長谷川千雨の約束   作:Una

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第七話 ナルトとかライダーとか

 人間は、肉体と精神、そして魂から成ると言う。

 魔法工学的には、精神は人格を表す単なるプログラムであり、魂はエネルギーの塊に過ぎず、肉体はそれらの容器でしかない。脳の反応は精神の状態を反映する鏡であり、また肉体と精神を繋ぐ中継器だと見るのが一般的だ。

 それをおそらくこの世の誰よりも深く体感している千雨は、肉体が失われ、精神は磨耗し、魂もすでに尽きるのを待つのみとなった自分自身を、客観的かつ冷静に見つめることができていた。

 

「千雨さん、もうやめませんか」

「なんの話だ」

 

 浮遊型魔導式車椅子に乗った葉加瀬が無音で千雨に近づいてきた。

 黄色い液体に満たされた試験管が、研究机に頬杖をついた千雨の手でゆっくりと振られている。葉加瀬を相手にしていないという意思表示か。

 

「っそれは、本当に千雨さんの答えなんですか?」

「…………どういう意味だよ?」

 

 千雨が試験管から顔を上げる。そこには葉加瀬が、意を決した顔で千雨を睨みつけていた。

 髪はほぼ白髪で、顔にはシワが随分と深く掘られている。その一方で千雨はといえば、中学生の姿のままだ。

 

「今私の目の前にいる『長谷川千雨』は、本来の千雨さんとリンクして、遠隔操作しているものです」

「まあそうだな。私のこの体は『長谷川千雨型AI』を実体化したものだ」

「『長谷川千雨』の精神プログラムが、バックアップとしてあなたに移譲されていることは私も知っています。同じ精神を持ってリンクしているのですから情報処理の速度と精度は格段に上がりますし、操作のギャップも減るでしょう、本来は」

 

 千雨は試験管を置いてため息をついた。

 

「葉加瀬、お前映画の見過ぎだ」

「な、なにを」

「あれだろ? 『この私』が精神プログラムを移譲された結果、自我を持ってオリジナルに反逆したとかそんな感じを想定してんだろ?」

「…………まあ、そうです。それほどおかしな想定ではないでしょう? 精神はプログラムなんです。精神データをプログラムにコードして、実体化モジュールでその人物を実体化することは可能です。しかしそれはその時点での精神であり、今の時点でどれほど乖離しているかはわかりません。反感を抱いて反逆を起こす可能性だって」

「だからリンクさせてるって」

「しかしすでに『力の王笏』の制御権はあなたの側にあるわけでしょう? そのリンクを切ることもできるでしょうし、何よりそれです」

 

 それ、と言って指差したのは、試験管立てに置かれている黄色の液体で満たされた試験管。

 

「綾瀬さんの『世界図絵』が『力の王笏』の能力を超えて以来、千雨さんは肉体と魂を代償にエネルギーを賄っています」

「おっと、いつバレた?」

「魂や肉体を代替にエネルギーを生む技術は、かつて超さんが自身の肉体に刻んだ呪紋刻印技術の応用でしょう? エネルギーを生み出す過程でどれほどの痛みがあるかは私も理解しているつもりです。自分で魔力が生み出せれば、と思ってあの呪紋を刻んで自分で使ってみました」

「おいおい、もうババアのくせに無茶すんなよ」

「あなたがそれを言いますか!」

 

 葉加瀬が叫んだ。いきなりの剣幕に千雨は体を引いた。それを追うように葉加瀬は身を乗り出し、

 

「ええ使えませんでした。あまりの激痛に魔法の矢一発分も生み出すことができませんでした! 千雨さんの脳も、魂もそれしか残っていません! ネギ先生のように人外化するならまだしも、人間のまま、魂を自らそこまで削る選択なんてできるはずないんです! 誰かに強要でもされない限り!」

「できるはずないって、現に私はやっているだろ」

「だから、それが本当に『千雨さん』の意思なのかって聞いているんです! そこまで削られる過程でどれほどの苦痛を千雨さんが感じていたか、あなたにわかりますか!?」

「…………」

「もっと早く気付けば良かった…………! 私はここ数十年、あなたが実体化モジュールで作った脳を相手に毎日話しかけてたんですよね。それが千雨さん本人だと思って! 脳にとって過ごしやすい環境を考えて、再現に苦労して、そうしている間にあなたは千雨さんの脳と魂をそんな状態にしてしまった!」

