生還――だが終わりはまだ遠く
俺は昏い闇の中に漂っていた。
体験したことはないが宇宙空間というのはこんな場所なのかもしれない。
1つだけ存在するものがある。
かちこちと単調に時を刻む時計だ。
俺は死んだのか……それとも夢を見ているのかは分からない。
ただ遠くからどこかで聞いたような声が木霊する。
――俺が……選択を間違えたから……俺が仲間を信じたいと思ったから、皆死んだ……俺が最初から自分を信じて戦っていれば……最初からこいつをぶっ殺しておけば――
男の声が聞こえる。
怒鳴るというより、悲鳴にも似た声で辺りに響き渡った。
これは判る――エレンの声だ。
だがどうして彼は叫んでいるのだろうか。
また理不尽な現実に叩きのめされようとしているのだろうか。
――大丈夫だ……エレン、お前は間違ってないんだ……選択肢は誤ったかもしれない、力が足りなかったかもしれない。でも、仲間を信じたお前の判断は決して……決して否定するべきものじゃない。俺がその選択を正解にしてみせる……ッ!――
――何も捨てることができない人には、何も変えることはできないだろう――
声変わりも始まってないような中性的な声だ。
でも声の端々に見え隠れする力強さは男の子の証。
アルミンの声だ。
いつだったか言っていた気がする……いや近い未来使う言葉だったかもしれない。
等価交換みたいな言葉だ。
対価を払わねば得られないという言葉。
格好いいけど、説得力があるけど、どうしてだろう……納得いかない。
心の奥底で駄目だと叫ぶ俺がいる。
――本当にそうなのだろうか……捨てる……犠牲を無くしたい、誰も死んで欲しくないと願う俺は……捨てることを拒絶する俺は、なにも為すことができないのだろうか。違う。違う。違う……。青二才が描く理想の絵物語。でも、俺がひっくり返す。返してみせる。俺が全部まとめて抱え込んでみせる……ッ!――
――この世界は残酷だ……そして……とても美しい――
鈴を鳴らすような声が聞こえる。
芯の通ったその響きは誰だかすぐ判った。
ミカサだ。
同感だ……世界は残酷な面ばかりみせる。
でもそれだけが全てじゃない。
無邪気に走り回る子供達、空を飛ぶ鳥達、世界中に咲く花々。
美しいものがたくさんあるんだ。
――でも、この世界はそんな美しいものを碌に見ることができない……気軽に電車で海辺の街へ、なんてできない。世界に散らばる美しいものを見ることができない。巨人が阻んでいるから、壁が世界を仕切っているから……そしてまだ見ぬ暗闇が裏に潜んでいるから。巨人の正体はぼんやりとだけど予想はできている。でも倒さなくちゃいけない……大切な人を守りたいから。俺が絶対に暴いてみせる……ッ!――
――狭い壁の中に満たされるのは黒い絶望。一滴の白い希望はどこに垂らされるのだろうか。そもそも希望などという陳腐な言葉がこの世に存在しているかもわからない。私は一体なにを求めればいいのか、わからない――
悔恨の交じった声は慟哭する。
男の声、だろうか?
誰かわからない。
何故か幽霊みたいに透明な女性がふらりと現れ、男を慰めるようなに声を掛けた気がする。
時折、嗚咽しながら響いた声は静かに消えた。
――希望という言葉は使い古されているけれど、それを求めなくなったらお終いだ……手を伸ばして掴もうしなければ、決して訪れることはない。だったら馬鹿になってでも追い求める。必ず答えはあると信じて……ッ!――
声が聞こえなくなり、静寂が空間を支配した。
ふと上を見ると光が見えた。
ポッカリと開いた円形の穴からは暖かい風が流れ込んでくる。
あそこを抜ければ帰れると、本能的に理解した。
手を伸ばし、そこへと向かう。
そのとき声が脳内で聞こえた。
それは老若男女のどれでもない不思議な声だった。
――希望を求める兵士よ、運命を変えたいですか?――
誰か判らないが答えは1つしかない。
――当然――
沈黙。次の声が聞こえる。機械的な声だった。
――了承と判断、運命スキル『希望の兵士』発動……これ以降、ミッション報酬は不規則変化を起こします――
不規則変化……?
――不規則変化って?――
質問に応じたのか分からないが脳内に情報が流れてくる。
スキル変化!
