その瞳が見つめた先 (上)   作:逢坂 要

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第1話

(1)

 闇夜に沈んだ森を絶叫が貫いた。

 

 月が深い雲に覆われた夜、森は深淵の様に一寸先も見えないほどの闇に染まる。

 

 その中を昼間と変わらぬ足取りで疾駆する影が一つ。

 

 まるで闇夜を見通す夜の獣の如く、乱立する木々の間を縫って疾る。

 

 足音はまるで聞こえず、荒い息遣いだけを残していた。

 

 向かう先には無数の松明の灯り。

 

 馬に乗った騎士たちが同じく鎧を纏った領主を中央に円陣の形へ移行しつつあった。騎士の数は二十名程度。

 

 一番後ろの馬上には首に矢が刺さった騎士が、馬にもたれかかるように倒れて絶命していた。

 

「悪魔だ!森の悪魔が出たんだ!貴様ら、私を守れ、どうにかしろぉ!」

 

 騎士の中央にいる領主が声高に怒鳴り散らす声に影は舌打ちする。

 

 一人突出した騎士が大声で周りに指示を出す。頭から全身を覆う甲冑に大型の盾。周りの騎士と比べて巨大な剣を掲げた男だ。

 

「恐れるな!こちらは全身甲冑で矢を通さない。やつは不運だっただけだ!

親衛隊は領主様を守れ!他の者は敵をあぶり出して殺せ!」

 

 影はその様子を鼻で笑いながら見ていた。

 

 先頭の騎士が部隊長だろうと影は次の狙いを男へと向け、

 

「いつもは威張り腐ってるくせに、こうなるとただの素人と同じく動きなんすね。

 

こんな闇夜で、矢が甲冑の境目にたまたま当たったなんて考えるのは、かなーりの能天気さんですねっと!」

 

 右腕に巻かれたイチイの弓を放つ。

 

 矢は空気を割き、標的へと向かう。微かに鳴ったのは空気の割れる音。直後、湿った音と共に二度目の絶叫が森に響き渡った。

 

 影が放った矢は男の右目に突き刺さっていた。

 

「全身甲冑といえど、境目はあるんだよ。自分の能天気さを呪いな」

 

 部隊長は絶叫しながら落馬。周りの騎士が慌てて担ぎ起こし、下がっていく。

 

 指揮系統が混乱した部隊は悲惨なものだ。前進も後退も出来ずになぶり殺しになるのを待つだけの存在と化している。

 

「騒ぐな!部隊長は負傷したため、副官の私が指揮権をひきズッ……!?」

 

 副官が名乗りをあげると同時、開いた口に矢が突き刺さった。

 

 指揮を引き継ぐ副官を失い、いよいよ指揮が混乱し始める。

 

「下がれ、下がれ!」「死にたくない、離せ!」「お前が先に行って死ね!」「出てきやがれ、俺がぶっ殺してやる!」

 

 烏合の衆と化した軍隊はふらつきながらも後退。その様子を影は不敵な笑みを浮かべて見守る。

 

 ときおり、まるで後退を促すように地面に矢を放つ。

 

 それだけで、軍隊はまるで牧羊犬に操作される羊のように操られてしまう。

 

「待て、これ以上は下がれないぞ!やめろ、戻れ!!」

 

 最後尾の騎士は気付いたのだろうが、他の騎士は下がることしか考えられない。恐怖は視野を狭めることを影はよく知っていた。

 

「それじゃあ、これで終いですよっと」

 

 放たれた矢が先頭の馬の足元に刺さる。先頭がさらに下がる。

 

 一歩。それが分かれ目だ。騎士の後方は崖。そして、崖の下には毒の沼が広がっていた。

 

 騎士たちが馬と共に絶叫をあげて落ちていく。崖上に残る騎士は三人となっていた。

 

 少人数となると動きが止まる。どうやら最後尾となった男が動けないまま固まっているらしい。

 

 頃合いだ、と影は判断した。

 

 合わせたように月が雲から現れ、影の姿を映し出していく。影は最後に射た矢を地面から引き抜いた。月が完全に雲から出て、影の全身を照らす。

 

 立っていたのは、青年だった。緑を基調としたローブを纏ったただの青年だ。

 

 雑に切られた茶髪に眠そうな眼。街で見かけたとしても違和感がない。

 

