「ついに目をつけられたか」
千雨の体のことである。
肉体そのものは葉加瀬の研究施設の一画、死体安置所の片隅に、スパゲティモンスターに親近感を持たれそうな状態で死体と同じように保管されている。この安置所には千雨の肉体だけが収められており、それ以外の遺体庫の中身は全て葉加瀬謹製の生命維持装置がごっそりと収納されている。そのことを知るのは葉加瀬と千雨の二人だけのはずであったが、それがなぜバレたのか。
「『世界図絵』だろうな」
「綾瀬さんのアーティファクト、ですね」
綾瀬夕映はネギ=ヨルダの使徒としてこちらに敵対している。使徒となったことで、彼女の持つあらゆる情報を収集し続けるアーティファクト『世界図絵』は格段にグレードアップされ、綾瀬夕映は『全知』の二つ名を冠するに至った。
『全知』には入手できる情報の制限が存在しない上に、ただ所持者の指示に従うだけでなく、複数の情報を統合して所持者の求める情報を構築するようにまでなった。おそらく、葉加瀬による研究資材の入手と消費の間にあるギャップから、人間一人の生命維持に使われる各種薬品や栄養素がちょろまかされていることに気づいたのだろう。
『世界図絵』の自動情報収集から隠れるために千雨は『力の王笏』を用いて情報操作に尽力してきたが、結局見つかるのは時間の問題であったと今なら思う。ヨルダにヒモ付けされることで得られる無尽蔵の魔力によって世界中が綾瀬に監視されているといっても過言ではない。そんな環境で『力の王笏』をフルに使えば、その電力の消費量から千雨の存在を嗅ぎつかれる可能性があった。千雨は、日常生活のなかで節電できる範囲でしか『力の王笏』を使用することができなかったのだ。
そんなハンデをつけられた情報戦において、ついに『世界図絵』の情報検索能力が『力の王笏』の情報操作能力を上回ったのだ。すでに最悪の電子テロリスト『電子の魔王』として千雨は手配され、動けないネギ=ヨルダに変わり民間警備軍事会社PMSCS「力の手」が綾瀬の流した情報によって千雨の肉体を確保しようと動き出している。
すでに猶予は三時間もない。それまでに千雨がここにいた証拠を全て処理できなければ、葉加瀬もまたテロリストを匿ったとして極刑は免れないだろう。
「ごめんなさい、千雨さん」
「ん」
「これ以上、千雨さんの体を保護しておくことは…………できません」
葉加瀬は俯いていた。白衣に包まれたその小さな肩が震えている。電子空間に存在する千雨の精神は葉加瀬の背中を見ている。安置庫から引き出されている千雨の痩けた頬に雫が落ちた。
「なんだよ、泣くなよ。つうか濡らすなよ」
「だって、千雨さん…………悔しいです。結局私は何もできないまま…………でも、最後まで抵抗します。実はこっそり設計していた戦闘ロボットがあってですね、実体化モジュールを使えばいくらでも量産できますから、『力の手』なんて返り討ちにしてやりますよ!」
無茶を言っているのは葉加瀬自身も分かっているのだろう。そんなもの、電力の供給をカットされた瞬間に終わる話であり、『電子の魔王』を捕獲する上で電力およびネットワークの遮断は突入前に必ず施される対策だ。顔を上げガッツポーズをとる彼女の、その涙に濡れた笑顔は空元気だと丸分かりだった。久しぶりに葉加瀬の顔を見た気がする。
「まだ手段はあるだろ」
「…………なんですかそれ」
単純な話だ。
長谷川千雨の肉体がなければいい。すでに私は肉体になんて用はない。
「脳だけ摘出して、そのガリガリの体は処分しといてくれ」
「…………え」
「脳みそ一個程度ならお前のサンプル棚に並べておけばバレないだろ」
「い、いやです」
葉加瀬は首を振った。その目には怯えが見える。こんなにこいつは表情が豊かだったのか。
「何がいやなんだよ」
