モノノ怪「不死鳥忌憚」   作:淵深 真夜

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くびれ鬼:大詰め

「……なんで、邪魔したんですか?」

「…………邪魔?」

 

 薬売りさんは窓の外の樹里に見向きもせずに、剣を拾い上げて私の質問をオウム返ししてくる。

 

「むしろ……、あんたは何故、二人を助けようとした?」

 

 私の質問の意図すらわかってなかったわけじゃない。むしろ理解しているからこその問いで返される。

 けれど、あなたは勘違いしてる。私が助けたかったのは、美紀でも樹里でもない。

 

「二人を助けたかったんじゃない。

 いつきさんがもうこれ以上、私達なんかの所為で人ではないものになって欲しくなかったから止めたかったんです」

 

 やっと、私の言葉を阻むものはなくなったから、私はこの人に私の「真」を告げられる。

 ねぇ、薬売りさん。私は、あなたにいつきさんのことを話す気はなかったけど、今なら話してもいいって思ってるんだ。

 

 あなたが、いつきさんを――救ってくれるのなら、話すよ。

 

「いつきさんはね、気は弱くておとなしいけど、本当に優しい人だったです。

 どんな些細なことでも、『ありがとう』と『ごめんなさい』を忘れない。普段はすっごく人見知りなのに、困っている人を見かけたらいつも真っ先に声を掛けることができる人だったんですよ。病弱だから、自分の事で手一杯だったはずなのに……」

 

 私が知っているいつきさんの事なんて、これくらい。私は、彼女の友達と名乗れるほど彼女のことを知らない。

 知らないけど、これだけで十分だ。

 いつきさんのことを、好きであることは。友達になりたかったという後悔には、十分すぎる。

 

「そんな彼女に、こんなことをさせるほど追い詰めた私達が怖い目に遭って、苦しんで苦しんで苦しんで死ぬのは当たり前のことなんです。

 私達は何も悪くなかった彼女を、気に入らないから、反応が面白いから、自分がいじめられたくないからという身勝手な理由で死に至らしめた人殺しなんだから、自分達の命でその罪を償うのは当然のことなんです。

 

 ……でも、私たちは死んで当然の最低な罪人だからこそ、いつきさんが手を汚す必要なんかなかった! 彼女が私たちと同じところにまで堕ちる必要なんかなかった!!

 なのに……なのに……、私たちは彼女の尊くて綺麗な部分を、あそこまで悍ましいものに変質するほど、傷つけ、甚振り、追い詰めて、壊した…………」

 

 私達の方こそが、いつきさんを死に誘った「くびれ鬼」なのに、私達こそが人間の皮を被った化け物……モノノ怪に他ならないのに、そんな私たちの所為で彼女が人から恐れられ、お化けや化け物と言われる存在になったあげくに、……おとぎ話のように切って退治されてめでたしめでたしだなんて、認めない。

 

 そんな結末、絶対に認めない。

 

 だから、私は足に力を入れて立ち上がる。

 美紀に投げつけた上履きはもう拾って履く気力もなかったけど、樹里が投げ捨てたお守りは……私の罪の象徴は拾い上げ、教室の扉に向かう。

 

「……どこへ、行く?」

 

 薬売りさんの問いに、私は答えない。きっと、言わなくてもこの人はわかってる。だから言う必要はない。

 私がこの人に言うべき言葉は、私の逝くべき場所じゃない。

 

「薬売りさん。……『くびれ鬼』を、……いつきさんを、斬るの?」

 

 薬売りさんに、問う。

 いつきさんが被害者で私達こそが加害者であったことを知っても、それでも彼女を「モノノ怪」と言って斬るのか、と。

 

「――――人の世にあるモノノ怪は、斬らねばならぬ」

 

 そう、答えた。

 最初から変わらない、淡々とした言葉。

 けれどそこに何か、苦いものを、飲み干せない何かを無理やり飲み下したような意思が見えた。

 

 それは私の勝手な期待かもしれない。

 けれど、それでも、私は信じる。

 

 あなたを信じて、私は薬売りさんに背を向けたまま、教室の扉の前で頼みごとを一つ、伝える。

 

