Ideal・Struggle~可能性を信じて~ 作:アルバハソロ出来ないマン
皆様、インフルエンザやノロウイルスには十分注意をして健康的に日々を過ごされてください。
病院での検査の後、左太ももに肌が少々赤くなる程度の軽い火傷を負った以外の傷がなかった俺と、無傷だった一夏は共にIS学園の学生寮へと帰還が許された。そこから病院でも受けていた事情聴取の続きを学園内でも受け、日がすっかりと暮れて夜の帳が降りた頃にようやくの解放という形になった。
そうした諸々があった為に昼食を摂る事さえ出来ず数時間を空腹のまま過ごし、ようやくありつける夕食を一夏とシャルロットとテーブルを囲みながら軽い話を交えつつ摂っている今に至る。
「結局、トーナメントは事故で中止か...」
「でも一回戦だけは全部やるっぽいね」
「個人データは今後の指標になるだろうからね、必要なものだよ」
シャルロットは湿布が巻かれた方の手首を労るように撫でながらカルボナーラに付属したコーンスープを一口飲み、俺たちの会話の裏打ちを付けた。一夏は塩ラーメンを、俺は銀鱈定食をそれぞれ完食した。
「はぁ、昼食を抜いただけだっていうのに......こんなに腹が減ってるとは思いもしなかった」
「ISは体力を使うからね」
コップに注がれた水を一息で飲み干してから両手を合わせ、御馳走様と告げてから食後のトークを再開しようとした矢先だった。
「あ、堺くん、デュノアくん。織斑さんも、こんばんは」
「こんばんは。山田先生、どうしたんですか?まさか、また書類か何かですか...?」
山田先生が食堂内を軽く見回し、俺を見つけて近付いてきたことで会話を中断して、やってきた山田先生に来訪の理由を訊ねる。
「いえいえ、逆です。朗報ですよ!本日から男子の大浴場が解禁になります!」
「今日からですか!」
「はい、元々本日はボイラーの点検日だったので大浴場は使用できない状態だったんですが点検自体はもう終わっているので、それなら男子の二人に使ってもらおうという計らいなんです」
山田先生が俺たちを探していた理由は、本日から使用可能になった大浴場の案内についての説明の為だったようだ。大浴場、デカい風呂。貸し切りに等しい状況で疲れを流せる湯船。
「そうですか!じゃあ早速準備に入ります!」
「分かりました。大浴場の鍵は私が持っていますが、開けておくので入浴時間内であれば好きな時間に入って頂いて構いませんよ」
嬉しさで舞い上がってしまった俺は二つ返事で準備をすると言い、山田先生はそんな俺を嬉しそうに眺め、時間内であれば自由に入っていいと言い残して去っていった。
「じゃあ、私も部屋に戻るね」
「ああ。お疲れ、一夏」
「バンショーもね。また明日!」
「ああ、また明日」
一夏と小さくやり取りを交わし、手を振って見送った。
「えーと、どうしようバンショー?」
「とりあえず、着替えを取りに戻って――先に入っていいぞ。俺は後で入るよ」
「分かった。じゃあ、それで行こうか」
シャルロットと共に寮に戻り、着替えを抱えて大浴場に先行するシャルロットを送り出した。それから1時間ほどした後、入れ替わる形で俺が大浴場で大風呂を独占する喜びを噛み締めながら楽しんだ。
「僕ね......まだ、ここだって思える場所を見つけられないの」
「――居場所、か」
風呂上り、自室にてシャルロットから持ち掛けられた話に小さく乗りながら、布団に沈めていた身体を起こしてシャルロットに向けた。
「......うん。だから、まだこの学園に残って、本当に居たいと思える場所を探そうと思ってる」
「...そうか。その居場所を見つけるのは、俺には手伝えないことだ。でも、どれだけ辛いことがあっても――」
「それでも、と言い続けて前を向く。足は止めない、とか...そんな言葉でしょ」
「――分かるか?」
「バンショーなら絶対そう言うと思った。分かるよ」