 

 そんな状態とはつまり、千雨型AIが振っていた試験管の中身のことだ。

 試験管に収まる黄色の液体。

 今の千雨と言えるものは、その中に浮いているグズグズに崩れた脳細胞片50グラムと、そこに宿るちっぽけな魂のみだ。

 

「『力の王笏』の制御権をあなたに奪われた千雨さんが、脳以外を奪われた暗闇の中でただ脳と魂を削られていく恐怖と絶望。私には想像もできません」

「…………『私』には目的がある」

「ネギ先生とのリンクを維持する、ですか。でもこれが、こんな末路が、本当に千雨さん本人の意思なんですか!?」

「そうだ」

 

 千雨は、一瞬の躊躇もなくうなづいた。試験管を手に取る。

 

「私とこの脳の間には今だってリンクは維持されているさ。ネギと繋がっているのと同じ原理でな。『長谷川千雨』が感じる孤独も恐怖も苦痛も、全て共有している。いや、共有って言葉は適切じゃねーな。その言葉は元々別の存在どうしで成り立つ言葉だし」

 

 なんて言えばいいんだろうな、と千雨は首を捻る。

 

「精神なんざ所詮プログラムだ。同じ精神と記憶を継承してりゃあ、それは同一人物だよ。ずっと生身とか霊(ゴースト)に拘ってた葉加瀬には理解し難い感覚かもしれねーけど」

「…………」

「ヨルダからの侵食で精神は摩耗し、肉体と魂も電力代わりにエネルギーを搾り取られて崩壊寸前。確かに『長谷川千雨』という存在は消滅しかけていると言えるさ。けどな、私はその過程で精神を、つまりは『長谷川千雨』という存在を少しづつプログラムに落とし込んで、リンクを通じて千雨型プログラムにコピーしてきた。

 言ってみれば人体の代謝と大して違いはねーんだよ。生身の人間だっておよそ7年で、人体を構成する分子は一新する。7年前の自分と今の自分との間に共通している分子は一つもない。自分が自分だと認識できるのは、ただ七年前から存在と記憶が連続しているからってだけだ」

 

 千雨は正面からしゃがみ、覗き込むように葉加瀬の目を見据えた。その瞳には、中学生の頃の千雨が映っていた。我ながら中学生みたいなこと言ってんな、と思いながら。

 

「『私』と『長谷川千雨』は連続している。違うのはこの体と魂がどちらも電力だってくらいだ。だから私は、オリジナルと分ける必要すらない。共有どころじゃない、同じ精神を持ち同じ記憶が継続されている『長谷川千雨』本人だ」

「…………それは、極論ではありませんか?」

「かもな」

 

 千雨は自身の脳を試験管立てに置き直しながら。

 

「こんな穴だらけの、中二病みたいな屁理屈で、私は『長谷川千雨』としての自分を維持してんだよ」

「…………」

「納得できねーなら、そうだな。実体化モジュールってのは不思議でな。開発者がそこまで把握してたのかは知らねーけど、『自分が人間だ』って精神が強く思うと、実体化した体が本当の人間みたくなるんだよ」

「はぁ?」

 

 何言ってるんだろう、という顔を葉加瀬がした。それを見て千雨は少しだけ笑った。もう50年以上の付き合いになるのに、こんな顔は初めて見た。いっぱい喰わせてやった気分だ。

 

「本来実体化した体って幽霊みたいに怪我とかしねーだろ? でも人間状態になるとな、怪我するようになるし血も出るんだよ。電子空間に入れなくなるし、正直使い道はねーんだけど、この状態だと実体化モジュールはほとんど停止状態になるんだよ。つまり電力消費がほぼゼロになる」

 

 ほら、と言いながら親指の皮を歯で軽く千切ると、そこから赤い雫が盛り上がった。

 

「そんな、ことが…………」

「茶々丸が先生と仮契約を結ぶことに成功した例もあるしよ。ロボットにだって心は宿るんだ。ならさ、『長谷川千雨』と全く同じ精神と肉の体を持つ私は『長谷川千雨』だ」

 

 千雨は立ち上がり、葉加瀬を見下ろしながら、

 

「『長谷川千雨』はここにいる」

 

