モノノ怪「不死鳥忌憚」   作:淵深 真夜

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人魚:二の幕

 浅葱色の地に、蝶や蛾の翅を思わせる極彩の模様が描かれた女物の着物に袴。締める海老茶の帯は着物と同じく、女物の幅広。

 子供の背丈ほどはある箪笥のような形状の箱を背負い、紫の手拭いに包まれた髪は亜麻色という日本人にあるまじき色素の薄さ。

 

 顔の化粧だけではなく、服装も荷物も何もかもが異常と言える男だった。

 和装であるがおそらく服装の常識を江戸時代にまでさかのぼっても、この男の格好を普通と擁護することはできない。

 

 だが、男の姿が異常であり怪しいことこの上ないのは否定できないのに、その怪しさによる危機感を凌駕する程、彼は美しかった。

 病院内の異常をすべて忘れて、加世子がぼーっと見惚れるほどに。

 

 しかし自分とは違う理由で、自分と同じく固まって絶句していた火鳥が上げた悲鳴で我に返り、相手が面会時間外の病院という時間や場所の条件を抜いても不審者この上ないことに加世子はようやく気付く。

 気付くのだが……、男に抱きかかえられたまま火鳥が羞恥で真っ赤になりつつ叫んだ言葉の所為で、不審者に対する警戒心も緊張感も雲散霧消してしまい、加世子は呆気に取られた様子で呑気に尋ねた。

 

「え? 火鳥ちゃんの知り合い?」

「……はい。お世話になったというか、現在進行形で世話になっているというか……」

「……その話は、後にしましょう。今は、ひとまず、逃げますよ」

 

 未だ階段の踊り場で座り込んだまま加世子が尋ねると、火鳥は羞恥で真っ赤に染まった顔を隠そうと両手で覆って答え、男は火鳥を抱えたまま階段を駆け上がる。

 その背後には人の顔をした魚が宙を泳ぎ、歯を鳴らして迫り寄っていた。

 

「!? きゃーっっ! またなのー!!」

 

 3度目の人面魚の来襲に加世子は悲鳴を上げるが、悲鳴を上げるだけで何もしない大人しい性分ではない。

 

「来んなー! 人面魚ー!! あたしは食べてもおいしくないし、火鳥ちゃんは美味しいかもしれないけどあんた達に齧らせてやるもんかーっっ!!」

 

 男が火鳥を片腕で抱えたまま、空いた片手で腰が抜けていると思われた加世子を立たせようと腕を伸ばすが、男が腕を掴む前に加世子は自力で立ち上がって、落ちる際に火鳥が手を離したパイプ椅子を掴んで振り回し、人面魚を自分たちに近づかせない。

 

 火鳥のやらかしを突っ込む資格のない加世子の勇ましさに、男はやや眼を丸くしてから何かを懐かしむようにその眼を細めて「頼りになりますね」と呟いた。

 幸か不幸か、火鳥は鳥目なので自分たちにまた人面魚が襲い掛かっていることも、加世子のバーサークぶりも見えていないらしく、ガンガンと壁や廊下にぶつかる椅子の音に引きつつも、加世子と自分を抱えている男……薬売りに声を掛ける。

 

「あの! とりあえず病室に戻りましょう! おばーちゃんが心配ですし!!」

 

 言われてちょっと頭が冷えた加世子は、パイプ椅子を持ったまま薬売りの腕を引いて火鳥の祖母、富士野の病室に舞い戻って戸を閉める。

 閉めてすぐに加世子の後ろから加世子を避けてはいるが遠慮なく何かが投げつけられ、それが扉一面に貼りつき、梵字らしき文字と眼のような模様が浮かび上がり、眼に至っては見開いて加世子をまたビビらせた。

 

「……ひとまず、結界を張りました」

 

 前置きなしに札を貼り付けてから説明し、薬売りはようやく抱えてきた火鳥を降ろす。

 そして彼女を見降ろし、「またか」と言いたげな怒っているようにも呆れているようにも見える顔で訊く。

 

「……あんたがいるなら、話が早い。火鳥さん、心当たりを話してもらうぞ」

「今回は何もないですよ!!」

「俺はそっちじゃありません、ぜ」

 

 またしても元凶だと思われ、冤罪で尋問される火鳥は見えてないので微妙にあさっての方向に抗議して薬売りに突っ込まれるのを眺めながら、加世子が口を挟む。

 

「ってゆーか! あたしにまずは説明して!!」

 

 * * *

 

「何なの何なの! 一体全体何が起こってるの!? 電気つかないのは何で!? 先生たちはどこ!? あの人面魚は何!?

