「ねえ兄さん、その土塗れの本はなんですか? 形だけは整ってはいますが……」
「ああ、これは……日記、かな」
空の天候すら判別つかないほど木々が生い茂った山奥。
月どころか星灯りすら見えない暗闇で俺が拾った本は土塗れになっていた。
ただ装丁そのものはしっかりしたもので、長く風雨を浴びているならふやけているのかと思えば手には硬い感触。
どうやら本全体を革張りにして水がしみこまないようにしてあるようだ。
草むらの下にあったのだが真横には大きな木もあるし、少し地面が盛り上がっている。
うまい具合に必要以上の雨等には晒されず、痛まなかったのかもしれない。
表紙の土を払うと右下に掠れた文字が見えた。
「名前が見えない……けど、『レオンハート』か。やっぱりこれは――」
そこでステータスが強制表示された。
――『アニの父の手記』ゲット! ミッション達成!――
という文字が躍っていた。
見つけた時からもしかして、と思ったら案の定だった。
第一目標である『アニの父の手記』を入手してしまった。
山奥に入って数時間――ミッションは重要だけれど俺とレナの命が最優先ではある。
だから巨人が居そうなところを避け続けることに終始していた。
一応、巨大樹の森を目指し北西に向かうように歩いてはいたが。
しかしふと地面を見た拍子に草むらの下になにか見えた。
目を凝らすと四角い物が落ちていたのを拾ったらコレだ。
ミッション内容のところを押すと大まかな方角だけは表示されていたので不可能というわけではないが正直、肩透かしもいいところだ。
東京ドームなんて目じゃないほど広大な山奥の中で一冊の本を見つけるなんて難しいにも程があるからこそ悩んでいたのに。
(いや簡単に見つかってよかったんだけどさ……なんていうかこう、憮然としたものを感じるというか……なぁ。…………あれ? なんか運の値が――
目線を下げ本の内容でも確認しようとしたところ、ステータス値が視界の端に映る。
すると運の値がとんでもないことになっていた。
運:95(超幸運)
(マ・ジ・か!! 80台以上なんて初めて見たぞ!? もしかしなくても、これが原因か? いやいやでもそんな御都合主義でいいのかよ。はぁ~~~なんかため息を吐きたくなるのは何故なんだろうなー)
どの道、複雑なのに変わりなかった。
「とはいえ見つかったからオールおっけーか。さてさて中身を確認しますかねっと?」
「どうしました兄さん?」
「鍵かかってるし……くそっ、硬くて開けられないな! 中身は諦めた方がいいか……」
両手に力を入れても開かない。
良く見ると鍵穴が付いていた。
人の手記を見ることに些か良心の呵責はあったけど、巨人の秘密のに迫れるかもと思ったのだけど、世の中そんなに甘くないようだ。
無理やりなら開けてもいいのだけれど、この後アニに渡す以上あまり傷付けるのもどうかと思う。
ファザコンの気がある彼女に、父の本を持っていくだけでも怪しいのだ。
別に彼女と仲良くなってあわよくば、などと思っていない。
浮ついた気持ちなど、カルラさんが亡くなったときに冷めていた。
現実としか思えないこの世界で、多くの人達が苦痛と絶望を顔に浮かべて死んでいった。
暢気にモテモテやらハーレムやらを夢想できる奴がいたら一度精神科に通うことをお勧めする。
不謹慎にもほどがある。
レナの半ば心が壊れた姿を見ても、フラグやらアニメの世界やらを囀れるほど俺は馬鹿に為りきれない。
ただ彼女の凶行を止めるならある程度の信頼関係が欲しいのも事実だった。
その為、他人の手記を盗み見るような奴と思われたら駄目だ。
普通に考えて不信感を与えかねない、というか俺だって自分が書いた日記などやらを覗かれたらいい気持ちはしない。
他人の心を土足で踏みにじるようなものだ。
警戒心の強い猫のようなアニに一度悪印象を持たれたら信頼関係にヒビが入るどころか、最初から信じてくれなく可能性もある。
そして巨大樹の森での悲劇を止めることもさらに難しくなるだろう。
(そういう意味では鍵はかかっていたのは僥倖かもしれない。俺が絶対中身を見ていない証明になるし……)
巨人の秘密は結局シガンシナ区にあるエレン宅の地下を探るしか――――?