「薬売りさん。斬るのは少しだけ……、私もそこにぶら下がるまで待って。

 ……いつきさんがあんな『形』になった『真』と『理』が、私たちに対する憎悪と復讐なら、私が死ねばもう……いつきさんはやめるかもしれない。

『くびれ鬼』なんかじゃなくなるかもしれないから、……もう少しだけ待って。

 

 ……私が死んでも、いつきさんがいつきさんに戻れないのなら……、いつきさんほど酷くなかったとはいえ、いつきさんと同じように樹里たちにイジメられて、逆らえなかった、助けられなかった人たちまで、復讐の対象にしてしまうのなら……その時はお願い。斬って。

 斬って、いつきさんをいつきさんに戻してあげて」

 

 私の知るいつきさんは、私たちはともかく他のクラスメイトは恨んでなかった。

 いつきさんを庇ったクラスメイトはいなかった訳じゃない。けど、樹里たちはその庇った子の妹を階段から事故を装って突き落として大怪我をさせた。

 そのことを、いつきさんは「自分の所為だ」と言って自分を責めていたから、庇えないクラスメイトのことを恨んでなんかいなかった。

 

 主犯である私たちはともかく、傍観者になるしかなかった人たちまで復讐の対象にしてしまえば、それはもういつきさんじゃない。

 だから、そこまで彼女を歪ませた私たちはこの命で償うから、どうかいつきさんを人として死なせてあげてと告げ、私は廊下に出る為に教室の戸を――――

 

「それは、出来ません、ね」

 

 開ける前に、私の肩に剣が置かれる。

 窓際に落ちた剣を拾っていたのだから、私と薬売りさんは相当距離があったはずなのに、いつの間にか足音一つ立てずに私の後ろにまでやってきて、私を止める。

 

「……そもそも、あんたは勘違いをしている。

 いつきさんの……『くびれ鬼』の『真』と、『理』は、あなた達への憎悪でも、いじめられて、自死に追い詰められた復讐でも、ない」

「え?」

 

 足音なしで近づかれているのは予想外だったけど、止められるのは想定内だったから、悪いけど私は無視して教室から出るつもりだった。

 でも、薬売りさんの指摘に思わず素で声が出て、振り返る。

 

「これが、違うと言っている」

 

 振り返ると、薬売りさんは私に剣を、柄の先についた鬼か猿っぽい頭を突き出して断言する。

 今更、この発言に「何言ってるの?」とは思わないけど、別の意味で「何言ってるの?」と思ってしまう。

 

「待って! 私は何も嘘をついてないですよ!!」

「……えぇ。そこは、疑っちゃおりません。それが間違いなく、あんたの『真』なんでしょう。

 だが……『くびれ鬼』にとっては、違う」

 

 違う? 私と、結花さんに美紀に樹里の4人を死に誘う事が、憎悪でも復讐でもない?

 じゃあ、いつきさんは、あの優しい人が何故、こんな惨くて悍ましいことをしたというの?

 

「……ところで、そのお守り」

「はい?」

 

 私はもちろん、樹里や美紀にとっても当然の前提が覆されて混乱しているのに、薬売りさんはマイペースに話を変えた。

 私が拾い上げて持っているお守りを、剣を持っていない右手で指さし言葉を続ける。

 何故か、剣を持つ左手は高く上に上げながら。

 

「いつきさんが、赤子の時に亡くなられた、父親の形見……にしては、そのお守り袋、汚れてはいるが……」

 

 そこまで言われて、私は思い出す。

 私は私にとっての「真」を全部語っていた。

 けれど、この人は気付いていた。

 私にとって「真」だけど「嘘」だったことに、気付いていたことを思い出す。

 

 

 

 

 

「妙に……()()()()()()?」

 

 

 

 

 

「嘘」が突き付けられると同時に、薬売りさんは私の脳天に向かって勢いよく、振り上げていた左手を、剣を振り下ろした。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

「――――やはり、な」

 

 薬売りさんは呟く。

 苦し気にかすれた声で、それでも自信たっぷりに、確信に満ちた声を言った。

 

()()()()()()()

 

 私にではなく、背後の「くびれ鬼」に。

 窓に貼っていたお札を一瞬にして黒く染めて、ボロボロに崩れ落としてから窓を破った、無数の縄と腕、そして結花さんに美紀、樹里の遺体に全身を掴まれ、縛られ、しがみつかれて、窓の外に吊るされようとしながらも、彼は獲物を見つけた猫のように、犬歯をむき出しにして凄絶に笑って語る。