 ただ一つ異彩を放つのは右手に装着された弓。

 

 ローブに合わせたような色彩の弓に、さも当然のように青年は矢をつがえる。

 

「た、ただのガキじゃないか!何をしている。殺せ!殺して私を守れ!」

 

 最後尾の男が声を裏返しながら叫んだ。領主だった。

 

 二人の騎士が前に出る。馬上の騎士は青年を見下ろす。

 

 先ほどまでは姿が見えず、森の悪魔と怯えていたが正体がわかれば怯えも消える。

 

 この時代に戦闘技術を専門的に学んでいるのは騎士だけだ。目の前の青年は弓の名手だろうが、接近してしまえばそれも無意味と騎士は油断していた。

 

 先頭の騎士が馬を蹴る。馬がいななきをあげ、疾駆する。馬が青年の前で前足をあげる。高さ約二メートルから振り下ろされる蹄は必殺の威力。体重一tに迫る体重が乗った蹄は人間の体など容易く粉砕する。

 

 矢の軌道は直線的だ、剣での斬撃では反撃の可能性がある。馬による攻撃で馬上の騎士は攻撃しつつ馬という盾も用意して攻撃できる。射手殺しの一手だった。

 

 馬の前足が振り下ろされる。青年は動かない。そのまま、直撃する――、瞬間、木々をへし折る音をたてて、青年の前を横薙ぎに、何かが通り過ぎて行った。

 

 直後、青年の前には何もなくなっていた。

 

 後方にいた騎士と領主は何が起こったのか理解できず、動けない。

 

 数秒後、再度木々をへし折る音をたてて、横薙ぎの正体が現れた。

 

 丸太だった。

 

 背の高い木にくくりつけられた丸太が、猛スピードで通過したのだ。

 

「騎士様を前に無策で飛び出すほど、オレは勇猛果敢じゃないんでね。悪いけど、策は打たせてもらいましたよっと」

 

 世間話をするような、自然な声色で青年は語る。

 

 戦場で、死を伴うような場面において、日常通りにことを運ぶことがいかに困難か、騎士は理解していた。だからこそ訓練を積み重ね、非日常を日常だと錯覚させるのだ。戦場では声を出すことも難しいと、彼は知っていた。

 

 だからこそ、当たり前のように喋りだした目の前の青年に驚愕し、畏怖の念を抱く。

 

 場数が違う。騎士は青年を見た目で判断した己を恥じた。

 

 そして、騎士は馬上から降りた。

 

「一人の騎士として、相対を申し込みたい。

 

……私の愛馬はここで放つ。妻が育ててくれた馬だ。出来れば、殺さずに見逃して欲しい」

 

「……驚いた。騎士の中にもあんたみたいな人がいるんだな。騎士ってのは性格の悪い、傲慢な男どもの集まりだと思ってたよ」

 

「何をしておる!早く殺せと言っているだろうが!」

 

 後方の領主が喚き立てるが、二人は無言で相対した。騎士が剣を握る。右手に剣、左手に盾を持つのがこの時代のオーソドックスな戦法だ。対して、青年は懐から短剣を取り出し、突き出すように構えるのみ。

 

 常識でいえばありえない戦法だ。しかし、騎士は油断しない。

 

 盾を構え、一歩ずつ前進する。全身甲冑に大型の盾を構えた騎士は斬撃と矢に対して圧倒的に有利だ。騎士同士の戦いでは斬るというよりも打撲による骨折で勝敗が決することが多いほどだった。

 

 眼前の青年は驚いたような賞賛とも取れるような口笛をひと吹きし、一歩下がる。

 

 騎士たちは武装に慢心するあまり、敵に向かって突進しがちだ。そうなれば罠にハマりやすいため、先の騎士のように殺せたのだ。しかし、眼前の騎士の様に一歩一歩警戒しながら進んでこられると、対応されやすい罠は使いずらい。

 

 厄介な敵が最後に残ってしまったと青年は舌打ち。

 

 徐々に間が詰まる。数メートルの間、左前で騎士が止まる。

 

 青年が手で制したからだ。

 

「最後の相手だ。名前を聞きたい」

 

 青年の声は落ち着いていた。

 