 葉加瀬に背を向け、研究室の隅に置かれたモニターへと近づいていく。これで話は終わりということだろう。

 

「せめて、千雨さんの魂を解放することはできませんか」

 

 その背に向けて葉加瀬は声をかけた。

 

「『力の王笏』がなくても実体化モジュールに影響はないでしょう? ならいいじゃないですか。もう、楽にしてあげ…………いえ、楽になってはどうですか? リンクしているのなら、魂が削られる苦痛を感じ続けているということでしょう?」

 

 千雨は足を止め、しかし振り返らないまま葉加瀬に言葉を返す。

 

「『力の王笏』を失うわけには…………ネギ先生とのリンクを切るわけにはいかない」

「どうしてですか? 綾瀬さんや宮崎さんのようにネギ先生とヒモ付けされているわけでもないんでしょう?」

「あー、まあそうなんだけどさ」

「そもそも、何故千雨さんはネギ先生とヒモ付けされることを選ばなかったんですか?」

 

 あー、やら、うー、やら呻いたあと、千雨は口を開いた。

 

「ヨルダではなく、ネギ本人を外部から観測し続けるためだ」

「観測、ですか」

「ヒモ付けされてるとな、ヨルダの精神に汚染されるんだよ。汚染されて、宿主のネギではなくヨルダの意思に賛同するようになる。たしかに使徒の存在は、ネギの精神を維持するのに必要なんだけどな」

 

 そいつらは、ネギの側にいるようでいないんだ。そう千雨は断じた。顔を俯けて、何かに耐えるように言葉を紡いでいく。自身の魂を切り売りし続ける彼女が表情を変えるような苦痛とはなんだ。そう葉加瀬は思う。

 

「だから観測し、かつて神楽坂明日菜に対してやったように、ネギの精神に呼びかけ続けることでネギの精神を覚醒させ続けてんだ」

 

 それはネギの願いでもあった。自分が自我を保ち、抵抗を続ければヨルダをより長く抑え込むことができるだろうと。

 同時に、ヨルダではなく、ネギ・スプリングフィールドのそばにいてほしいと。

 

「そばにいて欲しいって言われたんだ」

 

 だから私はそばにいる。火星でも、寿命のはるか先の未来でも、脳みそだけになったって、ずっと私はそばにいる。

 

「私だって、ネギのそばにいたかった。だからヒモ付けされるんじゃなくて、『力の王笏』によるリンクだけに留めた。そのために使われるエネルギーは、『世界図絵』の監視から逃れるために自分の肉体や魂から捻出しているけど、それでも」

 

 それでも、せめて自分だけでも、ネギのそばにいられるように。

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────────────ー

 

 

 

 

 

 

 そうしていざ二人を杖に乗せようとしたとき(このかは刹那が肩に担ぐ形だ)、1組の男女がネギたち三人の前に立ちふさがった。

 男は浪人じみた黒い着物を羽織る、ネギとさして年の変わらない少年である。するどい目つきと逆立った黒い髪が、まるで狼を連想させる。

 女はメガネをかけた、大正のお嬢様然とした衣装と雰囲気を纏っている少女だ。口元を扇子で隠し、おっとりとした口調で、

 

「どうも〜、神鳴流です〜」

 

 あろうことか刹那に手袋を投げつけてきた。

 

「このか様を賭けて決闘を申し込ませて──て、あ」

 

 それをネギはペシリと杖で叩き落とした。音もなく手袋は地面に落ちる。それを見つめること数秒。

 

「…………ちょっと、それは無粋に過ぎるんとちがいます〜?」

「え?」

「え?」

 

 ネギは、この女の子は一体何を言っているんだろう、という顔をした。

 月詠は、この少年は一体何が理解できないのだろう、という顔をした。

 刹那は、これはもうだめだな、という顔をした。この二者の間にコミュニケーションは成立しないと。

 

「けったいなやっちゃのー。お前」

 

 二人の微妙な空気の間に割って入ってきたのは、少女の隣にいた浪人風の狼少年だった。

 

「決闘の流儀も知らんのかいな。それとも知ってて空気をあえて読まんのか? 笑顔でやることえげつないなお前」

「え?」

「とりあえずその、え? ちゅうのやめろや」

「え?」

 

 ネギはひらがなだけで二人を挑発すると同時に刹那とも念話で会話していた。

 

