長谷川千雨の約束   作:Una

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実体化モジュールについて
実体化モジュールとは、魔法先生ネギま!の作者赤松健先生の初期連載作品「A・Iが止まらない!」通称「AI止ま」に出てきたプログラムです。詳細は本文中にある通り。なお、ネギま!本編で葉加瀬が「AI止ま」の主人公の存在を示唆する発言をしていたことや、新田先生が両作品に登場していることなどから、これらの作品は世界観を共有していると解釈しています(新田先生については赤松先生の恩師をモデルにした単なるスターシステムでしょと言われたらその通りですが)。


第五話 <⚫️> <⚫️>

「実体化モジュール?」

 

 千雨はあるプログラムコードを眺めながら、葉加瀬と会話をしていた。MITに潜入した折に掠め取ったそれを、千雨はしばらくは一人で解析していたのだが、その難解さにギブアップし葉加瀬に開示したのだった。

 

「端的に言うとプログラムを実体化するプログラムですね!」

「…………端的すぎて誤解がありそうだ。つうかテンション高いな」

 

 千雨は電子空間でぐりぐりとメガネのブリッジをいじる。自分を冷静に保とうとする時に出る彼女のくせだった。

 

「いや、実体化ってなんだよ」

「例えば宇宙船の設計図なんかをそのままの形で、現実世界にポンッと創り出すことができます! MITにあった噂の元はこれですね。いやあすごい! 悔しい! すばらしい!」

 

 脚が動けば踊り出しそうなほどのテンションではしゃぎまくる葉加瀬に軽く引きながら千雨は考える。

 言っていることはわかる。これ以上ないほど明解である。しかし、しかしだ。

 千雨はもう一度プログラムコードを見る。

 

「なんでそんなことができる? これ見てもさっぱりわかんねーんだけど」

「私にも仕様段階の範囲でしか理解できません! なんですかこれ! わかんない、わかんないのに実体化できてしまうんです! しかも驚くなかれ、ログを辿るとですね、設計した神戸ひとし教授は、これを1990年代に完成させていたんです! てことは当時高校生ですよ!」

「まあ、あの金融機関への連続テロ事件より前には作られていたはずだからな」

 

 自分で言いながらなんだそりゃ、と千雨は思う。まさかその神戸某も時間を超えてやってきた未来人だったりするんじゃないのか。完全にオーパーツである。

 

「千雨さんは特殊相対性理論はご存知ですか?」

「そら知ってるけど。E=mc^2だろ。つまりこれ、エネルギーを使って実体化…………待て。90年代ぃ?」

 

 ありえない。特殊相対性理論がアインシュタインによって発表されたのは1905年のことであるが、そこで発表されたのはあくまでアインシュタインの経験則に基づいた仮説に過ぎない。この理論が実際に証明されるまでに実に100年以上の時間が必要とされたのだ。質量を消費してエネルギーを生み出す、ならともかく。エネルギーから質量を生み出すなんて。

 

「このプログラムの最も画期的な部分はそのエネルギー効率にあります。本来1グラムの質量を生み出すのに必要なエネルギーはおよそ90兆ジュールが必要になりますが、このプログラムでは同じ質量を生み出すのに2万ジュールで足りてしまう! 具体的に言いますと、エアコン240時間稼働させるだけの電力で、あるいは落雷一発分のエネルギーで人間一人が作れてしまうんです! ちなみに、太平洋戦争で使われた原子力爆弾。あれでエネルギーに変換された質量はほんの0.7g、と言えばだいぶはったりが効きませんかね。ああ、なんで私はもっと早くこれに出会っていなかったのか! 茶々丸カムバーック!」

「はったりは知らねーけど、まあ確かにな」

 

 確かに。

 なぜこれほどのプログラムが公開されなかったのか。

 葉加瀬にすら理解できないこのプログラムを作った神戸という人物は、このプログラムの価値を十分に理解した上で秘匿したのだろう。公開すれば間違いなくニュートンやアインシュタインの隣に名を刻むレベルの発明である。富も名誉も保証されるに違いない業績を放り投げた、時代の先を行き過ぎた天才の真意は、そこに潜む葛藤は、凡人たる千雨には理解できない。

 

「でもこれってさ」

「はい?」

「プログラム組んでエネルギー使って実体化って、魔法でできるよな。仮契約カードのアーティファクトとか、前に話したエヴァンジェリンの人造霊魂とか」

「…………」

 

 葉加瀬のテンションがすごい下がった。

 

 

 

 

 なお何故神戸ひとしが実体化モジュールを世間に公開しなかったかと言うと、自分好みの美少女を実体化してエロいことしてたのがバレたらやばい、などというアホな理由だったりする。

 

 

 

 

 

 ────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 それは暖かな、眠気を誘う昼下がり。

 日当たりのいい公園のベンチで、少女は静かに瞼を閉じている。

 プルの開いている缶コーヒーを両手で包んだまま俯いている光景は、休憩の間にうたた寝してしまった少女として公園の風景に溶け込んでいた。

 しかし少女の内面は、そんな平穏からかけ離れたところにある。

 遠隔操作式の式神六体の同時運用。単純な命令を与えた後はほとんどオートで動くため操作自体に苦はない。ただそれを近衛家のSPとの連絡を交わしながらとなると少々脳の処理が追いつかないのだ。

 俯く少女の額にうっすらと汗がにじむ。

 すぐ目の前を駆けて行った小学生たちの歓声も耳に入らない。

 木乃香に向かって近づいてくる金髪の二人組が、式神を通した視界に捉えられたからだ。

 

『護衛対象に二人接近』

『把握しました』

『こちらも』

『以後二人を『金髪』『ピアス』とする』

『了解』

『了解』

 

 近衛家のSPには二種類のタイプがある。黒服に身を包みサングラスをかけた、いかにもな雰囲気を醸し出すものと、学生の街に相応しい年恰好をした、護衛と悟られない影のボディガード。現在木乃香は寮のルームメイト、通称Aと買い物の為に街へと繰り出しており、つまり今の木乃香はただの学生として外出しているわけで、そんな場合彼女の周囲に張り付くのは後者のタイプのSPなのである。

 

『護衛対象の向かう先は?』

『Aと修学旅行の準備をするとのことなので、おそらくそこを右に曲がった学園生協に向かうのでしょう』

 

 そのSPの一人『紫陽花』からの質問に刹那は応える。彼らとは東洋魔法で作られた通信符で会話をしている。携帯電話ではなく通信符を使う利点は様々だ。転移術の手法も組み合わせているため圏外がなく、念話妨害も効かない。何より通信符は紙なので、小さく折りたたんでしまえば自分が誰かと会話をしていると他者に気づかれることはない。刹那は通信符を、サイドポニーを纏める髪留めとして使っていた。

 

『ではそちらに『椿』と『菊』を先に向かわせておきます』

『お願いします。『蘭』と『銀杏』は『金髪』と『ピアス』の後ろに』

『了解』

『了解』

 

 指示を出せば即座に動いていく近衛家のSP。迅速でありながら適度に無駄があり、一般人としての振る舞いを完全に再現している。『金髪』と『ピアス』は背後にぴたりと身を寄せる二人に気付きもしない。

 それを確認して、刹那は彼らの首元に式神を寄せる。操作性より隠密性を重視した術式のそれらは、一般人の目の前でフォークダンスを踊っても気づかれることはない。

 

『では秒読みいきます、用意は?』

『いつでも』

『ではいきます。3・2・1』

 

 刹那のカウントが0になると同時に『金髪』と『ピアス』が意識を失った。式神、刹那は『ちび刹那』とよんでいるそれらは、刹那と同じように帯刀している。そこに神鳴流における気の運用の一つである『雷』の属性を刻んで1mmでも首の肌に刺してしまえば、音のないスタンガンを食らったように意識を飛ばす。

 全身から力が抜けて地面に倒れようとするところを、彼らの背後に控えていた『蘭』と『銀杏』が即座に支える。音もなく体を立たせ、自然に肩と腰に腕を回して、往来を歩く誰にも違和感を感じさせることなく彼らは『金髪』と『ピアス』を退場させた。

 式神の眼を通して確認すれば、木乃香とAは今自分たちの後方3mで起きた出来事に全く気付いていなかった。彼女たちは楽しげに店の中へと入っていく。

 

『護衛対象、学園生協に到着』

『把握しました』

 