 驚いたように騎士の鎧が鳴る。構えを解き、騎士が一礼。

 

「■■■だ。騎士として正々堂々と相対してくれた君に感謝を。では、いくぞ……!」

 

 再度構えた騎士が、一瞬にして間合いを詰める。

 

 左の盾で半身を覆い、下段から剣を振るう。反撃の可能性を削りながら押してくる。青年は下がらず、短剣で受ける。

 

 刃を挟み二人が向き合う。

 

 力の差は歴然。徐々に青年が押され始める。騎士の剣を上方へ無理やりさばいて、青年が左へと逃げる。

 

 背後からの反撃を警戒し、騎士が前に大きく一歩を進める。

 

 降り返り際に横薙ぎの一撃。青年がスライディングで剣をくぐりながら再度接敵。

 

「軽い!」

 

 突き出された短剣を遅れてきた盾で弾きかえす。

 

 青年がたたらを踏んで後退。その隙を騎士が逃すはずはない。騎士が右から直剣を振りかぶる。狙いは肩口からの袈裟斬り。当たれば即死。

 

「胸元ががら空きだ! もらっ、だ……!?」

 

 踏み込んだ足が折れ、騎士がその場で転倒。

 

 立ち上がろうと腕をつくが、その腕も力が入らず、再度地面に顔をつける形となる。

 

 視界が徐々に歪み、自分が立っているのか倒れているのかもよくわからない。

 

「こ、これは、毒……か?」

 

 口から血を吐きながら騎士が問う。

 

「ああ、その通り。正々堂々と戦うなんて怖いこと、オレが出来るわけないでしょ」

 

 騎士を見下ろした青年が冷たく呟く。

 

「でも、あんた予想以上に頑丈だった。最初の一手でこうなるはずだったのに、手間取っちまったよ」

 

 口以外の目や鼻、耳からも出血が続く。

 

「そ……か。わが……むすめよ……すま、な……」

 

 騎士の最後の言葉を聞き、青年は振り返る。

 

 領主は一人、そこに立っていた。

 

 青年が近づいて行く。

 

「な、何なんだお前。こんな使えない騎士どものせいで私が死ぬなんてありえない!

く、来るな!お前、こんなことをしてタダで済むと思っているのか!?」

 

 領主の甲高い声が耳に響く。気持ち悪さに青年はイラつきを隠さない。

 

「さっきの騎士の方が幾分かマシだったよ。あんたはいない方がこの世のためだ」

 

 青年の視線の強さに、領主は縮み上がる。慌てて逃げようとするが、馬の操作もうまくできない。馬がいななき、領主を振り落として暗い森へと走り去って行った。

 

 地面に落とされた領主は悪態をつきながら起き上がる。被っていた兜を脱ぎ捨てる。肥え太った中年の男だった。

 

「くそ、なんで私がこんな目に……!クソみたいな騎士とクソ馬のせいだ。

 

ちくしょう!ちく……ひぃ!?」

 

 口に入った泥を吐き出しながら起き上がった先には青年が立っていた。

 

 冷たい目線は死者のように静かに沈んでいた。

 

 短剣が月の光を受けて鈍く光っている。そこには明確な殺意が籠っていた。安穏と日々を過ごし、圧政を敷いてきた領主は生まれて初めて、明確な殺意をその身に受けたのだ。

 

 失禁しながら地べたを這って下がる。無意味だと知っていても、領主は下がり続けた。

 

 青年は何度目かの舌打ちをして後を追う。

 

 崖際まで追い詰められた領主は、降り返り、自分の死を告げる青年を見上げた。

 

「な、なぁ、助けてくれ。 私を襲った理由はなんだ?金か?だったらいくらでもくれてやる。だから……」

 

「金なんていらない。 ……あんた、ここに来る前に何をしたのか覚えているか?」

 

「こ、ここに来る前?何を言っている……ヒィィィイ!?」

 

 青年の短剣が振り下ろされ、領主の頬を掠めた。赤い血が一滴、頬を滴り、落ちる。

 

「村から連れてきた娘をこうやって、剣で痛めつけたんじゃないのか?」

 

「あ、あぁ、そうだった、思い出した。やったよ、やった。だからどうしたって、あがぁぁぁあっ!?」

 

 短剣が領主の左太腿へと突き刺さる。領主は絶叫し、噎び泣くことしか出来ない。

 

「先日、そうやって痛めつけた娘をこの森に捨てたな?」

 

「は?し、知らん。わた、私はカス共にゴミ処理を命じただけでぇぇえあがぁぁあ!?」

 

 右太腿へ短剣を突き立てる。

 

「あんた、本当に終わってるよ。死ぬ前に懺悔の一つもないのか?

あんたに痛めつけられた娘は目を潰されてた。村には帰れないそうだ。この時代、足手まといになるような人間は生きていけないからな」

 

「ご、ゴミを、どど、どう扱おうが、わ、私の、自由だ!い、今まで何度もやや、やってきた。なんでいまさらそんなことを!

私はここの領主だぞ。神に等しき、選ばれた人間だ!!」

 

「あっそ、じゃあ死ね」

 

 青年が剣を払う。領主の首から大量の血が溢れ出す。

 

「気道を切った。死ぬまでに少し時間がかかる。

 

死ぬまでの少しの時間、あんたがこれまでやってきたことを少しでも悔いて死ね」

 

 首を押さえて地面に倒れた領主を見下げる青年の目には殺意も憎悪もなかった。

 

 そこにあるのは「無」だった。

 

 青年は短剣を腰に戻し、森の闇へと消えていった。

 

 暗い森の中、領主のくぐもった呼吸音だけが静かに響いていた。

 

 

 

 

(2)

「戻りましたよっと」

 

 森の中にひっそりと建っていた小さな小屋の扉を開け、青年が声をかける。

 

「っ、……おかえりなさい」

 

 部屋の中は小さな机と椅子、そして暖炉。必要最低限のものしかない、簡素なものだった。

 

 暖炉には火が焚べられ室内を暖かく保っている。

 

 その室内の小さな椅子に、小柄な少女が座っていた。服装は粗末な羊毛のワンピース。歳は15歳ほど。栄養状態が悪かったのか、その身体は華奢だ。足にひざ掛け、目には包帯を巻いている。長い銀髪が目を引く。

 

 少女は音のした方へ目を向け、青年を出迎えた。

 

 微妙に方向がずれていたが、青年は特に気にしない。

 

「魚が獲れたんで、今日は魚にしようと思ってるんだけど。好き嫌いとかないですかね?」

 

「いえ、私なんかのことを気にしないでください。家においていただけているだけでありがたいくらいなので……」

 

「はいはい。そのセリフは何度目ですかねー、聞き飽きましたよっと。

 

こっちは好きでやってんの。気にする必要ないし、出て行って欲しかったらこっちから言いますんで」

 

 その言葉に少女がびくりと身をすくませた。

 

 失言だったと青年は内心で自分の不用意さを悔いる。

 

「まあ、こんな独り身の家ですからね、家に誰か居てくれるとそれだけでありがたいってもんですよ」

 

 青年が笑うと少女もつられて微かに笑った。誤魔化し笑いだったが、少女が少しでも笑ってくれれば、青年はそれだけで嬉しかった。

 

 少女と出会ったのは一週間ほど前だった。

 

 森の中を散策中に野犬の群れに襲われている少女を見つけて保護したのだ。

 

 少女の怪我は野犬に襲われた傷が擦り傷と言えるほどに酷かった。手足には錠がかけられ、全身のいたるところに骨折があった。内出血の跡がない場所を探す方が難しいほどだった。目に至っては左眼は抉られ、眼窩が未治療のまま放置されていた。右目も網膜を切られていた。青年も医療に長けているわけではない。森にある薬草を調合し、なんとか対処した程度だ。

 

治療してやったが、目が覚めて数日はひどく怯えた様子で一言も喋らなかった。

 

 数日前からやっと少し喋るようになってきたのだ。そして、怪我の原因を知った。この地を納める領主のことだ。領主はその地の人々に重税を強いていた。払えないもの村からは人を出させた。人質だと言って税を払えば返すとのことだったが、誰一人帰ってこなかったという。

 

 この家から近い村もその憂き目に合い、目の前の少女が領主に差し出された。

 

 青年は少女の村へ何度か訪れたことがあった。まさかあの村でそんなことが起きているとは知らなかった。怒りに駆られた青年は、領主が狩りに出掛けるということを聞きつけて強襲したのだ。