 

「あんたにとってあんた自身は……この三人と同罪の罪人かもしれない。けれど……いつきさんにとっては、違った。

 

 あんたは、我が身可愛さで、いつきさんの友達のフリをして、彼女たちの命令に、従っていたんじゃない。

 いつきさんを守る為に、そのフリをしていたのだろう? 物を壊せと言われたら、自分の物を、金を盗めと言われたら、自分の金を差し出して、あんたは自分を盾にして、八方美人、裏切り者の汚名を被ってでも、いつきさんを、守り続けてきた。

 ……彼女が死んでも、彼女が大切にしていた形見を……守ろうとしていた。

 そのお守りは、よく似たものを買って、古いものに見えるように汚した、偽物なのだろう? あんたが実行しないと、彼女たちが他の者に無理やりやらせて、被害者が増えるから……わざわざ偽物を用意して……守ったんだな」

 

 そんなことを言っている場合!? と言ってやりたいのに、薬売りさんは言葉を止めない。

 私が薬売りさんの剣を、脳天に振り落とされる直前に止まった、初めから寸止めするつもりだったであろう剣を掴んでその場に踏ん張って、棒引きみたいに薬売りさんが窓の外に落ちるのを、吊るされるのを防いでいるけど、そんなのいつまでもつかわからないのに、……首を絞められているのに、この人は語るのをやめない。

 

「……あの、樹里さんとやらを襲うのが遅かったのは……彼女があなたを離さなかったから、巻き添えにしない為に、なかなか手を出せなかった……ということか。

 今も、そうだろうな。あんたが剣を掴んでいるから、引き寄せる力がさほど、強くない」

「薬売りさんにちょっと余裕がある理由はわかったけど、それでも言ってる場合!?」

 

 言ってる余裕はないと思ったから言わなかったけど、あんたがんなこと言うなら突っ込むよ!

 遠慮なく、黙れって言わせてもらうよ!

 

 そう思って突っ込んだけど、薬売りさんは徐々に、徐々に後ろに引きずられていく。私か薬売りさんのどっちかが力負けして、命綱である剣がいつ手からすっぽ抜けてもおかしくないのに、口で言うほどの余裕なんかないはずなのに、私が思うよりずっと余裕があるような口ぶりで黙らない。語り続ける。

 いつきさんの、「くびり鬼」の「真」と「理」を、語る。

 

「言う必要があるから……言ってるんだがな。

 

 ……あんたに守られていたことを、いつきさんは知っていた。だからこそ、許せなかった。

 自分が死んで、次に甚振られる生贄に、あんたが選ばれたこと。その材料に、自分の死や形見を使われること。あんたに守られておきながら、あんたを傷つける原因になった自分が……。

 

 ……あんたを、自分を助け続けてくれたあんたを守る事。それが、『くびれ鬼(いつきさん)』の、『真』。

 …………助けられた恩を返したい。あんたがしてくれたように、彼女もあんたを守りたいという願い。それが、『理』」

 

 薬売りさんが語る「真」に、『理』に、私が持っている側に着いている剣の頭は再び口を大きく開いてから歯を鳴らす。

 肯定する。

 けれど、違う。絶対に違う!!

 それは「真」じゃない!! 「理」じゃない!!

 

「違う! それが『真』の訳がない!! それがいつきさんの『理』な訳がない!!

 だって、いつきさんは死んだ! 自分で命を絶った!! 私が本当にちゃんと彼女を守れていたのなら、いつきさんは死ななかった! 死ぬ理由なんてなかったはずだ!!

 

 お守りだって、死んじゃったいつきさんの為じゃなくて生きている誰かの為のつもりで用意したんだ! いつきさんの家に線香をあげに行ったのだって、家に行ったことにしないとこれがいつきさんのだっていう説得力がないから! 私はいつきさんの為になることなんて、何もしてない! 何もできなかった!!