『菊』の返答を聞いて、ふう、と刹那は息を吐く。

 木乃香は非常に周囲の目を引く。それは花も恥じらう美しさ、身目麗しい外見によるところもあるだろうが、その身から隠しきれないカリスマのせいでもあると刹那は考えている。ただそこにいるだけで周囲の人を安心させる優しい存在感。彼女の声を聞くだけでささくれ立った心が落ち着く。彼女の笑みを守るためなら命などいらない、そう思わせるほどの魅力が彼女の笑顔にはある。幼馴染ゆえのひいき目もあるだろうがそれを差し引いても木乃香より素晴らしい女性は日本にはいないだろう、そう刹那は考えていた。

 故に、彼女に近づこうとする男は多い。

 それがただの一般人であるとわかっているなら刹那も、SPたちも特に言うことはない。だが中には一般人を装って関西呪術協会の長の娘を誘拐する目的で近づく卑劣漢もまた存在するわけで。

 

『記憶を読みました。どうやらナンパ目当ての一般人のようです』

『わかりました。ではいつも通りに』

『了解』

 

 ナンパ目的の一般人と誘拐狙いの魔法使いを外見で区別することはできないため、毎回こうして捕獲からの記憶読み込みというコンボで確認しないといけないわけだが、その八割はこんな一般人である。その場合は木乃香についての記憶を封印して釈放となるが、これが残りの二割、どこかの魔法結社から派遣された魔法使いであった場合は傍で待機しているスモークガラスのバンに連れ込んで、日本古来より伝わる説得術でオトモダチになっていろんなオハナシを聞かせてもらうことになる。その説得術とやらがどんなものなのか刹那は知らない。部署がちがうのだからあまり詮索するべきではないだろう、うん。

 護衛対象、木乃香お嬢様と笑いながら服を選ぶAを見る。

 傍で守ることができればどれだけ楽か、そう刹那は考えないでもない。

 だがそれは不可能だ、と諦めてもいる。

 護衛対象にはいくつかのパターンがあって、大きく二つに分けるとその対象が命を狙われているのか否かである。スナイパーなど遠距離から直接狙われる場合、あるいは常に毒殺の危険にさらされている場合などでは、護衛は常時護衛対象に張り付いて盾となり毒身となりその身を守らなくてはならない。

 しかし木乃香はそうではない。

 彼女を狙うものは皆身代金目的や、あるいは洗脳を施し傀儡とすることが目的である。その場合必要なのは群衆に紛れる不審人物の割り出しであり、そのためにはある程度離れたところから対象を中心に俯瞰して観察するポジショニングが必要なのである。

 そもそも木乃香は魔法について何も知らされていない。関西呪術協会の権力争いから遠ざけるための処置であり、それには刹那も賛成している。あんな、裏切りが横行する大人の世界に木乃香お嬢様を巻き込ませたくない。関西呪術協会は実力主義で、魔法について無知で無能な存在が長となることはありえないのだ。

 だが刹那が幼少より血反吐を吐きながら習得した神鳴流は退魔の剣であり、正直他者を守ることには向かない。その奥義のことごとくが気をド派手に使った一撃必殺で威力至上主義なものばかりである。どう見ても一般人の域を超えており、自分が木乃香に張り付いてしまえば、彼女を守ろうとして、間違いなく彼女に魔法や気の存在がばれてしまう。その果てにあるのは、陰謀渦巻くドロドロの政治闘争の中で摩耗し心折れる未来だ。

 お嬢様は優しい。裏切られることも、裏切ることにも耐えられない。

 自分が近づけば、いずれ彼女は大きく傷付くことになる。

 だから自分は近づくわけにはいかない。

 長いスパンで見れば、それが彼女にとって最適であるはずだ。

 

「いいんだ。お嬢様を守るだけで私は満足できるんだ」

 

 そんな、もはや日課とも言える思考にひと段落ついたとき、ポケットが振動した。中からすぐに震えている携帯電話を取り出してみると、学園長の名前が表示されていた。急用だろうか、それとも修学旅行の話か。考えながら刹那は通話ボタンを押した。

 

 

 

 

 

 学園長室には現在二人の人影がある。人間離れした頭部をもつ老人と、豊かな金髪の女子生徒。少女は厳つい机に腰を預け、老人に背を向けている形である。先に口を開いたのは少女の方だった。

 

「で、なんだ親書というのは。貴様いつ詠春と仲が悪くなったんだ?」

 

 少女、エヴァンジェリンは振り返り、横目で老人を見やった。口元を愉快そうに曲げて問うた親書とは、先ほどまでこの部屋にいた子供先生、ネギ・スプリングフィールドに渡された一通の封筒のことだ。

 

「あれは親書ではないよ。内容は、まあ親子の私的な連絡じゃ」

 

 わかっているくせに、と目で責めながら老人、近右衛門が応える。その言葉にエヴァンジェリンがなおさら嬉しそうに笑みを深めた。親子の私的な連絡、それが西と東の長の間で行われるいわば談合のようなものだと知っているからだ。

 かつて魔法世界で起きた戦争にて、メガロメセンブリアは関東魔法協会を通して関西呪術協会に戦力の提供を依頼した。呪術師は言わば傭兵のようなもので、正式な依頼と相応の金額を提示されれば頷かないはずがない。それが仕事なのだ否もない。

 しかしその戦争は当初考えられていたものよりも長く、激しく、メガロメセンブリアは敗戦直前まで追い込まれた。その被害は呪術協会の術師たちの質と量の低下を招き、いくら報酬を当初提示されていた額の倍が支払われようと、人材がそんなすぐに育つわけではない。戦争終了後、呪術協会は関東魔法協会に併合されるだろうことは誰の目に見ても明らかだった。

 しかし当時の関西呪術協会の長である近右衛門の対応は早かった。彼は併合を受け入れるものとして関東魔法協会の理事の一つというポストを受け入れ、その一方で次の呪術協会の長の座に彼の戦争の英雄、サムライマスターの二つ名を世界に轟かせた青山詠春を据えたのである。

 紅き翼の名はメガロメセンブリアでは無視することができない。敗戦色濃厚な戦況をひっくり返した彼らに、メガロ本国は到底返しようのない借りがある。今のメガロがあるのは彼らのおかげなのだ。そんな紅き翼の一人であるサムライマスターが長を務める組織にメガロメセンブリアや関東魔法協会が強く出られるはずもない。結果として詠春は本国から迫る高波の防波堤としての務めを二十年間果たし続けた。そして関東魔法協会の下にくだったはずの近右衛門はいつの間にか関西呪術協会との唯一のパイプ役として機能し、その発言力は日増しし、本国からのプレッシャーをのらりくらりとかわしながら、ついには関西呪術協会が関東魔法協会と並ぶ戦力を持つまでの時間を稼ぐことに成功する。

 そうなってしまえば魔法協会も関西を無視するわけにはいかず、他の理事たちとの議論の結果関西呪術協会を日本を二分する魔法勢力の一派であると認めるに至り、今では互いに人材交流などが行われるまでにその仲は回復している。

 なので、今更特使を派遣して親書を届けさせることに意味はないのだ。

 

「あれは方便じゃよ。ネギ君を西に挨拶に向かわせるための」

 

 歴史的に見れば、関西呪術協会の元となる陰陽術組織は奈良平安のころに発足し、以来大和の民を妖魔や悪霊から守り、政を左右してきた。日本という国を蔭から守り支えてきた集団なのである。その誇りは高く、気高いものであるとエヴァンジェリンは考えているし、そこに土足で上がり込んで勝手に『関東』魔法協会を名乗った外様の西洋魔法使いにいい感情を持っていない連中の気持ちも理解できるつもりだ。

 例え力が衰え、日本を守るために魔法協会の協力が必要であっても、この国は関東も関西も関係なく元々自分たちの土地だ。

 そこに修行の為にやってきた見習い西洋魔法使い。

 人の家で修行するなら挨拶くらいしなければならないだろう。

 つまり、ネギには『仲良くなるための親書を届けること』といいつつ、その内実は『日本に修行に来た見習い西洋魔法使いが呪術協会の長に修行の挨拶をすること』という形を作るためのものだったのである。

 

「しかしそれなら春休みにでも行かせればよかったのではないか?」

「そのころはまだ教師としても見習いじゃったし、研修中であって本格的に修行が始まったわけではないからの。それに、プライベートの時間で婿殿に会いに行ってもそれは『サウザンドマスターの息子が父の仲間のところへ遊びに行った』ととられる可能性もある」

「だから、『教師としての職務中』である修学旅行中としたのか」

「修行内容が教師になることじゃからの」

 

 ふむ、とエヴァンジェリンは頷き、しかしすぐ首を傾げた。

 