「あ……あーーーーっ!?」
「に、兄さんどうしたんですか!? というか大声出さないでください、巨人が寄ってきたらどうするんですかっ」
「ああああああ~~~~…………俺は馬鹿だ~~~なんでそんな重要な事忘れてるんだよ~~~」
「わわわっ、兄さんが馬鹿なのは今に始まったことじゃ……ってなんでごろごろ転がってるんですかもうっ!」
俺はしばしの間シガンシナ区でエレン宅の地下室――おそらく巨人の秘密が隠されているだろう最重要な場所をすっかり忘れていたことを悔やんで転げまわっていた。
(超馬鹿野郎だよ俺……戻ると『口減らし』に間に合わなくなって、最悪じーさんを死なす結果になりかねないから不可能だし、諦めるしか……あああ~~~)
本に関しては持ち主に返した方がいいだろうなどとレナと説得して回収した。
この後も
俺もレナもなれない強行軍で朝日が昇るころにはへとへとだったが、気力を振り絞り進む。
平野から巨大樹の森までも馬で一気に掛け抜けたが幸運の力か、それとも巨人達が他に気を取られているのか、1km圏内に敵表示である赤点マークも出ることはほとんどなく目的地へと着く。
ここまで順調だとなにかしっぺ返しがあるのではないかと不安になってしまうぐらいだ。
「ここが巨大樹の森か……。樹齢100年どころか1000年って言われてもいいくらいの森だなぁ」
「兄さんの言う通りですね。太陽なんて簡単に隠してしまうほどおっきぃです。自然の逞しさと幻想的な神秘さを感じます」
「ああ…………」
巨大樹の森――その名の通り20mはあろう巨大な森が乱立する天然の森。
高所の枝の上に居れば大型の巨人さえ手が届かない。
原作では調査兵団と女型の巨人が死闘を繰り広げ、多数の兵士を失った因縁の場所でもある。
その戦いではペトラ、オルオ、グンタ、エルド4名のリヴァイ班も戦死――さらに多数の実力派の調査兵を失うこととなる。
女型の巨人に狙われていたエレンは一度浚われるという事態になったが、病んキレモードミカサさんと班員を殺されて激おこ状態のリヴァイ兵士長の活躍で辛うじて人類はエレンというキーマンを救うことができた。
敗北という重い……非常に重い犠牲を払うことになったが。
(絶対救ってみせる――俺のちっぽけな2つの掌でも零れ落ちる命を掬いあげれると信じて……)
高くそびえ立つ大樹の前で俺は静かに決意を新たにしていた。
俺達は森の入り口にある打ち捨てられた北側の空き家を拠点とし、アイテムボックスに入れていたお手製の小屋(大人が4人くらい入るサイズ)を高所に配置。
もちろん置くだけでは落っこちるのが目に見えているので、レナと協力しながらロープを張り巡らし固定した。
さながらトム・ソーヤの冒険で出てくる親友ハックルベリー・フィン(通称ハック)が住む小屋のようだ。エルフが住んでそうな家でもいい。
そして俺達は遠くにぼんやりと見えるウォールローゼの壁の様子を観察しながら数日間過ごすことになる。
見えるといっても距離にすれば数十キロはあるだろう。
そして壁近くは遠目でも判るくらい多数の巨人が徘徊していた。
森の周辺も安全とはいえないが高所に居る分には奴らもあまり興味を惹かないのかのそのそと壁方面へと歩いていった。
その様子を俺は少し不気味に思う。
(『口減らし』は万単位の人間が動くが現時点では動いている気配はない、のだけど。もしかしたら人々が集まっているのか……?)
俺は森の中を周って4年後ここに訪れたときのために土地勘を養うことにした。
レナには木の上の小屋で壁方面を監視するよう頼む。
信煙弾はあるので動きがあったら緑、危険が迫ったなら赤の信煙弾を撃つように言い森の中を巡る。
そうして数日間過ごしたある時――
バシューーーン!
