キッツ隊長が去っていった。
バタンとドアが閉められ数分後、
「…………ふぅ~~~っ、緊張した~~~」
ボフッと音をたてながらベットの上で横になる。
いきなり動いた所為かぼきぼきと音がなる。
筋肉が凝り固まっているのかもしれない。
それにしても酷く疲れた。主に精神的な面で。
大学のセンター試験とは比べものにならない。
年長者特有の威圧感というのだろうか。
単純にキッツ隊長の鬼気迫る表情もキツイ。
あれが素の表情なのかもしれないが、ぎょろっとした目と体格ががっしりしていることも物理的にも精神的にも圧迫感がある。
地球では大学生だったので社会経験はバイト(ファミレス)しかない。
その店長も温和でいい人だった。
学生ではなく社会人として社会の荒波に揉まれていれば、また違った印象を抱いていたのかもしれないが……。
「はははっ、どうやらこってり絞られたようだね」
いつの間にかエルヴィン団長が入り口にいた。
俺は慌てて姿勢を正す。
「ってうわ、エルヴィン団長!? すいませんゴロゴロしていて」
「いや問題ない。病み上がりなんだ、ゆっくり寛いでいてもいいだろう。ノックするのを忘れていたのは申し訳ないけどね」
「いえいえ……」
エルヴィン団長は穏やかに笑う。
厳しい表情や無表情ばかりする印象が強かったので、少し意外に思った。
彼は姿勢正して言う。
「それよりアオイ君」
「はい」
「よく無事だった。君の帰還を調査兵団の団長として……そして個人としても言わせて貰おう。よく、頑張ったな……」
「……ッ! は、い……っ!」
何故だろう、凄く安心して体の力が抜ける。
力が抜けたついでに涙腺も弛んだのか、ポタポタ……と涙がこぼれ落ちる。
1年の大半は、門を閉鎖した東区で過ごしたとはいえ、本当の意味で心が安らいだ日はほとんどない。
いつ巨人達が襲いかかるか判らない恐怖があった。
マップ機能を駆使しても安心できない。
生きるか死ぬかの極限状態で1年間を過ごしてきたんだ。
(俺は――ちゃんとウォールローゼまでこれたんだな……)
感慨深いものを感じる。
色々な奇跡が重なった結果だろう。
手紙を出したことで調査兵団の面々と知り合い、戦い方を習わなかったら。
ハンネスさん達に立体機動を習ってなかったら。
立体機動装置が南門付近になかったら。
例を上げればキリがない。
その中でレナの存在は特に有難かった。
彼女は戦闘面では活躍できなかったかもしれない。
だけど東区の存在を教えてくれた。毎日の話相手にもなってくれた。寝ずの番もやってくれた時もある。
その時、俺は奇行種が突撃した所為で頭から血を流していた彼女を思い出す。
じーさんも気を失っていた。
あの後どうなったのか気になった。
涙を流している場合じゃない!
「そうだ! エルヴィン団長、レナとじーさんは無事だったんですか!」
「ああ……そのことについて君に伝えることがあったんだ」
顔を伏せて言い辛そうにする。
もしかしてなにか問題が!?
「もしかして酷い怪我でも――」
「すまないな、紛らわしかったか。大丈夫だ、2人とも無事だし、怪我もそこまで酷い訳じゃない。シャンレナ嬢はアレス氏を瓦礫から身を挺して庇ったので数か所の打撲と頭部の裂傷は負った。派手に血を流しているようだったが医者の診断では軽傷だそうだ。実際、彼女は目を覚ました途端に暴れて無理やり君のところまで行こうとしたくらい元気だったよ。アレス氏に説得されて大人しくなったがね。彼は庇われたおかげでかすり傷しか負っていないから大丈夫だ」
「あーーなんというかスイマセン……」
俺はバツが悪そうにそう言う。
レナもじーさんも思ったより大丈夫そうでよかった……。
というかレナが暴れたことにちょっと済まない気持ちになったくらいだ。
エルヴィン団長は特に気にしていないようだった。
「彼女は君が助けたんだろう? 本人がそう言っていたしね。なら恩人の安否を気にするのも仕方がないだろう。昨日は君の祖父と一緒に見舞いにきてじっと手を握っていたよ」
「あの……俺は一体どのくらい眠っていたんですか?」
「丸3日間眠っていたよ」
「3日間!?」
どんだけ眠っていたんだ俺は!?