「なぜぼーやに嘘をついた? 正直に事情を話せばよかろうに」

「そんな大人のどろどろした駆け引きを子供に説明するのもどうかと思っての。それより『仲直りするための重要な任務』とした方がネギ君の為になるかという判断もある」

「あれか、初めてのおつかい、みたいなものか」

「そういうことじゃ」

 

 子供に買い物を頼むより、大人が車で買い物に出かけた方がずっと早いし確実だ。だが子供に責任と物を買うという社会勉強をさせるためにおつかいをさせるということは教育上絶対に必要なことである。

 コンコン、と学園長室の扉からノックが響いた。入りなさいと近右衛門が促すと、失礼しますと断りながら二人の女子生徒が入ってきた。

 桜咲刹那と春日美空。3-Aの魔法生徒として登録されている生徒だった。

 

「あれ、エヴァちゃんじゃん。どうしたのこんなところで」

 

 シスター服に身を包んだ美空がエヴァンジェリンに声をかける。ちゃん付け!? と刹那が目を見開き、知らないって幸せじゃなと学園長が遠い目をして、しかし当のエヴァンジェリンは特に気にした風もなく美空に振り返って、

 

「学園長と、旅行仲の警備について話し合いをな」

「え、警備って……」

「ああ、言ってなかったが私も魔法生徒として登録されてな。修学旅行では私も警備に参加する」

「マジで? エヴァちゃん魔法使いだったの?」

 

 そこ? という顔を美空以外の全員がした。

 

「というか春日美空、お前春の防衛演習のときどうしてたんだ」

 

 うえ? と美空は呻き、目線を左右にさまよわせて、

 

「いやーシスターシャークティーがさー、あなたたちはまだ未熟にもほどがあるので参加させられませんね死にますからとか言ってさー、その日は寮の監視という名目でお留守番スよ」

「ああ、だから私のことを知らなかったのか」

「ん、なんスか? 声小さくて聞こえなかったんですけど」

「なんでもない。それより早く話を済まそう。さっさと帰りたいだろ?」

 

 ああそうスねーと言って姿勢を正す美空。それを見て近右衛門はコホンと咳払いをして、

 

「まあ、今聞いた通りエヴァンジェリンも今回の修学旅行に同行し、警備をしてもらうことになった。その割り当ては3-A生徒全員じゃ」

 

 は? と刹那と美空が呆けた声を出した。全員? 

 

「そして刹那君は木乃香の護衛じゃ。近衛家のSPを京都に連れて行くわけにはいかんが大丈夫かの?」

「は、はい、お任せください。この命に代えましても、お嬢様をお守りしてみせます」

 

 現在麻帆良学園にいる近衛家のSPは近右衛門が育てた精鋭である。その腕はそこらの魔法使いを大きく上回っているわけで、そんな集団を京都に連れて行けば、それは前呪術協会の長が現呪術協会の長である詠春を信頼していないということになる。

 その点刹那は神鳴流の剣士であり、詠春と同門である。彼女が木乃香の護衛として働くなら関西呪術協会の構成員も嫌な顔はしない。

 

「んー? 木乃香が関西呪術協会に狙われる理由があるんスか?」

 

 事情を知らない美空が、どこかのんきな声でたずねる。それに答えたのは近右衛門だ。

 

「木乃香は関西呪術協会の長の一人娘じゃからの」

「……てことは、いずれそのお父さんの跡を継ぐんスか」

 

 否、と近右衛門は首を振った。

 

「関西呪術協会は実力主義での。その長や幹部などの要職は世襲制ではない。確かに長は近衛の姓を名乗る必要があるが、それは血がつながってなくてもよい。養子でも婿入りでもの」

 

 現に今の近衛家当主は婿入りした青山家の人間である。

 

「それに次期当主になるべき人材は順調に育っておる。幼少のころから組織の上に立つ者としての教育、呪術の心得などじゃな。魔法の存在すら知らん木乃香をわざわざ長に祭り上げる必要はないんじゃよ」

「え、じゃあなんで狙われて……?」

 

 ふうむ、と近右衛門は思いため息を吐いた。

 

「魔法については知らなくとも、その魔力容量は膨大でな。しかも近衛の姓である以上、長になる必要はなくともなれないわけではないんじゃよ。じゃから、木乃香を攫い、洗脳し、傀儡にして裏から操り利益をむさぼろうとする不届き者が一部いるんじゃよ」

「はあ~……なんか大変そうスね」

 

 明らかに他人事だった。心配する気持ちはもちろんあるが、だからと言って自分にできることはないと美空は知っているし、自分に何かあればココネが悲しむ。実験体18号と番号付けされた少女の為に、自分は絶対死ぬわけにはいかないのだ。せいぜい刹那の邪魔しないよう遠くから応援するくらいにしておこう、と心に決める。

 

「木乃香の護衛はなるべく刹那君一人に任せよう。エヴァンジェリンと連携を組んだことはないじゃろ?」

「……そうですね。エヴァンジェリンさんは戦力としては申し分ないのですが」

「慣れぬ連携で隙を作ってしまうよりも、初めから一人で守りを固めた方がやり安かろう」

「まあ、何かあれば私に連絡しろ」

 

 告げられたエヴァンジェリンの言葉に、刹那はぎくしゃくしながらなんとか頷いた。なに緊張してんスかねー、と美空は刹那を横目で見ながら思う。

 

「最後に美空君じゃが、君には超君の監視を頼もうかと考えておる」

「はあ、超りんスか」

「知っておるかも知れんが、彼女は既に魔法先生から数度注意を受けていての。まあ、何をするとも思えんが、一応の」

 

 ふうん、と美空は思い、わかりましたとだけ言った。内心大した仕事ではなくてほっとする。超とは知らない仲ではないし、監視といっても彼女とは同じ班であるし、一緒に遊んでいればいいだけだ。もし本当にやばくなったら加速装置でスタコラサッサだぜ。

 

 

 

 

 

 時計が午後の九時を回った頃、ようやくネギは女子寮に帰ってきた。ここのところネギは毎日それくらいの時間にならないと部屋に帰らないようにしている。明日菜は新聞配達のバイトがあるため八時には布団に入って眠ってしまうから。だから彼女を起こさないよう静かに扉を開けて、なるべく足音を消して部屋に入った時、テーブルの前で腕を組み座っている明日菜を見てネギはめちゃくちゃ驚いた。

 

「……おかえり」

「……た、ただいまです、明日菜さん」

「ご飯、できてるわよ」

「あ、でも僕これから出かけないと」

「い・い・か・ら」

 

 食べるでしょ? と感情を込めずに聞いてくる明日菜に、ネギは反射的に頷いてしまった。テーブルを見れば白いご飯に焼いたサンマ、みそ汁に漬物卵焼きと、木乃香の得意な和食が並んでいる。それらは明日菜の正面の席に並んでいて、それを食べるということはネギは明日菜の正面に座らなくてはならず、明日菜の射るような視線はなんとも居心地が悪くてネギは今すすったみそ汁が赤みそか白みそかも分からなかった。

 かちゃかちゃと自分の食事の音だけが響くダイニング。空気があまりに重く感じてしまうのは、自分に後ろめたいことがあるからだろうか。沈黙に耐えきれず、ネギは卵焼きをほとんど丸のみしたあとで、

 

「あの、木乃香さんは……?」

「パルのところ。なんかよくわかんないけど修羅場だから泊まるって」

 

 望みは絶たれた。

 再び沈黙が続くのか、ご飯がまだ途中だけどさっさと出発してしまおうか。そう考えた時、明日菜がついに口を開いた。

 

「あんた、最近私を避けてるでしょ」

 

 ネギは、自分の腋にじんわりと汗がにじむのを感じた。

 

「いえ、そんなことは」

「嘘。いつも私が寝た後に帰ってきてるじゃない。朝も私がバイトから帰ってくる前に出ちゃうし」

「そ、それは仕事が忙しいからで」

 

 ふうん、と呟いて、明日菜はまた沈黙した。ネギは明日菜と目を合わせられず、俯いたまま食事を再開した。なんで今日のご飯はこんなに大盛りなんだろうお魚も二匹あるし。ほとんどヤケになって一気に米をかきこもうとして、

 

「エヴァちゃんと、なにかあったの?」

 

 明日菜の言葉でハシの動きが止まった。

 

「あんなことがあって、それに私も巻き込まれたわけじゃない。エヴァちゃんがちゃんと学校に来るようになって、アンタにとってはもう解決したことなのかもしれないけどさ、やっぱり気になるのよ」

 

 明日菜は視線をネギに固定している。ちらりとも逸らさず、聞きたいことをそのままぶつけてくる。そのまっすぐな気性は長所であり、しかし場合によっては短所にもなりうる明日菜の性根だ。

 