 そもそも、あんた誰!? 火鳥ちゃんの知り合いみたいだけど、答え次第では容赦しないわよこのイケメン!!」

「……加世子さん、罵倒になってません。本音が出てますよ」

 

 病室に籠城したことで少しはあの人面魚の脅威から逃れたことを実感し安堵したからか、加世子は火鳥を庇うように抱き寄せつつ後回しにしていた疑問を矢継ぎ早に薬売りにぶつけた。

 言ってることはほとんど逆ギレだが、不審者ではなくイケメン呼ばわりしている加世子の正直さ加減に火鳥は苦笑し、薬売りも少し面白かったからか口元をほころばせて答えた。

 

「私は、ただの薬売りですよ」

「薬売りさん、ごめん! 話がややこしくなるからちょっと黙って!」

 

 しかしどこでもその自称を貫く薬売りに火鳥は頭痛を覚えながら、加世子が「お前のような薬売りがいるか!!」と突っ込む前に突っ込んで、このもったいぶった言い方しか出来ない男の代わりに説明した。

 数日前に起こった、自分の友達になりたかった人、きっと友達になれた人が互いに思いやっていたからこそ捻じ曲がってしまって変わり果てた、「くびれ鬼」の顛末を。

 

「……ということは、この人がいればあの人面魚を退治出来るって事?」

 

 もう既に「病院内に自分たち以外の気配がない」、「空中を泳ぐ人面魚に襲われる」という非現実的な事態に陥っているのもあって、素直な加世子は簡単に説明した「くびれ鬼」に関しての話をあっさり信じて受け入れ、薬売りに期待の眼を向ける。

 

 が、薬売りは持っていた箱を下ろして中からろうそくを取り出して灯しながら、こちらに目も向けずに淡々と答える。

 

「剣が、抜ければ、な。だが、剣を抜くにはモノノ怪の『形』と『真』と『理』が必要だ」

「とりあえず、今の所『形』は判明してますよね?」

「あぁ。人面魚ね。でも、何で病院で人面魚?」

 

 薬売りの言葉に火鳥が答え、加世子も同意しつつ首を傾げる。

 加世子の疑問の通り、襲われた時はそれどころではなかったが、今になって思うと病院に人面魚は脈絡がなさすぎる。

 

 別にこの病院は、池などを埋立して建てたものではないし、海も近くない。

 川ぐらいならあるが、それもすぐ隣に流れているというほど近くもなければ、大きな氾濫などの災害だってここ最近どころか十年単位で遡っても心当たりはない。

 

 人面魚どころか魚にまつわる心当たりはサッパリなくて首を傾げる加世子に、薬売りは言った。

 

「『形』は、人面魚ではありません、ぜ」

「え?」

 

 言いつつ、左腕を肩と水平になるように伸ばし、その袖の中から手品のようにするりと取り出したのは、火鳥の話の中にも出てきたモノノ怪を斬る為の剣。

 さほど大きくない、脇差ほどの長さだが柄も鞘も豪華絢爛な装飾が施され、柄の先に赤鬼にも白い毛の猿にも見える頭がついた剣は、大きく口を開けている。

 

「モノノ怪の『形』。それは――『人魚』だ」

 

 薬売りの言葉に応えるように、剣の頭は大きく開いた口を勢い良く閉ざして歯を鳴らす。

 その動きと音に、加世子は話に聞いてはいたがやはり実物を目にしたら慄いてしまうが、同時に薬売りの言葉に疑問を抱いてしまう。

 

「に……人魚ぉ? あれがぁ?」

「……そういえば、日本の人魚って姿絵ではあんな感じの人面魚ですよね」

 

 加世子にとって「人魚」はアンデルセン童話の人魚姫がデフォルトイメージなので、夢を壊されたからか不満そうだが、火鳥の方は日本の人魚を知っていたらしく、やや遠い眼で納得した。

 薬売りも最近の日本人にとってに人魚のイメージは加世子の方が普通だとわかっていたのか、加世子の不満そうな反応よりも火鳥の納得に少し意外そうな顔をして、「よく、知ってましたね」と呟いた。

 

 その呟きに火鳥は少しだけ表情に陰りを落としたが、それでも彼女は答えた。

 

「……おばーちゃんの故郷に、人魚の伝説があったらしくて。それで……」

「……あっ!!」

 

