「お嬢様!お嬢様ぁ!どこですかお嬢様ぁぁぁ!!」
忙しない叫び声が響く。黒いエプロンドレスを纏い、頭に同じく真っ黒なカチューシャを着けたメイドが、バタバタと足を鳴らしながら所狭しと走っている。数々の絵画が飾られた廊下を走り、階段を駆けあがり、上へ下へと駆け巡る。床に敷かれた赤いカーペットが喧しい足音を抑えるも、肝心の声までは力が足りず、屋敷全体に彼女の叫び声が響くのであった。窓から覗く陽の光からして、時刻は正午と言ったところか。一しきり屋敷を走り回るが、肝心のお嬢様の姿を見ることは出来ず、メイドは玄関の扉の前で立ち止まった。息をぜぇぜぇと荒げる姿と額から滴る汗を見るに、長い間走り回っていたのだろう、大声を上げながら。
「お、お嬢様は、いったい・・・どこに行かれたので、しょ、しょうか・・・」
彼女はこのお屋敷で働くメイドの一人であった。この地域一帯を統治している領主の一メイドとして、はるばる郊外からやってきたのである。偶然、彼女の住んでいる所へ遊びに来ていたお嬢様と出会い、スカウトされたのである。それこそ一目で気に入られたようで、「お前は良い、実に良いなぁ!」と笑顔で抱き着かれたのだ。初めて会った際は、訳が分からないままで、実は領主の娘だと聞いてますます訳が分からなくなった。村のみんなは相当不思議がっていたが、当の本人からしても本当に不思議でしかない。村のみんなからは「お前みたいな弱虫がねぇ・・・?」と言われるくらいだ。こんな臆病者な自分を、お嬢様は、ここの皆様は笑顔で受け入れてくれたのだ。なら頑張らないと!というのが彼女の想いである。
なおメイドは彼女だけではなく、幾人ものメイドや執事がこのお屋敷で働いている。このお屋敷に長く仕えているメイド長も含め、各メイドは全員がお屋敷の住人を主として仕えている。半ば新人の彼女よりも上の方々、例えばメイド長はこの屋敷の当主でありお嬢様の両親である旦那様と奥様に仕え、そこから順に長男であるお兄様、長女であるお姉様に仕えている。そして彼女は、スカウトされた経緯もあって次女であるお嬢様に仕えているのであった。メイドたちの仕事は主なのが各主人のサポートではあるが、基本は協力体制でこの屋敷を守っている。
さて、そんな彼女なのだが、今は肝心のお嬢様の姿がないため、家中を走り回ったというわけだ。そしてこれだけ探してもいないということは、十中八九外へと出かけられたということ。ならば外へ向かわねば!と早鐘を打っていた心臓を落ち着かせ、荒れていた呼吸を整える。
「では参りましょう!」
そう思い、くるりと外へと続く扉へと手を伸ばすと、ガチャリと音が聞こえ、先にゆっくりと扉が開いていく。
「あら、お出迎えご苦労さま」
入ってきたのは、灰色の衣服を纏い赤銅色の髪に黄金の瞳をした女性。その顔を見た瞬間、メイドの頭の中が真っ白になった。一体全体先ほどまでの苦労は何だったのか?先ほどまで走り回っていたのは何だったのか?そして今の決意は何だったのか?そんな思いがぐるぐると脳内を乱舞する。なんてことはない、入ってきたのは散々彼女が探し回っていたお嬢様である。当の本人は、まるでメイドのドタバタ探索を知ってか知らずか、呑気な声で労いの言葉をかけてくる。
「お、お、お・・・」
「?」
目の前で顔を下に向け、プルプルと震えだす自分のメイドに、お嬢様は首を傾げる。
「おじょうさまぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁぁぁぁ!!」
屋敷を揺るがすほどの声が響いた。ビリビリと窓ガラスが、がたがたと調度品が震え、お嬢様の後ろの扉が勢い䌂よく外へと開いた。恐ろしいほどの音量である。もはや音波兵器である。その音波に曝されたお嬢様はと言うと、
「急に大きな声を上げるな。この子が怯えてしまうだろ?」
何て事もなく聞き流したのであった。
「もう!本当にお嬢様は自由すぎます!私に行先も伝えず、それどころか書置きもなくお出かけになるなんて!私がいったいどれほど心配したことか!」
「くぁはは、悪い悪い。つい抑えが利かなくてな。お前にも伝えずに出かけてしまったことは流石にすまないと思っているよ」
自室の椅子に腰を下ろしたお嬢様は、目の前でぷんぷんと頭から湯気を出すように怒るメイドに、口を歪めて謝罪する。もっとも、その表情から察するに、全然懲りていないようではあるが。主の表情に、メイドはただただため息を吐く。自分をスカウトしてくださったことは感謝しているが、これほどまでに自由奔放とは想像がつかなかった。今では多少なりと慣れたが、当初はあまりのことに頭が沸騰して寝込んでしまったほど。
「それでお嬢様、アレはなんですか?」
メイドはお嬢様から手渡されたものについて尋ねた。あのような汚れきったものは久々に見た。まるで使い潰された雑巾のようなアレ。同じく黒ずんだ白い長髪といい、相当なものだと察することが出来た。それから規則正しい呼吸音が聞こえ、辛うじてまだ生きているということを察したほどに、アレは相当なものだった。自分を見つめる怯えきった目が特徴的だった。取りあえず風呂場へと連れて行き、ボロ屑の、衣服と呼ぶにも烏滸がましい布を引っぺがし、泡塗れにして洗った。その後はお嬢様の許しを得て、幼かった頃のお嬢様の衣服に着せ替え、不本意ではあるが、お嬢様のベッドに寝かせた。お嬢様とメイドがいる部屋の隣が寝室だが、そこへとつながる扉は開け離れており、今もアレの姿を確認している。
「うむ、捨て猫だ。もったいないから貰ってきた」
腕を組み、「どうだ?」と言いたげなほどに胸を張ったお嬢様。ドーン!と張り出した胸がその姿を強調する。その姿に、メイドは頭を抱えた。
「いったい何度目ですかお嬢様!そう簡単に拾ってきてはダメと、ご家族から言われたじゃないですか!」
「言われた!怒られた!でも私は知らん!拾いたいから拾ってきた!それだけだ!なんらやましいことはしていない!」
「ですから、その後が問題だと言っているんです!お嬢様が拾ってきた物をお世話をした結果、どうなったか解っているのですか!?」
「全力を出しただけだ!後悔はしていない!」
「反省してくださいって言ってるんですよー!!」
その後も二人の漫才は続き、最後はいつも通りメイドの方が折れる結果となるのであった。メイドはいつものようにため息を吐くと、お嬢様に顔を向ける。
「解りました。ですが、ご家族へはお嬢様ご自身でご報告をお願いします。私は一切口を挟みませんからね!」
メイドはそう告げると、スタスタとお嬢様の部屋を出ようとする。ふと何かを思い出したのか、くるりとお嬢様へと向き直る。
「今晩の献立ですが、珍しく獣が罠にかかったので、今日はそれをメインディッシュにしようと思います。今から解体しに行ってきますから、後のことはお嬢様にお任せしますからね。ちゃんとお世話をしてくださいね!絶対ですよ!」
そう言うと、くるりと向き直してそそくさと出ていったのであった。部屋を出ていったメイドを見つめ、お嬢様は口元を歪めて呟く。
「解っているさ」
ジャラジャラと奏でる鍵束から一本のカギを取り出し、ガチャリと音をたてて扉を開ける。ギギギと鉄が軋む音がした。扉からは冷えた風が漏れ、白い空気が一瞬見えた。カツーンカツーンと冷たい石階段を踏みしめる足音が響く。しばらくすると足音は止まった。パチリと何かを押す音が聞こえ、薄暗かった部屋に光が灯った。足音に正体はメイドだった。先ほどの姿とは打って変わり、その眼はガラス細工のように無機質だった。彼女の吐く息が白く濁ることから、かなり冷えていることが分かる。が、メイドはそれを大して気にもせず、部屋の真ん中に置かれた物を見つめる。それは巨大な机に乗った獣であった。