「だ、だって千雨さんの体に、頭にメスを入れるってことじゃないですか。そのあと処分って…………嫌です、絶対無理です!」
「無理ってことあるか。実際切り刻むのはマニュピレーター任せだろ」
「嫌なものは嫌です。それに脳だけを隔離して維持するなんて。人工心肺に繋げればいいという問題ではありません。体内環境を再現できるかもわかりませんし、神経からの入出力がゼロになった脳がどんなストレスを抱えてしまうかも不明です。そうなったら精神が変質してしまうかも…………」
ひどく切迫した表情で葉加瀬が反論を並べたてた。
知らなかった。千雨は、葉加瀬聡美という女はもっと冷血な女だと勝手に思っていた。科学に魂を売った現代の狂信者。そんな印象を千雨に与え続けていた彼女が、たかが人間にメスを入れる程度のことで動揺するなんて。
ああ、と千雨は一つ思いつく。
葉加瀬が常にこちらに表情を見せないようにしていたのは、それが拒絶の現れだと思っていた。葉加瀬にもその意図はあっただろうが、しかし本当の理由は、彼女の弱さを他者に見せない、ペルソナの役割を期待してのものだったのではないか。
それは、千雨の伊達眼鏡と同じように。
「なにより千雨さんは、ネギ先生とリンクしているじゃないですか。その千雨さんに何かあったら、ネギ先生の所在が完全に捕捉できなくなってしまいます」
千雨の口からため息が漏れた。このままでは、葉加瀬はなんの役にも立たない千雨の体と心中しかねない。
おそらくは、彼女の中でもA組という存在は心の中で大きなウェイトを占めているのだろう。そのA組との唯一のつながりが今では千雨だけになっているのだ。自分に対する過剰なこだわりはその辺りだろう、と千雨は思う。
「まあいいけど。やんねーなら私が勝手にやるし」
外科手術用のマニュピレーターをハックする。葉加瀬に見せつけるようにレーザーメスの青白い光を点滅させる。葉加瀬の顔色が面白いように青くなった。
「まあ、私は素人だし? 人体の構造なんててんでわかりゃしねー。ミスって脳みそごっそり抉っちゃうかもなー」
「ち、千雨さん…………」
「でもかまやしねーよな。今更。精神データのバックアップだって取ってあるわけだし」
「そのバックアップだってまだ一部だけじゃないですか」
「まあまあ。脳みそ抉れたって魂は保存できるようにしとくって」
そう言って、『長谷川千雨』が葉加瀬の骨ばった肩を叩いた。
肩を叩いたのは、中学生の頃の長谷川千雨を模したプログラムを実体化モジュールで実体化させたものだ。といってもそれは外形だけで、現在は千雨本人が遠隔操作しているだけである。が、全精神データのバックアップが実現すれば、いずれは独立して行動するようになるかもしれない。
横たわる千雨に、メスが迫る。千雨の指が肩に食い込む。頬ずりするような距離で千雨が、
「おっしゃーいくぞー、それさんにーいーち」
「やめてください!」
葉加瀬が絶叫した。むずがるように首を振る。飛び散った涙が千雨の頬に触れた。
「…………なんだよ?」
「やります。私がやりますから。だから」
葉加瀬の膝に乗っている拳が震えている。
「そっか。じゃあ頼むわ」
千雨は笑い、マニュピレーターの制御を手放した。レーザーメスが沈黙する。実体化した千雨型プログラムを監視カメラを介して電子空間に戻す。死体安置所の静寂が耳に染みるようである。生命維持装置の各種パラメータを示すメーターだけが二人を照らしている。
小さな小さな、ごめんな、の一言がひどく耳に残った。
それから一時間後、全身を対魔法・対電子甲冑でつつんだ武装集団が葉加瀬の研究室に突入した。
しかしそこには情報にあったテロリストの姿も、痕跡すら見つけることはできなかった。