 

 私のしていたことは結局、私の自己満足でいつきさんを全然助けてなかったから! 守れてなかったから! だから……だから!!」

 

 違う。信じない。信じたくない。

 守れてなかったのに、あなたが死を選ぶのを引き留めることが出来なかったのに、それなのに彼女は私を守っているなんて信じない。

 

 それもこんな……こんな……、人を殺すなんて手段で……私なんかを守るなんて……。

 

 信じたくない。信じられない。

 だけど「くびれ鬼」は、樹里たちの死体の口を借りて私に語り掛けてきた。

 

『ドウ……シテ……泣イテ……ルノ? 誰ニ……イジメ……ラレタノ?』

 

 結花さんの口で、私を心配する。

 

『大……丈夫……ヨ。私ガ……守ル……カラ。今度ハ……私ガ……守ル……カラ……』

 

 美紀の口で、私を守ると言って励ます。

 

『私ガ……守ル……カラ……ダカラ…………オ前ハ、死ネ!!』

 

 樹里の口で……薬売りさんに死ねと命じる。

 

 私を守ると言って、私に殴り掛かった、殴り掛かるフリだったのに「くびれ鬼」に操られている死体は薬売りさんの首に手を掛ける。

 無数の首吊りの縄と化した両手が薬売りさんの首を、手足を、髪を掴んで、全身に巻き付き、絡みついてしがみつきながら、窓の外に引きずり落として薬売りさんの首を吊ろうとする。

 

「……あなたを守りたいという想いだけではなく、いじめの首謀者への憎悪、あなたを悲しませた罪悪感が、いつきさんの望み、を歪ませたのだろうな」

 

 それでも、薬売りさんは語る。

 綺麗な白い顔に爪を立てられて、初めから描かれている化粧とはまた別の赤い筋が出来ている。

 首にも爪がめり込んで血が垂れ流れているし、右肩のあたりからゴキッと音がした。強く引っ張られ過ぎた所為で、肩が外れたのかもしれない。

 

 なのに、苦痛を顔に表さずに薬売りさんは私を真っ直ぐに見て言った。

 自分が信じたくないものから、眼を逸らそうとしている卑怯者な私に言う。

 

「あんたの『真』と、いつきさんの『真』は、どちらも真実だからこそ、分かり合えない。

 だが……このままでは彼女は、あんたの為に悪意のあるなしも、あんたの意思すらも関係なく、あんたを僅かばかりでも傷つけかねない者に襲い掛かる、災いそのものに成り果てる……。

 それは、事実だ」

 

 わかってる。わかってるよ。

 もう、全部わかってる。もう言わないよ。信じないなんて。信じたくないなんて言わない。

 

 けど、ごめんなさい。薬売りさん。これだけは言わせて。

 

「……お願い、薬売りさん。

 ――――斬って! 『くびれ鬼』を! もう誰も殺さないようにこのモノノ怪を斬って、いつきさんを助けて!!」

 

 私の自己満足が結局、いつきさんをこのモノノ怪に至らせたのなら、ここで終わらせて。

 このワガママだけは、言わせて。

 

「――――承知」

 

 私のワガママに、薬売りさんは応えてくれた。

 

 

 

 

 

「『真』と、『理』によって、(つるぎ)を――――解き、放つ!!」

 

 

 

 

 

 薬売りさんが誰かにそう宣言するように言い放った直後、剣の頭の口が動いて同じように「トキハナツ!!」と叫んだ。

 その瞬間、いくら「くびれ鬼」が引っ張ろうがびくともしなかった退魔の剣が、呆気なくするりと鞘から抜けた。

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 

 瞬きをしたら、目の前から薬売りさんは、樹里たちの死体と「くびれ鬼」の無数の縄の腕に絡みつかれていたはずの薬売りさんが消えていた。

 

「……く、薬……売り……さん?」

 

 代わりに、剣が抜けた拍子にしりもちをついて座り込む私の背後に人が立っている。

 立って、私の手のうちにある剣を、火柱のような刀身の剣を受け取った人は薬売りさんとは別人に見えた。

 

 共通点なんてエルフ耳くらい。

 白目部分が黒くなって、アルビノのように真っ赤な瞳に、浅黒い肌。髪こそは薬売りさんと同系色だけど、この人の方が色素が薄い。白髪だ。

 体格も、服装で正確にはわからないけど華奢に見えた薬売りさんに比べて、明らかにこちらの方が筋肉質でガタイが良い。

 そもそも、服装だって全然違う。共通点は和装ってぐらいで、この人が着ているものには袖がなくて金色。模様は金糸で刺繍されているのかよくわからない。

 

