長谷川千雨の約束   作:Una

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第二話 力の王笏の使い方(応用編)

 モニターに映るのは、少女の後ろ姿だった。本当はライブチャットのようにしたかったのだが、ちょうどいいアングルに監視カメラが設置されていなかった。いつものことだと千雨は気にしない。

 

『お久しぶりですね千雨さん』

 

 チャットであるから声はしないし、アングルのせいで表情も伺えない。それでも見えることはある。黒い三つ編みからポロポロこぼれている枝毛とか、ずいぶんと細くなった首筋とか。少女のいる部屋が病室であるとか、座っている椅子が電動式の車椅子であるとか。

 

「久しぶりだな、ハカセ」

 

 少女の名前は葉加瀬聡美。かつての千雨のクラスメイトにして、魔法戦争需要で旧世界一般派トップクラスのシェアを誇る雪広グループの技術顧問である。

 

「で、天下の葉加瀬聡美さんが今日はなんの用だ?」

 

 チャットという形はとっているが千雨はキーボードを打つ必要がない。千雨の展開する電子空間ではただ伝えたいことを思うだけでいい。それを電子精霊群が暗号化し、ハカセのモニターに送ってくれる。それをハカセは一瞬見ただけで解読し、覚え、パソコンからログごと削除する。ハカセの強制的に増築された演算能力と千雨の組み上げた防壁プログラムを組み合わせてできるセキュリティであるが、それは万に張り巡らせたセキュリティのうちの一つにすぎない。

 

『千雨さんに研究協力の依頼を』

 

 ハカセからのレスに千雨は軽くため息を吐いた。基本的に千雨はハカセのこの手の依頼を断ることができない。自分の体を保存し続けるためにかかる費用をハカセが負担してくれているからだ。今の千雨は、傍目にはテロに巻き込まれてこん睡状態に陥った一患者に過ぎない。

 

「なんだ今度は、どんな無理難題を押し付けるつもりだ?」

『義肢です』

「ロケットパンチでも内蔵させんのか」

『自分の意思で自在に動かせるものを作りたいなと』

「そんなのもう開発されてるだろ」

 

 千雨が真っ先に思い出す義手と言えばラカンの両腕だ。接合面に傷こそ残っているが、あんだけ派手にネギを殴り飛ばしていたのだ、日常生活に支障が出るとは思えない。

 

『いえ、魔力に頼らずに、です。機械工学だけで同じものを再現したいなと』

「……意思で動く腕をか? でもそれだって確か開発されてたような」

 

 千雨の記憶は定かではないが、21世紀が始まった頃に意志で動く義手の男性が自動車免許を取得した、という記事をどこかで読んだ覚えがある。

 

『まああることはあるんですけどね? そういった機械の義手だと触覚を脳内で再現できないんですよ。つまり物を触っても固いのか柔らかいのか、熱いのか冷たいのかも分からないわけで』

「触覚の再現? それこそ無理だろ、魔法なしでなんて。視覚や聴覚なんかは研究が進んでるらしいけどな」

 

 ハカセからの依頼は基本的にソフトウェアの開発である。それは千雨のアーティファクトがその方面に特化しているためであるが、ネットの世界でしか動けない千雨にはそれしかできないという事情もある。

 しかし、触覚の再現。その技術的ハードルの高さは門外漢の千雨には想像するしかできないが、魔法を使わず……つまり念話や気配察知の魔法的技術を用いずにそんなプログラムを作る方法を思いつくことはできなかった。

 そんな自分になぜこんな話題を振ってきたのだろう、と千雨は首を捻った。こうしてハカセと通信しているだけで千雨に迫る危険度が指数関数的に上がる。セキュリティには万全を期しているつもりではあるが、慢心できるほど世界は平和ではない。いつ、千雨の『力の王笏』を上回るアーティファクトが発現するかわからない。

 

『では、千雨さんは魔法をどんなものだと理解してますか?』

 