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現代の千雨と入れ替わったのは、千雨が新田に捕まる直前である。
メガネの曲がったフレームを直しながら歩く千雨を掃除用部入れからかっさらい、首をクキッとして意識を奪った。超の強化スーツと千雨の電子操作技術の融合が生み出す腕力と精密な動きにかかれば、注意散漫な女子中学生の拉致監禁など余裕である。
うまくいっていた。
失敗するはずがない、はずだった。
入念に計画を練って、死ぬリスクを越えてたどり着いた、仮契約カードを大量に入手するチャンスだったのだ。
「なんで、なんでうまくいかない?」
我ながら情けない声だった。
千雨は今、再び電子空間に入って作業をしている。ネギの行動を追跡するためである。
麻帆良学園に点在するカメラ群を確認した。保管期間を過ぎて消去されたデータも断片をサルベージしてまで。
その結果わかったことは。
自分が現代の千雨と入れ替わるよりずっと前、修学旅行の前日からネギは自身を模した式神と入れ替わっていた、ということだ。
今日、つまり修学旅行二日目のネギの動向は、旅館に侵入するタイミングを図るため全て把握しているが、それより前については千雨はエヴァンジェリンの戦闘プログラムの構築にリソースを割いていたため、ネギが修学旅行前に独自に京都に行ったこと、そこで陰陽道を習得していたことなどを把握できなかったのだ。
「つーかそんなこと予測できるか! 1日で陰陽道を習得だと? 人バカにすんのも大概にしろ!」
千雨は投影型コンソールに拳を振り下ろして空振りした。
目を離した数日で分身を作り自在に操作できるほど習熟するなど、予想外にもほどがある。が、それができるからこその英雄である。
そんな、ネギの持つ英雄性を見誤った結果が、今回の失敗を引き起こしたのだ。
ネギからは片時も目を放すべきではなかった。七部衆のうち1匹はネギに張り付かせておくべきだった。天才どもは凡人の小賢しい計算を軽々と超えてくるのだ。それを、長谷川千雨はかつての過ぎ去りし未来で経験していたはずなのに、天才どもに翻弄され続けたはずなのに、結局私はあの未来から何も学べていないということか。
人工人格のなだめる言葉にも限界がある。
それでも強引に落ち着きを取り戻させるため、千雨は電子精霊に命じてGABA系レセプターを半分ヤケになって破壊していく。クロキサゾラムとエチゾラムを脳内に直接叩き込んで、致死量を超えたところで電子精霊に神経回路を再構成させる。それを5度ほど繰り返したところでようやく千雨の精神は鬱一歩手前で安定した。
安定したところで思考を巡らす。まずは今回手に入れた新たな戦力の評価だ。
手元にあるのは二枚のスカカード。
このスカカードでも、劣化版のアーティファクトが出せることはまだ救いだった。
朝倉の『渡鴉の人見』は本来の6機から2機に、加えて移動可能距離が本来の十分の一になっている。
綾瀬の『世界図絵』は閲覧可能情報がBランクに下り、情報の更新が月に一度まとめて行われるようだ。
大丈夫、まだなんとかなる。
なんとかしてみせる。
次に、ネギの今までの行動について。
この旅行中の行動を見ていけば、すでにこのかが誘拐されそうになってる。猿の着ぐるみ型の式神に身を包んだ術士。なるほど、と千雨は思った。陰陽道の使い手は式の強さを追求しながら、同時にいかに自身の身を守り続けるかを考えなければならない。この術士は複数の子猿を統制しながら自分の身は纏った式に守らせ、同時に脚力等身体能力を向上させている、攻防一体の式の組み方だ。実に理にかなっている。油断を誘う外見まで含めて。
そんな猿の術士が、桜咲が張った結界に小さな穴を開け(しかも術者たる桜咲に気づかれない手際の良さだ。剣士と本職の差だろう)、眠っている近衛を攫っていった。
それを追うネギと桜咲。駅にまで追い詰めるが、見覚えのあるメガネの女、確か月詠だったか、が割り込み桜咲を足止め。ネギが魔法の矢を打ち込むが、どういうわけかそれら(七部衆にカウントさせた結果37本だった)は術士にあたる直前で消滅した。
驚愕に染まるネギの表情に、猿の口腔から覗く術士の口元が歪んだ笑みを作った。
「介入されている?」
次々と魔法を放つネギ、しかしそれらはどれも術士にかすりもしない。
七部衆に解析させると、ネギの魔法の術式の一部が術士の持つ符と反応し、術式を崩していることがわかる。
つまり、あのお猿の術士はネギの術式をよく理解しているということだ。魔法への介入はあんな符一枚あれば即席で行えるような手軽なものではない。事前の準備に相当の時間と手間をかけているはずだ。
ネギの術式について知ることができる陰陽道の使い手など、一人しかいない。
数日前の映像に映っていた、天ヶ崎千草。
本山の内側には記憶媒体が存在しないためそこでどんなやりとりがあったかを知ることはできないが、その門前で近衛の父を交えた会話があったことは記録に残っていた。もっともその時点でネギは式神と入れ替わっていたのだが。
大猿に魔法が通じないと判断したネギは杖に跨り、大文字焼きの中へと突進。やけどを負いながら大猿に迫り、近衛へと手を伸ばす。しかし大猿は右腕に抱える近衛をネギから遠ざけ、左腕の爪を突き出した。カウンターで入ったその爪は、軽々とネギの矮躯を貫いた。
同時に上空で待機していた本物のネギが、強化した膂力でもって杖を大猿の右腕に叩きつけた。
ずれ落ちる近衛。その体をネギは遅延させていた『戒めの風矢』で地面に固定する。そのまま流れるように杖先を大猿の腹に当て、大猿もろとも飛びたった。
その動きにためらいはなく、目は暗く冷徹なままで揺らぎない。
その後ネギが大猿を川に蹴り落とし、それを月詠が回収に行ったことで戦闘は終わった。
ふむ、と千雨は腕を組む。
確かに、近衛を抱えたまま逃げては機動力が落ち、大猿に追いつかれる可能性が高い。そうなれば近衛をかばいながら戦わなくてはならないネギが不利だ。魔法も通じず、他にも敵が隠れている可能性を考えれば、その場に近衛を固定して術士を連れ去るというのはおかしなことじゃない。むしろ一瞬でよくそこまで判断できたものだと思う。
千雨は眉をひそめる。
確かにその判断は正しいとは思う。しかしネギが、生徒に魔法を向けるという判断を一瞬で下せることが、千雨からすればひどい違和感を覚えることだった。
さらに映像を進めると、
「え、本屋この時点で告白してたのか」
なんと、のどかがネギに告白している場面が映し出された。
すげえ勇気だ、と思うと同時に哀れに思う。本屋が告白した相手は式神で作られた偽物なのだから。当の本人といえば、クラス全体を俯瞰できる樹上に陣取り、無表情のまま本屋の告白を見つめている。
「一体なんなんだ、このズレは」
ネギが、自分の知るかつてのネギと随分とかけ離れている。
自分の知る未来のネギと酷似している。
この差異は、今後の自分の計画に大きな影響を与えかねない。どこから生まれた差異なのか調べる必要がある。
加えて、近衛を誘拐しようとした術士についてもだ。
あと、魔法がらみのトラブルに巻き込まれるだろうネギに、七部衆の一匹を監視につけないと。そうなると情報処理能力が下がってしまうが、まあやむを得ない。
しかし、今後何か想定外の事態が生じた場合、超やエヴァンジェリンの前に姿を現さなくてはならないのか。それだけは避けたいのだが。
ネギはこのかが狙われる理由を刹那から聞くことができた。
関西呪術協会の長の娘であること、その身に宿る魔力量が膨大であること。これらの要因を使えば呪術協会を牛耳るか、あるいは仇なすことができること。
それを防ぐため、このかの護衛をネギも務めることになった。
護衛で連携を取るため互いの戦力について開示し合う必要があり、そこでネギはここ数日自身を模した式神と入れ替わっていたことを明かした。ドン引きされた。
「え、あの、すみませんネギ先生。なんですかその隈は」
「ここ数日寝ていないので。あ、眠気で仕事をおろそかにするということはないです。意識から眠気を排除する魔法薬を開発しまして」
「…………それは、大丈夫なんですか? その、健康面というか副作用的な」
「大丈夫です」
それきりネギは口を閉ざしてしまった。大丈夫なのだろうか、と刹那は二つの意味で思ったとか。
このかと図書館探検部および明日菜の面々は、ネギや刹那とともに京都を散策することとなった。
「わーっ! 皆さんかわいいお洋服ですね!」
無論ネギはすでに式神と入れ替わっている。明るく能天気な言動を繰り返すその式神を操作しているのがあのネギだと知っている刹那はまたドン引きした。
「宿の近くもすごくいいところなんですねー!」
「はい。嵯峨、嵐山は紅葉の名所が多いので秋に来るのもいいですよ」
一体どんな顔であんなセリフを言わせているのだろうか。
一行はまずゲームセンターにてゲームを楽しみ、それから京都の寺社を巡ろう、ということになった。夕映はこれにノリノリで案内をかって出たが、残念ながら、このかを追う過激派が直接的な手段に訴えてきた。
街中ゆえに大掛かりな仕掛けはできないが、先日の嫌がらせとは打って変わった、殺傷性の高い攻撃が断続的に加えられる。
「ちょっとネギ、さっきからなんなの!? 何やってんのよ!」
「ちょっとみなさんとジョギングしたくなりまして。お付き合いいただいて申し訳」
「じゃあさっきから飛んでくる針見たいなやつ何!?」
「え、明日菜さん見え…………錯覚ですよ。スカイフィッシュてご存知ですか? あれの正体はカメラの前を横切るハエの残像だっていうのが定説なのですが魔法の観点では」
「テキトーこいてんじゃないわよ!」
このままでは他のメンバーにも被害が及ぶ。
彼女たちを一度撒かなければ。そう刹那は判断した。
「ネギ先生、敵はどこにいますか!?」
「すみません、隠密系の術式を使用しているようで…………刹那さん、シネマ村です」
「シネマ村、ここなら!」
「中で合流しましょう、式神を一体中に入れます」
ここなら彼女たちと別れることができるし、客に紛れることで敵からの攻撃を抑えることもできる。ネギ型の式神は他のメンバーの元に残し、このかを抱えた刹那は塀を飛び越え、着地点に待機していた別のネギの身代わりと合流した。
なんか忍者の格好をしていた。
「あれー、ネギ君なんでもうおるん? ゆーか、いつのまに着替えたん?」
「僕は弟のノギです」
「えぇ!? ネギ君に弟おったん!?」
「ここで忍者してます」
適当すぎませんかね、と刹那は焦るがネギはそのまま話を進める。
「そろそろ僕の仕事もアガリなので一緒に遊びませんか」
「ちょ、先生?」
「え、ネ、ノギ君と? でもみんなと合流せんと」
「このかさんのご実家に一度行ってみたいんですよ」
「先生」
「実家!? いやうちら会ったばかり…………」
「時間なんて関係ないですよ、むしろ急いで向かいたいと」
「おい」
ちょっとキレた刹那がネギの首を後ろからキュッと締めて連行した。
「すいません、それ以上キュッされると式を維持できなくなるんでやめていただけると」
「なんですかあれ。なんのつもりですか。もうめんどくさいので一回消えてネギ先生として再登場してもらえませんか」
「いえそれは時間がかかり過ぎますし、というか本山に向かうのはありではありませんか? このかさんは詠春さんの娘さんなんでしょう? あの、それより首。ほらタップタップ」
「…………できれば、お嬢様には修学旅行を十全に楽しんでいただきたかったのですが。それに本山の近くは過激派の待ち伏せの可能性があります」
言いはするものの、すでにそれが不可能であることは刹那も理解している。それでも、このかを思う心がそれを言わせた。
刹那の腕をペシペシペシ、ペシペシペシ、ペシペシペシペシペシペシペシと叩きながら、
「優先順位を間違えてはいけませんよ。そこを誤ると大事なものを取りこぼしてしまいます。朝、このかさんの護衛をすると決めた時から僕の分身を本山に回していますが、今のところ待ち伏せは存在しません。もし現れたとしても僕と刹那さんで強行突破しましょう。その旨を今から詠春さんに伝えれば増援を送ってもらえるかも」
「なんで三三七拍子…………残念ながら増援は期待できません。というより、回された増援こそお嬢様誘拐の実行犯なのです。犯人の使役する猿型の式の術式がその護衛の人物のものと一致しました」
告げながらネギを解放し、胸元からあるものを取り出した。それは式神の作成に使う紙片だった。温泉で猿の群れを殺戮した時に拾ったものだ。
「ちょっとそれいいですか?」
「え、はいどうぞ」
渡された紙片を見つめ、ネギは何か思案気である。
「先生?」
「…………いいえ、なんでもありません」
「こちらからの救援要請は握りつぶされています。つまり援護が期待できない以上強行突破は難しいかと」
「空を飛びましょう。陰陽道の術式は飛行系のものがあまり発達していないようです。僕の杖ならお二人を乗せても速度は変わりません」
一瞬なるほどと頷きそうになったが、まて、飛ぶだと?
「お嬢様を乗せて飛べるわけないでしょう、魔法について何も知らないのですよ?」
「大丈夫です、そこはうまくやりますので。今は本山に駆け込むことを最優先にしましょう」
「…………わかりました。残念なことですが、お嬢様にはここで修学旅行を中断していただきましょう」
頷き、刹那は待っているはずのこのかへと振り向いた。しかしそこには誰もおらず。焦りながら周囲を見回すと、更衣所から出てくるこのかを見つけた。
「お、お嬢様? その着物は」
「ここで着物貸してもらえるんえ。どうせっちゃん、似合う?」
「ええとてもお似合いですよその長い黒髪や白い肌とマッチしてまさに大和撫子」
「先生そこは私が答えるところでしょういい加減にしてくれませんか、というかその無駄に流暢な褒め言葉なんなんですか、そんなキャラじゃなかったでしょう」
「すみません、最近以前の自分のテンションがわからなくなって。徹夜ハイというやつかもしれません」
言いながらネギはこのかの白魚のような指を優しく手に取り、
一瞬でこのかを昏倒させた。
「ネギ先生!?」
このかが倒れるより早く支え、刹那はネギを睨みつけ、そして息を呑んだ。
「これでこのかさんにバレずに本山まで移動できます」
先と変わらぬ笑顔で、有無を言わさぬ口調だった。
式神に過ぎないその体から感じる圧迫感はなんだ。
「ご心配なく。陰陽道を応用した呪いの一種ですが、後遺症も何もありません。解呪すればすぐ目覚めます」
「…………そうですか」
ギリッと歯を食いしばり、言いたい言葉を飲み込んで刹那はこのかを抱き上げた。ネギの言葉は正しいと理性ではわかる。だから否定しないし従う。しかし心が悲鳴をあげた。
同時に、ネギを思う。一体この少年に何があったのかと。
去年は、ただの明るい子供だったのだ。エヴァンジェリンとの戦闘でも、茶々丸や吸血鬼化された生徒に魔法を向けることすら躊躇していたと聞いている。
そんな甘さが一切抜けて、今では合理的に、目的に向かうもっとも効率の良い方法を選択している。生徒に魔法を向けることすら意に介さず。
一体、この笑顔の式神を、どんな顔で操っているのか。