青空を緑の煙弾が駆ける。
人類が仕掛ける決戦の火ぶたが切って落とされるときは目前だった。
食糧難に陥った人類が断行した最初から結果が見えていた戦い『口減らし』が――
――現在のミッション達成状況――
【達成】 ・ウォールマリア南東の山奥の村周辺にある【アニの父の手記】を発見しろ! ――達成報酬【1、○○加入フラグⅠ 2、フラグ○○○○○加入&○○○○加入フラグⅡ 3、ア二好感度フラグⅠ 4、リヴァイ班グンタ&エルド&ペトラ&オルオ生存フラグⅠ】
※注 失敗条件有り――山内での巨人討伐、山奥の村に侵入時は失敗となる
【未達成】・アニと会話しろ! ――達成報酬【アニ好感度フラグⅡ】
※注 847年訓練兵団入団までに行うこと
【未達成】・アニに父の手記をわたせ! ――達成報酬【1、ア二好感度フラグⅢ 2、○○加入フラグⅡ】
※注 847年訓練兵団入団までに行うこと
【未達成】・846年口減らし出兵時にアルミンの祖父アレスを救出しろ! ――達成報酬【1、アレス生存確定 2、アルミン好感度フラグⅠ 3、アルミン強化】
※注 失敗条件有り――846年までに勝利条件ウォールローゼ撤退を達成する
× × ×
トロスト区の南門では兵士が剣を掲げて演説をしていた。
『我々はぁ1年前の屈辱を忘れてはならない! 今日こそぉあの糞野郎どもからシガンシナ区を奪還しぃ人類の底力を見せつけるのだぁ!!!』
「「「おおおおおおおおォォォォォォォォ!!!!!」」」
耳をつんざく大合唱。
街じゅうの鳥たちが驚き飛び立っていく。
決戦前ということで周囲の者たちもさぞ熱気に包まれている――――わけではない。
ハンネス坊から聞いた話では総勢25万にも及ぶ人々が今回のウォールマリア奪還作戦に参加するらしいのじゃが。
だがそれは虚実、もっともらしいお為ごかしの言葉で飾った張りぼて。
実際は食糧難が原因だった。
ウォールマリアから溢れんばかりの避難民がウォールローゼ及びシーナにやってきていたのだ。
元々生活していた人々や貴族、富裕層にまで影響を及ぼし、王政府が最後の決定を下したのだ。
つまり――
「我らのために死ね……ということじゃな……」
声を強く張り上げているのは巨人の被害を受けていないシガンシナ区以外の避難民か、血気盛んな若者が多い。
巨人の目の前にしてその蛮勇を維持できるのかの……。
既に絶望という言葉を張り付けた顔、顔、顔。
葬式でもあげているような状態。
とても出陣前の様子とは言えない。
皆判っているのだ。
この門をくぐれば、もう二度と帰ることはできないのだと。
だからそこかしこで、家族と抱きしめあう者たちが居る。
そして儂にも――
「おじいちゃん!!」
「おお……アルミンか。見送りに来てくれたのか」
アルミン――愛する婆さんと儂の1人娘が生んだかわいい孫。
たった一人の大切な家族。
娘譲りの金髪は今日も太陽に照らされて輝いておる。
男なのに娘の面影が見えるのはいいことなのか判らぬが、大事なのに変わりは無い。
まだ幼く誰かの手を借りねば、この過酷な世界で生き抜くのも厳しいかもしれん。
じゃが少し離れたところには息子の友達である、エレンとミカサの姿もある。
礼儀正しく頭を下げ、アルミンの邪魔はしないようにしている。
最近の子供には考えられない程、できた幼子達だ。
だからこそ頼める。
(2人共…………息子を、アルミンを頼む。もう孫の傍に居れるのはお前達しかおらんのじゃ……)
儂は少し離れた子供らに静かに頭を下げる。
アルミンは涙をこらえながら儂を抱きしめておる。
決して、決して離すまいと。
「お爺ちゃん! どうしても……どうしても行かなきゃいけないの!? 1人くらい居なくても大丈夫だよ、だから――――」
「アルミン、聞きなさい。儂が行かなければ他の誰かが戦いに赴かなければならん。もしかしたらそこにいる母親かもしれない、あそこにいる父親かもしれない、お前の友人であるエレンやミカサかもしれんのだぞ。そうなったら、自分を許すことが出来るのか?」
「――――ッッッ!!」
ハッとした顔をして口を紡ぐ。
目を見開いて儂が指差した方向に視線を向ける。
卑怯な言い方じゃ。
指を差した方向には、子供と女性に抱きつかれ涙を流す男の姿があった。家族なのじゃろう。
おそらく父が出兵し、それを悲しみ別れを惜しんでいるであろう光景。