シャルロットを焚きつけてしまった身としては、シャルロットのこれからが気になっていた。自分の居るべき場所、居たい場所。シャルロットはそれを見つけられずに居るが、焦る必要はない。そして、それは俺が介在していても介入は出来ない物事だ。故に、周囲に影響されながらでも一人で決めることである。自分で選ぶ事と周囲に強制される事の、相違による辛さに打ちひしがれても、また立ち上がり前を向いて進んでほしい。そう言おうとしたが、読まれていたようだ。
「見つかるといいな」
「見つけるよ、きっと」
握り拳を眼前に突き出せば、シャルロットは強い瞳で口元に小さな笑みを作りながら、拳を同じ様に突き出した。
音を立てず、小さくぶつかる。
「俺に出来る事があったら言ってくれ。やれるだけのことはしてみせる」
「その時が来たら、頼らせてもらうよ」
ぶつけ合った右手同士を解き、握手を交わす。
その後、会話を繰り返し、夜も更けてきたから寝ようかとなったところで部屋の扉がノックされたので誰かと思い、少し扉を開けるとジャージ姿の千冬さんが立っていた。
「堺、少し話がある。人の耳には入れたくはない。ついてこい」
有無を言わさない千冬さんの圧力に、シャルロットに先に寝ているように告げてから、先へ行ってしまう千冬さんを小走りで追いかける。無言のまま足早に屋上へ向かう千冬さんに置いていかれないように追従した。
教職員用の鍵で開けた屋上へ通された俺は、千冬さんと二人で転落防止用のフェンス越しに灯りのない暗闇を眺めた。6月のやや湿気の強い夜風に頬を撫でられながら千冬さんが会話を切り出すのを、無言で待っていた。
「そら、飲め」
ラフなジャージ姿の千冬さんは、そのポケットから缶コーヒーを取り出すと横に居る俺に手渡してくる。口止め料、というやつだろうか。
「こんなもの、無くても口外しませんよ」
「口止めのつもりではない、ただの善意だ」
「なら、頂きます」
プルタブを開けて一口飲めば缶コーヒー特有の安い味に眉を寄せるが、そんな味などよりも、千冬さんから切り出される話題のことで俺の頭の中はいっぱいだった。
「――ラウラのことだがな」
俺が会話を促していることに気付いたのだろう。千冬さんは少し溜めた後、ボーデヴィッヒに関する話題で呼び出した事を告げた。
「......ドイツの、軍人でしたっけ」
「ああ。私はそこで教官を務めていた。一夏の一件で、世話になった礼だ」
「同い年の女子が......軍ですか」
「想うことはあるだろうが、今はラウラの話が先だ」
「――はい」
思わない所がないわけではない。しかし、それよりも今は千冬さんの話が優先だろう。缶コーヒーを握る右手を、左手で数度撫でてから再び口に含み、軽く流し込む。
「なぜお前にこの話をするかというとだな......まぁ、私も人間だ。教え子が知り合いに誤解されたままでは居てほしくない。――そういう、個人的な話だ」
「...聞きますよ、それでも」
「すまん、助かる。さて、といっても......どこから話したものか」
音のない静寂の暗闇で、千冬さんは何から話そうかと逡巡していた。しかし、それも束の間の出来事。次の瞬間には、千冬さんは言葉を発していた。
「......ラウラはな、人工生命体だ」
「――――」
「遺伝子強化試験体C-37番。それがラウラに付けられた最初の名前だった」
千冬さんがジャブ代わりに寄越した最初の一言は、あまりに衝撃的すぎた。ボーデヴィッヒが意図的に作り上げられた存在である、到底理解できない話だった。
「人間のクローンや、遺伝子操作は禁止されているはずです」
「それは表の社会での話だ。陰では好き勝手にやっている奴らがいるのが今の世の中だ」
「っ......」
「ラウラは、その暗い時代に産まれた人工生命体だ。鉄の子宮で人工合成された遺伝子から作りだされた。ISの無かった時代だ。ただ戦う為だけに作られ、教えられ、育てられ、鍛えられ、それらの為だけに産み落とされた」
