カッカッカッカッ・・・。
まるでどこかの宮殿のように設えられた廊下を、一人の女性が歩いていく。規則正しく刻まれる足音が、静かな廊下に反響していく。その足音と呼応するかのように、女性の赤銅色の髪が左右に揺れる。窓から覗く日の光が、壁面に描かれた煌びやかな模様を輝かせた。壁にところどころ置かれた燭台は、なにか動物を模ったかのような造りだ。それらが闇夜の廊下を照らす灯りとなり、さぞ幻想的なのだろう。一方で、火に照らされた影の姿がまるでこちらを食いちぎるような形となり、恐怖を抱かせるとも言われている。だが女性は別段気にもせずに、確かな足取りで進んでいく。長い長い廊下を歩き続いていくと、次第に別室の扉の数も燭台の数も少なくなっていく。そして漂うのは、暗く、重く、そいて締めつけられていく圧迫感。
カッカッカッカッ・・・・・・カッ。
しばらくは小気味よい足音が響いていたが、その音は女性が止まったことで終わった。立ち止まった女性の目の前にあるのは、彼女よりも大きく形作られた扉。青銅色の扉から感じるのは、無機質冷たく、重い印象。まるで誰一人として通すことを許さない、そんな威圧を放つ鉄の扉だ。だが、それこそがこの扉の役目なのだ。そもそもこの扉は、とある理由がない限りは開けるどころか、
だがそれを目の前にして、女性が見せるのは笑顔。口元をニンマリと歪め、そこから覗く綺麗に並んだ歯がとても美しい。そこから溢れるのはただただ歓喜。それは宝探しをして、秘宝が隠されているだろう洞窟に足を踏み入れるワクワク感に近いのだろう。もしもこの姿を見たのなら、彼女のあまりの美しさに目を逸らさずに動けなくなるか、気を失ってしまうだろう。その笑顔のまま、女性は扉のハンドルに手をまわして・・・・・・バチンッの音と共に手が弾かれた。弾かれた手を見れば、そこには微かな火傷跡があり、焦げた肉の匂いがした。
「ふむ」
その手をしばらく見つめた後、女性は弾かれたにも関わらず、もう一度取っ手を握った。だが不思議なことに、先ほどは弾かれたはずが、まるでそんなことなどなかったかのように、その手は取ってしっかりと握ったのだ。そして彼女はそのまま取っ手を捻り、そのまま扉を開けたのである。ゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・と、その大きさからして重いはずの扉は、その重さに違わぬ音を出しながらも、ゆっくりと開いていく。そして開ききった扉を確認すると、女性は取ってから手を離し、中へと入っていく。取っ手を握っていた手は、まるで熱湯に手を突っ込んだかのように真っ赤に染まり、一方で握られていた取っ手は、まるで高温で溶かされたかのように変形していたのだった。
カツンッカツンッカツンッカツンッ・・・。
青銅の扉を開け、そこから地下へと続いていく階段を下りていく。ポツリポツリと置かれた燭台の火だけが、うす暗く、そして狭い階段の唯一の明かりだった。カツンカツンと無機質に響く足音だけが唯一の音であり、そこには無機質なほどに静寂だった。そしてどこまででも続く螺旋階段を下りていく様は、まるでどこまでも堕ちていくような感覚に陥らせるかもしれない。底なし沼に沈んでいくように、大蛇の胃へと押し込まれていくように、一歩一歩降りる度に、扉の比にならない圧迫感が襲ってくる。そんな中、階段を下りていく女性は笑顔であり、上機嫌なのか、更に鼻歌まで歌いだしている。そしてようやく階段が終わり、女性は鼻歌を交えながら、そのまま部屋へと入っていく。
その部屋は真っ白に統一されていた。隅々までも白であり、そこには埃やごみと言った汚れ黒色さえもなかった。壁も床も、そして天井さえも、純白の雪のように真っ白だった。唯一、別の部屋へと区切る扉だけが、その真っ白の世界に唯一存在する黒色だった。女性はそのままその内の一つへと歩き、足を止めた。部屋の中を確認するために、扉に開いた小さな隙間から覗きこみ、
彼女はついに宝物を見つけたのだった。
「じゃあね」
その言葉が、今も楔のように私の心に突き刺さっている。あの人は私を置いて去っていった。あの真っ赤に染まった世界に私だけを残して。鉄臭い異臭に満たされた部屋。目の前にはまるで噴水のように真っ赤な水が噴き出ているナニカ。真っ赤に染まった右手をペロリと舐め、全身を真っ赤に染めたあの人。あの人が着ていた着物は、ところどころが真っ赤に染まり、綺麗と思ったその美しさを穢していた。
そして私にニンマリと微笑み、あの人はそのまま私を置いて消えた。何が起きたのか分かっていなかった私を一人残して。何も分からず、まるで何が起きていたのかすら解らなかった私は、何かが壊れた音が聞こえ、そっちの方へと顔を向けた。そこには大きな穴が開いた扉と、扉だった木材の残骸があった。どうやら誰かが扉を吹き飛ばしたようだった。そして誰かの叫び声が聞こえ、誰かの怒号が聞こえ、そして私は何かに強く殴られ、床に倒れこんだ。どうして?と思った私だが、そのまま身体を抑え込まれ動くことが出来なかった。私を抑え込んだ人たちの目は、まるで私を忌み嫌うように、侮蔑するように、憎悪するかのように見下ろしていた。