 火鳥の答えで思わず加世子が声を上げ、火鳥と薬売りから注目を浴びる。

 その視線に気まずさを感じながら、加世子はすっかり忘れていたこと、聞き間違いだと思っていたこと、けれど現状を考えると真実だったと確信した、思い出した言葉を恐る恐る口にする。

 

「……ごめんなさい。あたし、聞き間違いかなんかだと思って、言ったら火鳥ちゃんを困らせるだけだと思って、そのまま今まで忘れてたんだけど……、火鳥ちゃんのおばーちゃん、富士野さんは意識を失う前に言ったの。

 火鳥ちゃんを呼ばないでって。……人魚に殺されるから、呼ばないでって頼まれてたの」

 

 加世子の言葉で火鳥は医療機器と蝋燭ぐらいしか光源の無い部屋の中でもわかる程に顔色を蒼白に変えた。

 

「ごめん! ごめんなさい! あたしが本気にしなかった所為で、富士野さんがあんなに必死になって頼んだのにあたしが……あたしが……」

 

 加世子本人は富士野の言葉を思い出したことで、自分が避けられたはずのこの現状に火鳥を巻き込んだこと、死に瀕しても、孫娘に最期に看取られることを望むよりも危ない目に遭わないで欲しいと、火鳥の身を案じた祖母の愛情を踏みにじったことに気付いてしまい、泣きそうな顔になりながら火鳥に謝り続ける。

 

 しかし火鳥としては、加世子が祖母の言葉を真に受けなかったのは当たり前だと思っているし、何より自分が危険な目に遭うことよりも祖母を独りっきりで永眠させることの方が嫌だったので、加世子の判断に対して怒りや不満はまったくない為、「加世子さんは何も悪くないです!」と必死で謝る加世子をフォローする。

 彼女が顔色を変えたのは、自分があの「人魚」に狙われているという情報ではない。

 

 何故、祖母がそんなことをわかっていたのか。

 その謎こそが、火鳥にとって最悪の可能性を想起させた。

 

 薬売りはというと、口角をわずかに上げて視線をベッドに向ける。

 人工呼吸器でか細い呼吸を何とか維持している、枯れ木のように痩せ細った老婆を見下して彼は言った。

 

 火鳥が思い浮かべた最悪を口にする。

 

「……ほう。どうやら、このモノノ怪の心当たりがあるのは、こちらの御婦人か」

 

 * * *

 

 薬売りの言葉に、火鳥に謝罪し続けていた加世子は思わず噛みつくように反論した。

 

「ま、待ってよ! 確かに言ってた事といい、富士野さんの故郷に伝わる話といい、富士野さんが何か関係してそうだけど、富士野さんはまだ生きているわよ! モノノ怪なんてお化けになっちゃいないわよ!」

「……モノノ怪とは、死者のことじゃない」

 

 加世子の反論で何か彼女は勘違いしていることに気付き、薬売りは淡々と訂正を入れる。

 

「へ? そうなの?」

「……あの、薬売りさん。私も未だに『モノノ怪』がよくわかってないので、余裕があれば改めて教えて欲しいのですが」

 

 薬売りの察した通り、「くびれ鬼」の話の所為でか加世子は「モノノ怪=悪霊」くらいに思っていたらしく、薬売りの訂正で気勢が削がれて間の抜けた声を上げる。

 そして火鳥自身も同じような解釈をしていたのか、おずおずと手を上げて「モノノ怪」についての説明を求めてきた。

 

 薬売りは一度、目を伏せて深く息をついた。

 それは今まで関わってきた相手にいちいちしてきた説明を、また一からしなくてはならないのが面倒だったからの溜息か。

 それとも、遠い昔をふと思い出して懐かしんでいたのか。

 

 それは、薬売りにしかわからない。

 

「……モノノ怪とは、人の情念や怨念が『アヤカシ』に取り憑いたもののこと。

 あなた達が言う、幽霊や、妖怪、そういったものこそ『アヤカシ』。アヤカシは、人や獣や鳥がいるのと等しく、(あまね)くいるものだ。ただそこにいるだけ、少し不思議なことをするだけの、無害なものもいれば、人に手助けをするものも、害をなすものいる。

 だが、アヤカシにとっては、どれも同じ。アヤカシの道理は、人には通じない。アヤカシは、自分たちの道理で動くだけで、人の味方でも、敵でもない。

 

 ……だが、モノノ怪は、違う。

 あれは、人に近すぎる」

 

