった。