ハァ、ハァ、ハァ、ハァ・・・。
息が吸えない。呼吸をしているのに苦しい。息を吸うよりも吐き出す量の方が多い気がしてならない。ガサガサと足を掠める草木の音が響く。張り巡らされた木の根のでこぼこと、ぬかるんだ土のせいでうまく走れない。一歩踏み込む度に、足が土にとられていく。何度か躓きそうにもなった。
タッタッタッ・・・
私の背後から音が聞こえる。振り向けば、生い茂る木々に陽が遮られるせいか、5、6歩先から薄暗くて見えない。でも聞こえるのだ。もつれそうな私と違い、一定のリズムを刻む足音が。タッタッタッタと、冷徹なまでに規則正しい足音が。
いる。
見えないけれどいる。私と一定の距離を置いて、ただ私を追いかけている。そして・・・目があった。真っ暗で見えないけど、私は解った。あれは!あの目は・・・!
心を鷲掴みされたような苦しさに襲われる。
逃げなきゃ!もっと遠くへ!
私は咄嗟に、強く足を踏み出した。踏んだ地面の土を後ろへ浴びせるよう、力を込めて蹴り跳んだ。轟音と共に私は前へ飛び出し、私は距離を稼ぐ。舞い上がった土や砂の流弾は、確実にあの人の動きを止め、その視界を遮り、轟音が耳を襲う。逆に私は一気に移動したのだから、後は息を潜めればいい。勢いのままに跳んだ私は、そのまま葉が繁った樹の枝に掴まり、くるりと回転してその上に立つ。そして出来るだけ身体を丸めて、葉の中に身体を隠す。口元に手をあて、音を洩らさないようにゆっくりと息を吸い込み・・・吐き出す。
未だに速い鼓動を刻む心臓の音が、身体の内で響く。大丈夫、見つかるはずがない。だから、あとは落ち着くだけ。頭ではそう考えているのに、身体は未だ息苦しい。隠れているのに、未だに安全とは思えない不安を抱く。
スゥゥゥゥゥゥハァァァァァァ・・・
でも、ゆっくりと深呼吸を繰り返せば、ようやく心も身体も落ち着いてきた。こっそりと葉から顔を出してキョロキョロと周りを見渡す。陽が入らず真っ暗なせいで視界が悪い。でも、私以外の気配を感じない。
逃げ切れた・・・のかな?
そう思い、私は安堵の息を吐いてー
ソレが振り下ろされた。
カリカリカリカリ・・・。
「13分57秒か。ふむ、1分11秒延びたじゃないか。上出来上出来」
カリカリカリカリカリカリ・・・。
「うん?どうした。昨日よりも記録を更新したんだ。その成長に素直に喜びなさい」
カリカリカリカカカカカカカカカカ・・・。
「ああ・・・クッキーが、まるで削岩機のように・・・」
目の前で椅子に腰掛け、私に笑うファレグ姉さん。片手にストップウォッチを握っている。私と姉さんの間でオロオロしているのは、私を世話してくれていたメイド、ティーダさんだ。姉さんの専属メイドとして、大半を彼女と一緒にいる。姉さんが、ファレグ・フラウロスと名乗った際に、ティーダと教えてもらいました。
しかし、そんなティーダさんの狼狽えぶりも、私からすればちょっと腹が立ってしまう。なにせ、私の額にある、『頑張りましょう』の赤い判子を押したのはティーダさんだからだ。
私がフラウロス家の一員となって数日が経ったある日、ファレグ姉さんが唐突に、
『ヴァイス、着いてきなさい』
と、有無を言わさず私を俵抱きにして外へ連れ出した。
家の中や、他のメイドさんや執事さんとの距離に戸惑っていた私には、まさに不意討ちだった。
『お嬢様?お嬢様ー!?』
と、叫ぶティーダさんを置いて、私は光に包まれ、目を開ければ、姉さんの部屋ではなく、風が吹く屋外で、目の前には森。混乱する私を下ろすと、姉さんは憎たらしいほどに明るい笑顔で、
『鬼ごっこしよう』
とさらりと告げた。
『そう言えば、ヴァイスは何ができるのか私は知らないからな。手始めに君の力を知りたいと思ってね。だから、試しに鬼ごっこをやろうと思っただけだ』
『ルールは単純明快。鬼から逃げれば良い。もちろん、君が逃げる側だ。そして鬼は・・・っと、遅いぞティーダ』
『お、お嬢様の突拍子もな、ゼェ、考えに、フウ、ついて行けな、ハァ、い、だけでフウ』
振り替えれば、丸テーブル1つと3つの椅子、テーブルにはティーポットとカップ、ビスケットの入った籠。そして息を乱しているティーダさんがいた。
『ではティーダ、悪いけど鬼役をお願いするわ。ヴァイスを捕まえてちょうだい』