 理解も何も、と千雨は嫌そうな顔をした。魔法学なんてまともに受けたことがない。どうせ魔法なんて使えねーしぃ、と千雨は半分拗ねたような諦めをもっていたためだ。実際彼女の魔力容量は一般人としても圧倒的に小さい。これじゃ覚えるだけ無駄だろ、と言ってネギを困らせた記憶がある。あれはほとんど八つ当たりだった。

 

『魔法とは、魔力を精神力で制御し、術式で精霊に指示を与えることで起こる現象です』

「へえ」

『精神力の高さによって魔力の制御が上がれば一つの魔法に必要な魔力をロスなく供給でき、術式が正確であればあるほど精霊に捧げる魔力量が少なくて済むわけです。そして込められた魔力と術式の正確さの積を『魔法力』と呼びます。その魔法の効果の高さ、持続力を指す魔法用語ですね』

 

 そして、魔法力は枯渇する。呪いや精神操作の魔法は攻撃魔法と異なり持続性がある。持続性の魔法の効果が切れるとき、それは込められた魔力が全て消費されたか、あるいは長い時間の中で術式が綻び魔法としての形態が崩壊したかのどちらかだ。エネルギーが100パーセント保存される機関は存在しないし、壊れないものもない。それは当り前のことだ。

 

『術式とは、精霊たちへの指示とも束縛とも考えられています。詠唱によって術式の形に精霊たちを固定し、そこに魔力を通すことで魔法使いは超常現象を発現させます。術式が設計図、精霊が配線、魔力が電気と考えればいいでしょうか。余談ですが、異なる属性でも同じ種の魔法があるでしょう。魔法の射手や武装解除などの攻撃魔法に見られますね。ああいった属性の違いは設計図ではなく使われる精霊の種類の違いです。人によって感応できる精霊の属性が異なるんです』

 

 それは魔法学の基本中の基本であるわけだが、千雨はその理論が新鮮だった。ハカセの話にのめり込んでいく自分に気付き、それがなんとなく気に入らなくて千雨はあえて素っ気ない風を装った。

 

「で、それがどうしたよ。何の話がしたいんだあんたは」

『電子精霊の活躍の場はプログラムやネットワーク上にとどまらないという話です』

「お前はあれだ、いつも唐突過ぎる。相手の気持ちがわからないことが天才の条件だったりするのか」

『どの精霊にも言えることですが、彼らには司る属性というものがあります。例えば雷属性の精霊なら、その本質は精霊でありながら雷でもあるわけで』

 

 自分の言葉を聞き流して話を進めるハカセの態度に思うところがないでもないが、一方でなるほど、と千雨は頷いた。ネギのオリジナルスペル、雷天大壮を思い出す。その体を雷の上位精霊とすること、それは術者自身を雷にすることと同義であると知識では知っていた。雷であり精霊でもあるということ。つまり、

 

「それが電子精霊なら、精霊と電子両方の性質をもつってことになるのか」

 

 そして自分は、彼らの能力のうち『電子としての能力』、より正確には電気・磁気・電磁波など『物理的な側面しか』扱えていない。『力の王笏』は『電子精霊群の組織的運用』を行うためのアーティファクトだ。ならば電子精霊群を精霊として、ハカセが言うところの『配線』として運用することは不可能ではないだろう。そこに流す魔力が千雨にないだけで。

 

『魔法に使われる術式、その中身は精霊群です。精霊で構築された魔法を発動させるためのプログラム、と言った方がわかりやすいですか、私が何を言いたいか』

「つまり、あれか? 『力の王笏』はネットワークだけじゃなく魔法にも介入できる、てことか? 術式をプログラムに見立てて、その中に電子精霊群を紛れ込ませることによって、魔力の流れを捻じ曲げられると」

 