「それともエヴァちゃんは関係ないの? じゃあなんでそんな顔してるのよ。なにもなかったわけじゃないでしょ?」

 

 ネギは答えられない。なんと答えればいいのか言葉が見つからない。それでも明日菜は言葉を紡ぐ。それが少しずつネギを追い詰めていく。

 

「私じゃ頼りにならない?」

 

 ネギが静かに立ちあがる。──まさか怒らせた? そんな心配が明日菜の胸裏に浮かぶが、それにしてはネギの所作は丁寧だ。ごちそうさまと告げ、食器を重ね、台所の流しで水を注ぐ。そしてそのまま部屋の隅に立てかけてあった杖を手に取り、玄関へと向かう。

 

「ちょ、ちょっとどこ行くのよ!」

 

 明日菜が慌ててネギの肩を掴み、振りかえらせる。ネギの顔を正面から見ることになって、明日菜は言葉に詰まった。

 ネギの目には涙が浮かんでいたからだ。

 

「……エヴァンジェリンさんは関係ないです」

 

 それが先ほどの自分の質問に対する答えだと気づくのに数秒かかった。

 

「明日菜さんは、とても優しくて、頼りになる、お姉ちゃんみたいな人です」

 

 今度はいきなりほめられて明日菜は混乱する。ネギは一体何が言いたいのだろう。

 

「でも僕は、一人で頑張っていこうって決めました」

「一人でって、あんた」

「大丈夫です」

 

 言いながら、ネギは笑った。笑って、明日菜に告げた。

 

「もう誰にも、迷惑をかけませんから」

 

 瞬間的に明日菜の頭に血が昇った。このガキは何を言っているのか。今自分はそんな話をしているわけじゃない。そんな心配をしているわけじゃない。

 自分が心配しているのはネギのことで、それが伝わらないことに激しい憤りを覚えた。自分がネギより我が身の心配をして怒っているのだと思われていると気づいて、明日菜は自分の中に暴力的な衝動が生まれたのを自覚した。そのマグマのような感情は明日菜の中でうねりを上げて回転し、でもそれをどんな言葉で表せばいいのか脳が判断に迷い、結局肉体言語として表現するしか方法はないという結論に至って明日菜は右手を振りかぶり、

 

「ぼくこれから出張なので二日ほど留守にします」

 

 出張、という言葉に明日菜の右のビンタが止まった。

 

「出張、て……こんな時間から?」

「はい」

「どこに?」

「京都です」

 

 京都、なら今行かなくても。

 

「修学旅行の前に、先方に届けなくちゃいけないものがありまして」

「なに、それ一人で行くの? 京都まで? 危なくないの?」

「……大丈夫です」

 

 ネギが肩を掴む明日菜の右手に自分の左手を重ね、優しくほどいた。

 

「じゃあ、行ってきます。木乃香さんによろしく言っておいてください」

 

 一度手を振り、ネギが玄関をくぐってしまう。扉が閉まり、後に残された明日菜はしばし呆然として、秒針が一周するほどの時間が経ってからぽつりと呟いた。

 

「……大丈夫なら泣くんじゃないわよ、バカガキ」

 

 

 

 

 

 近衛詠春の朝は素振りから始まる。

 関西呪術協会の長についてからというもの、仕事はもっぱらデスクワークであり下手をすれば一日中書類と向き合っていなければならない日もしょっちゅうだ。

 なので詠春は時間があるときはできるだけ体を動かすよう心がけている。

 体のキレも気の運用も全盛期には到底及ばず、かつての自分が今の己を見ればきっと嘆き悲しむだろう。頬もこけて顔色もすぐれず最近では額の方までキてしまっている。なにより血尿まで出して鍛え上げた剣が錆び付く将来を見たら、もしかしたら自殺してしまうかもしれない。

 だが詠春は後悔していない。

 剣と引き換えに選んだ道。

 自分の家とも言える神鳴流と関西呪術協会。その維持と繁栄の為に必要な選択だった。自分と、自分をあらゆる面で支えてくれた協会の幹部の面々と、そして義父の力で関西呪術協会は力を伸ばし、世界中に支部を持つ西洋魔法派と、日本限定とはいえ対等以上の関係を結べている。次代の人材もちゃくちゃくと育っているし、自分が引退しても問題なく呪術協会は廻るだろう、それはきっと自分一人で剣の道を突き進んだとしても到底得られない満足感だと詠春は思う。

 さて、と詠春は竹林の中、木刀を正眼に構え、精神を集中させる。握る剣と拳の間に微妙な違和感。かつては剣を自分の体の延長のように感じられていたというのに。

 前に一歩踏み出し、振るう。目前に迫る竹を回避して、また振るう。無造作に生い茂る竹の合間をジグザグに、小刻みに瞬動を交えながら駆けていく。振るう木刀は頭の中で再現されたあの筋肉バカを斬りつける。想像の中のバカはこちらの斬撃を余裕で回避し、たまに胸筋や腹筋をモリッと膨らませて筋肉だけで刀をはじき返す。なんでこのバカは想像の中でも不死身なんだ。

 それもまた老いだろうか、と詠春は苦笑する。今の自分には、あの筋肉の鎧を斬り伏せるイメージがまるで湧かない。奴の異名である『つかあのおっさん剣が刺さんねーんだけどマジで』は厳然たる事実である。

 ふむ、と詠春は足を止めることなく思う。今日はなんだかよく過去を思い出すなと。

 それは、もうすぐネギ・スプリングフィールドが来るからだろうか。柄にも合わないセンチメンタルな気分になっている。はたしてどんな子供に育っているだろうか。あのバカと同じく破天荒で周囲を巻き込むタイプか、それとも彼女のように一人で内に溜めるタイプか。エヴァンジェリンとは会っただろうか。あのナギに惚れていた真祖の吸血鬼はネギ少年を見て何を思ったのだろう。

 いろんな話をしてあげたいと詠春は思っている。父との出会いのこと、父の活躍のこと、戦後の父の活動のこと、木乃香のこと、義父のこと。きっと話題は尽きることがないだろうと思う。母のことはまだ話せない、それがヤツとの約束だった。だがそれを除いてもきっとネギ少年との出会いは楽しいものになる。そう詠春は信じている。

 

「おっと」

 

 気づけば竹林の合間、千本鳥居に出てしまった。いつの間にか進行方向が左にそれてしまったらしい。これでは樹海に入った時に遭難してしまうなあ、と詠春は笑った。

 笑って、鳥居の道の先、本山の入り口へと目を向けて、詠春は一人の子供がいることに気付いた。

 子供は見覚えのある杖を握っていて、見覚えのある髪の色をしていた。顔立ちはまだ幼いが、それでもある人物を彷彿とさせる作りをしている。瞬動で突然現れた自分に驚いて目を丸くしている。

 一目でわかった。

 

「君は、ネギ・スプリングフィールド君だね?」

 

 子供はさらに目を大きくして、しかしすぐに険しく顰め、

 

「そうですが、あなたは?」

 

 杖を強く握り、こちらへの警戒を強める。まあ確かに、と詠春は自分の格好を省みる。道場で着る袴に上半身は裸。手には木刀を提げ、いきなり現れて自分の名をいい当てたのだ、警戒しない方がおかしい。

 なので詠春は木刀を地面に置き、できる限りの誠意をもって告げた。

 

「こんな姿で申し訳ない。私は関西呪術協会の長、近衛詠春です。初めましてネギ・スプリングフィールド。関東魔法協会の特使よ」

 

 

 

 

 

 ネギが案内されたのは、広い板の間の空間だった。

 早朝ということもあるが、その空間は静寂に満ちている。冷たい空気がネギの周囲に漂い、装飾と相まってなんとも荘厳な雰囲気を醸し出していた。

 教会みたいだ、とネギは思い、自然と背筋が伸びてしまう。隣には自分と同じように正座したカモがいて、動物用の座布団が用意されていなかったため冷たい床にカモは難儀していた。

 

「大丈夫? カモ君」

「俺は大丈夫だけどよ、兄貴こそ大丈夫か?」

「……うん、大丈夫」

 

 そんなはずはない、とカモはネギの顔を見て思う。

 風で守られていると言っても雲とほとんど同じ高さを飛び続けるのはきついものがあった。それを十時間以上ずっと続けていて、精神力も限界に近いのではないだろうか。それになによりネギは徹夜なのだ。十歳の子供に徹夜はきつい。もうネギはいつ意識が落ちても不思議ではない。

 なのにネギはあえて自分の体に無理を強いた。関西呪術協会の長の『少し休んではどうか』という気遣いすら固辞して、特使としての任務を先に果たそうとしている。

 まるで自分に罰を与えているようだ、とカモは思う。

 