『刹那さん』

『え? あ、はい』

『この二人は僕に任せて、刹那さんはこのかさんを連れて本山に向かってください』

 

 告げながらネギは両手をそれっぽい形に組んで、

 

「分身の術!」

 

 ぼわん、とわざわざ煙を出す術式を併用して、忍者姿の式神を四体に増やした。おお、と周囲の観光客から声が上がる。

 

「早く姫をこの悪漢どもから遠ざけよ! ゆけ!」

「ノリノリですね!?」

 

 刹那はこのかを抱えたまま大きく跳躍、江戸を思わせる街並みを飛び越え、屋根の上をかけていく。外国人観光客にオーゥニンジャガール! と言われてちょっと恥ずかしかった。

 

「そこまでや」

 

 そこで突然上から声がかけられる。

 見上げれば、自分が行こうとしていた進路上、空から一人の女が降ってきた。隣の城から飛び降りてきたらしい。女は京都美人と呼ぶにふさわしい整った顔と黒髪を持ち、肩をむき出しにした改造和服に身を包んでいた。胸の谷間も露わで、すこし動けばポロリといきそうな危うさでハラハラする。

 眼下の大通りに集まってきた外国人観光客にオーゥジャパニーズゲイシャーと言われて芸者ちゃうわー! と反論していた。

 

「…………オーゥ、ユージョ?」

「遊女でもない!」

 

 いやあんまり否定できる格好ではないだろう、と刹那は思った。

 

「ふん、おのぼり西洋人どもなんかどーでもええわ。それより護衛のお嬢ちゃん?」

 

 ちらり、と先程までの観光客とのやりとりが嘘のように、殺気をこめた流し目が向けられる。その足元には五十を超える猿の式神が列を為し。彼女の背後には翼を持つ鬼が大弓に矢をつがえてこちらに向けている。

 刹那は焦る。お嬢様を抱えた状態ではどうしようもない、と。

 ニタリと、毒ヘビを思わせる笑みを浮かべて女は言う。

 

「お嬢様をこっちに渡しや」

 

 

 

 

 

 

「かかってこいや、西洋魔法使い!」

「うおおおおお!」

 

 裂帛の声とともに、今度は三人のネギが小太郎に向かっていく。一人は小太郎の右から、一人は低い姿勢で小太郎の足に苦無で切り掛かり、残る一人は大きく飛び上がって牽制と陽動。それを小太郎は跳躍し思い切り開脚することで右と上のネギを同時に蹴り飛ばし、その反動を利用して体育すわりのように閉じた両脚を下方に伸ばすことで低姿勢のネギの頭頂部を踏みつけた。ゴギンッと両の踵で踏まれたネギの頭部は石畳を砕いて地面にめり込み、一拍を置いて煙を伴って消滅した。

 今度は後ろから迫る二人のネギが繰り出すパンチをしゃがんで避けると同時に水平蹴り、脚を払われて一瞬宙に浮いたネギたちの腹部を、跳ねるように逆立ちすることで蹴り飛ばす。

 路地から、窓から、塀の上から。途切れることなく、どこからともなくぞろぞろと現れるネギの群れを雑技団じみた動きで小太郎は返り討ちにし続ける。周囲を囲む観光客はやんややんやと盛り上がり、外国人に至っては「NARUTO! NARUTO!」と大はしゃぎだ。

 一方、月詠の方では、観客は若干シラけていた。というか引いていた。

 こちらにも小太郎と同様ネギの式神が押し寄せてきているのだが、その全てが三歩以上の距離を詰めることすらできないでいる。月詠は一歩も動かないまま、その両の脇差しでネギを刻み続けているのだ。小太郎はまだこの戦闘を楽しみ、周囲の観客にウケの良いアクションを見せようとしている(当初の目的はすでに忘れている)が、月詠はそんなエンターテイナー的な性質など持ち合わせていない。彼女は剣を斬り合えれば、それもできれば美少女剣士と死線を交わすことができれば良い、むしろそれ以外はいらないと考えている人間で、わらわらと現れる雑魚キャラを斬り続けるだけのお仕事ははっきり言って退屈でしかない。そんな投げやりかつつまらなさげな思いはその表情と動きから観客にも伝わって、周囲に若干の不満が溜まりつつあるのだが、それすら月詠にはどうでも良いことだった。

 