「......」
千冬さんから語られたことの重さに、目を閉じ、耳を塞いで、綺麗な世界だけを盲信していたい衝動に駆られた。しかし、それでも。俺は耳を塞ぐ事はなく、目を閉ざす事もまた無かった。聞かなかければならない事であり、知らなければならない事だと思ったからだろう。
「――奴が覚えていたのは軍にとっての常識だけだった。如何にして人体を攻撃するか、どうすれば敵軍に致命的打撃を効率良く与えられるか。格闘術を習い、銃撃を教えられ、各種兵器の操縦法を会得した。ラウラは、人間兵器として凄まじく優秀な人材だった」
「だった...?」
「そう.....だった。ISが誕生するまでは、奴は最高峰の人間兵器だった。世界最強の兵器であるISへの適合性を高める為、疑似ハイパーセンサーともいうべき『ヴォーダン・オージェ』と呼ばれる肉眼へのナノマシン移植処理手術が、ラウラを取り巻く環境を変えた」
「――金の、瞳」
ボーデヴィッヒが眼帯で覆い隠していた、オッドアイ。あれが、そのヴォーダン・オージェという奴なのだろう。
「疑似ハイパーセンサーというだけあって、その性能は凄まじいものだった。脳への視覚信号伝達の爆発的向上と、超高速戦闘状況下における動体反射の強化。普通ならば瞳の色も変わらず、使用者の意思で自由に切り替えられるはずのそれが、ラウラにはそうではなかった。常に稼働したままカットする事も出来ず、金の瞳に変異したそれは、それまでに築き上げてきたラウラの全てを否定し始めた」
「処置の失敗、ということですか?」
「いや、ある種の成功ではあった。見えてはいるのだからな。しかし、残された普通の目とヴォーダン・オージェが捉える視界の差異は、如実にIS訓練で悪影響を与えた。その事故ともいうべき事が起こってから、ラウラがトップに君臨していられなくなるのは必然だった。そんな転落をした奴を待っていたのは、同部隊員からの嘲笑と侮蔑、そして『出来損ない』の評価だ」
「――...空っぽ、ですね」
ボーデヴィッヒに感じた虚無は、そんなことがあったからだろう。そういう在り方しか知らなかったのであれば、ああなってしまうのも、なんとなくわかる。しかし、ボーデヴィッヒのしたことを無知だったからで許す事も出来ない。
「ああ、実に空虚な瞳をしていた。そんな時に私が教官となり、IS専門の部隊へと鍛え上げ――再び奴を頂きへと導いた。あの時は、強い瞳をしていたが......いったい、どこで歪んでしまったのか。私にはそれが分からない。ラウラの仕出かした事を許す事は出来ん。しかし、だからといって万掌、お前にラウラを悪だと断定させるワケにもいかん」
「人であるから、ですか」
「そうだ。無知を許せとは言わない。だが、どこかで折り合いをつけてやってほしい。私も、一夏を傷つけたラウラには一発痛いのをお見舞いしてやって、それで手打ちにした」
「ボーデヴィッヒの事は、もう散々殴って、蹴って......それで、終わりですよ。それに、奴は知らないだけなんです、きっと。獣ではなく、人であれば......分かる事もあると思います。そう、信じたいです。」
「人...人か......――そうだな。あの時のラウラの根底にあったのは、願いだろう」
「願い、ですか」
「VTシステム。ヴァルキリー・トレース・システム。歴代ヴァルキリーの動きを再現するシステムであり、現在はIS条約により如何なる国家・組織・企業においても開発・研究・使用の全てが禁止されている。それが、ラウラのISに巧妙に隠された状態で搭載されていた。操縦者の精神状態・機体の蓄積ダメージ・操縦者の願望。その全てが揃わなければ発動しない仕組みになっていたらしい。万掌、お前のデストロイモードの一件で提供されたデータが役に立った瞬間だ」
「デストロイモードも、俺の意思に反応するから.....ですか」