「お待たせしました」

 

 そうして待つこと三十分、詠春が十数人の巫女を連れてやってきた。詠春の服装は呪術協会のフォーマルな服装なのだろうがネギとカモには判断がつかない。ただ厚そうな着物を何重も来ていて、重くねーのか? とカモは思った。

 

「いえ、こちらこそ突然の来訪に応えていただき、ありがとうございます」

 

 ネギとカモが深く頭を下げ、詠春に許しを得てから頭を上げた。横目で周囲を見れば自分のいる広間の左右に先ほどの巫女さんたちが展開している。

 見届け人か何かだろうか、と思いながらネギは胸ポケットから親書を取り出した。

 

「あの、これを。東の長、麻帆良学園学園長近衛近右衛門から、西の長への親書です。お受け取りください」

「確かに承りました」

 

 詠春は封筒の中を見、一度苦笑のようなものを浮かべてからネギに向かって、

 

「いいでしょう、東の長の意を組み私たちも東西の仲違いを解消するよう尽力するとお伝えください。任務御苦労、ネギ・スプリングフィールド君」

「……は、い」

 

 ネギは、詠春の言葉に返答し、任務達成によって緊張の糸が切れ、ギリギリだった意識がついに途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 ネギは暑さで目が覚めた。

 体には清潔な毛布に包まれ、自分が布団で横になっているのだと気づいた。格子状の窓から西日が差し込み、ネギの顔面を炙っている。どおりで熱いはずだ、とネギは毛布をはがして上体だけ起こした。大きく欠伸をして、目をこすって眠気を拭い、それからようやくここはどこだろうと考えた。

 

「兄貴目が覚めたんですかい!」

「あ、カモ君」

 

 声はフスマの隙間から聞こえてきた。視線を下ろすと白くて長いネズミの亜種みたいな姿がある。

 

「おはよう、カモ君。今何時かわかる?」

「お、おう今は夕方の五時くらいだぜ兄貴。だいたい八時間は眠っていたことになるな」

「そ、そんなに?」

 

 どおりで目覚めがパッチリ爽やかなはずだ。

 

「目が覚めましたか、ネギ君」

 

 またも声。その主はやはりカモが入ってきた障子戸から入ってきた。その姿には見覚えがある。おかしいなついさっき会ったと思うのにまだ寝ぼけているんだろうかってああ。

 

「えっと、おはようございます、長さん」

「ええ。よく眠れましたか?」

「はい、おかげさまで」

「フフ、それは良かった。それとそんなに畏まらなくてもいいんですよ。今は長としての時間ではないですから」

 

 今の詠春は黒を基調としたカジュアルで動きやすそうな服を着ていた。服装で差をつけているのだろう、とネギは思う。自分も教師としての時間はスーツを着ることで心を引き締めている。

 

「それにしても、君は色々大変だったようですね」

「え?」

「そこの彼、カモミール君にお話しを聞かせてもらいました」

 

 神妙な顔つきで詠春はネギが座る布団に横に正座する。

 聞かせてもらった? 何をだろう。何をどこまで聞かれたのか。別に聞かれて困ることはそれほどない、はずだとネギは思う。だがなぜか心臓が高鳴る。自分は何を不安に思っているのだろう。

 

「なんでも、自分の教え子を傷つけてしまったと」

 

 心臓が、さらに大きく跳ねた。

 

「それで、誰も巻き込まない、という誓いは立派です。しかしそれで自分の身も省みず突き進んでは体を壊してしまいます。今回のように」

「……はい」

「……大丈夫ですか、ネギ君。顔色が悪いですが」

「……ええ、大丈夫です」

 

 大丈夫、と言いながらネギは目を伏せてしまう。

 それから、しばし無言の時間が続いた。その無言をあえて詠春は破った。

 

「あなたの父、サウザンドマスターだって、一人で何かを為し得たわけではありません」

 

 サウザンドマスター。その名を聞いてネギが顔を上げた。そのネギの表情を見て詠春は思う。この子は子供のようにヒーローに憧れているのではない、もっと切実な思いがあって、己の父を求めている。

 

「あなたは、父さんを知っているんですか?」

「ええ、よく存じてますよ。何しろ彼とは腐れ縁の親友でしたからね」

 

 それを聞いて、ネギはまた黙ってしまった。この少年が何を思っているのかはわからない。だがとにかく急かすことはないだろう。きっと父について聞きたいことが山ほどあるだろうから。

 

「……父は」

「はい?」

「仲間がいましたか?」

 

 仲間。思い出すのは幾人もの戦友たち。どいつも癖が強くて、あの中では一応常識人として通っていた自分は彼らを纏めるのに苦労したものだ。

 

「ええ、いましたよ。背中を預けて戦い抜いた戦友たちが」

「戦友……?」

「ええ、もう二十年も前のことです。長きに渡る、魔法世界を二分して行われた大戦を共に戦い抜きました」

「長さんも、ですか?」

「ええ。私は今でこそすっかり衰えてしまいましたが、かつてはサムライマスターの異名をとるほどの剣の腕前でした。自慢になりますが、剣の腕では私たち『紅き翼』の中で一番でしたね」

「……では、父さんの他の仲間は、どんな人ですか?」

 

 詠春は首を捻る。サウザンドマスターについて聞かれるだろうと思っていたのに、彼はその周りの人間についてご執心らしい。サウザンドマスター本人についてはすでに自分で調べた、ということだろうか。

 

「そうですね……一癖も二癖もある連中でしたが。私の他に剣士が一人、情報収集を得意とした拳士が一人。凄腕の魔法使いが二人ですね。あと私と拳士の弟子が一人ずつ、ですか」

「皆、強かったんですか」

「ええ。誰もが一騎当千の、英雄の名に恥じない実力をもっていましたし、最強の誉れ高いサウザンドマスターに比肩する力がありましたね」

 

 詠春の言葉にネギは愕然とした。

 守りたい人。守りたかった人。もう守れない人。村の皆。クラスの皆。ネカネお姉ちゃん、アーニャ。明日菜さん、長谷川さん。

 皆優しくて、自分を守り、癒してくれた。だから強くなりたい。父のような圧倒的な強さが欲しい。彼ら、彼女らを守るために。

 仲間となり、自分を守ろうとしてくれた彼女を守れなかったのだから。

 だから、その強さを得るまでは、自分は仲間を持ってはいけないのだ。そうネギは思っていた。なのに、父の仲間は皆父と肩を並べて戦ったのだと父のかつての戦友は言う。

 圧倒的な力を持つ千の呪文の男に守られるのではなく、共に戦ったのだと。

 まるで、自分の思考の土台を崩された気分だった。

 

「では」

 

 ネギは少しだけ躊躇って、視線を幾度か彷徨わせながら、でも最後には詠春の目を見据えて、

 

「仲間って、何ですか」

 

 と問うた。

 そして、その問いを聞いて、ネギが何に迷っているのかを詠春は理解した。それは力を求めるものが皆一度はぶつかる壁で、自分だってそうだったと詠春はかつての自分を思う。仲間とはなにか。本当の強さとはなにか。それはきっと若さ故の悩みで、それは今のうちに存分に悩むべきものだ。 

 

「人が一人でできることは限られています」

 

 はっと、ネギは顔を上げた。

 

「先ほども言いましたが、それはナギだって例外ではありません。彼は無敵と言われ、英雄と讃えられましたが、それでも彼にできたことはほんのわずかです」

「……え、でも、父さんは強くて、力があれば仲間も守れるはずじゃ」

 

 ネギの言葉に、詠春は首を振った。

 

「ナギは英雄でしたが、それは武の英雄と呼ばれるものです。武の英雄に未来は作れません。戦う力と守る力は別なのですよネギ君」

 

『汝闇を覗き込むとき、汝もまた闇に覗かれる』

 それは神鳴流の剣士が一度は師から聞かされる、力を求める者に向けられた教訓である。

 神鳴流は、魔から民を守るための剣である。が、力を求めるあまり魔に魅入られる者もまた多い。それはただ敵を殺す剣であり、守る剣ではない。

 だから神鳴流ではまず、己が何のために剣を振るのかを自身の心に叩き込む。何のために力を求め、何のための力を極めるのか。それをまず見極めなければ、その者は道に迷い、魔に堕ちる。

 桜咲刹那を思い出す。彼女は烏族とのハーフであり、その才能は青山の人間と比べても遜色のないものだった。だからか刹那を指導していた師範代は東から妖刀『ひな』を借りてまで力のあり方について講釈した。そのとき道場が三つまとめて吹き飛んだがまあそれはいい。それを見て刹那は魔に堕ちた力の恐ろしさを知り、以来刀だけでなく陰陽術にも手を出すようになって……。