「あ〜、先輩に相手して欲しかったわ〜」

 

 ため息を吐きながらまた右の一閃、三体のネギを屠り煙に変えて、空いた隙間にまたネギの群れがうおおおおとかなんとか叫びながら突っ込んでくる。明らかに時間稼ぎである。先輩とやれないし帰っちゃおうかな、と月詠が気を緩めたその時、周りを詰めていたネギたちが一斉に飛びかかり、月詠と小太郎を巻き込んで爆発した。

 

 

 

 

 

 

 

「なぁにやってんのよ!」

 

 それはライダーキックであった。

 天守閣からさらに天高く飛び上がり、頂点で身を捻りながら姿勢を整え、太陽を背にして天ヶ崎千草に襲いかかった新撰組コスをした神楽坂明日菜の蹴撃は、全盛期の藤岡弘を思わせる、それは見事なライダーキックだった。

 天から落ちる稲妻のごときその蹴りは背後から千草を強襲した。それは完全に不意打ちだったろう。矢をつがえていた鬼の式神は刹那を睨むと同時に千草の背後を守ってもいた。その鬼を貫き、勢いを殺さないままに自分を蹴り飛ばすなど完全に予想外であった。

 おぷろっと奇怪な悲鳴をあげて千草はぶっ飛び、ネギの爆発に巻き込まれ意識を失っている月詠と小太郎の上へと腹から突っ込んだ。

 

「おぐはっ! な、何が…………月詠はんに小太郎!?」

 

 混乱する千草。それに追い打ちをかけるように、明日菜と刹那が近づいていく。

 

「神楽坂さん、どうしてここに?」

「どうしても何も、明らかに魔法関連でトラブルが起こったんでしょ? カモに聞いたの。手を出したくもなるわよ。何よあいつ、アホみたいな嘘までついて」

 

 明日菜はどこかふてくされたように言った。今回の件でネギから全く情報を与えられなかったことにご立腹らしい。そんな明日菜を肩に乗ったカモがまあまあと宥めている。まとわりついてくる子猿の式神をロー一発で式返ししながら辺りを見回している。

 

「アスナさん」

「あ、いたわねネギ!」

 

 そこにネギが駆け寄ってくる。相変わらずの笑顔と忍者スタイルだ。あれも式神なのだろう。

 

「あんた、これこのかが狙われているんじゃない! どうしてそれを私に教えないのよ!」

「大丈夫です」

「な、にが大丈夫なのよ適当なことばっか言って!」

 

 明日菜のゲンコツがネギの脳天に落ち、ネギの式神が一瞬で消滅した。

 

「え、あ、あれ? まさか死ん…………」

「あ、神楽坂さん。このネギ先生は式神でして。本人は別のところで全体を俯瞰して」

「は!? 偽物? ちょっと、ネギー! あんた出てきなさいよどこいんのよーすっごい焦ったでしょ! つかあんた、じゃあ桜咲さんのピンチを見ていたってことじゃない!」

「あの、いえネギ先生は大量の式神を同時に操作していましたので、私を助ける余裕はなかったかと」

 

 このようなやりとりができていたのは、二人が安心していたからだ。

 ネギの自爆と明日菜のライダーキックで敵は行動不能なのだ。あとは拘束して呪術協会に代々伝わる伝統と格式の説得術でオトモダチになるだけである。

 そんな二人の安心に水を差す存在が現れた。

 チリッと空気が乾く。

 胸を潰すような圧迫感。

 二人が千草から視線を切り振り返れば、そこには一人の少年がいた。

 学生服を着た、白い髪の子供である。

 子供の筈だ。

 しかし刹那には確信が持てなかった。

 この威圧感、身のこなし、マネキンよりも無感動な瞳。子供どころか、人間であるかも疑わしい。

 

「彼らは返してもらうよ」

 

 こいつは過激派の一味か。刹那は警戒に腰を落とし、抱えたこのかをいつでも連れて飛べるよう構える。明日菜も素人とは思えない反応でこのかをかばえる位置に進み出た。

 少年はポケットに片手を入れて、無造作に立ったままで、天ヶ崎達三人を奪われないように構える二人の注視を受けながら、次の瞬間には二人の背後に立っていた。

 

「っ!?」

 