 目を引いた隈取のような化粧は、顔だけじゃなく腕や大きく開いた胸元から見える胴体にも及んでいる。

 ううん。そもそもこれは化粧じゃなくて刺青かもしれない。隈取というより幾何学的な金色の模様が光り輝いていた。

 

 他人にしか見えないほど、違う部分ばかり。けれど、他人はあり得ない。

 ここまで違っていたら、顔立ちが似ているのかどうかさえもよくわからないけど、それでもあの人が持つ雰囲気とこの人の雰囲気は同じだった。

 

 近寄りがたくて、捉えどころがない。

 だけど、それでもきっと優しいのだろうと思わせる眼差しでその人は私を見下ろし、一度私の頭を手で撫でてくれた。

 

『ドコ!? アイツハ、ドコ!?

 死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネ死ネェェェェェェェェェェッッ!!』

 

「くびれ鬼」はこの金色の人を薬売りさんと認識していないのか、薬売りさんを探すように辺りに腕が這いまわり、樹里たちの死体もアリスのチェシャ猫のように体が紐状に解けてそれは「くびれ鬼」の腕となる。

 

 金色の人は無言で、剣を持っていない右手を広げて私に何かを投げつける。

 それはお札。薬売りさんのとは違って金色のお札が私にぶつかる前に空中で止まり、一枚だけかと思っていたお札が何枚も分裂して壁を作る。

 

 そして、剣を両手で握って構えると火柱のような刀身はさらに大きな業火のような刀身になる。

 それを無造作に振るうだけで、縄の腕は、「くびれ鬼」は焼けるように崩れ落ちてゆく。

「くびれ鬼」だけではなく、教室そのものも。

 

 まるで模造紙に背景でも描いてその辺に貼り付けていたように、金色の人が剣を振るうたびに世界そのものがボロボロ崩れて、崩壊していく。

 

 あぁ、そうか。ここはいつしか、「くびれ鬼」そのものだったんだ。

 

 剣によって斬られ、焼かれた「くびれ鬼」と、「くびれ鬼」が作り上げた世界は剥がれ落ちていって、辺りはだんだんと何もない、ただ真っ白な空間になってゆく。

 その空間の奥に、「彼女」はいた。

 

「……いつき……さん?」

 

 艶やかな黒い髪が綺麗な、病的なほどに色白で細身の、実際に病弱だった女の子。

 鳥居 いつきさんが私の正面に立っている。

 ……その細い首に、太い麻縄を巻き付かせて。

 

 それでも、彼女は微笑んでいた。

 

 いつしか金色の人が作ってくれたお札の壁はなくなっていて、辺りには何にもない。

 私といつきさん、そしてその間に金色の人が剣を持って立っているけど、いつきさんを斬ろうとはしない。

 

 だから私はとっさに、いつきさんのもとに駆け寄ろうとした。

 けど、後ろから肩を掴まれて止められる。

 

「いくな」

 

 それは、薬売りさんの声だった。

 私の肩を掴んでいる手も、紫色に染まった綺麗な爪、女の人のように長くて綺麗な指の手。間違いなく、薬売りさんの手だったけど、なんとなく私は振り向いてはいけない気がした。

 神話の時代からの約束事のように、振り返ってしまえば全てが終わってしまう気がしたから、私はいつきさんと向き合ったまま彼の話を聞く。

 

「いつきさんはもう、彼岸の者だ。此岸でまだ生きる気があるのなら……越えてはならない」

 

 ……なら、あの金色の人は? と訊く気にはなれなかった。

 ようやく、何で薬売りさんではなくあの人が剣を使っているのかわかった。

 あの人は……彼岸の住人なんですね。

 

 駆け寄りたかった。駆け寄って、あの首の縄を引き千切ってしまいたかった。此岸(こっち)に彼女を連れ戻したかった。

 けど、それは出来ない。許されない行為だと言われたから。

 まだ、私は死ねないから。

 あなたが望むのなら、それが償いになるのなら死んでも良かったけど、あなたの心が少しでも癒されるのなら、いくらでもこの命をあげれたけど……。

 