 

「ではネギ君。陰陽術を習ってみる気はありませんか?」

「オンミョウジュツ……日本の魔法でしたよね」

「はい。私たち関西呪術協会は千年以上前から日本を妖魔から守ってきました。力なき民を守るための術、それが陰陽術です」

「そう、なんですか」

 

 それに陰陽術は応用範囲が広い。式神一つとっても攻撃、防御、護衛に索敵、潜入に情報収集など、練度が高くなればおはようからおやすみまで暮らしを支える技術になりえる。

 

「ここは世界中の魔法協会の見習い魔法使いが研修地として訪れる場所ですからね。ちょうど今も確かイスタンブールだったかな? そこの魔法協会から派遣されていますし。ウェールズ魔法学校から関東魔法協会へと出向している君でも、一日二日ならこちらで修行しても平気でしょう。私からも学園長に伝えておきますし」

「……」

「それに君はまだ若い。自分が決める道を決めるのは、色んなことを知り、経験してからでも遅くはありません。それまでは、君は立ち止まってもいいのです」

「……そう、ですか」

 

 やはり納得はできないだろう、と詠春は聞こえない程度の小さなため息を吐いた。父のようになる。父に追いつく。それだけを思って、ただ前に進むことしか知らずに生きてきた少年が、生き方をいきなり変えることは難しい。ここで陰陽術を教えたとしても、殺す力と守る力を区別することはできないだろう。それを今強く否定する必要はない。この少年は聡明だし、それにまだ十歳だ。今自分が強制しなくても、いずれ自分で気づく時が来るはずだ、と詠春は考えている。ただ敵を倒す、相手を殺す力を身につけても、誰かを守り育てることなどできないと。

 現にナギは、自分の息子を育てることはできなかった。

 

「では、お願いします。僕に陰陽術を教えてください」

「ええ、もちろん。とは言っても私が直接教えるわけではないんですけどね」

「え?」

「陰陽術に関してはもっと適任がいるんですよ。先ほども言いましたね、イスタンブールからの研修生に陰陽術を教えている者なんですが。彼女に教えてもらうといいでしょう」

 

 そして詠春が去り、入れ替わりに入ってきた二人は、

 

「初めまして、天ヶ崎千草言います。そしてこっちが研修生の」

「……フェイト・アーウェルンクス。よろしく」

 

 と名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長さん、どうもお世話になりました!」

 

 明るく、活発そうな声が早朝の本山に響く。大げさなほどに大きな動きで少年はお辞儀をする。朝日をはじくその赤髪がまぶしい。

 

「千草さんも、どうもありがとうございました!」

「どういたしまして。楽しかったでネギ君」

 

 きらきらとした目を千草に向ける。その視線を受けながら千草は鷹揚にほほ笑んだ。

 

「ええか、ぼうや。あんさんの吸収速度は大層なものやけど、教えたんはほんのさわりや」

「はい千草さん!」

「でもぼうやにはそれで十分なはずや。習得しとる西洋魔術の術式と融合させる応用力があんさんにはある。研鑽を積めば新たな魔法体系の元祖となるんも不可能ちゃう」

「はい!」

 

 背筋を伸ばして真剣に話を聞くネギの姿は、先日までの鬱々とした雰囲気はない。その目には強い光が宿り、表情に迷いはない。

 

「では失礼します!」

 

 杖に跨り、空へと飛んでいくネギを眺めながら、詠春は内心溜息を吐いた。

 あまりにも危うい、と。

 数日の付き合いで見受けられた、ネギの心に潜む闇。その一方であのように明るい『ネギ・スプリングフィールド』を演じられる。矛盾を内包したまま進む果ての崩壊を思えば、少しでもそのあり方を矯正させることができればと思ったが、はたして。

 

「天ヶ崎さん」

「はい」

 

 千草は詠春へと向き直り、頭を下げる。

 彼女は関西呪術協会の人材育成を担う存在である。

 詠春と近右衛門が東西から協力して関東魔法協会からの圧力に対抗している間、彼女の存在がどれほど心強かったか。魔法世界の戦争で失われた呪術協会の人材を補填するうえで、彼女が天ヶ崎家の有する式神や鬼神の召喚・使役の技術を広める決断を下してくれたことが、どれだけ呪術協会の再生に寄与したことか。生活費のために祖先より受け継いだ技術を切り売りするしかなかった、という内情はあるのだろうし、西洋魔法使いへの反発心が魔法協会に吸収されることを認められなかったのだろうとも思うが、それでもその身を粉にして呪術協会の復興に尽力してくれた千草に、詠春は大きな信頼を寄せていた。

 

「麻帆良から、私の娘が在籍するクラスが京都までやってきます。その護衛をあなたに頼みたい」

 

 はい、と一度頷いてから千草が問う。

 

「護衛であれば他に適任がおるのでは?」

「ちょうど各地の霊地に鬼が生じたようで。任せられるような術者はみな今日にも出払います。修学旅行の日には誰も間に合いそうにありません」

「それはなんとも」

「他の人員の選別はあなたに任せます。あなたであれば頼れる筋もあるでしょう? 刹那君と協力しても構いません」

「はい、承知しました。お嬢様には誰にも、指一本触れさせません」

 

 千草はさらに深く頭を下げる。安心したと言わんばかりにほほ笑む。床を見つめる千草が浮かべる笑みの意味を、詠春に知るすべはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 詠春からの指令を受け、その場を辞した千草は本山の廊下を一人歩いていた。

 その背後に、いつの間にか人影があった。

 

「天ヶ崎さん」

「うわびっくりした。いきなり現れんと気配くらいだしぃや、人形ちゃうねんから」

「機嫌がよさそうですね。うまくいったんですか」

 

 フェイトを見下ろす目を弓なりに曲げ、千草はそっと自身の口を抑えた。

 

「全て計画通りや。小太郎はんが関西全域で頑張ってくれたおかげやな」

 

 犬上小太郎。半妖で元孤児の、狗神使い。

 狗神とは、餓死し、怨念に満ちた犬の霊を操る技法である。使役するために多くの犬を拘束し飢えさせ、その後に首を切り落とし、落とした首を辻に埋め数多の人間に踏ませることで怨念を溜めこませる。

 そういった面倒な手順が必要な狗神を、犬上小太郎は幼少のころからなんの手順も必要とせずに使役できた。怨念に満ちた犬の霊を作らずとも、あたりに漂う犬の霊と自在に交信できたのだ。

 これは、小太郎のうちにある狗族の血故か、それとも幼少期の境遇が故か。

 

「小太郎はんが怨念のぱんぱんに詰まった、爆発寸前の霊を地脈の濁りに連れて行く。怨念の詰まり方と濁りの進み具合を調整して、お嬢様が来はる直前に鬼が一辺に化け出るようにすれば」

「荒事を専門とする術者は出払い、残る人材の中で護衛として適任なのは使役術のエキスパートである天ヶ崎さんだけ。護衛任務を一任されれば、近衛詠春への報告だっていくらでもねつ造できる」

「あとはお嬢様を攫い、両面宿儺を復活させる。本山から宿儺の威容を眺めながら異常なしなんて報告を受けたら……長はどんな顔するやろなぁ」

 

 くつくつ、と千草は口元を隠しながら笑った。

 彼女は待っていたのだ。西洋魔法使いに、魔法協会に復讐する機会を。祖先より代々伝わる呪法や秘奥を身を切るような思いで公開しながら、怨念をその身に溜め込みながら、20年の間ずっと。

 フェイトと千草は並んで歩きながら計画について交わす。

 

「ネギ・スプリングフィールドについては?」

「大したガキや。一を教えりゃ十を知る。基本構造を教えりゃそれを使って勝手に応用、発展させていく。天才ちゅうのはあぁいうんを指すんやな」

「嬉しそうですね」

「そらな。もしあんガキがお嬢様の護衛についたところで、うちの術式が混じった魔法なんか怖くもなんともないわ」

 

 フム、とフェイトは考え込む。

 

「呪い返し、というんでしたっけ」

「ぼうやには教えとらんけどな。呪術はどんな強力なものでも、その術式を知れば術士に返せる。うちの術式を応用し、取り込んだぼうやの西洋魔法は、もううちには届かん」

 

 千草の目に暗い火が宿る。その苛烈さを眺めながら、フェイトはさらに話を進める。

 

「ルートはどうしようと考えているのですか?」

 

 千草は携帯電話で地図を表示しながら、

 