 

 許されることではないことはわかっていた。しかし、青年はそれを許せるほど大人でもなかった。

 

「さーて、魚が焼けましたよっと。一人で食えます?」

 

 木の枝に突き刺した魚を少女へと突き出すしつつ、自分は無造作に魚をほうばる。

 

 肉厚で脂の乗った白身は舌の上でほぐれていく度に旨味が溢れ出す。なかなか美味く出来たと青年は思う。

 

 少女は差し出された魚を手にとって、不器用に噛み付いた。数度咀嚼し、嚥下。直後にむせた。

 

「お、おい!?」

 

 青年が支えて背中をさする。

 

「けほっ、けほ。す、すみません。思っていたよりも小骨が多くて……」

 

「あ、ああ、こちらこそすまない。そこまで気が回っていなかったもんで」

 

「そんな!私が小骨程度でとやかく言っているのが悪いので!」

 

 そう言って少女は魚を再度ほうばり始めた。

 

「お、おい!あんた、そんな無理するなって!さっきより量増やしたらやばいって……!」

 

 青年の制止の効果なく、少女は再度盛大にむせた。

 

「……ごめんなさい」

 

「いや、喉に魚をつまらせて死ぬようなことがなくてよかったよ」

 

「……本当にすみません」

 

 顔を真っ赤にして俯いた少女に青年は苦笑。次は肉か果実にしようと心に留めた。

 

「笑わないでくださいよ……」

 

 拗ねた声で少女が呟く。

 

「ごめんごめん。バカにしたわけじゃないんだ。あんたの様子がなんというか……可愛かったもんでね」

 

「へっ!?」

 

 音を立てて椅子が倒れる。慌ててバランスを崩した少女を青年が支えていた。

 

「男一人の生活ってのは潤いがない。あんたみたいな子がいてくれると、嬉しいからさ。

 

気がすむまで、ここに居てくれよ。あ、さっきみたいに表情が豊かだともっとありがたいね」

 

 椅子を戻し、少女を座らせる。青年は食事を片付け、部屋を出て行った。

 

 部屋に残された少女は一人、自分の顔を指で押して表情を作る。

 

「……表情豊かに、か」

 

 少女のつぶやきが暖かな部屋に消えた。

 

「そんじゃ、狩りに行ってきますわ」

 

「はい。寒いので気をつけて行ってきてくださいね」

 

 小屋の扉の前で少女が青年を送り出す。外は一面の銀世界。季節はすっかり冬真っ只中だった。

 

 普通、冬の間は狩りはしないものだ。雪は人間の行動を制限し、低体温症による死の危険もある。野生動物は雪に適応しているため、獲物を獲るよりリスクの方が高い。わざわざ不利な冬に狩りをするよりも暖かいうちに多めに狩りをして、蓄えで冬を越えるのが、この地域の一般的な過ごし方だった。特にこの冬は寒い。着込んでも体の芯まで冷える寒さだ。しかし、超一流の狙撃の腕を持つ青年ならば、移動の制限はほぼないに等しい。小屋からそう離れなければ、狩りは問題ないと判断していた。

 

 緑のローブを着込んだ青年の頬も寒さで赤くなっている。

 

 包帯をした少女が両手で青年の頬を挟む。

 

「やっぱり冷たいです。またの機会にしませんか?」

 

 動きもだいぶ慣れて、今では方向を見誤ることもなくなっていた。

 

「いや、問題ないよ。美味しい肉を獲ってくるさ。キミは家で料理の支度をして待っていて」

 

「わかりました。……待ってますから」

 

 ああ、と返し、青年は小屋を離れた。

 

 木々は雪に覆われ、方向を見失いそうになる。しかし、振り返れば小屋から上がった煙が場所を知らせてくれる。不安はなかった。これまではこんな気持ちで狩りに出かけたことはなかった。常に生きるか死ぬか、いつ死んでも良いように部屋の中は空虚だった。

 

 この数カ月で部屋の中は少し変わった。物が増えたからだ。

 

 歓迎に意味を込めて、青年は少女に欲しいものを問い、少女は料理道具をと答えた。狩りをして余った毛皮や肉を村に売りに行くたび、青年は彼女のために料理道具を一つづつ買って帰った。いつしかそれが青年の日々の楽しみになった。