直接ダメージを受けるようなことも無かったはずなんだけど……。
「医者の診断では君はかなり疲労していたらしい。恐らく今まで蓄積していた疲れが噴出した結果ではないかな。既にウォールマリアは巨人が徘徊する危険地帯だ。寝てもぐっすり休めていなかったのではないかな?」
「そう、ですね。あれ、でもそうすると何故エルヴィン団長は先ほど言い辛そうにしていたんですか?」
「ああ……それなんだが……」
また表情を翳らすエルヴィン団長。
無事ならそんな申し訳なさそうにする必要もないのに。
「2人は既に開拓地へと向かってしまったんだ」
「え!? 待ってください、怪我をしていたんでしょう、だったら少しくらい――」
「彼らは軽傷だったがそれ以外にも重傷者がたくさん居たんだ。特に兵士は優先して入院させられる。それ以外の人々は元々無事だったら開拓地へ向かわせることは上の方で決定事項だったんだ。君には悪いと思ったんだが命令である以上我々も口出しが出来なくてな……すまない」
「あの、レナとじーさんはなんか言っていましたか?」
無事と判ったのはいいものの心配なのには変わりない。
せめて顔を見たかったのだが。
「シャンレナ嬢は『無事でよかった。力になれなくてごめん』と申し訳なさそうに言っていたよ。慌てて君の無事を確認した後は会わせる顔が無いと自分を責めている風にも見えた。同い年の君が戦っている横で見守るしかない自分が情けないととれる発言もしていた」
「そんなことないってのに! アイツは……自分の責める必要なんてないのに……」
「外野の人間である私が言うのもなんだが……それは少々傲慢が過ぎるぞアオイ君」
「傲慢、ですか?」
真面目な表情で彼は話す。
「誰だって親しい人間とは対等でありたいと願うものだ。聞くところによると彼女は守られてばかりだったのだろう? 自分が守っていればいいと思い込むのは強者の傲慢だ。君が兵士で彼女が市民ならそれも有りかもしれない。だが実際は違う。恩人であり、友人であり、なにより同い年の子供である君におんぶにだっこでは、情けないと思う気持ちも理解した方がいい」
「待ってください! あの状況では俺が戦うのは最上だったと思います! それが間違いだったと言うんですか!? 誤りだと言うんですか!?」
「若いな……。君は聡い――故に物事を善悪、正邪の2極論で語りやすい。だが正義がすべからく正しいとは限らない。誰かの正義は誰かの悪だ。それはわかるね?」
「それは、分かりますが……」
それは知っている。
極論で語れば、この世の全ては正義であり、悪など存在しないと。
正義とは即ちその人にとって正しい……いや都合がいいともいえる。
いつかアルミンが言っていた言葉を思い出す。
それは過去ではなく、未来の言葉。
「○○ってさ、実はけっこう優しいよね、でも協力してくれないなら、○○は僕にとって都合の悪い人になるね」
前後のやりとりもあるがこれも見方を変えれば正義と悪の関係になる。
ようは誰かにとって都合がいい、納得できるなら正義であろうし、逆なら悪にだってなると。
アニメなどでよくいる魔王のように、純粋な悪などいない。
エルヴィン団長は優しく諭すように言う。
「君の行いが傲慢とは私の意見だ。シャンレナ嬢の意見はまた違うだろう。ただ……それもわかった上で、前を向いて歩いて欲しい。君は他者の痛みを理解できるだろうからな……」
「……く……はい……」
俺は知らず知らずの内に守れればいいやと思っていたのだろうか?
皆を守ると豪語して、何時の間にか人の心までは考えないようになっていたのか?