【運命】希望の兵士→希望の変革者:運命の女神は変革を認める。『絶望を希望に変えんとする者よ、遍く未来は定まらず』――スキル効果、ミッション報酬変化。決まり切った未来は訪れない、未来は誰にも分からない。通常以上の成果を得られる場合もあれば、報酬を達成しない方がいい結果を生む場合もある。しかし、時には避け得ぬ絶望すら希望へと捻じ曲げることもある能力。
1で1通りの成果を得るわけじゃなく、プラスにもマイナスにも変化すると……。
使い勝手が悪くなる代わりに求める未来すら得られるかもしれない。
――ありがとう……俺は頑張る。皆を助けてみせる……――
世界が真っ白に輝く。
パキリと何かが壊れ始める音がする。
最後、耳に届いたのはクスリと笑う女性の声だった。
頑張って……と応援された気がした――
「はっ!? ……ここは……?」
長く夢を見ていた気がする。
木造作りの部屋。
部屋内は今横たわっているベットの他には机と椅子、申し訳程度に花瓶があるだけの殺風景。
窓は開いており、暖かい春風が甘い花の香りを伴って入り込んでくる。
外からはがやがやと人の声が聞こえる。
馬が駆ける音や馬車が走るとき特有のがらがらと鳴る音も耳に届く。
どうやら巨人の居ないウォールローゼ内には入ってこれたようだ。
意識を失う直前のことはあやふやだが、ネス班長やアレクさん達のことは覚えている。
恐らく気を失った俺を連れてきてくれたんだろう。
メニューを表示したがキチンとじーさんの内容も達成できている。
一安心してドアの方向を見るとがちゃりと開き、誰かが入ってきた。
俺はその人物を認識して一瞬息を呑んだ。
大声を上げて驚かなかったのを褒めてやりたいくらいだ。
何故ならその人物とは――
「どうやら、丁度いいタイミングで来れたようだ。君がウォールマリアからの生還者、アオイ・アルレルトで相違ないな?」
ピクシス司令からは『小鹿』と言われていた男だったからだ――
暖かいはずなのに背筋には嫌な汗が流れる。
その原因は目の前の男性が原因だ。
いかつい顔つきだが、大量の汗をかいている。涼しいはずなのに。
だがその目はこちらの奥底を覗こうとしているように感じた。
キッツ・ヴェールマン……駐屯兵団の隊長で重要拠点であるトロスト区を任されている。名前で判らない人は『小鹿』と言えば原作を知る人は理解できるだろう。非常に繊細な人物でいつも大量の汗をかいており、駐屯兵団司令官ドット・ピクシスからは「小鹿のようだ」と称されている。850年、トロスト区襲撃の際は巨人の恐怖から巨人化能力を有していたエレンを砲撃したり、補給本部を訓練兵に任せ自分は前線から退くなど良いとこ無しの人物だが、それもひとえに人類の為という想いからの行動。融通は利かないが、指揮官としての実力は確かであり、決して無能ではない。
今も鋭い目つきでこちらを観察している。
相手の出方が予想できない以上、俺も不用意な事は言えず、軽い膠着状態が続いていた――が意を決したのか、椅子を引っ張りだして座り、キッツ隊長はこちらに問いかけ始めてきた。
「私はキッツ・ヴェールマン。駐屯兵団の隊長でトロスト区を担当している。病みあがりで申し訳ないが、君にいくつか質問したい。いいだろうか?」
「はい大丈夫、です」
「では早速……君が持っていた制服と立体機動装置、それは駐屯兵団の物で相違ないか?」
「……はい」
拙い……その事を聞きに来たのか。
無断拝借の件について問いただしに来たのだろう。
服はともかく立体機動装置は兵器だ。
現実で言えば、自衛隊の制服と銃器を勝手に持ち出して無断使用するようなもの。
明らかな犯罪行為だ。
確認するようなもの言いは既に調べが付いているのだろう。
俺に言えることは肯定することだけだ。
下手な嘘は墓穴を掘ることになる。
質問は続く。
「アオイ君、君は巨人のシガンシナ区襲撃の際、
「は……はい」
違和感を感じた。
何故か偶然という部分を強調して言ったように思えたのは気の所為だったのだろうか?
