長谷川千雨の約束   作:Una

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幕間1 エピローグのようなプロローグ

 そばにいて欲しいと言われた。

 だから私はそばにいた。

 

 

 

 

 

 ネギは一人赤い岩肌の丘で佇んでいる。その横顔は完全な無表情だ。いつのころからかネギは表情を忘れて、あらゆる感情を表に出すことをしなくなった。茶々丸さんの方がよほど人間らしいですね、と冗談めかして言ったのはいつのことだったか。

 

『僕は間違っていたのでしょうか』

 

 聞こえてくるのはネギの声。雷天大壮の術式の改良に成功し、千雨の操る七部衆が一匹『ねぎ』と量子的にリンクすることで千雨は常にネギと繋がっている状態にある。この状態ならERP通信のテクノロジーを利用して火星と地球の間でも会話が可能だ。『力の王笏』のスペックが七分の一落ちてしまうことは正直痛いが、それだけの価値はあると千雨は思っている。

 せめて自分だけでも、ネギの傍にいられるから。

 

『僕は、間違っているのでしょうか』

 

 電子空間内で、千雨は『ねぎ』の聴覚情報からネギの声にわずかな震えが混ざっていることに気付いた。足元に一粒の水滴が落ちたことを『ねぎ』の知覚領域が捉えた。

 泣いているのか。

 ネギの視線の先には一面に広がる赤い荒野と、地の果てまで累々と転がる屍の山。地平線では今まさに日が沈もうとしているところで、茜色に染まる空を一陣の風が駆けた。ピクリともしない兵士たちの体から四角い何かが風に乗り、小鳥の群れのように舞いあがる。そのうちの一つをネギが掴み取る。

 それは死んだ仮契約カードだった。

 描かれる姿は細身の男で、主の欄には女性の名前が書いてあった。恋人だろうか。

 空を見上げれば、紅から藍色へと変わる空の下で仮契約の証が渦を描いていた。あの一枚一枚が、物のように転がっている兵士たちの人生を語っていた。

 皆生きていた。

 でももう死んだ。

 何のせい? 誰のせい? 

 ネギが指の力を緩めると、掴んでいたカードが風に攫われて空に舞った。あっという間に見えなくなった。ネギは力なく腕を垂らした。

 

『……僕の、せいで』

 

 涙混じりの言葉は懺悔そのもの。ならそれを聞く自分はシスターの役割だろうか、と千雨は思い、首を振って否定した。シスターは春日の役割で、きっと自分は枯れ井戸だ。ロバの耳を見てしまった少年が耐えきれず叫ぶ相手。精神の肥溜め。何も語らず、ただそこにあるだけの深い穴だ。傍観者を気取る自分にはお似合いだろうと千雨は電子空間で一人頷いた。

 

『皆を守りたいと願うことは、間違いなんですか……?』

 

 間違ってなんかない。ネギは最善を常に望み、選び、誰よりも前を、誰よりも早く突き進んで、そしてその正しさに誰もついていけなかったのだ。

 間違っているのはネギ以外の世界の全てで、正しかったのはネギただ一人だけだった。

 子供でも分かる理屈だ。一人を贔屓する教師と、皆を平等に守ろうとする教師と。どちらが教師としてあるべき姿かと聞かれれば誰もが後者と答えるだろう。

 でもそれは子供の理屈だ。

 アスナは魔法世界を救うために。

 木乃香は旧世界魔法使い派を支えるために。

 委員長は旧世界一般派を導くために。

 ザジは魔界を守るために。

 3-Aは四つに別れ、皆が自分の守りたい何かの為にそれぞれの戦場に身を投じた。

 それとは対照的に、ネギはそのどこにも所属しなかった。

 ネギが守りたい皆。3-Aの生徒たち。彼女らを救いたいという願い。それはすでに世界を救うことと同義だった。

 全てを背負う。誰も死なせない。少年は誓って、そのために力を求めた。それでも世界の救い方なんてわからなくて、迷いを抱いたまま理想の為に突き進んだ。

 誰も死なないハッピーエンド。それは誰もが胸に抱いて、でも次の瞬間には諦めと共に胸の奥にしまいこんでしまう子供の語る夢だ。

 でもネギはその夢を捨てられなかった。

 超を否定し、フェイトに見限られ、彼らと対立し否定したネギはもっとも犠牲の少ない方法で世界を救う義務があった。

 少しでも多くの命を救いたくて、文字通り雷の速度で世界を飛び回って。何一つ切り捨てられない子供は、そして全てから切り捨てられた。

 それでもネギは独り戦い続けた。誰も死なせたくないから、あらゆる戦場に単独で介入した。その速度に、凄まじさについていける人間などいやしないし、ネギもまた必要としていなかった。彼が必要としていたのは、資金と情報、そして食料や資材など、自分では用意できないもの。それらを全て賄うことが千雨にはできた。