 胡散臭げな視線をハカセの後頭部に向けるが、そこで千雨はふと思い当たることがあった。

 かつて魔法世界、オスティアにて千雨は完全なる世界が発動しようとしていた「リライト」の魔法に介入したことがある。あのときは生死がかかっていて必死だったため無意識に行っていたが、あの最古にして最大の儀式魔法に干渉する能力は電子精霊の『物理的な側面』のみを使っていては為し得なかったことだろう。

 他にも、魔法世界で使われている魔道具。普段から気軽にハッキングしているそれらの機構はもちろん銅線ではなく精霊群で構築されているし。よくよく考えれば、自分は仮契約によって入手できるあのカードだって乗っ取り、他者のアーティファクトを使用できるのだ。

 とはいえ。

 今更そんな可能性に気付いたところでなあ、と千雨は思う。

 魔力の流れを操れたとして、それが何の役に立つのか。それで3-Aが帰ってくるのなら喜びもしよう。だがそれは不可能だ。精霊をどう弄繰り回したところであいつらは──

 

 

 

 

 

 ────────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 渦まく魔力。挙動ごとに吹き荒れる余波に、ネギが立つ豪奢で長大な麻帆良大橋がギシギシと震えた。

 二人のやり取りを、ネギは息を飲んで見ることしかできないでいた。

 彼女を見上げているだけでネギはその存在感に膝が折れそうになる。

 目を閉じて、意識を落としてしまえばどれだけ楽か。

 でもそれは駄目だ、とネギは自分を叱咤する。

 自分の従者となることを了承してくれた少女が、最強の魔法使いに挑みかかっているのだ、主たる自分が目を逸らしてどうする。彼女も言ったではないか、自分の従者がどれだけ強いのかを見せてやる、と。

 だから自分は彼女を見ていなくてはならない。彼女の勝利を信じて。

 

「……長谷川さん」

 

 つぶやいた唇に何かが付着した。右腕で拭い、見ればいくつかの赤い粉。人肌で溶け始めたそれから鉄によく似た香りが漂ってくる。

 血だ。

 冷気を纏う千雨の体、その皮膚から噴出する血液は冷気に触れると同時に凍結し霰とあなって周囲にばら撒かれている。

 体に走る無数の裂傷。それがなぜ起こるのかネギには見当がつかない。エヴァンジェリンの『闇の吹雪』を消し去ったことと体が驚くほど冷たくなったこと。これらと傷とがどう関わるのか。

 あんなに血をばら撒いていれば死んでしまうのではないか……そんな不安はもちろんある。援護をしたい。本当ならエヴァンジェリンに向かってなにか魔法を撃つべきなのだ。それはネギも分かっている。それが魔法使いの主従がとるもっともスタンダードな戦術の一つだと。でもそれはできなかった。仮契約カードを介した千雨の声が手出しを止めているのだ。

 手を出すな。

 大丈夫だから。

 全部作戦通りだから。

 不安に泣きそうになる自分を励ましてくれる千雨の言葉を聞きながら、ネギはその小さな両手で子供用の杖をきゅっと握りしめ、高速で離れていく少女たちの戦闘を追いかけた。

 

 

 

 

 

 黒衣があっという間に血に染まった。

 その全てが返り血であるが、いまだエヴァンジェリンは一度も千雨に攻撃を加えていない。

 魔帆良大橋のアーチの上を二人は駆けている。千雨は前進、エヴァンジェリンは後退の形だ。千雨の攻撃を右手だけでさばく。時折振るわれるあのステッキには回避を必要とするため、防御に専念しているエヴァンジェリンはどうしても後退せざるをえない。

 エヴァンジェリンが攻撃に回らないのは、単に手加減の度合いを測りかねているからだ。

 千雨の攻撃は重い。子供のケンカのように振り回される両腕は、二重の身体強化もあるのだろうが、それ以上に意志の存在を感じられる。その身に宿る冷気は鋭く、防御に回しているエヴァンジェリンの右腕を少しずつ凍りつかせている。すでに肘まで動きが鈍くなっていた。