 そこまで語り、薬売りは一息をつく。

「モノノ怪」のことを「人に近すぎる」と語った薬売りは、憎々しげに吐き捨てるようにも見えたが、痛々しいものを見るように、何かに深く同情して、何かに嘆いているように、今にも泣きだしそうな顔で憐れんでいるようにも、火鳥には見えた。

 

 しかしそう見えたのは眼の錯覚だと思わせるほど、薬売りの表情は瞬きする間もなくいつもの人形じみた、何を考えているかわからない美しい無表情に戻って、感情の見当たらない淡々とした口調で説明を続けた。

 

「……人の道理が通じぬものに、人としての理性を失った情念が取り憑く。その情念が仮に、ただ生まれたかったという願い、想い慕う恋情といった、悪意などない善意や好意であっても、人には理解出来ぬアヤカシの道理と結びついてしまえば、歪み、形を変えて人に害なす魔羅の鬼と化す。

 それが――――モノノ怪だ」

 

 モノノ怪とはどういったものか。そして何故、斬らねばならないのかまでも言外に答えた薬売りに、火鳥は何かに耐えるようにスカートの裾を両手で握りしめ、尋ねた。

 

「……ねぇ、薬売りさん。……今回の『人魚』は、おばーちゃんが生み出したものなんですか?」

 

 前回の「くびれ鬼」で、薬売りや加世子から見たら背負う必要のない罪を背負って、傷つく必要などない、彼女も被害者だといえたのに「加害者」だと言って引かず、鬼に成り果てた友人を人に戻すために首をくくる覚悟をも決めた時と同じように、火鳥は問う。

 

 その答え次第では、またしても自分の大切な人は人ではない何か、人の敵として切り払われることを理解していながら、悪あがきの時間稼ぎをしようとはせずに答えを求めた。

 

 加世子の口から、「何言ってんのよ!?」「そんな訳ないじゃない!」という言葉が出かかったが、火鳥の今にも涙が溢れそうなうるんだ瞳でありながら、その涙を零そうとせずに堪える横顔の静謐さを前にしたら何も言えなくなる。

 自分でも信じきれていないことなど叫んでも、それは慰めどころか彼女の覚悟を侮辱するだけだと思い知らされた。

 

 火鳥の、わずか14歳の少女が決めたあまりに痛々しい覚悟を湛えた眼と真正面から向き合う薬売りは、自身の翡翠のような眼を離さずに答える。

 

「……それは、まだわからない。

 だが、そこの加世子さんと火鳥さんの話からして、無関係ではない事は確かだろう」

 

 確証はないが、その可能性が高いと答える。今の段階ではそうとしか言えないのだから仕方はないのだろうが、はっきり肯定するよりもかすかでわずか、無い方がましな可能性が捨てられない曖昧な言葉は酷く残酷だった。

 

 真実しか語らない薬売りの言葉は残酷だった。

 だけど、薬売り本人は――

 

「……薬売りさん、何を――」

 

 火鳥は問う。

 残酷な可能性を語りながら、薬売りは首から下げていた首飾りらしきものをベッドで眠り続ける富士野の胸の上に裏返しで置く。いや、どうやら裏だと思っていた面こそが裏だったのを、火鳥がスマホのライトで照らして理解する。

 太陽らしき彫刻が施された掌ほどの丸い首飾りに思えたものは、鏡だった。

 

「……鏡は魔除けになりますから、ね。結界は張りましたが、万が一に備えて。この方は、自力で逃げることは出来ませんし」

 

 薬売りの答えに、尋ねた火鳥と薬売りの残酷な答えに不満そうだった加世子はきょとんとした顔になる。

 しばしの間をおいて、火鳥は笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 そのそっけないようで、細やかな気遣いに礼を言う。

 強がりではない、本心からの喜びの笑みで。

 ない方がマシと思える可能性を語ったのは、薬売り本人もそのわずかな可能性を信じている、信じていたい、手放したくないからこそだと火鳥には思えた。

 

 * * *

 

 火鳥の礼に薬売りは特に何も応じず、死を待つしかない眠り続ける老婆を見下しながら何かを指示するように指を動かすと、箱の中から蛾のようなやじろべえのようなものが一つ飛び出し、薬売りの立てた人差し指の上にちょこんと乗る。

 それは鈴を両端に垂らした天秤。モノノ怪との距離を測り、位置を把握するための道具。

 

 その天秤が老婆ではなく逆側の病室の外に傾くのを確認してから、薬売りは火鳥と加世子に視線を向けて言った。

 