 けど、私はもういけない。

 駆け寄ろうとした時、眼を見開いて悲しげな顔をあなたはしたから。

 薬売りさんに止められて、心の底からホッとしたような顔をしたから。

 

 あなたが、いつきさんが私の生を望んでくれたから。

 だから、いけない。死ねない。死なないよ。生きてゆくよ。

 

「いつき……さん!」

 

 生きてゆくよ。けど、あなたに何を言えばいいのかわからないの。いくら謝っても、謝り足りないの。

 言葉が出てこない、泣くしかない私にいつきさんは困ったように笑う。

 もう目の前で、金色の人が剣を振りかぶっている、火柱のような刀身が振り落とされる間際である事に気付いていないように、そんなの些細なことだと言うように彼女は笑ってた。

 

 笑って、言った。

 

『――――ありがとう』

 

 ……どんな些細なことでも、「ありがとう」と「ごめんなさい」を忘れないで言ってくれる彼女が、そう言った。

「ごめんなさい」ではなく、「ありがとう」を選んで私に告げてくれた。

「斬って」と願った私に、それが救いになると勝手に決めつけた私なのに、彼女はお礼を言ってくれたから、私の言葉もやっと決まる。

 

「……こちらこそ。ありがとう、いつきさん」

 

 私は、ちゃんと笑って言えたかな?

 剣に斬り払われて、焼き払われた瞬間さえも笑っていた彼女のように。

 

 

 

 

 

 * * *

 

 

 

 

 あの「くびれ鬼」のモノノ怪を、薬売りさんと金色の人が斬ってはや三日。

 私はいつきさんのお墓に、線香とお供えのお菓子をあげてから手を合わせて、お礼を言う。

 

「……ありがとう。いつきさん。三人とも、殺さないでくれて」

 

 そう。あの「くびれ鬼」は意外なことに実は誰も殺してなかった。あの窓の外に吊るされていたのは幻覚だったみたい。

 いつきさんにはちょっと申し訳ない表現だけど、たぶんあれは猫が捕まえたネズミや虫を飼い主に自慢しに来るような心境だったんだろう。

 

 樹里たちがいつきさんにされたことは、あの縄の腕に捕まって首を吊っては目覚めてもう一度首を吊るという夢を見せ続けられたらしいので、長時間続けば精神がヤバかったかもしれないけど、今のところはまぁ不登校になっちゃったくらいで済んでいる。

 正直、「何だその程度か」と思わなくはないけど、神様でも被害者本人でもない私が罰を決めるのは傲慢だ。

 

 だから、これで良かったんだと思おう。

 いつきさんは誰も殺していない。それだけで十分だ。

 ……ただ、わかっていたのにそれを言わなかったあなたにはちょっと怒ってるよ。

 

「薬売りさん、初めからいつきさんが樹里たちを殺さないのわかってたから、結界をわざと一部だけしか張らなかったでしょう?」

「……おや? いつから気付いてました?」

 

 衛生の関係で置いたままにはしておけないお供えのお菓子を回収しながら、私の後ろにいるはずの薬売りさんに話しかけると、のうのうと現れて私の隣に並び立つ。

 三日前はいつきさんを斬って、辺りがただの教室に戻った時にはいなくなっていたけど、この人の存在を夢だとは思えなかった。

 そして何の根拠もなく、また会えると思ってた。いつきさんのお墓参りに来たのも、その期待があっての事。

 ごめんね、いつきさん。けどついでなのは薬売りさんの方だからね。

 

「いつからって、あなたさっき鈴の音鳴らしたでしょ?」

 

 そう言いながら横目で睨むと、薬売りさんはまったく悪びれた様子もなく笑っており、代わりにか音の主であろう天秤が一つ、私の肩にまたちょこんと乗ってペコリと頭を下げるように傾いた。

 ……これ、もしかして意思あるの? なんか可愛いな。

 

 私がもういいよと言って、天秤さんの頭(?)を指先で撫でてやれば、喜んだようにぴょんと跳ねてからスイッと浮かび上がって勝手に薬売りさんが背負う箱の中に帰って行った。

 あれはもしかして、私が初めに拾った天秤なのかな? 個人意思まであるの?