その時の私は、『どうしてあの人は目の前から消えてしまったの?』ということしか考えられなかった。あの人は私に笑っていた。『一緒に生きよう』と言ってくれた。『私が守るからね』と言ってくれた。でも、あの人はここにいない。私が抑え込まれて苦しんでいるのに、私を助けに来てくれない。
『どうして?どうして助けてくれないの?私を守ってくれないの?痛いよ、苦しいよ、助けてよ・・・』
そう思う私の前に、あの人が来ることはなかった。私を守ると言ってくれたあの人は、守ってくれるどころか自分の行った業を私に押し付けて逃げたのだ。あの人が行った罪が私の身に降りかかったのは変えられない事実だ。
あの人は何の理由か自分が仕えていた主を殺した。周囲からは、力を振るう快楽に溺れ暴走した、なんて言っていた。だがそんなことは、私には関係なかった。私にとっての事実は、私はあの人に置いていかれ、あの人の業を背負わされたことだ。
あの人は私に優しかった。いつもいつも私を抱きしめてくれた、頭を撫でてくれた。ぎゅうっと抱きしめられた時の暖かさを、頭を撫でてくれる手の柔らかさを知っているのに、あの人との時間を覚えているのに、もはやそれは灰色に色あせた。私の心は空っぽになった。
あの人の行いによって私の人生は変わった。周りからの罵倒、敵意、憎悪、恐怖、殺意、嘲り、嘲笑、罵声、暴力、エトセトラエトセトラ。まるで巨大な波に呑まれたように、私は悪意の波に打ちつけられ、その海に沈んだ。
『殺せ。死ね。化け物め。処分すべきだ。死ね。首を斬ろう。処刑だ。死ね。化け物。惨たらしく殺そう。死ね。見せしめに四肢を捥ぐべきだ。殺す前に犯そう。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね』
光もなく、狭く真っ暗な闇の中、私はその言葉を聞かされ続けた。手足に残る枷の冷たい感触、壁に打ち付けられた鎖が、私の全てを縛りつけた。石の冷たい感触に包まれ、日の光すら見られず、もはや時間の感覚さえ分からなくなった。汚れて異臭を放ちだす身体、腰まで伸び続けた髪、空腹を訴えるお腹の音、黒ずんでいく世界の中で、それでも私は生きていた。でもそれも長くは続かなかった。それほどまでに、私は悪意の海に沈んでいた。
「もう、いいや」
ぽつりと、私は呟いた。
「私は生きていてはいけないんだ。私は死ぬべきなんだ」
もはや何も思えなくなっていた。私を捨てたあの人のことや、私自身の命さえも興味を失くしていた。このまま死のう。もう生きていても意味なんてない。このままただ生きているならいっそ死んだ方が・・・。
食べることを止めた。動くことを止めた。考えることを止めた。何もかもが無意味に思えた。そして生きることさえも諦め、そしてゆっくりと意識すらなくなっていった私が思ったのはただ一つ。
ああ、やっと終わる。
そんなことを思っていた私は、汚泥と異臭に満ちた部屋で意識を捨てようとし、
『勝手に死なれては困るのだけど?』
そんな声が聞こえ、轟音と共に光が差し込んだ。
『上の奴等は揃って馬鹿しかいないのかしら?どいつもこいつも自分の保身にしか興味がないから仕方がないかしら』
扉から漏れた光を背に、それは私を見下していた。光の眩しさに目が眩み、声からして辛うじて女性だということが分かった。
『危険だから処分しろ・・・ねぇ?はぐれを生み出さない為に見せしめにするですって?ククク・・・確かにそれも一つの方法だな。恐怖による統治、いかにも私たちらしいやり方。それがいつか、自分たちの首を絞めていくことに繋がることを除けばな。そもそもそうなった原因を作り上げたことを棚に上げて、好き勝手ほざく阿呆どもめ。まったくもって度し難い』
言葉は微かにしか聞こえないが、とても不機嫌なのだとは分かった。
『あの時見て確信したわ!やっぱり私の目に狂いはなかった!やっぱり、やっぱり良いわ!こんな!こんな素敵な素晴らしい原石だって、誰もが見ても一目瞭然じゃないの!それを・・・処分ですって?磨けば光るだろう、この子を処刑するだと?全く持って理解出来ないわねぇ!』
ガァアン!と轟音が部屋に響いた。その人は鋼鉄製であろう扉を殴り、そこには拳型の窪みがくっきりと刻まれていた。
『上がなんと言おうと知ったことか。私は私の好きにさせて貰う』
その言葉と共に、その人は異臭に塗れた部屋に踏み込み、私の傍へと寄る。そして、黒く汚れ、異臭に塗れた私の顔を見据える。黄金色の両目が私を見据え、赤色の髪が揺れている。
その瞳が私を見据え、次に口歪めて笑い出した。
『クァハはハハハは!やっぱり君は良い目をしているなぁ!実に貴女は良い!良いわ!気に入った!お前は私が貰い受ける!』
そう言うと、その人は私を抱きかかえた。汚れきった私を両手で抱きかかえ、まるで面白い物を見つけた子供のような笑みで私を見つめる。
『それは邪魔だな』
そういうとその人は、私を縛っていた鎖に触れた。その瞬間、私を繋ぎとめていた鎖は赤く溶け、ジャラリと鎖の落ちた音が部屋に響いた。
『では帰るとするか』
その人は、私を闇の中から出してくれた。それが出会いだった。
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