キッツ隊長は後ろに控えていた駐屯兵の1人――生真面目そうな兵士の方へと振りかえり、
「――おい、規則では――」
「――問題無く――――資料では――――あるので――」
分厚い本を片手に小声でなにやら話していた。
よく聞き取れない。
また質問してきた。
「君は運よく鎧の巨人の攻撃を避けた後、どうやってウォールローゼまで来たのか、教えて貰ってもいいだろうか。こちらとしてはどういった経緯なのか知らなくてはならないのでな」
質問というより、尋問に近い。
だが無言で返すのは状況を悪くするだけだろう。
俺は正直に話すことにした。
射抜くような視線に誤魔化しは不可能と判断したからでもある。
「立体機動装置を使って壁上に登り、そこから東区へと向かいました。そこで門を閉鎖し、東区内の巨人を殲滅。春になったのを見計らって、ウォールローゼを目指しました。馬は農場から逃げ出したであろう野生化していた馬を捕まえ調教しました」
「ふむ……立体機動は調査兵団で習ったんだったな。ああ、気にしなくていい。調査兵団から
「昔から夜目が利くので暗くなって活動が鈍ったところを狙いました」
「なるほど、確かにそれなら不可能ではない、か。だが何故、春まで待った? すぐさまウォールローゼに向かってもよかったのではないか?」
「地表は巨人が徘徊していたので壁上から歩いて東区に向かい2ヵ月かかりました。馬も調教に時間がかかりましたし、そうこうしていたら秋になっていました。冬になったら雪で行動が阻害されることもあり、春まで待って行動を開始したのです」
少々嘘が混じっているが概ね間違いではない。
人類の『口減らし』作戦が行われるのを知っていましたと言えるわけないのでこの返答は間違いじゃないはずだ。
「そうか、しかし調査兵から聞いた話では今回行われたウォールマリア奪還作戦について予期していたような言動をしていたと聞いたのだがそれについてはどうなのだ?」
くッ!?
アレクさん達に話したことか。
あのときはこんなことになるとは思ってなかったから油断した!
拙いな……未来を知っていましたと言うわけにもいかないが下手なことは言えない。
脳裏でカンカンと生存本能が警鐘を鳴らしている。
返答を間違えると危険かもしれない。
最悪、牢屋に入れられて一生を終えかねない。
キッツ隊長は任務に忠実すぎるきらいがあり、下手を打つとこっちの命すら危ぶまれる。
慎重に話さなくては……。
「……春まで待ったのは偶然に近いものもありますが、確かにある程度予期していたのは事実です」
「そうか、それで?」
「巨人に住む場所を奪われ避難民がウォールローゼ内に雪崩込む。住む場所が減り、人口が増えれば食糧が足りなくなるのは必定……だけど、前代未聞の事態にですからすぐ行動には移せない。1年程時間をおいて行動するのではと想定はしました。巨人がより人の多いところに引きつけられる性質は知っていましたし、毎日巨人を観察しつつ日々を過ごし、春になってそろそろ人類も行動を起こすと考え、一か八かウォールローゼ近くの巨大樹の森を第一目標として向かいました。あそこなら生半可な巨人では届かないほど高い木々に覆われてますし」
「確かにそうだな……子供にしては聡いが、君が長距離索敵陣形の原案を考えた天才ということは調査兵団団長から聞き及んでいる。おかしくはないな……」
まさか、うっかりやらかしてしまったあの手紙がここで生きるなんて誰が想像できただろうか。
普通の子供なら頭が回り過ぎて、不気味だとかおかしいとか思うものだけど。
エルヴィン団長か……キース団長かは判らないけど口添えがあったのかもしれない。
世の中なにが功を奏するか判らないなほんとに……。
「ちなみに君はどうやって巨大樹の森まで行けたんだ? 馬があっても巨人が徘徊する中で容易ではないだろう」
「森を突っ切りました。森なら木々が邪魔して大型は行動を阻害されますし、居ても木を倒す音で発見しやすいですから。それに夕方から出発して、森を走っている間は夜間でしたので巨人の活動も著しく鈍った状態だったのも良い方に作用したのだと思います」
「賢明な判断だな……よし、ここまででいいだろう。病みあがりに質問して悪かったな、これも仕事だから気を悪くするな」
「あー、はい。分かってます」
「よろしい。おいお前!」
「はっ!」
「エルヴィンに゛例の件゛は承諾したと伝えろ。後、紙もきちんと頂いておけ。最近羽振りがいいから問題ないだろう。対価としての貸出の件は譲らないともな」
「了解しました!」
兵士が部屋を出て行く。
話が見えない。
例の件? 対価? どうもエルヴィン団長と密約を交わしているのは判るのだが……。
キッツ隊長は話は終わったとばかりに立ちあがりドアへと向かう。
最後に彼は手に持っていた1枚の紙をひらひらとさせながら予想外の人物の名を上げた。
「リコ・ブレチェンスカとシガンシナ区の兵士達に感謝するのだな」
「え、それはどういう……?」
「ふん……また会うことになるだろう。ではな」
こちらの疑問には答えず、コツコツと靴音を鳴らしながら去っていった。
俺の知らないところで事態が進行しているようで少し気味が悪かった。
小鹿さん登場。
彼もまた1人の立派な兵士だと思います。
びびりなところがありますが。