 

 まぁそれは横に置いておこう。

 それより、せっかく会えたしまた会える保証は一切ないだろうから、私は薬売りさんにいつきさんのお墓に備えたフルーツ大福を勧めつつ、ちょっと残っている疑問に答えてもらう。

 

「薬売りさん、あなたいつからいつきさんの『真』と『理』に気付いてました?」

 

 勧めておきながら、この人、もの食べるのかな? とこっちも本気で疑問だったけど、薬売りさんは普通にブドウ大福をつまんで食べながら、私の問いに答えてくれた。

 

「まぁ……正直、最初から『真』と『理』に予想はついてました、よ。

 けど、さっさと斬ってしまっては……加害者(かのじょ)たちばかりが得をして、癪でしょう? あの『真』と『理』なら、殺しはしないと思いましたので、ちょっとばかりお灸をすえる手伝いを、させていただきました」

「……そこは否定しませんけど、どうして最初からわかったんですか?」

 

 しれっと人でなしなのか人情に溢れているのかわからない答えを返されたけど、「最初から」というのは私の想像通りだった。ただ、何で「最初から」わかっていたのかが私にはわからない。

 だけど薬売りさんは「何でわからない?」と言いたげな眼をして、今度はミカン大福をつまんで答えた。

 

「あんたが、『真』に関わる関係者だったから、ですよ。

 ……俺が落としたものを拾って、汚れを拭いて、急いでいるのに逆方向の交番に届けようか迷って、わざと驚かせたことに気づいても怒らない、不審者でも助けられたと思えば、まず最初に礼を言う人が、巻き込まれただけならともかく、関係者なら、何らかの誤解がない限り、あんたを含めて『復讐』が『真』は、あり得ないと思ったんですよ」

 

 その即答に、私は言葉を失う。

 この人、あの直前に出会った初対面の私のそんな些細な行動を根拠に、私が復讐対象はあり得ないって断言するの!?

 

 私にとっては過剰すぎて恥ずかしい信頼だけど、結果的に真実だったせいで何も言えない、ただただ私が恥ずかしい目に遭っているのに、そんな目に遭わせた当の本人は遠慮なく大福をひょいパクと食っている。

 食事するかどうかを疑問に思ったけど、意外と健啖家だなあんた!

 

「……ところで、あんたの名前は?」

「はい?」

 

 そしてやっぱりマイペースに、話を脈絡なく変える。

 いや、確かに名前をそういや名乗ってなかったし、もしかしたら樹里たちにも呼ばれてなかったけど今更、このタイミングで訊く?

 

「いつまでも、『あんた』と呼ぶのは、失礼だろう?」

 

 しかも「何言ってんだ、この人は?」という目で見る私の方がおかしいかのように、薄く笑ってこの人は言うけど、それ本当にあんたが言う? 薬売りとしか名乗ってないあんたが。

 っていうか、いつの間にか薬売りさん、私に対して口調が雑くなってない? 初めは呼び方、「あなた」だったよね? 一人称もさっき「俺」を使ってたけど、最初は「私」だったよね?

 何? 素が出てきたの? ……それはちょっとなんか嬉しいから許そう。

 

 ただ私、自分の名前は気に入ってて好きなんだけど、音だと漢字がわからず別の単語を連想するから、名乗るのは好きじゃないんだよね。

 けどここで名乗らないときっと一生後悔するから、私は名乗った。

 

 

 

「ヒトリ、です。漢字は……」

「――――火の鳥。炎の鳥で『火鳥(ひとり)』さん、ですか?」

 

 

 

 説明する前に正解を答えられて、私はまたしても言葉を失う。

 けど今度はちょっと驚いただけなので、すぐに回復して「よくわかりましたね」と言えた。

 

「……同じ名前で、そう書く人を知っているんでね」

「へぇ。そうなんですか。私、自分の名前は好きですけど音だと一人っきりの『一人』と一緒だからか、同じ名前の方にあったことないんですよね」

 

 そのまま、私と薬売りさんは雑談を続けた。

 また会える保証はないけど、だからこそ辛気臭い話はあまりしたくなかったから、それで十分だった。

 

 

 

 

 

 その雑談に夢中になって、私は気付かなかった。

 薬売りさんの箱の中、あの剣が仕舞われている箱の中で「カチン」と音がしたことに、私は気付かなかった。


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