 

『僕は、間違え……た』

 

 間違ってなんかない。

 超は歴史を変えようと時間を超えた。

 その結果ネギと明日菜を含む白き翼が魔法世界を訪れ、『完全なる世界』のリライトが未遂とはいえ行われ、ネギが人間をやめ寿命を忘れ、惑星緑化計画の象徴としてネギは祭り上げられた。

 逆に言えば。

 超がいなければ白き翼は結成されず、魔法世界に行くこともなく、『黄昏の姫御子』を欠いた『完全なる世界』のリライトは間に合わず、ネギが惑星緑化計画を思いつくこともなく魔法世界は崩壊する。

 そんな未来からやってきた超が言った言葉がある。

 

 ──いやいや火星人うそつかないネ。今後百年で火星は人の住めるようになる……

 

 あの学園祭、お別れ会の席で超鈴音はそう口にした。百年という数字は千雨が委員長こと雪広あやかから受けた説明にあった数字と同じだ。それはネギがいようといまいと惑星緑化計画は進められていたということだ。ただ自分たちの計画とほぼ同じ案をネギが思いついたことで、元老院は『英雄の息子の発案』ということにして計画を進めることにした。

 魔法世界の住人は皆恐怖しただろう。いずれ世界が崩壊するという現実を目の当たりにしたのだから。しかしその恐怖をなだめる方法を元老院は思いついた。それが『英雄ナギの息子の頭脳のおかげで世界は救われる』というプロパガンダだ。

 ネギの思いつきはしょせん子供の戯言で、元老院が長年進めていたテラフォーミング計画と比べればあまりにも杜撰で穴だらけだった。それでもネギ・スプリングフィールドというネームバリューを利用すれば計画はよりスムーズに進むだろうと元老院は予想した。

 わかるか先生。

 あんたがいてもいなくても、百年でテラフォーミングは完成し、戦争は起こっていたんだ。

 だからこの戦争は先生のせいじゃない。そう千雨は慰めたつもりだった。

 

『いてもいなくても同じ、ですか』

 

 ネギの表情はまたもとの能面に戻っていた。硝子のような瞳はすでに沈みきった太陽の残滓を残す西の空に向けられている。

 

『いなくても同じだったんですか』

 

 拳を握る。ギシリと不吉な音を立てて、ネギの拳にひびが入る。指に込められた力が大きすぎて自壊し始めたのだ。

 

『それなら僕は、存在したくなかった……!』

 

 それはネギの、魂の叫びだった。

 前に進んだ。ただひたすら前へ。悩みを抱いたまま、ふっ切ることもせず、どこに向かっているかもわからないまま前へ。ただ信じていたのだ。その先に敵も味方も関係なく皆が笑いあえるハッピーエンドがあると。

 少し考えればわかることだったのに。

 この世のすべては有限で、人も物も金も資源も土地も幸福も、世界を構成するあらゆる要素が奪い合いの対象なのだと。

 ほんの少しだけ立ち止まれば、ネギもきっとすぐ気付けたはずなのだ。

 地球、火星、魔界。その全てが平等に救われるなんてありえないと。

 

 でかい悩みなら抱えて進め。

 

 ネギの精神の中核の一つを構成している言葉で、それが誰の言葉なのか、千雨はもちろん覚えている。

 自分の存在は、自分が思っていた以上にネギの中で大きかった。そのことに一抹の喜びと、莫大な後悔を覚えた。誰かの人生を預かることの重みを初めて理解した。今更過ぎると千雨は自分を嘲笑った。

 何が間違えていたのか、答えは簡単だ。

 間違えていたのはネギでも、ましてや世界でもない、自分だった。

 ネギ先生、あんたは間違ってない。あんたの理想も、手段も、どれも完膚なきまでに正しすぎる。

 間違えたのは私だ。先生はそれに巻き込まれただけ。

 自分のせいで、先生はいらぬ罪を背負ってしまった。

 

「なあ先生」

『……はい』

 

 言葉が続かない。何を言えばいいのかわからない。謝って済む話ではない、ごめんなさいの一言で目の前に広がる荒野がなかったことになるわけではない。

 そうだ、謝罪なんて必要ない。ネギがそんなもの求めていない。

 彼が求めているのは、贖罪であり、救いであり、ハッピーエンドだ。

 

「約束するよ」

『……約束、ですか?』

 

 屍の荒野を見据え、千雨は誓う。

 いつか救う。必ず救う。3-Aも、ネギも、世界も。

 記憶を消してほしいなら消してやる。殺してほしいなら殺してやる。どんな手段だろうと、それでネギを救えるのならなんでもやってみせる。

 それを私は約束する。

 

 荒野に闇が満ちる。冷たい風が岩肌を舐める。深い藍色の空には白とわかる雲がいくつも浮かんでいて、その隙間には青い地球が小さく輝いている。

 

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