ファレグ姉さんの言葉に、ティーダさんは頭を押さえて身体を前後に揺らす。まるでメトロノームみたいです。
『なんで!何で人の話を聞かないんですかこのお嬢様はー!あー!どうして私、この人の下で働いているんでしょうかー!あーもうやだー!』
しばらくドッタンバッタンと暴れたあと、うずくまる形で止まった。そしてそのまま数秒、私は黙ったまま何も出来ずに見つめていると、
『え?』
その言葉に戸惑ってしまった。何秒必要?それは一体何を指しているのか分からない。いや、分かりたくない。
『10分で良いんじゃないか?初めならそれくらいが良い』
戸惑っている私をよそに、ファレグ姉さんが話を進める。
『な、何をいっているんですか?』
『なにってヴァイス、貴女が逃げる時間のことだよ。鬼ごっこなんだから、君が逃げなきゃ意味がないだろ』
やれやれ、とため息をつくファレグ姉さん。はいはい早く行きなさいな、とパンパンと手を叩く。私は急かされるように森へと走っていく。
そして森へと入ろうとして、振り返った。下を向いていたティーダさんはゆっくりと顔をあげて私に。
笑った。
カカカカカカカカカカカカ・・・。
今思い出してもゾッとしてしまう。その後、5分もかからない内に私は捕まってしまった。その時のことは、半ば記憶から消えてしまっている。気がつけば、私はティーダさんに抱き抱えられていたのだ。
『ごめんなさい、少し張り切ってしまいまして・・・』
と恥じるように顔を赤らめて謝ってくれたのですが、少しとはなんでしょうか。私にはティーダさんの『少し』が未だ解りません。
それから、定期的にティーダさんとの鬼ごっこが行われ、少しずつだけど、逃げる時間を増やしています。同時に、自分の身体が少しずつですが、丈夫になった気もします。最初と比べて、走ってもあまり息切れしなくなりましたし。
でも、まだティーダさんに捕まるのは少し腹立たしいです。
ちなみに、今、私のお腹へ消えていくお菓子は、ファレグ姉さんのご両親、つまりフラウロス家の専属メイドであるメイド長さんが作りました。と言いますか、料理は殆どがメイド長さん担当らしいです。よく『ライバック』さんと呼ばれているみたいです。
「さてヴァイス、もう機嫌はなおったかな?」
籠のクッキーがなくなったのを見計らったのか、ファレグ姉さんが口を開いた。
「少しずつだけど、生活には慣れたかしら?身体の方も、連れてきた時よりもしっかりしてきてるわね。それに・・・うん、少し背が伸びたみたいだし。あとは、出るところも出てきたかしら?」
紅茶を飲みながら、私に視線を向ける姉さん。相変わらず、この人は時に一言多い気がします。
「鬼ごっこも順調に時間を伸ばしているようだし、ここで一つの区切りにしよう。貴女に合わせたい人たちがいるの」
「誰なんですか?」
首をかしげる私に対して、笑う姉さんとなぜか青ざめていくティーダさん。
「お、お嬢様?もしやと思いますが、まさか?」
「ええ、私の契約者に会わせるわ」
「ダメです!まだヴァイスちゃんには早すぎます!純粋無垢なヴァイスちゃんに、あの方たちは猛毒です!悪影響です!」
声をあらげ、バタバタと抗議をするティーダさん。あの、契約者ってなんですか?
「そう言えば、言っていなかったな。悪魔は契約者と契約することで、その望みを叶え、その対価を貰っているんだよ。メイド長は言うなればお父様とお母様と契約してる。ティーダは私と半ば契約関係を結んでいる」
ティーダさんを見ると、あははは・・・と苦笑いをしています。
「そしてティーダ以外にも幾人かいてね。その対価として色々と協力して貰っているのよ。色々とね」
姉さんの笑みに、少し寒気を感じてしまいました。
「まあ、会ってからのお楽しみだ。っと、遅かったわね」
「 」
私の後ろを見て声をかける姉さんと、口を開けて声にならない声をあげるティーダさん。振り替えるとそこにいたのは、
ウサギ頭の生物が「やあ」と手を上げ、屋外なのに畳に正座している獣人が「やっほー!タマちゃんさんじょーダヨー!」と手を振り、白い山のような犬が「ワフ」と鳴き、全身包帯が無言で立っているのだった。
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