「そうだ。ラウラは願った。私に成りたいと。お前も願うだろう。誰かを助け、守りたいと。ラウラのVTシステムも、お前のデストロイモードも。根本は同じ、願いから来ている」
「......使い方と担い手によって、それは大きく変わってしまう...ということですね」
「ISは純粋だ。搭乗者の意思をそのままに反映する。それはなぜか...善悪の区別を持たないからだ。操縦者の意思が全てであるISにとって、善悪の概念は操縦者の価値観に固定される。故に、ISは操縦者の為だけに動く。そういうものだ。ラウラも、そうして産まれ、善悪の概念も与えられず、ただ道具の様に育てられ、兵器として扱われた。ラウラは、ISのような存在なのかもしれない」
善悪の概念を教えてくれる肉親を持たず、ただ兵器で在れと言われ、それを忠実に熟し続けたボーデヴィッヒ。そこに、自らの意思は存在しなかった。そうすることでしか生きられず、そうすることしか知らなかったからだろう。そんな狭い世界で、自分が必要ないと言われたときにどれほどの絶望感を感じるのだろうか。もしも俺がボーデヴィッヒと同じ出自であったとして――親の居ない世界で、千冬さんのような人に逢ったのなら。何を、想うだろうか。
そう考え、顔を上げた所で視えた深く蒼い空に浮かぶ星々の鼓動が放つ輝きの眩さが、目に入った。
「......万掌、何故に泣く」
「――あまりに、綺麗で」
薄暗い話もあり、人々の傲慢さに覆われた世界の中でも、変わらずにこの地上を見続けている星々。それに抱く『情景』と、ボーデヴィッヒが囚われていた深い闇の中に現れた千冬さんに抱く『憧れ』。きっと、それは同じものだろう。だから、ボーデヴィッヒが千冬さんに憧れてしまうことも理解できた。理解できたから、涙が一筋、勝手に流れ落ちた。それを千冬さんに見られ、何故泣くのかと訊かれた。咄嗟に誤魔化したが、きっと千冬さんのことだ。解っているだろう。
この世の中は汚くて、見たくも無い物もいっぱいあって、それでも星が輝くこの世界が美しくて。ボーデヴィッヒも、千冬さんにそういった感情を抱いた。そして、盲信してしまった。千冬さんを、偶像にしてしまったのだ。
「......ふむ。たしかに、地球が汚染されている等という話が嘘に思えてくるな。だが、今見えているこの空も、昔よりは随分と汚れている。砂漠も、日々広がり続け、海面の上昇も続いている。――全て、人間のやったことだ。乱開発に土壌拡大、埋め立て工事や夢の島。人が自然から生まれた生物なら、人が出すゴミや毒も、自然の産物ということになる。このまま人が住めなくなったとしても、それはそれで、自然がバランスを取ったという結果のことだろう」
「......」
千冬さんは一度喉元まで出かかった言葉を呑み込み、それから俺の嘘に合わせた話を始めた。その微妙な優しさが、なんとも不器用で。暖かいと感じた。
「自然に慈悲なんてものはない、昔の人間はそれを知っていた。他ならない、自然の産物の本能として、な」
「だから、生きる為に文明を作り、社会を作って身を守った......ですよね」
「ああ、だが――そいつが複雑になりすぎて、何時の間にか、人はそのシステムを維持する為に生きなければならなくなった。挙句...生きる事を難しくしてしまい、その本末転倒から脱する為の新天地を、あの馬鹿――束は、良かれと思って、人を救う為に宇宙を求めた。ISは、束の掲げるシステムの一つだった」
ヒューマニズム公害や人災などと言う言葉があるように、人もまた自然が生み出した存在なのかもしれない。そして、人は脆い。人が一人では生きられないことを知っていた昔の人達は、それでも生きていたいから文明を築き上げ、社会を作りだした。人が、長く生きられる為に作ったんだ。