「……とりあえず、彼女自身がモノノ怪に成り果てている訳では、なさそうですね」

 

 天秤の反応と薬売りの言葉で、ひとまず最悪の可能性はないことが確定して火鳥と加世子がホッと安堵の息を吐いた。

 しかし、事態は好転していない。これはこれで現状は最悪に近いことを薬売りだけではなく火鳥も加世子もわかっている。

 

 薬売りの持つ剣を抜く為に必要なものは、「事の有り様」である「真」と、「心の有り様」である「理」。

 そしてそれらを得るには、「モノノ怪」に関わる者からの話、情報が必要だ。

 その情報を持っている可能性が極めて高い富士野は、医師ですら匙を投げた危篤の老人。

 

「お二方、何か少しでも……心当たりはありませんか?」

 

 関係者らしき本人から話を聞くのは絶望的なので、薬売りは火鳥と加世子に向き直り、改めて尋ねる。

 だが、加世子はもちろん火鳥も申し訳なさそうに首を横に振る。

 

「あたしはさっき言った通り、富士野さんから言われたこと以外には何も思い浮かばないわ。あんな人面魚な人魚に襲われる心当たりは、あたしが聞きたいくらいよ」

「ごめんなさい。今回は本当に、私の自責とか意地とかではなく真実、心当たりがないんです。あるとしたら、私もさっき話したおばーちゃんの故郷の話くらいですけど……、あれも関係あるのかどうか怪しいくらいですね」

「ほう。何故、そう思うのですか?」

 

 火鳥が無関係ではないかと疑う、祖母の故郷に伝わる「人魚伝説」を薬売りが話すように促すので、火鳥は無関係と思えた根拠ごとシンプルに答えた。

 

「だって、正確に言えば人魚伝説ではなく、八百比丘尼(やおびくに)伝説ですから。

 あの伝承の主人公は八百比丘尼の方で、人魚は添え物でしょう?」

 

 加世子は火鳥の答えに「やおびくに?」とオウム返しする。

 そちらに気を取られて、火鳥は見ていなかった。

「八百比丘尼」と火鳥が言った瞬間、薬売りが驚いたように、そして何かに納得したように眼を見開いたことに気付かなかった。

 

「それ、人魚とどういう関係があるの?」

 

「八百比丘尼」について全く知らないらしい加世子が尋ねるので、火鳥が説明しようと口を開くがその前に薬売りが淡々と話し始める。

 

「……ある漁村で人魚が釣り上げられ、漁師たちはその人魚を捌いてふるまったが、釣り上げた現物を知る漁師たちは不気味がって結局口にはせず、奉納品として神社にささげた。

 しかしその肉が人魚のものとは知らない娘は、あまりに美味そうな肉だったので、こっそり食べてしまう。

 それ以来、その娘は歳を取らなくなった。何年たっても娘は人魚の肉を食べた当時、10代半ばの姿で生きつづけ、家族や夫、親しい者と何度も死に別れことで世を儚んで尼となり、若狭で入定した時には(よわい)800歳だったと言われている。

 

 ……地方によって細部は違いますが、大筋としてはだいたいこのような話です、よ。……ちなみに『入定』は仏教の用語で、『永遠に瞑想し続ける状態に入る』ことなので、本来なら死んだという意味ですが……もしかしたら八百比丘尼の場合は、そのままの意味かもしれません、ね」

 

 加世子に説明しながら、薬売りが自分の方をじっと見ていることに火鳥は気付いて首を傾げた。

 火鳥に不思議そうに首を傾げられても、薬売りは火鳥を見たまま「八百比丘尼」についてシンプルな答えを述べた。

 

 

 

「八百比丘尼とは……人魚の肉を食べたことで不老不死となった女性の事です、よ」





加世子はほぼそっくりそのまま加世のキャラクターを持ってきたつもりでしたが、口調は再現しきれませんでした。

加世とチヨは薬売りに対して砕けた軽い感じですけど基本は敬語を使ってるんですが、薬売りの格好が現代で言えばサイケ系の個性派ファッションぐらいの扱いで済む江戸時代、チンドン屋と勘違いされるけど、そう思うと変じゃないしチンドン屋も珍しくない大正か昭和初期なら、さほど薬売りを怪しまず敬語を使うのは自然だけど、さすがに現代(それも夜の病院内)に現れたこの人に敬語を使うのは不自然に思えたので、タメ口にしてしまいました。



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