 しかしその代償に、千雨の体には、彼女が動くたび、あるいはその攻撃を受けられるたびに傷が増えていく。すでに制服は元の色を忘れるくらい染まってしまっているし、今も右足から何かがちぎれる音がした。どこかの筋が切れたのだろう。

 まずいな、とエヴァンジェリンは吐血を繰り返す千雨を見て眉をひそめた。

 千雨を死なせるわけにはいかない。エヴァンジェリンは千雨に、彼女が修得した『闇の魔法』の出所を吐かせるという目的があるからだ。しかし自壊していく千雨の肉体はどの程度の攻撃であれば死なずに、しかも行動不能になるのか。魔法使いを砲台に例えるエヴァンジェリンである、そんな繊細さを自分に求めたことなど彼女にはなかった。

 千雨の全身に、独りでに走る裂傷。

 それがエヴァンジェリンをジレンマへと追いやり、千雨の拙い攻撃をただひたすら受けに回るだけの臆病者へと貶めていた。

 

「どうしたエヴァンジェリン、何か聞きたいことがあったんじゃねーのか!」

「血を吐きながら喋るな、行儀が悪い。口の中に物を入れて喋るなと教わらなかったのか」

 

 それにしても、とエヴァンジェリンは千雨を片手であしらいながら思考にふける。

 肉体から勝手に血を噴き出す不可解な現象。『闇の魔法』の副作用か? と思うが、そんなことがあるだろうかと首を捻る。人間が使えば確かに副作用はあるだろうが、それは魔素中毒に近い症状がでるだろうとエヴァンジェリンは予想している。『闇の魔法』を覚えて血が噴き出すなど、理論的にありえないのだ。

 よくよく考えれば違和感は他にもある。『闇の魔法』を使えば両腕には闇の紋章が浮かび上がるはずだ。なのに千雨の腕にはそれが見当たらない。着ている制服は半そでで腕が露出しているのだ。どれだけ高速で動こうとも吸血鬼の眼が捉えられないはずがない。

 そして長谷川千雨は魔力を持っていない、つまり魔法が使えないのだ。なのに『闇の魔法』を習得して何の意味がある? 『暗き闇の型』程度の出力アップなら気の運用を覚えたほうがはるかに実用的で安全だ。

 いくつもの疑問がエヴァンジェリンの中で絡み合い、戦闘中に得られた長谷川千雨についての情報と結びついて、彼女に一つの解答を与えた。

 

「ああ、そうか」

 

 答えはあまりにも単純なものだった。考えがそこに至った瞬間、エヴァは攻撃に転じた。大外から振り回される千雨の左の掌を首を傾げてかわし、ほぼ同時にガラ空きのわき腹に膝を叩き込んだ。

 

「っぐ、う」

 

 体の芯を貫く衝撃に、千雨の細い体が浮く。浮き、アーチから体がこぼれ、飛行も虚空瞬動も使えない千雨はなすすべなく重力に引かれて、落ちた。

 

 

 

 

 

『長谷川さん!』

 

 先生の声がするな、と千雨は体の軋む音の中で思った。念話で響くネギの声に、飛んでいた意識を引き上げた。

 橋側に落ちたのは幸運か、それともエヴァンジェリンが加えた手心故か。多分後者だろうと千雨は思う。

 千雨の体は橋道のアスファルトを砕いてわずかにめり込んでいた。障壁すら張れない千雨がそれでも生きているのは、体に纏うネギの魔力と掌握した魔法の属性のおかげである。掌握し体に取り込む魔法の属性によってステータスは異なる変動を見せる。今回取り込んだ属性は氷であり、この場合に得られる恩恵は耐久性の大幅な上昇。しかし落下の衝撃のため千雨の術式兵装は解けてしまっていた。

 千雨の術式兵装は攻撃を受ければすぐ空気中に霧散してしまうほど不安定だ。耐えれて一発。エヴァンジェリンが手加減してくれたおかげで、落下まで術式を体内に抑えることができた。

 とにかく念話でネギに大丈夫だと伝え、エヴァンジェリンは、と視線をめぐらそうとして、

 