しかし、時が経つにつれて色々な人間の思惑が混ざり、利権が絡みあい、人が生きやすくあるための社会だったそれが、社会の為に人が生きている世の中になってしまった。社会を生かす為に人が歯車になっていく。人が幸福である為に、システムに政治、権力、資金が関わった結果、人はその手段を維持しなければいけなくなった。
まさしく、本末転倒だろう。
「それは、エゴというべき物じゃないでしょうか......でも、そうですよね。そういうエゴ......良かれと思ってやり始める善意がなければ、きっと何も始まらなかったと思います......束さんも、社会も、善意から始まったんだと思いたいです」
「ああ、私もそう思いたい。だが今までの各国家が築き上げた古い体制は、束の宇宙とISを否定した。出自の違うシステム同士が、相容れることはない。どちらかがどちらかを屈服させようとするだけだ。そうして束は押し潰された」
「でも――今こうして、IS学園で違う国の人達と同じ言語で会話をして、同じ目標を目指して共に歩むなんていうこと、きっと昔は夢物語でしたよね。そういう可能性も、人にはあるんじゃないですか?二つの考え方が、いつか一つになることだって......」
「全員が全員、平等に束ねられたわけじゃない。今までの長い歴史の中で、似たような事は幾度となくあった。平等に扱われず、それに弾かれた者たちの怨念は今でもこの地球の、社会のあらゆる場所にへばり付いている」
「......哀しい事です。それは、すごく......」
「――――ああ、悲しいな。悲しくなくするために、生きているはずなのに。――――なんでだろうな」
両親を持たず産まれてきた人工生命体ボーデヴィッヒ。愛人の子シャルロット。同じく両親のいない織斑姉妹。両親の離婚した鈴音。両親を亡くしたセシリア。疎遠の箒。そんな中で、俺だけが、両親に恵まれ、今も育てられているという当たり前を改めて思い返す。
当然だと思っていたことの全てが、鬱陶しいとまで思ったことの全てが最初からなかったり、ある日を堺に無くなってしまったら。彼女たちが、どんな想いで過ごしているのかと、考えた。
持たない者は、その当然を理解できない。持つ者だけが、理解できる。
産まれた瞬間から平等でない。残酷で――変えようがない、自然の摂理。
「――――......ぅ......ぁ......」
「......万掌」
「解ってます、解ってますよ......男が、人前で泣くもんじゃないって言うんでしょう......!」
流れる涙を腕で無理矢理拭い、頭を振って解っていると千冬さんに態度で示す。
「いや......自分を憐れんで泣く奴はみっともないが、人を想って流す涙は別だ」
「......」
しかし、掛けられた千冬さんの言葉は予想とは違い、その暖かさに心打たれた俺の瞳からは、抑えていた涙が溢れて零れ落ちた。そして、そのまま声を殺して静かに泣いた。千冬さんはそれ以上は何も言わず、ただ黙って背中を撫でてくれた。
翌日。
朝食を共に摂っていたシャルロットだったが、登校の時間になると先に行ってくれと言われた。その言葉通り先に教室に辿り着いたが、ホームルームの時間になってもシャルロットはやってこなかった。
「はい、皆さん。おはようございます。えぇーと......転校生といいますか、既に知っていると言いますか......じゃあ、挨拶をお願いします!」
山田先生が教室に入ってきて、そう説明をした事で何となく察した。そして、その予想は即座に的中した。
「失礼します。シャルロット・デュノアです。皆さん、改めて宜しくお願いします」
スカートに履き替え、コルセットも外し、女性らしい出で立ちになったシャルロットが小さく頭を下げた。
「と、いうことで......前々から相談はされていたんですけど、ようやく学園側の準備が整ったので、こうして皆さんに伝える事になったわけです。デュノアくんは、デュノアさんでした」
困惑するクラスメイトたちをそのままに、山田先生は予め知っていたこともあってか困惑の色は少なく、ニコニコと笑いながら話す。