「お嬢様の泊まるんはこの、ホテル嵐山てとこや。逃走ルートは三つ、一つはホテルから東に向かって嵐山駅に。一つは渡月橋を渡ってこっちの嵐山駅から西、もう一つは嵯峨嵐山駅から東。松尾大社駅にあんた、嵐電嵯峨駅に小太郎はん、月読はんはここにそれぞれ配置。追手がいたらその足止めと逃走の補助や」

「アラシヤマ? どこ?」

「こっちとこっち。嵐山駅て二つあんねん、京福と阪急」

 

 準備は進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 おかしい、と長谷川千雨は首を捻った。

 新幹線に乗ってすでに30分、クラスメイトはみな有意義かつ騒がしく移動時間を満喫している。千雨の座る座席の周りには比較的物静かなメンツ、那波と村上と委員長である、が揃っているが、それでもA組メンバーのパワフルな声が途切れることなく千雨に届く。

 それを遮るようにイヤホンを耳に嵌めて、千雨は子供先生の背中にあらためて目を向けた。

 異様に元気である。

 旅行前の休日になにがあったのか、千雨にはとんと見当がつかないが、千雨が記憶喪失(自覚なし)になってから見せていたあの暗い雰囲気はなりを潜め、すっかり元の能天気な子供先生に戻っている。

 よいことではあるが、なんだか釈然としない。自分に関してへこんでいた少年が、自分と関係ないところで回復したことが気に食わないのか、いや。

 そうではなく、どこか不自然なのだ。なにがと聞かれると答えられないが、ネギの言動がどこかつくりもののように千雨には感じられてしまう。

 よくわからない。

 わからないと言えば、あの停電の日だ。

 あの日、医者から制服を一着ダメにしたと伝えられた。千雨も一応自分で確認してみたが、血まみれで、背中側は穴だらけで、一見制服と判断できないレベルにボロボロだった。

 階段から落ちただけでこんなことになるのか階段こえー。

 そんなことを思いながら千雨は新しい制服を注文した。注文票を受け取り、部屋に帰ってクローゼットを開ければ、あったのだ。

 制服が。

 予備も含めて3着とも。

 えらい混乱したし、ザジに聞いても首を捻るばかりだしで、その時千雨は背筋が凍ったまま注文票に書かれた電話番号に注文取消しの連絡をいれた。

 意味が分からなさすぎる。こんな怪奇現象、誰に相談すればいいかもわからない。陰鬱としたネギにあの夜に関連した事柄について聞くのは気がとがめ、かといってたかが服一着のことでわざわざ学園長室まで赴くのも気が進まず。

 そんな悶々としているうちに日がたち、修学旅行の朝が来て、元気になったのだからネギに相談でもしようかと思ったとき、

 

「ん? 超のやつなにしてんだ?」

 

 視線を向けていたネギの横に座っていた超が突然立ち上がり、ぐるんと首を捩じって千雨を見た。えらい剣幕である。その目は見開かれ、宿る感情は驚愕と困惑。日頃からにこにこと四葉とならんで笑みを絶やさない超である。こんな表情は非常にレアだ。

 そんな表情でこちらを凝視される意味が千雨にはわからない。

 その後超はハカセに袖を引かれて席に戻り、何事かをこそこそ話していたようだが、座席4つ分離れているため、というかそもそも周囲の音を遮るイヤホンを装着しているため彼女たちがどんな話をしているのか千雨にはわからなかった。

 わかんねーことばかりだ、と千雨はまた溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ラボに侵入者、ネ。

 ──目的はなんでしょうか。カシオペアは? 

 ──持ってきてるネ。犯人はカシオペアを知らないか、眼中にないか。

 ──超さんや茶々丸が麻帆良にいない時に……

 ──このタイミングを狙っていたのかもしれないネ。

 ──茶々丸がいないタイミングって、それ、

 ──ただ、千雨さんは車内にいるヨ。退屈そうに腕を組んでるだけネ。

 ──別働隊が? いえ、それよりそもそも千雨さんは記憶が。偽装工作? 

 ──可能性はあるヨ。現段階では、どんな可能性も……ネ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そもそも千雨が麻帆良で行った戦闘の目的は大まかに4つ存在する。

 一つは『力の王笏』の入手。

 一つはエヴァンジェリンの戦闘アルゴリズムの入手。

 一つは神木・蟠桃へアクセスし、七部衆の一匹を量子リンクさせることで自身の魔力源を得ること。

 最後の一つは、エヴァンジェリンの呪いを解き、彼女を麻帆良の外に出すことである。

 元々の計画では、呪いの解かれたエヴァンジェリンは茶々丸をつれてすぐにでも麻帆良から飛び出していくものと想定していた。実際は千雨にリベンジかます気まんまんで麻帆良に残っているのだが、そうと知らない彼女はなんでさっさと出てかねーんだこのロリババアと悪態ついていた。

 ともかく件のロリババアは茶々丸を引き連れて修学旅行へと旅立った。計画の実行時期を変更せずにすんだ、結果オーライである。

 超と、茶々丸がいない麻帆良の電子的防備など、この長谷川千雨からすればものの数ではない。侵入する際に留意すべきはいかに超に気づかれる要素を減らすかだ。そのために決行するのは修学旅行中、特に超が身動きを取れず、かつ長谷川千雨のアリバイを超自身が肉眼で確実に確認できる状況──すなわち新幹線での移動中。

 

 誰の目にもつかず、全ての電子機器のセンサーを味方につけて、千雨は麻帆良工学部の研究棟に侵入していた。

 火災報知器をガンガン鳴らして事前に研究員を排除しつつ、その警報を担う電子精霊は消防署への途中でそれに倍する電子精霊群に包囲殲滅させている。

 向かうは超の研究室だ。

 

「オープンセサミ、なんつってな」

 

 王笏を振りかざし、電子ロックの解放を命じる。それだけで強固な、あらゆる外敵をはじく超謹製の核ミサイルの爆撃すら耐え抜く分厚い4重隔壁は、王に傅く近衛兵のようにその道を開けた。

 

「あったあった。これがなけりゃ話になんねー」

 

 その道の先には、ごっついハンガーに掛けられた一着のスーツがあった。

 未来から超が持ち込んだ、この時代の人外どもと渡り合うだけの性能をもつパワードスーツだ。

 筋収縮を担う電位差を読み取り、装着者の動きを補助するこのスーツは、魔力を持たない超鈴音をして魔力で身体能力を向上させたネギとの打撃の応酬を可能たらしめる膂力と耐久性を誇る。

 パワードスーツを持ち上げる。意外と軽い、というのが千雨の感想だった。

 ジッパーの類がない、あちこちいじって襟の部分を引っ張ってみれば、思った以上に広がる。フリーサイズらしい。全身に密着させる必要性を思えば当然か、と千雨は気を取り直して装着を始める。装着し、全身を纏う電位感知センサーの閾値と出力をチェックしながら千雨は研究棟の一階にある第三試験室に向かう。

 そこは例えば恐竜型ロボットのような、大型機体の駆動をチェックするために使われる試験室だ。大きさは体育館ほどもありつつ、床や壁の強度は体育館の比ではない。

 

「ちゃっちゃとやらねーとな。いろいろ間に合わなくなる」

 

 そうつぶやいて、千雨は一つのプログラムを起動した。電位感知センサーに微弱電流を送り、スーツを先に収縮させることで、千雨の肉体をプログラム通りに動かすプログラム。

 

 プログラム名:エヴァンジェリンスタイル

 

 

 

 

 

 

 

 

 つまり自分は意味の分からないものが苦手なのだ。

 長谷川千雨は自分の苛立ちをそう定義した。

 子供先生しかり、散見される超常現象しかり。そんなあれこれに対してただでさえイライラしていたところに、自分を中心とした『意味の分からないもの』が出現したのだ。

 ネギに相談しても大した反応が得られず、揚句にこんなわけのわからないイベントに巻き込まれ。やる気満々のショタコン委員長に追随しながら、新田に見つかるリスクを負いながら枕片手に徘徊である。

 やってらんねー。

 そんなわけで最初からやる気なんて全くない千雨は、一応の義理は果たしたと判断してさっさと戦線を離脱、メガネのフレームが曲がっていないことを確認しながらホテルの静かな廊下を歩いていた。

 というか。

 ネギのあの反応はなんなんだ、と千雨は眉をひそめた。

 あれもまた、意味が分からないもののひとつである。

 千雨が記憶喪失になって、以来しばらくの間ネギは落ち込んでいたのだ。それを思い出させてしまうような相談をされておいて(自分からしておいてなんだが)、その笑顔にまったく変化がなかった。「それは不思議ですね! 今度その制服を調べてみます!」と、まじめに答えているんだかいないんだか、空元気ともちがう、まるで笑顔しか浮かべることができなくなっているかのような気味の悪さを感じた。