「なかなか面白いアーティファクトだな」

 

 千雨の顔を見下ろす位置に仁王立ちする彼女がいた。

 千雨からはエヴァンジェリンが麻帆良大橋の柱を背負っているように見える。仰向けで見上げる巨大な橋桁の迫力に千雨は少し感動する。あんなところまで登っていたのか。高さに気付かないほど必死だったのだろう。

 

「いいだろ。やらねえぞ? お気に入りなんだ」

「貴様は『闇の魔法』を修得しているわけではないな?」

 

 千雨を無視したエヴァンジェリンの言葉は、質問ではなく唯の確認だった。故に千雨は無言でいる。勝手に喋ってくれるのだ。口を挟む必要は、ない。

 

「おそらく貴様のアーティファクトの能力は『術式への介入と制御』、と言ったところか」

 

 やはり無言。それが肯定と同義であると、エヴァンジェリンは判断した。

 

「その能力で私の闇の吹雪に干渉し、体内に取り込み、術式兵装として制御していた。だから貴様の体には闇の紋章が浮かばない、『闇き夜の型』を体得していないのだからな。しかしそのため制御が中途半端になり体内で私の魔法が暴発しかけていた。それゆえのその全身の傷。違うか?」

 

 違わない。敵の魔法に干渉し『術式固定』をかける段階までは、かつてネギが開発した『敵弾吸収陣』を参考にしている。加えて肉体への『術式装填』は、かつてあの筋肉バカが実演して見せた、言ってみればラカン流闇の魔法。それを千雨は自身のアーティファクトである『力の王笏』で魔法を制御し、再現して見せたのだ。

 ただ減点があるとするなら、千雨が介入できるのは魔法の術式だけではないところか。

 

「そして茶々丸を下したのもその能力か。あいつは魔力で動く人形だからな、その術式に干渉すれば機能不全にさせることも容易だろう」

 

 そんな簡単じゃねえけどな、という言葉を千雨は心に思うだけにとどめておいた。あれは完全な不意打ちで、七部衆全員を干渉に向けて、集中力の全てを注いだからこそできた一発勝負のギャンブルだった。もう一度同じことをやれと言われてもごめんである。が、そんなことを正直に言って敵の評価を下げる必要はないと千雨は判断した。

 

「一瞬で他者の意識を落とす。それができるのは茶々丸などの魔法人形だけ。私には効かないということだ」

 

 そこで一旦エヴァンジェリンはため息をついた。そこにはわずかな呆れと、それ以外を占める感嘆の念が込められていた。

 

「……驚嘆に値するよ。貴様からは何の魔力も感じない、恐らく魔法的素養が特に乏しいのだろう。そんな貴様がこの私にハッタリを効かせ、『闇の魔法』を装い、私に手加減を強制させることで時間を稼いだ。すっかりだまされたよ。あと十分かそこらか、結界が復活するまでは」

「……正確には9分22秒だ」

「そうか……それにしても術式装填、それも『太陰道』か。開発と習得にどれだけの修練を重ねたのやら想像もつかんな」

 

 まあ、到底使い物にならんバッタモノだがな、とエヴァンジェリンは締めくくった。うるせえよ、と千雨は口の中でつぶやく。鉄の味がする唾液のせいで言葉にはならなかった。そんなことは言われなくても知っている。

 こんなもの、宴会芸となんら違いはない。差があるとすれば、芸人の命が賭かっているかどうか。リアルタイムで書き変え続けるプログラム、その変更を少しでもミスれば体内で暴れる魔力は途端に『力の王笏』の制御を振りきって千雨の体を爆散させることだろう。

 そんな危なっかしいものを『技』とは言えない。危険を装い周囲の笑いを誘う道化師の『芸』にすぎないのだ。

 だからほら、芸に釣られた観客が、のこのこステージに上がってきた。

 自分を見下ろす幼女をさかさまに見上げながら千雨は頬を引き攣らせた。それがちゃんと笑みに見えたかどうか心配だった。体の震えは隠せているだろうか。寒くて体が凍りそうだと千雨は思う。もう術式兵装は解けたのに。それとも血を流しすぎたのか。