「堺くんとデュノアさんは、来週にはまた別室になります。即日でないのは我慢してくださいね」
「はい。山田先生、何から何までご迷惑をお掛けします」
「いえいえ、先生ですから!生徒さんの頼みは断れませんよ!先生ですから!」
張り切っている山田先生に一同苦笑しながらも普段通りにホームルームが終わり、いつもの雰囲気に戻っていくクラスにシャルロットは受け入れられ、別段変わった様子も無く馴染んでいった。男装が似合いそう、という話が上がるあたり順応性の高さには脱帽せざるを得ない。
そして、4限目が終わり昼休みに入ったところで、ボーデヴィッヒが登校してきた。
「堺万掌、織斑一夏......少し、付き合ってもらおう」
一夏と俺を呼び止めたボーデヴィッヒの瞳に浮かぶ微かな戸惑いの色を見た一夏が先に頷き、俺も同じようにした。ボーデヴィッヒは俺たちの同意を確認すると背中を見せて廊下を歩き出す。
校庭に足を踏み入れた俺たちは、そこでボーデヴィッヒと対峙することになった。
「お前達に同行を依頼したのは、訊きたいことが幾つかあったからだ......質問を、許可してほしい」
ボーデヴィッヒは迷いの色を強めた赤い瞳で一夏と俺を交互に見ながら、覇気の消え失せた様子で自信無さげに訊ねてくる。
「答えられることなら、答えよう」
「うん。私も、万掌と同じ意見かな」
「そうか、助かる。――では、最初の質問だ」
ボーデヴィッヒの口から、感謝の言葉が出てきたことに俺と一夏は少し面を食らい、次いで口元に小さな笑みを浮かべてしまう。
「織斑一夏からはあの時、強さの意味をなんとなく聞いた。だが、堺万掌......お前から教えられた強さの意味が理解できない。答えてくれ、堺万掌。お前の強さとは、何を指す。何を以てして、そうも強く在れる?」
「そう、だな......例えばだ、千冬さんに『頑張れ』と激励の言葉を投げかけられ、背中を押されたとして――ボーデヴィッヒ、お前はモチベーションが上がらないか?」
「――滾る、だろうな」
「そういうことだ。俺の言う強さなんて、そういう些細なことなんだ。俺を信じてくれる人が居るだけでいい、声を掛けてくれるだけでいい、俺を頼ってくれるだけでいい、困った時に助けてくれる人が居る。その想いやりの積み重ねが、強さになっていく」
「大勢の人間との関わりは、人間的強度を下げていく。守るべき物は少なくするべきだ」
「それも正しいことだ。守るべき物の多さに、守り切れない未来を想起して絶望に震えることもある。だが、それでも――俺はこの掌で人の手を掴み続ける。一人じゃないから、臆する事なく手を伸ばせる。辛いとき、どうしようもない時、必ず助けてくれる人達が居ると信じている」
「裏切られることも、有り得るかもしれない」
「それでも、だ」
「リスクに見合わないと切り捨てられるかもしれない」
「それでも」
「信じていると甘い言葉を掛けられ、その裏で利用されているだけかもしれない」
「それでも、俺は人を信じる」
「......私は、そうは在れない。そんな強さは、持てない......」
ボーデヴィッヒは、決して変わらない俺の言葉に顔に影を落とし、俯いてしまう。
「別に、俺を真似る必要はないさ。お前は千冬さんでもないし、一夏でもないんだから」
「では!――では......私は、一体...誰だ?何を以て、私がラウラ・ボーデヴィッヒだと言えばいい?」
ボーデヴィッヒは答えを求め、俺を訊ねたのだろう。しかし、その答えを俺が持ち合わせているわけがなかった。
「それは、これからのお前が作り上げていくものだ。誰でもない、お前がラウラ・ボーデヴィッヒに成っていくんだ」
「――――」
「今までみたいに、孤独で在ろうとせず......誰かを頼るのも悪くないんじゃないか?」
「......私は、繋がり方を知らない」
「――そうか。なら......」