くそ……俺は……。
俺が自分を責めているとエルヴィン団長は少し表情を緩めながら言う。
「――と少し説教をしたところでもう一人の伝言だ」
「もう一人……じーさん?」
「ああ、1つは『無事で本当によかった……』と君の無事を喜ぶもの。もう1つはシャンレナ嬢の言を聞いた後の言葉――『人の強さとは、知恵でも腕力でも群れることでもない……お互いを想いやるその心こそ真の武器と成り得るんじゃ。じゃからアオイ……自らの力だけで解決しようとするな。お前が誰かを助ければ、助けた相手もお前を助けたいと願うじゃろう。そうして繋がった想いの輪が広がれば、どんな苦難も跳ね返す力となろう……儂とてお前の手助けがしたいんだから、無理だけはするんじゃないぞ!とね』」
「じーさん…………あーもう、亀の甲より年の功ってか。重みのある言葉をくれやがって……」
その言葉だけで随分救われるよ、ほんと。
肩肘――張ってたのかなー……。
「どうやら君の助けになったようだな」
「ええ、最高の親ですよ。有難くて耳が痛くなります」
「そうか。それはなによりだ。話が落ちついたところで現状を話したい」
「はい判りました」
エルヴィン団長はまた真面目な表情に戻す。
部屋の温度が下がったように感じた。
どうやらこれからが本題のようだ。
「これは先ほどの話しにも通じるがシャンレナ嬢とアレス氏を早々に開拓地へ行ってもらった件にも関係する」
「……元々開拓地へはすぐ行ってもらう予定だったのでは?」
「もちろんそうだが、そこに君の存在が絡むと事態は少々厄介になるのだ。先ほどキッツ・ヴェールマンが来ただろう、彼は必要な調書を取りに来ていたんだ。君が立体機動装置を無断使用したことを憲兵団が嗅ぎつけた――というよりシガンシナ区で君が巨人相手に奮戦していたことで元から知っていたのだが、君が死亡していたならともかく生存していたとなると問題になるんだ。彼らが騒ぎ始めた」
「兵士でもない少年が立体機動装置を無断使用……犯罪行為だから、ということですか?」
「そうだ。どうも憲兵団がかなりしつこく君の周囲を探っている。シャンレナ嬢も立体機動装置を所持していたからバレた場合君の立場は非常に危ういものとなる。だから開拓地へ送ることで有耶無耶にしたんだ。たが君は違う。目撃者が多数いる以上誤魔化すことはできない。憲兵団は立体機動装置の無断使用は重罪だと君を裁判にかける用意まであるようだ。最悪、処刑される可能性さえある」
「処刑!? 確かに俺のやったことは犯罪かもしれません、けど皆を守る為にやったんですよ!?」
「ああ……正直彼らがここまで過剰に反応するのもおかしい気がするのだが、向こうがそう言っている以上冗談ではないだろう。こちらも備える必要がある」
勘違いしていたのだろうか、俺は。
確かに現代と違い、犯罪行為は重罪として処理されやすいかもしれない……日本人的な大丈夫だろうという甘い見方がここに来て完全に裏目となったわけだ。
1年前の俺をぶん殴りたい。
でもあれがなければ、カルラさんが巨人に喰われるのを阻止したりできないし、レナの命も救えなかった。
どう選択しても駄目な未来しか見えない……。
俺は自分の迂闊さに拳をベットに叩きつけていると、エルヴィン団長が安心させるように話を続けた。
「大丈夫だ。君が誰かを助けようとした行動はキチンと周囲の人間に伝わっている。少なくとも調査兵団は全力で君を擁護する。駐屯兵団も同様だ。だからこそ君に聞きたいことがあるんだ」
「聞きたいこと、ですか?」
「君は1年間巨人の恐怖と対峙し続けてきた。それでも尚、戦い続ける覚悟があるか? 喰われて惨めに死ぬかもしれない壁外へ再度向かう覚悟があるか?」
冷徹ともいえる目つきでこちらを見るエルヴィン団長。