 

 使い方がわからない料理道具を買ってきて、少女と悪戦苦闘したこともある。同じものを買って帰って呆れられたこともあった。冬に入っての狩りは今シーズンではこれが初めてとなる。大物を仕留めて帰りたい。しかし、この冬は雪が多く危険も大きい。森を熟知しているからこそ、青年は無理をしない。だからこそ、ここまで冬の狩りに出なかったのだ。

 

「思った以上に雪が深いっすねー。これは結構難関だ」

 

 雪の上を進むのも一苦労だ。途中に生えていた草を編み込み、ブーツが沈まないように装着する。

 

 少しの工夫で行進は劇的に変わる。そして、それに必要なものは往々にして、その世界にあるものだ。

 

 青年はさらに進んでいく。と、遠くで微かに狼の遠吠えが聞こえてきた。

 

 獲物を見つけたというサインのようだ。狼は森の狩人だ、できるだけ関わらないほうが良い。

 

 青年は進む方向を変える。

 

 数十分経つ。狼たちの遠吠えが徐々に近づいてきていた。一直線に小屋の方向に向かっている。

 

 狼は餌が少ないと人を襲うことがある。もしかしたら小屋を襲う気か。そうなると非常に厄介だ。

 

 青年は急ぎ進行ルートを推測し、先回りする。もし、本当に小屋を目指しているならばここで始末するしかない。矢を構え、待つ。狼たちの吠え声は大きく、近くなってきた。

 

 青年が矢をつがえ、構える。足音が聞こえる。タイミングを計る。何かが追われているようだ。荒い息遣いが聞こえた。

 

 青年の前に現れたのは二人の狩人だった。三十歳程度の男だ。咬まれたのか一人は腕から血を流していた。かなりの量の血を流しているのだろう、顔が蒼白だった。もう一人の男は短剣を振るって狼を牽制しているが、ほとんど効果はなさそうだ。

 

狩人の後方数メートルを狼が五頭、扇状に展開して追っていた。

 

 どうやら、この狩人たちは小屋の煙を見つけて逃げ込もうと画策していたようだ。厄介なことをしてくれる。このままではじきに追いつかれて餌になるだろうから、小屋に到達することはないだろう。とはいえ、見てしまった手前、見捨てるのも気がひける。

 

 舌打ちをしつつ、つがえた矢を放つ。放たれた矢は中央にいた狼の額に直撃。軽い鳴き声をあげて倒れる。狩人たちの顔には驚愕。それもそのはずだ、まだこちらの姿は微かに見えている程度だろう距離からの狙撃だ。

 

 こちらが風下のため匂いでの感知は出来なかっただろう、完璧な不意打ちで狼たちの連携が崩れる。その隙に二つ、三つと重ねて矢を放つ。右側に展開していた二体を仕留めたところで狼に見つかった。二頭の狼がこちらに狙いを変えて迫ってくる。敵意を向けられるのは人間だろうと獣だろうと変わりなく良い気持ちはしない。心臓が早鐘のように鳴る。こういうのが嫌だから弓での狩りを覚えたってのに。

 

「そのまま小屋の前まで走れ!」

 

 狩人たちに叫ぶ。二人が手をあげて応えるのを視線の端で捉えつつ、青年はその場を離れるように動く。方向は小屋から出来るだけ遠い方へ。狼が数十メートル前を並行して走る。人間と狼では移動速度の差は歴然だ。逃げる気はない。木々の間を縫って進む。この木々たちを避けて弓を当てることは不可能だと狼たちもわかっているのだろう、隠れる気配はない。姿を見せて追うことで相手の体力を減らし、弱ったところを狙うつもりなのだろう。野生の獣は知恵がある。

 

 ある程度の距離を離しただろう。青年は立ち止まる。

 

 狼は弱ったと見たようだ。木々の間をぬいながら、青年の周りを回る。普通なら弓は当たらない。それがわかっているということは、何度か狩人と対決したことのある狼なのだ。わかっているからこその油断。

 

 青年が矢をつがえる。数は二本。狼は正面に一体と後方に一体。二体は間隔を均等に周囲を回る。一体へ攻撃を仕掛ければ後方から瞬時に襲いかかる算段なのだ。

 

 青年は動かず、正面に狼が来るタイミングを計る。徐々に方位が狭まってくる。

 

 そこだ!