 

「確かに貴様は魔力を持たない、年端もいかない少女だ。だがな、貴様には覚悟がある、思いもある。『太陰道』の習得に流した血を思えば私は敬意すら覚える。傷を負いながらも死に屈せず前に進む姿は戦士のそれだ」

 

 だから、とエヴァンジェリンは言葉を続ける。

 

「貴様は私が手ずからとどめを刺してやる。貴様が、長谷川千雨という存在がこのまま出血多量で無様に死んでいくなど見るに堪えん。礼儀として、きっちりその首をはねてやる」

 

 エヴァンジェリンの右腕が光に包まれる。相転移を繰り返して発生するその光は彼女の気性にどこか似ていた。まっすぐで、近づく全てを切り裂くそれは『断罪の剣』。エヴァンジェリンが開発した、近接戦闘において反則的な性能を誇る『全てを切り裂く剣』である。それを発動しただけで、千雨の攻撃によって腕を固めていた氷が粉々に砕け散った。後には傷一つない、きれいな腕があるだけだ。千雨にできたことなど何もなかった。格の違いを見せつけられた気分になった。

 

「近づくな」

 

 その言葉は、背後から忍び寄るネギに向けられたものだった。背中越しに届く氷の冷たさを感じさせるエヴァンジェリンの声に、ネギは足を止めた。顔は涙でぐしゃぐしゃで、声をあげて泣き出していないことが不思議だった。嗚咽をあげそうなのどを無理やり抑え、ネギがなんとかという体で言葉を紡ぐ。

 

「は、長谷川さ……んを、はなっ放してください。僕の血なら、いくらでも」

 

 その様を見て、エヴァンジェリンはふんと鼻を鳴らす。まるでこちらが人質をとったかのような物言いに少なからず気分を害した。が、それも仕方ないことだろうと思いなおす。ネギはまだ子供であるし、何より時代が違う。殺される名誉、生かされる恥など言って理解できるものではないだろう。だからエヴァンジェリンはネギを無視することにした。

 

「誇れ。私に虫のように虐殺された者は数えきれんが、介錯を受けた存在など五人もいない。痛みもなく一瞬で送ってやる」

 

 エヴァンジェリンが輝く右腕を千雨の首筋に当てた。千雨の体が緊張と恐怖で軋んだことが手に取るようにわかる。どんな気丈な人間でも死を前にすれば誰もが怖気づく。エヴァンジェリンはその長くて血なまぐさい生涯から得られた経験則を再確認した。

 

「最後にいい残す言葉はないか?」

「……──ム、ゼ……」

「ん? なんだ、小声で聞こえん」

 

 エヴァンジェリンが千雨の口元に耳を寄せた。戦士と認めた者の最後の言葉をないがしろにする気は彼女にはないから。

 そして、この距離なら。

 

「『我こそは電子の王』」

 

 どういう意味だ? と疑問を表すより早く、寝転がる千雨を中心に魔法陣が展開した。突然足元に生じた光にエヴァンジェリンの精神はいち早く反応、驚くより先に回避を体に命じた。魔法陣の効果はわからないが、その範囲から外れてしまえば、

 

「なっ!?」

 

 今度こそエヴァンジェリンは驚愕した。自分が纏うマントを千雨が掴み、思い切り手前に引き寄せたからだ。千雨の首には断罪の剣が突き付けられていたままであって、エヴァンジェリンから見ればその行動は自殺行為以外の何物でもない。右手に纏う光がなんの抵抗もなく千雨の首の筋肉を裂いていく。動脈を切り裂くギリギリのところでエヴァンジェリンは反射的に『断罪の剣』を解除し、その自分の行動に一瞬唖然として、『力の王笏』の効果によって千雨とともに意識を落とした。


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