 このかを抱えていたということもあるが、刹那は少年の動きに全く反応できなかった。驚愕に身をすくめてしまった。

 即座に反応できた明日菜はさすがという他ない。

 明日菜の動体視力はかろうじて少年の動きを残像で捉え、あとは勘頼みで後ろに踏み込みながら裏拳を放った。それは正しく少年の後頭部に迫り、その身を守る障壁を砕き、ヒットすれば耳の後部から半規管を揺らし、彼を前後不覚に陥いれていただろう。

 しかし、自身の障壁が割れると同時に、少年は拳の軌道に手を挟んで受け止めた。

 

「すごいね。まるで訓練された戦士のようだ。それに…………」

「それはどうも。あんた、こいつらの仲間?」

「まあね」

 

 きゅっと少年の手首が返る。すると明日菜の体が独楽のように回転し、そのまま橋を越えて川へと落ちていった。

 

「神楽坂さん!」

「それじゃ」

 

 言葉と同時に、少年を含めた四人を包むように水の柱が重力を無視して縦横に走る。

 そこに、振り下ろされる鉄槌のように、光の柱が上空から叩き込まれた。

 杖に乗ったネギが放った、魔法の秘匿など知らぬと言わんばかりの、全力の『雷の暴風』であった。

 それは直撃すれば確実に四人を蒸発させ、余波が周囲の観光客にも及ぶはずだった。犠牲者が何人出るか見当もつかない。

 ところが、その渾身の一撃は何ら破壊を巻き起こすことなく打ち消された。

 その光の強さに目が眩むが、なんとかその光源を見定めようと刹那は視線を上へと向ける。他の観客達も何事かと意識を上に向け、学ラン姿の少年も符を掲げて雷の暴風を受け止めている。

 その光が止んだ。わずかに舞い上がった埃も宙に溶けつつある。一体何事だったのかと、誰もが上空へと目をこらす。

 そんな周囲の意識の間を縫って、刹那の脇から飛び出たネギが、杖による刺突を少年の背中に叩き込んだ。

 

「お久しぶり、フェイト君」

「五日ぶりだね、ネギ君」

 

 人形の瞳と、闇の瞳が交差する。

 ネギの杖は当然のようにフェイトの障壁にとめられるが、フェイトの方もネギが至近距離にいるため水を用いた転移ができないでいる。

 一瞬の膠着。

 それを崩したのはネギからだった。

 フェイトが自分に意識を向けているうちに、式神を使って千草達を回収に向かわせる。しかしフェイトたちを囲むように地面から鋭利な石杭が突き立ち、全ての式神を破壊した。そのうちの二本はネギ本体へと向けられる。狙いは眉間と心臓。かろうじて後方へ跳躍するも左腕の肉を一部削り取られた。

 

「くっ」

 

 滑るように着地し、刹那の隣まで戻ってくる。橋の欄干からネギの式神達の手を借りて這い上がってくる明日菜が目に入る。フェイトは石柱で囲われたサークルの内側で、相変わらずの無機質な瞳をこちらに向けている。

 そのサークル内を水がゆっくりと包んでいく。

 

「それじゃあ、また」

 

 そんな不吉な挨拶を残し、誘拐実行犯は姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんっで、このタイミングでフェイトの野郎がいやがる!?」

 

 これがバタフライ効果というやつか、と千雨は頭を抱えた。

 なんだってこんな時期にラスボスが現れるのか。全滅必至ではないか。

 

「いや、それにしては生き残っているし…………やる気ないのか?」

 

 偵察かなにかだろうか。例えばネギ・スプリングフィールドの。可能性はある。

 

「それより、やばいなあれは」

 

 何よりもやばいのは、先ほどの明日菜の式返しをフェイトに見られたかもしれないということだ。

 フェイトが、というより『完全なる世界』がずっと探し続けていたであろう『黄昏の姫御子』すなわち『世界再編魔法発動の鍵』。それが神楽坂明日菜であることがバレたかもしれない。

 それは、千雨が最も避けたかった事態だ。

 求めていたエヴァンジェリンの戦闘データはスズメの涙ほどしか入手できず。

 得られる筈だった仮契約カードはカス二枚しか得られず。

 そして今回は、黄昏の姫御子の情報の流出である。

 頭を抱える。苛立ちのあまり、メガネをいじる癖が出る。

 予想外の事態の連続に、千雨の心は折れそうだった。


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