 青年が放った矢は木々の間をすり抜け、正面を過ぎようとした狼の腹部を直撃。狼が倒れるのとほぼ同時、後方から足音。振り返る間もなく首筋に牙が突き立てられるだろう。しかし、青年は振り返らなかった。

 

「わりぃね。それ、すり抜けるぜ」

 

 放たれた矢は二本だった。一本は正面の狼へ。もう一方は今まさに噛み付こうと口をあけた狼の右目を貫き、地面へと縫い止めていた。

 

 一瞬の騒音が嘘だったように、あたりは静寂へと戻る。雪に包まれた森は青年の呼吸音だけがうるさく響いた。

 

白に鮮血の赤がまぶしかった。

 

 

 

(3)

 手早く狼たちの処理を済ませ、二頭の狼を引きづりながら青年は小屋に戻った。

 

 小屋の前では先ほどの男が二人、少女から手当てを受けていた。

 

「あっ、おかえりなさい!」

 

 真っ先に青年の足音に気づいた少女が声をかける。まだ数十メートルはあるというのに、よくもまあ。視力を失ってから、それを補うように他の感覚が鋭くなっているらしい。今では寝息で体調まで管理される始末だ。

 

「はい、戻りましたよっと。……んで、アンタら珍しい時期に狩りなんてやってますねぇ?」

 

 少女に応えてから、青年は狩人たちに問いかけた。一般的な狩りの時期はすでに過ぎている。動きからして熟練の狩人という訳でもなさそうだ。まあ、熟練者こそ油断はしないためこういう季節外れの狩りはしないわけだが。

 

 傷が浅い方の男が、礼を述べてから続けた。

 

「俺たちは近場の村の者だ。領主の重税が厳しくってよ……。季節外れだってのに狩りに出ないと税が払えないんだ」

 

「なんだって?領主は死んだんじゃないのか?」

 

「い、いや、そんな話は聞いたことがない。しかし、前にも増して税が重くなってるんだ。村の若い娘はほとんど領主の元に。

 

俺たちはどうにか暮らしていくのが精々で……。このままじゃあ、みんな餓死するしかねぇんだ」

 

 殺したはずの領主が生きてるってのか。青年は驚愕した。あの傷で生きているはずがない。仕留め損なったってのか。そして、あの時きっちりとトドメをささなかった自分を悔いた。

 

 いつの間に寄ってきたのか、気づくと青年の背後に少女が寄り添っていた。肩に置かれた手は微かに震えている。過去のことを思い出してしまったのだ。過去の強烈なトラウマは癒えることはない。何をきっかけにしてそれは容易にフラッシュバックする。

 

「まあ、その話には同情するけど、俺たちには関係のない話さ。傷の手当が終わったら、帰路につくことをオススメするよ。

 

家に男を入れる趣味はないんでね。もちろん、日が暮れてもな」

 

「そ、そうだな!命を救ってもらっただけで十分感謝してる。また、改めてお礼に来るよ。ありがとうな」

 

「大したことはしてないから別にいいよ。そんじゃ、村はあっちだ」

 

 青年が指差すと男は立ち上がって、頭を下げた。相方の男に肩を貸して、小屋を去っていく。

 

 男たちがの姿が見えなくなってから、青年は肩を掴んでいる少女の手に手を重ねた。徐々に力が入って指先は白くなっていた。

 

「ごめんな、辛いことを思い出させてしまった」

 

「ごめんなさい!でも、どうしても、怖くて……」

 

 慌てた様子で手を離すが、少女の体はまだ震えていた。呼吸は浅く、過呼吸気味だ。彼女は想像も出来ないような辛い体験をしたのだ、無理はない。むしろ、取り乱すことなく、自制している少女の心の強さに青年は驚きを禁じえない。自分の胸が締め付けられるように痛む。

 

「大丈夫、大丈夫だから」

 

 一度躊躇ってから、青年はそっと彼女を抱きしめた。気の利いた言葉を掛けてやりたかったが、今ここで何を言うべきなのか青年にはわからなかった。

 

「……はい」

 

 どれくらいそのまま抱き合っていたのだろうか。そう返した彼女の声はもう震えていなかった。

 

 





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