 あれは元気になったと言えるのか。

 へこみ過ぎて心がへし折れたのではないか。

 もしそうだとするなら、それは誰のせいか。自分か、自分なのか。

 あれこれと考えていたため、千雨は注意が散漫になっていた。新田を警戒していなければならない状況を忘れて物思いにふけり、千雨は自分に迫る魔の手の存在に気づくことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修学旅行二日目の夜、直に日付も変わろうかという時間。朝倉和美は正座しながら今夜の成果に満足していた。

 新田にばれたドサマギで賭けの対象である食券を総取りできればそれが最上だったが、それを言っても仕方ない。賭けを成立させた時点でそこそこの取り分が得られているのだから、それで満足すべきだろうと和美は一人頷く。

 それにしても、魔法である。

 空飛ぶ子供先生、喋るオコジョ、宙を舞う自動車、淡く光る魔法陣。

 この世には、自分の知らないものがまだまだあるのだ。

 ジャーナリストとしてこれほど興奮させられる事実はないだろう。

 魔法使いは世界にどれほどいるのか。どこに隠れているのか。超能力と何が違うのか。魔法を発生させる原理は。知りたいことが次々と思いつく。

 そんな興奮に正座の痛みを忘れて、さてカモ君はどこかなと和美があたりを探した。

 深く聞いてくれるなとカモは言っていたが、なんでも今回の作戦はネギのパートナーを作るために必要なものなのだそうだ。

 心が壊れかけている兄貴を支えてくれるだれかが必要なのだ、と。

 どう見ても元気いっぱいなネギ君を指して何を言っているのかと和美は思ったのだが、カモはかなり切羽詰った様子で和美に訴えていたのだ。今回仮契約を結べた本屋はネギのパートナー足りえるのか、その確認くらいはしておきたいと和美は思いカモを探すが、カモより先に隣に座るクラスメイト、千雨が目にとまった。

 目を閉じたまま俯いている。何かぶつぶつとつぶやいているようだが、これは割とよく見る光景だったりする。クラスでバカ騒ぎをしていると、それを少し離れたところで傍観しながら彼女は時に鋭く、時にノリノリで突っ込みを入れていたりする。

 実はこの子無関心そうな顔をしながらノリはいい方なのかもしれない。今回のラブラブキッス大作戦でもさりげなく裕奈を妨害していたし。本当に冷めているのなら、6班のようにスルーしたってよかったのだ。この娘は話をしたら結構面白い娘かもしれない。少なくともボケたらちゃんと拾ってくれるだろう。

 よし、と和美は意を決し、正座のままじりじりと移動する。小声でも聞き取れるほどまで近づき、俯く千雨に声をかけようとして、

 

「『我こそは電子の王』」

 

 なんて? と聞き返すより早く、朝倉和美は、加えてロビーで正座していた全員が、『力の王笏』の効果で意識を落とした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ロビーにいるクラスメイトの意識を落として、千雨はすぐさま行動を開始した。

 屍のように横たわるクラスメイトを跨いで歩き、ネギの体を持ち上げた。

 よく眠っている。彼の意識は今頃、電脳空間に作られたホテル嵐山のロビーで正座していることだろう。

 ネギのあどけない寝顔を見て千雨は思う。

 こいつは、このまま眠り続けるべきではないか。

『力の王笏』で構成された麻帆良で、体が死ぬまでずっと子供先生を続けていれば、ネギ・スプリングフィールドは幸せなのではないか。少なくとも幸福感に満たされながら生を全うできるだろう。

 不死に堕ち、人のため人のためであんなところまで行ってしまうことは、なくなる。

 溜息。

 くだらない、と千雨は自身の思考を一蹴し、力の抜けたネギを引きずる。浴衣の下に着込んだパワードスーツはなんら問題なく機能している。千雨の細腕にはネギを抱える負荷がまるで感じられない。

 引きずった先では、綾瀬ゆえと朝倉和美が並んで眠っていた。優先順位の高い二人だ。

 どちらもいい感じの角度で顔を天上に向けている。

 まずは手前からだ、千雨はネギの頭を両腕で支え、ゆっくりとゆえの唇に近づけた。

 接触する感覚。二人の唇がそっと触れ合う。千雨は自分の胸がきしむ音を聞いた。くだらない感傷だと自分に言い聞かせても音はやまない。

 この身にいまさら心なんて、論じるのもくだらないというのに。

 考えているうちに、ホテル一帯を覆う仮契約の魔法陣が効果を発揮し、ネギと夕映のカードが光とともに出現した。

 回収を七部衆にまかせ、次の標的である和美に狙いをつけ唇を合わせようとしたところで、

 

『ちうたま大変です!』

「あ?」

 

 しらたきが差し迫ったような声を上げる。今大事なところなんだから静かにしてろ、そう咎めようとして千雨はしらたきが抱えるカードの図面に目を見開いた。

 へちゃむくれの二頭身、大胆にデフォルメされやけにおでこの光沢が強調された綾瀬夕映がそこには描かれていた。

 俗にいうスカカードである。

 

「なんでっ!」

 

 驚きと混乱で支えていたネギの頭を落としてしまう。重力に引かれたネギの頭部は真下にあった和美と正面衝突し、たまたま唇が触れたことでもう一枚の仮契約カードを生んだ。

 それもまたスカカードであったが、それをさらに上回る混乱が千雨を襲った。

 千雨に落とされ、ゴギンとちょっとよろしくない音を立てて和美の顔面と衝突したネギの体が、煙と小さな破裂音とともに消滅したのだ。

 

「え、は?」

 

 なんだこれ、意味が分からない。予想外の連続に頭の回転が止まってしまった千雨は、ただ茫然とネギがいた場所を見つめることしかできない。朝倉の鼻から流れる二筋の鼻血など目にも留めず、ネギはどこだと、ただ探すだけ。

 ひらり、と一枚の紙が千雨の目の前を舞った。

 人の形を模した紙人形。陰陽道では式神を作製するときに使われる紙型であるが、千雨にはそれを知る術はない。ネギとクラスメイトを仮契約させまくって、仮契約カードを大量に入手し、それを『力の王笏』でもってアーティファクトに干渉し、使用する。

 そんな計画も、ネギがいなければ絵に描いた餅である。

 

「なんで、だって……」

「千雨さん」

 

 背後から声をかけられた。

 ひっ、と小さく悲鳴をあげながら振り向けば、そこにはやはりというべきか、ネギがいた。かろうじてカードを隠すことはできたがしかし、どうにもネギの様子がおかしい。

 千雨の記憶にあるうざったいまでの明るさがまるで見当たらない。目に光はなく、色濃い隈が見え、肌は白人どうのと言う以前に病的な土気色だ。

 その顔に表情は浮かんでおらず、その肌の色とあいまってまるで能面のようだった。

 千雨には見覚えがある。

 自分が知る歴史の中にいたネギ・スプリングフィールド。屍の荒野に佇む英雄のなれの果て。

 殺してやると、消してやると、そう約束した最愛の先生と、目の前にいるネギは瓜二つで。

 

「先、生……?」

「これはどうしたことですか?」

 

 言われ、ネギの視線を追えば、本来正座しているべき生徒たちが床に寝転がっていた。これをなんとか誤魔化そうと思うもまるで頭が働かない。こんにゃの提案、自身の人格の上に『14歳時の長谷川千雨』の疑似人格を張り付ける案を採用。精神プログラムを即起動し、自身の記憶へのアクセス権も停止させる。

 それは逃避でしかなかった。

 

「──あ、いやよくわからなくて。気づいたらみんな寝ちゃってて」

「そうですか」

「あの、とりあえず運びますね。床で寝てたら風邪ひくかもしれませんし」

「そうですね。お手伝いをお願いしてもいいですか」

「ええ、わかりました」

 

 長谷川千雨の内側で、千雨は安堵の溜息を吐く。なんとか無難に乗り越えられそうだと。

 疑似人格はひょいひょいとクラスメイトを抱え上げ、すたすたと部屋に向かって歩き出した。なるべく早く運ぶべきと判断した結果、パワードスーツの機能を十全に発揮させて。加えてネギの顔色の悪さや、目の前で消えた式神について言及するほどの柔軟性をこの人格は持っていない。それほど高度な精神プログラムを作ることは千雨にはできないから。

 ネギに光のない瞳で注視されていることにも気づかぬまま、疑似人格の内側で、千雨は心を落ちつけることに注力するのだった。

 


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