心の奥底まで見通し、心臓を鷲掴みされたような錯覚さえ人に与えかねない――――戦う覚悟の無い人なら。
だが俺は――
「そんなの答えは一択しかありません」
「ほう」
俺も目に力を込めてエルヴィン団長を見つめる。
それは愚問だというように。
「死んだ人達の為に……人類の為に……なにより大切な人達の未来の為に、俺は死ぬその時まで戦い続けるまでです」
「その結果が無残な死でも?」
「死ぬつもりはありません、死ぬ覚悟もありません……だって勝つつもりですから。巨人にも……
「なるほど」
スッと目を細めるエルヴィン団長。
沈黙が場を支配する。
彼が最後に込めた言葉に対して指摘することは無かった。
ただ瞑目してしばらく時が過ぎる。
数秒かもしれない、数分かもしれない、数時間かもしれない――その時間はとても長く感じた。
昼間なのに部屋が薄暗い。
太陽が雲に隠れているのだろう。
空を流れる雲が隠していた太陽を過ぎるころ、エルヴィン団長は表情を崩した。
「なら問題ないな……脅すようなことを言って悪かったな。君の意志こそが今回の最大の焦点だったんだ」
「あの……俺は大丈夫なんでしょうか?」
「100%大丈夫、とは断言しないが勝算は十分にある。君の祖父の言ではないが、君1人で出来ることは恐ろしいほど少ない。周りを頼っていいんだ。今回のことは君がいままでしてきたことの結果かもしれないな。さて――」
そう言うとエルヴィン団長は部屋の引き出しから紙を取り出す。
「ヴェールマンに話した内容を私にも教えてくれるか。対策を練らなくてはならないからな」
「判りました。えっとまずは――」
この後、シガンシナから帰還するまでの事を話したあとエルヴィン団長は部屋を去っていった。
具体的な対策は聞けなかったが、大丈夫だと自信に満ちた表情で語る彼には十分な勝算があるのだろう。
俺は彼が去る前に1つだけ聞きたいことがあったので聞いてみた。
「エルヴィン団長」
「なんだ?」
「どうして俺にそこまでしてくれるんでしょうか? その……極端な話、兵士でもない野郎ですし――」
それを聞いたエルヴィン団長はきょとんとしたあと大笑いしながら答えた。
「はっはっはっ!! アオイ君は自分がどれだけ凄いかよくわかっていないな」
「は、はぁ……」
「団長としての立場で言わせてもらえば、一般兵なら30人がかりでやっと巨人1体を倒せる。確認したが君は既に13体の巨人を倒しているだろう。しかもほぼ単独で、だ。390人分の兵士に匹敵する活躍を既にしているんだ。これがどれだけ希少なのかを君は理解した方がいい」
「あー確かにそうなんですけど……」
「人類が既に追い詰められていると言っていい状況の中、君は既に人類の希望となりつつある。シガンシナ区の住民、兵士、そして今回の奮闘も含めて多くの人々を助けている。なにより――」
「なにより?」
「長距離索敵陣形を完成させた君をこのまま死なせたくないと私が思うからだ。私とて君を助けたい、ということだ」
エルヴィン団長は朗らかに笑いながら、そのまま退出していった。
重くかった肩が少し軽くなった気がした――
キッツ隊長とエルヴィン団長と話したあとの数日間。
以前知り合った調査兵団のメンバーが見舞いに来て退屈しない日々を過ごしていた。
そんなある日、俺は意外な人物と出会っていた。
それは雨が降るある日のこと。
ネス班長が見舞いに来ていたときに起こった。
「よう! お前がアオイ・アルレルトって言うんだよな。俺はオルオ・ボザド――今年調査兵団に入団した新兵なんだよ。ま、よろしくな!」
オルオ・ボザド――未来のリヴァイ班の中ではトップクラスの巨人討伐数を誇る人。
ぺらぺらと喋ってよく舌を噛むことでも有名な人の登場だった。
レナはとりあえず降板です。
846年はしばらく続きます。