それは珍しくない。広場ではそこかしこで見られていた。
優しい孫は父や母、友人の事を引き出せばすぐ理解してしまう。
自分の我が儘が他人の幸せを奪っているのかもしれない、と。
それでも引き留める権利は当然ある。
だが家族をとても大切に想っている孫は、失う悲しみも知っている。
父と母と…………そして血の繋がらない――でも誰よりも慕っていた兄を失う悲痛な感情を。
自分の痛みを知るからこそ、他人の痛みも理解できる。
自分勝手な我が儘など言えない。
ぎゅっと腰に回していた手に力を込めていた。
「でも……でも……ッ! お父さんもお母さんも行方不明で、兄さんまでいなくなったのに、さらにお爺ちゃんまで居なくなるなんて僕はっ!! …………嫌、だよぉ…………嫌、なんだよぉ」
「アルミン……」
嗚咽を漏らす。
顔をあげた孫の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
ズキリと胸が痛む。
その痛みは老いたが故の物理的なものではなく、良心の呵責からくる精神的なものだった。
理由は判っている。
何故なら儂は
今回のウォールマリア奪還作戦に参加する為の報酬がある。
参加すれば本来配給されるはずの自分の食糧が家族に多めに与えられる。
さらに生活の保障もされるのだ。
参加人数を多くするためのものだが、この言葉には別の意味が隠されてある。
『参加しないなら生活の保障はしない。配給を止めてもいいのだぞ』という脅しが。
参加しないという選択肢は初めからなかった。
借りに儂に渡されるはずだった1のパンが孫に渡されアルミンは2つのパンを得られる――――わけではじゃろう。でなければ『口減らし』ともいうべきこの残酷な作戦をする意味がない。
精々半分の5割ほど増えて、残りの5割は他人に回す為に上前を撥ねられる仕組み。
その代わりとして安全の保障という名の『市民権』を得られるといったカラクリじゃろう……。
しかし育ち盛りの孫にはひもじい思いをして欲しくない。
たった一人残った家族なのじゃから。
だがそれ以上に…………儂は死にたがっていた。
(儂は嘘を付いておる……そんな理由は後付けのものだということを。危険な調査兵団への入団を止めず、娘と娘婿を失った。さらに引き取ったアオイすら死なせた。思えば後悔ばかりの人生じゃった。こんな老いぼれがのうのうと生を貪るなどもう耐えられないのじゃ…………。本当に、済まぬアルミン……儂はあの世でまず3人に謝りたい。愚かな爺で済まなかったと、そして生きることに耐えられなく、孫を残して逃げてしまったことを――)
ただの逃げ。それだけの事。
目を合わせることが辛くなった儂は若かりし頃、婆さんから誕生日プレゼントとして渡された帽子を被せる。
「アルミン……エレンとミカサと共に助けあいながら生き抜くのじゃぞ……。親友とも呼べる友は万の金を積んでも得られん。きっとお互いの存在がこれから必要になっていくはずじゃからな……」
「ひ、っく……お爺ちゃん……お爺ちぁゃん……ッ!」
誰よりも勇敢で不屈の精神を持つエレン、誰よりも強く友達想いのミカサ――――そして誰よりも優しく正解を見つけられる頭脳を持つアルミン。
3人が揃えば、どんな危機だって乗り越えられるはずじゃ。
(ただ欲を言えば――――)
底抜けに明るい、太陽の下で大輪の笑顔を浮かべた、血の繋がらぬ子供を思い浮かべる。
誰からも愛される不思議な魅力を持ち、眩いくらい『希望』という言葉を体現した人物が脳裏に浮かんだ。
何故か絶望すらもひっくり返せると無償の信頼を寄せてしまう子供を。
もう居なくなってしまった人の事を。
(何故かあの世でも無邪気に騒動を起こしている姿しか想像できんな……本当に、儂はアイツだけは引き摺ってでも連れて行くべきじゃった……ッ!!!)
その時、トロスト区の南門から声が聞こえた。
「しゅっっっぱぁぁぁつ!! 開門せよっ!! 人類の底力を巨人共に見せつけるのだぁぁぁ!!!!!」
後悔先に立たず。
静かになった孫を背にとうとう門は開かれた。
ガヤガヤと周囲の人間は進み始めた。
ふと見上げて目に入った太陽は、滲んでボヤけていた。
『口減らし』を目的としたウォールマリア奪還作戦が発動。
何度も失敗し後悔しながらも立ち上がったアオイ。
次回はアオイが巨人達相手に決死の戦いが繰り広げられます。