俯いたままのボーデヴィッヒは悲痛な面持ちで、つい数日前とは打って変わって小動物的な雰囲気を醸し出している。なるほど、確かにこれではラウラ・ボーデヴィッヒという人物を掴めずにいるのも納得がいった。
だからだろうか。縁を結んだ経験の薄いボーデヴィッヒに、俺は手を差し出した。
「まずは俺と、仲直りの握手でもしようじゃないか」
「......なに?」
「じゃあ、次は私とだね!」
「......何故だ?どうしてそうなる!?私はお前達の心を抉り、身体を傷付けた敵だろう!なぜそうして、手を差し出せる!」
ボーデヴィッヒは差し出された一夏と俺の手を交互に見て、吠えた。理解できない物を見るような顔をして数歩後退したボーデヴィッヒは、目線を泳がせて言葉を選びながら質問を繰り返した。
「深い意味はない。ただ、
「私は、もっとラウラのことを知りたいなって思ったから」
「......理解できない」
ボーデヴィッヒは小さく首を横に数度振り、顔を地面に向けて数秒ほど伏せた後、弾かれた様に顔を上げた。
「――だが、手を......手、を...差し出して、くれるなら――――私は、その手を......取っても、いいのだろうか......?」
「良いも悪いも、今の俺たちは、お前に手を伸ばしてるんだ。他の誰でも無い......ラウラ・ボーデヴィッヒ、お前にだよ」
ボーデヴィッヒは自分の為に差し出された手に、自らの手を伸ばし、引っ込めてはまた伸ばし......という行為を数度繰り返し、猫が未知の物体に触れるかのようにおずおずとしている。黙ってそれを見守っていると、たっぷりと数分ほどの時間を掛けた後、ボーデヴィッヒの手がついに俺の手に触れ、握った。その瞬間に俺も握り返し、握手を結んだ。
「――あたたかい」
「この熱は、お前も持っている物だ。人の熱が、人の心を暖めるんだ」
「......私も、誰かの心に熱を与えられるのだろうか」
「出来るさ。俺はラウラがそう在れる可能性を持っていると信じている」
「――これは、抗えない、な......」
ラウラは両手で俺の右手を握り締め、額に押し付けてしばらくそのまま固まり、小さく声を漏らす。意味は分からずとも穏やかな声が、全てを物語っている。
「じゃあ、私とも握手だね」
「......――――」
握手を終え、自ら手を離したラウラは一夏の方へ身体を向け、そのまま息を呑んで固まった。一夏は最初こそ困惑の表情を浮かべたが、次第にラウラからの言葉を待つように慈愛の色を強めた。
「......その、酷い事を言ってごめんなさい。それで、その――――その上で、私を赦してくれるのなら......私と、友達になってほしい」
ラウラは自分の過ちを謝り、一夏に赦しを求めて手を伸ばす。罪を認め、赦しを乞う。人であればこそ、出来る事だろう。
「友達だもん、赦すよ!」
一夏はその手を、大層嬉しそうに笑いながら、しっかりと取った。
ラウラは握られたその手と、掛けられた言葉を数秒ほど掛けて解き解し呑み込んだようで、次第にその顔に喜色の色を浮かべていく。
「よ、よろしく...一夏!」
「こちらこそよろしく、ラウラ!」
ファーストコンタクトが最悪だった二人が、手を取り合う光景を傍で見ていた俺は、その暖かさに改めて人の在り方という物を深く感じた。
生まれや育ちで多少の意識の差や異なる正義を持っていようと、互いが互いを理解しあう努力をすれば、必ずその距離は縮む。
哀しいことの多すぎる世界であっても、可能性は存在し続ける。
いつか、この二人のように世界が暖かな光に包まれるだろうと信じられる。
空は蒼く、広がっているのだ。
人の想いも、この空を抜け、宙を包み、広がっていけるだろう。
二巻終わりです。
B-birdを聞きながらプロット作ってたので、聞きながら見て頂けると、準えている部分が多いかと思います。
幕間的な小話は......要りますかね?