今朝方、仕掛けていた罠にかかっているのを見つけたのだ。メイドは目の前の獣に感謝の祈りを捧げる。狩猟を生業としている彼女の村の風習で、命を戴くことを感謝する意味があるのだ。心の中で感謝の言葉を述べると、メイドは手にした器具で獣を解体していく。時間をかければそれだけ命が腐っていく。それは命の冒涜であり、許されない行いなのだ。こうして肉を解体し終えると、天井からつるされている鈎づめにひっかけ、今日の夕食に必要な量を持って階段を上っていく。調理はメイド長が取り仕切っており、彼女の腕は逸品であると言えるものだ。聞けば、かなり腕のあるレストランで修業をしていたとか。今日の料理が楽しみだなー、そう思いながらメイドはガチャリと扉を閉めるのであった。
「あー寒かったです」
ガタガタと身体を震えながら貯蔵室の扉を閉めると、メイドは息を吐いた。いつ来てもやっぱり落ち着かない。毎回心を静めてからいかないと、どうも抑えが利かないのだ。私はまだまだ弱虫だなぁ・・・、そう思いながら、メイドはキッチンへと足を進めようとする。すると、少し離れた木々がガサガサと音を立てる。その音に、メイドは「ヒィ!」と声を上げ、危うく肉を落としそうになるも、寸でのところで耐えた。
「だ、誰ですか?」
メイドは呼びかけるが、一向に返事がない。再度呼びかけるが返事がない。
『どどど、どうしよう・・・』
心臓が早鐘を打ち、がちがちと歯を鳴らしながら、メイドは一歩一歩と茂みの方へと足を進める。そして、茂みから飛び出したそれに押し倒された。
「何なのあれ・・・?」
少し離れたところで、それは呟いた。彼女が見ているのは、まるで岩のように大きな白い狼にぺろぺろと舐められているメイドであった。「わー!キャー!やめてくださーい!」と叫ぶメイドを無視し、その狼はぺろぺろとメイドの顔を舐める。あ、お皿に乗った肉に食いついた。「あー!それは今晩の夕食です!食べちゃダメー!」メイドが必死に叫ぶも後の祭りで、すでに肉は狼に食べられてしまっていた。「な、なんてことを・・・」とがっくりとうなだれるメイドとその周りをぐるぐるとまわる大きな狼。そんな光景に彼女、間者の悪魔は呆れていた。
純血悪魔72中の一つ、フラウロス。最近になってどうも怪しい動きがあると聞き、こうして息を殺して調べていたのだ。特に怪しい動きはなかったのだが、先ほど愛娘の一人が何かを抱えて帰ってきた。それが何かは判らないが、取りあえず報告をするべきだろう。
「はぁ・・・それにしてもアレは何なのよ」
目の前では、肉を食べられたメイドが、食べた狼を座らせて何やら叫んでいる。どうも説教をしているようで、狼の尻尾が力なく垂れ下がっている。なんにせよ、アレは脅威じゃないか。
「さて、報告しに戻りましょっか」
そう言ってくるりと彼らに背を向け・・・そのまま地面に倒れた。
「・・・え?」
どうしてか足が動かない、それどころか足の感覚がなくなった。女悪魔が動かなくなった足をみると、そこには何かに貫かれた足が見える。それは先端が真っ赤な色をした矢。そして襲ってくる熱した鉄を突き刺したような痛み。女悪魔は叫んだ。間者であるというのに、息を殺さなくてはいけないのに、まるで子供のように叫ぶ。次に両手の感覚がなくなり、矢に連れ抜かれた腕が見えた。
「ダメですよぉ。気配を消すならちゃんと消しましょう?」
声が聞こえる。それは先ほどずっと聞いていた声だった。ありえない、女悪魔は思った。確かに気配は消したはずだ。息をひそめ、動きを止め、ばれる気配はなかった。気づかれるはずはなかった。そもそもここまで一瞬で来れるはずがない!混乱する女悪魔を察したのか、それは答える。
「わたし、臆病なんですよねぇ、村のみんなが言うように、私は弱虫なんですよねぇ。だからぁ、誰かが見ていることがなんとなくわかるんですよ、凄く解るんですよ。それで、あの子と違う視線を追ったら、ちょうど貴女がいたんですよねぇ」
ガチャリ・・・と音がした。
「逃げられないように足を、抵抗できないように腕を射抜きました。でも・・・でも!まだ心配なんですよねぇ。もしかしたら口で呪文を唱えるかもしれない、反撃するために何かするかもしれない!ああ!怖い!恐い怖いコワイ!だからもう少し、やらせて貰いますね?」
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